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犬伏稔昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
犬伏 稔昌
西武スタッフ時代(2010年8月26日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府東大阪市
生年月日 (1972-04-24) 1972年4月24日(52歳)
身長
体重
182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 1990年 ドラフト3位
初出場 1996年7月13日
最終出場 2004年10月25日(日本シリーズ第7戦)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

犬伏 稔昌(いぬぶし としあき、1972年4月24日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手捕手内野手)。右投右打。チーム内での愛称は「ワンちゃん」。

来歴

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プロ入り前

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小学1年生でボーイズリーグの若江ジャイアンツ(後輩に西武でもチームメイトとなる松井稼頭央がいた)に入り、中学時代は捕手[1]

近大付属高校時代は一塁手として1990年の第62回選抜高等学校野球大会に出場し全国制覇を成し遂げる[1]。同年の夏は府予選ベスト16で柏原高校にサヨナラ負け[1]。高校通算19本塁打[1]

1990年ドラフト会議西武ライオンズから3位指名を受けて入団した。

西武時代

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高校時代は兼任していた一塁手としての出場が多く、捕手に本格的に取り組んだのがプロ入り後ということもあり、正捕手の伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかった[1]。下積み生活が長く1996年(6年目)に一軍初出場。その後3年間一軍出場がなく、2000年6月23日のオリックス・ブルーウェーブ戦で10年目にしてプロ初本塁打を記録した。

2002年には開幕2戦目に3番・指名打者としてスタメンに抜擢されると成果を残してキラーとして一軍定着し(この年の対左投手打率.368)、左投手が予告先発の試合では3番・指名打者のポジションを不動のものとした(右投手が予告先発の場合は宮地克彦が3番に入った)。対左投手用のスタメン3番として起用され続けた理由は、1つはシーズン当初3番で起用するはずだった髙木大成の戦線離脱、そしてもう1つは2000年に放ったプロ初本塁打が左の金田政彦からのものであった事をこの年から監督に就任した伊原春樹が覚えていたからである。右投手が予告先発の試合では右の代打の切り札として控え、6月20日の福岡ダイエーホークス戦で代打逆転サヨナラ3ラン本塁打を放つなど優勝に貢献した。

2004年はシーズンでの一軍出場はわずか8試合だけだったが、プレーオフ第2ステージ第5戦の延長10回表1死1,3塁の場面に代打で登場し、この年セーブ王・三瀬幸司の初球を叩いて犠飛を放った。これが決勝点となってチームはリーグ優勝を果たし、さらに12年ぶりの日本一も達成した。

2005年は一軍出場がなく、この年限りで現役引退。

引退後

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チームスタッフとして球団に残り、2010年に退団した[2]

2011年から大久保博元が主宰する「デーブ・ベースボール・アカデミー」講師に就任。

人物

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元マラソン日本記録保持者である犬伏孝行とは親戚関係である。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1996 西武 3 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .333 .333 .333 .666
2000 5 8 7 1 1 0 0 1 4 2 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .143 .143 .571 .714
2002 74 151 140 17 43 8 2 3 64 24 0 0 0 1 9 0 1 31 3 .307 .351 .457 .808
2003 26 33 30 0 7 0 0 0 7 0 0 0 0 0 3 0 0 11 0 .233 .303 .233 .536
2004 8 11 10 1 4 2 1 0 8 3 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .400 .455 .800 1.255
通算:5年 116 206 190 19 56 10 3 4 84 29 0 0 1 1 13 0 1 46 3 .295 .341 .442 .783

記録

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背番号

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  • 50 (1991年 - 1996年)
  • 32 (1997年 - 2000年)
  • 64 (2001年 - 2005年)
  • 95 (2006年 - 2010年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、59ページ
  2. ^ 西武大石コーチらと契約更新せず”. nikkansports.com (2010年10月27日). 2023年10月2日閲覧。

外部リンク

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