琴弥山幸基
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基礎情報 | ||||
四股名 | 湯村 幸基 → 琴弥山 幸基 | |||
本名 | 湯村 幸基→中倉 幸基 | |||
生年月日 | 1983年7月14日(41歳) | |||
出身 | 島根県出雲市 | |||
身長 | 182cm(現役時) | |||
体重 | 158kg(現役時) | |||
BMI | 47.70(現役時) | |||
所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 | |||
得意技 | 突き・押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西十両12枚目 | |||
生涯戦歴 | 397勝403敗7休(114場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1999年3月場所 | |||
引退 | 2018年3月場所 | |||
備考 | ||||
2018年3月25日現在 |
琴弥山 幸基(ことみせん こうき、1983年7月14日 - )は、島根県出雲市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は中倉 幸基(なかくら こうき)、旧姓湯村(ゆむら)。現役時代の体格は身長182cm。体重158kg。血液型A型。最高位は西十両12枚目(2013年11月場所)。
来歴
[編集]入門前
[編集]小学生時代、巡業で舞の海に稽古を付けてもらった縁で力士を志し、出雲市立第三中学校を卒業後、佐渡ヶ嶽部屋に入門。両親は高校進学を望んでいたが、佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)が両親を説得し、中卒入門に至った。1999年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵を踏む。初土俵時の四股名は本名と同じ「湯村」。同期入門には同部屋の琴光喜の他、高見盛、濵錦、若荒雄、千代白鵬、霧の若らがいる。
入門後
[編集]1999年5月場所、四股名を琴弥山に改める。四股名の由来は、地元島根県にある出雲大社の裏山(弥山)から付けられた。同年11月場所、序二段に昇格。2002年1月場所、三段目に昇格。2007年5月場所、初めて幕下に昇格。
2011年7月場所、十両昇進の可能性がある幕下15枚目以内で勝ち越し、翌9月場所、自己最高位の幕下6枚目まで番付を上げるも1勝6敗と惨敗し、番付を大きく落とした。
2013年3月場所、自己最高位タイの西幕下6枚目で4勝3敗と勝ち越し、翌5月場所、自己最高位の西幕下2枚目で4勝3敗と勝ち越した。これで6場所連続の勝ち越しであり、通算300勝も決めた。また、同場所後の番付編成会議で十両昇進が決まった。所要85場所での十両昇進は兄弟子の琴乃峰に並ぶ史上4位タイのスロー出世となった[1]。
2013年7月場所、新十両の場所は、6勝9敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落したが、翌場所で4勝3敗と勝ち越し、再十両を決めた[2]。翌11月場所は、同じ部屋の関取3人(琴欧洲、琴奨菊、琴勇輝)が中日までに途中休場し[3]、自身も初日から8連敗で負け越し、最終的に4勝11敗の大敗を喫して幕下へ陥落[4]。2014年1月場所以降は幕下の番付で取り続けていたが、2017年11月場所で、関取経験後初めて三段目へ陥落した。2018年3月場所限りで、三段目の番付で現役を引退[5]。引退に際して「完全燃焼」と相撲人生を総括した[6]。
主な成績
[編集]- 通算成績:397勝403敗7休 勝率.496
- 十両成績:10勝20敗 勝率.333
- 現役在位:114場所
- 十両在位:2場所
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1999年 (平成11年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口38枚目 4–3 |
東序ノ口3枚目 0–2–5 |
東序ノ口49枚目 5–2 |
東序二段149枚目 4–3 |
2000年 (平成12年) |
東序二段119枚目 2–5 |
東序二段140枚目 4–3 |
西序二段106枚目 2–5 |
西序二段131枚目 3–4 |
西序ノ口6枚目 6–1 |
東序二段57枚目 2–5 |
2001年 (平成13年) |
西序二段92枚目 4–3 |
東序二段66枚目 1–6 |
西序二段96枚目 3–4 |
西序二段110枚目 4–3 |
東序二段86枚目 6–1 |
東序二段10枚目 4–3 |
2002年 (平成14年) |
東三段目92枚目 2–5 |
西序二段19枚目 1–6 |
西序二段61枚目 4–3 |
東序二段36枚目 5–2 |
西三段目99枚目 3–4 |
西序二段15枚目 3–4 |
2003年 (平成15年) |
西序二段38枚目 4–3 |
西序二段16枚目 2–5 |
東序二段47枚目 4–3 |
東序二段27枚目 4–3 |
西序二段4枚目 2–5 |
東序二段40枚目 5–2 |
2004年 (平成16年) |
西三段目99枚目 3–4 |
東序二段14枚目 4–3 |
西三段目96枚目 5–2 |
東三段目60枚目 4–3 |
西三段目44枚目 3–4 |
西三段目57枚目 4–3 |
2005年 (平成17年) |
東三段目40枚目 4–3 |
東三段目28枚目 2–5 |
東三段目53枚目 4–3 |
西三段目38枚目 3–4 |
西三段目58枚目 4–3 |
東三段目44枚目 3–4 |
2006年 (平成18年) |
西三段目59枚目 5–2 |
西三段目31枚目 3–4 |
西三段目46枚目 3–4 |
東三段目64枚目 5–2 |
東三段目33枚目 2–5 |
西三段目57枚目 3–4 |
2007年 (平成19年) |
東三段目73枚目 6–1 |
西三段目17枚目 5–2 |
西幕下56枚目 2–5 |
東三段目17枚目 4–3 |
東三段目7枚目 2–5 |
東三段目30枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
東三段目44枚目 4–3 |
西三段目25枚目 5–2 |
東幕下60枚目 2–5 |
西三段目26枚目 3–4 |
西三段目40枚目 4–3 |
東三段目24枚目 6–1 |
2009年 (平成21年) |
西幕下45枚目 5–2 |
東幕下31枚目 2–5 |
西幕下46枚目 4–3 |
東幕下38枚目 5–2 |
西幕下28枚目 3–4 |
西幕下36枚目 2–5 |
2010年 (平成22年) |
東三段目筆頭 3–4 |
西三段目13枚目 6–1 |
西幕下34枚目 3–4 |
東幕下44枚目 4–3 |
東幕下35枚目 3–4 |
西幕下40枚目 4–3 |
2011年 (平成23年) |
西幕下33枚目 5–2 |
八百長問題 により中止 |
西幕下23枚目 4–3 |
東幕下13枚目 4–3 |
西幕下6枚目 1–6 |
東幕下24枚目 2–5 |
2012年 (平成24年) |
東幕下38枚目 4–3 |
西幕下30枚目 4–3 |
東幕下24枚目 3–4 |
東幕下32枚目 4–3 |
東幕下27枚目 4–3 |
東幕下20枚目 5–2 |
2013年 (平成25年) |
東幕下12枚目 5–2 |
西幕下6枚目 4–3 |
西幕下2枚目 4–3 |
西十両14枚目 6–9 |
西幕下2枚目 4–3 |
西十両12枚目 4–11 |
2014年 (平成26年) |
西幕下3枚目 3–4 |
東幕下7枚目 3–4 |
西幕下10枚目 3–4 |
東幕下15枚目 4–3 |
西幕下12枚目 3–4 |
東幕下17枚目 5–2 |
2015年 (平成27年) |
西幕下9枚目 3–4 |
西幕下15枚目 1–6 |
東幕下45枚目 4–3 |
西幕下35枚目 4–3 |
東幕下29枚目 4–3 |
西幕下20枚目 3–4 |
2016年 (平成28年) |
東幕下28枚目 5–2 |
西幕下16枚目 5–2 |
東幕下8枚目 3–4 |
西幕下11枚目 3–4 |
西幕下17枚目 3–4 |
西幕下23枚目 1–6 |
2017年 (平成29年) |
東幕下45枚目 5–2 |
西幕下30枚目 2–5 |
東幕下47枚目 4–3 |
東幕下38枚目 2–5 |
西幕下54枚目 2–5 |
西三段目14枚目 6–1 |
2018年 (平成30年) |
東幕下38枚目 0–5–2 |
西三段目13枚目 引退 2–5–0 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
エピソード
[編集]- 2012年9月場所4日目、この日の取組に勝ち、勝ち名乗りを受けて土俵から降りようとした際に、土俵の踏み段を踏み外して転倒した。怪我はなく、審判の佐ノ山親方(元大関・千代大海)に一礼をしてから通常通り引き上げた。
改名歴
[編集]- 湯村 幸基(ゆむら こうき) 1999年3月場所
- 琴弥山 幸基(ことみせん - ) 1999年5月場所 - 2018年3月場所
脚注
[編集]- ^ 琴弥山、史上4位タイのスロー十両昇進
- ^ 『相撲』2013年11月号59頁の紹介欄には「9月場所には幕下に落ちていたので出雲ドームがあしらわれた化粧廻しを地元の巡業で披露できなかった。」という趣旨の記述がされていた。
- ^ 佐渡ケ嶽部屋 十両琴弥山は7連敗
- ^ 『相撲』2013年12月号64頁で「今場所は千秋楽パーティーをやらない方がいいかも」と本人がこの異常事態を物語った。
- ^ “元十両の琴弥山が引退表明「けがで苦しかったが、完全燃焼した」/春場所”. SANSPO.COM. (2018年3月24日) 2018年3月26日閲覧。
- ^ スロー出世の元十両琴弥山が引退表明「完全燃焼」 日刊スポーツ 2018年3月24日17時35分(日刊スポーツ新聞社、2018年4月4日閲覧)