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田井光義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田井光義
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期
生誕 天治元年(1124年)?
死没 建保元年4月1日1213年4月23日
改名 田井五郎(号)
戒名 天義院田月光輪
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝頼家実朝
氏族 甲斐源氏田井氏
父母 父:源清光、母:駿河国池田宿の遊女
兄弟 逸見光長武田信義加賀美遠光
安田義定二宮清隆河内義長光義曾禰厳尊奈胡義行浅利義遠八代信清利見義氏河内長義源道光源光賢
實光
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田井 光義(たい みつよし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将信濃国望月天神林城主。

甲斐源氏の祖である源清光(逸見清光)の七男[1]とされる。母は駿河国池田宿[2]の遊女とされ、長兄・逸見光長や次兄・武田信義と同腹であると伝わる。また、六兄・河内義長の長子とも伝わる。

田井氏は、上代より帰化族の姓としてあり[3]山梨郡の地名とも言われるが詳細は不明。光義が田井氏を継いで名乗ったと思われる。

脚注

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  1. ^ 五男とも。
  2. ^ 現在の静岡県磐田市池田か。
  3. ^ 続日本紀』延暦八年六月庚辰に「甲斐國山梨郡人外正八位下要部上麻呂等改本姓爲田井」とある。

出典

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  • 甲斐国志』巻之九十三、巻之九十五