田中一寧
表示
田中 一寧(たなか いちねい、元治2年1月19日(1865年2月14日) - 昭和20年(1945年)8月6日)は、日本の教育者。
略歴
[編集]- 1865年(慶応元年)2月14日 - 庄内藩士・田中一俊の長男として生れる。
- 山内与平に漢籍を学ぶ。
- 苗秀学校(旧致道館)入学
- 西田川中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業
- 1881年(明治14年) - 山形師範学校入学
- 病気で同校中途退学。
- 白井重高に漢学を学ぶ。
- 1898年(明治31年) - 荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)教師
- 長男の田中一郎が病院長を勤める広島県広島市に移住。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 広島に投下された原子爆弾(リトルボーイ)の犠牲となり死去、80歳。
親族
[編集]著書
[編集]- 出版年不明 - 『高橋種之・種芳両翁追憶小記』
- 1936年(昭和11年) - 『杏邨詩稿』