「アンティオキアの聖マルガリタ (スルバラン)」の版間の差分
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聖マルガリタは、現[[トルコ]]の[[アンティオキア]]に生まれたとされる伝説上の殉教者である。13世紀に[[ヤコブス・デ・ウォラギネ]]が著した『[[黄金伝説 (聖人伝)]]』によれば、彼女は15歳のころ、養母の羊たちの番をしていたところを通りがかった長官に見初められ、結婚を申し込まれたが、[[キリスト教]]信仰を理由に拒絶して逮捕された。マルガリタは牢屋に投げ込まれ、悪魔が龍に変じて現れ、彼女を呑み込んだが、手に持った[[十字架]]の力により龍の腹が裂け、彼女は無傷で逃れた<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="JB" /><ref name="ReferenceEL" />。 |
聖マルガリタは、現[[トルコ]]の[[アンティオキア]]に生まれたとされる伝説上の殉教者である。13世紀に[[ヤコブス・デ・ウォラギネ]]が著した『[[黄金伝説 (聖人伝)]]』によれば、彼女は15歳のころ、養母の羊たちの番をしていたところを通りがかった長官に見初められ、結婚を申し込まれたが、[[キリスト教]]信仰を理由に拒絶して逮捕された。マルガリタは牢屋に投げ込まれ、悪魔が龍に変じて現れ、彼女を呑み込んだが、手に持った[[十字架]]の力により龍の腹が裂け、彼女は無傷で逃れた<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="JB" /><ref name="ReferenceEL" />。 |
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マルガリタはスペインの教会に多い彩色された彫刻のようにしっかりと立っており、ほとんど均一な強烈な光で上方から照らされている<ref name="ReferenceEL />。マルガリタは伝承に則り、背後に龍を従えた羊飼いの姿で表されている。彼女は右手に金属製の牧杖を持っており、つば広の麦わら帽子を被って、サユエロ (sayuelo) と呼ばれる青い上着の上にペリーカ (pellica) と呼ばれる仔羊の毛皮のチョッキを羽織っている。左手には祈祷書をもち、左腕には、赤、青、黄色の縞模様が目を引くアルフォルハス (alforjas)と呼ばれる鞄を提げている<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="ReferenceEL />。研究者によれば、このアルフォルハスは[[アンダルシア地方]]西部で制作されるものと共通するという<ref name="MN" />。 |
マルガリタはスペインの教会に多い彩色された彫刻のようにしっかりと立っており、ほとんど均一な強烈な光で上方から照らされている<ref name="ReferenceEL" />。マルガリタは伝承に則り、背後に龍を従えた羊飼いの姿で表されている。彼女は右手に金属製の牧杖を持っており、つば広の麦わら帽子を被って、サユエロ (sayuelo) と呼ばれる青い上着の上にペリーカ (pellica) と呼ばれる仔羊の毛皮のチョッキを羽織っている。左手には祈祷書をもち、左腕には、赤、青、黄色の縞模様が目を引くアルフォルハス (alforjas)と呼ばれる鞄を提げている<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="ReferenceEL" />。研究者によれば、このアルフォルハスは[[アンダルシア地方]]西部で制作されるものと共通するという<ref name="MN" />。 |
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羊飼いの姿とはいえ、彼女の衣服は百姓風の衣装から粗野な要素を除いて洗練されたものになっており、貴婦人のように見える<ref name="NG" /><ref name="JB" />。帽子も、17世紀のスペインの貴婦人たちが田舎に遊山に行くときに被ったものを麦わらという粗末な素材に変えて表したものである<ref name="JB" />。なお、彼女の目と顔だちを『{{仮リンク|聖アガタ (スルバラン)|en|Saint Agatha (Zurbarán)}}』 と同じだと特定する[[美術史家]]もいる<ref name="NG" />。 |
羊飼いの姿とはいえ、彼女の衣服は百姓風の衣装から粗野な要素を除いて洗練されたものになっており、貴婦人のように見える<ref name="NG" /><ref name="JB" />。帽子も、17世紀のスペインの貴婦人たちが田舎に遊山に行くときに被ったものを麦わらという粗末な素材に変えて表したものである<ref name="JB" />。なお、彼女の目と顔だちを『{{仮リンク|聖アガタ (スルバラン)|en|Saint Agatha (Zurbarán)}}』 と同じだと特定する[[美術史家]]もいる<ref name="NG" />。 |
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スルバランの聖女像は評判を呼んだようで、それらの多くは工房の助けを借りながら制作され、スペインや[[新大陸]]各地の[[修道院]]用に大量に供給された<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="ReferenceEL />。ある場合には[[祭壇]]衝立の一部として、また、ある場合には独立した礼拝図であったらしい。本作はスルバラン自身が単独で、独立した礼拝図として制作したと考えられ<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="JB" />、画家の初期様式の優れた作例である<ref name="ReferenceEL />。とりわけ、明らかに現物を前にして描かれた生地の質感と細部は見事で、[[静物画]]に境地を見出した画家の真骨頂を示している<ref name="ReferenceEL />。 |
スルバランの聖女像は評判を呼んだようで、それらの多くは工房の助けを借りながら制作され、スペインや[[新大陸]]各地の[[修道院]]用に大量に供給された<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="ReferenceEL" />。ある場合には[[祭壇]]衝立の一部として、また、ある場合には独立した礼拝図であったらしい。本作はスルバラン自身が単独で、独立した礼拝図として制作したと考えられ<ref name="MN" /><ref name="NG" /><ref name="JB" />、画家の初期様式の優れた作例である<ref name="ReferenceEL" />。とりわけ、明らかに現物を前にして描かれた生地の質感と細部は見事で、[[静物画]]に境地を見出した画家の真骨頂を示している<ref name="ReferenceEL" />。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2024年1月11日 (木) 01:12時点における版
スペイン語: Santa Margarita de Antioquía 英語: Saint Margaret of Antioch | |
作者 | フランシスコ・デ・スルバラン |
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製作年 | 1631年ごろ |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 194 cm × 112 cm (76 in × 44 in) |
所蔵 | ナショナル・ギャラリー (ロンドン) |
『アンティオキアの聖マルガリタ』(アンティオキアのせいマルガリタ、西: Santa Margarita de Antioquía、英: Saint Margaret of Antioch )は、スペインのバロック絵画の巨匠フランシスコ・デ・スルバランが1631年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。画家による処女殉教聖女像のうちの1点で、アンティオキアの聖マルガリタが描かれている。1855年ごろ、イサベル2世 (スペイン女王) から第2代アシュバートン男爵に贈られてイギリスにもたらされた[1]。作品は、1903年に購入されて以来、ナショナル・ギャラリー (ロンドン) に展示されている[1][2][3][4]。
作品
聖マルガリタは、現トルコのアンティオキアに生まれたとされる伝説上の殉教者である。13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネが著した『黄金伝説 (聖人伝)』によれば、彼女は15歳のころ、養母の羊たちの番をしていたところを通りがかった長官に見初められ、結婚を申し込まれたが、キリスト教信仰を理由に拒絶して逮捕された。マルガリタは牢屋に投げ込まれ、悪魔が龍に変じて現れ、彼女を呑み込んだが、手に持った十字架の力により龍の腹が裂け、彼女は無傷で逃れた[1][2][3][4]。
マルガリタはスペインの教会に多い彩色された彫刻のようにしっかりと立っており、ほとんど均一な強烈な光で上方から照らされている[4]。マルガリタは伝承に則り、背後に龍を従えた羊飼いの姿で表されている。彼女は右手に金属製の牧杖を持っており、つば広の麦わら帽子を被って、サユエロ (sayuelo) と呼ばれる青い上着の上にペリーカ (pellica) と呼ばれる仔羊の毛皮のチョッキを羽織っている。左手には祈祷書をもち、左腕には、赤、青、黄色の縞模様が目を引くアルフォルハス (alforjas)と呼ばれる鞄を提げている[1][2][4]。研究者によれば、このアルフォルハスはアンダルシア地方西部で制作されるものと共通するという[1]。
羊飼いの姿とはいえ、彼女の衣服は百姓風の衣装から粗野な要素を除いて洗練されたものになっており、貴婦人のように見える[2][3]。帽子も、17世紀のスペインの貴婦人たちが田舎に遊山に行くときに被ったものを麦わらという粗末な素材に変えて表したものである[3]。なお、彼女の目と顔だちを『聖アガタ (スルバラン)』 と同じだと特定する美術史家もいる[2]。
スルバランの聖女像は評判を呼んだようで、それらの多くは工房の助けを借りながら制作され、スペインや新大陸各地の修道院用に大量に供給された[1][2][4]。ある場合には祭壇衝立の一部として、また、ある場合には独立した礼拝図であったらしい。本作はスルバラン自身が単独で、独立した礼拝図として制作したと考えられ[1][2][3]、画家の初期様式の優れた作例である[4]。とりわけ、明らかに現物を前にして描かれた生地の質感と細部は見事で、静物画に境地を見出した画家の真骨頂を示している[4]。
脚注
- ^ a b c d e f g 『Masterpieces from the National Gallery, London ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』、2020年、154貢。
- ^ a b c d e f g “Saint Margaret of Antioch”. ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 公式サイト (英語). 2023年12月31日閲覧。
- ^ a b c d e ジョナサン・ブラウン 1976年、104-106貢。
- ^ a b c d e f g エリカ・ラングミュア 2004年、263-264項
参考文献
- 『Masterpieces from the National Gallery, London ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』、2020年刊行、国立西洋美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、読売新聞社、日本テレビ放送網 ISBN 978-4-907442-32-3
- ジョナサン・ブラウン 神吉敬三訳『世界の巨匠シリーズ スルバラン』、美術出版社、1976年刊行 ISBN 4-568-16038-3
- エリカ・ラングミュア『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド』高橋裕子訳、National Gallery Company Limited、2004年刊行 ISBN 1-85709-403-4