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スエズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スエズ

السويس
スエズの旗
スエズの位置(エジプト内)
スエズ
スエズ
スエズの位置(下エジプト内)
スエズ
スエズ
スエズの位置(アフリカ内)
スエズ
スエズ
座標:北緯29度58分 東経32度33分 / 北緯29.967度 東経32.550度 / 29.967; 32.550
エジプトの旗 エジプト
スエズ県
面積
 • 合計 9,002 km2
標高 11 m
人口
(2021年)[1]
 • 合計 801,894人
 • 密度 89人/km2
等時帯 UTC+3 (EGY)
ウェブサイト Suez.gov.eg

スエズ英語:Suez、アラビア語:السويس, as-Suways、エジプト方言:es-Swēs, アラビア語エジプト方言発音: [esseˈweːs], エッセウェース)は、エジプト東部の都市スエズ県の県庁所在地である。人口約80万人 (2019年)。紅海スエズ湾に面し、スエズ運河の南端に位置する。製油所化学肥料工場が多くある。カイロと国道33号や鉄道で結ばれている。スエズはメッカ巡礼に向かうムスリムたちの拠点となっている。

紅海と運河沿いに市街が広がる

歴史

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7世紀に現在のスエズの街の近くにあった、ギリシャ語浣腸あるいは潮汐を意味する Κλύσμα に由来するラテン語名 Clysma またはトルコ語名 Kolzum、アラビア語القلزم, al-Qulzum として知られる町が、ナイル川と紅海を結ぶ運河の終点にあった。16世紀にはオスマン・トルコの海軍基地があった。

1869年のスエズ運河完成後、街は港としての重要性を増していった。紅海地中海を結ぶこの運河は、イギリスと当時イギリスの植民地であったインドを喜望峰ルートよりも圧倒的に時短での貨物船の運行が可能になった。ジブラルタルと共に地中海の貴重な出入り口であるため、第二次世界大戦などで攻撃対象となった。1960年代後半と1970年代における、エジプトとイスラエルの戦争により、街は事実上破壊された。続く1967年の第3次中東戦争でも街は破壊された。1973年10月にスエズ運河が再開され、スエズの街の復興が始まった。

姉妹都市

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脚注

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  1. ^ a b c Egypt: Governorates, Major Cities & Towns - Population Statistics, Maps, Charts, Weather and Web Information”. www.citypopulation.de. 18 March 2023閲覧。
  2. ^ Official portal of City of Skopje - Skopje Sister Cities”. 2013年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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