田代松意
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田代 松意(たしろ しょうい、生没年不詳)は、江戸時代前期に活躍した俳人[1][2]。談林派の一人。名は秀延[1]、通称は新左衛門[3]、別号に談林軒(檀林軒とも表記される)、冬嶺堂等がある[2]。
経歴・人物
[編集]幼年期の経歴についてはほとんど不明だが[3]、後に西山宗因から俳諧を学んでいる[1][2]。当時大坂で流行していた宗因の作風を踏まえた事で[4]、1613年(寛文13年)頃に江戸の神田鍛冶町(現在の千代田区)に在住していたと伝えられ[3]、後に同地で松意と同じ談林派に属していた野口在色、三輪一鉄らと共に「俳諧談林」を結成した[1][3]。
後に井原西鶴との共著等の多くの著書を刊行し[1]、1675年(延宝3年)[注釈 1]に師匠であった宗因の作風を踏襲した著書『談林十百韻[注釈 2]』を刊行すると、談林派における代表的な詩人となり名を馳せた[4]。その後の経歴についてもほとんど分かっていないが、晩年は俳諧から退いたとされている[4]。なお、松意の本姓は高木とされているが[1]、近年では誤りとされている[2]。
主な著作物
[編集]主著
[編集]- 『談林十百韻』- 俳諧撰集。全2冊、10巻からなり、在色、一鉄、小沢卜尺等談林派の9人の俳人の共著。
- 『談林軒端の独活』- 1680年(延宝8年)刊行[3]。
- 『功用郡鑑』- 1681年(天和元年)刊行[2][注釈 3]。
その他の著書
[編集]- 『夢助』- 1679年(延宝7年)刊行。