田上大水神社
田上大水神社・田上大水御前神社 | |
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所在地 | 三重県伊勢市藤里町字大丸679 |
位置 | 北緯34度28分50.2秒 東経136度42分26.7秒 / 北緯34.480611度 東経136.707417度座標: 北緯34度28分50.2秒 東経136度42分26.7秒 / 北緯34.480611度 東経136.707417度 |
主祭神 |
田上大水神社:小事神主 田上大水御前神社:宮子 |
社格等 |
式内社(小) 豊受大神宮摂社 |
創建 | 延暦23年(804年)以前 |
本殿の様式 | 神明造 |
別名 | 丸山さん、車塚 |
主な神事 | 神嘗祭 |
地図 |
田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)は、伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社。外宮の摂社16社のうち第5位である[1]。本記事では田上大水神社と同じ社地にあり、外宮摂社のうち第6位[1]である田上大水御前神社(たのえおおみずみまえじんじゃ)についても記述する。
両社の祭神は、外宮神官家の祖先であり、父子であるとされる[2]。
概要
[編集]三重県伊勢市藤里町に鎮座する[2]。外宮宮域・高倉山に鎮座する山末神社の南に位置する[2]。周辺は宅地化が進んでいるが、かつては水田が広がり、神社境内の森は現今より目立っていた[2]。付近には宮崎氏神社跡や山宮祭場跡など度会氏にまつわる史跡がある[3]。鎮座地の丘は濠に囲まれ[2][4]、東西22m、南北43m、比高5.5mである[3]。宮域面積は約1,133m2[5]。
田上大水神社と田上大水御前神社の社殿は同じ玉垣の中に鎮座する[4]。社殿正面に向って左側面に鎮座するのが田上大水御前神社である[5]。社殿は神明造の板葺で、田上大水神社は南向き、田上大水御前神社は東向きに建てられている[5]。賽銭箱は置かれていない。周辺住民からは「丸山さん」、「車塚」と呼ばれ、親しまれる[2][4]。社地は「車塚一号墳」という名の古墳であり、前方後円墳だとされる[4]。ただし、古墳は原形をとどめていない[3]。御所車に形が似ていることから「車塚」と呼ばれる[3]。
社名が長いことや、大間国生神社が「大間社」と「国生社」の2所からなることから、「田上」と「大水」の2所からなるとする古書(『伊勢二所太神宮神名秘書』など)もあるが、これは誤りである[6]。
祭神
[編集]田上大水神社の祭神は小事神主(おごとかんぬし)[2]。外宮の世襲神主であった度会氏の祖先であるとされる[2][4]。『度会縣宮社検査録』などの明治期の文献では祭神を不詳とするものが多い[6]。
田上大水御前神社の祭神は、小事神主の娘であり、斎王に奉仕したとされる宮子(みやこ)[2][4]。
社名から推測できるように、元は水の神であったのではないかとされる[2][3]。
歴史
[編集]伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された。また、『止由気宮儀式帳』にも記載がある[3]ことから延暦23年(804年)以前から存在したことになる。社名は『延喜式神名帳』では「田上大水神社」、『止由気宮儀式帳』では「田上神社」と記す[6]。
中世の末には祭祀が行われなくなる[7]。権禰宜の出口延良(度会延良)が承応元年(1652年)に度会四門の氏人らとともに再建した[7]。この後の大宮司・河邊精長(大中臣精長)による他の摂社の再興事業は、田上大水神社の再興に大きな影響を与えた[7]。こうした再興の経緯により、明治初期の神宮改正まで氏人によって社殿の造り替えが続けられた[7]。
社殿は1923年(大正12年)3月に建て替えられている[8]。また1958年(昭和33年)12月にも建て替えが行われ、1979年(昭和54年)9月20日に大修繕が施された[5]。
交通
[編集]- 山末神社から
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
- 学研パブリッシング『伊勢神宮に行こう』Gakken Mook神社紀行セレクションvol.1、薗田稔監修、学研マーケティング、2013年7月4日、82p. ISBN 978-4-05-610047-1
- 式内社研究会 編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部、平成2年2月28日、690p. ISBN 4-87644-080-8
- 『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ) - 財団法人伊勢神宮崇敬会
- 田上大水御前神社(たのえおおみずみまえじんじゃ) - 財団法人伊勢神宮崇敬会