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「ボーイスカウト日本連盟」の版間の差分

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{{otheruseslist|日本におけるボーイスカウトの全国団体|全世界的視点でのボーイスカウト|スカウト運動|日本でのボーイスカウト|日本におけるスカウティング}}
{{出典の明記|date=2022年8月}}
{{Infobox 組織
{{Infobox 組織
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|設立 = [[1922年]]([[大正]]11年)[[4月13日]]<ref name="outline">{{Cite web |title=団体概要 |url=https://www.scout.or.jp/about/outline |website=ボーイスカウト日本連盟 |date=2023-11-01 |access-date=2023-12-24 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20231219124053/https://www.scout.or.jp/about/outline |archive-date=2023-12-19}}</ref>
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|会員数 = 77,780人{{Sfn|組織拡充資料|2024|p=3}}<br />(2024年3月31日現在)
|会員数=104,086人<br>2018年(平成30年)<br>3月31日現在<ref>[https://www.scout.org/sites/default/files/library_files/Grand%20Total%20Membership%20with%20Genders%20at%2031%20Dec%202016_0.pdf]WOSMより</ref>
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|leader_title = 理事長
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|設立者 = [[後藤新平]]
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|予算 = 8億8826万4868円<ref>{{Cite web |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2024/06/2024Budget.pdf |title=正味財産増減予算書 |year=2024 |access-date=2024-07-05 |publisher=ボーイスカウト日本連盟}}</ref><br />(2024年度)
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{{Infobox WorldScouting
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| caption = 初代総長[[後藤新平]]
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'''公益財団法人ボーイスカウト日本連盟'''(ボーイスカウトにっぽんれんめい、{{lang-en|Scout Association of Japan}}は、「世界スカウト機構憲章に基づき、日本における[[ボーイスカウト]]運動を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の増進を図り、青少年の健全育成に寄与すること」を目的とする<ref>[http://www.scout.or.jp/org/about_us.html 団体概要]より。</ref>[[文部科学省]]所管の[[公益法人]]([[財団法人]])である。
'''公益財団法人ボーイスカウト日本連盟'''(ボーイスカウトにっぽんれんめい、{{Lang-en-short|Scout Association of Japan}}、略称: SAJ)は、「[[世界スカウト機構]]憲章に基づき、日本における[[スカウト運動|ボーイスカウト運動]]を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の増進を図り、青少年の健全育成に寄与すること」を目的とする<ref name="outline" />[[文部科学省]]所管の[[公益法人]]([[財団法人]])である。2024年3月31日現在の加盟員数は77,780人{{Sfn|組織拡充資料|2024|p=3}}


イギリスで始まったスカウト運動は、[[秋月左都夫]]や[[北条時敬]]、[[蒲生保郷]]などにより日本に紹介された。その後、{{仮リンク|クラレンス・グリフィン (スカウティング)|en|Clarence Griffin (Scouting)|label=クラレンス・グリフィン}}などの外国人がボーイスカウト団体を結成した。そして、[[1912年]]のベーデン=パウエルの日本訪問により、日本各地で「[[少年団]]」が発足した。1922年4月13日、静岡県で開催された「第1回全国少年団大会」において、「少年団日本連盟」の結成が決議され、翌年の[[1923年]]、[[関東大震災]]時にはスカウトが奉仕活動を展開した。[[太平洋戦争]]の終戦直後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]はボーイスカウトの再建運動を許可しなかったが、少年団の指導者や[[日系2世]]のボーイスカウト出身者、GHQの[[民間情報教育局]](CIE)の協力の上、1947年には一部の地域で試験的にスカウト活動が再開された。そして、[[1949年]]4月には、財団設立認可が下り、「財団法人ボーイスカウト日本連盟」が再発足した。[[1950年]]7月1日、日本連盟が国際事務局に復帰し、[[1956年]]には[[第1回日本ジャンボリー]]が開催された。また、[[1971年]]には日本初の[[世界ジャンボリー]]である[[第13回世界ジャンボリー]]が開催された。[[1995年]]には全部門への女子の加入が認められた。2022年にはボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典が開催された。
== モットー・記章 ==
;モットー:そなえよつねに
;記章:[[フルール・ド・リス]]に[[八咫鏡|鏡]]を重ねた図案に、モットーが組み合わさっている


日本連盟は、[[世界スカウト機構]]に加盟している。日本連盟の加盟員の区分として、ビーバースカウト(小学校1年生 - 小学校2年生)、カブスカウト(小学校3年生 - 小学校5年生)、[[ボーイスカウト]](小学校6年生 - 中学校3年生)、[[ベンチャースカウト]](中学校3年生9月 - 高校3年生)、[[ローバースカウト]](18歳以上25歳以下)がある。日本連盟の目標は、ボーイスカウトの組織を通じ、青少年がその自発活動により、自らの健康を築き、社会に奉仕できる能力と人生に役立つ技能を体得し、かつ、誠実、勇気、自信および国際愛と人道主義を把握し、実践できるよう教育することである。[[スカウト教育法]]では、「ちかい」と「おきて」の実践、班制教育、進歩制度、野外活動を取り入れている<ref name="method">{{Cite web |title=この運動の目指すものとその教育法 |url=https://100th.scout.or.jp/education_method/ |website=ボーイスカウト日本連盟100周年特設サイト |access-date=2023-12-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231226030524/https://100th.scout.or.jp/education_method/ |archive-date=2023-12-26}}</ref>。日本連盟の組織形態は、日本連盟、都道府県連盟、地区、団、隊という形である。加盟員数は[[1983年]]をピークとして、減少しており、2023年度は1983年の23.4%であった。
それぞれの意味について、[[二荒芳徳]]伯爵(当時)は[[1924年]]([[大正]]13年)に次のように解説している{{Sfn|二荒芳徳|1924|pp=5-6}}。
*モットーには、積極的(動的な備え)、消極的(静的な備え)の両面の意味がある。
*「少年団日本連盟」時代の徽章{{efn|[[三種の神器]](鏡・剣・璽)を用い、フルール・ド・リスの左右が璽(勾玉)、中央が剣([[天叢雲剣]])となったものに鏡([[八咫鏡]])が重ねられた図案となっていた。}}の主要なモチーフである[[三種の神器]]は、「民族の理想信念を象徴」するものであり、古来から大切にされてきた品々である。こうした歴史・文化を学ぶことが日本人にとって重要である。特に、鏡が日本神話において[[天照大神]]の魂が宿るとされ、人々が真剣かつ真面目に尊重した故事に鑑み、この徽章を帽子や胸に掲げて活動することは「日本人が一心同体の修養と親和協同の感情を錬る」という少年団(当時)の眼目に相応しいものである。


== 歴史 ==
鏡・剣・璽のうち鏡だけが、内省の意味を込めて、現在も存続している。

=== 設立までの前史 ===
[[1908年]]1月の「[[スカウティングフォアボーイズ]]」の出版によって広まったスカウト運動の広がりは、同年[[イギリス]]に滞在していた[[秋月左都夫]]公使により、[[日本政府]]に紹介された{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。当時の[[文部大臣]]であった[[牧野伸顕]]は、[[広島高等師範学校]](現在の[[広島大学]])の校長だった[[北条時敬]]に[[ボーイスカウト]]の調査を依頼した{{Sfn|阪下朝一|2003|p=3}}{{Sfn|SCOUTING|2000|p=6}}。北条はイギリス各地を回り、この運動の原因を調査し、本や制服を買い揃え、翌年に日本に帰国した{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。その後、広島高等師範学校で講演会や展覧会を行い、当時の内閣に対してボーイスカウト運動の導入を働きかけた{{Sfn|阪下朝一|2003|p=3}}。しかし、内閣が代わり、この提案は拒否された{{Sfn|阪下朝一|2003|p=3}}。そこで自身で同行付属中学校の校外活動にスカウティングを導入し、全国各地で[[スカウト教育法]]についての講演を行った{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。1910年には[[文部省]][[視学制度|督学官]]として英国留学から帰国した[[蒲生保郷]]が、英国ボーイスカウトに関する書籍を[[桂太郎]]首相と[[小松原英太郎]][[文部大臣]]に贈呈し、政府に「日本でも少年団活動を検討すべし」との建白書を提出した{{Sfn|阪下朝一|2003|p=3-4}}。 また、「スカウティングフォアボーイズ」は、1910年に参謀本部の翻訳官であった榎本恒太郎が「少年兵団」の題名で刊行した{{Sfn|阪下朝一|2003|p=4}}。

スカウト運動に関心を寄せていた[[乃木希典]]大将は、[[1911年]]のイギリス訪問時に、[[ロンドン]]にてボーイスカウトの集会を視察し、[[ロバート・ベーデン=パウエル]]卿とも会見した{{Sfn|阪下朝一|2003|p=5}}。その時に行われた[[スピーチ]]は、後にベーデン=パウエルの書物に引用された{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。また、同年には[[神奈川県]][[横浜市]]在住の実業家であり、日曜学校の教師でもあった英国人{{仮リンク|クラレンス・グリフィン (スカウティング)|en|Clarence Griffin (Scouting)|label=クラレンス・グリフィン}}がイギリススカウト連盟の外国支部として「横浜第一隊」を結成した。メンバー構成は、英国人12名、米国人3名、デンマーク人2名、ノルウェー人1名で、「グリフィン隊」とも呼ばれた。これは、現在の[[国際ボーイスカウト第1団]]で、「日本初の公認のボーイスカウト団体<ref>{{Cite web |title=International Boy Scouts, Troop 1 - Yokohama, Japan |url=http://www.troop1.net/top.html |website= |accessdate=2024-01-17 |publisher=[[国際ボーイスカウト第1団]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20231007044213/http://www.troop1.net/top.html |archive-date=2023-10-07}}</ref>」とされている。その他、[[兵庫県]][[神戸市]]在住のイギリス人[[牧師]]フレデリック・ウォーカーがウォーカー隊(米国人を主とした27名)を結成した<ref>{{Cite journal|author=矢口徹也|year=2007|title=第8章 女子補導団活動の実際-地方における展開|url=https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/10853/files/Honbun-4619_10.pdf|journal=女子補導団の研究|page=152|language=ja|accessdate=2024-01-16}}</ref>。[[1912年]]、ベーデン=パウエルが世界一周旅行の最中、夢に出てきた[[聖パウロ]]の「きみはあのすばらしい国、日本にいったか」という一言により、日本にも訪問した{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。6日間の滞在中、日本には正式なボーイスカウトの組織ができていなかったため、横浜第一隊(グリフィン隊)を視察した{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。また、日本訪問によって日本各地で「[[少年団]]」が発足した{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=400}}。

[[ファイル:Nippon Kenjidan (Scout Association of Japan).png|サムネイル|日本連盟の前身である「日本健児団」の印鑑]]
[[1916年]]8月、京都少年義勇軍によって日本のボーイスカウト団体による初野営(キャンプ)が[[琵琶湖]]畔の雄松崎([[滋賀県]][[志賀町 (滋賀県)|志賀町]])で行われた{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=401}}。[[1920年]]に、ロンドンで開催された{{仮リンク|第1回世界ジャンボリー|en|1st World Scout Jamboree}}に、日本からは「東京少年団」の[[小柴博]]、「北海道岩内少年団」の[[下田豊松]]、[[国際ボーイスカウト第1団]](「横浜インターナショナル隊」)の鈴木慎(鈴木リチャード)の3名が参加した{{Sfn|小町國市|1997|p=17}}。小柴と下田の2人は5月11日に[[横浜港]]を出発し、船上にて偶然知り得た鈴木と共にイギリスへ向かった{{Sfn|小町國市|1997|p=17}}。鈴木は開会式で日本のプラカードを掲げた<ref>{{Cite book |title=The Jamboree Book, 1920 |publisher=The Scout Association |year=1920 |location=London, England |pages=10}}</ref>{{Sfn|小町國市|1997|p=33}}。また、8月1日の日曜日に[[ウエストミンスター寺院]]にて礼拝した後に、ロンドンの行進イベントに参加した際、沿道からは「JAPAN」、「JAPAN」と連呼され、歓声の声が上がった{{Sfn|小町國市|1997|p=33}}。


== 沿革 ==
* [[1908年]]([[明治]]41年) - 日本にボーイ[[スカウト運動]]が伝わる。
*: 駐[[ベルギー]]日本大使だった[[秋月左都夫]]が、[[英国]]ボーイスカウトについての情報を日本に報告。
*: [[広島高等師範学校]](現在の[[広島大学]])の校長だった[[北条時敬]]が、万国道徳会議出席のためイギリス訪問の際にスカウト運動についての調査を行い、帰国後、[[広島県]]などでスカウト運動に関する講演などを行う。
* [[1910年]](明治43年) - [[文部省]][[視学制度|督学官]]として英国留学から帰国した[[蒲生保郷]]が、英国ボーイスカウトに関する書籍を[[桂太郎]]首相と[[小松原英太郎]][[文部大臣]]に贈呈し、政府に「日本でも少年団活動を検討すべし」との建白書を提出する。
* [[1911年]](明治44年)
** [[ロバート・ベーデン=パウエル]]卿(以下 B-Pと表記することあり)が訪英中の[[乃木希典]]大将と会見。乃木は帰国後に[[片瀬海岸]]([[神奈川県]][[藤沢市]])でボーイスカウト式[[キャンプ]]を実施。
** 「横浜第一隊」:[[神奈川県]][[横浜市]]在住の実業家であり、日曜学校の教師でもあった英国人クレアランス・グリフィン (Clarence Griffin) がイギリススカウト連盟の外国支部として結成。メンバー構成は、英国人12名、米国人3名、デンマーク人2名、ノルウェー人1名で、「グリフィン隊」とも呼ばれた。これは、現在の[[国際ボーイスカウト第1団]] (International Boy Scouts, Troop 1; IBS) で、「日本初の公認のボーイスカウト団体<ref>{{Cite web|title=International Boy Scouts, Troop 1 - Yokohama, Japan|url=http://www.troop1.net/top.html|website=www.troop1.net|accessdate=2020-11-02}}</ref>」とされている。
** [[兵庫県]][[神戸市]]在住のイギリス人[[牧師]]フレデリック・ウォーカーがウォーカー隊(米国人を主とした27名)を結成。
* [[1912年]](明治45年) - 4月、世界一周旅行中のB-Pが日本を訪問。横浜第一隊(グリフィン隊)を視察。
* [[1913年]]([[大正]]2年) - [[東京都|東京]]で小柴博らによって「少年軍」が設立(この“軍”は、いわゆる軍隊ではなく、[[救世軍]]を意図したもの)。大阪基督教青年会 ([[キリスト教青年会|YMCA]]) 内でジョージ・グリーソン (George Gleason) によりスカウト活動を展開(「大阪少年義勇団」の母体)。
* [[1914年]](大正3年)
** 8月、[[深尾韶]]が[[静岡県]]で「静岡少年団」を創設。
** 9月5日、「大阪少年義勇団」が正式に発会。
** 12月、東京の「少年軍」が「東京少年団」に改称。
* [[1915年]](大正4年) - 11月1日、[[大正天皇]]即位大礼の記念事業として、少年に対する社会教育事業の創設の議が有志者の間に起こり、その一環として「京都少年義勇軍」の結団式が[[平安神宮]]で行われる。
* [[1916年]](大正5年) - 8月、京都少年義勇軍によって日本のボーイスカウト団体による初野営(キャンプ)が[[琵琶湖]]畔の雄松崎([[滋賀県]][[志賀町 (滋賀県)|志賀町]])で行われる(「日本ボーイスカウト初野営の地」として記念碑が建てられている)。
* [[1917年]](大正6年) - 訪英した[[二荒芳徳]]がスカウト本部を訪問。
* [[1920年]](大正9年) - 第1回[[世界ジャンボリー]]([[英国]]の[[ロンドン]]で開催)。
*: 日本からは「東京少年団」の[[小柴博]]、「北海道岩内少年団」の[[下田豊松]]、[[国際ボーイスカウト第1団]][[:en:International Boy Scouts, Troop 1|(「横浜インターナショナル隊」]])の[[鈴木慎]](鈴木リチャード)の3名が参加。
* [[1921年]](大正10年) - [[ロンドン]]において、[[皇太子裕仁親王の欧州訪問|欧州訪問中の皇太子裕仁親王]](後の[[昭和天皇]])にB-Pが謁見し、英国ボーイスカウトの最高功労章であるシルバーウルフ章を贈呈する。
[[File:Japanese Boy Scouts, Yokohama.jpg|thumb|250px|1922年頃]]
[[File:Japanese Boy Scouts, Yokohama.jpg|thumb|250px|1922年頃]]
翌年の[[1921年]]、少年団の全国統一組織である「日本健児団」を創設し、正式加盟国として、英国の国際本部に登録した{{Sfn|小町國市|1997|p=18}}。同年、ロンドンにおいて、[[皇太子裕仁親王の欧州訪問|欧州訪問中の皇太子裕仁親王]](後の[[昭和天皇]])にベーデン=パウエルが謁見し{{Sfn|小町國市|1997|p=49}}、英国ボーイスカウトの最高功労章である[[シルバー・ウルフ章]]を贈呈した{{Sfn|阪下朝一|2003|p=4}}{{efn|日本人初。日本人の受賞は後の[[佐野常羽]]の2人のみ{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=401}}。}}。また、ベーデン=パウエルは「ボーイスカウトの精神は、日本[[武士道]]の精神の真髄を採用して行っている」といった意味の事柄も回答した{{Sfn|阪下朝一|2003|p=4}}。
* [[1922年]](大正11年)
{{Quote|ここに予が、かねてより聞き及んでいたエジンバラ市少年斥候隊の盛大な会合を見ることを得たのは大なる喜びとするところである。先に予がロンドンを去らんとする前日、諸子の最も尊敬する少年斥候隊長ベーデン=パウエル中将は親しく予を訪問して、この運動が世界の人々は同胞であるという精神をもっており、然してこの運動の成功は、やがて世界永久の平和を建設するに貢献することが少なくないであろうと告げた。予はこの如く美しい精神を保持するこの運動が、当然収むべきあらゆる成功を勝ち得ることを切に祈ると共に、最近日本において同じ目的をもって起った少年団運動が、時を追うて今日ここに見るような進歩の域に達し、この運動の目的とする貴い使命を実現するに協力せんことを望むものである|皇太子裕仁親王<ref name="history">{{Cite web |title=100年間の歴史 |url=https://100th.scout.or.jp/history/ |website=ボーイスカウト日本連盟100周年特設サイト |access-date=2023-12-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231223065824/https://100th.scout.or.jp/history/ |archive-date=2023-12-23}}</ref>}}
** 4月13日-14日、[[静岡県|静岡]]で第1回全国少年団大会が開催され、ボーイスカウト、各地の子供会、宗教少年部、日曜学校少年団などが統合され'''「少年団日本連盟」'''が発足。[[後藤新平]]総裁就任。[[二荒芳徳]]理事長就任。[[三島通陽]]副理事長就任。
これが日本でも報道され、スカウト連盟結成の機運が高まった{{Sfn|阪下朝一|2003|p=4}}。翌年1922年4月、[[静岡県|静岡]]で第1回全国少年団大会が開催され<ref>{{Cite journal|和書|author=中山弘之|year=1999|title=1920年代前半期文部省における少年団論に関する一考察|journal=日本社会教育学会紀要|volume=35|page=92|doi=10.34530/bjssace.35.0_87}}</ref>、日本各地から123名の首脳代表が集結し、規約草案の可決が行われた{{Sfn|小町國市|1997|p=18}}。そして、ボーイスカウト、各地の子供会、宗教少年部、日曜学校少年団などが統合され、「少年団日本連盟」が発足し、[[後藤新平]]が総裁に就任した{{Sfn|小町國市|1997|p=18}}<ref name="ennyu">{{Cite journal|author=圓入 智仁|year=2017|title=少年団による関東大震災後の活動 : 「野外少国民学校」の取り組み|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282812555525632|journal=中村学園大学・中村学園大学短期大学部 研究紀要|issue=49|page=111|language=ja|accessdate=2024-01-16}}</ref>。同月、英国[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード・アルバート皇太子]]を迎え、東京で全国少年団員団技大会が開催された{{Sfn|阪下朝一|2003|p=4}}。1922年後半には日本の世界スカウト機構への加盟を認められた<ref>{{Cite web |title=Scout Association of Japan |url=http://www.scout.or.jp/e/history.html |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20111004194443/http://www.scout.or.jp/e/history.html |archive-date=2011-10-04 |access-date=2011-09-27}}</ref>。
** 4月15日-17日、英国[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード・アルバート皇太子]]を迎え、東京で全国少年団員団技大会を開催。
**日本連盟、国際事務局に登録。
* [[1923年]](大正12年)
** [[関東大震災]]。少年団日本連盟による救援・奉仕活動が行われる。
** [[兵庫県]][[神戸市]]に日本人が組織した最初のウルフカブである「須磨向上会ウルフカブ」が誕生。
** 副理事長の[[三島通陽]]の妻の純らが中心となり、「少年団日本連盟」の女子向け組織([[ガールスカウト]]組織)として、「日本女子補導団」が設立。
* [[1924年]](大正13年)
** 第2回世界ジャンボリー([[デンマーク]]の[[コペンハーゲン]]で開催)および第3回国際会議に三島通陽ら24名参加。ボーイスカウト国際事務局に正式加盟。その後、[[佐野常羽]]がギルウェル実修所に入所。(日本人初)
** 8月、[[福島県]]で第1回全国野営大会を開催。後藤新平総裁を初代総長に推戴。
** 12月、連盟歌『花は薫るよ』(作曲:[[山田耕筰]]、作詞:[[葛原しげる]])を採用。少年団日本連盟に「海洋部」を創設。
* [[1925年]](大正14年)
** 第1回指導者訓練所を[[山中湖]]畔で開設。
** '''ちかい'''(宣誓)と'''おきて'''を制定。
** 『少年団教範』(初の『スカウティング・フォア・ボーイズ』全訳)出版。
* [[1928年]]([[昭和]]3年) - 日本連盟加盟規則の改訂。これにより、連盟に加盟する団体を3つ(ボーイスカウトの宣誓とおきてを採用した諸団体、前項と同様の海洋諸団体(後の[[海洋少年団]])、それ以外の団体)に分ける、いわゆる“三部制”がしかれる。
* [[1929年]](昭和4年) - 第3回世界ジャンボリー([[英国]]の[[バーケンヘッド]]で開催)に佐野常羽以下28名が参加。
* [[1931年]](昭和6年) - [[佐野常羽]]がB-Pよりシルバーウルフ章を贈られる(同章を受けた日本人は昭和天皇と佐野の2名のみである)。
* [[1932年]](昭和7年) - "三指礼問題"が勃発(当時の反米反英世論にのった軍関係者が、「[[敬礼]]とは五指であるべきで、英国かぶれの三指礼はやめるべきだ」とボーイスカウトの三指礼を批判・攻撃。同年10月20日の[[大阪毎日新聞]]に同趣旨の記事が掲載される)。
* [[1935年]](昭和10年) - 7月、少年団日本連盟が財団法人化して'''「大日本少年団連盟」'''に改称。
* [[1938年]](昭和13年) - 海洋健児部が「大日本海洋少年団連盟」として分離発足。
* [[1941年]](昭和16年)
**1月、政府の方針により、大日本少年団連盟、大日本青年団(現[[日本青年団協議会]])、大日本連合女子青年団、帝国少年団協会を解体し'''「大日本青少年団」'''に統合。初代団長は文部大臣[[橋田邦彦]]。大日本少年団連盟は解散し、全国の少年団は大日本青少年団に統合された。
**12月8日、[[真珠湾攻撃]]と[[マレー作戦]]を受けたアメリカ・イギリスが対日宣戦、[[太平洋戦争]]が勃発。
* [[1942年]](昭和17年) - 6月、大日本青少年団が[[大政翼賛会]]の傘下となる。少年団体の統合に反対し、「財団法人大日本少年団連盟」は主に財産管理のため'''「財団法人健志会」'''に名称変更し存続させた。
* [[1945年]](昭和20年)
** 6月、大日本青少年団が解散し、全団員は「大日本学徒隊」に再編される。
** 8月15日、[[第二次世界大戦]]が終戦([[日本の降伏]])。
* [[1946年]](昭和21年)
** 2月、[[三島通陽]]らがボーイスカウトクラブの研究会を開催。
** 12月、[[民間情報教育局]](CIE)が関東におけるボーイスカウト運動の再建を承認。
* [[1947年]](昭和22年) - 1月、[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ/SCAP) の許可を受け、東京と横浜で活動再開([[連合国軍占領下の日本]])。
* [[1949年]](昭和24年)
** 4月、財団法人健志会を基として財団設立認可が下り、'''「財団法人ボーイスカウト日本連盟」'''が再発足。(通常総会で[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー元帥]]を名誉総長に推挙)
** 9月、全日本ボーイスカウト大会(後の[[日本ジャンボリー]])が[[皇居]]前広場で開催。
* [[1950年]](昭和25年)
** 6月30日、ボーイスカウト国際連盟に復帰。
** 10月、三島通陽が三島家別荘([[栃木県]][[那須塩原市]])の土地と家屋を日本連盟に譲渡し、11月に[[那須]]野営場が開設される。
* [[1951年]](昭和26年) - 三島通陽が第4代総長に就任。1級スカウトの上に菊、隼、不二(富士)スカウトが出来る。
* [[1952年]](昭和27年) - カブ、シニアー、ローバーの各プログラムを制定。
* [[1956年]](昭和31年) - 第1回日本ジャンボリー開催([[長野県]][[軽井沢町]])。
* [[1958年]](昭和33年) - 団制度開始。
* [[1959年]](昭和34年) - 第2回日本ジャンボリー開催([[滋賀県]]あいばの)。
* [[1962年]](昭和37年)
** B-P夫人[[オレブ・ベーデン=パウエル]]が来日。訪日は[[1962年]](昭和37年)と[[1966年]](昭和41年)の2回。
** 第3回日本ジャンボリー<アジア・ジャンボリー>開催([[静岡県]]御殿場)。
* [[1964年]](昭和39年) - [[1964年東京オリンピック]]・[[1964年東京パラリンピック]]奉仕(各競技会場内外の参加国旗の一斉掲揚や聖火リレーコースの清掃等)。
[[File:Asahi-Journal-1967-11-05-1.jpg|thumb|250px|<small>ボーイスカウトと指導者(『[[朝日ジャーナル]]』1967年11月5日号より)</small>]]
* [[1966年]](昭和41年) - 第4回日本ジャンボリー開催([[岡山県]]日本原)。
* [[1970年]](昭和45年)
** ボーイスカウト会館設立([[東京都]][[三鷹市]])。
** 第5回日本ジャンボリー開催([[静岡県]][[朝霧高原]])。
** [[日本万国博覧会|大阪万博]]奉仕。
* [[1971年]](昭和46年)
** 8月、第13回[[世界ジャンボリー]]日本で開催([[静岡県]][[富士宮市]])。[[富士山麓]][[朝霧高原]]に87カ国約23,000人の青少年が集った。その跡地には[[静岡県立朝霧野外活動センター]]が建立されている。
** 第23回世界スカウト会議開催([[東京プリンスホテル]])。[[昭和天皇]]臨席。
* [[1972年]](昭和47年)
** ボーイスカウト日本連盟創立50周年事業。記念パレードが東京・銀座で実施された。
** 沖縄のボーイスカウトが日本連盟へ正式移管される。
* [[1973年]](昭和48年) - 第1回日本アグーナリー(国際障がいスカウトキャンプ大会)開催([[愛知青少年公園]]、現在:[[愛・地球博記念公園|愛・地球博公園]])。
* [[1974年]](昭和49年) - 第6回日本ジャンボリー開催([[北海道]]千歳原)。
* [[1976年]](昭和51年) - 第2回日本アグーナリー開催(愛知県青少年公園)。
* [[1978年]](昭和53年) - 第7回日本ジャンボリー開催([[静岡県]][[御殿場]])。
* [[1979年]](昭和54年) - 第3回日本アグーナリー開催([[大阪府]]長居公園)。
* [[1982年]](昭和57年)
** ボーイスカウト運動創立75周年・ボーイスカウト日本連盟創立60周年記念事業実施。
** 第8回日本ジャンボリー開催([[宮城県]]南蔵王)。
* [[1983年]](昭和58年)
** 第4回日本アグーナリー開催([[兵庫県]]嬉野台生涯教育センター)。
** 加盟員数ピーク(33万人を超える)。
* [[1984年]](昭和59年) - 第1回シニアースカウト大会(日本ベンチャー)開催(南[[蔵王]]山麓)。
* [[1986年]](昭和61年)
** ビーバースカウト部門が導入される。
** 第9回日本ジャンボリー開催([[宮城県]]南蔵王)。
* [[1987年]](昭和62年) - 第5回日本アグーナリー開催([[静岡県]]中央青年の家)。
* [[1988年]](昭和63年) - 12項目あった「おきて」が8項目に整理統合される。
{{quotation|
: ちかい
:私は、名誉にかけて、次の3条の実行をちかいます。
:1.神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります。
:1.いつも、他の人々をたすけます。
:1.からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。


=== 設立後 ===
: おきて
[[1923年]]、[[関東大震災]]時にスカウトが奉仕活動を展開した<ref name="ennyu" />。全国の少年団から被災児童に救援品、教科書、文房具や慰問文などが送られ、それらを野外少国民学校の子どもたちに配給した<ref name="ennyu" />。また、[[文部省]]内にあった少年団日本連盟の事務所が震災によって全焼した<ref name="ennyu" />。[[1924年]]の第2回世界ジャンボリー([[デンマーク]]の[[コペンハーゲン]]で開催)および第3回国際会議に三島通陽ら24名が参加した。同年には、ボーイスカウト国際事務局に正式加盟した<ref>{{Cite web |title=Letter of 1950 from R. T. Lund, Secretary BSIB |url=http://www.troop1.net/history/images_doc/Ltr%201950%20BSIB%20Lund.jpg |access-date=2024-01-17 |publisher=International Boy Scouts |archive-url=https://web.archive.org/web/20231218064448/http://www.troop1.net/history/images_doc/Ltr%201950%20BSIB%20Lund.jpg |archive-date=2023-12-18}}</ref>。その他、[[佐野常羽]]がギルウェル実修所に日本人として初めて入所した。また、機関紙『少年団研究』が発刊された<ref name="video1">{{Cite video|和書|title=ボーイスカウト日本連盟 100周年記念ムービー|date=2023-01-05|url=https://www.youtube.com/watch?v=LPIva0akhEg|time=2:00|publisher=ボーイスカウト日本連盟|publication-date=2023-01-05|work=YouTube|archiveurl=https://web.archive.org/web/20240409064727/https://www.youtube.com/watch?v=LPIva0akhEg|archivedate=2024-04-09}}</ref>。11月14日・15日に開催された第一回全国総会において後藤新平が総長に推戴され、[[山田耕筰]]が作曲し、[[葛原しげる]]が作詞した連盟歌『花は薫るよ』が採用された{{sfn|SCOUTING|2000|p=10}}。[[1925年]]には、第1回指導者訓練所を[[山中湖]]畔で開設し、ちかい(宣誓)とおきてを制定した<ref name="history" />。[[1931年]]、[[佐野常羽]]がベーデン=パウエルよりシルバーウルフ章を贈られた。また、1932年10月から、大阪を中心に少年団の敬礼をめぐる三指礼問題と呼ばれる対立問題が生じ、大阪の[[第4師団 (日本軍)|第四師団長]][[寺内寿一]]らが、3本指で行う少年団の敬礼を新聞上で批判した<ref name="journal1">{{Cite journal|和書|author=松岡悠和|year=2023|title=少年団日本連盟と宗教系少年団の関係|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssace/59/0/59_41/_pdf/-char/en|journal=社会教育学研究|volume=59|page=50|publisher=日本社会教育学会|accessdate=2023-12-24|doi=10.34530/jssace.59.0_41}}</ref>。軍部からの圧力もあり、敬礼を五指礼に変える動きが生じ、大阪地方連盟は分裂し一時解散に至った<ref name="journal1" />。[[1935年]]7月、少年団日本連盟が財団法人化し、「大日本少年団連盟」に改称した<ref name="outline" />。また、[[1941年]]1月、政府の方針により、大日本少年団連盟、大日本青年団(現[[日本青年団協議会]])、大日本連合女子青年団、帝国少年団協会を解体し「大日本青少年団」に統合された{{Sfn|阪下朝一|2003|p=5}}。大日本少年団連盟は解散し、全国の少年団は大日本青少年団に統合されたが、基本財産とボーイスカウト精神を引き継ぐために「財団法人健志会」と名称を変更して法人格を存続した<ref name="Fukushima1">{{Cite web |title=未来に向かって無限の価値を信じて - ボーイスカウト日本連盟 |url=https://www.scout.or.jp/member/scoutingmagazine202201_09 |website= |date=2022-02-09 |access-date=2023-12-25 |language=ja |author=福嶋 正己 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-date=2023-12-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231225121859/https://www.scout.or.jp/member/scoutingmagazine202201_09}}</ref>。[[1942年]]6月には、[[大日本青少年団]]が[[大政翼賛会]]の傘下となった。そして、[[1945年]]6月、大日本青少年団が解散し{{Sfn|阪下朝一|2003|p=11}}、「学徒隊」に再編され、その学徒隊も終戦とともに解散した<ref>{{Cite book|和書 |title=学制百年史 第二編 戦後の教育改革と新教育制度の発展 |date=1981-09-05 |year=1981 |publisher=[[帝国地方行政学会]] |editor=[[文部省]] |chapter=第一章 戦後の教育改革(昭和二十年~昭和二十七年) 第八節 社会教育 三 社会教育関係団体の再編成 |url=https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317782.htm |access-date=2024-04-27 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240427121912/https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317782.htm |archive-date=2024-04-27}}</ref>。
:1.スカウトは誠実である

:2.スカウトは友情にあつい
=== 戦後 ===
:3.スカウトは礼儀正しい
終戦直後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)は大日本青少年団を日本の[[軍国主義]]の温床と考えていたため、ボーイスカウトの再建運動を許可しなかった{{Sfn|横山陸|2023|p=171}}。1945年9月、文部次官通達の「青少年団体の設置並に育成に関する件」により、郷土を中心とする自発的な団体の復活、世界平和への貢献、軍国主義的色彩の一掃が謳われた<ref name="Yamamoto2021">{{Cite journal|和書|author=山本紀代|year=2021|date=2021-03|title=子ども組織の歴史的展開|journal=社会教育研究年報|issue=38|page=178|publisher=名古屋大学大学院教育発達科学研究科社会・生涯教育学研究室|doi=10.18999/annrsa.35.175}}</ref>。少年団の指導者や[[日系2世]]のボーイスカウト出身者、GHQの[[民間情報教育局]](CIE)の協力の上、1947年には、制服は着ない、三指の敬礼はしないなどの条件付きで、東京で5隊、横浜で1隊が試験的にスカウト活動を開始した<ref name="Fukushima1" />。再編成はアメリカのボーイスカウトを参考に進められた{{Sfn|横山陸|2023|p=171}}。[[1948年]]1月には、現在の機関誌『スカウティング』の創刊号にあたる機関誌『ジヤムボリー』が発行された<ref>{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2022-03-01 |year=2022 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=3 |issue=748 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/202203.pdf |access-date=2024-05-07}}</ref>。[[1949年]]4月には、財団法人健志会を基として財団設立認可が下り、「財団法人ボーイスカウト日本連盟」が再発足した{{Sfn|横山陸|2023|p=171}}<ref name="Yamamoto2021" />。同年9月、戦後初の「第1回全国大会(全日本ボーイスカウト大会)」が[[皇居]]前広場で開催され、[[ボーイスカウトアメリカ連盟]]のスカウトから、ボーイスカウト日本連盟旗が寄贈された<ref name="Fukushima1" />。また、最終日には戦後初の[[日の丸]]を掲げた公式パレードとなったスカウトパレードが挙行された。パレードは約3,600人、長さは1,200メートルになり、[[日比谷]]から[[東京駅]]までを行進した<ref name="Fukushima1" />。
:4.スカウトは親切である

:5.スカウトは快活である
[[1950年]]7月1日、日本連盟がボーイスカウトの国際会議構成団体に復帰承認され、国際事務局に復帰した{{Sfn|横山陸|2023|p=171}}。また、10月には三島通陽が三島家別荘([[栃木県]][[那須塩原市]])の土地と家屋を日本連盟に譲渡し、11月に[[那須]]野営場が開設された<ref name="ReferenceKyodo">{{Cite web |title=明治時代に三島通庸が政府から払い下げを受けた土地の、その後のおおまかな歴史が知りたい。 |url=https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000060492 |website=[[レファレンス協同データベース]] |access-date=2024-01-20 |language=ja |publisher=[[国立国会図書館]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20240120050444/https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000060492 |archive-date=2024-01-20}}</ref>。那須野営場の敷地面積は84000 [[平方キロメートル|m<sup>2</sup>]]を超え<ref>{{Cite web |title=那須野営場 |url=https://www.scout.or.jp/about/facility-use/nasu |website= |date=2023-11-16 |access-date=2024-01-21 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-date=2024-03-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240330020912/https://www.scout.or.jp/about/facility-use/nasu}}</ref>、指導者訓練施設として利用されており、多くの指導者がここで訓練を受け、「ボーイスカウトの聖地」とも呼ばれる<ref>{{Cite news|和書 |title=ボーイスカウト、伝統の地で復活 栃木・那須塩原、36年ぶり |newspaper=[[産経新聞]] |date=2015/5/2 |url=https://www.sankei.com/article/20150502-4FF5HJRGFJMD3FTS27K6JZDYUA/ |access-date=2024-01-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240330021028/https://www.sankei.com/article/20150502-4FF5HJRGFJMD3FTS27K6JZDYUA/ |archive-date=2024-03-30}}</ref>。[[1951年]]には三島通陽が第4代総長に就任し、1級スカウトの上に菊、隼、不二(富士)スカウトができた。[[1956年]]、初の[[日本ジャンボリー]]である第1回日本ジャンボリーが[[長野県]][[軽井沢町]]で開催され、13,000人が参加した{{Sfn|SCOUTING|2000|p=12}}。[[1958年]]には、財政運営団体(財団法人ボーイスカウト日本連盟)と教育推進団体(任意団体ボーイスカウト日本連盟)に組織が分割され、団制度が開始された<ref name="history2">{{Cite web |title=沿革 |url=https://www.scout.or.jp/about/group-history |website= |date=2023-11-07 |access-date=2023-12-25 |language=ja |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231225153235/https://www.scout.or.jp/about/group-history |archive-date=2023-12-25}}</ref>。
:6.スカウトは質素である

:7.スカウトは勇敢である
[[File:Asahi-Journal-1967-11-05-1.jpg|thumb|250px|ボーイスカウトと指導者<small>(『[[朝日ジャーナル]]』1967年11月5日号より)</small>]]
:8.スカウトは感謝の心を持つ}}
[[1962年]]には、当時の最年少部門であるカブ部門の指導者に女子の加入が認められた{{Sfn|横山陸|2023|p=172}}。[[1964年東京オリンピック]]・[[1964年東京パラリンピック]]ではスカウトが奉仕を行い、各競技会場内外の参加国旗の一斉掲揚や聖火リレーコースの清掃等などがされた。[[1966年]][[6月27日]]には、スカウト運動の振興拡大を図ることを目的として、「ボーイスカウト振興国会議員懇談会」([[ボーイスカウト振興国会議員連盟]])が設立された<ref>{{Cite web |title=当連盟について |url=https://scout-parliament.jp/about/ |website= |access-date=2024-05-19 |publisher=[[ボーイスカウト振興国会議員連盟]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20240519041330/https://scout-parliament.jp/about/ |archive-date=2024-05-19}}</ref>。[[1970年]]、[[東京都]][[三鷹市]]にボーイスカウト会館が設立された。[[1971年]]8月、日本初の[[世界ジャンボリー]]である[[第13回世界ジャンボリー]]が[[静岡県]][[富士宮市]]で開催され、[[富士山麓]][[朝霧高原]]に87カ国約23,000人の青少年が集った。その跡地には[[静岡県立朝霧野外活動センター]]が建立されている<ref>{{Cite book|和書 |title=第13回世界ジャンボリー大会報告書 |year=1971 |publisher=静岡県・静岡県県民運動推進協議会 |page=258}}</ref>。また、同年には、第23回世界スカウト会議が[[東京プリンスホテル]]で開催され、[[昭和天皇]]が臨席した。[[1972年]]、[[沖縄返還]]により、沖縄のボーイスカウトが日本連盟へ正式移管された。また、ボーイスカウト日本連盟創立50周年事業が行われ、記念パレードが東京・銀座で実施された。[[1973年]]には分割されていた組織を「財団法人ボーイスカウト日本連盟」に組織が一体化され、[[試験研究法人]]に指定された<ref name="history2" />。
* [[1989年]]([[平成]]元年) - [[昭和天皇]]崩御、[[大喪の礼]]にスカウト代表参列。

* [[1990年]](平成2年)
=== 現代 ===
** 第10回日本ジャンボリー開催([[新潟県]][[妙高高原]])。
[[File:Scouts of Japan - Funabashi - 2011.jpg|thumb|東日本大震災の後、募金を呼びかけるスカウトたち]]
** 新制服導入。
[[1983年]]には、加盟員数と団数がピークとなり、加盟員数は331,895人、団数は3,919となった<ref name="history" />。また、[[1986年]]にはビーバースカウト部門が導入された{{Sfn|圓入智仁|2018|p=11}}。[[1988年]]、12項目あった「おきて」が8項目に整理統合された<ref name="Scouting735" />。[[1991年]]、[[9月15日]]を「スカウトの日」として制定し、全国的な奉仕活動を展開する日とした<ref name="scoutday">{{Cite web |title=「スカウトの日」事業報告 |url=https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/010603a.htm |website= |access-date=2023-12-26 |publisher=[[文部科学省]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20231227060409/https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/010603a.htm |archive-date=2023-12-27}}</ref>。「スカウトの日」は、1974年8月の第1回シニア-スカウトフォーラムにて、テーマ「よりよい社会を目指して、スカウトは何をなすべきか」の討議の結果、「スカウト奉仕の日」の全国展開を採択され、提案されたことを起源としている<ref name="scoutday" />。
* [[1991年]](平成3年)

** 第6回日本アグーナリー開催([[東京都]]NYC)。
1991年、ローバースカウト部門への女子の参加が認められた{{Sfn|横山陸|2023|p=172}}。1994年5月、ボーイスカウト日本連盟中央審議会に「21世紀委員会{{efn|21世紀委員会は[[21世紀]]に向けてボーイスカウト運動のあり方を検討することを目的とし、中長期にわたる計画の策定を任務として中央審議会によって設置されたものである{{Sfn|横山陸|2023|p=179}}。}}」より答申書が提出された{{Sfn|横山陸|2023|p=179}}。答申書には6項目からなる提言が含まれており、その中に「スカウト教育の対象及びその年齢やプログラムの見直し、また、女子の加入の促進を始め、各部門の特色ある活動や体制づくりを常時検討する」という項目が含まれていた{{Sfn|横山陸|2023|p=172-173}}。その後、[[1995年]]5月の年次全国会議にて第5号議案「全部門への女子の加入に関すること及びその承認を求める件」が承認され、全部門への女子の加入が認められた{{Sfn|横山陸|2023|p=181}}。
** [[9月15日]]を「スカウトの日」として制定し、全国的な奉仕活動を展開する日とした。

** ローバースカウト部門(18歳以上)への女子の参加が認められる。
同年の[[阪神淡路大震災]]では、ボーイスカウト兵庫連盟を中心に復興支援活動奉仕が行われた{{Sfn|圓入智仁|2019|p=49}}。兵庫連盟は、震災翌日の1月18日に「兵庫県地震対策本部」を設置した{{Sfn|圓入智仁|2019|p=50}}。対策本部は[[兵庫県]]の対策組織に編入され、避難所15カ所の救援、奉仕活動の調整、管理と指導にあたった{{Sfn|圓入智仁|2019|p=50}}。[[西宮市]]にはボーイスカウト大阪連盟が震災直後から支援を行った{{Sfn|圓入智仁|2019|p=51}}。5月18日の報告によると、兵庫県内のスカウトと指導者延べ19,164名のほか、国内各地からスカウトと指導者が述べ14,746名が奉仕活動に参加した{{Sfn|圓入智仁|2019|p=51}}。
* [[1994年]](平成6年) - 第11回日本ジャンボリー開催([[大分県]][[久住高原]])。

* [[1995年]](平成7年) - ビーバー隊から指導者までのすべての部門において、女子の加盟登録が認められる。
[[1997年]]には、日本連盟創立75周年中央式典が東京都[[日比谷公会堂]]で開催された<ref name="history2" />。[[1999年]]、シニアー部門に換わる部門として、ベンチャースカウト部門が開始された。また、[[2001年]]には、日本連盟呼称の英文表記変更が承認され、[[5月20日]]に従来の「Boy Scouts of Nippon」から「Scout Association of Japan」へ変更になった。[[2007年]]、世界スカウト運動創始100周年記念事業を実施した<ref>{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2007-01-01 |year=2007 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |pages=30-31 |issue=644}}</ref>。[[2010年]]、公益財団法人化に伴い、正式名称が「公益財団法人ボーイスカウト日本連盟」に変更された<ref name="Scouting677">{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2010-05-01 |year=2010 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=8 |issue=677}}</ref>。
* [[1997年]](平成9年)
[[File:Ceremony to Celebrate the 100th Anniversary of the Foundation of the Scout Association of Japan.jpg|thumb|ボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典]]
** [[阪神淡路大震災]]復興支援活動奉仕。
[[2011年]]の[[東日本大震災]]では復興支援活動奉仕を行った{{Sfn|圓入智仁|2019|p=49}}。また、同年にはベンチャースカウト部門の新進歩プログラムが施行され、隼スカウトが再び制度化された。[[2015年]]には、[[第23回世界スカウトジャンボリー]]が[[山口県]][[山口市]]阿知須[[きらら浜]]で開催された。[[2017年]]には、[[2016年]]に閉鎖された山中野営場に代わり、「大和の森」高萩スカウトフィールドが開設された<ref name="history" />。同年、ボーイスカウト部門・ベンチャースカウト部門の新進級課程が施行され、新課程では両部門の課程が一本化され、ベンチャー章、ターゲットバッジ、マスターバッジ、プロジェクトバッジが廃止された<ref>{{Cite web |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2019/05/20191007_bsvs_kaitei.pdf |title=ボーイスカウト部門・ベンチャースカウト部門進級課程の改定 |access-date=2024-01-16 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |date=2019-10-07 |pages=1-2}}</ref>。また、同時に隊長認定の技能章が導入された。[[2022年]]、日本連盟創立100周年事業が実施され、[[第18回日本スカウトジャンボリー]]が東京都内の2会場を中央会場として全国各地で分散開催された<ref name="pr220512">{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000059766.html|title=初の「全国・分散型キャンプ大会」として展開 18回日本スカウトジャンボリーを開催|work=ボーイスカウト日本連盟|publisher=[[PR TIMES]]|date=2022-05-12|accessdate=2022-08-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220601220539/https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000059766.html|archivedate=2022-06-01}}</ref>。また、同年11月26日には、ボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典が開催された<ref>{{Cite web |title=ボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典に永岡大臣が出席 |url=https://www.mext.go.jp/b_menu/activity/detail/2022/20221126.html |website= |access-date=2024-01-16 |publisher=[[文部科学省]] |date=2022-11-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240116085553/https://www.mext.go.jp/b_menu/activity/detail/2022/20221126.html |archive-date=2024-01-16}}</ref><ref name="saj100">{{Cite web |title=令和4年11月26日 ボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典 |url=https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202211/26scout.html |website=首相官邸ホームページ |access-date=2024-01-14 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20240114074630/https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202211/26scout.html |archive-date=2024-01-14}}</ref>。式典には、[[徳仁|天皇]]・[[皇后雅子|皇后]]や[[内閣総理大臣]][[岸田文雄]]が臨席した<ref>{{Cite news|和書 |title=両陛下、式典出席 ボーイスカウト日本連盟100周年 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2022-11-26 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE260OJ0W2A121C2000000/ |access-date=2024-01-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240120050442/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE260OJ0W2A121C2000000/ |archive-date=2024-01-20}}</ref><ref name="saj100" />。2024年4月には、ボーイスカウトとベンチャースカウト部門の進級課程の改定が行われ、一本化されていた課程が切り離され、ベンチャー章などが追加された<ref>{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2024-03-01 |year=2024 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |pages=8-11 |issue=760 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/202403_65f4a9461a23ad113239faec4271d3eb27281946/202403.pdf |access-date=2024-05-01}}</ref>。また、紙媒体としての「スカウティング誌」は、2024年5月号をもって定期刊行を終了した<ref>{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2024-03-01 |year=2024 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=21 |issue=760 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/202403_65f4a9461a23ad113239faec4271d3eb27281946/202403.pdf |access-date=2024-05-01}}</ref>。
** 日本連盟創立75周年中央式典開催([[東京都]][[日比谷公会堂]])。

* [[1998年]](平成10年)
=== 年表 ===
** 長野オリンピック・パラリンピック奉仕。
*[[1922年]]([[大正]]11年) - 少年団日本連盟設立。総裁:後藤新平、理事長:二荒芳徳{{Sfn|小町國市|1997|p=18}}、国際事務局に登録{{Sfn|小町國市|1997|p=18}}
** 第12回日本ジャンボリー開催(秋田県森吉山麓高原)。
*[[1923年]](大正12年) - [[関東大震災]]。各種奉仕活動をスカウトが展開{{Sfn|阪下朝一|2003|p=8}}
* [[1999年]](平成11年)
*[[1924年]](大正13年) - 機関誌「少年団研究」創刊<ref name="video1" />
** 第8回アグーナリー開催([[愛媛県]][[松山市]]野外活動センター)。
*[[1935年]]([[昭和]]10年) - 法人格を取得し、財団法人大日本少年団連盟に名称変更<ref name="Fukushima1" />
** シニア―部門に換わる部門として、ベンチャースカウト部門が開始される。
*[[1941年]](昭和16年) - 政府方針により、大日本少年団連盟は、他の青少年団体とともに[[大日本青少年団]]に統合<ref name="history2" />
* [[2001年]](平成13年) - 日本連盟呼称の英文表記変更が承認され、[[5月20日]]に従来の「'''Boy Scouts of Nippon'''」から「'''Scout Association of Japan'''」へ変更になった。
*[[1947年]](昭和22年) - ボーイスカウト日本連盟臨時中央理事会設立(戦後再建)<ref name="history2" />
* [[2002年]](平成14年) - 第13回日本ジャンボリー/第23回アジア太平洋地域ジャンボリー開催([[大阪府]]舞洲スポーツアイランド)。本大会は日本連盟創立80周年記念として実施された。
*[[1949年]](昭和24年) - 財団法人ボーイスカウト日本連盟として再発足<ref name="history2" />
* [[2003年]](平成15年) - 第9回日本アグーナリー開催([[石川県]][[珠洲市]]りふれっしゅ村鉢ケ崎)。
* [[2005年]](平成17年) - 年次全国大会開催開始。
*[[1956年]](昭和31年) - 第1回日本ジャンボリー開催(長野県軽井沢)<ref name="history2" />
*[[1958年]](昭和33年) - 財政運営団体(財団法人ボーイスカウト日本連盟)と教育推進団体(任意団体ボーイスカウト日本連盟)とに組織を分割<ref name="history2" />
* [[2006年]](平成18年) - 第14回日本ジャンボリー開催([[石川県]][[珠洲市]]りふれっしゅ村鉢ヶ崎)。
*[[1972年]](昭和47年) - 沖縄のスカウト運動、日本連盟に正式移行、日本連盟結成50周年記念事業
* [[2007年]](平成19年)
*[[1973年]](昭和48年) - 財団法人ボーイスカウト日本連盟に組織を一体化、試験研究法人指定<ref name="history2" />
** 世界スカウト運動創始100周年記念事業。
*[[1995年]]([[平成]]7年) - 全部門への女子の加入を認める{{Sfn|横山陸|2023|p=181}}
** 宗教章までの信仰奨励プログラムを補完するため、信仰奨励章を導入。
*[[2010年]](平成22年) - 財団法人から公益財団法人に移行<ref name="Scouting677" />
* [[2008年]] (平成20年)
*[[2022年]]([[令和]]4年) - 日本連盟創立100周年事業
** 第38回世界スカウト会議が開催され、2015年の第23回世界スカウトジャンボリーの日本開催が決定する。

** 第10回日本アグーナリー開催([[兵庫県]][[神戸市]]しあわせ村)。
=== 歴代総長 ===
* [[2010年]](平成22年)
{| class="wikitable"
** 公益財団法人化に伴い、[[5月25日]]に、正式名称が「公益財団法人ボーイスカウト日本連盟」に変更された。
! colspan="8" |ボーイスカウト日本連盟総長
** [[奥島孝康]]理事長就任。
|-
** 第15回日本ジャンボリー開催([[静岡県]][[朝霧高原]])。
!代
* [[2011年]](平成23年)
! colspan="2" |氏名<ref>{{Cite web |title=総長・総裁一覧 |url=https://100th.scout.or.jp/governor_president/ |website=ボーイスカウト日本連盟100周年特設サイト |access-date=2024-01-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231224082645/https://100th.scout.or.jp/governor_president/ |archive-date=2023-12-24}}</ref>
** [[東日本大震災]]復興支援活動奉仕。
!就任日<ref name="sotyo">{{Cite web |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2022/02/100thAnni-bokin.pdf |title=ボーイスカウト日本連盟 創立100周年記念募金のお願い |access-date=2024-10-14 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=9}}</ref>
** ベンチャースカウト部門の新しい進歩プログラムが施行され、隼スカウトが再び制度化される。
!退任日<ref name="sotyo" />
** ボーイスカウト会館移転([[東京都]][[文京区]])。
!備考
* [[2012年]](平成24年)
|-
** 日本連盟創立90周年事業。
!1
** 全国ローバースカウト会議(RCJ)発足。
|[[ファイル:Shimpei Gotō.jpg|フレームなし|78x78ピクセル]]
** 第11回日本アグーナリー開催([[滋賀県]][[蒲生郡]]竜王町希望が丘文化公園)。
|[[後藤新平]]
* [[2013年]](平成25年) - [[第16回日本ジャンボリー]]/第30回アジア太平洋地域スカウトジャンボリー開催([[山口県]][[山口市]]阿知須[[きらら浜]])。
|1924年11月
* [[2015年]](平成27年)
|1929年4月
** [[第23回世界スカウトジャンボリー]]開催([[山口県]][[山口市]]阿知須[[きらら浜]])。
|
** 新制服が導入された。
|-
* [[2016年]](平成28年) - 山中野営場を閉鎖。
!2
* [[2017年]](平成29年)
|[[ファイル:Makoto Saito 2.jpg|フレームなし|85x85ピクセル]]
** 「大和の森」高萩スカウトフィールド開設。日本ジャンボレット高萩開催。この大会は日本連盟創立95周年記念として実施された。
|[[斎藤実|齋藤實]]
** ボーイスカウト部門・ベンチャースカウト部門の新しい進級課程が施行された。新課程では両部門の課程が一本化され、ベンチャー章、ターゲットバッジ、マスターバッジ、プロジェクトバッジが廃止された。また、隊長認定の技能章が導入された。
|1935年6月
* [[2018年]](平成30年)
|1936年2月
** [[第17回日本スカウトジャンボリー]]開催([[石川県]][[珠洲市]]りふれっしゅ村鉢ヶ崎)。
|
** スカウト会館が[[東京都]][[文京区]]から[[杉並区]]に移転した。
|-
* [[2020年]]([[令和]]2年)
!3
** [[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大]]のため、この年開催予定だった第13回日本アグーナリーの[[2024年]]への延期が決定。ボーイスカウト全国大会、初のオンライン開催(当初は神奈川県で開催予定)。
|[[ファイル:Isamu Takeshita.jpg|フレームなし|82x82ピクセル]]
** [[岡谷篤一]]理事長就任。
|[[竹下勇]]
** [[奥島孝康]]総長就任。
|1937年2月
* [[2021年]](令和3年) 
|1941年1月
** [[水野正人]]理事長就任。
|
** [[御手洗冨士夫]]総裁就任。
|-
* [[2022年]](令和4年)
!4
** 日本連盟創立100周年事業実施。
|[[ファイル:Mishima Michiharu 1953.jpg|フレームなし|67x67ピクセル]]
** [[第18回日本スカウトジャンボリー]]が東京都内の2会場を中央会場として全国各地で分散開催。本大会は日本連盟創立100年記念として実施された<ref name="pr220512">{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000059766.html|title=初の「全国・分散型キャンプ大会」として展開 18回日本スカウトジャンボリーを開催|work=ボーイスカウト日本連盟|publisher=[[PR TIMES]]|date=2022-05-12|accessdate=2022-08-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220601220539/https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000059766.html|archivedate=2022-06-01}}</ref>。
|[[三島通陽]]
* [[2024年]](令和6年) - 第13回日本アグーナリー開催予定。
|1951年2月
|1965年4月
|
|-
!5
|[[ファイル:Replace_this_image_JA.svg|60x60ピクセル]]
|[[久留島秀三郎]]
|1966年5月
|1970年9月
|
|-
!6
|[[ファイル:Matsukata Saburo 3 March 1948.jpg|フレームなし|76x76ピクセル]]
|[[松方三郎]]
|1971年5月
|1973年9月
|
|-
!7
|[[ファイル:Akira Watanabe(Earl).jpg|フレームなし|89x89ピクセル]]
|[[渡邉昭]]
|1974年5月
|2003年5月
|
|-
!8
|[[ファイル:Replace_this_image_JA.svg|60x60ピクセル]]
|[[佐波正一]]
|2003年5月
|2006年3月
|代行
|-
!9
|[[ファイル:Takayasu Okushima.png|フレームなし|99x99ピクセル]]
|[[奥島孝康]]
|2020年5月1日<ref>{{Cite web |title=日本連盟 理事長就任および退任のご挨拶 |url=https://www.scout.or.jp/member/202005rijichokotai |website= |date=2020-08-18 |access-date=2023-12-24 |language=ja |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231224150622/https://www.scout.or.jp/member/202005rijichokotai |archive-date=2023-12-24}}</ref>
|2024年5月1日<ref>{{Cite news|和書 |title=奥島孝康さんが死去 元早大総長、元高野連会長 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2024-05-02 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240522082535/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE025L80S4A500C2000000/ |archive-date=2024-05-22 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE025L80S4A500C2000000/ |access-date=2024-05-15}}</ref>
|
|}

== 部門 ==
;ビーバースカウト
:[[小学校]]1年生から小学校2年生を対象とし、教育規程の範囲内で就学前の児童を受け入れることができる<ref name="journal2016">{{Cite journal|和書|author=黒澤 岳博|year=2016|title=ボーイスカウトの広報主体|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/pras/1/1/1_40/_article/-char/ja/|journal=公共コミュニケーション研究|volume=1|issue=1|page=41|publisher=城西大学|accessdate=2024-01-13|doi=10.34419/pras.1.1_40}}</ref>{{Sfn|圓入智仁|2018|p=9}}。
:ビーバースカウトの活動は、スカウトの興味と保護者の要望を取り入れた活動の目標に沿って、スカウト自らの体験を通して行われる{{Sfn|圓入智仁|2018|p=10}}。ビーバースカウトの活動における課目には「生活」、「健康」、「自然」、「社会」、「表現」の5つがある{{Sfn|圓入智仁|2018|p=10}}。

:ビーバースカウトは、[[1979年]]に他のスポーツ少年団など他の社会教育活動が小学校入学時から活動の対象としていることを意識して、カブスカウトよりも下の年齢の子どもを受け入れることを日本連盟が検討したのを始まりとしている{{Sfn|圓入智仁|2018|p=12}}。当時、全国でいくつかのカブスカウトが、小学1、2年生を活動に受け入れていた{{Sfn|圓入智仁|2018|p=12}}。1982年1月から2年間の実験段階、1985年1月から翌1986年5月までの試行段階があった{{Sfn|圓入智仁|2018|p=12}}。その後、1986年にビーバースカウトが発足した{{Sfn|圓入智仁|2018|p=12}}。
;カブスカウト
:[[小学校]]3年生から小学校5年生を対象としている<ref name="journal2016" />。
:カブは[[動物]]の子供という意味である<ref>{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=1991-05-01 |year=1991 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=8 |issue=456}}</ref>。現在のカブスカウトの元である「ウルフ・カブ隊」は、1918年に横浜でボーイスカウト隊の指導に当たっていた英国人のグリフィンによる隊や、神戸のカナディアンスクール内にカナダ人によって組織されていた<ref name="Scouting636">{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2006-05-01 |year=2006 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=13 |issue=636}}</ref>。日本人による最初のウルフ・カブ隊は、1923年12月に[[神戸市]][[須磨区|須磨]]で作られた<ref name="Scouting636" />。当時の神戸市長[[石橋為之助]]の要請で、[[古田誠一郎]](日本連盟先達)自ら隊長となって創設され、日本連盟に登録された<ref name="Scouting636" />。
;[[ボーイスカウト]]
:小学校6年から[[中学校]]3年生を対象としている<ref name="journal2016" />{{Sfn|黒澤岳博|2007|p=61}}。
:スカウト運動は「班制教育」、「進歩制度」、「野外活動」という3つの柱によって各年齢層に合ったプログラムが作られており、これは全ての部門において共通だが、運動の源流に基づき、ボーイスカウト部門はその中核をなしている<ref>{{Cite web |title=ボーイスカウトの教育方法・理念 |url=https://www.scout.or.jp/education-philosophy |website= |date=2023-11-01 |access-date=2024-01-20 |language=ja |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231219080306/https://www.scout.or.jp/education-philosophy |archive-date=2024-01-19}}</ref>。班制教育では班長と班員という構成で集団生活を送る{{Sfn|黒澤岳博|2007|p=65}}。
;[[ベンチャースカウト]]
:中学3年生の9月から18歳の、主に[[高校生]]年代を対象としている<ref name="journal2016" />。
:旧制度におけるシニアースカウトは、「自主性」という点において充分なプログラムであったとは言えなかったため、ベンチャースカウトへと発展的に解消された。ベンチャースカウトは、ボーイスカウトと異なりプロジェクトに対して自主的な企画・計画、実行、評価・反省、報告が求められている。ボーイスカウトのような班制度はないが、活動ごとに活動チームという小グループを編成し、チーフを中心に自治を行うという形で班制教育を行う。ボーイ隊で取得した技能章はそのまま着用し、引き続き進級を進める。また、18歳に達したスカウトは、ローバー隊か指導者を選択することができる。
;[[ローバースカウト]]
:18歳以上25歳以下の青年を対象としている<ref name="journal2016" />。
:ローバー隊は自ら自治規則(憲章)を設定し、隊(クルー)の型を決め、自治原則により運営される。ローバー隊の活動は、ローバースカウト自らが実施する自己研鑽と、隊(クルーまたはグループ)が行う奉仕活動、社交活動及びその他のプログラム活動とによって行われる。


== 教育 ==
== 教育 ==
=== 部門 ===
=== 教育目的・方法 ===
{{Quote box|'''ちかい'''<br/>
年齢によって部門が異なる。
私は、名誉にかけて、次の三条の実行をちかいます。<br/>
一. 神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります。<br/>
一. いつも、他の人々をたすけます。<br/>
一. からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。
}}
{{Quote box|'''おきて'''<br/>
1. スカウトは誠実である<br/>
2. スカウトは友情にあつい<br/>
3. スカウトは礼儀正しい<br/>
4. スカウトは親切である<br/>
5. スカウトは快活である<br/>
6. スカウトは質素である<br/>
7. スカウトは勇敢である<br/>
8. スカウトは感謝の心を持つ
}}
日本連盟の[[スカウト教育法|スカウト教育]]の基本は、「{{仮リンク|スカウトのちかい|en|Scout Promise|label=ちかい}}」と「{{仮リンク|スカウトのおきて|en|Scout Law|label=おきて}}」の実践を基盤とする。ただし、ビーバースカウトは「やくそく」と「きまり」を、カブスカウトは「やくそく」と「さだめ」の実践を基盤としている{{Sfn|諸規程|2019|p=69}}。日本連盟の{{仮リンク|スカウトのモットー|en|Scout Motto|label=モットー}}は、「そなえよつねに」である{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=21}}。英語では「Be Prepared」と呼び、これはベーデン=パウエルが自身の[[イニシャル]](B-P)から考案した{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=21}}。[[二荒芳徳]]による解説では、積極的(動的な備え)、消極的(静的な備え)の両面の意味があるとされている{{Sfn|二荒芳徳|1924|pp=5-6}}。[[スローガン]]は、「日々の善行」であり、スカウトは毎日進んで何か良いことをするとされている{{Sfn|諸規程|2019|p=21}}。スカウト教育法は、野外での活動を基本としている<ref name="Tanaka2019">{{Cite journal|和書|author=田中優|year=2019|date=2019-01-01|title=ボーイスカウトにおけるキャンプの教育効果について|journal=人間生活文化研究|volume=2019|issue=29|page=58|doi=10.9748/hcs.2019.57}}</ref>。スカウトは、自然の持つ力を観察し、その中で生活することで自らを発達、成長させる。また、自然の相互依存を理解することは環境のための行動へとつながるとされている<ref name="Tanaka2019" />。
[[File:Venture HYOGO 2009.jpg|thumb|250px|ベンチャースカウトによる国旗掲揚]]
1947年に制定されたおきては12項目あった。1988年の改正で12のうち「忠節を尽くす」、「人の力になる」、「従順である」、「純潔である」、「つつしみ深い」の5つが削除され、「感謝の心を持つ」が追加された<ref name="Scouting735">{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2020-1-1 |year=2020 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=6 |issue=735 |author=福嶋正己 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/202001.pdf |access-date=2023-12-27}}</ref>。改正の理由として、日本連盟コミッショナーの福嶋正己は、「削除した項目の意味は改正後の8項の中にも含まれていること、また現代(当時)の子どもたちには理解しにくい難解な言葉である」としている<ref name="Scouting735" />。

ビーバースカウトは、スカウトが隊の活動への参加や家庭での生活指導によって、自然に親しみ、基本的な生活技能、社会性、表現力等を伸ばし、カブスカウトへの上進を目的としている{{Sfn|諸規程|2019|p=70}}。ビーバースカウトの活動の基本的な理念として「訓育」がある。カブスカウトは、スカウトが組や隊での活動及び家庭や近隣社会での生活指導に参加することによって、良い社会人としての基本を修得し、ボーイスカウトへの上進を目的としている{{Sfn|諸規程|2019|p=71}}。また、ボーイスカウトは、スカウトが班及び隊の活動に参加することによって自分の責務を果たし、野外活動を主とした体験学習を通して良き社会人たる資質の向上を図り、ベンチャースカウトへの上進を目的としている{{Sfn|諸規程|2019|p=72}}。ベンチャースカウトは、スカウトが隊や活動チームに参加し、「ちかい」と「おきて」の実践及びグループワークの手法を用いたプログラム活動を通して自ら考え行動し、その結果に責任を負うことができるように育てることを目的としている{{Sfn|諸規程|2019|p=73}}。また、ローバースカウトは、スカウトが「ちかい」及び「おきて」を各自の生活に、より強力に具現化する機会を与えるとともに、自らの有為の生涯を築き、社会に奉仕する精神と体力を養うことを目的としている{{Sfn|諸規程|2019|p=75}}。

=== スカウト章 ===
[[ファイル:Scout Association of Japan.svg|thumb|150px|日本連盟のスカウト章]]
日本連盟のスカウト章は、[[フルール・ド・リス]]に[[八咫鏡|鏡]]を重ねた図案にモットーが組み合わさっている。[[ユリ]]の三つの花びらからなる「花形」は「スカウトのちかい」を、[[方位磁針|コンパス]]の針は「スカウトが常に正しい人生を進むこと」を示している{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=20}}。また、中央の[[古代日本]]の鏡は[[知性]]と[[反省]]を、左右2つの星は[[真理]]と[[知識]]を示している{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=20}}。花びらを束ねたロープは[[協力行動|協力]]、共同を意味し、モットーを記した「[[巻物|巻き物]]」は「モットーを常に実行する姿勢」を表している{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=20}}。

少年団日本連盟時代の徽章{{efn|[[三種の神器]](鏡・剣・璽)を用い、フルール・ド・リスの左右が璽(勾玉)、中央が剣([[天叢雲剣]])となったものに鏡([[八咫鏡]])が重ねられた図案となっていた。}}の主要なモチーフである[[三種の神器]]について以下のように解説されている。
{{quotation|三種の神器は、「民族の理想信念を象徴」するものであり、古来から大切にされてきた品々である。こうした歴史・文化を学ぶことが日本人にとって重要である。特に、鏡が日本神話において[[天照大神]]の魂が宿るとされ、人々が真剣かつ真面目に尊重した故事に鑑み、この徽章を帽子や胸に掲げて活動することは「日本人が一心同体の修養と親和協同の感情を錬る」という少年団の眼目に相応しいものである。|[[二荒芳徳]]|『少年團徽章と標語』{{Sfn|二荒芳徳|1924|pp=5-6}}}}
この鏡・剣・璽のうち鏡だけが、内省の意味を込めて、現在も存続している。


また、[[深尾韶]]が発行した『スカウト読本』には、以下のように記されている。
* '''ビーバースカウト'''([[小学校]]1年生 - 小学校2年生)
{{quotation|この徽章は三種の神器および巻物から成っている。鏡は光明、徳澤、智識を表し剣は正義、秩序、勇気を表し、勾玉は富、仁愛、円を表す。而しかして剣の柄に垂れた紐の結ばれたのは、日善すなわち毎日必ず善行することを忘れぬ為の用意である。神器の精神の導くところに従って、我等は標語の示す立派な人格を築き上げんが為に、巻物を配して之を健児の章としたのである。|[[深尾韶]]|『スカウト読本』「見習少年健児になるまで」}}
** 教育規程の範囲内で就学前の児童を受け入れることができる。
** カブスカウトよりも幼い児童を対象とした活動を求める声や海外の制度を受けて導入された。ビーバースカウトは元来[[カナダ]]連盟のもので、それに倣い、日本でも対応できるプログラムを開発した。日本連盟で採用する際に新たな呼称を作ろうとしたが、日本らしい動物の名称が見つからなかったため、“[[ビーバー]]”の名をそのまま使うこととなった。
** 保護者の協力によってみんなと仲良く遊ぶことによって自然と関わり、社会性や表現力、初歩的な生活能力を養う。
* '''カブスカウト'''([[小学校]]3年生 - 小学校5年生)
** カブ(cub)は「幼獣」のこと。創設時にはジャングルブックを基に構成されていたため“ウルフ・カブ”と呼ばれていたが、日本に導入する際、「オオカミはイメージ的に悪い」ことから「カブ」のみ採用された。日本では「足柄山物語」が採用され、現在でもりす、うさぎ、しか、くまの名称が用いられている。
** カブ隊では、カブスカウトたちの自然な仲間の集団として組長を中心とする組(デン)を作り、兄貴分であるデンコーチ(ボーイスカウト)と、よき理解者であるデンリーダー(保護者などの成人指導者)が補佐するという形の小グループでの教育を行う。デン(den)は獣の巣。
* '''ボーイスカウト'''(小学校6年 - [[中学校]]3年生)
** スカウト運動は'''班制教育'''、'''進歩制度'''、'''野外活動'''という3つの柱によって各年齢層に合ったプログラムが作られており、これは全ての部門において共通だが、運動の源流に基づき、ボーイスカウト部門はその中核をなしている。班制教育では班長と班員という構成で集団生活を送る。
* '''ベンチャースカウト'''(中学校3年生9月 - 高校3年生時3月末)
** 旧'''シニアースカウト'''。旧制度におけるシニアースカウトは、「自主性」という点において充分なプログラムであったとは言えなかったため、ベンチャースカウトへと発展的に解消された。
** ベンチャースカウトは、ボーイスカウトと異なりプロジェクトに対して自主的な企画・計画、実行、評価・反省、報告が求められている。
** ボーイスカウトのような班制度はないが、活動ごとに活動チームという小グループを編成し、チーフを中心に自治を行うという形で班制教育を行う。また進歩制度では、ボーイ隊で取得した進級章や技能章はそのまま着用し、引き続き進級を進める。ベンチャー隊からボーイスカウトを始める者は入隊後に'''ボーイスカウトバッジを'''着用し、初級スカウト章から進級に挑戦する。菊スカウトの上の段階である'''[[隼スカウト章]]'''、'''[[富士スカウト章]]'''の取得を目指す。ベンチャースカウト部門では'''[[富士スカウト章]]'''がその最高ランクかつ進歩上の到達点として設定されている。その他に、'''技能章'''という特定分野への選択科目も設定されている(ボーイ隊と共通)。
**信仰奨励プログラムとして、信仰奨励章と宗教章の2つがある。信仰奨励章はボーイスカウト(初級以上)、ベンチャースカウトが挑戦でき、宗教章はボーイスカウト(1級以上)、ベンチャースカウト、ローバースカウトが挑戦できる。
** ベンチャー隊のベンチャーは、「[[ベンチャー]]企業」の言い方に見られるように、チャレンジ精神旺盛な青年が冒険をしている姿をイメージしている。
** 18歳に達したスカウトは、ローバー隊か指導者を選択することができる。
** ベンチャースカウトがベンチャー隊に残留できるのは、18歳に達する日以後の最初の3月31日までである。
* '''ローバースカウト'''(18歳以上25歳以下。){{see|ローバースカウト}}
** ローバー隊は自ら自治規則(憲章)を設定し、隊(クルー)の型を決め、自治原則により運営される。
** ローバー隊の活動は、ローバースカウト自らが実施する自己研鑽と、隊(クルーまたはグループ)が行う奉仕活動、社交活動及びその他のプログラム活動とによって行われる。
**進級課程はないが、宗教章への挑戦は可能である。
** ローバー隊のローバーには、「さすらう」「漂流する」という意味があり、自己の研鑽をすることをイメージしている。B-Pの著書「ローバーリング・ツー・サクセス」 (''Rovering to Success'', 1922) から命名された。
という5つの部門に分かれ、活動を行っている。


=== 進歩制度 ===
=== 進歩制度 ===
{{see|ボーイスカウトの進歩制度}}
{{Main|ボーイスカウト日本連盟の進歩制度}}
バッジシステムとも言われる進歩制度{{Sfn|黒澤岳博|2007|p=63}}には、必須かつ共通のものである「修得課目」と、趣味や得意な技能を伸ばす「選択課目」があり、修得課目は活動を通じて修得に努力し、規定の課目を完修すると進級章が与えられる<ref name="method" />。
{{節スタブ}}


ボーイスカウト部門での進級は「スカウトバッジ」、「初級スカウト章」、「2級スカウト章」、「1級スカウト章」、「[[菊スカウト章]]」の5つ、ベンチャースカウト部門での進級は「アドベンチャーバッジ」、「[[ベンチャー章]]」、「[[隼スカウト章]]」、「[[富士スカウト章]]」の4つがある<ref>{{Cite web |title=ボーイスカウト部門・ベンチャースカウト部門の進級課程・課目の改定 |url=https://www.scout.or.jp/member/bsvs_program2024 |website= |date=2024-03-27 |access-date=2024-04-07 |language=ja |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240411133010/https://www.scout.or.jp/member/bsvs_program2024 |archive-date=2024-04-11}}</ref>。ベンチャースカウト部門では富士スカウト章がその最高ランクかつ進歩上の到達点として設定されている。その他に、「技能章」という特定分野への選択科目も設定されている。また、信仰奨励プログラムとして、「信仰奨励章」と「[[宗教章]]」の2つがある{{Sfn|諸規程|2019|p=69}}。信仰奨励章はボーイスカウト(初級以上)、ベンチャースカウトが挑戦でき、宗教章はボーイスカウト(1級以上)、ベンチャースカウト、ローバースカウトが挑戦できる。日本連盟は、明確な信仰をもつことを奨励しているが、特定の宗教団体を支持することはないとされている{{Sfn|諸規程|2019|p=36}}。
== ボーイスカウトの女性とガールスカウトとの関係==
日本のボーイスカウト運動における[[女性]]の参加は、カブ隊におけるデンマザーのように、限られた役割を果たしているだけであったが、世界スカウト会議における「スカウティングにおける成人」および「スカウト運動における少年少女と男女に関する方針」を受けて、日本でも女性の指導者と少女のスカウトが誕生した。その背景には、女性の社会進出や[[男尊女卑]]の撤廃、女性ならではのソフト面の対応への期待等があげられる。


=== 富士スカウト ===
[[ガールスカウト]]は、自立した「[[女性|女性」]]の育成という目標ももっているため、受け入れの対象は[[女性]]のみである。一方、ボーイスカウトは、女性の受け入れをしているが、男性だからやらない・女性だからやる、という教育上の区別はない。
{{Main|富士スカウト章}}
[[File:Fuji Scout.jpg|thumb|250px|富士スカウト章受章者による[[内閣総理大臣]][[岸田文雄]]への表敬]]
富士スカウト章を獲得したスカウトは富士スカウトと呼ばれる。スカウトの最高位である富士スカウトは、「社会の一員としての自律と責任、公共心を備えた、より良き公民となれるスカウトである」とされている{{Sfn|諸規程|2019|p=89}}。1955年から2021年現在までに約6,600人が富士スカウト章を受章している<ref name="fuji1">{{Cite web |title=全国の富士スカウト - ボーイスカウト日本連盟 |url=https://www.scout.or.jp/member/202101fuji |website= |date=2021-02-10 |access-date=2023-12-25 |language=ja |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231225054609/https://www.scout.or.jp/member/202101fuji |archive-date=2023-12-25}}</ref>{{efn|現在のベンチャースカウトになってからは約4,000人<ref name="fuji1" />。}}。富士スカウト章の授与は日本連盟理事長の名をもって行われ、地区又は県連盟の主催する授与式において行うことを原則としている{{Sfn|諸規程|2019|p=77}}。富士スカウトになるには、プロジェクトの計画・実施・報告ができ、奉仕の精神と社会の一員としての責任を持ち、社会貢献を果たせるリーダーとなる資質を身につけることが必要である<ref>{{Cite book|和書 |title=ボーイスカウトスカウトハンドブックアドバンス |date=2021-11-1 |year=2021 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=25}}</ref>。また、技能章を合計15個以上取得し、ちかいとおきて、奉仕、スカウト精神を実践することが要求される{{Sfn|諸規程|2019|p=89}}。富士スカウト章を取得したスカウトのうち、代表が[[赤坂御用地|赤坂東邸]]、[[首相官邸]]へ表敬訪問する<ref>{{Cite web |title=令和4年度富士スカウト章受章代表スカウトご接見(赤坂東邸/東京都港区) |url=https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/photo/21684 |website= |access-date=2023-12-25 |publisher=[[宮内庁]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20231225054619/https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/photo/21684 |archive-date=2023-12-25}}</ref><ref>{{Cite web |title=令和5年3月23日 ボーイスカウト富士スカウト章受章者による表敬 {{!}} 総理の一日 |url=https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202303/23_hyoukei01.html |website=首相官邸ホームページ |access-date=2023-12-25 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20231226004943/https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202303/23_hyoukei01.html |archive-date=2023-12-26}}</ref>。


=== 日本スカウトジャンボリー ===
ボーイスカウトの団では、ベンチャー部門以下の隊の場合、男女のスカウトで編成される隊は、男女の隊指導者を任命することになっている。また、女子テントの設置など、女子スカウトに対しての配慮が必要とされている。ただし、男性のスカウトのみ募集する団もあり、それはその団のカラーであり特色であるとして容認されている。
{{Main|日本スカウトジャンボリー}}
[[File:14th Nippon Jamboree 4.jpg|thumb|250px|第14回日本ジャンボリー]]
日本スカウトジャンボリーは、日本連盟主催のボーイスカウト及びベンチャースカウトのキャンプ大会である<ref>{{Cite web |title=日本スカウトジャンボリー |url=https://www.scout.or.jp/member/nsj |website= |date=2023-11-16 |access-date=2023-12-25 |language=ja |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231225081834/https://www.scout.or.jp/member/nsj |archive-date=2023-12-25}}</ref>。日本国内におけるボーイスカウトの最大の行事でもあり、4年ごとに開催されている{{Sfn|黒澤岳博|2007|p=61}}<ref>{{Cite news|和書 |title=秋篠宮ご夫妻がスカウトジャンボリー出席 ボーイスカウト最大の祭典 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2022-08-07 |url=https://mainichi.jp/articles/20220807/k00/00m/040/232000c |access-date=2024-01-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231225121306/https://mainichi.jp/articles/20220807/k00/00m/040/232000c |archive-date=2023-12-25}}</ref>。最初のジャンボリーは1956年に[[長野県]][[軽井沢]]で開催され、13,000人が参加した<ref name="nsj">{{Cite web |title=全国事業の記録 |url=https://100th.scout.or.jp/record/ |website=ボーイスカウト日本連盟100周年特設サイト |access-date=2023-12-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231223045835/https://100th.scout.or.jp/record/ |archive-date=2023-12-23}}</ref>。第15回までは2級スカウト以上で各派遣隊隊長が認めた者のみという規定が存在したが、第16回以降はボーイスカウト及びベンチャースカウトという条件に変更された。[[第18回日本スカウトジャンボリー]]は、日本連盟創立100周年記念大会であった一方、開催方式は初の分散型となった<ref>{{Cite news|和書 |title=秋篠宮ご夫妻、ボーイスカウトの大会にご臨席 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2022-08-07 |url=https://www.sankei.com/article/20220807-TOIBQ6T7VNLDLGGKMH4MMTHJAE/ |access-date=2024-01-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220808145746/https://www.sankei.com/article/20220807-TOIBQ6T7VNLDLGGKMH4MMTHJAE/ |archive-date=2022-08-08}}</ref><ref name=":pdf01">{{Cite web|和書 |title=第18回日本スカウトジャンボリー基本実施要項 |url=https://doc.18nsj.scout.or.jp/docs/18nsj_outline.pdf |page=1 |access-date=2023-08-14 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20231113090050/https://doc.18nsj.scout.or.jp/docs/18nsj_outline.pdf |archive-date=2023-11-13}}</ref>。


=== 制服 ===
ボーイスカウトとガールスカウト(ガールガイド)はルーツが同じである為、共通する事項も多い。
日本連盟の制服は、主に上着、[[ベルト (服飾)|ベルト]]、[[ネッカチーフ]]、[[制帽]]からなる{{Sfn|諸規程|2019|p=175}}。上着は、長袖、半袖の2種類があり、[[世界スカウト記章]]などが付けられている{{sfn|スカウトハンドブックベーシック|2021|p=18}}。また、ネッカチーフは、隊で統一された色の三角形の布とされている{{Sfn|諸規程|2019|p=175}}。
* モットーは、どちらも同じ「そなえよつねに」(備えよ常に)である。
* スローガンは、ボーイスカウトは『日日の善行』、ガールスカウトは『一日一善』だが、 英語表記では、Daily Good Turn. または Do a good turn daily.と共通しており、意味は同じである。
<!--*敬礼の所作が同じである。-->
* 所定の条件を満たして入団することにより、スカウトの象徴である「制服」と「ネッカチーフ」の着用を許される。
<!--* 団によってネッカチーフの色やデザインが異なる。-->


『少年団研究』の創刊号に「少年団日本連盟における服装の基準を定めた」ことが記されている。
ガールスカウト日本連盟の英語表記が、Girl Scouts of Japanであるのに対し、ボーイスカウト日本連盟の英語表記は、Scout Association of Japanとなっている。boyと表記されないのは、男性ではない加盟員に対しての配慮である。
{{quotation|少年団員は大体世界共通の制服を着し一定の徽章を付している。(中略)単に簡便であるというだけではならぬ。一度之を着用するならば真の少年団の人となって団の精神に基づく何物かを負担してこの道のために尽力するように願いたいものである。|少年団日本連盟|『少年団研究』}}


=== 指導者訓練 ===
2015年の[[第23回世界スカウトジャンボリー]](23WSJ)に先立ち、同年4月1日に正装、記章・標章類に関する教育規程の改正が施行され、新制服紹介ページには、各種制服写真は男女モデルが並んで掲載されている<ref>[http://www.scout.or.jp/uniform/ New Uniforms] - ボーイスカウト日本連盟</ref>。デザイン(パターン)上は男女の差が無く兼用となっており、指導者(20歳以上)用のスカートも廃止された。男子はハット、女子は中折れ帽かハットを隊で統一して着用することになり、ベレー帽は廃止された。なお、旧制服、記章、標章等は移行期間の終了する2018年8月31日まで、旧規定に基づき着用可だった。
日本連盟では、スカウトが良いプログラムを体験できるよう、成人指導者の研修を実施している。主に指導者向け、団指導者向け、指導者を養成するための指導要員向けの3種類がある。ボーイスカウトの指導者(リーダー)は、多くの場合、日本連盟が定める指導者訓練を修了した者に限られる。指導者訓練には部門ごとに実施されるもの(課程別)もある<ref name="shidousya">{{Cite web |title=指導者になって、研修にいこう |url=https://www.scout.or.jp/member/scoutingmagazine202203_08_09 |website= |date=2022-03-08 |access-date=2023-12-26 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20231226074024/https://www.scout.or.jp/member/scoutingmagazine202203_08_09 |archive-date=2023-12-26 |publisher=ボーイスカウト日本連盟}}</ref>。

;隊指導者の訓練
* 導入訓練(ボーイスカウト講習会)<ref name="Scouting748">{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2022-03-01 |year=2022 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=9 |issue=748 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/202203.pdf |access-date=2024-05-07}}</ref>:ボーイスカウト講習会を履修して修了となる{{Sfn|諸規程|2019|p=91}}。
* 基礎訓練課程(ウッドバッジ研修所スカウトコース及び課程別研修)<ref name="Scouting748" />:導入訓練課程を修了した加盟員に限り参加できる。スカウトコース(3泊4日野営)とその後の課程別研修(1日、8時間)の両方を履修して修了となる。スカウトコースの履修認定を受けた者は、ギルウェルウォッグル(皮紐製のチーフリング)を着用できる。
* 上級訓練課程(ウッドバッジ実修所)<ref name="Scouting748" />:基礎訓練課程修了後所定の条件を満たすと参加可能。訓練はすべて課程別である。第一教程(課題研究)、第二教程(集合訓練)、第三教程(実務訓練)の順に履修して修了となる。修了者はウッドバッジ(2ビーズ)及びギルウェルスカーフを着用できる。
;団委員の訓練
* 導入訓練課程(指導者と共通)
* 基礎訓練課程(団委員研修所):導入訓練課程を修了した加盟員に限り参加可能。団委員研修所(2泊3日宿舎泊)を履修して修了となる。
* 上級訓練課程(団委員実修所):第一教程(課題研究)、第二教程(マネジメントトレーニング:2泊3日の舎営)及び第三教程(実務訓練)に分けて行われる{{Sfn|諸規程|2019|p=92}}。加盟員で団委員研修所履修後1年以上経過後に参加可能。


== 組織 ==
== 組織 ==
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=== 都道府県連盟 ===
=== 都道府県連盟 ===
47[[都道府県]]にそれぞれ1連盟、計47連盟がある(なお、「東京連盟」「滋賀連盟」いったように「○○連盟」と名乗る連盟と「埼玉県連盟」「山口県連盟」といったように「○○''''''連盟」と乗る連盟があ
47[[都道府県]]にそれぞれ1連盟、計47連盟がある。県連盟は、教育及び運営の機関して、県連盟総会、県連盟理事会、県連盟内コミッショナー会議、県連盟名誉会議及び県連盟の各種委員会を設けてい{{Sfn|諸規程|2019|p=57}}
{| class="wikitable sortable" style="text-align:right;"
!都道府県
!創立年
!加盟員数(2023年度){{Sfn|組織拡充資料|2024|p=3}}
!団数(2023年度){{Sfn|組織拡充資料|2024|p=3}}
|-
|[[File:Flag of Hokkaido Prefecture.svg|22px]] '''[[北海道]]'''
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|813
|33
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|[[File:Flag of Aomori Prefecture.svg|border|22px]] '''[[青森県]]'''
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|127
|6
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|[[File:Flag of Iwate Prefecture.svg|22px]] '''[[岩手県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=ボーイスカウト岩手連盟創立70周年記念 第17回 岩手県ボーイスカウト野営大会 |url=https://bsiwate.jimdo.com/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E9%80%A3%E7%9B%9Fnews/ |website= |access-date=2024-01-17 |language=ja |publisher=ボーイスカウト岩手連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240117120017/https://bsiwate.jimdo.com/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E9%80%A3%E7%9B%9Fnews/ |archive-date=2024-01-17}}</ref>
|310
|7
|-
|[[ファイル:Flag of Miyagi Prefecture.svg|22x22ピクセル]] '''[[宮城県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=宮城県連盟のご紹介 |url=http://www.scout-miyagi.jp/%E4%B8%80%E8%88%AC%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8-%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%80%A3%E7%9B%9F%E3%81%AE%E3%81%94%E7%B4%B9%E4%BB%8B/ |website=日本ボーイスカウト宮城県連盟 -自立心ある健全な青少年を育てる- |access-date=2024-01-17 |language=ja |archive-date=2024-01-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240117115912/https://www.scout-miyagi.jp/%E4%B8%80%E8%88%AC%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8-%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%80%A3%E7%9B%9F%E3%81%AE%E3%81%94%E7%B4%B9%E4%BB%8B/}}</ref>
|654
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|[[File:Flag of Akita Prefecture.svg|22px]] '''[[秋田県]]'''
|
|153
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|[[File:Flag of Yamagata Prefecture.svg|22px]] '''[[山形県]]'''
|1953年<ref>{{Cite web |title=団体情報 |url=https://bs-yamagata.org/%e5%9b%a3%e4%bd%93%e6%83%85%e5%a0%b1/ |website=ボーイスカウト山形県連盟 |access-date=2024-01-17 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20240117115913/https://bs-yamagata.org/%e5%9b%a3%e4%bd%93%e6%83%85%e5%a0%b1/ |archive-date=2024-01-17}}</ref>
|185
|6
|-
|[[ファイル:Flag of Fukushima Prefecture.svg|22x22ピクセル]] '''[[福島県]]'''
|
|568
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|[[File:Flag of Ibaraki Prefecture.svg|22px]] '''[[茨城県]]'''
|1951年<ref>{{Cite web |title=02県連の歴史 |url=https://scout-ib.net/02%E7%9C%8C%E9%80%A3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2.html |website= |access-date=2024-01-17 |publisher=日本ボーイスカウト茨城県連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240117120018/https://scout-ib.net/02%e7%9c%8c%e9%80%a3%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2.html |archive-date=2024-01-17}}</ref>
|1,515
|35
|-
|[[ファイル:Flag of Tochigi Prefecture.svg|22x22ピクセル]] '''[[栃木県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=栃木県連盟紹介 |url=https://www.scout-tochigi.jp/federation/syoukai/ |website= |access-date=2024-01-17 |publisher=日本ボーイスカウト栃木県連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240117121519/https://www.scout-tochigi.jp/federation/syoukai/ |archive-date=2024-01-17}}</ref>
|903
|22
|-
|[[File:Flag of Gunma Prefecture.svg|22px]] '''[[群馬県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |url=https://scout-gunma.jp/member/download/70th/pdf/Boyscout_60th_s4.pdf |title=日本ボーイスカウト群馬県連盟創立60周年記念誌 |access-date=2024-01-14 |publisher=日本ボーイスカウト群馬県連盟}}</ref>
|921
|25
|-
|[[File:Flag of Saitama Prefecture.svg|border|22px]] '''[[埼玉県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=ごあいさつ |url=https://scout-saitama.jp/visitor/greeting |website= |access-date=2024-01-18 |publisher=ボーイスカウト埼玉県連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118090108/https://scout-saitama.jp/visitor/greeting |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|5,026
|102
|-
|[[File:Flag of Chiba Prefecture.svg|22px]] '''[[千葉県]]'''
|
|4,307
|84
|-
|[[File:Flag of Kanagawa Prefecture.svg|border|22px]] '''[[神奈川県]]'''
|
|6,811
|114
|-
|[[File:Flag of Yamanashi Prefecture.svg|22px]] '''[[山梨県]]'''
|
|528
|10
|-
|[[ファイル:Flag of Tokyo Metropolis.svg|22x22ピクセル]] '''[[東京都]]'''
|1948年<ref>{{Cite web |title=75周年記念式典終了御礼 |url=https://www.scout.tokyo/member/75%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e5%bc%8f%e5%85%b8%e7%b5%82%e4%ba%86%e5%be%a1%e7%a4%bc/ |website=加盟員向けサイト |date=2023-12-01 |access-date=2024-01-18 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121648/https://www.scout.tokyo/member/75%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e5%bc%8f%e5%85%b8%e7%b5%82%e4%ba%86%e5%be%a1%e7%a4%bc/ |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|11,728
|215
|-
|[[File:Flag of Niigata Prefecture.svg|22px]] '''[[新潟県]]'''
|
|500
|14
|-
|[[File:Flag of Toyama Prefecture.svg|border|22px]] '''[[富山県]]'''
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|756
|22
|-
|[[File:Flag of Ishikawa Prefecture.svg|22px]] '''[[石川県]]'''
|
|948
|22
|-
|[[File:Flag of Fukui Prefecture.svg|22px]] '''[[福井県]]'''
|1950年<ref>{{Cite web |title=日本ボーイスカウト福井連盟創立60周年記念式典 |url=https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/ti_1/d221031.html |website= |access-date=2024-01-24 |publisher=福井県 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240124120223/https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/ti_1/d221031.html |archive-date=2024-01-24}}</ref>
|434
|14
|-
|[[File:Flag of Nagano Prefecture.svg|22px]] '''[[長野県]]'''
|
|892
|22
|-
|[[File:Flag of Gifu Prefecture.svg|border|22px]] '''[[岐阜県]]'''
|
|1,261
|22
|-
|[[File:Flag of Shizuoka Prefecture.svg|22px]] '''[[静岡県]]'''
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|3,554
|81
|-
|[[File:Flag of Aichi Prefecture.svg|22px]] '''[[愛知県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=愛知連盟創立70周年記念「あいちスカウトデー」 |url=https://scout.aichi.jp/information/report/1096.html |website= |access-date=2024-01-18 |publisher=一般社団法人日本ボーイスカウト愛知連盟 |date=2019-11-01 |archive-date=2024-01-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121942/https://scout.aichi.jp/information/report/1096.html}}</ref>
|8,007
|161
|-
|[[File:Flag of Mie Prefecture.svg|22px]] '''[[三重県]]'''
|
|506
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|-
|[[File:Flag of Shiga Prefecture.svg|22px]] '''[[滋賀県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=滋賀連盟の概要 |url=https://scout-shiga.jp/overview/ |website=日本ボーイスカウト滋賀連盟 |date=2024-01-17 |access-date=2024-01-18 |language=ja |last=日本ボーイスカウト滋賀連盟 |archive-date=2024-01-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121647/https://scout-shiga.jp/overview/}}</ref>
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|21
|-
|[[File:Flag of Kyoto Prefecture.svg|22px]] '''[[京都府]]'''
|1915年<ref>{{Cite web |url=https://kyoto-bs.jp/data/100th_newspaper.pdf |title=日本ボーイスカウト京都連盟創立100周年 |access-date=2024-01-18 |publisher=日本ボーイスカウト京都連盟 |archive-date=2024-01-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230731170417/https://kyoto-bs.jp/data/100th_newspaper.pdf}}</ref>
|2,120
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|-
|[[File:Flag of Hyogo Prefecture.svg|22px]] '''[[兵庫県]]'''
|1950年<ref>{{Cite web |title=日本ボーイスカウト兵庫連盟 - 兵庫連盟について - 兵庫連盟のあゆみ |url=https://www.bs-hyogo.gr.jp/council/history/index.html |website= |access-date=2023-12-26 |publisher=日本ボーイスカウト兵庫連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231226052940/https://www.bs-hyogo.gr.jp/council/history/index.html |archive-date=2023-12-26}}</ref>
|4,937
|98
|-
|[[File:Flag of Nara Prefecture.svg|border|22px]] '''[[奈良県]]'''
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|1,978
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|-
|[[File:Flag of Wakayama Prefecture.svg|border|22px]] '''[[和歌山県]]'''
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|728
|16
|-
|[[File:Flag of Osaka Prefecture.svg|22px]] '''[[大阪府]]'''
|
|6,255
|141
|-
|[[File:Flag of Tottori Prefecture.svg|22px]] '''[[鳥取県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=日本ボーイスカウト鳥取連盟/社会教育課/とりネット/鳥取県公式サイト |url=https://www.pref.tottori.lg.jp/45672.htm |website=鳥取県公式サイト |access-date=2024-01-18 |archive-date=2024-01-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121645/https://www.pref.tottori.lg.jp/45672.htm}}</ref>
|380
|9
|-
|[[File:Flag of Shimane Prefecture.svg|22px]] '''[[島根県]]'''
|1950年<ref>{{Cite web |title=島根連盟のあしあと |url=http://www.scout-shimane.jp/pwm/history.html |website= |access-date=2024-01-18 |publisher=日本ボーイスカウト島根連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121643/http://www.scout-shimane.jp/pwm/history.html |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|388
|10
|-
||[[File:Flag of Okayama Prefecture.svg|22px]] '''[[岡山県]]'''
|1950年<ref>{{Cite web |url=https://scout-ok.jp/70th/70history.pdf |title=日本ボーイスカウト岡山連盟70年の歴史 |access-date=2024-01-14 |publisher=日本ボーイスカウト岡山連盟 |archive-date=2024-01-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240114060500/https://scout-ok.jp/70th/70history.pdf}}</ref>
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|19
|-
||[[File:Flag of Hiroshima Prefecture.svg|22px]] '''[[広島県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=広島県連盟事務局 / ボーイスカウト広島県連盟 |url=http://23wsjh.juno.weblife.me/kenrenjimukyoku.html |website=ボーイスカウト広島県連盟 |access-date=2024-01-18 |language=ja-JP |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121949/http://23wsjh.juno.weblife.me/kenrenjimukyoku.html |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|1,038
|20
|-
|[[File:Flag of Yamaguchi Prefecture.svg|22px]] '''[[山口県]]'''
|1948年<ref>{{Cite web |url=https://scouts-yamaguchi.jp/about/ |title=日本ボーイスカウト山口県連盟の紹介 |access-date=2024-01-18 |publisher=日本ボーイスカウト山口県連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121651/https://scouts-yamaguchi.jp/about/ |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|829
|19
|-
|[[File:Flag of Tokushima Prefecture.svg|22px]] '''[[徳島県]]'''
|
|188
|8
|-
|[[File:Flag of Kagawa Prefecture.svg|22px]] '''[[香川県]]'''
|1950年<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.kagawa.lg.jp/documents/5341/102_nihonboyskauto.pdf |title=日本ボーイスカウト香川連盟 |access-date=2024-01-18 |publisher=日本ボーイスカウト香川連盟}}</ref>
|412
|13
|-
|[[File:Flag of Ehime Prefecture.svg|22px]] '''[[愛媛県]]'''
|1950年<ref>{{Cite web |title=県連盟紹介 |url=http://boyscout-ehime.org/?page_id=2 |website=ボーイスカウト愛媛県連盟ホームページ |access-date=2024-01-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121949/http://boyscout-ehime.org/?page_id=2 |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|968
|26
|-
|[[File:Flag of Kochi Prefecture.svg|22px]] '''[[高知県]]'''
|
|105
|3
|-
|[[File:Flag of Fukuoka Prefecture.svg|22px]] '''[[福岡県]]'''
|
|1,703
|39
|-
|[[File:Flag of Saga Prefecture.svg|22px]] '''[[佐賀県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=日本ボーイスカウト佐賀県連盟 |url=https://scout-saga.jp/ |access-date=2024-01-18 |language=ja |publisher=日本ボーイスカウト佐賀県連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121644/https://scout-saga.jp/ |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|314
|11
|-
|[[File:Flag of Nagasaki Prefecture.svg|border|22px]] '''[[長崎県]]'''
|
|311
|8
|-
|[[File:Flag of Kumamoto Prefecture.svg|22px]] '''[[熊本県]]'''
|
|570
|21
|-
|[[File:Flag of Oita Prefecture.svg|border|22px]] '''[[大分県]]'''
|1949年<ref>{{Cite web |title=大分県連盟のあゆみ – 公益社団法人日本ボーイスカウト大分県連盟 |url=http://scouts-oita.org/renmei/aboutrenmei/ |access-date=2024-01-18 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20240118121940/http://scouts-oita.org/renmei/aboutrenmei/ |archive-date=2024-01-18}}</ref>
|382
|9
|-
|[[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|22px]] '''[[宮崎県]]'''
|
|354
|15
|-
|[[File:Flag of Kagoshima Prefecture.svg|border|22px]] '''[[鹿児島県]]'''
|
|306
|11
|-
|[[File:Flag of Okinawa Prefecture.svg|border|22px]] '''[[沖縄県]]'''
|
|357
|11
|}


=== 地区 ===
=== 地区 ===
都道府県連盟は、地域の実状により盟の運営を円滑にするために地区を設できる。地区は数個~十数個の団から構成され(例:山手地区、多摩西地区など)
都道府県連盟は、地理的条件、地域の実状、状況等を勘案し、運営を円滑にするため、県連盟が定める地域ごとに地区を設けることができる。また、地区は地区内加盟構成る地区協議会を開催する{{Sfn|諸規程|2019|p=62}}


=== 団・隊 ===
=== 団・隊 ===
青少年に対しスカウト教育を実施する単位を「隊」といい、運営の単位を「団」という(例:三鷹第1団、大阪第165団など)。団は団委員会及びビーバーからローバーまでの各隊をもって標準とする。
青少年に対しスカウト教育を行うための運営の単位を「団」という{{Sfn|諸規程|2019|p=36}}<ref name="journal2016" />。団は団委員会及びビーバーからローバーまでの各隊をもって標準とする。団は、団委員会を設け、ビーバースカウト隊、カブスカウト隊、ボーイスカウ ト隊、ベンチャースカウト隊及びローバースカウト隊の各1個隊ずつをもって構成することを標準としている。
* ジャンボリーなどの際に編成される派遣隊は、スカウト8名の班を4つと指導者8名の計40名で構成される。


==== 団委員会 ====
団は特定の地域を本拠として設置されている(市区町村、あるいは学区など、本拠としている地域はそれぞれの団によって異なる)。特定の[[宗教]]を本拠としている団や、学校の課外活動、[[大学]]のサークル(大学ローバー)として設置されている団もある(例:京都第65団は[[八坂神社]]を本拠とし、新宿第2団は[[早稲田大学]]公認のサークル、豊島第1団は[[学習院]](初等科から高等科まで)のクラブ活動である)。
育成会から団の運営のために選任された委員を団委員という。通常5人以上おり、各人に仕事を割り振るため、また団の現状を把握するために「団委員会」という会議を行う{{Sfn|諸規程|2019|p=44}}。その際の議長は団委員長がつとめ、団委員長は、団委員の互選で選出される{{Sfn|諸規程|2019|p=44-45}}。スカウトの教育訓練はリーダーが行うため、直接団委員会が携わることはない。一方で、団内の資産の管理、団の財政についての責任、団行事(夏期野営実施など)についての便宜、リーダーの選任やリーダーの訓練への便宜、スカウトの進歩の促進、入団・退団・上進・団の加盟登録などの手続き、スカウトの健康や安全などについては団委員会がこれを行うとされている{{Sfn|諸規程|2019|p=44}}。


==== 指導者 ====
ビーバー隊からカブ隊、カブ隊からボーイ隊、ボーイ隊からベンチャー隊、ベンチャー隊からローバー隊に移籍することを、'''上進'''(じょうしん)という。
指導者は日本連盟の掲げる目的を達成するために、継続的かつ効果的にスカウト運動を推進している。また、基本方針に則った良質なプログラムをスカウトに提供し、スカウトがそのプログラムに主体的に参画することで成長し、よき市民として社会に貢献することが重要とされている。また、成人指導者は、スカウト運動の目的、原理、方法に賛同し、積極的に青少年のプログラム活動を支援する必要がある<ref name="shidousya" />。


=== ===
=== コミッショナー ===
日本連盟や各県にはそれぞれ[[コミッショナー]]がいる{{Sfn|諸規程|2019|p=59}}{{Sfn|諸規程|2019|p=65}}。スカウト運動におけるコミッショナーとは、日本連盟・都道府県連盟・地区において、特定分野を担任して指導にあたる役員のことである{{Sfn|諸規程|2019|p=60}}{{Sfn|諸規程|2019|p=67}}。
スカウト活動の基本にして最小単位は「班」である(カブ隊では「組」と呼称される)。班長(組長)及び次長がリーダーシップをとりながら、班でまとまって行動することが基本である(これを班制度/パトロール・システムと呼ぶ)。一般的に、数個の班が集まって隊を、隊が集まって団を形成する。伝統的に各班には動物や鳥の名前がつけられる(組には1組、2組…と番号が付けられる)。


日本のボーイスカウトにおけるコミッショナーの任務は、スカウト運動の目的・原理・方法といった普遍的なものの周知・普及と、これらに則した適正な判断を行うことであり、スカウト運動の基幹である教育プログラムに関すること、青少年を支援する成人に関することなどの調整・実施・推進等を行うことである{{Sfn|諸規程|2019|p=66}}。また、このような任務から、コミッショナーは「良き社会人」であり「良き指導者」として模範を示す者でなければならないので、役割に応じて所定の研修を修了することが必要である。
=== 団委員会 ===
育成会から団の運営のために選任された委員を団委員という。通常5人以上おり、各人に仕事を割り振るため、また団の現状を把握するために'''団委員会'''という会議を行う。その際の議長は団委員長がつとめる。
団委員長は、団委員の互選で選出される。スカウトの教育訓練はリーダーが行うため、直接団委員会が携わることはない。しかし、
* 団内の資産の管理
* 団の財政についての責任
* 団行事(夏期野営実施など)についての便宜
* リーダーの選任やリーダーの訓練への便宜
* スカウトの進歩の促進
* 入団・退団・上進・団の加盟登録などの手続き
* スカウトの健康や安全
などについては団委員会がこれを行う。団によっては、リーダーと団委員を兼任している者もいる。


=== 指導者 ===
=== 財政 ===
日本連盟の2020年度の収支は9億1026万円であった。加盟員の減少により、収入は年々減少している。そのため、2017年頃より、厳しい経営状況となっており、年間3億円に及ぶ管理費用すら賄えない状況になっていた。そのため2019年に7年ぶりとなる加盟登録料の改定を行った。改定により、2019年度は収入が1億6,000万円の増加となった<ref name=":0">{{Cite web |title=日本連盟の危機突破へ一気に改革を進める |url=https://www.scout.or.jp/member/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e9%80%a3%e7%9b%9f%e3%81%ae%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e7%aa%81%e7%a0%b4%e3%81%b8%e4%b8%80%e6%b0%97%e3%81%ab%e6%94%b9%e9%9d%a9%e3%82%92%e9%80%b2%e3%82%81%e3%82%8b |website= |date=2020-06-22 |access-date=2023-12-26 |language=ja |author=佐野友保 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231226052945/https://www.scout.or.jp/member/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%80%A3%E7%9B%9F%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E7%AA%81%E7%A0%B4%E3%81%B8%E4%B8%80%E6%B0%97%E3%81%AB%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%82%92%E9%80%B2%E3%82%81%E3%82%8B |archive-date=2023-12-26}}</ref>。
* ボーイスカウトの指導者(リーダーとも呼ばれる)は、多くの場合、日本連盟が定める指導者訓練を修了した者に限られる。指導者訓練には部門(ビーバー、カブ、ボーイ、ベンチャーの4つ)ごとに実施されるもの(課程別)もある。
** 隊指導者の訓練
*** 導入訓練課程(ボーイスカウト講習会):ボーイスカウト講習会(1日、7時間)を履修して修了となる。
*** 基礎訓練課程(ウッドバッジ研修所スカウトコース及び課程別研修):導入訓練課程を修了した加盟員に限り参加できる。スカウトコース(3泊4日野営)とその後の課程別研修(1日、8時間)の両方を履修して修了となる。スカウトコースの履修認定を受けた者は、ギルウェルウォッグル(皮紐製のチーフリング)を着用できる。
*** 上級訓練課程(ウッドバッジ実修所):基礎訓練課程修了後所定の条件を満たすと参加可能。訓練はすべて課程別である。第一教程(課題研究)、第二教程(集合訓練)、第三教程(実務訓練)の順に履修して修了となる。修了者はウッドバッジ(2ビーズ)及びギルウェルスカーフを着用できる。
** 団委員の訓練
*** 導入訓練課程(指導者と共通)
*** 基礎訓練課程(団委員研修所):導入訓練課程を修了した加盟員に限り参加可能。団委員研修所(2泊3日宿舎泊)を履修して修了となる。
*** 上級訓練課程(団委員実修所):第一教程(課題研究)、第二教程(マネジメントトレーニング:2泊3日の舎営)及び第三教程(実務訓練)に分けて行われる。加盟員で団委員研修所履修後1年以上経過後に参加可能。
** その他に、成人指導者訓練として各種のコミッショナー(地区、県連盟)や正副リーダートレーナーの養成を目的としたコースなどがある。
* カブ隊では組の指導者(組全体の保護者的な意味合いが強い)としてデンリーダーが存在する。デンリーダーはカブスカウトの保護者等から選出され、ボーイスカウト講習会を修了しているかどうかは問われない。以前は、デンマザー・デンダッドと呼ばれていた。
* ボーイ隊のスカウトがカブ隊の組の指導者としてデンコーチに任命されることが多い。これはスカウト活動における奉仕活動の一例であり、カブスカウトにとってはボーイスカウトへの憧れを抱かせ、ボーイスカウトにとっては将来班長としてのリーダーシップを養う機会となる。
** デン (den) とは「動物の巣穴」の意味である。
* ビーバー隊では隊長や副長の補佐として、ボーイスカウト講習を修了していない保護者等が補助者として隊につくことがある。
* 指導者は無報酬の[[ボランティア]]である。県連盟や日本連盟には専従の職員がいるがそれは全体のごく僅かで、ボーイスカウトに携わる者のほとんどは無報酬である。
* スカウトとしての経験がある者がリーダーをする場合とスカウトの親がデンリーダー・補助者などを経てリーダーになる場合が多い。
* 一般的に、ボーイスカウトの活動には手がかかり、いわゆる「習い事」と比べて保護者の負担が重いといわれることがある。団委員や隊指導者が無償のボランティアとして組織運営の大部分を引き受けているものの、休日(土日祝日)の活動に参加したり、団や隊の運営に関する役務を一部任されたり、進級について子(スカウト)の指導をしたりすることもあり、保護者にとってそれらが大きな負担となる場合もある。


=== コミッショナー ===
=== 加盟員数 ===
{{Bar chart
日本連盟や各県にはそれぞれ[[コミッショナー]]がいる。スカウト運動におけるコミッショナーとは、日本連盟・都道府県連盟・地区において、特定分野を担任して指導にあたる役員のことである(ただしその任務は各国によって違いがある)。
|title=加盟員数の推移{{Sfn|組織拡充資料|2024|p=10}}
|data_max=350,000
|label_type=年度|data_type=加盟員数
|label1=1983年(昭和58年)|data1=331,985
|label2=1988年(昭和63年)|data2=305,750
|label3=1993年(平成5年)|data3=256,688
|label4=1998年(平成10年)|data4=236,367
|label5=2003年(平成15年)|data5=202,069
|label6=2008年(平成20年)|data6=167,367
|label7=2013年(平成25年)|data7=127,815
|label8=2018年(平成30年)|data8=98,587
|label9=2023年(令和5年)|data9=77,780
}}
日本連盟の加盟員数は1983年に最高となり、その後一貫して減少を続けている{{Sfn|第3期中長期計画|2023|p=28}}。1983年度の加盟員数は331,985人であったが、2023年度は77,780人となり、1983年の23.4%であった{{Sfn|組織拡充資料|2024|p=10}}。2017年度には1960年代以来初めて100,000人を下回った。また、スカウト数は2006年から2016年の10年間で半減しており<ref>{{Cite news|和書 |title=ボーイスカウト:危機! 10年で半減、6万人に |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2017-09-13 |url=https://mainichi.jp/articles/20170913/k00/00e/040/294000c |access-date=2024-01-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231219080254/https://mainichi.jp/articles/20170913/k00/00e/040/294000c |archive-date=2023-12-19}}</ref>、2023年度は44,800人であった{{Sfn|組織拡充資料|2024|p=3}}。日本連盟の推計によると、現状のままでは2032年のスカウト数は約5,000人になるとされている{{Sfn|第3期中長期計画|2023|p=5}}。


日本連盟は、1986年度にビーバースカウト部門を設置し、1995年度には全部門での女子スカウトの加盟を認めるなどしたが、この間、加盟登録数が増えることはなかった{{Sfn|第3期中長期計画|2023|p=28}}。加盟員数の減少により2017年には奥島理事長から「非常事態宣言」が出された<ref name="Scouting732">{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2019-7-1 |year=2019 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=3 |issue=732 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/201907.pdf |access-date=2023年12月26日}}</ref>。2018年の加盟員数の内、新規加入者数は10,340人、前年度からの非継続(中途退団)者数は15,839人であった。スカウティングの質に問題があるとされており、2006年に日本連盟組織拡充委員会が非継続者に対して行った聞き取り調査では、中途退団の主な理由として、プログラムの不評、隊指導者との人間関係、部活動、勉強、経済事情などがあった<ref name="Scouting732" />。また、2019年の全団調査では中途退団の主な理由として、ビーバースカウト・カブスカウトではその他の活動の優先、ボーイスカウトではクラブ活動優先、ベンチャースカウトでは学業優先が最多となった<ref>{{Cite book|和書 |title=2019年度「全団調査」報告書 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |author=中途退団抑止特別委員会 |date=2020-03-31 |year=2020 |page=3 |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2020/03/survey_report_scoutgroup_2019.pdf}}</ref>。
日本のボーイスカウトにおけるコミッショナーの任務は、スカウト運動の目的・原理・方法といった普遍的なものの周知・普及と、これらに則した適正な判断を行うことであり、スカウト運動の基幹である教育プログラムに関すること、青少年を支援する成人に関することなどの調整・実施・推進等を行うことである。また、このような任務から、コミッショナーは「良き社会人」であり「良き指導者」として模範を示す者でなければならないので、役割に応じて所定の研修を修了することが必要である。


2019年度にはスカウトの新規登録が前年度に比べて5%増え<ref name=":0" />、2022年3月末の登録状況では、ビーバー部門が前年比増となった<ref>{{Cite book|和書 |title=SCOUTING |date=2022-5-1 |year=2022 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page=4 |url=https://scoutingmagazine.scout.or.jp/issue/pdf/202205.pdf |access-date=2023年12月26日 |issue=749}}</ref>。
日本連盟には、
* 総コミッショナー(1名)
* 副総コミッショナー(若干名)
都道府県連盟には、
* 県コミッショナー(1名)
* 県副コミッショナー(担当任務につき必要数)
地区には、
* 地区コミッショナー(1名)
* 地区副コミッショナー(担当任務につき必要数)
* 団担当コミッショナー(概ね3から5個団につき1名)
が それぞれ置かれている。

== 参考文献 ==
*{{Cite journal |和書|author=[[二荒芳徳]]|title=少年團徽章と標語 |journal=少年団研究 |volume=1 |issue=1 |publisher=大日本少年団聯盟 |date=1924-04 |pages=5-6 |doi=10.11501/1595161 |ref=harv}}({{国立国会図書館デジタルコレクション|1595161|format=NDLJP}})


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{Notelist}}
{{Notelist}}
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
{{reflist|3}}


== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |title=公益財団法人 ボーイスカウト日本連盟 諸規程 |year=2019 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |pages=36-293 |ref={{Sfnref|諸規程|2019}} |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2019/07/r01_syokitei.pdf}}
* {{Cite book|和書 |title=2023年度事業報告【組織拡充資料】 |year=2024 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |pages=2-10 |ref={{Sfnref|組織拡充資料|2024}} |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2024/06/2023report_sokaku.pdf}}
* {{Cite book|和書 |title=公益財団法人ボーイスカウト日本連盟 第3期中長期計画(2023年度~2032年度) |year=2023 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |pages=3-28 |ref={{Sfnref|第3期中長期計画|2023}} |url=https://www.scout.or.jp/wp-content/uploads/2023/04/middleterm-plan-2023-2032.pdf|date=2023-04|author=第3期中長期計画検討会議}}
* {{Cite book|和書 |title=ボーイスカウトスカウトハンドブックベーシック |date=2021-2-9 |year=2021 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |page= |isbn=978-4-89394-310-1 |language=ja |edition=第2版3刷 |ref={{Sfnref|スカウトハンドブックベーシック|2021}} |pages=18-410}}
* {{Cite book|和書 |title=SCOUTING |year=2000 |publisher=ボーイスカウト日本連盟 |pages=4-13 |ref={{Sfnref|SCOUTING|2000}} |date=2000-12-01|issue=571}}
* {{Cite journal |和書|author=[[二荒芳徳]]|title=少年團徽章と標語 |journal=少年団研究 |volume=1 |issue=1 |publisher=大日本少年団聯盟 |date=1924-04 |pages=5-6 |doi=10.11501/1595161 |ref=harv}}({{国立国会図書館デジタルコレクション|1595161|format=NDLJP}})
* {{Cite book|和書 |title=無名の初代チーフ・スカウト 下田 豊松物語 |date=1997-09-02 |year=1997 |publisher=クニ・スカウティング・ライブラリー |page= |isbn= |language=ja |edition= |ref={{Sfnref|小町國市|1997}} |pages=9-97 |author=小町國市}}
* {{Cite journal|和書|author=阪下朝一|title=「少年団」と「少年団日本連盟」-組織と活動の研究-|journal=日本大学大学院総合社会情報研究科紀要|publisher=日本大学大学院総合社会情報研究科|url=https://gssc.dld.nihon-u.ac.jp/wp-content/uploads/journal/pdf04/1-1-2003-Sakashita.pdf|date=2003|page=2-12|ref={{Sfnref|阪下朝一|2003}}}}
* {{Cite journal|和書|author=黒澤岳博|year=2007|title=コミュニケーション促進システムとしてのボーイスカウト : 班制度におけるコミュニケーションを中心として|url=https://libir.josai.ac.jp/il/meta_pub/G0000284repository_JOS-KJ00005044325|journal=城西大学経営紀要|pages=61-79|ref={{Sfnref|黒澤岳博|2007}}|date=2007-03|issue=|volume=3|doi=10.20566/18801536_3_61|language=ja}}
* {{Cite journal|和書|author=圓入智仁|year=2018|title=「ビーバースカウト」の制度と活動 : 幼稚園における教育課程との比較を含めて|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282812556574080|journal=中村学園大学発達支援センター研究紀要|pages=9-18|ref={{Sfnref|圓入智仁|2018}}|date=2018-02-20|issue=9}}
* {{Cite journal|和書|author=圓入智仁|year=2019|title=ボーイスカウトとボランティア : 阪神・淡路大震災後の組織的な復興支援活動と葛藤|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1050564288198179584|journal=中村学園大学・中村学園大学短期大学部研究紀要|pages=49-56|ref={{Sfnref|圓入智仁|2019}}}}
* {{Cite journal|和書|author=横山陸|year=2023|title=「女の子なのにボーイスカウトなの?」:日本スカウト運動史における女子の受け入れプロセス|url=https://researchmap.jp/RikuYokoyama/published_papers/43778800|journal=高崎経済大学論集|pages=167-195|ref={{Sfnref|横山陸|2023}}|date=2023-12-25|issue=3|volume=66|doi=10.20635/0002000056|language=ja}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* 一般財団法人[[ボーイスカウトエンタープライズ]]
* [[日本スカウトジャンボリー]]
* [[ボーイスカウト]]
* [[ガールスカウト]]
* [[スカウト運動]]
* [[日本におけるスカウティング]]
* [[日本におけるスカウティング]]
* [[スカウトソング]]


== 外部リンク ==
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{{ウィキポータルリンク|スカウト}}
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* [http://www.scout.or.jp/ 公益財団法人ボーイスカウト日本連盟] - 公式サイト
* [http://www.scout.or.jp/ ボーイスカウト日本連盟]
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2024年12月6日 (金) 04:33時点における最新版

ボーイスカウト日本連盟
公益財団法人ボーイスカウト日本連盟
Scout Association of Japan
略称 SAJ
設立 1922年大正11年)4月13日[1]
設立者 後藤新平
種類 公益財団法人[1]
財団法人認可:
1935年昭和10年)7月1日
公益財団法人認定:
2010年平成22年)4月1日
法人番号 9010005017765 ウィキデータを編集
法的地位 公益法人認定法
目的 ボーイスカウト運動の普及
本部 日本の旗 日本
167-0022
東京都杉並区下井草4丁目4番3号
座標 北緯35度43分10秒 東経139度37分6秒 / 北緯35.71944度 東経139.61833度 / 35.71944; 139.61833
貢献地域 日本の旗 日本
会員数
77,780人[2]
(2024年3月31日現在)
理事長 水野正人
提携 世界スカウト機構
予算 8億8826万4868円[3]
(2024年度)
職員数
29人[1]
ウェブサイト https://www.scout.or.jp/
テンプレートを表示
ボーイスカウト日本連盟
 ウィキポータル スカウト

公益財団法人ボーイスカウト日本連盟(ボーイスカウトにっぽんれんめい、: Scout Association of Japan、略称: SAJ)は、「世界スカウト機構憲章に基づき、日本におけるボーイスカウト運動を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の増進を図り、青少年の健全育成に寄与すること」を目的とする[1]文部科学省所管の公益法人財団法人)である。2024年3月31日現在の加盟員数は77,780人[2]

イギリスで始まったスカウト運動は、秋月左都夫北条時敬蒲生保郷などにより日本に紹介された。その後、クラレンス・グリフィン英語版などの外国人がボーイスカウト団体を結成した。そして、1912年のベーデン=パウエルの日本訪問により、日本各地で「少年団」が発足した。1922年4月13日、静岡県で開催された「第1回全国少年団大会」において、「少年団日本連盟」の結成が決議され、翌年の1923年関東大震災時にはスカウトが奉仕活動を展開した。太平洋戦争の終戦直後、GHQはボーイスカウトの再建運動を許可しなかったが、少年団の指導者や日系2世のボーイスカウト出身者、GHQの民間情報教育局(CIE)の協力の上、1947年には一部の地域で試験的にスカウト活動が再開された。そして、1949年4月には、財団設立認可が下り、「財団法人ボーイスカウト日本連盟」が再発足した。1950年7月1日、日本連盟が国際事務局に復帰し、1956年には第1回日本ジャンボリーが開催された。また、1971年には日本初の世界ジャンボリーである第13回世界ジャンボリーが開催された。1995年には全部門への女子の加入が認められた。2022年にはボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典が開催された。

日本連盟は、世界スカウト機構に加盟している。日本連盟の加盟員の区分として、ビーバースカウト(小学校1年生 - 小学校2年生)、カブスカウト(小学校3年生 - 小学校5年生)、ボーイスカウト(小学校6年生 - 中学校3年生)、ベンチャースカウト(中学校3年生9月 - 高校3年生)、ローバースカウト(18歳以上25歳以下)がある。日本連盟の目標は、ボーイスカウトの組織を通じ、青少年がその自発活動により、自らの健康を築き、社会に奉仕できる能力と人生に役立つ技能を体得し、かつ、誠実、勇気、自信および国際愛と人道主義を把握し、実践できるよう教育することである。スカウト教育法では、「ちかい」と「おきて」の実践、班制教育、進歩制度、野外活動を取り入れている[4]。日本連盟の組織形態は、日本連盟、都道府県連盟、地区、団、隊という形である。加盟員数は1983年をピークとして、減少しており、2023年度は1983年の23.4%であった。

歴史

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設立までの前史

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1908年1月の「スカウティングフォアボーイズ」の出版によって広まったスカウト運動の広がりは、同年イギリスに滞在していた秋月左都夫公使により、日本政府に紹介された[5]。当時の文部大臣であった牧野伸顕は、広島高等師範学校(現在の広島大学)の校長だった北条時敬ボーイスカウトの調査を依頼した[6][7]。北条はイギリス各地を回り、この運動の原因を調査し、本や制服を買い揃え、翌年に日本に帰国した[5]。その後、広島高等師範学校で講演会や展覧会を行い、当時の内閣に対してボーイスカウト運動の導入を働きかけた[6]。しかし、内閣が代わり、この提案は拒否された[6]。そこで自身で同行付属中学校の校外活動にスカウティングを導入し、全国各地でスカウト教育法についての講演を行った[5]。1910年には文部省督学官として英国留学から帰国した蒲生保郷が、英国ボーイスカウトに関する書籍を桂太郎首相と小松原英太郎文部大臣に贈呈し、政府に「日本でも少年団活動を検討すべし」との建白書を提出した[8]。 また、「スカウティングフォアボーイズ」は、1910年に参謀本部の翻訳官であった榎本恒太郎が「少年兵団」の題名で刊行した[9]

スカウト運動に関心を寄せていた乃木希典大将は、1911年のイギリス訪問時に、ロンドンにてボーイスカウトの集会を視察し、ロバート・ベーデン=パウエル卿とも会見した[10]。その時に行われたスピーチは、後にベーデン=パウエルの書物に引用された[5]。また、同年には神奈川県横浜市在住の実業家であり、日曜学校の教師でもあった英国人クラレンス・グリフィン英語版がイギリススカウト連盟の外国支部として「横浜第一隊」を結成した。メンバー構成は、英国人12名、米国人3名、デンマーク人2名、ノルウェー人1名で、「グリフィン隊」とも呼ばれた。これは、現在の国際ボーイスカウト第1団で、「日本初の公認のボーイスカウト団体[11]」とされている。その他、兵庫県神戸市在住のイギリス人牧師フレデリック・ウォーカーがウォーカー隊(米国人を主とした27名)を結成した[12]1912年、ベーデン=パウエルが世界一周旅行の最中、夢に出てきた聖パウロの「きみはあのすばらしい国、日本にいったか」という一言により、日本にも訪問した[5]。6日間の滞在中、日本には正式なボーイスカウトの組織ができていなかったため、横浜第一隊(グリフィン隊)を視察した[5]。また、日本訪問によって日本各地で「少年団」が発足した[5]

日本連盟の前身である「日本健児団」の印鑑

1916年8月、京都少年義勇軍によって日本のボーイスカウト団体による初野営(キャンプ)が琵琶湖畔の雄松崎(滋賀県志賀町)で行われた[13]1920年に、ロンドンで開催された第1回世界ジャンボリー英語版に、日本からは「東京少年団」の小柴博、「北海道岩内少年団」の下田豊松国際ボーイスカウト第1団(「横浜インターナショナル隊」)の鈴木慎(鈴木リチャード)の3名が参加した[14]。小柴と下田の2人は5月11日に横浜港を出発し、船上にて偶然知り得た鈴木と共にイギリスへ向かった[14]。鈴木は開会式で日本のプラカードを掲げた[15][16]。また、8月1日の日曜日にウエストミンスター寺院にて礼拝した後に、ロンドンの行進イベントに参加した際、沿道からは「JAPAN」、「JAPAN」と連呼され、歓声の声が上がった[16]

1922年頃

翌年の1921年、少年団の全国統一組織である「日本健児団」を創設し、正式加盟国として、英国の国際本部に登録した[17]。同年、ロンドンにおいて、欧州訪問中の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)にベーデン=パウエルが謁見し[18]、英国ボーイスカウトの最高功労章であるシルバー・ウルフ章を贈呈した[9][注釈 1]。また、ベーデン=パウエルは「ボーイスカウトの精神は、日本武士道の精神の真髄を採用して行っている」といった意味の事柄も回答した[9]

ここに予が、かねてより聞き及んでいたエジンバラ市少年斥候隊の盛大な会合を見ることを得たのは大なる喜びとするところである。先に予がロンドンを去らんとする前日、諸子の最も尊敬する少年斥候隊長ベーデン=パウエル中将は親しく予を訪問して、この運動が世界の人々は同胞であるという精神をもっており、然してこの運動の成功は、やがて世界永久の平和を建設するに貢献することが少なくないであろうと告げた。予はこの如く美しい精神を保持するこの運動が、当然収むべきあらゆる成功を勝ち得ることを切に祈ると共に、最近日本において同じ目的をもって起った少年団運動が、時を追うて今日ここに見るような進歩の域に達し、この運動の目的とする貴い使命を実現するに協力せんことを望むものである
皇太子裕仁親王[19]

これが日本でも報道され、スカウト連盟結成の機運が高まった[9]。翌年1922年4月、静岡で第1回全国少年団大会が開催され[20]、日本各地から123名の首脳代表が集結し、規約草案の可決が行われた[17]。そして、ボーイスカウト、各地の子供会、宗教少年部、日曜学校少年団などが統合され、「少年団日本連盟」が発足し、後藤新平が総裁に就任した[17][21]。同月、英国エドワード・アルバート皇太子を迎え、東京で全国少年団員団技大会が開催された[9]。1922年後半には日本の世界スカウト機構への加盟を認められた[22]

設立後

[編集]

1923年関東大震災時にスカウトが奉仕活動を展開した[21]。全国の少年団から被災児童に救援品、教科書、文房具や慰問文などが送られ、それらを野外少国民学校の子どもたちに配給した[21]。また、文部省内にあった少年団日本連盟の事務所が震災によって全焼した[21]1924年の第2回世界ジャンボリー(デンマークコペンハーゲンで開催)および第3回国際会議に三島通陽ら24名が参加した。同年には、ボーイスカウト国際事務局に正式加盟した[23]。その他、佐野常羽がギルウェル実修所に日本人として初めて入所した。また、機関紙『少年団研究』が発刊された[24]。11月14日・15日に開催された第一回全国総会において後藤新平が総長に推戴され、山田耕筰が作曲し、葛原しげるが作詞した連盟歌『花は薫るよ』が採用された[25]1925年には、第1回指導者訓練所を山中湖畔で開設し、ちかい(宣誓)とおきてを制定した[19]1931年佐野常羽がベーデン=パウエルよりシルバーウルフ章を贈られた。また、1932年10月から、大阪を中心に少年団の敬礼をめぐる三指礼問題と呼ばれる対立問題が生じ、大阪の第四師団長寺内寿一らが、3本指で行う少年団の敬礼を新聞上で批判した[26]。軍部からの圧力もあり、敬礼を五指礼に変える動きが生じ、大阪地方連盟は分裂し一時解散に至った[26]1935年7月、少年団日本連盟が財団法人化し、「大日本少年団連盟」に改称した[1]。また、1941年1月、政府の方針により、大日本少年団連盟、大日本青年団(現日本青年団協議会)、大日本連合女子青年団、帝国少年団協会を解体し「大日本青少年団」に統合された[10]。大日本少年団連盟は解散し、全国の少年団は大日本青少年団に統合されたが、基本財産とボーイスカウト精神を引き継ぐために「財団法人健志会」と名称を変更して法人格を存続した[27]1942年6月には、大日本青少年団大政翼賛会の傘下となった。そして、1945年6月、大日本青少年団が解散し[28]、「学徒隊」に再編され、その学徒隊も終戦とともに解散した[29]

戦後

[編集]

終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は大日本青少年団を日本の軍国主義の温床と考えていたため、ボーイスカウトの再建運動を許可しなかった[30]。1945年9月、文部次官通達の「青少年団体の設置並に育成に関する件」により、郷土を中心とする自発的な団体の復活、世界平和への貢献、軍国主義的色彩の一掃が謳われた[31]。少年団の指導者や日系2世のボーイスカウト出身者、GHQの民間情報教育局(CIE)の協力の上、1947年には、制服は着ない、三指の敬礼はしないなどの条件付きで、東京で5隊、横浜で1隊が試験的にスカウト活動を開始した[27]。再編成はアメリカのボーイスカウトを参考に進められた[30]1948年1月には、現在の機関誌『スカウティング』の創刊号にあたる機関誌『ジヤムボリー』が発行された[32]1949年4月には、財団法人健志会を基として財団設立認可が下り、「財団法人ボーイスカウト日本連盟」が再発足した[30][31]。同年9月、戦後初の「第1回全国大会(全日本ボーイスカウト大会)」が皇居前広場で開催され、ボーイスカウトアメリカ連盟のスカウトから、ボーイスカウト日本連盟旗が寄贈された[27]。また、最終日には戦後初の日の丸を掲げた公式パレードとなったスカウトパレードが挙行された。パレードは約3,600人、長さは1,200メートルになり、日比谷から東京駅までを行進した[27]

1950年7月1日、日本連盟がボーイスカウトの国際会議構成団体に復帰承認され、国際事務局に復帰した[30]。また、10月には三島通陽が三島家別荘(栃木県那須塩原市)の土地と家屋を日本連盟に譲渡し、11月に那須野営場が開設された[33]。那須野営場の敷地面積は84000 m2を超え[34]、指導者訓練施設として利用されており、多くの指導者がここで訓練を受け、「ボーイスカウトの聖地」とも呼ばれる[35]1951年には三島通陽が第4代総長に就任し、1級スカウトの上に菊、隼、不二(富士)スカウトができた。1956年、初の日本ジャンボリーである第1回日本ジャンボリーが長野県軽井沢町で開催され、13,000人が参加した[36]1958年には、財政運営団体(財団法人ボーイスカウト日本連盟)と教育推進団体(任意団体ボーイスカウト日本連盟)に組織が分割され、団制度が開始された[37]

ボーイスカウトと指導者(『朝日ジャーナル』1967年11月5日号より)

1962年には、当時の最年少部門であるカブ部門の指導者に女子の加入が認められた[38]1964年東京オリンピック1964年東京パラリンピックではスカウトが奉仕を行い、各競技会場内外の参加国旗の一斉掲揚や聖火リレーコースの清掃等などがされた。1966年6月27日には、スカウト運動の振興拡大を図ることを目的として、「ボーイスカウト振興国会議員懇談会」(ボーイスカウト振興国会議員連盟)が設立された[39]1970年東京都三鷹市にボーイスカウト会館が設立された。1971年8月、日本初の世界ジャンボリーである第13回世界ジャンボリー静岡県富士宮市で開催され、富士山麓朝霧高原に87カ国約23,000人の青少年が集った。その跡地には静岡県立朝霧野外活動センターが建立されている[40]。また、同年には、第23回世界スカウト会議が東京プリンスホテルで開催され、昭和天皇が臨席した。1972年沖縄返還により、沖縄のボーイスカウトが日本連盟へ正式移管された。また、ボーイスカウト日本連盟創立50周年事業が行われ、記念パレードが東京・銀座で実施された。1973年には分割されていた組織を「財団法人ボーイスカウト日本連盟」に組織が一体化され、試験研究法人に指定された[37]

現代

[編集]
東日本大震災の後、募金を呼びかけるスカウトたち

1983年には、加盟員数と団数がピークとなり、加盟員数は331,895人、団数は3,919となった[19]。また、1986年にはビーバースカウト部門が導入された[41]1988年、12項目あった「おきて」が8項目に整理統合された[42]1991年9月15日を「スカウトの日」として制定し、全国的な奉仕活動を展開する日とした[43]。「スカウトの日」は、1974年8月の第1回シニア-スカウトフォーラムにて、テーマ「よりよい社会を目指して、スカウトは何をなすべきか」の討議の結果、「スカウト奉仕の日」の全国展開を採択され、提案されたことを起源としている[43]

1991年、ローバースカウト部門への女子の参加が認められた[38]。1994年5月、ボーイスカウト日本連盟中央審議会に「21世紀委員会[注釈 2]」より答申書が提出された[44]。答申書には6項目からなる提言が含まれており、その中に「スカウト教育の対象及びその年齢やプログラムの見直し、また、女子の加入の促進を始め、各部門の特色ある活動や体制づくりを常時検討する」という項目が含まれていた[45]。その後、1995年5月の年次全国会議にて第5号議案「全部門への女子の加入に関すること及びその承認を求める件」が承認され、全部門への女子の加入が認められた[46]

同年の阪神淡路大震災では、ボーイスカウト兵庫連盟を中心に復興支援活動奉仕が行われた[47]。兵庫連盟は、震災翌日の1月18日に「兵庫県地震対策本部」を設置した[48]。対策本部は兵庫県の対策組織に編入され、避難所15カ所の救援、奉仕活動の調整、管理と指導にあたった[48]西宮市にはボーイスカウト大阪連盟が震災直後から支援を行った[49]。5月18日の報告によると、兵庫県内のスカウトと指導者延べ19,164名のほか、国内各地からスカウトと指導者が述べ14,746名が奉仕活動に参加した[49]

1997年には、日本連盟創立75周年中央式典が東京都日比谷公会堂で開催された[37]1999年、シニアー部門に換わる部門として、ベンチャースカウト部門が開始された。また、2001年には、日本連盟呼称の英文表記変更が承認され、5月20日に従来の「Boy Scouts of Nippon」から「Scout Association of Japan」へ変更になった。2007年、世界スカウト運動創始100周年記念事業を実施した[50]2010年、公益財団法人化に伴い、正式名称が「公益財団法人ボーイスカウト日本連盟」に変更された[51]

ボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典

2011年東日本大震災では復興支援活動奉仕を行った[47]。また、同年にはベンチャースカウト部門の新進歩プログラムが施行され、隼スカウトが再び制度化された。2015年には、第23回世界スカウトジャンボリー山口県山口市阿知須きらら浜で開催された。2017年には、2016年に閉鎖された山中野営場に代わり、「大和の森」高萩スカウトフィールドが開設された[19]。同年、ボーイスカウト部門・ベンチャースカウト部門の新進級課程が施行され、新課程では両部門の課程が一本化され、ベンチャー章、ターゲットバッジ、マスターバッジ、プロジェクトバッジが廃止された[52]。また、同時に隊長認定の技能章が導入された。2022年、日本連盟創立100周年事業が実施され、第18回日本スカウトジャンボリーが東京都内の2会場を中央会場として全国各地で分散開催された[53]。また、同年11月26日には、ボーイスカウト日本連盟創立100周年記念式典が開催された[54][55]。式典には、天皇皇后内閣総理大臣岸田文雄が臨席した[56][55]。2024年4月には、ボーイスカウトとベンチャースカウト部門の進級課程の改定が行われ、一本化されていた課程が切り離され、ベンチャー章などが追加された[57]。また、紙媒体としての「スカウティング誌」は、2024年5月号をもって定期刊行を終了した[58]

年表

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  • 1922年大正11年) - 少年団日本連盟設立。総裁:後藤新平、理事長:二荒芳徳[17]、国際事務局に登録[17]
  • 1923年(大正12年) - 関東大震災。各種奉仕活動をスカウトが展開[59]
  • 1924年(大正13年) - 機関誌「少年団研究」創刊[24]
  • 1935年昭和10年) - 法人格を取得し、財団法人大日本少年団連盟に名称変更[27]
  • 1941年(昭和16年) - 政府方針により、大日本少年団連盟は、他の青少年団体とともに大日本青少年団に統合[37]
  • 1947年(昭和22年) - ボーイスカウト日本連盟臨時中央理事会設立(戦後再建)[37]
  • 1949年(昭和24年) - 財団法人ボーイスカウト日本連盟として再発足[37]
  • 1956年(昭和31年) - 第1回日本ジャンボリー開催(長野県軽井沢)[37]
  • 1958年(昭和33年) - 財政運営団体(財団法人ボーイスカウト日本連盟)と教育推進団体(任意団体ボーイスカウト日本連盟)とに組織を分割[37]
  • 1972年(昭和47年) - 沖縄のスカウト運動、日本連盟に正式移行、日本連盟結成50周年記念事業
  • 1973年(昭和48年) - 財団法人ボーイスカウト日本連盟に組織を一体化、試験研究法人指定[37]
  • 1995年平成7年) - 全部門への女子の加入を認める[46]
  • 2010年(平成22年) - 財団法人から公益財団法人に移行[51]
  • 2022年令和4年) - 日本連盟創立100周年事業

歴代総長

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ボーイスカウト日本連盟総長
氏名[60] 就任日[61] 退任日[61] 備考
1 後藤新平 1924年11月 1929年4月
2 齋藤實 1935年6月 1936年2月
3 竹下勇 1937年2月 1941年1月
4 三島通陽 1951年2月 1965年4月
5 久留島秀三郎 1966年5月 1970年9月
6 松方三郎 1971年5月 1973年9月
7 渡邉昭 1974年5月 2003年5月
8 佐波正一 2003年5月 2006年3月 代行
9 奥島孝康 2020年5月1日[62] 2024年5月1日[63]

部門

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ビーバースカウト
小学校1年生から小学校2年生を対象とし、教育規程の範囲内で就学前の児童を受け入れることができる[64][65]
ビーバースカウトの活動は、スカウトの興味と保護者の要望を取り入れた活動の目標に沿って、スカウト自らの体験を通して行われる[66]。ビーバースカウトの活動における課目には「生活」、「健康」、「自然」、「社会」、「表現」の5つがある[66]
ビーバースカウトは、1979年に他のスポーツ少年団など他の社会教育活動が小学校入学時から活動の対象としていることを意識して、カブスカウトよりも下の年齢の子どもを受け入れることを日本連盟が検討したのを始まりとしている[67]。当時、全国でいくつかのカブスカウトが、小学1、2年生を活動に受け入れていた[67]。1982年1月から2年間の実験段階、1985年1月から翌1986年5月までの試行段階があった[67]。その後、1986年にビーバースカウトが発足した[67]
カブスカウト
小学校3年生から小学校5年生を対象としている[64]
カブは動物の子供という意味である[68]。現在のカブスカウトの元である「ウルフ・カブ隊」は、1918年に横浜でボーイスカウト隊の指導に当たっていた英国人のグリフィンによる隊や、神戸のカナディアンスクール内にカナダ人によって組織されていた[69]。日本人による最初のウルフ・カブ隊は、1923年12月に神戸市須磨で作られた[69]。当時の神戸市長石橋為之助の要請で、古田誠一郎(日本連盟先達)自ら隊長となって創設され、日本連盟に登録された[69]
ボーイスカウト
小学校6年から中学校3年生を対象としている[64][70]
スカウト運動は「班制教育」、「進歩制度」、「野外活動」という3つの柱によって各年齢層に合ったプログラムが作られており、これは全ての部門において共通だが、運動の源流に基づき、ボーイスカウト部門はその中核をなしている[71]。班制教育では班長と班員という構成で集団生活を送る[72]
ベンチャースカウト
中学3年生の9月から18歳の、主に高校生年代を対象としている[64]
旧制度におけるシニアースカウトは、「自主性」という点において充分なプログラムであったとは言えなかったため、ベンチャースカウトへと発展的に解消された。ベンチャースカウトは、ボーイスカウトと異なりプロジェクトに対して自主的な企画・計画、実行、評価・反省、報告が求められている。ボーイスカウトのような班制度はないが、活動ごとに活動チームという小グループを編成し、チーフを中心に自治を行うという形で班制教育を行う。ボーイ隊で取得した技能章はそのまま着用し、引き続き進級を進める。また、18歳に達したスカウトは、ローバー隊か指導者を選択することができる。
ローバースカウト
18歳以上25歳以下の青年を対象としている[64]
ローバー隊は自ら自治規則(憲章)を設定し、隊(クルー)の型を決め、自治原則により運営される。ローバー隊の活動は、ローバースカウト自らが実施する自己研鑽と、隊(クルーまたはグループ)が行う奉仕活動、社交活動及びその他のプログラム活動とによって行われる。

教育

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教育目的・方法

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ちかい

私は、名誉にかけて、次の三条の実行をちかいます。
一. 神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります。
一. いつも、他の人々をたすけます。
一. からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。

おきて

1. スカウトは誠実である
2. スカウトは友情にあつい
3. スカウトは礼儀正しい
4. スカウトは親切である
5. スカウトは快活である
6. スカウトは質素である
7. スカウトは勇敢である
8. スカウトは感謝の心を持つ

日本連盟のスカウト教育の基本は、「ちかい英語版」と「おきて英語版」の実践を基盤とする。ただし、ビーバースカウトは「やくそく」と「きまり」を、カブスカウトは「やくそく」と「さだめ」の実践を基盤としている[73]。日本連盟のモットー英語版は、「そなえよつねに」である[74]。英語では「Be Prepared」と呼び、これはベーデン=パウエルが自身のイニシャル(B-P)から考案した[74]二荒芳徳による解説では、積極的(動的な備え)、消極的(静的な備え)の両面の意味があるとされている[75]スローガンは、「日々の善行」であり、スカウトは毎日進んで何か良いことをするとされている[76]。スカウト教育法は、野外での活動を基本としている[77]。スカウトは、自然の持つ力を観察し、その中で生活することで自らを発達、成長させる。また、自然の相互依存を理解することは環境のための行動へとつながるとされている[77]

ベンチャースカウトによる国旗掲揚

1947年に制定されたおきては12項目あった。1988年の改正で12のうち「忠節を尽くす」、「人の力になる」、「従順である」、「純潔である」、「つつしみ深い」の5つが削除され、「感謝の心を持つ」が追加された[42]。改正の理由として、日本連盟コミッショナーの福嶋正己は、「削除した項目の意味は改正後の8項の中にも含まれていること、また現代(当時)の子どもたちには理解しにくい難解な言葉である」としている[42]

ビーバースカウトは、スカウトが隊の活動への参加や家庭での生活指導によって、自然に親しみ、基本的な生活技能、社会性、表現力等を伸ばし、カブスカウトへの上進を目的としている[78]。ビーバースカウトの活動の基本的な理念として「訓育」がある。カブスカウトは、スカウトが組や隊での活動及び家庭や近隣社会での生活指導に参加することによって、良い社会人としての基本を修得し、ボーイスカウトへの上進を目的としている[79]。また、ボーイスカウトは、スカウトが班及び隊の活動に参加することによって自分の責務を果たし、野外活動を主とした体験学習を通して良き社会人たる資質の向上を図り、ベンチャースカウトへの上進を目的としている[80]。ベンチャースカウトは、スカウトが隊や活動チームに参加し、「ちかい」と「おきて」の実践及びグループワークの手法を用いたプログラム活動を通して自ら考え行動し、その結果に責任を負うことができるように育てることを目的としている[81]。また、ローバースカウトは、スカウトが「ちかい」及び「おきて」を各自の生活に、より強力に具現化する機会を与えるとともに、自らの有為の生涯を築き、社会に奉仕する精神と体力を養うことを目的としている[82]

スカウト章

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日本連盟のスカウト章

日本連盟のスカウト章は、フルール・ド・リスを重ねた図案にモットーが組み合わさっている。ユリの三つの花びらからなる「花形」は「スカウトのちかい」を、コンパスの針は「スカウトが常に正しい人生を進むこと」を示している[83]。また、中央の古代日本の鏡は知性反省を、左右2つの星は真理知識を示している[83]。花びらを束ねたロープは協力、共同を意味し、モットーを記した「巻き物」は「モットーを常に実行する姿勢」を表している[83]

少年団日本連盟時代の徽章[注釈 3]の主要なモチーフである三種の神器について以下のように解説されている。

三種の神器は、「民族の理想信念を象徴」するものであり、古来から大切にされてきた品々である。こうした歴史・文化を学ぶことが日本人にとって重要である。特に、鏡が日本神話において天照大神の魂が宿るとされ、人々が真剣かつ真面目に尊重した故事に鑑み、この徽章を帽子や胸に掲げて活動することは「日本人が一心同体の修養と親和協同の感情を錬る」という少年団の眼目に相応しいものである。 — 二荒芳徳、『少年團徽章と標語』[75]

この鏡・剣・璽のうち鏡だけが、内省の意味を込めて、現在も存続している。

また、深尾韶が発行した『スカウト読本』には、以下のように記されている。

この徽章は三種の神器および巻物から成っている。鏡は光明、徳澤、智識を表し剣は正義、秩序、勇気を表し、勾玉は富、仁愛、円を表す。而しかして剣の柄に垂れた紐の結ばれたのは、日善すなわち毎日必ず善行することを忘れぬ為の用意である。神器の精神の導くところに従って、我等は標語の示す立派な人格を築き上げんが為に、巻物を配して之を健児の章としたのである。 — 深尾韶、『スカウト読本』「見習少年健児になるまで」

進歩制度

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バッジシステムとも言われる進歩制度[84]には、必須かつ共通のものである「修得課目」と、趣味や得意な技能を伸ばす「選択課目」があり、修得課目は活動を通じて修得に努力し、規定の課目を完修すると進級章が与えられる[4]

ボーイスカウト部門での進級は「スカウトバッジ」、「初級スカウト章」、「2級スカウト章」、「1級スカウト章」、「菊スカウト章」の5つ、ベンチャースカウト部門での進級は「アドベンチャーバッジ」、「ベンチャー章」、「隼スカウト章」、「富士スカウト章」の4つがある[85]。ベンチャースカウト部門では富士スカウト章がその最高ランクかつ進歩上の到達点として設定されている。その他に、「技能章」という特定分野への選択科目も設定されている。また、信仰奨励プログラムとして、「信仰奨励章」と「宗教章」の2つがある[73]。信仰奨励章はボーイスカウト(初級以上)、ベンチャースカウトが挑戦でき、宗教章はボーイスカウト(1級以上)、ベンチャースカウト、ローバースカウトが挑戦できる。日本連盟は、明確な信仰をもつことを奨励しているが、特定の宗教団体を支持することはないとされている[86]

富士スカウト

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富士スカウト章受章者による内閣総理大臣岸田文雄への表敬

富士スカウト章を獲得したスカウトは富士スカウトと呼ばれる。スカウトの最高位である富士スカウトは、「社会の一員としての自律と責任、公共心を備えた、より良き公民となれるスカウトである」とされている[87]。1955年から2021年現在までに約6,600人が富士スカウト章を受章している[88][注釈 4]。富士スカウト章の授与は日本連盟理事長の名をもって行われ、地区又は県連盟の主催する授与式において行うことを原則としている[89]。富士スカウトになるには、プロジェクトの計画・実施・報告ができ、奉仕の精神と社会の一員としての責任を持ち、社会貢献を果たせるリーダーとなる資質を身につけることが必要である[90]。また、技能章を合計15個以上取得し、ちかいとおきて、奉仕、スカウト精神を実践することが要求される[87]。富士スカウト章を取得したスカウトのうち、代表が赤坂東邸首相官邸へ表敬訪問する[91][92]

日本スカウトジャンボリー

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第14回日本ジャンボリー

日本スカウトジャンボリーは、日本連盟主催のボーイスカウト及びベンチャースカウトのキャンプ大会である[93]。日本国内におけるボーイスカウトの最大の行事でもあり、4年ごとに開催されている[70][94]。最初のジャンボリーは1956年に長野県軽井沢で開催され、13,000人が参加した[95]。第15回までは2級スカウト以上で各派遣隊隊長が認めた者のみという規定が存在したが、第16回以降はボーイスカウト及びベンチャースカウトという条件に変更された。第18回日本スカウトジャンボリーは、日本連盟創立100周年記念大会であった一方、開催方式は初の分散型となった[96][97]

制服

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日本連盟の制服は、主に上着、ベルトネッカチーフ制帽からなる[98]。上着は、長袖、半袖の2種類があり、世界スカウト記章などが付けられている[99]。また、ネッカチーフは、隊で統一された色の三角形の布とされている[98]

『少年団研究』の創刊号に「少年団日本連盟における服装の基準を定めた」ことが記されている。

少年団員は大体世界共通の制服を着し一定の徽章を付している。(中略)単に簡便であるというだけではならぬ。一度之を着用するならば真の少年団の人となって団の精神に基づく何物かを負担してこの道のために尽力するように願いたいものである。 — 少年団日本連盟、『少年団研究』

指導者訓練

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日本連盟では、スカウトが良いプログラムを体験できるよう、成人指導者の研修を実施している。主に指導者向け、団指導者向け、指導者を養成するための指導要員向けの3種類がある。ボーイスカウトの指導者(リーダー)は、多くの場合、日本連盟が定める指導者訓練を修了した者に限られる。指導者訓練には部門ごとに実施されるもの(課程別)もある[100]

隊指導者の訓練
  • 導入訓練(ボーイスカウト講習会)[101]:ボーイスカウト講習会を履修して修了となる[102]
  • 基礎訓練課程(ウッドバッジ研修所スカウトコース及び課程別研修)[101]:導入訓練課程を修了した加盟員に限り参加できる。スカウトコース(3泊4日野営)とその後の課程別研修(1日、8時間)の両方を履修して修了となる。スカウトコースの履修認定を受けた者は、ギルウェルウォッグル(皮紐製のチーフリング)を着用できる。
  • 上級訓練課程(ウッドバッジ実修所)[101]:基礎訓練課程修了後所定の条件を満たすと参加可能。訓練はすべて課程別である。第一教程(課題研究)、第二教程(集合訓練)、第三教程(実務訓練)の順に履修して修了となる。修了者はウッドバッジ(2ビーズ)及びギルウェルスカーフを着用できる。
団委員の訓練
  • 導入訓練課程(指導者と共通)
  • 基礎訓練課程(団委員研修所):導入訓練課程を修了した加盟員に限り参加可能。団委員研修所(2泊3日宿舎泊)を履修して修了となる。
  • 上級訓練課程(団委員実修所):第一教程(課題研究)、第二教程(マネジメントトレーニング:2泊3日の舎営)及び第三教程(実務訓練)に分けて行われる[103]。加盟員で団委員研修所履修後1年以上経過後に参加可能。

組織

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全国組織

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  • 理事会
    • 常任理事会
    • 中央名誉会議
    • 委員会
  • 評議員会
  • 教育本部
    • 教育本部コミッショナー
    • 教育本部会議
    • 常任教育本部会議
    • 常設委員会
    • 特別委員会

都道府県連盟

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47都道府県にそれぞれ1連盟、計47連盟がある。県連盟は、教育及び運営の機関として、県連盟総会、県連盟理事会、県連盟内コミッショナー会議、県連盟名誉会議及び県連盟の各種委員会を設けている[104]

都道府県 創立年 加盟員数(2023年度)[2] 団数(2023年度)[2]
北海道 813 33
青森県 127 6
岩手県 1949年[105] 310 7
宮城県 1949年[106] 654 15
秋田県 153 6
山形県 1953年[107] 185 6
福島県 568 21
茨城県 1951年[108] 1,515 35
栃木県 1949年[109] 903 22
群馬県 1949年[110] 921 25
埼玉県 1949年[111] 5,026 102
千葉県 4,307 84
神奈川県 6,811 114
山梨県 528 10
東京都 1948年[112] 11,728 215
新潟県 500 14
富山県 756 22
石川県 948 22
福井県 1950年[113] 434 14
長野県 892 22
岐阜県 1,261 22
静岡県 3,554 81
愛知県 1949年[114] 8,007 161
三重県 506 12
滋賀県 1949年[115] 867 21
京都府 1915年[116] 2,120 55
兵庫県 1950年[117] 4,937 98
奈良県 1,978 40
和歌山県 728 16
大阪府 6,255 141
鳥取県 1949年[118] 380 9
島根県 1950年[119] 388 10
岡山県 1950年[120] 777 19
広島県 1949年[121] 1,038 20
山口県 1948年[122] 829 19
徳島県 188 8
香川県 1950年[123] 412 13
愛媛県 1950年[124] 968 26
高知県 105 3
福岡県 1,703 39
佐賀県 1949年[125] 314 11
長崎県 311 8
熊本県 570 21
大分県 1949年[126] 382 9
宮崎県 354 15
鹿児島県 306 11
沖縄県 357 11

地区

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都道府県連盟は、地理的条件、地域の実状、加盟団の状況等を勘案し、運営を円滑にするため、県連盟が定める地域ごとに地区を設けることができる。また、地区は地区内の加盟団で構成する地区協議会を開催する[127]

団・隊

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青少年に対してスカウト教育を行うための運営上の単位を「団」という[86][64]。団は団委員会及びビーバーからローバーまでの各隊をもって標準とする。団は、団委員会を設け、ビーバースカウト隊、カブスカウト隊、ボーイスカウ ト隊、ベンチャースカウト隊及びローバースカウト隊の各1個隊ずつをもって構成することを標準としている。

団委員会

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育成会から団の運営のために選任された委員を団委員という。通常5人以上おり、各人に仕事を割り振るため、また団の現状を把握するために「団委員会」という会議を行う[128]。その際の議長は団委員長がつとめ、団委員長は、団委員の互選で選出される[129]。スカウトの教育訓練はリーダーが行うため、直接団委員会が携わることはない。一方で、団内の資産の管理、団の財政についての責任、団行事(夏期野営実施など)についての便宜、リーダーの選任やリーダーの訓練への便宜、スカウトの進歩の促進、入団・退団・上進・団の加盟登録などの手続き、スカウトの健康や安全などについては団委員会がこれを行うとされている[128]

指導者

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指導者は日本連盟の掲げる目的を達成するために、継続的かつ効果的にスカウト運動を推進している。また、基本方針に則った良質なプログラムをスカウトに提供し、スカウトがそのプログラムに主体的に参画することで成長し、よき市民として社会に貢献することが重要とされている。また、成人指導者は、スカウト運動の目的、原理、方法に賛同し、積極的に青少年のプログラム活動を支援する必要がある[100]

コミッショナー

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日本連盟や各県にはそれぞれコミッショナーがいる[130][131]。スカウト運動におけるコミッショナーとは、日本連盟・都道府県連盟・地区において、特定分野を担任して指導にあたる役員のことである[132][133]

日本のボーイスカウトにおけるコミッショナーの任務は、スカウト運動の目的・原理・方法といった普遍的なものの周知・普及と、これらに則した適正な判断を行うことであり、スカウト運動の基幹である教育プログラムに関すること、青少年を支援する成人に関することなどの調整・実施・推進等を行うことである[134]。また、このような任務から、コミッショナーは「良き社会人」であり「良き指導者」として模範を示す者でなければならないので、役割に応じて所定の研修を修了することが必要である。

財政

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日本連盟の2020年度の収支は9億1026万円であった。加盟員の減少により、収入は年々減少している。そのため、2017年頃より、厳しい経営状況となっており、年間3億円に及ぶ管理費用すら賄えない状況になっていた。そのため2019年に7年ぶりとなる加盟登録料の改定を行った。改定により、2019年度は収入が1億6,000万円の増加となった[135]

加盟員数

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加盟員数の推移[136]
年度 加盟員数
1983年(昭和58年)
331,985
1988年(昭和63年)
305,750
1993年(平成5年)
256,688
1998年(平成10年)
236,367
2003年(平成15年)
202,069
2008年(平成20年)
167,367
2013年(平成25年)
127,815
2018年(平成30年)
98,587
2023年(令和5年)
77,780

日本連盟の加盟員数は1983年に最高となり、その後一貫して減少を続けている[137]。1983年度の加盟員数は331,985人であったが、2023年度は77,780人となり、1983年の23.4%であった[136]。2017年度には1960年代以来初めて100,000人を下回った。また、スカウト数は2006年から2016年の10年間で半減しており[138]、2023年度は44,800人であった[2]。日本連盟の推計によると、現状のままでは2032年のスカウト数は約5,000人になるとされている[139]

日本連盟は、1986年度にビーバースカウト部門を設置し、1995年度には全部門での女子スカウトの加盟を認めるなどしたが、この間、加盟登録数が増えることはなかった[137]。加盟員数の減少により2017年には奥島理事長から「非常事態宣言」が出された[140]。2018年の加盟員数の内、新規加入者数は10,340人、前年度からの非継続(中途退団)者数は15,839人であった。スカウティングの質に問題があるとされており、2006年に日本連盟組織拡充委員会が非継続者に対して行った聞き取り調査では、中途退団の主な理由として、プログラムの不評、隊指導者との人間関係、部活動、勉強、経済事情などがあった[140]。また、2019年の全団調査では中途退団の主な理由として、ビーバースカウト・カブスカウトではその他の活動の優先、ボーイスカウトではクラブ活動優先、ベンチャースカウトでは学業優先が最多となった[141]

2019年度にはスカウトの新規登録が前年度に比べて5%増え[135]、2022年3月末の登録状況では、ビーバー部門が前年比増となった[142]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 日本人初。日本人の受賞は後の佐野常羽の2人のみ[13]
  2. ^ 21世紀委員会は21世紀に向けてボーイスカウト運動のあり方を検討することを目的とし、中長期にわたる計画の策定を任務として中央審議会によって設置されたものである[44]
  3. ^ 三種の神器(鏡・剣・璽)を用い、フルール・ド・リスの左右が璽(勾玉)、中央が剣(天叢雲剣)となったものに鏡(八咫鏡)が重ねられた図案となっていた。
  4. ^ 現在のベンチャースカウトになってからは約4,000人[88]

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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