コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「按察使」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
シダー近藤 がページ「按察使」を「按察使 (日本)」に移動しました: 改名提案による
タグ: 新規リダイレクト
 
ページ「按察使」の翻訳により作成
タグ: リダイレクト解除 曖昧さ回避ページへのリンク コンテンツ翻訳 コンテンツ翻訳バージョン2
1行目: 1行目:

#転送 [[按察使 (日本)]]
'''按察使'''(あんさつし、あぜち)は[[中国]]、[[日本]]、[[朝鮮 (曖昧さ回避)|朝鮮]]、[[ベトナム]]の官職である。[[明]][[清]]においては正三品であった。「按察使」の語は[[唐|唐代]]から用いられた。もともとは{{仮リンク|監察御史|zh|監察御史|label=監察}}のような性質の官職で、[[御史]]に近かった。後代では{{仮リンク|司法官|zh|司法官}}としての性質が強くなった。清代には'''臬台'''、'''臬司'''、'''廉訪使'''、'''廉台'''などの別称があった。

== 中国 ==
{{Main|提刑按察使司按察使}}{{Also|観察使}}
[[唐]]の初年、[[漢]]の[[刺史]]制度に倣って設立された。各道を巡察し、地方の役人の考課を行う、[[御史]]に近い存在だった。[[景雲 (唐)|景雲]]二年に十道に按察使を置いて、常設の官職とした<ref name=":0">{{Cite book |title=中国官制大辞典 |year=2010 |isbn=978-7-81118-556-0 |location=上海 |editor-last=徐连达 |language=zh-hans |publisher=上海大学 |pages=425}}</ref>。[[開元]]二十年(732年)に[[采訪使]]と改称し、[[乾元 (唐)|乾元]]元年(758年)には観察処置使と再度改称した。実権としては各州の[[刺史]]よりも上で、権力は[[節度使]]に次ぐ物だった<ref name=":0" />。節度使が置かれた場合は観察処置使も兼職した。

[[宋 (王朝)|宋]]では[[節度使]]を虚職とし、最初は{{仮リンク|転運使|zh|轉運使}}が提刑を兼ねたが、後には別に{{仮リンク|提点刑獄|zh|提点刑獄|label=提点刑獄司}}(四監司の一つ)を設け、これが後代の按察使の前身となった<ref name=":0">{{Cite book |title=中国官制大辞典 |year=2010 |isbn=978-7-81118-556-0 |location=上海 |editor-last=徐连达 |language=zh-hans |publisher=上海大学 |pages=425}}</ref>。唐の観察使とは異なり、{{仮リンク|路 (行政区画)|zh|路 (行政區劃)|label=路}}の最上位司法官となった。

[[金 (王朝)|金]]では[[承安 (金)|承安]]四年(1199年)に'''按察使'''と改称し、司法刑獄を管轄するようになった<ref name=":0">{{Cite book |title=中国官制大辞典 |year=2010 |isbn=978-7-81118-556-0 |location=上海 |editor-last=徐连达 |language=zh-hans |publisher=上海大学 |pages=425}}</ref>。

[[元 (王朝)|元]]は按察使を'''肅政廉訪使'''と改めた<ref name=":0">{{Cite book |title=中国官制大辞典 |year=2010 |isbn=978-7-81118-556-0 |location=上海 |editor-last=徐连达 |language=zh-hans |publisher=上海大学 |pages=425}}</ref>。略称は廉訪使で、これにより按察使の俗称は「廉訪」となった。これは道の最上位の司法官と監察を兼ねた。

[[明]]では按察使の名称が復活した<ref name=":0">{{Cite book |title=中国官制大辞典 |year=2010 |isbn=978-7-81118-556-0 |location=上海 |editor-last=徐连达 |language=zh-hans |publisher=上海大学 |pages=425}}</ref>。明では省レベル(明は行省を置かなかったが、「省」は民間での三司の管轄する区域を指す俗称として使われ続けた)では権力を三分割し、{{仮リンク|都布按三司|zh|都布按三司|label=三司}}に分掌させ、[[承宣布政使司]]と提刑按察使司と都指揮使司を置いた。布政使が「民政」、按察使が「刑名」、都指揮使が「軍事」をそれぞれ司った。

[[清]]では布政使は省の長官でなくなり、[[総督]]または(および)[[巡撫]]の部下となり、その省の首席官職となった。布政使は主に民政と税を、按察使は引きつづき司法を管轄し、都指揮使は廃止された。

《[[書経|尚書]]》:「汝陳時臬」

[[孔穎達]]《[[五経正義]]》:「汝當布陳是法」

これらにより、のちに[[刑法]]の施行を「陳臬」と呼ぶようになり、司法官をも指すようにもなった。このため、按察使も「臬台」「臬司」と呼ばれるようになった。

== 日本 ==
{{Main|按察使 (日本)}}
[[日本]]では[[奈良時代]]に[[元正天皇]]の[[養老]]三年(719年)設けられた。これは地方行政を監督する[[令外官]]だった。[[平安時代]]以降は[[陸奥国]]と[[出羽国]]だけに按察使が置かれ、他国については[[大納言]]、[[中納言]]、[[少納言]]と[[参議 (中国)|參議]]が地方官を兼任した。

[[明治維新]]で、地方政治の監督として按察使が復活し、[[明治]]二年に設けられたが、翌年廃止された。

== 朝鮮 ==
{{Also|{{仮リンク|高麗の行政区画|zh|高麗行政區劃}}|道_(行政区画)#北朝鮮・韓国}}
[[朝鮮半島]]においては[[高麗]]時代に設けられた。唐に倣って設けられた[[道 (行政区画)#十道|十道]]の行政の長だった。

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 関連書籍 ==
{{Wikisource further reading}}{{Wikisourcelang|zh|欽定古今圖書集成/明倫彙編/官常典/臬司部}}

== 関連項目 ==

* {{仮リンク|提刑按察司|zh|提刑按察司}}
* {{仮リンク|按察司|zh|按察司}}
* {{仮リンク|英皇按察使|zh|英皇按察使}}
* {{仮リンク|英廷按察使|zh|英廷按察使}}
[[Category:奈良時代]]

2024年3月2日 (土) 17:29時点における版

按察使(あんさつし、あぜち)は中国日本朝鮮ベトナムの官職である。においては正三品であった。「按察使」の語は唐代から用いられた。もともとは監察のような性質の官職で、御史に近かった。後代では司法官としての性質が強くなった。清代には臬台臬司廉訪使廉台などの別称があった。

中国

の初年、刺史制度に倣って設立された。各道を巡察し、地方の役人の考課を行う、御史に近い存在だった。景雲二年に十道に按察使を置いて、常設の官職とした[1]開元二十年(732年)に采訪使と改称し、乾元元年(758年)には観察処置使と再度改称した。実権としては各州の刺史よりも上で、権力は節度使に次ぐ物だった[1]。節度使が置かれた場合は観察処置使も兼職した。

では節度使を虚職とし、最初は転運使中国語版が提刑を兼ねたが、後には別に提点刑獄司中国語版(四監司の一つ)を設け、これが後代の按察使の前身となった[1]。唐の観察使とは異なり、中国語版の最上位司法官となった。

では承安四年(1199年)に按察使と改称し、司法刑獄を管轄するようになった[1]

は按察使を肅政廉訪使と改めた[1]。略称は廉訪使で、これにより按察使の俗称は「廉訪」となった。これは道の最上位の司法官と監察を兼ねた。

では按察使の名称が復活した[1]。明では省レベル(明は行省を置かなかったが、「省」は民間での三司の管轄する区域を指す俗称として使われ続けた)では権力を三分割し、三司中国語版に分掌させ、承宣布政使司と提刑按察使司と都指揮使司を置いた。布政使が「民政」、按察使が「刑名」、都指揮使が「軍事」をそれぞれ司った。

では布政使は省の長官でなくなり、総督または(および)巡撫の部下となり、その省の首席官職となった。布政使は主に民政と税を、按察使は引きつづき司法を管轄し、都指揮使は廃止された。

尚書》:「汝陳時臬」

孔穎達五経正義》:「汝當布陳是法」

これらにより、のちに刑法の施行を「陳臬」と呼ぶようになり、司法官をも指すようにもなった。このため、按察使も「臬台」「臬司」と呼ばれるようになった。

日本

日本では奈良時代元正天皇養老三年(719年)設けられた。これは地方行政を監督する令外官だった。平安時代以降は陸奥国出羽国だけに按察使が置かれ、他国については大納言中納言少納言參議が地方官を兼任した。

明治維新で、地方政治の監督として按察使が復活し、明治二年に設けられたが、翌年廃止された。

朝鮮

朝鮮半島においては高麗時代に設けられた。唐に倣って設けられた十道の行政の長だった。

脚注

  1. ^ a b c d e f 徐连达, ed (2010) (中国語). 中国官制大辞典. 上海: 上海大学. pp. 425. ISBN 978-7-81118-556-0 

関連書籍

Template:Wikisource further reading

関連項目