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*(網野善彦)『中世の再発見 - 対談 市・贈与・宴会』(平凡社, 1982年) |
*(網野善彦)『中世の再発見 - 対談 市・贈与・宴会』(平凡社, 1982年) |
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*([[森洋子 (美術史家)|森洋子]])『ブリューゲル』(中央公論社, 1984年) |
*([[森洋子 (美術史家)|森洋子]])『ブリューゲル』(中央公論社, 1984年) |
2023年8月11日 (金) 00:00時点における版
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1935年2月19日 日本東京都千代田区 |
死没 | 2006年9月4日 (71歳没) |
出身校 | 一橋大学 |
子供 | 長男:阿部道生(医学者(歯科))、次男阿部修人(経済学者) |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(西洋史) |
研究機関 | 一橋大学 |
阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は、日本の西洋史学者[1]。専門はドイツ中世史[1]。一橋大学名誉教授。上原専禄門下生で、一橋大学学長、国立大学協会会長等を歴任。
中世ドイツ・ヨーロッパの民衆史を専門とし、伝説や生活史を検証する分野を開拓した。著書に『ハーメルンの笛吹き男ー伝説とその世界』(1974年)、『「世間」とは何か』(1995年)、『学問と世間』(2001年)などがある。
経歴
1935年、東京都千代田区生まれ。早くに父を亡くし、中学時代にカトリック修道生活を送った経験から西洋中世史の研究を志し、一橋大学で上原専禄に師事。上原の辞職により、大学院では増田四郎の指導を受けた[2]。
小樽商科大学教授、東京経済大学教授を経て、一橋大学社会学部教授。一橋大学を定年退官後、同名誉教授となり、同大学長。
後年は国立大学協会会長、文化功労者審査会委員、財団法人大学基準協会副会長、大学審議会特別委員、学術審議会委員、 東京都青少年問題協議会副会長(会長:石原慎太郎東京都知事)、大学評価・学位授与機構大学評価委員会委員長等を歴任。1997年紫綬褒章。
最晩年は腎臓病を患い、人工透析を受けながら、研究執筆を続けた。2006年9月4日午後9時37分、急性心不全により東京都新宿区の病院で死去。71歳だった。
指導学生には、土肥恒之一橋大学名誉教授[3]、薩摩秀登明治大学教授[4]、阪西紀子一橋大教授[5]、森宜人一橋大教授[6][7][8]、黒川知文愛知教育大学教授[9]などがいる。
学歴
- 1941年 鎌倉第一国民学校(現鎌倉市立第一小学校)入学
- 1947年 中野区立第五中学校入学
- 1949年 練馬区立石神井西中学校転入
- 1950年 東京都立石神井高等学校入学
- 1958年 一橋大学経済学部卒業(上原専禄ゼミナール)
- 1960年 一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(指導教官増田四郎)
- 1963年 一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学(指導教官増田四郎)
職歴
- 1963年 日本学術振興会奨励研究員
- 1965年 小樽商科大学講師
- 1966年 小樽商科大学助教授
- 1969年 - 1971年 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)ボン・ゲッティンゲンに出張(アレクサンダー・フォン・フンボルト財団奨学生)
- 1973年 小樽商科大学教授
- 1976年 東京経済大学教授
- 1979年 一橋大学社会学部教授
- 1987年 - 1989年 一橋大学社会学部長
- 1992年12月 - 1998年11月 一橋大学学長(2期)
- 1995年 国立大学協会副会長
- 1997年 国立大学協会会長(1997年11月〜1998年11月)
- 1999年3月 一橋大学を定年退官(名誉教授の称号を受ける)
- 1999年 - 2002年 共立女子大学学長
- 1999年 - 2002年 学校法人共立女子学園理事・評議員
- 2000年 - 2002年 共立女子短期大学学長
この間、国立民族学博物館共同研究員や国立歴史民俗博物館教授を務めたほか、講師として東京大学文学部・教養学部・教育学部、東京外国語大学、千葉大学文学部、名古屋大学文学部、富山大学人文学部、東京都立大学 (1949-2011)、岡山大学教育学部、日本女子大学、藤女子大学、北星学園大学、札幌大学などでも教鞭をとった。
家族・親族
交友関係
- 『中世の再発見』での対談で日本の中世民衆史研究に大きな足跡を残した網野善彦と出会い、意気投合。これをきっかけに家族ぐるみの付き合いにまで発展する。その後も度々対談などで仕事をともにするなど、その親交は深かった。
著作・評論活動
著書に『ハーメルンの笛吹き男』『刑吏の社会史』『「世間」とは何か』など。『中世を旅する人びと』でサントリー学芸賞、『中世の窓から』で大佛次郎賞。筑摩書房から「著作集」が刊行されている。「世間」をキーワードに、個人が生まれない日本社会を批判的に研究し独自の日本人論を展開、言論界でも活躍した。
受賞・受章
- 1980年: サントリー学芸賞(『中世を旅する人びと』)
- 1981年: 大佛次郎賞(『中世の窓から』)
- 1990年: 日本翻訳文化賞(『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』)
- 1997年:紫綬褒章
著書
単著
- Die Komturei Osterode des Deutschen Ordens in Preussen 1341-1525 [Köln Grote] [1972]
- 『ハーメルンの笛吹き男 - 伝説とその世界』(平凡社 1974年、ちくま文庫 1988年)
- 『ドイツ中世後期の世界 - ドイツ騎士修道会史の研究』(未來社 1974年、復刊1983年、2002年)
- 『刑吏の社会史 - 中世ヨーロッパの庶民生活』(中公新書 1978年)
- 『中世を旅する人びと- ヨーロッパ庶民生活点描』(平凡社・社会史シリーズ 1979年、ちくま学芸文庫 2008年)
- 『中世の窓から』(朝日新聞社 1981年、朝日選書 1993年、ちくま学芸文庫 2017年)
- 『歴史と叙述 - 社会史への道』(人文書院 1985年)
- 『中世の星の下で』(影書房、1983年、ちくま文庫 1986年、ちくま学芸文庫 2010年)
- 『逆光のなかの中世』(日本エディタースクール出版部 1986年)
- 『よみがえる中世ヨーロッパ NHK市民大学』(日本放送出版協会 1986年)
- 『甦える中世ヨーロッパ』(日本エディタースクール出版部 1987年)
- 『中世賎民の宇宙 - ヨーロッパ原点への旅』(筑摩書房 1987年 ちくま学芸文庫 2007年)
- 『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房[ちくまプリマーブックス] 1988年、ちくま文庫 2007年)
- 『西洋中世の罪と罰 - 亡霊の社会史』(弘文堂[叢書死の文化] 1989年、講談社学術文庫 2012年)
- 『社会史とは何か』(筑摩書房 1989年、洋泉社MC新書 2009年)
- 『西洋中世の男と女 - 聖性の呪縛の下で』(筑摩書房 1991年、ちくま学芸文庫 2007年)
- 『ヨーロッパ中世の宇宙観』(講談社学術文庫、1991年)
- 『ヨーロッパ史をいかに学ぶか』(河合文化教育研究所ブックレット 1991年)
- 『西洋中世の愛と人格 - 「世間」論序説』(朝日新聞社 1992年、朝日選書 1999年)
- 『読書の軌跡』(筑摩書房 1993年)
- 『北の街にて』(講談社 1995年、洋泉社MC新書 2006年)
- 『ヨーロッパを読む』(石風社 1995年)
- 『「世間」とは何か』(講談社現代新書 1995年)
- 『ヨーロッパを見る視角』(岩波書店[岩波セミナーブックス] 1996年/岩波現代文庫 2006年)
- 『読書力をつける』(日本経済新聞社 1997年)
- 『世間を読み、人間を読む- 私の読書術』 (日経ビジネス人文庫、2001年)
- 『「教養」とは何か』(講談社現代新書 1997年)
- 『物語ドイツの歴史 - ドイツ的とはなにか』(中公新書 1998年)
- 『日本社会で生きるということ』(朝日新聞社 1999年、朝日文庫 2003年)
- 『大学論』(日本エディタースクール出版部 1999年)
- 『学問と「世間」』(岩波新書 2001年)
- 『日本人はいかに生きるべきか』 (朝日新聞社 2001年)
- 『日本人の歴史意識 - 「世間」という視角から』(岩波新書 2004年)
- 『「世間」への旅 - 西洋中世から日本社会へ』(筑摩書房 2005年)
- 『阿部謹也自伝』(新潮社 2005年)
- 『近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本』(朝日新書 2006年、朝日文庫、2014年)
- 『歴史家の自画像 私の学問と読書』(日本エディタースクール出版部 2006年)
著作集
- 『阿部謹也著作集』(筑摩書房, 1999年-2000年)
- 1巻「ハーメルンの笛吹き男/中世の星の下で」
- 2巻「刑吏の社会史/中世賤民の宇宙」
- 3巻「中世を旅する人びと」
- 4巻「中世の窓から/逆光のなかの中世」
- 5巻「甦える中世ヨーロッパ/西洋中世の罪と罰」
- 6巻「西洋中世の男と女/西洋中世の愛と人格」
- 7巻「「世間」とは何か/「教養」とは何か/ヨーロッパを見る視角」
- 8巻「社会史とは何か/歴史と叙述」
- 9巻「自分のなかに歴史をよむ/北の街にて」
- 10巻「ドイツ中世後期の世界」
共著
- (網野善彦・石井進・樺山紘一)『中世の風景(上・下)』(中央公論社[中公新書], 1981年)
- (網野善彦)『中世の再発見 - 対談 市・贈与・宴会』(平凡社, 1982年)
- (森洋子)『ブリューゲル』(中央公論社, 1984年)
- (小谷明・坂田史男)『ドイツ・ロマンティック街道』(新潮社[とんぼの本] 1987年)
- 『歴史を読む 対談集』(人文書院 1990年)
- (栗本慎一郎・樺山紘一・河上倫逸・山内昌之・山口昌男)『いまヨーロッパが崩壊する』(光文社カッパブックス、1994年)
- (栗本慎一郎・山口昌男・加藤哲実・大和雅之)『経済人類学を学ぶ』(有斐閣、1995年)
- (沖島 博美・若月 伸一)『ドイツ~チェコ古城街道』(新潮社[とんぼの本] 1997年)
編著
- 『私の外国語修得法』(悠思社 1992年、中公文庫 1999年)
- 『世間学への招待』(青弓社 2002年)
共編著
訳書
- ヘルムート・シエルスキー『大学の孤独と自由 - ドイツの大学ならびにその改革の理念と形態』(未來社, 1970年)
- トマス・プラッター『放浪学生プラッターの手記 - スイスのルネサンス人』(平凡社, 1985年)
- 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(岩波文庫, 1990年)
- ヘルマン・ハインペル『人間とその現在 - ヨーロッパの歴史意識』(未來社, 1991年)
- ジャック・ロシオ『中世娼婦の社会史』(筑摩書房, 1992年)
- エーディト・エンネン『西洋中世の女たち』(人文書院, 1992年)
- ヴェルナー・フォーグラー編『修道院の中のヨーロッパ - ザンクト・ガレン修道院にみる』(朝日新聞社, 1994年)
論文
記念論集
- 『阿部謹也最初の授業・最後の授業』、阿部謹也追悼集刊行の会編(日本エディタースクール出版部、2008年)
脚注
- ^ a b 「阿部謹也」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、コトバンク。2022年2月11日閲覧。
- ^ 阿部謹也『自分のなかに歴史を読む』筑摩書房、1988年
- ^ 「阿部先生の社会史研究と一橋大学の伝統」一橋大学附属図書館
- ^ 薩摩秀登「中世チェコ王国の貴族と王権」
- ^ 「阿部謹也先生追悼編」一橋大学
- ^ [1](アーカイブ)一橋大学
- ^ 「名誉教授土肥恒之著作目録」一橋社会科学, 2: 1-6
- ^ [2][リンク切れ]如水会
- ^ 「昭和57年度 学位授与・単位修得論文一覧」一橋大学
関連項目
- アナール学派 - 方法論の類似性と独立性については参考文献の「阿部謹也と歴史学の革新」中の「社会史とアナール学派」を参照。
外部リンク
- 一橋大学附属図書館企画展示(平成19年度)『阿部謹也と歴史学の革新』[3]