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「小島秀夫 (ゲームデザイナー)」の版間の差分

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また[[2018年]]には桜井がコジマプロダクション本社ビルに訪れている。桜井は[[カービィのエアライド]]の続編を小島に作ってほしいと祈願したが、「新作(デススト)で忙しいから」と断った<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/Kojima_Hideo/status/1070262994024583168 |url=https://twitter.com/Kojima_Hideo/status/1070262994024583168 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。
また[[2018年]]には桜井がコジマプロダクション本社ビルに訪れている。桜井は[[カービィのエアライド]]の続編を小島に作ってほしいと祈願したが、「新作(デススト)で忙しいから」と断った<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/Kojima_Hideo/status/1070262994024583168 |url=https://twitter.com/Kojima_Hideo/status/1070262994024583168 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。

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[[須田剛一]]とは[[洋楽]]について、深い造詣を見せたトークを交えている。須田を介して知り合った[[志倉千代丸]]と須田の3人でアドベンチャーゲームの開発を目論んでいるが、実現していない。

2024年3月18日 (月) 15:34時点における版

こじま ひでお

小島 秀夫
生誕 (1963-08-24) 1963年8月24日(61歳)
日本の旗 日本東京都世田谷区
国籍 日本の旗 日本
職業 ゲームデザイナー
実業家
活動期間 1986年 -
代表作メタルギアシリーズ
スナッチャー
ポリスノーツ
ZONE OF THE ENDERS』シリーズ
ボクらの太陽』シリーズ
DEATH STRANDING
影響を受けたもの 映画
安部公房
山田正紀
田中光二
小松左京
平井和正
堀晃
影響を与えたもの 伊藤計劃
受賞 ゴールデンジョイスティックアワード2014 特別功労賞
D.I.C.E. Awards2016 Hall of Fame
The Game Awards2016 Industry Icon Awards
令和3年度(第72回)芸術選奨 文部科学大臣賞[1]
署名
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小島 秀夫(こじま ひでお、1963年昭和38年〉8月24日 - )は、日本ゲームクリエイター実業家コジマプロダクション代表。

コナミデジタルエンタテインメント執行役員副社長、エグゼクティブコンテンツオフィサーを歴任。開発チーム小島プロダクションの監督を務めていたが、2015年12月15日付けでコナミを退社。小島の退社後も多くのメンバーはコナミに残っているが、一部のスタッフは小島と共に退社し小島の会社に移籍している。

コナミ時代は「小島プロダクション」の「小島」が漢字表記。新会社は「コジマプロダクション」で、全てカタカナ表記。

経歴

学生時代

東京都世田谷区に生まれ、父親の仕事の都合で神奈川県茅ヶ崎市、3歳からは大阪府茨木市兵庫県川西市に移り住んだ。製薬会社の薬剤師だった父は大の映画好きで幼い頃から家のテレビでは映画が毎日流れていた[2]。父の影響により小説や映画を嗜むようになり、小学生の頃に『刑事コロンボ』のノベライズに熱中し、以後ミステリー小説、SF、冒険小説などを愛読するようになる。小学5年生で一人映画館に通うようになり、将来の夢に作家を意識するようになる。自ら漫画や小説を書くことも始めた[3]

映画監督か小説家を志し中学から高校まで友人と自主映画の制作を行っていた。そのため芸術大学への進学を希望していたが、既に父親が死去(小島が中学2年生の頃)していた家庭の事情により、断念。大阪電気通信大学に進学する[4]

1980年代

大学に進学したが、金融機関への就職をめざす友人らと話が合わず、ひとりで過ごすことも多かった[2]任天堂ファミリーコンピュータが大流行した時代、『スーパーマリオブラザーズ』に出会ったことをきっかけに、ゲームというプラットフォームの未来に可能性を感じゲーム制作者を志すようになる[5]。大学3年のときにアーケードゲームに傾倒し、当時『イーアルカンフー』など風変わりなゲームを出していたコナミに興味を持ち、1986年に同社の神戸オフィスに入社した[6]。入社後、MSXの部門に配属されたが、小島はファミコンのソフトが作りたいという思いがあったために会社を辞めようと考えていた時期があった[7]

さらにファミコンより制約が多いMSXでいかにアイディアとセンスで勝てるか苦悩の日々が続いた。その制約の中で生まれたのが1987年に発売されたMSX2用ソフト『メタルギア』であった。当時、アーケードゲームで人気のあった戦争ゲームを作ってみろ、と言われたが多くの弾丸やキャラクターを表示させることはMSXの性能では不十分であり、小島自身もそのようなものは創りたくなかった。そこで「弾や敵をあまり出させずに敵地にこっそりと潜入して進んでいく」という逆転的な発想をコンセプトにした、今で言う所のステルスアクションゲームを考案[7]。この斬新性とストーリーの完成度の高さからMSXのソフトとして大きな成功を収めた。

1988年にアドベンチャーゲームである『スナッチャー』が発売された。小島の作品の特徴となる、ゲームに映画のような手法を取り入れた初めての作品となった。1990年にはメタルギアの続編にあたる『メタルギア2 ソリッドスネーク』が発売された。コナミ最後のMSX2向けのソフトであり、『メタルギアシリーズ』はいったんここで終結した。

1990年代

1994年には『スナッチャー』で使われていた映画的手法をさらに発展させた『ポリスノーツ』が発売され、高い評価を得る。

1995年にコナミの分社化に伴いコナミコンピュータエンタテインメント大阪(後のコナミコンピュータエンタテインメントスタジオ)の開発第5部の部長になり、翌年に開発第5部がコナミコンピュータエンタテインメントジャパンとして独立、東京に開発拠点を置いた。

1998年には『メタルギアシリーズ』の復興として、プレイステーションの能力を生かして制作された『メタルギアソリッド』が発売された。『メタルギアソリッド』は旧来の『メタルギア』のプレイヤーのみならず新たな層も開拓し、さらにアメリカ合衆国では日本でのセールスを大きく上回りダブルミリオンを達成するほどの人気が出ており、全世界で約660万本を売上げる大ヒットとなった[8][9]

2000年代

2001年にはロボットアクションゲームである『ZONE OF THE ENDERS Z.O.E』と、『メタルギアソリッド』の続編である『メタルギアソリッド2』をリリースした。『メタルギアソリッド2』及び前作のヒットを受けて、2001年12月24日発売のアメリカの「ニューズウィーク」誌で「未来を切り開く10人」に日本人として唯一選ばれた[10]

2004年には『メタルギアソリッド3』をリリース。G4Tech TV主催「G-Phoria」特別功労賞 (Legend Award) を受賞した[11]

2005年4月にコナミの再編によりコナミコンピュータエンタテインメントジャパンがコナミに吸収合併され、同年5月に自身の開発チームである小島プロダクションが発足した[12]。同年12月19日、小島プロダクションの公式サイト内のブログ『HIDEO BLOG』内でネットラジオ『HIDECHAN!』を配信開始[13]。同月28日から『HIDECHAN! ラジオ』へと移行した[14]。小島プロスタッフや『メタルギアソリッド』シリーズゆかりの声優などを招きトークを展開、パーソナリティーとしての側面も見せる。

2006年にコナミが持株会社へ移行[15]。それに伴い、新設子会社であるコナミデジタルエンタテインメントに移籍、同時に執行役員クリエイティブオフィサーに就任する[16]。同年の10月23日に全米プロデューサー組合が決める「世界で最も革新的なプロデューサー、クリエイター 50人」の1人に選出された[17]

2007年9月22日東京ゲームショウ2007で行われた「レトロゲーム・アワード2007」で最優秀新人賞を受賞。ゲームを表彰する舞台が存在しなかった20年前に、もしこういったイベントがあればと想定して企画されたものであり、小島は「まだ1本しか作っていないのですが、次はファミコンに挑戦してみたいと思います」と、20年前の想定でコメントしている[18]

2008年6月、PS3専用ゲームソフトとして『メタルギアソリッド4』を全世界同時発売[19]

2009年3月、GDC 2009に招かれ、『ソリッドゲームデザイン:『不可能』を可能にする(Solid Game Design: Making the 'Impossible' Possible)』と題した基調講演を行う[20]。同講演の中で、『MISSION:The NEXT MGS』の文字とともに、刀を持った男(後の週刊ファミ通におけるインタビューで雷電であると公言[21])が描かれたロゴを発表し、「新しいミッション『The NEXT MGS』に挑みたい」というコメントを残す[22]

2009年4月、コナミデジタルエンタテインメントの専務執行役員に就任[23]

2009年6月2日・3日、E3 2009において、『メタルギアシリーズ』の新作として、Xbox 360PS3・PC向けに『METAL GEAR RISING REVENGEANCE』、PSP向けに『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』、アーケード向けに『METAL GEAR ARCADE』の三作品を制作すること、またPS3 / Xbox 360向けアクションゲーム『Castlevania -Loads of Shadow-』(悪魔城ドラキュラシリーズの新作)を小島プロダクションがプロデュースすることをそれぞれ発表した[24]

2010年代

小島秀夫 E3 2010

2011年4月、コナミデジタルエンタテインメントの執行役員副社長に昇任した[25]。その後、上席執行役員を経て、2014年7月7日よりエグゼクティブコンテンツオフィサーに就任[26]

2010年4月24日、『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』を発売。

2011年7月、長年須田剛一とあたためていた『SNATCHER』の続編を、自身のラジオ番組の記念企画『SUDA51'S SDATCHER』として発表。

2011年10月、南カリフォルニア大学、「映画芸術学部」にて特別講習を行う。「映画芸術学部」はスティーヴン・スピルバーグが名誉教授を務めることでも知られ、これまでに、ジョージ・ルーカスなど著名な映画監督を送り出している。募集には定員の200人を大きく上回る希望者が殺到し、当日も立ち見が出るほどの盛況振りであった。

2012年8月30日、「メタルギア」シリーズ生誕25周年を記念して、「METAL GEAR 25th ANNIVERSARY PARTY(メタルギア生誕25周年アニバーサリーパーティー)」を開催。ここで満を持してメタルギアソリッドの実写映画化を発表、アヴィ・アラッドがプロデュースを行い、制作は、同氏が率いる制作会社アラッド・プロダクションズコロンビア映画が担当し、米ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが製作・配給が決定した。また、新たな遊びへの挑戦として、GREEと共同制作するソーシャルコンテンツ「メタルギアソリッド ソーシャル・オプス」を発表。そして、現在開発中のゲームエンジン「Fox Engine」の実機による「メタルギア」のデモンストレーションを世界で初めて公開。さらにナンバリングタイトルとして『METAL GEAR SOLID V GROUND ZEROES』のトレーラーが公開された。

2012年9月27日、イギリスを訪れイギリス有数のコンシュマーゲームショー「EUROGAMER EXPO 2012」に特別レクチャーとして招待される。会場には定員の倍、1000人を超える希望者が列を作ったほか、立ち見が出る盛況で「メタルギア」シリーズをはじめとする自らのゲーム制作について語った。

翌28日はイギリスの映画、テレビ、ビデオゲーム業界をリードする人々がメンバーとなって構成する権威ある団体「BAFTA」が開催する「ANNUAL GAMES LECTURE 2012」でビデオゲーム業界に多大な功績を与えた人物と言うことで講師として招待された。そこでゲーム制作におけるアイデアの創出、ストーリーとゲームデザインの構築などに関する質問に、自らの人生を振り返り、経験談を交えながら丁寧に回答した。

同年12月に Spike Video Game Awards で「Moby Dick Studios」なる謎のゲーム制作団体が『The Phantom Pain』と言う新作タイトルのトレーラーを電撃的に公開。だが、このトレーラーの中で様々な点がメタルギアと類似していたことから、メタルギアの新作なのでは?という疑問が起き、多くの人やゲームサイトがトレーラーの検証を行った。

2013年2月21日、『METAL GEAR RISING REVENGEANCE』を発売、メタルギアを次の世代に託すこともかね、自身は監督せずエグゼクティブプロデューサーとして参加。

2013年3月28日にアメリカで行われた 世界最大級のゲーム開発者会議「Game Developers Conference 2013」(GDC 2013)にて公開されたトレーラーで、「GROUND ZEROES」と「THE PHANTOM PAIN」が同作品であることが判明。ここで正式にナンバリングタイトル『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』として発表された。このような発表はゲーム業界などを盛り上げる為の一連のイベントとして、自身の遊び心から考えた発表法であった。

2014年3月20日、『METAL GEAR SOLID V: GROUND ZEROES』発売。

2014年8月14日に、小島プロダクション生誕初であるホラーゲームの『P.T. (ホラーゲーム)』がPlayStation Networkにて配信された。

2014年10月24日 ゴールデンジョイスティックアワードにて生涯功労賞を受賞。

2015年3月、社内の制作体制変更により小島プロダクションが消滅し、同じタイミングで小島自身も執行役/部長職から外されている[27]。『日本経済新聞』によると、小島プロダクションは「第8制作部」に再編されたが、部員は社内でインターネット環境から切り離され、小島も情報発信を止められた「幽閉」状態にあると報じられた[28]。3月18日からTwitterにてツイートが行われなくなっているが[29]4月15日からはツイートが再開されている[30]

2015年9月2日、『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』発売。

12月3日PlayStation Awards 2015[31]が開催され、いずれも『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』が入賞したが、小島は授賞式に出席しなかった。「The Game Awards 2015」司会のジェフ・キーリーは、小島は出席を望んでいたが、出席は雇用契約上認められていないというコナミの弁護士の通告があったことを明らかにした。その上で、「(小島)秀夫のようなアーティストがここに来て、仲間や同輩と(受賞を)祝うことは許されないだろうと私には考えられないのです」とコナミを批判した[32][33][34]

12月15日付でコナミデジタルエンタテインメントを退社。新会社を設立してゲーム開発を続けると報じられた[35]

12月16日 新会社コジマプロダクションを設立。

2016年1月 全米インタラクティブ芸術科学学会から「D.I.C.E. Awards 2016」にてHall of Fame(殿堂入り)に認定される。

また、最新のテクノロジーを探求する為、マーク・サーニーと共に世界中の開発スタジオを訪問する。

2016年6月 E3 2016において新作でありコジマプロダクション初作品となる『デス・ストランディング』を発表。主演はノーマン・リーダス

12月1日 「The Game Awards2016」にてINDUSTRY ICONを受賞。

2019年10月 イベントでロシアを訪れた際、国営モスクワ地下鉄から自身の似顔絵が描かれた、限定定期券が発行される。

11月8日『DEATH STRANDING』発売。

2020年代

2020年、英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)から英国アカデミー賞フェローシップ賞を授与された[36]

「DEATH STRANDING DIRECTOR’S CUT」の成果により、令和3年度(第72回)芸術選奨 文部科学大臣賞をメディア芸術部門で受賞する[1]

2022年11月、anan AWARD 2022 カルチャー部門を受賞する[37]

同年12月、 The Game Awards 2022にて、DEATH STRANDINGの続編となる「DS2(仮称)」を発表した。また「とんがったゲーム」の実験と仕込みをしていることを明かした[38]

2023年、12月 The Game Awards 2023にて、新規IPとなる新作「OD」を発表した[39]。また同月に「DEATH STRANDING」の映画化が発表された[40]

制作スタイル

ゲームジャンルとしてはアクションゲームアドベンチャーゲームが好きだが、いわゆる「ファーストパーソン・シューティングゲーム」は好きではなく、画面にキャラクターが映る三人称視点のゲーム「サードパーソン・シューティングゲーム」が好みとのこと。また開発の際には「自分が遊びたいゲーム」を作ることにこだわっているとインタビューで語っている[41]

自身の仕事はゲームだからできると発言している。「映画や小説をやりたかったが、そうなると完成させる自信はない。際限なく改良を加え続けると思う。ゲームはプレイヤーが介入して初めて完成するインタラクティブなもの。(多岐な可能性を残せるという意味で)こだわっても仕方がない部分がある」と語っている[42]

メタルギアシリーズ』のソリッド・スネークはキャラクター性を持たせないように創っていたと語っている。『MGS』でキャラクター性が付いてしまったので『MGS2』で雷電を新しい主人公にして、スネークを客観的に観られるようにしたと発言している。

常にゲームの未来を見据え、「不可能を可能にするゲームデザイン」をもって、新境地に挑戦し続けている。

メタルギアシリーズでは「反戦・反核」というテーマがどの作品でも根底に流れている。

『MGS』では「GENE(遺伝子)」というテーマの下、優れた遺伝子が戦略物資となり、遺伝子によって個人を識別する殺人ウイルスという設定が生まれた。

『MGS2』では「MEME(文化的遺伝子)」というテーマの下、遺伝子によって受け継がれない文化的な情報の総体という事を軸に、人間が紡いできた物語が自意識を得て人間を制御するというSF的アクロバットを展開し、それでも「人が、自らの意志で伝えなければいけない」というメッセージを残した。

『MGS3』では「SCENE(時代)」というテーマの下、伝えるべき文化や規範が時代によって変化すること。

『MGS4』では「SENSE」というテーマの下、時代に左右されない、遺伝子でもMEMEでも伝えることの出来ないセンスがテーマとなった。

『MGSPW』では「PEACE(平和)」というテーマの下、従来の核抑止論に挑戦するAIによる核報復(これは『博士の異常な愛情』へのオマージュでもある)や、今まで忌むべき存在として描かれた「メタルギア」と「核」を敵への抑止力としてプレイヤーが保有しなければならない「平和」のありようを描いた。

そして『MGSV』のテーマは、なぜ平和を守っていくことが出来ないのかという事の根底にある「RACE(人種)」と「報復」等の深い闇の部分を描いている。

自身の作品に関しては、他のスタジオに一部制作を丸投げする分業や外注を行わない方針である。それは自分の意思を作品の隅々まで浸透させるためであり、制作の効率化、迅速な先端技術の導入を可能にしている。

メタルギアシリーズについて

小島はTwitter上で、「MGSは僕が産み出した物であるが、僕の持ち物ではない。だからどういう形であれ、ファンがいる限り、MGSは創られる。僕が業界を去ろうが、この世を去ろうが、他の人気定番シリーズと同じ様に。[43]」と述べており、自分が関係せずともシリーズは製作され続けるだろうと語っている。

小島が一切関わらなかった『メタルギア サヴァイヴ』については、TGS2016のソニーブースで行われた新作『デス・ストランディング』のステージで、「本作(サヴァイヴ)は小島のアイディアなのか」と問われた際、「全然関係ないですよ。全く知りません。僕の中でメタルというのはポリティカル・フィクション(政治もの)であり、エスピオナージ(スパイ)ものなので、ゾンビなんか出るわけないじゃないですか」と返答している。この対談ではゾンビと表現しているが、公式では出現する敵クリーチャーをゾンビとは一切表現していない[44]

人物

僕の70%は映画でできている[2]と語り、大の映画好き、小説好きである。これらの造詣が深い。UK音楽も好む。

東京世田谷生まれだが、北摂弁を話す[45]

『メタルギアシリーズ』の正統続編(ナンバリングタイトル)を出すたびに「これでストーリーは完結」「次は作らない」と幾度も発言している。『メタルギアソリッド4』を「私が監督・プロデュースする最後の『MGS』」という発表をし、発売後は『メタルギアシリーズ』を、次世代のクリエイターに託す事を宣言した。しかし、E3 2009で発表された最新作2作のうち、PSP向けに開発されているという『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』については、小島自身が再び監督すると公言し、公式ページにも明記していた。

飛行機の中で眠れない体質。そのため、飛行機での長距離移動の際は、読書や機内放送の映画を見て時間を潰している(HIDEOBLOGより)。

『MGS4』の制作の際、音響の一部をジョージ・ルーカスが担当するスカイウォーカーランチに依頼した。3日しか期限がなかったが、普通に終わらせたくなかったため、2日目に書き換えを含めたリテイクを出しまくり、音響担当のクリストファー・ボイズを驚かせたものの、予定通りに録り終えた。

幼き頃からの夢は未開の領域や誰も体験したことのない世界を目指す宇宙飛行士であった。

夢に対する定義として、夢を叶えてしまってはモチベーションが下がってしまう。そのため、より大きな夢を持つことで、そこまでの到達過程の中でモチベーションを保ち続け、成長を続けていく事が大切であるという。

好物はカルピスで、コナミ在籍時代に柴田亜美が『ドキばぐ』の取材に来た際に2度贈答用として使われているフルーツカルピス詰め合わせを柴田に奪われている[46][47]

既婚者で息子がいる。息子用にゲームボーイアドバンスを購入していたが自分で『逆転裁判』をプレイしていた事がある[47]

独立秘話として銀行からお金を借りる際、初めは会社としての実績がまだ無いためお金を借りることが出来なかったが、後日、銀行(一番大きい)の幹部がファンであった為、融資の許可がおりた。

創業時に入居したビルに関しても、一流企業しか入れない入居審査があったため、本来、インディーズ企業は入る事が出来ないが、ビルのオーナー幹部がファンであったため、入居の許可がおりた。

他にもゲームエンジンを決める際、オランダのGuerrilla Gamesを訪れた時、ハーマン・ハルストから共同でゲームエンジンを仕上げないか?という提案を受け、契約を交わす前にゲームエンジンのソースコードを渡されたことには驚いたという。 これらの出来事を後日、様々な繋がりがあったからこそ、ここ(『DEATH STRANDING』の完成)まで来れたと感謝を述べている。

Twitterのフォロワー数が最も多いゲームディレクター(認定時:281万3385)、Instagramのフォロワー数が最も多いゲームディレクター(認定時:88万8539)としてギネス世界記録に認定された[48]

TOEICのスコアは780点でジョン・カーペンターとも手紙でやり取りし、英語の読み書きも出来るが[49]、ある仕事で英語の発音を馬鹿にされトラウマになったため、以降は公の場で英語を話した事はない。

親交

ゲーム業界、広告業界に親交のある人物が複数いる。

桜井政博とは幾度かラジオ共演しており、小島本人の希望により『大乱闘スマッシュブラザーズX』にはソリッド・スネークがゲスト出演したと小島自身は冗談めかして語っている。

また2018年には桜井がコジマプロダクション本社ビルに訪れている。桜井はカービィのエアライドの続編を小島に作ってほしいと祈願したが、「新作(デススト)で忙しいから」と断った[50]

脚本家の坂元裕二は友人であり、お互いに自分の関わる作品が公開されれば視聴したり、ゲームをプレイし合う関係でもある[51]

須田剛一とは洋楽について、深い造詣を見せたトークを交えている。須田を介して知り合った志倉千代丸と須田の3人でアドベンチャーゲームの開発を目論んでいるが、実現していない。

特に矢野健二とはお互いに生粋の映画好きであり、KADOKAWA時代から長年に渡って自身のブログ「HIDEOBLOG」から発展したポッドキャスト『HIDECHAN! Radio』(後に『ヒデラジ』と改称)において映画について深い語り合いを行った。

また同ラジオにおいて、自らがゲームクリエイターとなるきっかけとなった作品に『スーパーマリオブラザーズ』と『ポートピア連続殺人事件』を挙げ、宮本茂堀井雄二を師匠、目標として尊敬する旨を度々公言している[5]。また宮本のみ、彼を公の場で共演する際にも呼び捨てにしている様子が見られる[52]

その後、小島プロダクション公式ホームページで視聴できる自身が出演している情報番組『コジマ・ステーション(コジステ)』を毎週配信(2015年3月をもって休止)。

アイドルグループであるKAT-TUN中丸雄一はメタルギアシリーズのファンでそれを公言している。 (自身のパフォーマンスにMGSの音楽を入れるなど) その為か、誕生日にラジオでスネークやミラーからお祝いメッセージを送り、ファミ通では対談、コンサートにも招待される。 また、星野源三浦大知もたびたび会食やスタジオを訪れるなど音楽業界での親交も深い。

ハリウッドの有名監督達との交友があり、J・J・エイブラムスからは毎年メッセージカードが送られたり、2014年のE3で発表された、MGSVに関するトレーラーには、映画プロデューサーのアヴィ・アラッド、映画監督のギレルモ・デル・トロ、俳優のキーファー・サザーランドほか海外の著名人から数多くのコメントが寄せられている。

ギレルモ・デル・トロと共同でサイレントヒル最新作を開発していたが、2014年にプロトタイプに当たる「P.T」をリリース後は音沙汰がなく、その後の2015年の事業改編と小島の役員降格のため開発中止となった。

ニコラス・ウィンディング・レフンとはお互いに古くからの友人であったような感覚を覚えるほど意気投合している。

作品一覧

著書

  • ゲームデザイナー小島秀夫の視点(2007年、幻冬舎)
  • 僕の体の70%は映画でできている―小島秀夫を創った映画群(2008年、ソニーマガジンズ)
  • 僕が愛したMEMEたちーいま必要なのは、人にエネルギーを与える物語(ミーム)(2013年、メディアファクトリー)
  • 創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち (2019年、新潮文庫)

命名

出演

ゲーム

ラジオ

テレビドラマ

テレビ番組

脚注

  1. ^ a b 令和3年度(第72回)芸術選奨受賞者一覧”. 文化庁 (2022年3月9日). 2022年3月9日閲覧。
  2. ^ a b c 見た映画のすべてが血肉化する「デス・ストランディング」小島秀夫の発想力と実現力 2018年11月9日 閲覧。
  3. ^ 【#1】小島監督と3万字対談 〜今だから語り尽くす、ボクと本 2018年11月9日 閲覧。
  4. ^ 『メタルギアソリッド ネイキッド』 角川書店、2004年、56-68頁、ISBN 978-4047071452
  5. ^ a b ゲームデザイナー小島秀夫氏に世界の称賛 販売本数2650万本の「メタルギア」の生みの親の人気 日経ビジネス 2009年5月13日 閲覧。
  6. ^ “「ゲームは何でもあり」──小島秀夫が語る”. ITmedia (アイティメディア株式会社). (2007年7月5日). オリジナルの2007年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070708193819/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0707/05/news075.html 
  7. ^ a b “完結“撤回”、また作る…「メタルギア」20周年パーティー”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2007年7月25日). オリジナルの2007年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071005224723/http://hochi.yomiuri.co.jp/leisure/game/news/20070725-OHT1T00191.htm 2007年12月4日閲覧。 
  8. ^ PS2 「METAL GEAR SOLID 2 SONS OF LIBERTY」 欧州にて初回157万本の受注を獲得”. コナミコンピュータエンタテインメントジャパン. コナミ (2002年2月13日). 2007年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月4日閲覧。
  9. ^ 「メタルギアソリッド2」全世界で大好評”. コナミコンピュータエンタテインメントジャパン. コナミ (2002年2月14日). 2015年4月17日閲覧。
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外部リンク