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狩野永泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

狩野 永泰(かのう えいたい、生年不明 - 天保13年(1842年)は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した京狩野絵師。名は泰、字は東美、通称は式部。冷泉為恭の父として知られる。

略伝

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狩野永章(景山洞玉、1762年-1830年?)と俳人白絲(生没年不詳)の子として生まれる。兄に狩野永岳がいる。妻は俳人北川梅價の娘織乃。その三男が冷泉為恭である。父永章は狩野元信に憧れた復古調の京狩野の絵師で、中々の力量を持った絵師だった。

『平安人物志』文政5年、同13年、天保9年版に載り、その記述から初め橘泰と名乗り、父を次いで二代景山洞玉、やがて狩野姓を受け其同、永泰と称したと想定される。また一時大阪に住み、大坂の絵師・和田呉山らと交流した。更に大坂城障壁画御用に参加、大坂の人名録『続浪華郷友録』にも名前が載り、伊勢守であったことが知られる。

主要現存作品

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作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 落款・落款 備考
中国故事図押絵貼屏風[1] 紙本墨画 六曲一隻 敦賀市立博物館 落款「其同景永泰製」/「泰」朱文方印・「其同」白文方印
富士越龍之図 絹本墨画淡彩 1幅 関西大学図書館
四季草花図屏風 紙本金地著色 六曲一双 個人
洛中洛外図屏風 六曲一双 個人
放生図 絹本著色 1幅 個人 落款「其同景永泰謹寫」 放生会の様子を描いた珍しい作品。上部に建長寺の僧・真浄元苗の賛があり、この絵が浄土宗の僧・純称の功績を讃えるために描かれたのがわかる。純称は文化13年(1816年)に『放生歓喜(よろこび)草』という本を出版し、殺生の不道徳さと、放生の功徳を分かり易く庶民に説いた[2]
真田信利[3] 絹本著色 1幅 京都・妙心寺大法院 1837年(天保8年)
天保山真景図 絹本著色 1幅 大阪歴史博物館 1838年(天保9年)

脚注

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  1. ^ 敦賀市立博物館編集・発行 『特別展 館蔵逸品図録(続)』 1998年9月22日、pp.13、72。
  2. ^ 府中市美術館『動物絵画の250年府中市美術館、2015年、177頁。 NCID BB18512433全国書誌番号:22607122https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026557036-00 
  3. ^ 花園大学歴史博物館, 福島恒徳, 志水一行, 青江智洋, 山口洋子『大法院展 : 真田家と佐久間象山ゆかりの文化財花園大学歴史博物館、2010年、17, 74頁。 NCID BB02256108https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I100983134-00 

参考資料

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関連項目

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