スエズ
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スエズ السويس | ||
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市 | ||
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座標:北緯29度58分 東経32度33分 / 北緯29.967度 東経32.550度 | ||
国 | エジプト | |
県 | スエズ県 | |
面積 | ||
• 合計 | 9,002 km2 | |
標高 | 11 m | |
人口 (2021年)[1] | ||
• 合計 | 801,894人 | |
• 密度 | 89人/km2 | |
等時帯 | UTC+3 (EGY) | |
ウェブサイト | Suez.gov.eg |
スエズ(英語:Suez、アラビア語:السويس, as-Suways、エジプト方言:es-Swēs, アラビア語エジプト方言発音: [esseˈweːs], エッセウェース)は、エジプト東部の都市でスエズ県の県庁所在地である。人口約80万人 (2019年)。紅海のスエズ湾に面し、スエズ運河の南端に位置する。製油所、化学肥料工場が多くある。カイロと国道33号や鉄道で結ばれている。スエズはメッカ巡礼に向かうムスリムたちの拠点となっている。
歴史
[編集]7世紀に現在のスエズの街の近くにあった、ギリシャ語で浣腸あるいは海の潮汐を意味する Κλύσμα に由来するラテン語名 Clysma またはトルコ語名 Kolzum、アラビア語名 القلزم, al-Qulzum として知られる町が、ナイル川と紅海を結ぶ運河の終点にあった。16世紀にはオスマン・トルコの海軍基地があった。
1869年のスエズ運河完成後、街は港としての重要性を増していった。紅海と地中海を結ぶこの運河は、イギリスと当時イギリスの植民地であったインドを喜望峰ルートよりも圧倒的に時短での貨物船の運行が可能になった。ジブラルタルと共に地中海の貴重な出入り口であるため、第二次世界大戦などで攻撃対象となった。1960年代後半と1970年代における、エジプトとイスラエルの戦争により、街は事実上破壊された。続く1967年の第3次中東戦争でも街は破壊された。1973年10月にスエズ運河が再開され、スエズの街の復興が始まった。
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “Egypt: Governorates, Major Cities & Towns - Population Statistics, Maps, Charts, Weather and Web Information”. www.citypopulation.de. 18 March 2023閲覧。
- ^ “Official portal of City of Skopje - Skopje Sister Cities”. 2013年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月14日閲覧。
関連項目
[編集]- 第二次中東戦争(スエズ危機)
外部リンク
[編集]- Suez Online Archived 2019-05-18 at the Wayback Machine.
- Suez Canal photos