「バーレーン」の版間の差分
Sjsjsjsisisisisk (会話) による ID:98995877 の版を取り消し タグ: 取り消し モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
Sjsjsjsisisisisk (会話) による ID:98995872 の版を取り消し タグ: 取り消し 差し戻し済み サイズの大幅な増減 モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 曖昧さ回避ページへのリンク |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{基礎情報 国 |
{{基礎情報 国 |
||
| 略名 = |
| 略名 = バーレーン |
||
| 日本語国名 = |
| 日本語国名 = バーレーン王国 |
||
| 公式国名 = '''{{Lang| |
| 公式国名 = '''{{Lang|ar|مملكة البحرين}}''' |
||
| 国旗画像 = Flag of |
| 国旗画像 = Flag of Bahrain.svg |
||
| 国章画像 = [[File:Coat of Arms of The |
| 国章画像 = [[File:Coat of Arms of The Kingdom of Bahrain.svg|100px|バーレーンの国章]] |
||
| 国章リンク = ([[バーレーンの国章|国章]]) |
| 国章リンク = ([[バーレーンの国章|国章]]) |
||
| 標語 = なし |
| 標語 = なし |
||
| 国歌 = [[我等のバーレーン|{{lang|ar|بحريننا}}]]{{ar icon}}<br />''我等のバーレーン''<br /><center>[[ファイル:Bahraini Anthem.ogg]] |
| 国歌 = [[我等のバーレーン|{{lang|ar|بحريننا}}]]{{ar icon}}<br />''我等のバーレーン''<br /><center>[[ファイル:Bahraini Anthem.ogg]] |
||
| 位置画像 = |
| 位置画像 = Bahrain on the globe (Bahrain centered).svg |
||
| 公用語 = [[ |
| 公用語 = [[アラビア語]] |
||
| 首都 = [[マナーマ]] |
| 首都 = [[マナーマ]] |
||
| 最大都市 = マナーマ |
| 最大都市 = マナーマ |
||
| 元首等肩書 = [[ |
| 元首等肩書 = [[バーレーンの国王|国王(マリク)]] |
||
| 元首等氏名 = [[ |
| 元首等氏名 = [[ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ]] |
||
| 首相等肩書 = [[ |
| 首相等肩書 = [[バーレーンの首相|首相]] |
||
| 首相等氏名 = {{ill2|サルマーン・ビン・ハマド・アール・ハリーファ|ar|سلمان بن حمد آل خليفة|en|Salman bin Hamad bin Isa Al Khalifa}} |
| 首相等氏名 = {{ill2|サルマーン・ビン・ハマド・アール・ハリーファ|ar|سلمان بن حمد آل خليفة|en|Salman bin Hamad bin Isa Al Khalifa}} |
||
| 面積順位 = 177 |
| 面積順位 = 177 |
||
20行目: | 20行目: | ||
| 面積値 = 758 |
| 面積値 = 758 |
||
| 水面積率 = 極僅か |
| 水面積率 = 極僅か |
||
| 人口統計年 = |
| 人口統計年 = 2022 |
||
| 人口順位 = 155 |
| 人口順位 = 155 |
||
| 人口大きさ = 1 E5 |
| 人口大きさ = 1 E5 |
||
| 人口値 = |
| 人口値 = 1,540,558<ref>{{Cite web |url=https://www.cia.gov/the-world-factbook/countries/bahrain/ |title=Bahrain |publisher=[[ザ・ワールド・ファクトブック]] |language=en |accessdate=2022年8月10日}}</ref> |
||
| 人口密度値 = 2,032.4 |
| 人口密度値 = 2,032.4 |
||
| GDP統計年元 = 2020 |
| GDP統計年元 = 2020 |
||
46行目: | 46行目: | ||
| 注記 = |
| 注記 = |
||
}} |
}} |
||
'''バーレーン王国'''(バーレーンおうこく、{{lang-ar|مملكة البحرين}}, [[ラテン文字]]: {{transl|ar|DIN|Mamlakat al-Baḥrayn}}, マムラカト・アル=バフライン)、通称'''バーレーン'''は、[[西アジア]]・[[中東]]に位置し、[[ペルシア湾]]の[[バーレーン島]]および大小33の島([[ムハッラク島]]など)からなる[[立憲君主制]][[国家]]。首都は[[マナーマ]]。 |
|||
'''Bahrain'''is currently unpopulated |
|||
王家の[[ハリーファ家]]は[[クウェート]]の[[サバーハ家]]や[[サウジアラビア]]の[[サウード家]]と同じく{{仮リンク|アナイザ族|en|`Anizzah}}出身で[[スンナ派]]であるが、1782年以前はシーア派以外の宗派を認めていなかった[[サファヴィー朝]]や[[アフシャール朝]]の支配下にあった経緯もあり、国民の大多数を[[シーア派]]が占める。 |
|||
[[1994年]]以後、シーア派による反政府運動が激化し、[[2001年]]2月に行われた[[国民投票]]によって、絶対王政の[[アミール|首長]]制から立憲君主の[[王制]]へ移行と共に王国へ改名した。 |
|||
== 国名 == |
|||
=== つづりや発音 === |
|||
正式名称はアラビア語で {{lang|ar|مملكة البحرين}}([[ラテン文字]]: {{audio|Ar-Mamlakat al-Baḥrayn.oga|{{transl|ar|Mamlakat al-Baḥrayn}}|help=no}} マムラカト・アル=バフライン, 実際には一気読みによりマムラカトゥ・ル=バフラインとなる)、通称 {{lang|ar|البحرين}}({{audio|Ar-Bahrain-1.oga|{{transl|ar|al-Baḥrayn}}|help=no}} / al-Baḥrain, アル=バフライン)。 |
|||
[[2002年]]、'''[[バーレーン国]]'''({{lang|en|State of Bahrain}})から現在の名称に変更した。 |
|||
公式の英語表記は {{lang|en|Kingdom of Bahrain}}。通称 {{lang|en|Bahrain}}。国民・形容詞は {{lang|en|Bahraini}}。 |
|||
日本語の表記はバーレーン王国。通称バーレーン。'''バハレーン'''、'''バハレイン'''と書かれることもある<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/バハレーン-361040 |title = 大辞林 第三版 バハレーンとは |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-01-06 }}</ref>。[[正則アラビア語]]での発音に即した学術的なカタカナでは「'''バフライン'''」になるが、日本語のフは「f」の響きを持つため実際には「バハライン」の方がアラビア語での発音に近い。 |
|||
なおラテン文字転写al-Baḥraynのay部分は実際には二重母音のaiであるため、al-Baḥrainという表記もあり、全く同じ発音となる。al-Baḥraynという転写とal-Baḥrainという転写の間に特に差異は無く、アラビア文字でのつづりも全く同一である。 |
|||
さらに口語アラビア語(現地方言、周辺方言など)では二重母音の発音となるay(ai)部分がエイ、エーとなるためアル=バハレイン、アル=バハレーンと読まれる。これらが日本語カタカナ表記で見られるバハレーン、バハレインの根拠となっている。 |
|||
日本で用いられているバーレーンでは英語における発音を経由したために「バー」となっており、アラビア語において本来バハレーンと聞こえる口語発音の語頭Bah-部分をバフやバハではなくバーと伸ばしたカタカナ表記としたものである。 |
|||
=== 国名の意味 === |
|||
国名の {{lang|ar|بحرين}} はアラビア語で「二つの[[海]]」<ref group="注">[[定冠詞]] {{lang|ar|الـ}}(ラテン文字転写:{{lang|ar-latn|al}})を除いた形。一般名詞の[[双数形]]で[[属格]]。</ref>という意味であり、島に湧く淡水と島を囲む海水を表すとされている。 |
|||
なお、[[サウジアラビア]]東部から[[オマーン]]を含む広い範囲はアラビア語で同じく {{lang|ar|البحرين}} と呼ばれる(特に18世紀以前の同地域を指す時)<ref>{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=bJLjAKH7-rIC&pg=PR16|title=Dialect, Culture, and Society in Eastern Arabia: Glossary|work=Clive Holes|year=2001|pages=XIX|isbn=9004107630|last1=Holes|first1=Clive}}</ref>。 |
|||
== 歴史 == |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの歴史|en|History of Bahrain}}}} |
|||
かつては[[ディルムン]]文明と呼ばれる[[エジプト文明]]や[[シュメール文明]]に匹敵する文化の中心地であったといわれている。15世紀ごろまでは[[真珠]]の産地であった。 |
|||
* [[16世紀]]、[[ペルシャ]]の圧力を受ける中、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]が進出 |
|||
* [[1782年]] ハリーファ家が[[カタール]]から移住。支配が始まる |
|||
* [[1867年]] {{仮リンク|カタール・バーレーン戦争|en|Qatari–Bahraini War}} |
|||
* [[1868年]] {{仮リンク|イギリス・バーレーン合意 (1868年)|en|Qatari–Bahraini War#Anglo-Bahraini agreement of 1868|label=イギリス・バーレーン合意}} |
|||
* [[1880年]] [[イギリス]]の[[保護国]]となる |
|||
* [[1931年]] [[アメリカ]]の[[国際石油資本]]{{仮リンク|スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア|en|Standard Oil of California}}(通称SoCal。現:[[シェブロン]])の[[子会社]]である[[:en:Bahrain Petroleum Company|Bahrain Petroleum Company]](BAPCO)が[[:en:First Oil Well, Bahrain|石油を発見]] |
|||
* [[1968年]] [[イギリス軍]]の[[スエズ]]以東撤退が発表されたのを契機に、バーレーンを含む湾岸の9首長国が連邦結成協定を結ぶ |
|||
* [[1971年]] [[バーレーン国]]として独立 |
|||
* [[1975年]] [[議会]]廃止 |
|||
* [[1994年]] - [[1999年]] {{仮リンク|1990年代バーレーン蜂起|en|1990s uprising in Bahrain}} |
|||
* [[2001年]] [[民主化]]推進に向け、[[国民投票]]を実施 |
|||
* [[2002年]] [[絶対君主制]]から[[立憲君主制]]へ移行し、国名をバーレーン王国へ改称 |
|||
* [[2011年]] [[2011年バーレーン騒乱|バーレーン騒乱]]。シーア派による反政府[[デモ活動|デモ]]が起こる |
|||
== 地理 == |
|||
[[ファイル:Bahrain-map-ja.jpeg|thumb|280px|バーレーンの地図]] |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの地理|en|Geography of Bahrain}}}} |
|||
サウジアラビアの東、ペルシャ湾内にある群島。主な島はバーレーン本島・[[ムハッラク島]]・{{仮リンク|シトラ島|en|Sitra}}で、バーレーンには計33の島がある<ref name="emb-j-2016">{{Cite web|和書|date=2016-04-20 |title=バーレーン概観 |url=https://www.bh.emb-japan.go.jp/itpr_ja/bahrainoverview.html |publisher=[[外務省]][[在バーレーン日本国大使館]] |accessdate=2019-10-20 }}</ref>。国土の大半が[[砂漠]]と[[石灰岩]]に覆われている。面積は日本の[[琵琶湖]]とほぼ同程度である。 |
|||
[[ケッペンの気候区分]]は[[砂漠気候]](BW)。 |
|||
サウジアラビアとは「[[キング・ファハド・コーズウェイ]]」という全長約24kmの橋によって結ばれている。 |
|||
{{左|{{File clip | Bahrain Topography.png | width = 180 | 5 | 5 | 40 | 5 | w = 1069 | h = 1486 | 地形図}}}} |
|||
{{Clearleft}} |
|||
=== 地方行政区分 === |
|||
[[ファイル:Governorates of Bahrain 2014.png|200px|thumb|地方行政区分]] |
|||
{{main|バーレーンの行政区画}} |
|||
4つの県がある。[[2003年]][[7月3日]]までは12の行政区に分けられていた。 |
|||
# [[南部県 (バーレーン)|南部県]] |
|||
# [[北部県 (バーレーン)|北部県]] |
|||
# [[首都県]] |
|||
# [[ムハッラク県]] |
|||
=== 都市 === |
|||
{{main|バーレーンの都市の一覧}} |
|||
== 政治 == |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの政治|en|Politics of Bahrain}}}} |
|||
=== 政体 === |
|||
かつては[[絶対君主制]]で、「[[クウェート]]より危うい国」とされていたが、[[湾岸戦争]]以後、民主化を求める国民による暴動が絶えず、首長([[アミール]])であるシャイフ・[[ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ|ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ]]の下で次々と民主化を実行し、[[2002年]]より政体を立憲君主制とし、君主の称号を国王([[マリク]])と改めた。シャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ首長は国王に即位した。[[二院制]]の[[国民議会 (バーレーン)|国民議会]](国王が任命する評議院と直接選挙による代議院)を設置し、内閣には国王によって任命される[[首相]]を置き、男女平等[[参政権]]や[[司法権]]の独立などの体制を整えている。 |
|||
=== 外交 === |
|||
{{see|{{仮リンク|バーレーンの国際関係|en|Foreign relations of Bahrain}}}} |
|||
外交面では中東地域の国々や[[イギリス]]、[[フランス]]、[[日本]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を始め、多くの国と良好な関係を築いており、また[[親米]]国だが、[[カタール]]とは[[ハワール諸島]]に関する[[領土問題]]がある。[[イラク]]と関係が悪かったこともあり、[[湾岸戦争]]時にミサイルで狙われたこともある。またペルシア湾を挟んで向かい合う大国[[イラン]]とは、[[パフラヴィー朝]]が「バーレーンは歴史的にみてイラン([[ペルシア]])の領土である」と領有権を主張していたことから、同国に対して警戒心が強いとされる。[[イスラーム革命]]後は、イランが国内の[[シーア派]]を扇動して体制転覆を図るのではないかと脅威に感じており、バーレーンのスンナ派住民の間には、こうした警戒心から反イラン・反シーア派感情が強いとされる。アメリカも「敵の敵は味方」思考からスンナ派(政権側で少数派)のシーア派(国内多数)弾圧に懸念を表明しつつも、対話を促す程度にとどまってきた。 |
|||
2016年1月2日にサウジアラビアがイスラム教[[シーア派]]の有力指導者を処刑したことをきっかけにサウジアラビアとイランの関係は急速に悪化し、イランの首都[[テヘラン]]にあるサウジアラビア大使館が襲撃されたことをきっかけにサウジアラビアはイランとの国交を断絶し、これに続いてバーレーンもイランとの国交断絶を行っている<ref>{{Cite news |
|||
| url=https://jp.reuters.com/article/saudi-iran-bahrain-idJPKBN0UI11O20160104 |
|||
| title=バーレーン、イランと国交断絶 |
|||
| work=ロイター |
|||
| publisher=[[ロイター]] |
|||
| date=2016-01-04 |
|||
| accessdate=2016-01-04 |
|||
}}</ref>。 |
|||
隣国サウジアラビアとは、王家が同じ部族の出身ということもあって関係が深く、実質的な[[保護国]]となっている。[[2011年バーレーン騒乱]]の際は、サウジアラビアの軍事介入によって事態が収束した。 |
|||
2020年8月26日、アメリカの国務長官[[マイク・ポンペオ]]がバーレーンを訪問してハリファ国王と会談。同月に[[アラブ首長国連邦]]と[[イスラエル]]が国交を結んだことを受けて、アラブ諸国に追随を促すことを目的としたものであったが、ハリファ国王は「[[パレスチナ]]国家の樹立なくしてイスラエルとの和平は実現しない」として、言外に外交関係の変更を拒否した格好となった<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-27 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3301362 |title= バーレーン国王、対イスラエル関係で米国務長官の要請を言外に拒否|publisher=AFP |accessdate=2020-08-27}}</ref>。しかし9月11日、一転してイスラエルとの国交正常化に合意した<ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/article/israel-bahrain-usa-idJPKBN2622YK|title=バーレーンもイスラエルと国交正常化、米仲介で合意|agency=[[ロイター]]|date=2020-09-12|accessdate=2020-09-14}}</ref>。 |
|||
== 軍事 == |
|||
{{Main|バーレーン国防軍}} |
|||
軍事面では湾岸戦争後、アメリカと防衛協定を結び、[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]が駐留しており、[[第5艦隊 (アメリカ軍)|第5艦隊]]の司令部がある。[[2015年]]には[[明治維新]]以降として初の多国籍国際合同艦隊の司令官職として、日本の[[海上自衛隊]]より任命された幹部自衛官が赴任し、当地バーレーン[[第5艦隊]]での国際協力任務を完遂した。南部の約25%が[[アメリカ軍]]基地となっている。 |
|||
== 経済 == |
|||
<!-- ''詳細は[[バーレーンの経済]]を参照'' --> |
|||
[[ファイル:Modern Manama.jpg|thumb|バーレーンの首都、[[マナーマ]]]] |
|||
[[ファイル:Al Bander Resort.jpg|thumb|バーレーンの観光]] |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの経済|en|Economy of Bahrain}}}} |
|||
[[国際通貨基金|IMF]]の統計によると、[[2011年]]のバーレーンの[[国内総生産|GDP]]は約261億ドルと推計されており<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2012/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=45&pr.y=13&sy=2010&ey=2017&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=419&s=NGDPD%2CNGDPDPC&grp=0&a= IMFによるバーレーンのGDP]</ref>、[[日本]]の[[島根県]]よりやや小さい経済規模である<ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/sonota/kenmin/kenmin_top.html 内閣府 県民経済計算]</ref>。 |
|||
中東で最も早く[[石油]]採掘を行った国で、[[国内総生産|GDP]]の約30%は石油関連事業によるものであり、その恩恵で国民には所得税は無かったが、[[1970年]]ごろから石油が枯渇し始め、20年余りで完全に枯渇するという問題に直面していた。対策として給与の1%を[[ザカート]]として徴収するなど各種の税金が導入された。また資源探査を続けた結果、[[2018年]][[4月1日]]、政府は西部沖合で国内で確認されていた埋蔵量を上回る規模の[[油田]]を発見したと発表している<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-04-02|url= https://www.afpbb.com/articles/-/3169618?cx_recommend=popin |title=バーレーン、過去最大の油田発見 「既存の埋蔵量圧倒」|publisher= AFP|accessdate=2018-04-06}}</ref>。 |
|||
隣国サウジアラビアとは橋で結ばれているため、経済的な結びつきが強い。加えて同国が事実上の鎖国体制を敷いていることや[[ペルシャ湾]]の入口にあるという地理的特性を活かし、中東のビジネスの拠点、[[金融センター]]を目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開し、[[多国籍企業]]を始めとした外国資本が多数進出している。[[2010年]]9月、英国の[[シンクタンク]]のZ/Yenグループによると、バーレーンは世界第42位の[[金融センター]]と評価されており、[[中東]]では[[ドバイ]]、[[カタール]]に次ぐ第3位である<ref>[http://www.zyen.com/GFCI/GFCI%208.pdf The Global Financial Centres Index8]</ref>。 |
|||
古くから真珠採取業を行っており、高品質であるとされてきたものの、[[日本]]の真珠[[養殖業]]の発展に加え[[世界恐慌]]の影響によって徐々に衰退していった。(「[[バーレーンの真珠採取業]]」を参照) |
|||
[[観光]]にも力を入れており、現在は豊かな国の一つとして数えられているが、[[失業率]]が15%超 (政府発表値約6.6%:2003年) とGDPと比べて高い。[[失業給付]]はザカートから捻出されている。 |
|||
[[通貨]]単位は[[バーレーン・ディナール]]。レートは1米ドル=0.377バーレーン・ディナール(2020年7月27日現在) |
|||
== 交通 == |
|||
{{右|<gallery widths="180px" heights="120px"> |
|||
BahrainInternationalAirport01.jpeg|[[バーレーン国際空港]] |
|||
King Fahd Causeway (3206595761).jpg|[[キング・ファハド・コーズウェイ]] |
|||
</gallery>}} |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの交通|en|Transport in Bahrain}}}} |
|||
国営[[航空会社]]の[[ガルフ・エア]]が[[アジア]]や[[ヨーロッパ]]、[[アフリカ]]、[[オセアニア]]諸国に乗り入れている他、世界各国の航空会社が[[バーレーン国際空港]]に乗り入れている。[[日本]]から行く場合は、[[ドバイ国際空港|ドバイ]]やドーハなどで乗り換えていくのが一般的である。 |
|||
{{see also|バーレーンの空港の一覧}} |
|||
島国ではあるが、1986年に[[キング・ファハド・コーズウェイ]]が開通、サウジアラビアとの間を車で行き来することが可能になっている。 |
|||
2008年に[[バーレーンのライトレール網|ライトレール]]の建設計画が公表されたが、2009年からの建設予定が度々延期が繰り返されている。 |
|||
== 国民 == |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの人口統計|en|Demographics of Bahrain}}}} |
|||
[[File:Bahrain population pyramid 2012.jpg|thumb|250px|バーレーンの世代別人口分布]] |
|||
{{bar box |
|||
|title=国籍 |
|||
|titlebar=#ddd |
|||
|float=right |
|||
|bars= |
|||
{{bar percent|バーレーン国籍|red|46}} |
|||
{{bar percent|外国籍|silver|54}} |
|||
}} |
|||
2010年の調査によると、バーレーン国籍は46%(568,390人)に過ぎず、半数以上の54%(666,172人)を外国人労働者が占めている。外国人労働者の中で最大の勢力はインド人で290,000人を数える。 |
|||
住民は[[アラブ人]]が7割ほどを占めている(バーレーン人が63%、その他のアラブ人が10%)。その他に[[イラン人]]が8%、アジア人([[印僑]]など)が19%などとなっている。シーア派多数の人口構成を変えるために、[[パキスタン]]など他のスンナ派イスラーム諸国からの移民を受け入れ、国籍を与えていると言われている。 |
|||
=== 言語 === |
|||
言語は公用語が[[アラビア語]]で、日常的には[[アラビア語バーレーン方言|バーレーン方言]]が話される。他に[[ペルシア語]]、[[ウルドゥー語]]、[[ヒンディー語]]などが使われる。[[英語]]も広く使われている。 |
|||
=== 宗教 === |
|||
{{see|{{仮リンク|バーレーンの宗教|en|Religion in Bahrain}}}} |
|||
{{bar box |
|||
|title=イスラム教の宗派 |
|||
|titlebar=#ddd |
|||
|float=right |
|||
|bars= |
|||
{{bar percent|シーア派|yellow|75}} |
|||
{{bar percent|スンニ派|green|25}} |
|||
}} |
|||
宗教は、バーレーン国籍保持者に限ると、[[イスラーム]]が99.8%に達し[[国教]]となっている。そのうち[[シーア派]]が75%、[[スンナ派]]が25%となっている。外国籍を含むと、[[イスラーム]]が70.2%にまで下がり、残りは[[キリスト教]]が14%、[[ヒンドゥー教]]が10%などとなっている。近年はインドなどからの労働者の増加により、非イスラム教の割合が増加傾向にある。少数派であるスンナ派は政治やビジネスなどの面で優遇されて支配層を形成しているのに対して、多数派であるシーア派は貧困層が多く、公務員や警察には登用されないなど差別的な待遇に不満を感じているとされる。こうした不満が、[[2011年バーレーン騒乱]]に繋がったと見る向きもある。 |
|||
; 世俗的な宗教的規制 |
|||
全世界からビジネスマンや観光客が来ることもあってか、[[サウジアラビア]]や[[イラン]]などの周辺国に比べると、宗教的規制はかなりゆるやかである。例えば[[アルコール]]は自由に飲むことができ、週末になると飲酒を禁じられている周辺国から酒を求めて人々が集まって盛り上がる。また、女性も[[ヒジャブ]]どころか顔や姿を隠す必要はない。 |
|||
== 文化 == |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンの文化|en|Culture of Bahrain}}}} |
|||
=== 食文化 === |
|||
{{see|バーレーン料理}} |
|||
=== 音楽 === |
|||
{{see|{{仮リンク|バーレーンの音楽|en|Music of Bahrain}}}} |
|||
欧米の軽音楽の聴取が自由であり、それらに影響された軽音楽がバーレーンでも製作されている。1981年にデビューしたオシリス (Osiris) はバーレーンを代表するロック・バンドで、ヨーロッパでもレコード、CDが発売されている。 |
|||
=== 女性の社会進出 === |
|||
女性の政治的社会進出も他の湾岸諸国に比べて進んでおり、就業率は23.5%(2001年)、大学進学率は11.8%(2001年、男子は13.2%)と高い水準を誇る<ref>[[駐日バーレーン大使館|駐日バーレーン王国大使館]]HPより</ref>。 |
|||
またサビーカ王妃がアラブ女性連合最高評議会の議長を務めるほか、第61回国連総会議長のハヤー・アール・ハリーファ、同国初の女性閣僚となったナダー・アッバース・ハッファーズ博士など政府の要職に女性が就くことも珍しくない。 |
|||
=== 祝祭日 === |
|||
{{see|{{仮リンク|バーレーンの祝日|en|Public holidays in Bahrain}}}} |
|||
{| class="wikitable" style="margin: 0 auto;" |
|||
|+ style="font-weight:bold;font-size:120%"| |
|||
!日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考 |
|||
|- |
|||
|[[1月1日]]||[[元日]]||{{lang|ar|رأس السنة الميلادية}}|| |
|||
|- |
|||
|[[5月1日]]||[[メーデー]]||{{lang|ar|يوم العمال}}|| |
|||
|- |
|||
|[[12月16日]]、[[12月17日|17日]]||バーレーン国祭日|| {{lang|ar|اليوم الوطني}}|| |
|||
|- |
|||
|[[ムハッラム]]月1日||イスラム暦新年|| {{lang|ar|رأس السنة الهجرية}}||[[イスラム暦]]による移動祝日 |
|||
|- |
|||
|ムハッラム月9,10日||[[アーシューラー]]祭||{{lang|ar|عاشوراء}}||イスラム暦による移動祝日 |
|||
|- |
|||
|[[ラビーウ・アル=アウワル|ラビーウ・アル=アウワル月]]12日||[[預言者生誕祭]]||{{lang|ar|المولد النبوي}}||イスラム暦による移動祝日 |
|||
|- |
|||
|シャウワール月1,2,3日||ラマダーン明け祭([[イード・アル=フィトル]])||{{lang|ar|عيد الفطر}}||イスラム暦による移動祝日 |
|||
|- |
|||
|ズー・アル=ヒッジャ9日||アラファト・デー|| {{lang|ar|يوم عرفة}}||イスラム暦による移動祝日 |
|||
|- |
|||
|ズー・アル=ヒッジャ月10,11,12日||犠牲祭([[イード・アル=アドハー]])|| {{lang|ar|عيد الأضحى}}||イスラム暦による移動祝日 |
|||
|} |
|||
== スポーツ == |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンのスポーツ|en|Sport in Bahrain}}}} |
|||
{{See also|オリンピックのバーレーン選手団}} |
|||
=== サッカー === |
|||
{{main|{{仮リンク|バーレーンのサッカー|en|Football in Bahrain}}}} |
|||
バーレーン国内では[[サッカー]]が圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]となっており、[[1957年]]にプロサッカーリーグの[[バーレーン・プレミアリーグ]]が創設された。[[バーレーンサッカー協会]](BFA)によって構成される[[サッカーバーレーン代表]]は、これまで[[FIFAワールドカップ]]には未出場となっている。[[AFCアジアカップ]]では、[[AFCアジアカップ2004|2004年大会]]で初めてグループリーグを突破しベスト4の成績を収め、さらに[[AFCアジアカップ2019|2019年大会]]ではベスト16に進出した。また、[[ガルフカップ]]では2019年大会で初優勝し、[[西アジアサッカー選手権]]でも2019年大会で初優勝しており、近年は上昇基調にある。 |
|||
=== クリケット === |
|||
[[クリケット]]も人気スポーツの一つである。バーレーンのクリケットは、1932年に[[イギリス海軍]]と[[イギリス空軍]]の間の試合で始まった<ref name="ICC">[https://www.icc-cricket.com/about/members/asia/associate/78 Bahrain Cricket Federation] 国際クリケット評議会 2023年9月30日閲覧。</ref>。バーレーンクリケット連盟は、2001年に[[国際クリケット評議会]]に加盟した<ref name="ICC"/>。バーレーンの国際試合デビュー戦は1979年に行われており、2006年にクウェートで開催された中東カップで伝統国のアフガニスタンを破って優勝した<ref name="ICC"/>。バーレーンは初期の成功を経て、青少年育成プログラムを頼りに国際舞台に復帰しつつある<ref name="ICC"/>。クリケットが最も人気の地域である[[南アジア]]出身の[[外国人労働者]]が、バーレーンの人口の多くを占めていることもクリケット人気の要因の一つである。100を超えるクリケットチームが国内のリーグでプレーしている<ref name="ICC"/>。 |
|||
=== モータースポーツ === |
|||
[[ファイル:First lap 2008 Bahrain.jpg|thumb|バーレーンGP]] |
|||
バーレーン西部の港町であるザラク近郊の[[砂漠|砂漠地帯]]である[[サヒール]]に[[バーレーンインターナショナルサーキット|サーキット]]を建設しており、[[フォーミュラ1|F1]]開催の誘致に成功した。[[2004年]]からは[[バーレーングランプリ|バーレーンGP]]を開催している。 |
|||
=== 陸上競技 === |
|||
バーレーンでは[[2000年代]]以降、[[ケニア]]や[[エチオピア]]などの[[アフリカ]]出身の選手を多数[[帰化]]させるなど[[陸上競技]]の強化を進めており、[[近代オリンピック|オリンピック]]や[[世界陸上]]、[[アジア競技大会]]などの国際大会において優勝者や上位入賞者を輩出している。 |
|||
== 著名な出身者 == |
|||
{{Main|Category:バーレーンの人物}} |
|||
== 脚注 == |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
=== 注釈 === |
|||
{{Notelist2}} |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist|30em}} |
|||
== 関連項目 == |
|||
* [[バーレーン国防軍]] |
|||
* [[バーレーンの国旗]] |
|||
* [[サッカーバーレーン代表]] |
|||
== 外部リンク == |
|||
{{Commons&cat|Bahrain|Bahrain}} |
|||
; 政府 |
|||
* [http://www.bahrain.gov.bh/ バーレーン王国政府] {{ar icon}}{{en icon}} |
|||
* [http://www.bahrain-embassy.or.jp/ 駐日バーレーン王国大使館] {{en icon}}{{ja icon}} |
|||
; 日本政府 |
|||
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bahrain/ 日本外務省 - バーレーン] {{ja icon}} |
|||
* [https://www.bh.emb-japan.go.jp/japan/japanMain.htm 在バーレーン王国日本国大使館] {{ja icon}} |
|||
; その他 |
|||
* [http://www.jccme.or.jp/japanese/08/08-07-17.cfm JCCME - バーレーン] |
|||
{{アジア}} |
{{アジア}} |
||
54行目: | 296行目: | ||
{{DEFAULTSORT:はあれえん}} |
{{DEFAULTSORT:はあれえん}} |
||
[[Category: |
[[Category:バーレーン|*]] |
||
[[Category: |
[[Category:アジアの国]] |
||
[[Category: |
[[Category:王国]] |
||
[[Category: |
[[Category:島国]] |
||
[[Category: |
[[Category:現存する君主国]] |
||
[[Category: |
[[Category:イスラム国家]] |
||
[[Category:国際連合加盟国]] |
|||
[[Category:イスラム協力機構加盟国]] |
2024年1月25日 (木) 21:54時点における版
- バーレーン王国
- مملكة البحرين
-
(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:بحريننا
我等のバーレーン -
公用語 アラビア語 首都 マナーマ 最大の都市 マナーマ - 政府
-
国王(マリク) ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ 首相 サルマーン・ビン・ハマド・アール・ハリーファ - 面積
-
総計 758km2(177位) 水面積率 極僅か - 人口
-
総計(2022年) 1,540,558[1]人(155位) 人口密度 2,032.4人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2020年) 130億5800万[2]バーレーン・ディナール - GDP(MER)
-
合計(2020年) 347億2900万[2]ドル(94位) 1人あたり 2万3589.957[2]ドル - GDP(PPP)
-
合計(2020年) 744億4500万[2]ドル(96位) 1人あたり 5万566.873[2]ドル
独立
- 日付イギリスより
1971年8月15日通貨 バーレーン・ディナール(BHD) 時間帯 UTC+3 (DST:なし) ISO 3166-1 BH / BHR ccTLD .bh 国際電話番号 973
バーレーン王国(バーレーンおうこく、アラビア語: مملكة البحرين, ラテン文字: Mamlakat al-Baḥrayn, マムラカト・アル=バフライン)、通称バーレーンは、西アジア・中東に位置し、ペルシア湾のバーレーン島および大小33の島(ムハッラク島など)からなる立憲君主制国家。首都はマナーマ。
王家のハリーファ家はクウェートのサバーハ家やサウジアラビアのサウード家と同じくアナイザ族出身でスンナ派であるが、1782年以前はシーア派以外の宗派を認めていなかったサファヴィー朝やアフシャール朝の支配下にあった経緯もあり、国民の大多数をシーア派が占める。
1994年以後、シーア派による反政府運動が激化し、2001年2月に行われた国民投票によって、絶対王政の首長制から立憲君主の王制へ移行と共に王国へ改名した。
国名
つづりや発音
正式名称はアラビア語で مملكة البحرين(ラテン文字: マムラカト・アル=バフライン, 実際には一気読みによりマムラカトゥ・ル=バフラインとなる)、通称 البحرين( / al-Baḥrain, アル=バフライン)。
2002年、バーレーン国(State of Bahrain)から現在の名称に変更した。
公式の英語表記は Kingdom of Bahrain。通称 Bahrain。国民・形容詞は Bahraini。
日本語の表記はバーレーン王国。通称バーレーン。バハレーン、バハレインと書かれることもある[3]。正則アラビア語での発音に即した学術的なカタカナでは「バフライン」になるが、日本語のフは「f」の響きを持つため実際には「バハライン」の方がアラビア語での発音に近い。
なおラテン文字転写al-Baḥraynのay部分は実際には二重母音のaiであるため、al-Baḥrainという表記もあり、全く同じ発音となる。al-Baḥraynという転写とal-Baḥrainという転写の間に特に差異は無く、アラビア文字でのつづりも全く同一である。
さらに口語アラビア語(現地方言、周辺方言など)では二重母音の発音となるay(ai)部分がエイ、エーとなるためアル=バハレイン、アル=バハレーンと読まれる。これらが日本語カタカナ表記で見られるバハレーン、バハレインの根拠となっている。
日本で用いられているバーレーンでは英語における発音を経由したために「バー」となっており、アラビア語において本来バハレーンと聞こえる口語発音の語頭Bah-部分をバフやバハではなくバーと伸ばしたカタカナ表記としたものである。
国名の意味
国名の بحرين はアラビア語で「二つの海」[注 1]という意味であり、島に湧く淡水と島を囲む海水を表すとされている。
なお、サウジアラビア東部からオマーンを含む広い範囲はアラビア語で同じく البحرين と呼ばれる(特に18世紀以前の同地域を指す時)[4]。
歴史
かつてはディルムン文明と呼ばれるエジプト文明やシュメール文明に匹敵する文化の中心地であったといわれている。15世紀ごろまでは真珠の産地であった。
- 16世紀、ペルシャの圧力を受ける中、ポルトガルが進出
- 1782年 ハリーファ家がカタールから移住。支配が始まる
- 1867年 カタール・バーレーン戦争
- 1868年 イギリス・バーレーン合意
- 1880年 イギリスの保護国となる
- 1931年 アメリカの国際石油資本スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(通称SoCal。現:シェブロン)の子会社であるBahrain Petroleum Company(BAPCO)が石油を発見
- 1968年 イギリス軍のスエズ以東撤退が発表されたのを契機に、バーレーンを含む湾岸の9首長国が連邦結成協定を結ぶ
- 1971年 バーレーン国として独立
- 1975年 議会廃止
- 1994年 - 1999年 1990年代バーレーン蜂起
- 2001年 民主化推進に向け、国民投票を実施
- 2002年 絶対君主制から立憲君主制へ移行し、国名をバーレーン王国へ改称
- 2011年 バーレーン騒乱。シーア派による反政府デモが起こる
地理
サウジアラビアの東、ペルシャ湾内にある群島。主な島はバーレーン本島・ムハッラク島・シトラ島で、バーレーンには計33の島がある[5]。国土の大半が砂漠と石灰岩に覆われている。面積は日本の琵琶湖とほぼ同程度である。
サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という全長約24kmの橋によって結ばれている。
地方行政区分
4つの県がある。2003年7月3日までは12の行政区に分けられていた。
都市
政治
政体
かつては絶対君主制で、「クウェートより危うい国」とされていたが、湾岸戦争以後、民主化を求める国民による暴動が絶えず、首長(アミール)であるシャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファの下で次々と民主化を実行し、2002年より政体を立憲君主制とし、君主の称号を国王(マリク)と改めた。シャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ首長は国王に即位した。二院制の国民議会(国王が任命する評議院と直接選挙による代議院)を設置し、内閣には国王によって任命される首相を置き、男女平等参政権や司法権の独立などの体制を整えている。
外交
外交面では中東地域の国々やイギリス、フランス、日本、アメリカを始め、多くの国と良好な関係を築いており、また親米国だが、カタールとはハワール諸島に関する領土問題がある。イラクと関係が悪かったこともあり、湾岸戦争時にミサイルで狙われたこともある。またペルシア湾を挟んで向かい合う大国イランとは、パフラヴィー朝が「バーレーンは歴史的にみてイラン(ペルシア)の領土である」と領有権を主張していたことから、同国に対して警戒心が強いとされる。イスラーム革命後は、イランが国内のシーア派を扇動して体制転覆を図るのではないかと脅威に感じており、バーレーンのスンナ派住民の間には、こうした警戒心から反イラン・反シーア派感情が強いとされる。アメリカも「敵の敵は味方」思考からスンナ派(政権側で少数派)のシーア派(国内多数)弾圧に懸念を表明しつつも、対話を促す程度にとどまってきた。
2016年1月2日にサウジアラビアがイスラム教シーア派の有力指導者を処刑したことをきっかけにサウジアラビアとイランの関係は急速に悪化し、イランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館が襲撃されたことをきっかけにサウジアラビアはイランとの国交を断絶し、これに続いてバーレーンもイランとの国交断絶を行っている[6]。
隣国サウジアラビアとは、王家が同じ部族の出身ということもあって関係が深く、実質的な保護国となっている。2011年バーレーン騒乱の際は、サウジアラビアの軍事介入によって事態が収束した。
2020年8月26日、アメリカの国務長官マイク・ポンペオがバーレーンを訪問してハリファ国王と会談。同月にアラブ首長国連邦とイスラエルが国交を結んだことを受けて、アラブ諸国に追随を促すことを目的としたものであったが、ハリファ国王は「パレスチナ国家の樹立なくしてイスラエルとの和平は実現しない」として、言外に外交関係の変更を拒否した格好となった[7]。しかし9月11日、一転してイスラエルとの国交正常化に合意した[8]。
軍事
軍事面では湾岸戦争後、アメリカと防衛協定を結び、アメリカ軍が駐留しており、第5艦隊の司令部がある。2015年には明治維新以降として初の多国籍国際合同艦隊の司令官職として、日本の海上自衛隊より任命された幹部自衛官が赴任し、当地バーレーン第5艦隊での国際協力任務を完遂した。南部の約25%がアメリカ軍基地となっている。
経済
IMFの統計によると、2011年のバーレーンのGDPは約261億ドルと推計されており[9]、日本の島根県よりやや小さい経済規模である[10]。
中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩恵で国民には所得税は無かったが、1970年ごろから石油が枯渇し始め、20年余りで完全に枯渇するという問題に直面していた。対策として給与の1%をザカートとして徴収するなど各種の税金が導入された。また資源探査を続けた結果、2018年4月1日、政府は西部沖合で国内で確認されていた埋蔵量を上回る規模の油田を発見したと発表している[11]。
隣国サウジアラビアとは橋で結ばれているため、経済的な結びつきが強い。加えて同国が事実上の鎖国体制を敷いていることやペルシャ湾の入口にあるという地理的特性を活かし、中東のビジネスの拠点、金融センターを目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開し、多国籍企業を始めとした外国資本が多数進出している。2010年9月、英国のシンクタンクのZ/Yenグループによると、バーレーンは世界第42位の金融センターと評価されており、中東ではドバイ、カタールに次ぐ第3位である[12]。
古くから真珠採取業を行っており、高品質であるとされてきたものの、日本の真珠養殖業の発展に加え世界恐慌の影響によって徐々に衰退していった。(「バーレーンの真珠採取業」を参照)
観光にも力を入れており、現在は豊かな国の一つとして数えられているが、失業率が15%超 (政府発表値約6.6%:2003年) とGDPと比べて高い。失業給付はザカートから捻出されている。
通貨単位はバーレーン・ディナール。レートは1米ドル=0.377バーレーン・ディナール(2020年7月27日現在)
交通
国営航空会社のガルフ・エアがアジアやヨーロッパ、アフリカ、オセアニア諸国に乗り入れている他、世界各国の航空会社がバーレーン国際空港に乗り入れている。日本から行く場合は、ドバイやドーハなどで乗り換えていくのが一般的である。
島国ではあるが、1986年にキング・ファハド・コーズウェイが開通、サウジアラビアとの間を車で行き来することが可能になっている。
2008年にライトレールの建設計画が公表されたが、2009年からの建設予定が度々延期が繰り返されている。
国民
2010年の調査によると、バーレーン国籍は46%(568,390人)に過ぎず、半数以上の54%(666,172人)を外国人労働者が占めている。外国人労働者の中で最大の勢力はインド人で290,000人を数える。
住民はアラブ人が7割ほどを占めている(バーレーン人が63%、その他のアラブ人が10%)。その他にイラン人が8%、アジア人(印僑など)が19%などとなっている。シーア派多数の人口構成を変えるために、パキスタンなど他のスンナ派イスラーム諸国からの移民を受け入れ、国籍を与えていると言われている。
言語
言語は公用語がアラビア語で、日常的にはバーレーン方言が話される。他にペルシア語、ウルドゥー語、ヒンディー語などが使われる。英語も広く使われている。
宗教
宗教は、バーレーン国籍保持者に限ると、イスラームが99.8%に達し国教となっている。そのうちシーア派が75%、スンナ派が25%となっている。外国籍を含むと、イスラームが70.2%にまで下がり、残りはキリスト教が14%、ヒンドゥー教が10%などとなっている。近年はインドなどからの労働者の増加により、非イスラム教の割合が増加傾向にある。少数派であるスンナ派は政治やビジネスなどの面で優遇されて支配層を形成しているのに対して、多数派であるシーア派は貧困層が多く、公務員や警察には登用されないなど差別的な待遇に不満を感じているとされる。こうした不満が、2011年バーレーン騒乱に繋がったと見る向きもある。
- 世俗的な宗教的規制
全世界からビジネスマンや観光客が来ることもあってか、サウジアラビアやイランなどの周辺国に比べると、宗教的規制はかなりゆるやかである。例えばアルコールは自由に飲むことができ、週末になると飲酒を禁じられている周辺国から酒を求めて人々が集まって盛り上がる。また、女性もヒジャブどころか顔や姿を隠す必要はない。
文化
食文化
音楽
欧米の軽音楽の聴取が自由であり、それらに影響された軽音楽がバーレーンでも製作されている。1981年にデビューしたオシリス (Osiris) はバーレーンを代表するロック・バンドで、ヨーロッパでもレコード、CDが発売されている。
女性の社会進出
女性の政治的社会進出も他の湾岸諸国に比べて進んでおり、就業率は23.5%(2001年)、大学進学率は11.8%(2001年、男子は13.2%)と高い水準を誇る[13]。
またサビーカ王妃がアラブ女性連合最高評議会の議長を務めるほか、第61回国連総会議長のハヤー・アール・ハリーファ、同国初の女性閣僚となったナダー・アッバース・ハッファーズ博士など政府の要職に女性が就くことも珍しくない。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | رأس السنة الميلادية | |
5月1日 | メーデー | يوم العمال | |
12月16日、17日 | バーレーン国祭日 | اليوم الوطني | |
ムハッラム月1日 | イスラム暦新年 | رأس السنة الهجرية | イスラム暦による移動祝日 |
ムハッラム月9,10日 | アーシューラー祭 | عاشوراء | イスラム暦による移動祝日 |
ラビーウ・アル=アウワル月12日 | 預言者生誕祭 | المولد النبوي | イスラム暦による移動祝日 |
シャウワール月1,2,3日 | ラマダーン明け祭(イード・アル=フィトル) | عيد الفطر | イスラム暦による移動祝日 |
ズー・アル=ヒッジャ9日 | アラファト・デー | يوم عرفة | イスラム暦による移動祝日 |
ズー・アル=ヒッジャ月10,11,12日 | 犠牲祭(イード・アル=アドハー) | عيد الأضحى | イスラム暦による移動祝日 |
スポーツ
サッカー
バーレーン国内ではサッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっており、1957年にプロサッカーリーグのバーレーン・プレミアリーグが創設された。バーレーンサッカー協会(BFA)によって構成されるサッカーバーレーン代表は、これまでFIFAワールドカップには未出場となっている。AFCアジアカップでは、2004年大会で初めてグループリーグを突破しベスト4の成績を収め、さらに2019年大会ではベスト16に進出した。また、ガルフカップでは2019年大会で初優勝し、西アジアサッカー選手権でも2019年大会で初優勝しており、近年は上昇基調にある。
クリケット
クリケットも人気スポーツの一つである。バーレーンのクリケットは、1932年にイギリス海軍とイギリス空軍の間の試合で始まった[14]。バーレーンクリケット連盟は、2001年に国際クリケット評議会に加盟した[14]。バーレーンの国際試合デビュー戦は1979年に行われており、2006年にクウェートで開催された中東カップで伝統国のアフガニスタンを破って優勝した[14]。バーレーンは初期の成功を経て、青少年育成プログラムを頼りに国際舞台に復帰しつつある[14]。クリケットが最も人気の地域である南アジア出身の外国人労働者が、バーレーンの人口の多くを占めていることもクリケット人気の要因の一つである。100を超えるクリケットチームが国内のリーグでプレーしている[14]。
モータースポーツ
バーレーン西部の港町であるザラク近郊の砂漠地帯であるサヒールにサーキットを建設しており、F1開催の誘致に成功した。2004年からはバーレーンGPを開催している。
陸上競技
バーレーンでは2000年代以降、ケニアやエチオピアなどのアフリカ出身の選手を多数帰化させるなど陸上競技の強化を進めており、オリンピックや世界陸上、アジア競技大会などの国際大会において優勝者や上位入賞者を輩出している。
著名な出身者
脚注
注釈
出典
- ^ “Bahrain” (英語). ザ・ワールド・ファクトブック. 2022年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月14日閲覧([1])
- ^ “大辞林 第三版 バハレーンとは”. コトバンク. 2018年1月6日閲覧。
- ^ Holes, Clive (2001). Dialect, Culture, and Society in Eastern Arabia: Glossary. pp. XIX. ISBN 9004107630
- ^ “バーレーン概観”. 外務省在バーレーン日本国大使館 (2016年4月20日). 2019年10月20日閲覧。
- ^ “バーレーン、イランと国交断絶”. ロイター (ロイター). (2016年1月4日) 2016年1月4日閲覧。
- ^ “バーレーン国王、対イスラエル関係で米国務長官の要請を言外に拒否”. AFP (2020年8月27日). 2020年8月27日閲覧。
- ^ “バーレーンもイスラエルと国交正常化、米仲介で合意”. ロイター. (2020年9月12日) 2020年9月14日閲覧。
- ^ IMFによるバーレーンのGDP
- ^ 内閣府 県民経済計算
- ^ “バーレーン、過去最大の油田発見 「既存の埋蔵量圧倒」”. AFP (2018年4月2日). 2018年4月6日閲覧。
- ^ The Global Financial Centres Index8
- ^ 駐日バーレーン王国大使館HPより
- ^ a b c d e Bahrain Cricket Federation 国際クリケット評議会 2023年9月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- その他