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'''長野県市田村一家7人殺害事件'''(ながのけんいちだむらいっかしちにんさつがいじけん)は、[[1946年]]([[昭和]]21年)[[5月9日]]に[[長野県]][[下伊那郡]][[市田村 (長野県)|市田村]]大島山(現:[[高森町 (長野県)|高森町]]大島山)で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]事件である<ref name="読売新聞1961-05-09">『[[読売新聞]]』1961年5月9日東京朝刊第8版南信讀賣7頁「“一家七人殺し”警察の黒星に ついにきょうで時効」([[読売新聞東京本社]]・[[飯田市|飯田]]通信部)</ref>。就寝中の一家7人が薪割りで殴殺され、玄米4俵と精米15 [[キログラム|kg]]が盗まれた<ref name="読売新聞1961-05-09"/>。[[長野県警察]]が発行する資料では'''市田村一家七人殴殺強盗事件'''と呼称される{{Sfn|長野県警察史|1958|p=185}}{{Sfn|永井誠吉|1977|p=218}}。 |
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== 関連書籍 == |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書 |title=長野県警察史 犯罪編 |publisher=長野県警察本部 |date=1958-07-01 |pages=185-188 |ref={{SfnRef|長野県警察史|1958}} |editor=長野県警察本部警務部警務課 |ncid=BN05867441 |chapter=第二章 県下に発生した重要特異犯罪 > 第二節 昭和時代(戦後) > 市田村一家七人殴殺強盗事件 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/3001557/1/103 |doi=10.11501/3001557 |id={{NDLJP|3001557/1/103}}}} |
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2023年11月12日 (日) 14:49時点における版
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下書き:長野県市田村一家7人殺害事件
長野県市田村一家7人殺害事件 | |
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場所 | 日本:長野県下伊那郡市田村大字大島山976番地[1] |
座標 |
長野県市田村一家7人殺害事件(ながのけんいちだむらいっかしちにんさつがいじけん)は、1946年(昭和21年)5月9日に長野県下伊那郡市田村大島山(現:高森町大島山)で発生した強盗殺人事件である[2]。就寝中の一家7人が薪割りで殴殺され、玄米4俵と精米15 kgが盗まれた[2]。長野県警察が発行する資料では市田村一家七人殴殺強盗事件と呼称される[3][4]。
事件当時は「戦後県下で最もむごたらしい殺人事件」と言われ、長野県警察が懸命に捜査を行ったが、物的証拠が乏しかったことなどから捜査は難航、未解決のまま事件発生から15年後の1961年(昭和36年)5月9日、戦後県内で発生した殺人事件としては初めて公訴時効を迎えた[2]。
長野県では当時、終戦直後の極度の生活難と食料不足を背景とした凶悪犯罪が続発していた[5]。
現場の家は市田村大島部落の北西部に位置する一軒家で、間口7間、奥行き3間半の平屋木造建て(板葺屋根)だった[1]。殺害された被害者は女性A2(当時38歳)と長男A3(同12歳)・次男A4(同9歳)・長女A5(同6歳)・三男A6(同3歳)の母子5人、そして同居人の女性B1(同25歳)と女児B2(同3歳)を含む計7人である[6]。
関連書籍
- 横川博巳 著「市田村一家七人殴殺事件」、信濃毎日新聞社開発局出版部 編『長野県百科事典』信濃毎日新聞社、1974年1月20日、52頁。doi:10.11501/12155193。 NCID BN01567082。NDLJP:12155193/1/33 。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 長野県警察本部警務部警務課 編「第二章 県下に発生した重要特異犯罪 > 第二節 昭和時代(戦後) > 市田村一家七人殴殺強盗事件」『長野県警察史 犯罪編』長野県警察本部、1958年7月1日、185-188頁。doi:10.11501/3001557。 NCID BN05867441。NDLJP:3001557/1/103 。
- 桜井袈裟慶 著、横川博巳 編『長野県犯罪実話集捕物秘話 第6集』防犯信州社、1967年8月15日、117-138頁。doi:10.11501/2994224。NDLJP:2994224/1/66 。
- 永井誠吉『長野県警百年の歴史』サンケイ新聞社、1977年3月1日。doi:10.11501/9770089。 NCID BA55394791。NDLJP:9770089 。