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==装備・スペック== |
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===重量=== |
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生産当初のT-72は41tと西側諸国の主力戦車と比べて非常に軽量であった。当時のワルシャワ条約機構下ではこの重さを基準に道路や橋を設計したと言われており、自軍の戦車が進行するには有利かつ、他国の戦車の侵攻を阻む地形になっていた。 |
生産当初のT-72は41tと西側諸国の主力戦車と比べて非常に軽量であった。当時のワルシャワ条約機構下ではこの重さを基準に道路や橋を設計したと言われており、自軍の戦車が進行するには有利かつ、他国の戦車の侵攻を阻む地形になっていた。 |
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重量が軽かった為、わずか780hpの馬力にもかかわらず、ドイツのアウトバーンでは110km/hの速度を記録したこともあったと言われる。 |
重量が軽かった為、わずか780hpの馬力にもかかわらず、ドイツのアウトバーンでは110km/hの速度を記録したこともあったと言われる。 |
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===装甲=== |
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砲塔の部分は鋳造製で、最も厚い部分で280mmであったとされ、先端部で80mmの装甲が施されていた。車体の前面部は鋼鉄装甲板にセラミックやガラス繊維などを織り込んだ複合装甲素材が使用されその圧さは200mm程度だが、独特の傾斜デザインによりその効果は実質500mm~600mm圧の装甲に匹敵すると当時は言われていた。HEAT弾の登場により、爆発反応装甲(ERA)の追加装備や近年では”Dolly Parton"と言われる西側で開発された砲塔部補強用の追加装甲も採用さている。当初はキャタピラを守るためのサイドスカートが装備されていなかったが、T-72A型より装備が始まる。 |
砲塔の部分は鋳造製で、最も厚い部分で280mmであったとされ、先端部で80mmの装甲が施されていた。車体の前面部は鋼鉄装甲板にセラミックやガラス繊維などを織り込んだ複合装甲素材が使用されその圧さは200mm程度だが、独特の傾斜デザインによりその効果は実質500mm~600mm圧の装甲に匹敵すると当時は言われていた。HEAT弾の登場により、爆発反応装甲(ERA)の追加装備や近年では”Dolly Parton"と言われる西側で開発された砲塔部補強用の追加装甲も採用さている。当初はキャタピラを守るためのサイドスカートが装備されていなかったが、T-72A型より装備が始まる。 |
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===主砲=== |
===*主砲=== |
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125mm2A46滑空砲。西側の120mm/L44滑空砲と遜色ない威力とされている。初速はおよそ1800m/sec、有効射程距離は4000~5000m、最大射程は9100m。戦車砲弾以外にも射程5000mの9K-119、9K-120 対戦車誘導ミサイルを発射可能であり、いわばガン・ランチャーとしての要素が強い。(しかし、一発500万円ほどする為、ほとんど発射された記録はない。) |
125mm2A46滑空砲。西側の120mm/L44滑空砲と遜色ない威力とされている。初速はおよそ1800m/sec、有効射程距離は4000~5000m、最大射程は9100m。戦車砲弾以外にも射程5000mの9K-119、9K-120 対戦車誘導ミサイルを発射可能であり、いわばガン・ランチャーとしての要素が強い。(しかし、一発500万円ほどする為、ほとんど発射された記録はない。) |
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また、回転装填式自動装填装置「カセトカ」を搭載。T-64では垂直方向に装填するタイプだったが、T-72では回転ドラム式の水平装填式が採用される。当初は装填不良など信頼性において問題があったものの、改修型のT-90においては13秒間に3発もの砲弾を発射できるまでに改善されている。(但し、この装置のせいで車内の居住性は旧ソ連の慣習に基づき悪い。) |
また、回転装填式自動装填装置「カセトカ」を搭載。T-64では垂直方向に装填するタイプだったが、T-72では回転ドラム式の水平装填式が採用される。当初は装填不良など信頼性において問題があったものの、改修型のT-90においては13秒間に3発もの砲弾を発射できるまでに改善されている。(但し、この装置のせいで車内の居住性は旧ソ連の慣習に基づき悪い。) |
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===エンジン=== |
===*エンジン=== |
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[[T-64]]のエンジン、及び足回りの問題が発端で開発が始まった事もあり、エンジンは信頼性の高かった第2次世界大戦時の主力戦車[[T-34]]のV-12ディーゼルエンジンを500hpから720hpに引き上げる形で開発された。ソビエト崩壊以降の各国のT-72のバリエーションタイプではそれぞれ独自のエンジンを採用しているため、馬力やシステムは各々異なっている。 |
[[T-64]]のエンジン、及び足回りの問題が発端で開発が始まった事もあり、エンジンは信頼性の高かった第2次世界大戦時の主力戦車[[T-34]]のV-12ディーゼルエンジンを500hpから720hpに引き上げる形で開発された。ソビエト崩壊以降の各国のT-72のバリエーションタイプではそれぞれ独自のエンジンを採用しているため、馬力やシステムは各々異なっている。 |
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===その他=== |
===*その他=== |
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*専用のシュノーケルをつければ渡河などの潜水移動も可能だが、搭乗員は潜水装備をつけなければならない。また、潜水時にエンジンが停止した場合は6秒以内に再始動しないと大惨事を招きかねない。 |
*専用のシュノーケルをつければ渡河などの潜水移動も可能だが、搭乗員は潜水装備をつけなければならない。また、潜水時にエンジンが停止した場合は6秒以内に再始動しないと大惨事を招きかねない。 |
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*NBC対策として砲塔部にはホウ素樹脂が組み込まれており車体にも空気浄化システムや加圧機能を搭載している。 |
*NBC対策として砲塔部にはホウ素樹脂が組み込まれており車体にも空気浄化システムや加圧機能を搭載している。 |
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T-64A以降と同じく「カセトカ」[[自動装填装置]]を搭載しているにもかかわらず、実用発射速度は4発/分(カタログ上は8発/分)と手動装填の西側戦車より遅いが、これは125mm砲弾の弾頭と発射薬が分離式のためである。装填手が不要となったので、乗員は3名である。 |
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[[Image:T-72M RB.jpg|thumb|150px|left|T-72M1M]] |
[[Image:T-72M RB.jpg|thumb|150px|left|T-72M1M]] |
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==イラク戦争におけるT-72== |
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安価で大量生産に向き、ソ連が崩壊するまで[[ワルシャワ条約機構]]に加盟するソビエト友好国や[[フィンランド]]、[[キューバ]]、[[中東]]諸国、[[インド]]等へ大量に輸出された。また、[[チェコ]]や[[ポーランド]]、[[ユーゴスラビア]]でも[[ライセンス生産]]されている。 |
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1991年と2003年に2度においてT-72は西側の第3世代戦車である、[[M-1エイブラムズ]]、[[チャレンジャー]]戦車と激突した。アメリカ軍を中心とした多国籍軍の戦車は貫通力の高い[[劣化ウラン弾]]を採用した強力な砲弾と劣化ウランを織り込んだ防御力の高い装甲、夜間でも確実に標的を捕らえる事のできる射撃統制装置など最先端の装備で望んだにも拘わらず、イラク軍のT-72は輸出向けにスペックダウンされたモンキーモデルで対抗しなけばならなかった。(複合装甲が施されている部分には普通の鉄鋼板溶接装甲が使用されていたり、砲弾も炸薬が通常の半分程度しか使用されていない物が使用されたと言われている。)また、イラクは購入以降全く改修を行わなかった為、多国籍軍側戦車との性能差は明らかだった。この戦力差は戦車戦で露見され、イラク軍のT-72は一方的に撃破される事となった。(中にはアメリカのM-1エイブラムズの砲塔に直撃弾を与えたにもかかわらず、全くダメージを与える事ができなかった車両もあった。) |
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また、T-72は砲塔内部に砲弾を保管する設計になっていたため、貫通した砲弾によりたやすく誘爆を招き搭乗員全ての命を奪う事となった。直撃を受けたT-72の砲塔が高々と吹き飛ぶ様を見てアメリカ軍の戦車兵達は「ジャック・イン・ザ・ボックス」("びっくり箱"、日本語に例えるなら、”[[黒ひげ危機一髪]]”)と呼んでいた。 |
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前述のとおり、存在が公になると西側諸国の恐怖の対象となり、各国の戦後第3世代戦車の開発の推進力となった。初の実戦は[[レバノン内戦]]で[[シリア]]軍の戦車として出撃したが、[[1982年]]に同じく初陣だった[[イスラエル]]の国産戦車[[メルカバ (戦車)|メルカバ]]によって30輌以上が撃破され、その評判を大きく損なうこととなった(逆に少数ではあるが、その主砲でメルカバを撃破している)。 |
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この戦車戦の映像は世界中に流された事もあり、T-72の兵器としての商品価値は一気に下落した。T-72の全面改修タイプである[[T-90]]はこの失墜したロシアの輸出品としての商品ブランド回復を目的に開発されたと言われる。 |
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後の[[湾岸戦争]]では[[イラク]]軍が輸出型のT-72を用いたが、やはり[[M1エイブラムス|M1A1エイブラムス]]をはじめとする西側陣営の戦車に対して一方的に撃破され、セールスにも影響したとされる。この他[[チェチェン共和国]]やユーゴの内戦(ユーゴスラビア国産型の[[M-84]])でも、撃破された車輛は砲塔下に円形に並べられた砲弾が誘爆、砲塔が吹き飛んで乗員が全滅するケースが多く、[[ロケット弾]]および[[対戦車ミサイル]]対策に[[爆発反応装甲]]をより大量に貼り付けるなどの改良が行われた。 |
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{{Commons|T-72}} |
{{Commons|T-72}} |
2007年1月9日 (火) 13:41時点における版
性能諸元 | |
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全長 | 9.53 m |
車体長 | 6.86 m |
全幅 | 3.59 m |
全高 | 2.23 m |
重量 | 41.5 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 |
60 km/h(整地) 45 km/h(不整地) |
行動距離 |
450 km 600 km(外部タンク搭載時) |
主砲 | 125 mm滑腔砲 2A46M |
副武装 |
12.7 mm機関銃 7.62 mm機関銃 |
装甲 | 複合装甲 |
エンジン |
V型12気筒ディーゼルエンジン 780 hp |
乗員 | 3 名 |
1971年に旧ソビエト連邦で開発された主力戦車。同国のT-64と平行する形で開発が進められ、設計思想としてはアメリカのM-60パットンやドイツレオパルド1、イギリスのチーフテンと同じ第2世代にあたり攻撃力・機動力・防御力においては当時では同世代の戦車の中ではバランスが良かったとされる。今日の第3世代の戦車と比べるとさすがに見劣りはするものの旧東側陣営で数多く生産された事もあり、バージョンアップを施したT-90などを中心に現在も数多くの国々で使用されている。
開発起源
1960年代、ソ連は当時先端を行っていたT-64戦車を主力戦車として配備を進めていたが、動力であるL60ディーゼルエンジンをはじめ主砲の命中率の悪さや自動装填装置の不具合、足回りの問題など数多くの問題点が露見していた。そして最大の問題はその生産コストの高さであり、ワルシャワ条約機構下の近隣同盟国どころか、自軍にも充分な数を配備することすら厳しい状態だった。 こうした中、T-64よりもより”安価”な戦車の開発が1967年からT-64Aの車体をベースとした"オブイェークト172”として設計が始まり、”オブイェークト172M"としてそのプロトタイプが出来上がった。1971年から1973年にかけての各種トライアルテストを経て正式にT-72として採用され、1974年よりチェリアビンスク戦車工場にて今までのT-55及びT-62の生産施設をすべてT-72に切り替え生産が始まった。
概要
T-72は旧共産主義圏にて1970年代からソ連崩壊の1991年までもっとも多く使われた戦車である。また、ワルシャワ条約加盟国以外にもフィンランド・インド・イラン・イラク・シリア・ユーゴスラビアなどにも輸出され、その他の多くの国でもライセンス生産やコピー品が作られた。 ソ連以外ワルシャワ条約機構に所属していた国ではポーランドとチェコスロバキアでライセンス生産されていたが、オリジナルより装甲面などでスペックダウンした物だった。(ポーランド製のT-72Gはソ連軍では410㎜だった砲塔部の装甲がはるかに薄く作られていた。) ソ連も1990年までに自国で生産したワルシャワ条約機構以外の国向けのモデルを開発しアラブ諸国を中心に大量に輸出したが、これらのモデルもやはり装甲や主砲の威力等に大幅にスペックダウンを施したモデルであった。(このような兵器を俗にモンキーモデルという。) このため、外見は同じT-72ににもかかわらず、ソ連モデル、ポーランドモデル、チェコスロバキアモデル、ソ連輸出型モデルでは多くの部品が共有できず補給・メンテナンスなどの兵站での問題を発生させる要因となった。
1980年代には旧ユーゴスラビアがT-72のコピーモデルであるM-84を生産世界中に輸出し、その購入国の一つであったイラクは"Assad Babyl“(バビロンのライオン)と名付け採用した。(イラクは当時、国連の武器禁輸措置の網の目をかいくぐるため、製品としての形ではなく予備部品の名目でパーツと言う形で輸入を行った。) ソ連はT-72の採用後も数多くの改修を実施し、1979年にはT-64でも採用していた複合素材の装甲を車体前部を中心に取り付ける事により防御の強化を実施、1980年代にはリアクティブ・アーマーなどの追加防御装甲が施された。 1978にはレーザー測定器を装備し始めるも高価な装備だったため、1985年までは指揮官用のT-72Kを中心にしか普及しなかったが、1985年以降生産されたT-72AV型には爆発反応装甲が装備され、エンジンの馬力も780hpから840hpに強化、レーザー測定器も標準装備となり主砲から対戦車ミサイルも発射可能となりT-72以降に開発されたT-80の影響を色濃く受け継いだ。 以降も細かい改修が施されるも、80年代末のワルシャワ条約機構下諸国の経済悪化や、ソビエト自身の91年の崩壊などにより一時その発展は停滞期を迎える。 ソビエト崩壊以降は独立した諸国がそれぞれのT-72の生産技術を元に数多くのバリエーションを開発している。内容としては、自国で生産したオリジナルタイプから既にT-72を購入した国への改修パッケージキットの販売などそのジャンルも広がっている。T-72自体が長期に渡り多くの国々に供給されたこともあり、ソビエトから解き放たれた諸国にとっては現在でも魅力的な軍事マーケットとなっている。
装備・スペック
*重量
生産当初のT-72は41tと西側諸国の主力戦車と比べて非常に軽量であった。当時のワルシャワ条約機構下ではこの重さを基準に道路や橋を設計したと言われており、自軍の戦車が進行するには有利かつ、他国の戦車の侵攻を阻む地形になっていた。 重量が軽かった為、わずか780hpの馬力にもかかわらず、ドイツのアウトバーンでは110km/hの速度を記録したこともあったと言われる。
*装甲
砲塔の部分は鋳造製で、最も厚い部分で280mmであったとされ、先端部で80mmの装甲が施されていた。車体の前面部は鋼鉄装甲板にセラミックやガラス繊維などを織り込んだ複合装甲素材が使用されその圧さは200mm程度だが、独特の傾斜デザインによりその効果は実質500mm~600mm圧の装甲に匹敵すると当時は言われていた。HEAT弾の登場により、爆発反応装甲(ERA)の追加装備や近年では”Dolly Parton"と言われる西側で開発された砲塔部補強用の追加装甲も採用さている。当初はキャタピラを守るためのサイドスカートが装備されていなかったが、T-72A型より装備が始まる。
*主砲
125mm2A46滑空砲。西側の120mm/L44滑空砲と遜色ない威力とされている。初速はおよそ1800m/sec、有効射程距離は4000~5000m、最大射程は9100m。戦車砲弾以外にも射程5000mの9K-119、9K-120 対戦車誘導ミサイルを発射可能であり、いわばガン・ランチャーとしての要素が強い。(しかし、一発500万円ほどする為、ほとんど発射された記録はない。) また、回転装填式自動装填装置「カセトカ」を搭載。T-64では垂直方向に装填するタイプだったが、T-72では回転ドラム式の水平装填式が採用される。当初は装填不良など信頼性において問題があったものの、改修型のT-90においては13秒間に3発もの砲弾を発射できるまでに改善されている。(但し、この装置のせいで車内の居住性は旧ソ連の慣習に基づき悪い。)
*エンジン
T-64のエンジン、及び足回りの問題が発端で開発が始まった事もあり、エンジンは信頼性の高かった第2次世界大戦時の主力戦車T-34のV-12ディーゼルエンジンを500hpから720hpに引き上げる形で開発された。ソビエト崩壊以降の各国のT-72のバリエーションタイプではそれぞれ独自のエンジンを採用しているため、馬力やシステムは各々異なっている。
*その他
- 専用のシュノーケルをつければ渡河などの潜水移動も可能だが、搭乗員は潜水装備をつけなければならない。また、潜水時にエンジンが停止した場合は6秒以内に再始動しないと大惨事を招きかねない。
- NBC対策として砲塔部にはホウ素樹脂が組み込まれており車体にも空気浄化システムや加圧機能を搭載している。
イラク戦争におけるT-72
1991年と2003年に2度においてT-72は西側の第3世代戦車である、M-1エイブラムズ、チャレンジャー戦車と激突した。アメリカ軍を中心とした多国籍軍の戦車は貫通力の高い劣化ウラン弾を採用した強力な砲弾と劣化ウランを織り込んだ防御力の高い装甲、夜間でも確実に標的を捕らえる事のできる射撃統制装置など最先端の装備で望んだにも拘わらず、イラク軍のT-72は輸出向けにスペックダウンされたモンキーモデルで対抗しなけばならなかった。(複合装甲が施されている部分には普通の鉄鋼板溶接装甲が使用されていたり、砲弾も炸薬が通常の半分程度しか使用されていない物が使用されたと言われている。)また、イラクは購入以降全く改修を行わなかった為、多国籍軍側戦車との性能差は明らかだった。この戦力差は戦車戦で露見され、イラク軍のT-72は一方的に撃破される事となった。(中にはアメリカのM-1エイブラムズの砲塔に直撃弾を与えたにもかかわらず、全くダメージを与える事ができなかった車両もあった。) また、T-72は砲塔内部に砲弾を保管する設計になっていたため、貫通した砲弾によりたやすく誘爆を招き搭乗員全ての命を奪う事となった。直撃を受けたT-72の砲塔が高々と吹き飛ぶ様を見てアメリカ軍の戦車兵達は「ジャック・イン・ザ・ボックス」("びっくり箱"、日本語に例えるなら、”黒ひげ危機一髪”)と呼んでいた。 この戦車戦の映像は世界中に流された事もあり、T-72の兵器としての商品価値は一気に下落した。T-72の全面改修タイプであるT-90はこの失墜したロシアの輸出品としての商品ブランド回復を目的に開発されたと言われる。