王新朝喜
表示
(王岑静から転送)
三菱電機コアラーズ AC | |
---|---|
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
愛称 | ワン |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1987年12月16日(36歳) |
出身地 | 中国・天津市 |
身長(現役時) | 189cm (6 ft 3 in) |
体重(現役時) | 85kg (187 lb) |
キャリア情報 | |
高校 | 岐阜女子高等学校 |
大学 | 白鷗大学 |
ポジション | C |
背番号歴 | 24 |
経歴 | |
選手時代: | |
2010-2020 | 三菱電機コアラーズ |
コーチ時代: | |
2024- | 三菱電機コアラーズ (AC) |
代表歴 | |
キャップ | 日本 |
王 新朝喜(おう あさこ[1]、1987年12月16日 - )は、中華人民共和国天津市出身の日本の元女子バスケットボール選手である。バスケットボール女子日本リーグの三菱電機コアラーズに所属していた。中国名は王 岑静(ワン ツェンジン、Wang Cenjing)、ポジションはセンター。
来歴
[編集]天津第八十九中学校卒業後の2003年、岐阜女子高等学校に留学。1年生時よりメンバー入りし、全国大会に出場。3年生時の2005年インターハイでベスト4。ウィンターカップでベスト8。2006年4月、白鷗大学に進学。
2010年、三菱電機に入社[2]。WIリーグ2010-11シーズンは7試合に出場。入れ替え戦の日立ハイテク戦3試合も出場し、1試合11得点8リバウンドでWリーグ昇格に貢献した。
Wリーグ2011-12シーズンは主力としてレギュラーシーズン28試合にスターターで出場。リバウンド本数でリーグ2位の10.11本を記録。
2012-13シーズンはレギュラーシーズン22試合出場でいずれもリーグ3位の16.09得点、9.0リバウンド。同シーズンオフの2013年8月に日本へ帰化。
2013-14シーズンもレギュラーシーズン33試合出場でいずれもリーグ3位の16.24得点、10.15リバウンド。
2020年、現役引退[3]。
経歴
[編集]- 岐阜女子高校
- 白鷗大学
- 三菱電機(2010年 -2020年)
日本代表歴
[編集]- 三菱電機に加入した2010年ころには既に将来の日本代表入りを希望していた[4]。日本国籍の取得については迷いがあったが、取得の理由として日本のバスケットボールに対する情熱に感動したことをあげている。ただ、自分自身を日本人だと思ったことはないといい[5]、家族友人全員が天津に住んでいるため、中国との対戦は不思議な感覚になり、中国国歌が演奏されると心の中で歌ってしまったそうである[6]。それでも日本代表入りについては、高校から日本でプレーし、日本に育ててもらったという思いがあるため、自身も両親も複雑な感情はなく、誇りを抱いている[4]。中国との対戦も日本代表入りしたからには100パーセントの力で戦うと意気込みを語っている[6]。
- 日本への帰化手続きが完了した2013年、日本代表に初選出され、東アジア競技大会に出場。2013年バスケットボール女子アジア選手権で金メダル獲得に貢献。5試合に出場し、1試合平均8.0得点、4.2リバウンド。
- 2014年女子バスケットボール世界選手権では予選リーグ3試合に出場。
- 2015年アジア選手権 2連覇に貢献
- 2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場。
脚注
[編集]- ^ 『11/11 第135回KOALASジャーナル(王選手)』(プレスリリース)三菱電機株式会社、2013年11月11日 。
- ^ 『4/16 コアラーズ10-11シーズン新体制発表!!』(プレスリリース)三菱電機株式会社、2010年4月16日 。
- ^ “元日本代表、三菱電機の王新朝喜が現役引退「サポートしていただいた全ての方々に心より感謝しています」”. バスケットボールキング. (2020年4月2日) 2021年2月11日閲覧。
- ^ a b 「日本代表になれたことを誇りに感じています」Cager2013年10月12日
- ^ <女子バスケ>中国出身の日本代表選手が胸中語る=「自分を日本人だと思ったことは一度もない」―中国メディア
- ^ a b 中国から帰化した日本の女子バスケ選手、リオ五輪に向けて「中国と100%の力で戦う」―中国紙FOCUS-ASIA2015年9月1日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 王新朝喜 - バスケットボール女子日本リーグのプロフィール
- 王新朝喜 (cenjing.wang) - Facebook