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2024年1月29日 (月) 00:00時点における最新版
三浦数平 みうら かずへい | |
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生年月日 | 1871年3月6日 |
出生地 | 日本 大分県大分市 |
没年月日 | 1929年9月7日(58歳没) |
出身校 |
明治法律学校卒業 (現・明治大学) |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(無所属→) 立憲政友会 |
配偶者 | 三浦操 |
子女 | 三浦義一 |
選挙区 | 大分県第1選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1926年 - 1929年9月7日 |
在任期間 | 1917年8月9日 - 1926年2月6日 |
大分県会議員 | |
第3代 大分市会議長 | |
三浦 数平(みうら かずへい、明治4年1月16日[1](1871年3月6日) - 昭和4年(1929年)9月7日)は、日本の政治家。大分市長、衆議院議員(立憲政友会)。大分県士族[2]。旧姓桜井[3]。
経歴
[編集]明治28年(1895年)、明治法律学校卒業[2]。朝日新聞記者から判検事試験に合格して司法官試補となり、次いで大分町で弁護士、特許弁理士の事務所を開業[3]。
先代貞一の養子となり明治37年(1904年)家督を相続す[2]。大分町会議員、同市会議員、同第3代議長[4]、県会議員を務め[3]、1917年8月9日、大分市長に就任した[5]。
郷里から衆議院議員当選、昭和3年(1928年)再選、立憲政友会に属した[3][6]。
人物像
[編集]城南女学校(福徳学院高等学校の前身)を創設した幸フクと親交があり、昭和2年(1927年)8月に財団法人城南女学校(財団法人城南学園の前身)が設立されると、初代理事長を務めた[7]。
大庭勝一(義仲寺史蹟保存会常務理事)によれば「数平さんはチビだったが、『おれには五尺の背丈がある』とあたるべからざるいきおいで、市長室では机の上に靴をはいたままの脚をどっかりのせてふんぞりかえっていた[8]。新しい知事が赴任してきても挨拶にいかず、用事ができると呼びつけた[8]」という
家族・親族
[編集]三浦家
[編集]- 妻・操(養父貞一長女[2])
- 三男・信夫[2]
- 四男・四郎[2]
- 明治42年(1909年)10月生[2] - 没
- 昭和8年(1933年)法大法学部卒業[12]。飯野海運に入り総務部管理課長より昭和33年(1958年)1月総務部副部長となり昭和36年(1961年)5月庶務部副部長に就任[12]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、32頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録』(昭和3年)ミ六
- ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』587頁
- ^ “昭和24年5月23日”. 大分市. 2024年1月5日閲覧。
- ^ 『官報』第1509号、大正6年8月11日。
- ^ 第16回衆議院議員選挙 - 大分1区 - ザ・選挙
- ^ 学院概要 - 福徳学院高等学校
- ^ a b c d 猪野健治『日本の右翼』239頁
- ^ 読売新聞「訃報」1976年8月3日付け朝刊21面
- ^ 『第二十一版 人事興信録 下』み六
- ^ 元日銀総裁一万田尚登夫人の実弟(猪野健治『日本の右翼』239頁)
- ^ a b 『第二十一版 人事興信録 下』み四
参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)587頁