田口館
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田口館 (福島県) | |
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別名 | 北条館[1][2] |
城郭構造 | 城館 |
天守構造 | なし |
築城主 | 田口氏? |
築城年 | 不明、鎌倉時代? |
主な城主 | 田口氏? |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、坂土橋(虎口?)[3] |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯37度05分32秒 東経140度32分12秒 / 北緯37.092339度 東経140.536556度座標: 北緯37度05分32秒 東経140度32分12秒 / 北緯37.092339度 東経140.536556度 |
地図 |
田口館(たぐちだて/たぐちやかた)、または北条館(ほうじょうだて[1][2])は、福島県石川郡(旧東白川郡)古殿町竹貫立中にあったとされる日本の城。
概要
[編集]古殿町中心部を流れる鮫川南岸の、同町竹貫立中地内にあったとされる。西約200メートルのところに、鮫川と九竜川の合流点がある[4]。『日本城郭大系』第3巻では「詳細不明」とのみ記載されているが[5]、石川氏庶流である田口氏の館と見られ、北条時頼[4]、または北条時村[1]の居城とする伝承があり、「北条館」とも呼ばれたという[1]。
遺構
[編集]現地を調査した八巻孝夫によれば、既に採土などで大きく破壊されているが、大きく3つの曲輪に分かれ、破壊後も曲輪の構成自体は変わっていないようである[3]。最高所の本丸と推定できるところはあまり破壊されておらずオリジナルの雰囲気が残っている。その南の一段下にも曲輪があるが、ブルドーザーが入って削平地を広げたようである。これらの2つの曲輪をつなぐ坂土橋があるが、虎口の可能性がある。もうひとつの曲輪は、本丸と推定されるところの北側にあるが、ここも土採りに遭っている[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 児玉幸多、坪井清足監修『日本城郭大系 第3巻 山形・宮城・福島』新人物往来社、1981年2月10日、609頁。
- 八巻孝夫「竹貫城とその周辺の城郭群(中)」『中世城郭研究』第21号、中世城郭研究会、2007年、134-155頁、ISSN 0914-3203。