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* 1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった([[双葉社]]、2017年)
* 1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった([[双葉社]]、2017年)
* バスは北を進む([[幻冬舎文庫]]、2019年)
* バスは北を進む([[幻冬舎文庫]]、2019年)
* 防災の本を読まずに孤独(春陽堂本書店、2022年)


=== 共著 ===
=== 共著 ===

2023年10月14日 (土) 07:03時点における版

せきしろ
ペンネーム せきしろ
誕生 (1970-11-03) 1970年11月3日(54歳)
日本の旗 日本 北海道常呂郡訓子府町
職業 作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 北海道北見北斗高等学校
ジャンル 自由律俳句
ウィキポータル 文学
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せきしろ1970年11月3日 - )は、北海道常呂郡訓子府町生まれの男性作家自由律俳句俳人コラムニスト北海道北見北斗高等学校卒業、福島大学中退[1]ASH&Dコーポレーション所属。

来歴

少年時代はラジオテレビが好きであった。中学3年生頃からGAUZEなどハードコア・パンクバンドに夢中になり、高校時代は「傷害致死」という名前のバンドを組んでいた。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTクハラカズユキは同じ高校の1年先輩であり[2]、文化祭でそれぞれバンドをしていた。渡辺真也は同級生だったという[3]

高校卒業後、親には受験浪人を続けていると偽って千葉県松戸市に住み、東京のアイドル「AMHS-MSK☆Z」のイベント通いに熱中する。また、その頃からラジオ番組に投稿を始める。

21歳で福島大学教育学部に入学する[4]が、テレビゲームに熱中しすぎた結果、朝に起きられなくなって必須の教育実習をすっぽかしてしまい、すべてを投げ出して山形県の温泉宿にて住み込みのアルバイトを始める。その後はハガキ職人時代の伝手で再上京し、構成作家を目指す。伊集院光のラジオ番組で作家見習いを経て、椎名基樹の紹介で「SPA!」の連載「バカはサイレンで泣く」を始める。

やがて、バッファロー吾郎Aピース又吉直樹南海キャンディーズ山里亮太THE GEESE鬼ヶ島のアイアム野田、R藤本らと深い親交を持つようになり、ユーモア軍団に正式メンバーとして参加する。

2006年、初の単著『去年ルノアールで』を出版。又吉と共著で自由律俳句集『カキフライが無いなら来なかった』を出版し[5]、又吉のデビュー著作となる。

2017年、劇団せきしろを旗揚げ。アイアム野田、THE GEESE尾関、や団・本間キッドなどが参加する[6]

2022年、以前まで所属していたムロツヨシの紹介でASH&Dコーポレーションに所属[7]

人物

  • 絵を描きその絵を元に自由律俳句を読む姿から、ペインティング・俳人と名乗ることもある。

書籍

単著

共著

  • Tシャツ先生(アスペクト、1997年) 山田ゴメス共著
  • バカはサイレンで泣く(扶桑社、1998年) 天久聖一椎名基樹共著
  • カキフライが無いなら来なかった(幻冬舎、2009年/文庫版、2013年) ピース又吉直樹共著
  • バカはサイレンで泣く'09(扶桑社、2009年) 天久聖一、椎名基樹共著
  • ダイオウイカは知らないでしょう(マガジンハウス、2010年/文庫版・文藝春秋、2015年) 西加奈子共著
  • まさかジープで来るとは(幻冬舎、2010年/文庫版、2014年) ピース・又吉直樹共著
  • 煩悩短篇小説(幻冬舎、2011年) バッファロー吾郎A共著
  • 偶然短歌(飛鳥新社、2016年)いなにわ共著
  • 蕎麦湯が来ない(マガジンハウス、2020年) ピース・又吉直樹共著[11]

テレビ番組

ラジオ番組

連載

雑誌

新聞

WEB

ゲーム

ウェブドラマ

脚注

注釈

出典

外部リンク