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祭りの最終日である[[8月16日]]に開催され、この行事が「横手の送り盆行事」として県の無形民俗文化財に指定されている<ref name="pref_list"/>。当日は屋形舟繰り出しの他に[[法要]]や各種[[花火]]打ち上げも行われる。なお、開催日については[[1926年]](大正15年)までは[[旧暦7月16日]]であった{{Sfn|横手市|2006|p=337}}。
祭りの最終日である[[8月16日]]に開催され、この行事が「横手の送り盆行事」として県の無形民俗文化財に指定されている<ref name="pref_list"/>。当日は屋形舟繰り出しの他に[[法要]]や各種[[花火]]打ち上げも行われる。なお、開催日については[[1926年]](大正15年)までは[[旧暦7月16日]]であった{{Sfn|横手市|2006|p=337}}。


屋形舟は各町内ごとに7月中旬頃から作成が始まり、舟の骨となる木を覆う[[莚]]や[[藁]]は近隣の[[稲作]]農家が冬の時期から準備をして生産している{{Sfn|横手市|2006|p=337}}<ref name="city-plan/>。舟の重さは約750[[キログラム|kg]]で<ref name="city-plan"/>、全長は5~8[[メートル|m]]ほど{{Sfn|飯塚|2008|p=107}}。後部には「三界萬霊」と書かれた[[ランタン (照明器具)|角灯]]を立て、その周りに[[戒名|法名]]が書かれた短冊を吊るした[[竹|青竹]]が立てられる{{Sfn|飯塚|2008|p=107}}{{Sfn|秋田県教育|2014|p=103}}{{Sfn|横手市|2006|p=337}}。参加する町内は、全上内町・下内町・田中町・馬口労町・柳町・大水戸町・中前郷・西前郷・上真山・富士見町・平城町・朝倉碇・石町・南町の計14町内である(2022年時点。[[2014年]]時点でも14町内の参加が確認される{{Sfn|秋田県教育|2014|p=103}})<ref name="city-plan"/>。その中でも、この行事の[[発祥|ルーツ]]となった柳町町内は、他町内より早くに会場へ向かい、最後まで会場に残るのが慣例となっている<ref>{{Cite web|url=https://www.sakigake.jp/news/article/20200912AK0019/ |title=横手の風物詩、来年の開催祈る 送り盆まつり支えてきた2人 |publisher=秋田魁新報 |date=2020-09-12 |accessdate=2023-08-23 }}</ref>。
屋形舟は各町内ごとに7月中旬頃から作成が始まり、舟の骨となる木を覆う[[莚]]や[[藁]]は近隣の[[稲作]]農家が冬の時期から準備をして生産している{{Sfn|横手市|2006|p=337}}<ref name="city-plan" />。舟の重さは約750[[キログラム|kg]]で<ref name="city-plan"/>、全長は5~8[[メートル|m]]ほど{{Sfn|飯塚|2008|p=107}}。後部には「三界萬霊」と書かれた[[ランタン (照明器具)|角灯]]を立て、その周りに[[戒名|法名]]が書かれた短冊を吊るした[[竹|青竹]]が立てられる{{Sfn|飯塚|2008|p=107}}{{Sfn|秋田県教育|2014|p=103}}{{Sfn|横手市|2006|p=337}}。参加する町内は、全上内町・下内町・田中町・馬口労町・柳町・大水戸町・中前郷・西前郷・上真山・富士見町・平城町・朝倉碇・石町・南町の計14町内である(2022年時点。[[2014年]]時点でも14町内の参加が確認される{{Sfn|秋田県教育|2014|p=103}})<ref name="city-plan"/>。その中でも、この行事の[[発祥|ルーツ]]となった柳町町内は、他町内より早くに会場へ向かい、最後まで会場に残るのが慣例となっている<ref>{{Cite web|url=https://www.sakigake.jp/news/article/20200912AK0019/ |title=横手の風物詩、来年の開催祈る 送り盆まつり支えてきた2人 |publisher=秋田魁新報 |date=2020-09-12 |accessdate=2023-08-23 }}</ref>。


当日は午後3時頃から屋形舟と共に町内を練り歩き、最終的に「年番宅」に立ち寄って安全祈願や[[乾杯]]が行われる。その後、夕方になると[[船長|船頭]]を乗せた屋形舟を若衆30名ほどで担ぎ、サイサイ囃子を囃し立てながらまずは橋南側の[[四日町 (横手市)|四日町]]通りを目指す。四日町通りに屋形舟が集結した頃、開会行事の一環として蛇の崎川原にて[[読経]]が行われ、横手川への[[灯籠流し]]も行われる{{Sfn|横手市|2006|p=336}}。この開会行事が終了すると、花火の合図で屋形舟は蛇の崎橋を繰り渡り、蛇の崎川原へと降りて[[供養]]を行う<ref name="city-plan"/>。午後8時頃になると、供養が終わった屋形舟を担ぐ一行は蛇の崎橋へと駆け上がり、舟の船首を高く持ち上げ、舟同士の「ぶつけ合い」が繰り広げられる<ref name="city-plan"/>{{Sfn|横手市|2006|p=336}}。船首は徐々により高く持ち上げられ、やがて崩れ落ちる<ref name="city-plan"/>。ぶつけ合いは、供養の帰りに若衆のエネルギーを発散させるために行っているとされており、勝敗などは無い<ref name="traffic">{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20220804024707/https://www.yokotekamakura.com/wp-content/uploads/2022/07/2022%E5%B9%B4-8%E6%9C%8816%E6%97%A5-%E4%BA%A4%E9%80%9A%E8%A6%8F%E5%88%B6%E5%9B%B3.pdf |title=2022 送り盆まつり 8/16火 交通規制 |publisher=横手市観光協会 |accessdate=2022-09-19 }}</ref>。ぶつけ合いが繰り広げられる中、[[横手城]]の模擬天守がある[[横手公園]]からは花火が打ち上げられ、祭りはクライマックスを迎える{{Sfn|横手市|2006|p=336}}。この花火打ち上げは菅江真澄の資料から江戸時代後期には既に行われていたとされており、市制施行後に「全国花火コンクール」と改称、現在は「協賛花火打ち上げ」として行われている。
当日は午後3時頃から屋形舟と共に町内を練り歩き、最終的に「年番宅」に立ち寄って安全祈願や[[乾杯]]が行われる。その後、夕方になると[[船長|船頭]]を乗せた屋形舟を若衆30名ほどで担ぎ、サイサイ囃子を囃し立てながらまずは橋南側の[[四日町 (横手市)|四日町]]通りを目指す。四日町通りに屋形舟が集結した頃、開会行事の一環として蛇の崎川原にて[[読経]]が行われ、横手川への[[灯籠流し]]も行われる{{Sfn|横手市|2006|p=336}}。この開会行事が終了すると、花火の合図で屋形舟は蛇の崎橋を繰り渡り、蛇の崎川原へと降りて[[供養]]を行う<ref name="city-plan"/>。午後8時頃になると、供養が終わった屋形舟を担ぐ一行は蛇の崎橋へと駆け上がり、舟の船首を高く持ち上げ、舟同士の「ぶつけ合い」が繰り広げられる<ref name="city-plan"/>{{Sfn|横手市|2006|p=336}}。船首は徐々により高く持ち上げられ、やがて崩れ落ちる<ref name="city-plan"/>。ぶつけ合いは、供養の帰りに若衆のエネルギーを発散させるために行っているとされており、勝敗などは無い<ref name="traffic">{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20220804024707/https://www.yokotekamakura.com/wp-content/uploads/2022/07/2022%E5%B9%B4-8%E6%9C%8816%E6%97%A5-%E4%BA%A4%E9%80%9A%E8%A6%8F%E5%88%B6%E5%9B%B3.pdf |title=2022 送り盆まつり 8/16火 交通規制 |publisher=横手市観光協会 |accessdate=2022-09-19 }}</ref>。ぶつけ合いが繰り広げられる中、[[横手城]]の模擬天守がある[[横手公園]]からは花火が打ち上げられ、祭りはクライマックスを迎える{{Sfn|横手市|2006|p=336}}。この花火打ち上げは菅江真澄の資料から江戸時代後期には既に行われていたとされており、市制施行後に「全国花火コンクール」と改称、現在は「協賛花火打ち上げ」として行われている。

2023年9月11日 (月) 01:16時点における版

送り盆まつり
Yokote’s Okuribon Festival
屋形船ぶつけ合いの様子 (画像は柳町と石町)
屋形船ぶつけ合いの様子
(画像は柳町と石町)
イベントの種類 年中行事
通称・略称 横手の送り盆まつり[1]
横手の送り盆[2]
開催時期 ねむり流し:8月6日
市民盆おどり:8月15日
屋形舟繰り出し・
花火打ち上げ:8月16日
初回開催 江戸時代
開催時間 ねむり流し:18:00 - 20:00
市民盆おどり:19:00 - 21:00
屋形船繰り出し:18:30 - 22:00
花火打ち上げ:19:00 - 20:00
会場 蛇の崎橋
主催 一般社団法人 横手市観光協会
出展数 14町内(屋形船)
来場者数 7万人(2018年、入込客数)[3]
最寄駅 JR横手駅[4]
公式サイト
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送り盆まつり(おくりぼんまつり、Okuribon Festival[5])は、毎年8月に秋田県横手市の中心市街地で開催される祭りである。お盆伝統行事の一種で[6]、屋形舟繰り出しや市民盆おどりなど一連の盆行事を総じて「送り盆まつり」と称される。

1998年(平成10年)3月20日に屋形舟繰り出しの行事が「横手の送り盆行事」として秋田県の無形民俗文化財に指定されている[7][6]

概要

送り盆まつりは8月6日のねむり流しに始まり、8月15日に市民盆おどり、8月16日に屋形舟繰り出しと花火打ち上げが行われる[1]。送り盆とは一般的に盂蘭盆会の最終日に送り火などで親族のを送る風習のことであるが[8][9][10]、横手の送り盆行事はこれを盛大に行ったものとして全国的に知られる[10]

ねむり流し

睡魔や災厄を祓うため、灯籠や舟形を川に流す七夕の行事が起源となっており[11]、ねむり流し行事自体は東北地方各地で行われている[12]。七夕行事を起源とするため、もとは旧暦7月7日に行われていたが、現在(正確な時期は不明)は送り盆行事の一週間前に当たる8月6日に行われており、送り盆まつりの一環となっている[13][11]

ねむり流しでは、16日の送り盆行事で繰り出される屋形舟より小さな「小舟(こぶね)」が繰り出される[14]。小舟には願い事を書いた短冊を付け、各町内の子どもたちがサイサイ囃子とともに蛇の崎川原へと舟を繰り出す[14][11]。舟のぶつけ合いや川への灯籠流しは無く、大人が主体の屋形舟繰り出しとは対照的に、将来屋形舟を繰り出すことになる子どもたちが主体となっているのがねむり流しの特徴である[14]

市民盆おどり

送り盆まつりの一環として昭和初頭に始まったもので、屋形舟繰り出しの前日に当たる8月15日に行われる[15]。横手盆踊り・横手音頭・横手ドンパン節などの演目があり[16][15]横手市役所本庁舎前に約1,000人の踊り手が輪を作る[1]。踊りの和の中には屋形舟が並べられ、屋形舟鑑賞会としての一面もある[17]

屋形船繰り出し

ぶつけ合いの様子(船首)

祭りの最終日である8月16日に開催され、この行事が「横手の送り盆行事」として県の無形民俗文化財に指定されている[7]。当日は屋形舟繰り出しの他に法要や各種花火打ち上げも行われる。なお、開催日については1926年(大正15年)までは旧暦7月16日であった[18]

屋形舟は各町内ごとに7月中旬頃から作成が始まり、舟の骨となる木を覆うは近隣の稲作農家が冬の時期から準備をして生産している[18][11]。舟の重さは約750kg[11]、全長は5~8mほど[19]。後部には「三界萬霊」と書かれた角灯を立て、その周りに法名が書かれた短冊を吊るした青竹が立てられる[19][4][18]。参加する町内は、全上内町・下内町・田中町・馬口労町・柳町・大水戸町・中前郷・西前郷・上真山・富士見町・平城町・朝倉碇・石町・南町の計14町内である(2022年時点。2014年時点でも14町内の参加が確認される[4][11]。その中でも、この行事のルーツとなった柳町町内は、他町内より早くに会場へ向かい、最後まで会場に残るのが慣例となっている[20]

当日は午後3時頃から屋形舟と共に町内を練り歩き、最終的に「年番宅」に立ち寄って安全祈願や乾杯が行われる。その後、夕方になると船頭を乗せた屋形舟を若衆30名ほどで担ぎ、サイサイ囃子を囃し立てながらまずは橋南側の四日町通りを目指す。四日町通りに屋形舟が集結した頃、開会行事の一環として蛇の崎川原にて読経が行われ、横手川への灯籠流しも行われる[6]。この開会行事が終了すると、花火の合図で屋形舟は蛇の崎橋を繰り渡り、蛇の崎川原へと降りて供養を行う[11]。午後8時頃になると、供養が終わった屋形舟を担ぐ一行は蛇の崎橋へと駆け上がり、舟の船首を高く持ち上げ、舟同士の「ぶつけ合い」が繰り広げられる[11][6]。船首は徐々により高く持ち上げられ、やがて崩れ落ちる[11]。ぶつけ合いは、供養の帰りに若衆のエネルギーを発散させるために行っているとされており、勝敗などは無い[21]。ぶつけ合いが繰り広げられる中、横手城の模擬天守がある横手公園からは花火が打ち上げられ、祭りはクライマックスを迎える[6]。この花火打ち上げは菅江真澄の資料から江戸時代後期には既に行われていたとされており、市制施行後に「全国花火コンクール」と改称、現在は「協賛花火打ち上げ」として行われている。

行事の起源については諸説あるが、江戸時代享保の飢饉1733年頃)[18]もしくは天明の大飢饉1785年頃)[19]の後、飢饉による死者を供養するために柳町(現在の中央町)が、屋形舟を作って川へ流したことが由来であると考えられている[11][19][18]1815年文化12年)頃に執筆されたとされる「風俗問状答」には、この行事について以下のように記されている。

平鹿の横手城外の町々、送り火はことなる事の候。一町に一ツづつ舟を葭簣にて造る。長さ三丈、大なる灯籠を石塔のかたに造り、三界萬靈と書て眞中に居ゑ、外には灯籠もなく、只蝋燭を数百挺舟の四面へともして町をねり行、蛇の崎と申所の橋の川原へ持出、太鼓うち囃し立る。この舟十ばかり出る也。[22]

また文政期1818年 - 1831年)に菅江真澄が記した「雪の出羽路」でも送り盆行事についての記載があり、江戸時代後期には既に年中行事として定着していたとされる[11]。記録が残る明治以降、現代に至るまで中止されることなく続いてきたが[23]2020年令和2年)と2021年(令和3年)は新型コロナウイルスの感染拡大(パンデミック)により一連の行事を中止する措置が取られ[24]法要のみが執り行われた[25]2022年(令和4年)5月18日には今年の開催を目指す旨が市観光協会から発表され[24]、同年8月には3年ぶりに開催された[26]

日程

蛇の崎橋
8月6日
  • ねむり流し(18:00 - 20:00、蛇の崎川原)
8月15日
  • 市民盆おどり(19:00 - 21:00、富士見大通り)
8月16日
  • 屋形舟繰り出し(18:30 - 22:00、蛇の崎橋)
  • 花火ショー・協賛花火打ち上げ(18:00 - 20:00、蛇の崎川原・横手城)

脚注

  1. ^ a b c 秋田県指定無形民俗文化財「横手の送り盆まつり」”. お祭り・イベント. 横手市観光協会. 2023年8月22日閲覧。
  2. ^ 飯塚 2008, p. 105.
  3. ^ 秋田県「令和元年(平成31年)秋田県観光統計」、2019年、23頁。
  4. ^ a b c 秋田県教育 2014, p. 103.
  5. ^ Yokote's Okuribon Festival”. 英語による観光情報・解説文(Information & Articles in English). 横手市 (2022年3月10日). 2023年8月22日閲覧。
  6. ^ a b c d e 横手市 2006, p. 336.
  7. ^ a b 県内の国・県指定文化財等の件数一覧”. 美の国あきたネット. 秋田県 (2023年6月29日). 2023年8月22日閲覧。
  8. ^ 送り盆(オクリボン)とは?”. コトバンク. デジタル大辞泉. 2023年8月22日閲覧。
  9. ^ 盆送(ぼんおくり)とは?”. コトバンク. 精選版 日本国語大辞典. 2023年8月22日閲覧。
  10. ^ a b 飯塚 2008, p. 106.
  11. ^ a b c d e f g h i j k 横手市歴史的風致維持向上計画 第2章”. 横手市 (2023年3月). 2023年8月22日閲覧。
  12. ^ 眠流(ねむりながし)とは?”. コトバンク. 精選版 日本国語大辞典. 2023年8月22日閲覧。
  13. ^ 子ども屋形舟、にぎやかにパレード 横手・ねむり流し”. 秋田魁新報 (2019年8月9日). 2023年8月22日閲覧。ウェブアーカイブ
  14. ^ a b c 子ども屋形舟、練り歩く 横手市「ねむり流し」にぎやか”. 秋田魁新報 (2018年8月8日). 2023年8月22日閲覧。ウェブアーカイブ
  15. ^ a b 横手市民盆踊り”. 秋田民族芸能アーカイブス. 2022年9月19日閲覧。
  16. ^ 横手で「市民盆踊り」向け公開練習会 市民25人が「横手音頭」など練習”. 横手経済新聞 (2019年8月8日). 2023年8月23日閲覧。
  17. ^ 8/15 市民盆おどり・屋形舟鑑賞会”. 「横手の送り盆まつり」ガイドパンフレット. 横手市観光協会. 2023年8月22日閲覧。
  18. ^ a b c d e 横手市 2006, p. 337.
  19. ^ a b c d 飯塚 2008, p. 107.
  20. ^ 横手の風物詩、来年の開催祈る 送り盆まつり支えてきた2人”. 秋田魁新報 (2020年9月12日). 2023年8月23日閲覧。
  21. ^ 2022 送り盆まつり 8/16火 交通規制”. 横手市観光協会. 2022年9月19日閲覧。
  22. ^ 中山太郎『諸国風俗問状答 : 校註』東洋堂、1942年、104頁。 
  23. ^ 横手の送り盆まつり、新型コロナで中止 明治期以降初めて”. 秋田魁新報 (2020年5月1日). 2023年8月23日閲覧。
  24. ^ a b 「横手の送り盆まつり」3年ぶり開催へ”. 秋田魁新報 (2022年5月18日). 2022年9月19日閲覧。
  25. ^ 先人のみ霊を供養、「横手送り盆まつり」法要 行事は中止”. 秋田魁新報 (2021年8月18日). 2023年8月23日閲覧。
  26. ^ 3年ぶり屋形舟が豪快なぶつけ合い 横手の送り盆まつり【動画】”. 秋田魁新報 (2022年8月16日). 2022年9月19日閲覧。

関連項目

参考文献

  • 飯塚喜市『秋田「祭り」考』無明舎出版、2008年。ISBN 978-4-89544-473-6 
  • 秋田県教育委員会 編『秋田の祭り・行事』(改訂版)秋田文化出版、2014年。ISBN 978-4-87022-556-5 
  • 横手市 編『横手市史 特別編 文化・民俗』横手市、2006年。 

外部リンク