第89師団 (日本軍)
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(独立混成第69旅団から転送)
第89師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)2月28日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
人員 | 約14,500名 |
所在地 |
千島列島 択捉郡留別村大字振別村天寧 |
編成地 | 旭川 |
通称号/略称 | 摧(さい) |
補充担任 | 旭川師管区 |
最終上級単位 | 第5方面軍 |
最終位置 | 択捉島天寧 |
戦歴 |
太平洋戦争 (千島列島の戦い) |
第89師団(だいはちじゅうきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]1943年(昭和18年)8月、南千島の防衛のため歩兵2個大隊基幹の千島第3守備隊の編成が下令され、翌月に完結した。その後、1944年(昭和19年)4月に千島第3守備隊司令部と歩兵第35連隊・歩兵第140連隊・独立山砲兵第3連隊の各1個大隊をもって、独立混成第8連隊(通称号:北部12608部隊)の編成が下令され、5月10日に小樽市で完結した。独混第8連隊は国後島などへ進出し、7月には2個大隊の増強を受けて独立混成第69旅団(憲兵団)に改称した。
他方、千島第3守備隊の司令部以外の2個大隊も、第42師団の歩兵団司令部と2個大隊とともに5個大隊に再編され、1944年4月12日に択捉島で独立混成第43旅団(通称号:奇12644部隊)の編成を完結した。7月には1個大隊の増強を受けて、6個大隊編制となった。
1945年2月29日、独混第43旅団を混成第3旅団、独混第69旅団を混成第4旅団に改称し、第77歩兵団司令部とも合流した第89師団の編成が下令された。3月27日に師団は編成完結し、第5方面軍に編入された。師団主力は択捉島(択捉郡留別村大字振別村天寧)に駐屯し防禦を固め、師団の一部は色丹島に派遣された。
千島列島でのソ連軍との戦闘は終戦後、8月18日から開始された。本格的な戦闘は北千島の占守島で行われた他は、ソ連軍の占領に当たっては停戦し各守備隊は武装解除された。 第89師団の約13000人はウラジオストクなどソ連本土、樺太などで抑留(シベリア抑留)された[1]。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 森田利勝 大佐:1945年(昭和20年)3月19日 - 終戦[3]
最終司令部構成
[編集]- 参謀長:森田利勝大佐
- 参謀:丸山武之中佐
- 経理部長:木村茂主計中佐
- 軍医部長:森正守二軍医大佐
最終所属部隊
[編集]- 第89師団通信隊:水野健作少佐
- 第89師団兵器勤務隊:
- 第89師団衛生隊:与倉守雄少佐
- 千島第3陸軍病院:跡部鉄郎軍医大佐
- 混成第3旅団司令部(仙台):旅団長 志波信孝少将
- 混成第4旅団司令部(旭川):旅団長 土井定七少将
- 独立歩兵第421大隊:佐藤政美大尉
- 独立歩兵第422大隊:松野直司少佐
- 独立歩兵第423大隊:田中耕治少佐
- 独立歩兵第424大隊:高木禎之大尉
- 独立歩兵第460大隊:菊田義和少佐
- 独立歩兵第461大隊:亀井源一大尉
- 混成第4旅団砲兵隊:鏡清次少佐
- 混成第4旅団通信隊:
- 混成第4旅団作業隊:
脚注
[編集]- ^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、170頁。ISBN 9784562049318。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』316頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』473頁。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。
- 示村貞夫『旭川第七師団』復刻版、総北海、1981年。