「中銀カプセルタワービル」の版間の差分
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| 用途 = 集合住宅 |
| 用途 = 集合住宅 |
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| 旧用途 = |
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| 設計者 = [[黒川紀章]] |
| 設計者 = [[黒川紀章]]建築・都市設計事務所<ref name="maeyama104">[[#前山 2014|前山 2014]] 104頁</ref> |
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| 構造設計者 = |
| 構造設計者 = [[松井源吾]]、ORS事務所<ref name="maeyama104"/> |
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| 施工 = |
| 施工 = [[大成建設]]<ref name="maeyama104"/> |
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| 建築主 = |
| 建築主 = |
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| 構造形式 = [[鉄骨鉄筋コンクリート構造|SRC]]造一部[[鉄骨構造|S]]造 |
| 構造形式 = [[鉄骨鉄筋コンクリート構造|SRC]]造一部[[鉄骨構造|S]]造<ref name="maeyama104">[[#前山 2014|前山 2014]] 104頁</ref> |
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| 敷地面積 = |
| 敷地面積 = 441.89 |
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| 敷地面積ref = |
| 敷地面積ref = <ref name="maeyama104"/> |
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| 敷地面積備考 = |
| 敷地面積備考 = |
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| 建築面積 = 429.51 |
| 建築面積 = 429.51 |
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| 建築面積ref = |
| 建築面積ref =<ref name="maeyama104"/> |
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| 建築面積備考 = |
| 建築面積備考 = |
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| 延床面積 = 3091.23 |
| 延床面積 = 3091.23 |
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| 延床面積ref = |
| 延床面積ref = <ref name="maeyama104"/> |
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| 延床面積備考 = |
| 延床面積備考 = |
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| 階数 = 地上 |
| 階数 = A棟地上13階、B棟地上11階[[地下室|地下]]1階<ref name="maeyama104"/> |
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| 高さ = |
| 高さ = 42.13m<ref name="maeyama104"/> |
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| 着工 = |
| 着工 = |
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| 竣工 = |
| 竣工 = 1972年<ref name="maeyama104"/> |
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| 解体 = 2022年<ref name="archi"/> |
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| 解体 = 2022年<ref name=東京新聞20230524>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/252040 走れ!カプセルタワー:銀座にあった名建築 車に再生/黒川紀章氏の思想載せ西へ東へ]『[[東京新聞]]』朝刊2023年5月24日26面(同日閲覧)</ref> |
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| 管理運営 = 中銀 |
| 管理運営 = 中銀ハウジング<ref name="ueda300"/> |
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| 所在地郵便番号 = 104-0061 |
| 所在地郵便番号 = 104-0061 |
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| 所在地 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]8-16-10 |
| 所在地 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]8-16-10<ref name="kurakata57">[[#倉方 2017|倉方 2017]] 57頁</ref> |
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| 緯度度 = 35 |
| 緯度度 = 35 |
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| 緯度分 = 39 |
| 緯度分 = 39 |
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| 経度秒 = 48.402 |
| 経度秒 = 48.402 |
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| 座標右上表示 = yes |
| 座標右上表示 = yes |
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| 位置図種類 = |
| 位置図種類 = |
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| 文化財指定 = |
| 文化財指定 = |
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| 指定日 = |
| 指定日 = |
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| 備考 = |
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'''中銀カプセルタワービル'''(なかぎんカプセルタワービル) |
'''中銀カプセルタワービル'''(なかぎんカプセルタワービル)は、[[黒川紀章]]が建築設計した[[集合住宅]]である。2本の主柱に合わせて140個の[[カプセル]]型居住空間が取り付けられ、単身者向けの都心のセカンドハウスとしてデザインされた<ref name="nikkei162">[[#日経 2009|日経 2009]] 162頁</ref>。1972年([[昭和]]47年)、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]で竣工し、老朽化により2022年に解体された<ref name="maeyama104"/><ref name="archi"/>。世界で初めて実用化されたカプセル建築であることに加え[[メタボリズム]]の象徴的建築であり、黒川紀章の代表的作品であった<ref name="sawaragi254">[[#椹木 2015|椹木 2015]] 254頁</ref><ref name="magenuma528">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 528頁</ref>。 |
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== 歴史 == |
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=== 依頼 === |
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「中銀」と冠されているが、これは「東京都'''中'''央区'''銀'''座」に由来して名付けられた管理会社の「[[中銀グループ|中銀(なかぎん)グループ]]」のことであり、[[中部銀行]]や[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]などとは一切関係ない。 |
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施主は中銀マンシオンの渡辺酉蔵<ref name="magenuma321">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 321頁</ref>。渡辺は貸しビルの案件を担当したことをきっかけに弁護士から不動産業に転身し、'''中'''央区'''銀'''座から名前を取った中銀建物と中銀マンシオンという2つの会社の社長をしていた<ref name="magenuma321"/><ref name="magenuma322">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 322頁</ref><ref name="2022suzuki10">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 10頁</ref>。[[黒川紀章]]の設計による[[日本万国博覧会|大阪万博]]の「空中テーマ館」や「タカラ・ビューティリオン」に感心した渡辺は、新しく建築予定だった銀座8丁目のマンションの設計を黒川に依頼することにした<ref name="magenuma323">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 323頁</ref>。特別な建物を所望する依頼主に対し、黒川は都心型のセカンドハウスをカプセル建築で実現しようとした<ref name="magenuma325">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 325頁</ref>。 |
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=== 設計 === |
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[[鳥]]の[[巣箱]]を積み重ねたような、また日本国外からの見学者はドラム式の「[[洗濯機]]を積み重ねたような」と表現する特異な外観は、[[ユニット]]製のマンションで、[[事務所]]としての利用も可能だった。こうした機能をダイレクトに表現し、メタボリズムの設計思想を明確に表現したデザイン性は高く評価されている。2006年には、[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選ばれている。1つのカプセル(1部屋)の面積は 10 m{{sup|2}} (4000mm × 2500 mm) である<ref>{{Citation|和書|author=塚本由晴+西沢大良|date=2004|title=現代住宅研究|publisher=[[INAX]]出版|isbn=4-87275-117-5|page=99}}</ref>。また、[[ビジネスマン]]の[[セカンドハウス]]またはオフィスとして想定されたその内装は、ベッド、[[エア・コンディショナー|エアコン]]、冷蔵庫、回転ダイヤル式電話機、アナログ式テレビ、フルサイズコンポーネントの[[レシーバー]]、[[オープンリール]]式[[テープレコーダー]]からなるステレオ、収納、[[ユニットバス]]などが作りつけで完備されている一方で、[[台所|キッチン]]や[[洗濯機]]置き場はない<ref name="itmedia181114">{{Cite web|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1811/14/news007_2.html |title=築46年なのに、なぜ「中銀カプセルタワー」に人は集まるのか (2/7)|publisher=[[ITmedia]]ビジネスオンライン |date=2018年11月14日|accessdate=2018-12-18 }}</ref>。これは、寝たり余暇を過ごしたりするためだけの場所として使い、食事は外で済ませて、洗濯は[[コンシェルジュ]]に頼むことができたからであった<ref name="itmedia181114"/>。 |
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まず黒川がデザインしたスケッチを元に、事務所スタッフの阿部暢夫と上田憲二郎が詳細な設計図作成を担当した<ref name="magenuma324">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 324頁</ref>。建物のコアの部分は下沢康二、カプセルは茂木愛子が担当した<ref name="zadankai164">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 164頁</ref>。工場から輸送できる限界の大きさを逆算しカプセルの寸法が決まると、最大で140個のカプセルが取り付けられることが分かり、渡辺が重要視する採算性もクリアできると確信した<ref name="magenuma325"/><ref name="magenuma328">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 328頁</ref>。若いスタッフが担当していたこともありカプセルの重量に苦労していたが、事務所を訪れていた[[松井源吾]]が構造設計を手助けすると重量は半分まで削減された<ref name="zadankai164"/>。阿部と上田らスタッフが模型の製作をしていくうちに、見た目も美しいカプセルの組み合わせ方が固まっていき、黒川の承認を得たことでデザインが確定した<ref name="magenuma328"/><ref name="magenuma329">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 329頁</ref><ref name="magenuma330">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 330頁</ref>。実際に製造されるカプセルが140個ということもあり、量産化のための金型を作るわけにもいかず製造を請け負う会社を見つけるのに苦労したが、海上用コンテナを製造していた[[アルナ工機]]がカプセル本体を、内装は[[YS-11]]も手掛けたことがある[[大丸]]装工部が担当することに決まった<ref name="magenuma330">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 330頁</ref><ref name="tanabe164">[[#田辺 2009|田辺 2009]] 164頁</ref>。施工を担当する[[大成建設]]はエレベーターや配管の設置が特殊なこともあり、カプセルタワーのためだけの技術委員会を新たに設置し対応しようとした<ref name="magenuma332">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 332頁</ref><ref name="magenuma333">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 333頁</ref>。 |
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設計中には、渡辺の心変わりにより予定地に自社ビルを建てることになり、建設中止の連絡が来たことがあった<ref name="magenuma334">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 334頁</ref><ref name="magenuma336">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 336頁</ref>。渡辺と直接話し合う中で黒川はカプセルタワー内にオフィスフロアを新しく盛り込むことを提案し、その案に納得した渡辺は中銀マンシオン側の反対意見を説き伏せ建築計画は続行されることになった<ref name="magenuma337">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 337頁</ref>。社内ではコストが通常の2倍かかることから強い反対意見があったものの、チャレンジ精神を重んじる社風が優先されている<ref name="tanabe164"/>。建築許可を得るため都庁や建設省との折衝を担当していた上田は、この修正により設計案の見直しをしなければならなかったが、既に申請から1年半経過していることもありなんとか承認を得て着工できることになった<ref name="magenuma334"/><ref name="magenuma337"/>。申請に時間がかかった理由について建築の特殊性があり、階数や床面積をどのように定めるか、防災・避難計画の策定のような建築面の考慮だけでなく、カプセルを取り外した場合の所有権がどうなるのかといった法律面の課題もあった<ref name="tanabe164"/>{{Efn|実際にカプセルが取り外されることはなかったので、課題は未解決となった<ref name="tanabe164"/>。}}。 |
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それぞれの部屋(カプセル)の独立性が著しく高く、カプセルごとに交換することも技術的には可能な設計になっていたが、実際には一部のカプセルが交換困難だったことなどから、実施されずに終わった。計画では竣工から25年毎(最初が1997年)に交換されるはずだった<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASP4N54K1P3WUTIL01X.html 銀座の「宇宙船」ビル、住人の退去進む 名建築が岐路に] [[朝日新聞デジタル]](2021年4月21日)2022年7月24日閲覧</ref>。 |
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=== 建設 === |
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[[#建て替え問題|後述]]のように老朽化や、人体に有害なアスベスト([[石綿]])が使われていることなどを理由として取り壊し・建て替えが計画され、2022年3月13日に最後の入居者の退去が終わり、2022年4月12日から解体工事が始まった<ref>「[https://www.asahi.com/articles/DA3S15264169.html 中銀カプセル、いつかまた タワー解体始まる]」朝日新聞デジタル(2022年4月13日)2023年5月24日閲覧</ref>。 |
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あらかじめ工場で作成されたコンクリートパーツ、エレベーター、階段などを現地へ輸送し、軸となる2本のシャフトが完成すると1971年11月8日からカプセルの取り付けが始まった<ref name="magenuma338">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 338頁</ref>。カプセルは、450キロ離れた滋賀の工場からその日ごとに取り付ける分だけ順次輸送されていった<ref name="magenuma338"/><ref name="ueda296">[[#植田 2004|植田 2004]] 296頁</ref>。カプセルの保存場所に余裕がなく、輸送に使う大型車両の通行時間の規制もあったため、前日の夕方に出発し当日の朝に到着する段取りだった<ref name="magenuma338"/>。クレーンで吊り上げられたカプセルはボルトでシャフトに固定されていった<ref name="magenuma339">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 339頁</ref>。作業員も最初は固定作業に1時間ほどかかっていたが、カプセルの固定は反復作業なので慣れると15分ほどに短縮されていた<ref name="magenuma339"/>。大成建設は、工期短縮を図りながらも全行程の15万5000時間を無事故で完遂している<ref name="kaihatsu">{{Cite book2|df=ja|chapter=反響呼ぶ「中銀カプセルマンション」 黒川紀章氏の"カプセル宣言"を初めて商業化|title=都市開発|author=|volume=1972年6月号|publisher=都市開発研究会|pages=65-68}}</ref>。1971年12月24日に最後のカプセルが取り付けられると、残りの配管や内装工事は1972年4月5日に終了しついに竣工した<ref name="magenuma341">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 341頁</ref><ref name="magenuma342">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 342頁</ref>。 |
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=== 入居開始 === |
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美術館での展示保存や宿泊施設としてのカプセル再利用などが検討されている<ref name=":0">{{Cite web |title=黒川紀章の代表作、銀座「カプセルビル」を来月解体…一部は美術館へ |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20220328-OYT1T50124/ |website=読売新聞オンライン |date=2022-03-28 |accessdate=2022-03-28 |language=ja}}</ref>。全140個カプセルのうち23個のカプセルは、美術館での展示保存や宿泊施設としての再利用するため[[千葉県]]内の工場へ輸送され、内装・外装ともに運用開始直後を再現する形へと再生されたほか、[[デジタルアーカイブ]]でデータを保存する動きもある([[#芸術的価値と継承の動き|後述]])。 |
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全体工事終了の2日後には早速住民の入居が始まった<ref name="magenuma342"/>。カタログの挿絵は、[[カーグラフィック]]で車の内装を担当しているイラストレーターに依頼し、ベッドに横たわりながら電話をかけるビジネスマンの写真が使われ、キャッチコピーの「ビジネスに遅れをとらない」ことが強調されたものとなった<ref name="magenuma343">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 343頁</ref><ref name="zadankai164"/>。1日1000件の問い合わせが来る大反響で、年末には100室ほどが売約、予約済となった<ref name="tanabe165">[[#田辺 2009|田辺 2009]] 165頁</ref><ref name="magenuma346">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 346頁</ref>。土地は中銀マンシオンが所有しており、カプセルの所有権が380万から486万円で分譲された<ref name="magenuma344">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 344頁</ref>。管理費は月額で1万3900円ほどだった<ref name="magenuma344"/>。 |
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売れ行き好調の理由について雑誌「都市開発」では、[[銀座]]、[[新橋 (東京都港区)|新橋]]、[[東京国際空港|羽田空港]]に近く交通の便が良いこと、オフィス街に近く会社の会議室や休憩室としての需要もあったと分析されており、分譲についても好意的に取り上げられている<ref name="kaihatsu"/>。中銀マンシオンによると購入者の74%が男性、平均年齢が42.9歳、7割が会社員であり、利用目的では、半数以上が「寝る場所」としていた<ref name="magenuma346"/>。当初予測では、都内在住者の購入は20~30%ほどだろうと考えていたが、目論見とは違い60%の購入者が都内在住者であった<ref name="kaihatsu"/>。また、都内のマンション建築は一定数投資目的で購入されるものの、カプセルタワーはそれらと比較して著しく低い割合だった<ref name="kaihatsu"/>。 |
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{{gallery |
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|width=170 |
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|height=150 |
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|File:Nakagin_Capsule_Tower_2008.jpg|外観 |
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|File:Nakagin Capsule Tower (51474714434).jpg|室内 |
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|File:Nakagin Capsule Tower (51473888806).jpg|浴室 |
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|File:Nakagin Capsule Tower.ogv|動画 |
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建設当初は、郊外や遠方に住んでいる利用者の事務所機能や、本社が地方都市にある企業の宿泊施設として利用されることが多かったものの、バブル期には投資物件として注目が集まり、1987年時点では、オフィス利用者が半数で残りは投機目的であり住居としてほとんど使われていなかった<ref name="sd96">[[#SD編集 1979|SD編集 1979]] 96頁</ref><ref name="tanabe165"/><ref name="project112">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 112頁</ref>。所有者が変わるたびに売却価格が上がっていき、当初の販売価格の3倍にまで達していた<ref name="tanabe165"/>。 |
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== 建て替え問題 == |
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=== 2000年代 === |
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竣工後30年が経過し、設備の老朽化と外壁内側の壁・天井・床全面にふき付けアスベストが使用されていることが問題となり、建て替えが検討されることになった。6階のある部屋は2005年4月7日の東京労働安全衛生センターのアスベスト濃度測定で300f/L(リッター中のアスベストが300本空気中に存在する)と、許容値の10倍といった高濃度の結果が出た。それに対して設計者の黒川は、メタボリズムの設計思想に基づいてカプセルの交換によって問題を解決することを居住者側に求めたが、[[2006年]]9月に開催されたマンションの区分所有者の総会で建て替えが決まったと報道された。しかし、実際には過半数の所有者が賛成したに過ぎず、[[建物の区分所有等に関する法律|区分所有法]]で定められている[[議決|議決権]]及び区分所有者の80%以上の賛成を得ていないため、建て替えるか否かは決まっていなかった<ref>{{Cite news |title=TOKYO発 プレーバック 話題その後は |newspaper=『東京新聞』朝刊 |publisher=[[中日新聞東京本社]] |page=26 |date=2006.12.29 }}</ref>。 |
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=== 建て替え決議 === |
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その後、2007年4月には区分所有者の80%以上の賛成を得て建て替えが決議され、地上14階建てのビルに建て替えられる方向で計画された。しかし、跡地にマンションを建築する予定だった[[ゼネコン]]が倒産。建て替えのないまま2年が経過し、決議は2009年に無効となった<ref>{{Cite news |title=カプセルビル、揺れる存続…黒川紀章氏が設計 |newspaper=読売新聞 |date=2015-11-30 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20151130-OYT1T50082.html |accessdate=2015-11-30}}</ref>。 |
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バブル崩壊後に老朽化が進み配管設備の耐久年数を超えると漏水が深刻化し、隣のビルの増築の影響で日が射さなくなると屋根の腐食で雨漏りにも悩まされることになった<ref name="magenuma543">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 543頁</ref><ref name="project112"/>。1997年の植田実の取材によると、オーナーの所在地がそれぞれ全国に散らばっていることや、カプセル所有者間で維持管理への関心の違いにより対応に苦労し、管理組合を設立したカプセル所持者の弁護士が管理会社である中銀ハウジングを巻き込む形で話し合いの場を設けた<ref name="ueda300">[[#植田 2004|植田 2004]] 300頁</ref>。集中冷暖房や24時間対応の給湯設備を一括で管理会社が請け負うのはコストに見合わず、個人で冷房を導入する対応が必要になり、スラム化の危機と隣り合わせだった<ref name="ueda300"/><ref name="ueda301">[[#植田 2004|植田 2004]] 301頁</ref>。 |
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多数のオーナーが建て替えに賛成する中、法改正された建築基準に適合しないことから解体されれば同じような建築は不可能なため、黒川は修繕案を提案し建て替えに反対した<ref name="magenuma543"/><ref name="magenuma544">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 544頁</ref>。建て替え推進派の試算によると、建築申請を再び提出しなければならないものの費用は一戸あたり511万円になる一方、黒川の修繕案ではカプセルの交換に一戸あたり880万円が必要になり部屋の広さも変わらなかった<ref name="magenuma544"/>。一方、黒川の試算ではカプセル交換の方が安く、建て替えに5年ほどかかるのに比べ工期も8カ月で終わるとしている<ref name="tokyojin">{{Cite book2|df=ja|chapter=黒川紀章インタビュー 世界に誇るメタボリズム建築 中銀カプセルタワーの行方は?|title=東京人|author=松葉一清|volume=2007年2月号|publisher=都市出版|pages=70-75}}</ref>。2007年4月に行われた決議では80%以上のオーナーが賛成し建て替えが決定したものの、その後のリーマンショックの影響で解体業者が倒産し実施までいかず、決議も無効になった<ref name="nikkei161">[[#日経 2009|日経 2009]] 161頁</ref><ref name="project122">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 122頁</ref><ref name="morita20215"/>。 |
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==== 『週刊新潮』との訴訟 ==== |
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この建て替えに際し、『[[週刊新潮]]』が[[2005年]]9月8日に掲載した内容について、黒川との間で訴訟となった。記事の内容は、アスベストによって建物が汚染されているという問題を軽視して、黒川が中銀カプセルタワービルの保存を求めており、さらにその際、中銀カプセルタワービルは「[[世界遺産]]候補である」という虚偽の説明をしたというものである。黒川はアスベストは室内を汚染しておらず、世界遺産候補と説明した事実はないと主張し、謝罪広告の掲載と損害賠償を求めたが、[[東京地方裁判所]]は2007年4月20日、アスベスト汚染、虚偽説明に関する主要部分が事実であると認定し請求を棄却した<ref>{{cite web |url=http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |title=中銀カプセルタワー報道をめぐる黒川紀章氏の賠償請求を棄却、東京地裁 |accessdate=2016-03-04 |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304120253/http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |publisher=[[日経BP]] |archivedate=2016-03-04 |df= }}</ref>。黒川はその判決を不服として[[控訴]]し、審理は高等裁判所に持ち越されることになったが、同年10月12日に死去。11日後の10月23日に、[[東京高等裁判所]]は地裁判決を支持し控訴を棄却している。 |
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黒川は生前のインタビューで問いかけられた「メンテナンスについての話し合いはなかったのか」という質問に対し、1997年から黒川と大成建設でカプセル交換の要望書を提出していたと答えている<ref name="morita20172">{{Cite book2|df=ja|chapter=保存か建て替えか 中銀カプセルタワービル④ カプセルのセルフエイド|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2017年2月号|publisher=テツアドー出版|pages=88-94}}</ref>。黒川は個人でもカプセルを買い取り、可能ならば全ての所有権を手に入れて改修を成し遂げたいという思いを持っていた<ref name="morita20172"/>。一方、2003年に発足した建て替え推進委員会は、2004年9月に黒川事務所と大成建設に補修案の提出依頼を打診しているが、回答は無かったと答えている<ref name="shincho">{{Cite book2|df=ja|chapter=住民を激怒させた「黒川紀章」の「アスベスト汚染」マンション|title=週刊新潮|volume=2005年9月8日号|publisher=新潮社|pages=145-147}}</ref>。 |
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=== 2010年代 === |
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2014年、取り壊しに反対する保存派の所有者・住人を中心に「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が結成された。[[クラウドファンディング]]で[[寄付]]を集めた際には、目標150万円に対して最終的に200万円以上が集まるなど、取り壊さず保存すべきとの意見も根強くあった<ref>{{Cite web |
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| url=https://motion-gallery.net/projects/nakagincapsule2015 |
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| title=「中銀カプセルタワービル」を未来へ! 世界遺産になりうる建築の保存・再生に直結する、ビジュアル・ファンブックの出版 |
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| publisher=MotionGallery |
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| accessdate=2015-10-04 |
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}}</ref><ref name=nikkei20150921>{{Cite news |
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| url=http://www.nikkei.com/article/DGXKZO91907700Y5A910C1H56A00/ |
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| title=「カプセルタワー」人気再燃 エアビーアンドビー、老朽ビルに光 |
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| work=日経電子版 |
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| newspaper=[[日本経済新聞]] |
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| date=2015-09-21 |
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| accessdate=2015-10-04 |
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}}</ref>。 |
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==== 訴訟 ==== |
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2014年12月の管理組合総会において、建て替えか大規模修繕かの決議が再度行われる見込みであったが大規模修繕は否決された。 |
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2005年9月号の[[週刊新潮]]に掲載された、カプセルタワーが[[石綿|アスベスト]]に汚染されているという記事に対して、黒川は名誉棄損の訴訟を起こしている<ref name="magenuma542">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 542頁</ref>。記事では、住民の一人の要望により行われた調査により、露出したアスベストがエアコンの風で部屋中に飛散していた可能性が指摘され、テーブルや床にも落ちていたことが確認されている<ref name="shincho"/>。2005年6月の[[クボタショック|クボタ]]の情報公開により[[アスベスト問題]]が全国的に大きく取り上げられていた時期だが、カプセルタワーは吹付アスベストが禁止される1975年、アスベストが含まれた素材の利用が禁止される2004年より以前に建てられているので、法的に問題はなかった<ref name="magenuma542"/><ref name="shincho"/>。黒川は話し合いの場で「カプセルタワーは世界遺産候補になっているから、一時的な補修で済ませたい」と発言したが、候補になるには築50年以上で文化財になっていることが条件なのだから間違っていると強く批判する記事だった<ref name="shincho"/>。黒川は記事に協力したカプセルの所有者が、アスベスト問題の象徴として悪評を広めようとしているのではないかと疑い訴訟に踏み切った<ref name="magenuma542"/>。 |
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黒川はアスベストは室内を汚染しておらず、世界遺産候補と説明した事実はないと主張し謝罪広告の掲載と損害賠償を求めたが、[[東京地方裁判所]]は2007年4月20日、アスベスト汚染、虚偽説明に関する主要部分が事実であると認定し請求を棄却した<ref>{{cite web |url=http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |title=中銀カプセルタワー報道をめぐる黒川紀章氏の賠償請求を棄却、東京地裁 |accessdate=2016-03-04 |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304120253/http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |publisher=[[日経BP]] |archivedate=2016-03-04 |df= }}</ref>。 |
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2015年には管理組合は禁止している[[Airbnb]]を利用したカプセルの利用に人気が集まった<ref name=nikkei20150921 />。 |
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=== 老朽化・解体 === |
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一旦は解体決議が無効になったものの2010年ごろに給湯管が破裂し、配管が張り巡らされていたことから修理が難しく、建物全体で給湯機能が停止された<ref name="project121">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 121頁</ref><ref name="project117"/>。浴槽は洗濯機置き場にして近くの銭湯に通う利用者も複数いた<ref name="project89">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 89頁</ref><ref name="2020project50">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 50頁</ref><ref name="2020project78">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 78頁</ref><ref name="2020project84">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 84頁</ref>。セントラルヒーティングも故障しているため、カプセルの5面が外気と接していることからカプセル内は熱しやすく冷めやすい状態で各部屋で対処が必要だった<ref name="project117"/>。 |
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2020年10月頃に、解体・建て替えを計画している買受企業にほとんどの住民がカプセルの所有権を売却した。 |
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一方、2008年に住民による「中銀カプセルタワー応援団」というブログが開設されると、メディアから注目を集め取材を受けるようになっていった<ref name="project92">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 92頁</ref>。2010年から2011年にかけてブログを通して連絡を取った前田達之がカプセルを購入していき、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」を立ち上げた<ref name="project93">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 93頁</ref>。前田は、カプセルを手放すオーナーから買い取ることで所有カプセルを増やし、建て替えに反対できる数を得ようとしていた<ref name="gakkai24">[[#建築学会 2018|建築学会 2018]] 24頁</ref>。 |
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2021年3月、解体・建て替えを計画する不動産業者への売却が決議され、住人の退去が進んだ<ref>{{Cite news |title=建築家・黒川紀章の代表作、銀座の「中銀カプセルタワービル」売却決定…老朽化で耐震補強難しく |newspaper=読売新聞 |date=2021-5-4 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210503-OYT1T50199/ |accessdate=2021-5-4}}</ref>。 |
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保存・再生プロジェクトの2015年の調査では、140のカプセルの内使用されているのは半分ほどで、35名が住居として利用していた<ref name="project117">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 117頁</ref>。住居と事務所の利用率は半々ほどで、毎日の住処にしている住人や気分転換のために月に4~5回しか使わない利用者もいれば、カプセル解体の危機感から部屋でパフォーマンスや展示を行ったりする利用者もいた<ref name="project117"/><ref name="project65">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 65頁</ref><ref name="project77">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 77頁</ref><ref name="project74">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 74~75頁</ref>。知人・友人にカプセルを体験してもらいたいと積極的に来客を招く所有者もいれば<ref name="2020project60">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 60頁</ref>、オリジナルに近い形で残っているカプセルで、外国人向けの見学ツアーも開催された<ref name="2020project71">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 71頁</ref>。保存・再生プロジェクトは所有するカプセルをマンスリーで貸し出し体験できる取り組みを行い、その中には[[良品計画|無印良品]]がインテリアコーディネートしている無印カプセルと呼ばれる一室もあった<ref name="2020project5">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 5~6頁</ref><ref name="2020project96">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 96頁</ref>。2016年には一部のオーナーが独自で防水工事を行った<ref name="morita20172"/>。修繕のための積立金1億円が使用されないとして、1/3の議決権を持つ中銀グループを批判するメッセージを発信している<ref name="morita20172"/>。 |
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2022年2月時点で隣接する中銀本社ビル・城山ビルの解体工事が始まっていた。現地の標識によると「(仮称)中銀カプセルタワー解体工事(I期:中銀本社ビル・城山ビル)」となっており、中銀カプセルタワー自体も解体工事の計画に含まれていることが確認された<ref name=":0" />。 |
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2018年に中銀グループが建物と敷地を売却し、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナ]]の流行をきっかけに経済的な理由で所有者がカプセルを手放していった<ref name="archi">{{Cite book2|df=ja|chapter=有名建築その後 中銀カプセルタワービル 「メタボリズム」の新たな船出|title=日経アーキテクチュア|author=橋本剛志|volume=2022年8月25日号|publisher=日経BP|pages=74-81}}</ref><ref name="2022suzuki216">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 216頁</ref>。2021年3月22日に管理組合は臨時総会を開き売却を決議し、2022年4月21日に解体が始まった<ref name="archi"/><ref name="yomiuri20210504">『読売新聞』2021年5月4日24面「カプセルビル保存厳しく」</ref>。解体は東京ビルドが担当し、まず内装を解体しカプセル内のアスベストを除去してから、骨組みだけになったカプセルを取り外していった<ref name="archi"/>。カプセル間は非常に狭く、解体作業は困難だった<ref name="archi"/>。 |
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2022年4月12日から解体工事が始まった<ref>「[https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/25437 中銀カプセルタワービル、解体工事が開始。今後の行方は?]」[[美術手帖]](2022年4月12日)2023年5月26日閲覧</ref>。[[#デジタルアーカイブ|後述]]するように[[設計図]]から作成した3次元データに基づいて再建する権利を販売する[[オークション]]が同年8月31日まで行われていた<ref name="読売20220721">[https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220721-OYT1T50164/「黒川紀章設計 カプセルビル再建権利販売/3次元データ 1人限定」]『[[読売新聞]]』夕刊2022年7月21日8面(2022年7月24日閲覧)</ref>。 |
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== 内装 == |
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== 芸術的価値と継承の動き == |
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[[File:Nakagin Capsule Tower (51473177487).jpg|thumb|円窓と備え付けの機器]] |
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広さは10 m<sup>2</sup>で、幅2.3 m、奥行き3.8 m、高さ2.1 m<ref name="project117"/>。カプセルにはオフィス、ホテル、マンションの3タイプがあり、グレードも、スーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3種類が用意され、色も白、黒、オレンジ、青の4色から選ぶことができた<ref name="tanabe164"/><ref name="kaihatsu"/>。ベッドとバスが不可欠な装備品として最初に導入が決まり、バスルームはできるだけスペースが小さくなるようにデザインされた<ref name="bunka">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセルタワービル〔設計・黒川紀章建築・都市設計事務所〕|title=建築文化|author=上田憲二郎|volume=1972年6月号|publisher=彰国社|pages=128-130}}</ref>。窓やブラインド、ベッドマッドは特注されており、中でも特徴的な円窓は黒川お気に入りの意匠で、都知事選に立候補した際の選挙カーでも用いられている<ref name="shinkentiku2008">{{Cite book2|df=ja|chapter=空間表現のディテール(第7回) 都市居住の単位 - 中銀カプセルタワービル|title=新建築|author=山本想太郎、石黒由紀、高橋堅、山代悟|volume=2008年2月号|publisher=新建築社|pages=140-149}}</ref><ref>[[#倉方 2017|倉方 2017]] 58頁</ref><ref name="project98">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 98頁</ref>。 |
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サラリーマンに必要なものを揃えた完結型ユニットで、ラジオ、ステレオ、テープデッキ、カラーテレビといった娯楽設備、仕事に必要なデスク、本棚、計算機に加え、冷蔵庫、電話のような生活必需品が標準化されていた<ref name="Zukowsky225">[[#Zukowsky 2018|Zukowsky 2018]] 225頁</ref><ref name="sawaragi254"/><ref name="kaihatsu"/>。販売価格には歯ブラシや毛布の料金も含まれており、身一つでカプセルを利用開始することができた<ref name="kaihatsu"/>。 |
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== 設計思想 == |
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[[File:CAPSULE HOTEL, TOKYO.jpg|thumb|隙間なく配置されたカプセル]] |
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[[高度経済成長]]下の日本では都市拡張、人口増加が進み、住宅難に対応するためミニマムで機能主義的な住宅が求められ、1971年の「セキスイハイムM1」のような直方体のユニットを現場で組み合わせて完成する[[プレハブ工法|プレハブ]]住宅に注目が集まっていた<ref name="sawaragi254"/><ref name="igarashi6">[[#五十嵐 2014|五十嵐 2014]] 6~8頁</ref>。黒川は方向性を同じにしながらも、進んでいく開発を憂慮し地球の資源は有限であると警鐘を鳴らし、新しい未来像を提示することを目指した<ref name="1994kurokawa140">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 140頁</ref><ref name="1994kurokawa146">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 146頁</ref><ref name="1994kurokawa147">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 147頁</ref>。 |
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黒川が[[日本万国博覧会]]において設計した「空中テーマ館 住宅カプセル」ではカプセルの組み合わせによって住環境を作るというアイディアが実現されており、カプセルタワーの原型になっている<ref name="shinkentiku194">[[#新建築 2011|新建築 2011]] 194頁</ref>。住宅カプセルは博覧会展示のためショー機能の要素が強く、カプセルタワーは実用的なカプセル建築の第一歩といえる<ref name="bunka"/><ref name="kentikukai">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセル・タワービル|title=建築界|volume=1972年7月号|publisher=理工図書株式会社|pages=9-16}}</ref>。 |
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カプセル建築は、画一のものを量産化しコストダウンすることがメリットと考えられがちだが、黒川の目指したものは量産化による多様性という一見矛盾したものだった<ref name="1994kurokawa178">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 178頁</ref>。一定期間で変容していくメタボリズムのコンセプトでは、建築家は建築後も主体性を持ち続けることができない<ref name="1994kurokawa195">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 195頁</ref>。カプセルそれぞれの持ち主が主体性を持ち、新しいものや異質なものが取り込まれていくことで住民が建築に参加することができた<ref name="1994kurokawa195"/><ref name="1994kurokawa196">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 196頁</ref>。黒川にとってカプセルタワープロジェクトの意義は個の空間を創り出すことだったが、末期にはビジネスマンからクリエイティブ系の職種の利用者が増え人の新陳代謝が起こり、それぞれの解釈で多様なカプセルの利用がなされた<ref name="sd96"/><ref name="gakkai25">[[#建築学会 2018|建築学会 2018]] 25頁</ref><ref name="2022suzuki222">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 222頁</ref>。 |
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=== メタボリズム === |
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[[メタボリズム]]のグループの中でも、黒川は生物の[[新陳代謝]]という概念に最もこだわった建築家だった<ref name="yatsuka13">[[#八束 2011|八束 2011]] 13頁</ref>。メタボリズムの「代謝する建築」という考え方を実現するため、カプセルを細胞の一つに見立てて、カプセルの交換によって新陳代謝を表現しようとした<ref name="1994kurokawa178"/><ref name="1994kurokawa179">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 179頁</ref>。 |
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技術の進歩や生活を取り巻く変化が急激になっていくと設備の技術更新が追い付かず、電気系統の4~5年からコンクリートの50~60年といった異なる耐用年数が同じ建物に混在し、短い耐用年数が建築全体の寿命も短くしてしまうことが増えていっていた<ref name="2011kurokawa15">[[#黒川 2011|黒川 2011]] 15頁</ref><ref name="2011kurokawa29">[[#黒川 2011|黒川 2011]] 29頁</ref>。建築素材の耐用年数に余裕があっても、電気や水道システムの老朽化により解体される建築物がある一方、自動車はエンジンなどの部品を交換して長期間使用することが想定されて設計されている<ref name="1994kurokawa103">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 103頁</ref>。そこからヒントを得た黒川は、予め寿命を25年とし交換していくことを想定したカプセルで、コントロールの主体を人間に取り戻し、社会や個人のニーズによる「社会的耐用年数」にも対応し変化していく建築を目指した<ref name="Zukowsky225"/><ref name="1979kurokawa9">[[#黒川 1979|黒川 1979]] 9頁</ref><ref name="1994kurokawa104">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 104頁</ref>。 |
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=== ホモ・モーベンス === |
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高度経済成長により都市の移動が容易になると、価値観の変化、人や物の移動、情報の流れという新しい流動性が発展していき、黒川は「動」という価値観に従って生きる人間を「ホモ・モーベンス」と名付けた<ref name="1969kurokawa13">[[#黒川 1969|黒川 1969]] 13頁</ref><ref name="1994kurokawa186">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 186頁</ref><ref name="1969kurokawa10">[[#黒川 1969|黒川 1969]] 10頁</ref>。黒川は著書「ホモ・モーベンス」の中で「カプセル宣言」を発表し、第二条で「カプセルとは、ホモ・モーベンスのためのすまいである。」と規定した<ref name="1969kurokawa13"/><ref name="1969kurokawa145">[[#黒川 1969|黒川 1969]] 145頁</ref>。一つの家に縛られることなく、1日24時間のうち都心の様々な施設にアクセスし豊かなライフスタイルを送るため、オフィス、またはセカンドハウスとしてカプセルタワーは提案された<ref name="tanabe163">[[#田辺 2009|田辺 2009]] 163頁</ref><ref name="1994kurokawa194"/>。 |
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個々人それぞれが自らのヤドカリを持ち移動可能であることがカプセルタワーのコンセプトであり、長期休暇にリゾート地やスキー場へトレーラーで運んでいくことを想定していたことから、カプセルはシャフトに止められているだけだった<ref name="1994kurokawa187">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 187頁</ref><ref name="1994kurokawa194">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 194頁</ref>。しかし、実際に移動可能であっても、現地の電気やガス、通信などのライフラインと接続できないため、あくまでも構想であった<ref name="1994kurokawa194"/>。カプセルタワー建築後の雑誌[[新建築]]1972年6月号では、給湯給水設備を移動可能にした「ムービング・コア」や「レジャー・カプセル」が発表されている<ref name="shinkentiku146"/>。 |
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カプセルタワー以後ホモ・モーベンスの考え方が定着することはなかったが、コロナ禍によりオンラインで場所を選ばずに仕事をしなければいけなくなり、黒川の思想が再注目されることとなった<ref name="suzuki14">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 14頁</ref><ref name="morita20227"/>。 |
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== 評価・影響 == |
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世界で初めて実用化されたカプセル建築で、メタボリズムの代表的な作品であり、世界的に著名な建築だった<ref name="shinkentiku146">[[#新建築 2011|新建築 2011]] 146頁</ref>。外国人旅行者もしばしばカメラを向けるほどで、2015年に来日した映画監督の[[フランシス・フォード・コッポラ]]は、カプセルタワーに関心を持っており実際に建物を見学している<ref name="tokyojin"/><ref name="morita20215">{{Cite book2|df=ja|chapter=証明できなかったメタボリズム 中銀カプセルタワー いよいよピンチ|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2021年5月号|publisher=テツアドー出版|pages=52-64}}</ref>。 |
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建築直後から[[はとバス]]では黒川紀章の名前と一緒にカプセルタワーが紹介されており、「近代建築辞典」の日本の項目には、[[丹下健三]]の[[国立代々木競技場]]とカプセルタワーだけが戦後建築の象徴として掲載されていた<ref name="magenuma344"/><ref name="1994kurokawa194"/>。2006年には、[[DOCOMOMO|DOCOMOMO JAPAN]]による[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築|日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選定されている<ref name="sawaragi254"/>。建て替えの声が大きくなってきた2005年から2006年にかけて建築学会、建築士連合会、建築家協会、DOCOMOMO Japanの4団体それぞれが管理組合に対し保存要望書を提出しており、建築学会の要望書には「世界の戦後建築史に欠かせない」、「イギリスをはじめ諸外国から保存を望む声がある」ことが書かれていた<ref name="morita201610">{{Cite book2|df=ja|chapter=保存か建て替えか 中銀カプセルタワービル|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2016年10月号|publisher=テツアドー出版|pages=84-88}}</ref><ref name="morita20227">{{Cite book2|df=ja|chapter=3トン140個のカプセルが空を飛ぶ : 黒川のカプセルと、茅葺の新陳代謝と、蓑虫山人というホモ・モーベンス|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2022年7月号|publisher=テツアドー出版|pages=40-56}}</ref>。 |
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[[イギリス]]の前衛建築家集団の[[アーキグラム]]、ドイツのヴォルフガンク・デーリンク、オーストリアのギュンタードメニクらが、1960年代に相次いでカプセル建築のアイデアを発表していたものの、アーキグラムのデザイン案は実現可能性が考えられたものではなかった<ref name="iso241">[[#磯 2019|磯 2019]] 241頁</ref><ref name="magenuma325">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 325頁</ref>。その中で唯一建築物として実現に至ったのが中銀カプセルタワーだった<ref name="iso241"/>。メタボリズムという思想を純粋に体現した唯一の建築で、全てのユニットは交換可能であり中心のコアを建て増せば増殖していく構想もあった<ref name="tatehata4">[[#建畠 2014|建畠 2014]] 4~5頁</ref>。実際にはユニットは下から積み上げているため、どこか一つだけ交換するということが不可能であり、カプセルの交換が行われなかったことからメタボリズム建築の失敗例ともいえる<ref name="tatehata4"/><ref name="iso241"/>。カプセル交換の作業性よりも耐久、耐火性が優先されているのは、頻繁に交換されることを想定せずに交換することが"できる"レベルにとどめているからである<ref name="shinkentiku1972">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセルタワービルの概要|title=新建築|author=上田憲二郎|volume=1972年6月号|publisher=新建築社|pages=192-193}}</ref>。黒川の当初の構想では賃貸物件であり、カプセルの耐用年数である25年が経過したら交換することを想定していた<ref name="magenuma342"/>。しかし、渡辺は分譲することで資金を回収し、カプセル建築を増やしていく野心を持っていた<ref name="magenuma342"/>。分譲により所有者それぞれが権利を持っていたため、管理側による一括のカプセル交換が不可能だった<ref name="nikkei161"/>。 |
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カプセルタワー完成後も、黒川事務所、中銀マンシオン、大丸装工部の共同でレジャー向けのカプセル開発が続けられたが、受注生産ということもあり20棟ほどしか売れなかった<ref name="tanabe166">[[#田辺 2009|田辺 2009]] 166頁</ref>。中銀マンシオンの有藤常務は、建築直後の反響に比べニーズがそこまで伸びず、[[オイルショック]]や時代の移り変わりによる価値観の変化により後継カプセル建築が作られなかったと語っている<ref name="tanabe165">[[#田辺 2009|田辺 2009]] 165頁</ref>。大丸装工部は経験を活かし、ベッド、テレビ、ラジオ、アラームを一体化したカプセルベッドを開発し、1000万個が売れる大ヒット商品になった<ref name="tanabe166"/>。大成建設ではその後カプセル建築に取り組むことはなかったが、特殊な工法に挑戦したことから大手建設会社の中でプレハブ技術が向上したと当時の現場所長が振り返っている<ref name="tanabe167">[[#田辺 2009|田辺 2009]] 167頁</ref>。 |
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設計を担当した阿部暢夫は個人用カプセルが備わっていることから、カプセルタワーよりも大阪万博の「住宅カプセル」を黒川が提唱したホモ・モーベンスのコンセプトを体現した建築と位置付けている<ref name="zadankai162">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 162頁</ref>。黒川は一つ屋根の下という家族観の解体を目指していたが、カプセルタワーでは家族の構成員それぞれがカプセルを持ち合わさって住むという構想は実現に至っていない<ref name="1994kurokawa187"/><ref name="1994kurokawa194"/>。[[近江榮]]は、ワンルームマンション、カプセルホテル、ユニットバスが一般化する前から建築として実現しているところを評価しながらも、黒川が提示したコンセプトが投機対象になるなど正統継承されなかったことを残念だと話している<ref name="tanabe167"/>。建築ジャーナリストの田辺明子は、黒川の問題提起が真正面から受け止められなかった理由に法規制や行政の怠慢など社会にも問題があるとし、カプセルタワーは都市の歪みを測る「原器」と表現している<ref name="tanabe167"/>。 |
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2008年に雑誌・[[新建築]]紙上で行われた山本想太郎、石黒由紀、高橋堅、山代悟による座談会では、メタボリズムを現実の建築として実現した功績が讃えられ、カプセルの工業的な完成度が高く、建築の付属品としてではなくカプセルが重要な構成要素になっていることが評価されている<ref name="shinkentiku2008"/>。高橋は、カプセルという特殊な制約があるため、建築として今一つな部分もあり記念碑的だとしている<ref name="shinkentiku2008"/>。また、[[ル・コルビュジエ]]のドミノ・システムの影響を感じており、最小単位のモノが組み合わさったときに生まれる関係という要素に一致をみている<ref name="shinkentiku2008"/>。石黒は、ホテル的なカプセルが個人の居住空間足りえる理由に窓と扉を挙げ、インフラとプライバシーが最小構成要素なのではないかと分析している<ref name="shinkentiku2008"/>。山本は、カプセルだと意識できるのは外観からで、内側に妥協が見られることから黒川は外へのプレゼンテーションの意識が強かったのではないかと分析し、カプセルをバランスよく配置しなければならないという制約がある一方、カプセルを徹底的に並べることで集合体の建築として成り立たせていると評した<ref name="shinkentiku2008"/>。1階部分にロビーやテナントスペースが十分に設けられていないのは、黒川からの「外へ出ろ」というメッセージなのではないか、という発言もあった<ref name="shinkentiku2008"/>。「今自分がカプセル建築を作るとしたら」という問いに、山代は個人用ではなく、パブリックな空間に音楽や図書のカプセルを配置することに興味があると答えている<ref name="shinkentiku2008"/>。 |
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== 保存活動 == |
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[[File:Capsule_of_Nakagin_Capsule_Tower_In_Kita-Urawa_park.jpg|thumb|北浦和公園に展示されている中銀カプセルタワービルのプロトタイプカプセル]] |
[[File:Capsule_of_Nakagin_Capsule_Tower_In_Kita-Urawa_park.jpg|thumb|北浦和公園に展示されている中銀カプセルタワービルのプロトタイプカプセル]] |
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建物玄関に置かれていたモデルルーム用のカプセルは、2011年から2012年にかけて開催された「メタボリズムの未来都市展」において六本木通り沿いに展示された<ref name="suzuki132">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 132頁</ref>。開催終了後に[[森美術館]]は黒川が設計をした[[埼玉県立近代美術館]]へ寄贈した<ref name="suzuki132"/>。さいたま市の[[北浦和公園]]彫刻広場に美術品として配置され、内装が綺麗な形で残っており、外から観賞することが可能となっている<ref name="suzuki132"/><ref name="project34">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 34頁</ref>。美術館側は月に1回アスベスト濃度を検査しており、不安の声に対応している<ref name="2022suzuki220">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 220頁</ref>。 |
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2011年9月17日から2012年1月15日に[[森美術館]](東京都[[六本木]])で開催された「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」<ref>{{Cite web|url=http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/info/index.htm|title=メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン|publisher=森美術館|accessdate=2012-01-16}}</ref>で、中銀カプセルタワービルの一室としてビルの1階に展示されていた住居用モデルカプセルが展示された<ref>{{Cite web|date=2012-01-16|url=http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011601001274.html|title=埼玉の公園にカプセルビル一室 黒川紀章氏の代表作、寄贈|publisher=[[共同通信]]|accessdate=2012-01-16}}</ref>。この展示物件はその後、[[埼玉県立近代美術館]]に寄贈され、2012年1月16日から[[北浦和公園]]で公開されている。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サンフランシスコ近代美術館]]のように海外の美術館にカプセルが収蔵された事例もある<ref name=":1">{{Cite web |title=中銀カプセル、サンフランシスコ近代美術館が収蔵…元住人ら保存の23個が各地に |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230610-OYT1T50239/ |website=読売新聞 |date=2023-06-11 |access-date=2023-06-11}}</ref>。 |
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保存・再生プロジェクトは、中銀グループから地権を買い取ったCTB合同会社と交渉し、解体の際に25個のカプセルを保存用に取り外し活用していくことに合意した<ref name="2022suzuki218">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 218頁</ref><ref name="archi"/>。2023年には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サンフランシスコ近代美術館]]への収蔵や、[[松竹]]が新しく創設するイベントスペース「SHUTL」への展示が決定している<ref>{{Cite web |title=中銀カプセル、サンフランシスコ近代美術館が収蔵…元住人ら保存の23個が各地に |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230610-OYT1T50239/ |website=読売新聞 |date=2023-06-11 |access-date=2023-10-01}}</ref><ref>{{Cite web |title=中銀カプセルタワービルのカプセルを再活用した「SHUTL(シャトル)」、10月にオープンへ |url=https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/27640|website=読売新聞 |date=2023-08-13 |access-date=2023-10-01}}</ref>。 |
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解体に際して取り外された23個のカプセルのうちの1個は[[淀川製鋼所]]によって、[[トレーラーハウス|車載型]]に改造された。[[道路交通法]]改正による規制緩和により、[[公道]]も走行可能である<ref name=東京新聞20230524/><ref name=":1" />。また、2個は[[松竹]]が購入した上で東京・東銀座に新設予定のイベントスペースとして活用すると報じられている<ref name=":1" />。 |
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黒川事務所はLAETOLIと共同でカプセルタワーの設計情報に紐づいたNFTを販売した<ref name="archi"/>。購入者はカプセルタワーの3次元データに基づき自由に建設が可能で、設計側が再建を公認する例は世界的に珍しかった<ref name="yomiuri20220721">『読売新聞』2021年5月4日 夕刊8面「カプセルビル再建権利販売」</ref>。 |
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=== デジタルアーカイブ === |
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[[ファイル:AR of Nakagin Capsule Tower.jpg|サムネイル|[https://motion-gallery.net/projects/3dda-nakagin 3Dデジタルアーカイブプロジェクト] によって制作されたARで表示した中銀カプセルタワービルと解体前の同ビル実物]] |
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その建築的価値を残すため、建物全体を3Dデータで保存する「[https://gluon.tokyo/projects/3d-digital-archive-nakagin-capsule-tower 3Dデジタルアーカイブプロジェクト]」が始動、制作費用のクラウドファンディングが行なわれた。同プロジェクトでは、ミリメートル単位で正確な距離を計測するレーザースキャンデータと、[[一眼レフカメラ]]や[[無人航空機|ドローン]]で撮影した2万枚以上の写真データを組み合わせて、建物全体をスキャン。中銀カプセルタワービルを[[スマートフォン]]で見ることができる[[拡張現実]](AR)も公開された<ref>{{Cite web|date=2022-04-14|url=https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/nakagin-capsule-tower-3d-digital-archive-project-041422|title=銀座の中銀カプセルタワービルがついに解体、3Dデジタルアーカイブ化始動|publisher=TimeOutTokyo|accessdate=2022-04-14}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-15|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2204/15/news189.html|title=解体始まる「中銀カプセルタワービル」を丸ごと3D化 保存プロジェクトがスタート|publisher=ITmedia|accessdate=2022-04-15}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-13|url=https://www.axismag.jp/posts/2022/04/463277.html|title=黒川紀章設計の「中銀カプセルタワービル」3Dスキャンで記録に残すプロジェクトが始動|publisher=AXIS|accessdate=2022-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-13|url=https://www.adfwebmagazine.jp/en/architect/nakagin-capsule-tower-3d-digital-archive-project|title=黒川紀章設計のメタボリズム建築「中銀カプセルタワービル」を3Dデータで記録に残すプロジェクトが始動|publisher=ADFwebmagazine|accessdate=2022-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-13|url=https://mag.tecture.jp/culture/20220413-57356|title=3Dデジタルアーカイブで名建築を未来へ! |
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|publisher=TECTURE|accessdate=2022-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-19|url=https://cgworld.jp/flashnews/2204-3argluon.html|title=黒川紀章氏設計の「中銀カプセルタワービル」をデジタル技術を活用して3次元で保存、スマホで表示できるARも先行公開|publisher=TECTURE|accessdate=2022-04-19}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-12|url=https://www.moguravr.com/nakagin-capsuletower-digital-archive|title=解体のはじまった「中銀カプセルタワービル」をデジタルアーカイブ化するプロジェクトが始動|publisher=MoguLive|accessdate=2022-04-12}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-26|url=https://www.japandesign.ne.jp/news/2022/04/64901/|title=黒川紀章設計の名建築「中銀カプセルタワービル」を3次元で保存する|publisher=JDN|accessdate=2022-04-26}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{脚注ヘルプ}}<references/> |
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<references group="注釈" /> |
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== 関連項目 == |
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* [[モジュール]] |
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* [[静岡新聞・静岡放送東京支社ビル|静岡新聞・静岡放送(SBS)東京支社ビル]] - 同じ銀座8丁目にある[[丹下健三]]設計のメタボリズム建築。 |
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* [[スケルトン・インフィル住宅]] - 外装はそのままで、内装を交換することで同様の効果を得る手法。 |
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* [[エンパイア・ステート・ビルディング]] - メタボリズムという言葉が定義される前から同様のコンセプト(内装のみ交換することで時代のニーズに対応する)で成功している建築物。 |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|30em}} |
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{{Commonscat|Nakagin Capsule Tower}} |
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* {{facebook|NakaginCapsuleTower}} |
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* [https://motion-gallery.net/projects/3dda-nakagin 中銀カプセルタワービル 3D Digital Archive Project] |
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* [http://blog.livedoor.jp/laute33/ 中銀カプセルタワー応援団] |
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* {{facebook|NakaginCapsuleRenovation|中銀カプセルリノベーション}} |
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* [http://www.kisho.co.jp/page.php/106 黒川紀章 中銀カプセルタワービル] |
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* [http://www.nakagincapsuletower.com/ 中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト] |
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* {{twitter|nakagincapsule|中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト}} |
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* [http://capsule1972.com/ 中銀カプセルタワービルA606プロジェクト] |
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* {{Wayback|url=http://blogs.yahoo.co.jp/sakamiti_to_sora/6007661.html |title=中銀カプセルタワービル 間取り等 |date=20191101000000}} |
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* [http://www.ronworld.net/architectural/001_capsule/a-index.html 建築マップ 中銀カプセルタワービル●黒川紀章] |
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== 参考文献 == |
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{{Normdaten}} |
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=== 和書 === |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=日本建築学会 編|year=2018|title=幸せな名建築たち 住む人・支える人に学ぶ42のつきあい方|publisher=[[丸善出版]]|isbn=978-4862550446 |ref=建築学会 2018}} |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=五十嵐太郎 編|year=2014|title=戦後日本住宅伝説 ─挑発する家・内省する家|publisher=[[新建築社]]|isbn=978-4862550446 |ref=建築学会 2014}} |
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**中銀カプセルタワー/黒川紀章 前山裕司 102,104頁 |
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**住宅の神話 建畠哲 4~5頁 |
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**建築家にとって住宅とは何だったのか 五十嵐太郎 6~8頁 |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=John Zukowsky,Robbie Polley|translator=山本 想太郎、鈴木 圭介、神田 由布子|year=2018|title=イラスト解剖図鑑 世界の遺跡と名建築|publisher=[[東京書籍]]|isbn=978-4487811502 |ref=Zukowsky 2018}} |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=椹木野衣|year=2015|title=日本美術全集19 拡張する戦後美術|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4096011195 |ref=椹木 2015}} |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=倉方俊輔|year=2017|title=東京モダン建築さんぽ|publisher=[[エクスナレッジ]]|isbn=978-4767823836 |ref=倉方 2017}} |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=磯達雄、宮沢洋|year=2019|title=昭和モダン建築巡礼・完全版1965-75|publisher=[[日経BP]]|isbn=978-4296103621 |ref=磯 2019}} |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=SD編集部編|year=1979|title=黒川紀章 (現代の建築家)|publisher=[[鹿島出版会]]|isbn=978-4306041066 |ref=SD編集 1979}} |
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**「現代建築の墓標」 黒川紀章 8~10頁 |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=新建築社編|year=2011|title=メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン|publisher=[[新建築社]]|isbn=978-4786902345 |ref=新建築 2011}} |
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**「メタボリズム連鎖」という「近代の超克」 八束はじめ 10~16頁 |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=曲沼美恵|year=2015|title=メディア・モンスター:誰が「黒川紀章」を殺したのか?|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4794221193 |ref=曲沼 2015}} |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=鈴木敏彦|year=2022|title=黒川紀章のカプセル建築|publisher=[[丸善出版]]|isbn=978-4908390104 |ref=鈴木 2022}} |
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**「座談会」 茂木愛子、阿部暢夫、黒川未来夫、 160~184頁 |
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**「中銀カプセルタワービルの解体後の展開 前田達之氏に聞く」 聞き手 鈴木敏彦 216~222頁 |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=黒川紀章|year=1969|title=ホモ・モーベンス 都市と人間の未来|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4121001986 |ref=黒川 1969}} |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=黒川紀章|year=1994|title=黒川紀章ノート 思索と創造の軌跡|publisher=[[同文書院]]|isbn=978-4810340556 |ref=黒川 1994}} |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=黒川紀章|year=2011|title=復刻版 行動建築論―メタボリズムの美学|publisher=[[彰国社]]|isbn=978-4395012381 |ref=黒川 2011}} |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 編|year=2015|title=中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟|publisher=[[青月社]]|isbn=978-4810912883 |ref=プロジェクト 2015}} |
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**「中銀カプセルタワービル -黒川紀章的「家出のすすめ」」 曲沼美恵 40~43頁 |
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 編|year=2020|title=中銀カプセルスタイル|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4810912883 |ref=プロジェクト 2020}} |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 編|year=2022|title=中銀カプセルタワービル 最後の記録|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4794225597 |ref=プロジェクト 2022}} |
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**「中銀カプセルタワービル~半世紀の先へ~」 松下希和 76~79頁 |
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**「未来のホモ・モーベンスの住まいとは」 鈴木敏彦 152~157頁 |
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**「対談:中銀カプセルタワービルを総括する」 黒川未来夫、八束はじめ 166~171頁 |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=植田実|year=2004|title=集合住宅物語|publisher=[[みすず書房]]|isbn=978-4622070863 |ref=植田 2004}} |
|||
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=日経アーキテクチュア 編|year=2009|title=有名建築 その後|publisher=[[日経BP]]|isbn=978-4822266660 |ref=日経 2009}} |
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** 「有名建築その後 中銀カプセルタワー」田辺明子 1987年4月20日号の記事の再掲 |
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=== 雑誌記事 === |
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*『月刊リフォーム』(テツアドー出版) |
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*『都市開発』(都市開発研究会) |
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*『[[新建築]]』([[新建築社]]) |
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*『建築文化』(彰国社) |
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*『[[週刊新潮]]』([[新潮社]]) |
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*『[[東京人 (雑誌)|東京人]]』([[都市出版]]) |
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*『日経アーキテクチュア』([[日経BP]]) |
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*『建築界』(理工図書株式会社) |
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{{DEFAULTSORT:なかきんかふせるたわあひる}} |
{{DEFAULTSORT:なかきんかふせるたわあひる}} |
2023年10月14日 (土) 04:09時点における版
中銀カプセルタワービル | |
---|---|
情報 | |
用途 | 集合住宅 |
設計者 | 黒川紀章建築・都市設計事務所[1] |
構造設計者 | 松井源吾、ORS事務所[1] |
施工 | 大成建設[1] |
管理運営 | 中銀ハウジング[2] |
構造形式 | SRC造一部S造[1] |
敷地面積 | 441.89 m² [1] |
建築面積 | 429.51 m² [1] |
延床面積 | 3,091.23 m² [1] |
状態 | 解体 |
階数 | A棟地上13階、B棟地上11階地下1階[1] |
高さ | 42.13m[1] |
竣工 | 1972年[1] |
解体 | 2022年[3] |
所在地 |
〒104-0061 東京都中央区銀座8-16-10[4] |
座標 | 北緯35度39分56.62秒 東経139度45分48.402秒 / 北緯35.6657278度 東経139.76344500度座標: 北緯35度39分56.62秒 東経139度45分48.402秒 / 北緯35.6657278度 東経139.76344500度 |
中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)は、黒川紀章が建築設計した集合住宅である。2本の主柱に合わせて140個のカプセル型居住空間が取り付けられ、単身者向けの都心のセカンドハウスとしてデザインされた[5]。1972年(昭和47年)、東京都中央区銀座で竣工し、老朽化により2022年に解体された[1][3]。世界で初めて実用化されたカプセル建築であることに加えメタボリズムの象徴的建築であり、黒川紀章の代表的作品であった[6][7]。
歴史
依頼
施主は中銀マンシオンの渡辺酉蔵[8]。渡辺は貸しビルの案件を担当したことをきっかけに弁護士から不動産業に転身し、中央区銀座から名前を取った中銀建物と中銀マンシオンという2つの会社の社長をしていた[8][9][10]。黒川紀章の設計による大阪万博の「空中テーマ館」や「タカラ・ビューティリオン」に感心した渡辺は、新しく建築予定だった銀座8丁目のマンションの設計を黒川に依頼することにした[11]。特別な建物を所望する依頼主に対し、黒川は都心型のセカンドハウスをカプセル建築で実現しようとした[12]。
設計
まず黒川がデザインしたスケッチを元に、事務所スタッフの阿部暢夫と上田憲二郎が詳細な設計図作成を担当した[13]。建物のコアの部分は下沢康二、カプセルは茂木愛子が担当した[14]。工場から輸送できる限界の大きさを逆算しカプセルの寸法が決まると、最大で140個のカプセルが取り付けられることが分かり、渡辺が重要視する採算性もクリアできると確信した[12][15]。若いスタッフが担当していたこともありカプセルの重量に苦労していたが、事務所を訪れていた松井源吾が構造設計を手助けすると重量は半分まで削減された[14]。阿部と上田らスタッフが模型の製作をしていくうちに、見た目も美しいカプセルの組み合わせ方が固まっていき、黒川の承認を得たことでデザインが確定した[15][16][17]。実際に製造されるカプセルが140個ということもあり、量産化のための金型を作るわけにもいかず製造を請け負う会社を見つけるのに苦労したが、海上用コンテナを製造していたアルナ工機がカプセル本体を、内装はYS-11も手掛けたことがある大丸装工部が担当することに決まった[17][18]。施工を担当する大成建設はエレベーターや配管の設置が特殊なこともあり、カプセルタワーのためだけの技術委員会を新たに設置し対応しようとした[19][20]。
設計中には、渡辺の心変わりにより予定地に自社ビルを建てることになり、建設中止の連絡が来たことがあった[21][22]。渡辺と直接話し合う中で黒川はカプセルタワー内にオフィスフロアを新しく盛り込むことを提案し、その案に納得した渡辺は中銀マンシオン側の反対意見を説き伏せ建築計画は続行されることになった[23]。社内ではコストが通常の2倍かかることから強い反対意見があったものの、チャレンジ精神を重んじる社風が優先されている[18]。建築許可を得るため都庁や建設省との折衝を担当していた上田は、この修正により設計案の見直しをしなければならなかったが、既に申請から1年半経過していることもありなんとか承認を得て着工できることになった[21][23]。申請に時間がかかった理由について建築の特殊性があり、階数や床面積をどのように定めるか、防災・避難計画の策定のような建築面の考慮だけでなく、カプセルを取り外した場合の所有権がどうなるのかといった法律面の課題もあった[18][注釈 1]。
建設
あらかじめ工場で作成されたコンクリートパーツ、エレベーター、階段などを現地へ輸送し、軸となる2本のシャフトが完成すると1971年11月8日からカプセルの取り付けが始まった[24]。カプセルは、450キロ離れた滋賀の工場からその日ごとに取り付ける分だけ順次輸送されていった[24][25]。カプセルの保存場所に余裕がなく、輸送に使う大型車両の通行時間の規制もあったため、前日の夕方に出発し当日の朝に到着する段取りだった[24]。クレーンで吊り上げられたカプセルはボルトでシャフトに固定されていった[26]。作業員も最初は固定作業に1時間ほどかかっていたが、カプセルの固定は反復作業なので慣れると15分ほどに短縮されていた[26]。大成建設は、工期短縮を図りながらも全行程の15万5000時間を無事故で完遂している[27]。1971年12月24日に最後のカプセルが取り付けられると、残りの配管や内装工事は1972年4月5日に終了しついに竣工した[28][29]。
入居開始
全体工事終了の2日後には早速住民の入居が始まった[29]。カタログの挿絵は、カーグラフィックで車の内装を担当しているイラストレーターに依頼し、ベッドに横たわりながら電話をかけるビジネスマンの写真が使われ、キャッチコピーの「ビジネスに遅れをとらない」ことが強調されたものとなった[30][14]。1日1000件の問い合わせが来る大反響で、年末には100室ほどが売約、予約済となった[31][32]。土地は中銀マンシオンが所有しており、カプセルの所有権が380万から486万円で分譲された[33]。管理費は月額で1万3900円ほどだった[33]。
売れ行き好調の理由について雑誌「都市開発」では、銀座、新橋、羽田空港に近く交通の便が良いこと、オフィス街に近く会社の会議室や休憩室としての需要もあったと分析されており、分譲についても好意的に取り上げられている[27]。中銀マンシオンによると購入者の74%が男性、平均年齢が42.9歳、7割が会社員であり、利用目的では、半数以上が「寝る場所」としていた[32]。当初予測では、都内在住者の購入は20~30%ほどだろうと考えていたが、目論見とは違い60%の購入者が都内在住者であった[27]。また、都内のマンション建築は一定数投資目的で購入されるものの、カプセルタワーはそれらと比較して著しく低い割合だった[27]。
建設当初は、郊外や遠方に住んでいる利用者の事務所機能や、本社が地方都市にある企業の宿泊施設として利用されることが多かったものの、バブル期には投資物件として注目が集まり、1987年時点では、オフィス利用者が半数で残りは投機目的であり住居としてほとんど使われていなかった[34][31][35]。所有者が変わるたびに売却価格が上がっていき、当初の販売価格の3倍にまで達していた[31]。
建て替え決議
バブル崩壊後に老朽化が進み配管設備の耐久年数を超えると漏水が深刻化し、隣のビルの増築の影響で日が射さなくなると屋根の腐食で雨漏りにも悩まされることになった[36][35]。1997年の植田実の取材によると、オーナーの所在地がそれぞれ全国に散らばっていることや、カプセル所有者間で維持管理への関心の違いにより対応に苦労し、管理組合を設立したカプセル所持者の弁護士が管理会社である中銀ハウジングを巻き込む形で話し合いの場を設けた[2]。集中冷暖房や24時間対応の給湯設備を一括で管理会社が請け負うのはコストに見合わず、個人で冷房を導入する対応が必要になり、スラム化の危機と隣り合わせだった[2][37]。
多数のオーナーが建て替えに賛成する中、法改正された建築基準に適合しないことから解体されれば同じような建築は不可能なため、黒川は修繕案を提案し建て替えに反対した[36][38]。建て替え推進派の試算によると、建築申請を再び提出しなければならないものの費用は一戸あたり511万円になる一方、黒川の修繕案ではカプセルの交換に一戸あたり880万円が必要になり部屋の広さも変わらなかった[38]。一方、黒川の試算ではカプセル交換の方が安く、建て替えに5年ほどかかるのに比べ工期も8カ月で終わるとしている[39]。2007年4月に行われた決議では80%以上のオーナーが賛成し建て替えが決定したものの、その後のリーマンショックの影響で解体業者が倒産し実施までいかず、決議も無効になった[40][41][42]。
黒川は生前のインタビューで問いかけられた「メンテナンスについての話し合いはなかったのか」という質問に対し、1997年から黒川と大成建設でカプセル交換の要望書を提出していたと答えている[43]。黒川は個人でもカプセルを買い取り、可能ならば全ての所有権を手に入れて改修を成し遂げたいという思いを持っていた[43]。一方、2003年に発足した建て替え推進委員会は、2004年9月に黒川事務所と大成建設に補修案の提出依頼を打診しているが、回答は無かったと答えている[44]。
訴訟
2005年9月号の週刊新潮に掲載された、カプセルタワーがアスベストに汚染されているという記事に対して、黒川は名誉棄損の訴訟を起こしている[45]。記事では、住民の一人の要望により行われた調査により、露出したアスベストがエアコンの風で部屋中に飛散していた可能性が指摘され、テーブルや床にも落ちていたことが確認されている[44]。2005年6月のクボタの情報公開によりアスベスト問題が全国的に大きく取り上げられていた時期だが、カプセルタワーは吹付アスベストが禁止される1975年、アスベストが含まれた素材の利用が禁止される2004年より以前に建てられているので、法的に問題はなかった[45][44]。黒川は話し合いの場で「カプセルタワーは世界遺産候補になっているから、一時的な補修で済ませたい」と発言したが、候補になるには築50年以上で文化財になっていることが条件なのだから間違っていると強く批判する記事だった[44]。黒川は記事に協力したカプセルの所有者が、アスベスト問題の象徴として悪評を広めようとしているのではないかと疑い訴訟に踏み切った[45]。
黒川はアスベストは室内を汚染しておらず、世界遺産候補と説明した事実はないと主張し謝罪広告の掲載と損害賠償を求めたが、東京地方裁判所は2007年4月20日、アスベスト汚染、虚偽説明に関する主要部分が事実であると認定し請求を棄却した[46]。
老朽化・解体
一旦は解体決議が無効になったものの2010年ごろに給湯管が破裂し、配管が張り巡らされていたことから修理が難しく、建物全体で給湯機能が停止された[47][48]。浴槽は洗濯機置き場にして近くの銭湯に通う利用者も複数いた[49][50][51][52]。セントラルヒーティングも故障しているため、カプセルの5面が外気と接していることからカプセル内は熱しやすく冷めやすい状態で各部屋で対処が必要だった[48]。
一方、2008年に住民による「中銀カプセルタワー応援団」というブログが開設されると、メディアから注目を集め取材を受けるようになっていった[53]。2010年から2011年にかけてブログを通して連絡を取った前田達之がカプセルを購入していき、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」を立ち上げた[54]。前田は、カプセルを手放すオーナーから買い取ることで所有カプセルを増やし、建て替えに反対できる数を得ようとしていた[55]。
保存・再生プロジェクトの2015年の調査では、140のカプセルの内使用されているのは半分ほどで、35名が住居として利用していた[48]。住居と事務所の利用率は半々ほどで、毎日の住処にしている住人や気分転換のために月に4~5回しか使わない利用者もいれば、カプセル解体の危機感から部屋でパフォーマンスや展示を行ったりする利用者もいた[48][56][57][58]。知人・友人にカプセルを体験してもらいたいと積極的に来客を招く所有者もいれば[59]、オリジナルに近い形で残っているカプセルで、外国人向けの見学ツアーも開催された[60]。保存・再生プロジェクトは所有するカプセルをマンスリーで貸し出し体験できる取り組みを行い、その中には無印良品がインテリアコーディネートしている無印カプセルと呼ばれる一室もあった[61][62]。2016年には一部のオーナーが独自で防水工事を行った[43]。修繕のための積立金1億円が使用されないとして、1/3の議決権を持つ中銀グループを批判するメッセージを発信している[43]。
2018年に中銀グループが建物と敷地を売却し、新型コロナの流行をきっかけに経済的な理由で所有者がカプセルを手放していった[3][63]。2021年3月22日に管理組合は臨時総会を開き売却を決議し、2022年4月21日に解体が始まった[3][64]。解体は東京ビルドが担当し、まず内装を解体しカプセル内のアスベストを除去してから、骨組みだけになったカプセルを取り外していった[3]。カプセル間は非常に狭く、解体作業は困難だった[3]。
内装
広さは10 m2で、幅2.3 m、奥行き3.8 m、高さ2.1 m[48]。カプセルにはオフィス、ホテル、マンションの3タイプがあり、グレードも、スーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3種類が用意され、色も白、黒、オレンジ、青の4色から選ぶことができた[18][27]。ベッドとバスが不可欠な装備品として最初に導入が決まり、バスルームはできるだけスペースが小さくなるようにデザインされた[65]。窓やブラインド、ベッドマッドは特注されており、中でも特徴的な円窓は黒川お気に入りの意匠で、都知事選に立候補した際の選挙カーでも用いられている[66][67][68]。
サラリーマンに必要なものを揃えた完結型ユニットで、ラジオ、ステレオ、テープデッキ、カラーテレビといった娯楽設備、仕事に必要なデスク、本棚、計算機に加え、冷蔵庫、電話のような生活必需品が標準化されていた[69][6][27]。販売価格には歯ブラシや毛布の料金も含まれており、身一つでカプセルを利用開始することができた[27]。
設計思想
高度経済成長下の日本では都市拡張、人口増加が進み、住宅難に対応するためミニマムで機能主義的な住宅が求められ、1971年の「セキスイハイムM1」のような直方体のユニットを現場で組み合わせて完成するプレハブ住宅に注目が集まっていた[6][70]。黒川は方向性を同じにしながらも、進んでいく開発を憂慮し地球の資源は有限であると警鐘を鳴らし、新しい未来像を提示することを目指した[71][72][73]。
黒川が日本万国博覧会において設計した「空中テーマ館 住宅カプセル」ではカプセルの組み合わせによって住環境を作るというアイディアが実現されており、カプセルタワーの原型になっている[74]。住宅カプセルは博覧会展示のためショー機能の要素が強く、カプセルタワーは実用的なカプセル建築の第一歩といえる[65][75]。
カプセル建築は、画一のものを量産化しコストダウンすることがメリットと考えられがちだが、黒川の目指したものは量産化による多様性という一見矛盾したものだった[76]。一定期間で変容していくメタボリズムのコンセプトでは、建築家は建築後も主体性を持ち続けることができない[77]。カプセルそれぞれの持ち主が主体性を持ち、新しいものや異質なものが取り込まれていくことで住民が建築に参加することができた[77][78]。黒川にとってカプセルタワープロジェクトの意義は個の空間を創り出すことだったが、末期にはビジネスマンからクリエイティブ系の職種の利用者が増え人の新陳代謝が起こり、それぞれの解釈で多様なカプセルの利用がなされた[34][79][80]。
メタボリズム
メタボリズムのグループの中でも、黒川は生物の新陳代謝という概念に最もこだわった建築家だった[81]。メタボリズムの「代謝する建築」という考え方を実現するため、カプセルを細胞の一つに見立てて、カプセルの交換によって新陳代謝を表現しようとした[76][82]。
技術の進歩や生活を取り巻く変化が急激になっていくと設備の技術更新が追い付かず、電気系統の4~5年からコンクリートの50~60年といった異なる耐用年数が同じ建物に混在し、短い耐用年数が建築全体の寿命も短くしてしまうことが増えていっていた[83][84]。建築素材の耐用年数に余裕があっても、電気や水道システムの老朽化により解体される建築物がある一方、自動車はエンジンなどの部品を交換して長期間使用することが想定されて設計されている[85]。そこからヒントを得た黒川は、予め寿命を25年とし交換していくことを想定したカプセルで、コントロールの主体を人間に取り戻し、社会や個人のニーズによる「社会的耐用年数」にも対応し変化していく建築を目指した[69][86][87]。
ホモ・モーベンス
高度経済成長により都市の移動が容易になると、価値観の変化、人や物の移動、情報の流れという新しい流動性が発展していき、黒川は「動」という価値観に従って生きる人間を「ホモ・モーベンス」と名付けた[88][89][90]。黒川は著書「ホモ・モーベンス」の中で「カプセル宣言」を発表し、第二条で「カプセルとは、ホモ・モーベンスのためのすまいである。」と規定した[88][91]。一つの家に縛られることなく、1日24時間のうち都心の様々な施設にアクセスし豊かなライフスタイルを送るため、オフィス、またはセカンドハウスとしてカプセルタワーは提案された[92][93]。
個々人それぞれが自らのヤドカリを持ち移動可能であることがカプセルタワーのコンセプトであり、長期休暇にリゾート地やスキー場へトレーラーで運んでいくことを想定していたことから、カプセルはシャフトに止められているだけだった[94][93]。しかし、実際に移動可能であっても、現地の電気やガス、通信などのライフラインと接続できないため、あくまでも構想であった[93]。カプセルタワー建築後の雑誌新建築1972年6月号では、給湯給水設備を移動可能にした「ムービング・コア」や「レジャー・カプセル」が発表されている[95]。
カプセルタワー以後ホモ・モーベンスの考え方が定着することはなかったが、コロナ禍によりオンラインで場所を選ばずに仕事をしなければいけなくなり、黒川の思想が再注目されることとなった[96][97]。
評価・影響
世界で初めて実用化されたカプセル建築で、メタボリズムの代表的な作品であり、世界的に著名な建築だった[95]。外国人旅行者もしばしばカメラを向けるほどで、2015年に来日した映画監督のフランシス・フォード・コッポラは、カプセルタワーに関心を持っており実際に建物を見学している[39][42]。 建築直後からはとバスでは黒川紀章の名前と一緒にカプセルタワーが紹介されており、「近代建築辞典」の日本の項目には、丹下健三の国立代々木競技場とカプセルタワーだけが戦後建築の象徴として掲載されていた[33][93]。2006年には、DOCOMOMO JAPANによる日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている[6]。建て替えの声が大きくなってきた2005年から2006年にかけて建築学会、建築士連合会、建築家協会、DOCOMOMO Japanの4団体それぞれが管理組合に対し保存要望書を提出しており、建築学会の要望書には「世界の戦後建築史に欠かせない」、「イギリスをはじめ諸外国から保存を望む声がある」ことが書かれていた[98][97]。
イギリスの前衛建築家集団のアーキグラム、ドイツのヴォルフガンク・デーリンク、オーストリアのギュンタードメニクらが、1960年代に相次いでカプセル建築のアイデアを発表していたものの、アーキグラムのデザイン案は実現可能性が考えられたものではなかった[99][12]。その中で唯一建築物として実現に至ったのが中銀カプセルタワーだった[99]。メタボリズムという思想を純粋に体現した唯一の建築で、全てのユニットは交換可能であり中心のコアを建て増せば増殖していく構想もあった[100]。実際にはユニットは下から積み上げているため、どこか一つだけ交換するということが不可能であり、カプセルの交換が行われなかったことからメタボリズム建築の失敗例ともいえる[100][99]。カプセル交換の作業性よりも耐久、耐火性が優先されているのは、頻繁に交換されることを想定せずに交換することが"できる"レベルにとどめているからである[101]。黒川の当初の構想では賃貸物件であり、カプセルの耐用年数である25年が経過したら交換することを想定していた[29]。しかし、渡辺は分譲することで資金を回収し、カプセル建築を増やしていく野心を持っていた[29]。分譲により所有者それぞれが権利を持っていたため、管理側による一括のカプセル交換が不可能だった[40]。
カプセルタワー完成後も、黒川事務所、中銀マンシオン、大丸装工部の共同でレジャー向けのカプセル開発が続けられたが、受注生産ということもあり20棟ほどしか売れなかった[102]。中銀マンシオンの有藤常務は、建築直後の反響に比べニーズがそこまで伸びず、オイルショックや時代の移り変わりによる価値観の変化により後継カプセル建築が作られなかったと語っている[31]。大丸装工部は経験を活かし、ベッド、テレビ、ラジオ、アラームを一体化したカプセルベッドを開発し、1000万個が売れる大ヒット商品になった[102]。大成建設ではその後カプセル建築に取り組むことはなかったが、特殊な工法に挑戦したことから大手建設会社の中でプレハブ技術が向上したと当時の現場所長が振り返っている[103]。
設計を担当した阿部暢夫は個人用カプセルが備わっていることから、カプセルタワーよりも大阪万博の「住宅カプセル」を黒川が提唱したホモ・モーベンスのコンセプトを体現した建築と位置付けている[104]。黒川は一つ屋根の下という家族観の解体を目指していたが、カプセルタワーでは家族の構成員それぞれがカプセルを持ち合わさって住むという構想は実現に至っていない[94][93]。近江榮は、ワンルームマンション、カプセルホテル、ユニットバスが一般化する前から建築として実現しているところを評価しながらも、黒川が提示したコンセプトが投機対象になるなど正統継承されなかったことを残念だと話している[103]。建築ジャーナリストの田辺明子は、黒川の問題提起が真正面から受け止められなかった理由に法規制や行政の怠慢など社会にも問題があるとし、カプセルタワーは都市の歪みを測る「原器」と表現している[103]。
2008年に雑誌・新建築紙上で行われた山本想太郎、石黒由紀、高橋堅、山代悟による座談会では、メタボリズムを現実の建築として実現した功績が讃えられ、カプセルの工業的な完成度が高く、建築の付属品としてではなくカプセルが重要な構成要素になっていることが評価されている[66]。高橋は、カプセルという特殊な制約があるため、建築として今一つな部分もあり記念碑的だとしている[66]。また、ル・コルビュジエのドミノ・システムの影響を感じており、最小単位のモノが組み合わさったときに生まれる関係という要素に一致をみている[66]。石黒は、ホテル的なカプセルが個人の居住空間足りえる理由に窓と扉を挙げ、インフラとプライバシーが最小構成要素なのではないかと分析している[66]。山本は、カプセルだと意識できるのは外観からで、内側に妥協が見られることから黒川は外へのプレゼンテーションの意識が強かったのではないかと分析し、カプセルをバランスよく配置しなければならないという制約がある一方、カプセルを徹底的に並べることで集合体の建築として成り立たせていると評した[66]。1階部分にロビーやテナントスペースが十分に設けられていないのは、黒川からの「外へ出ろ」というメッセージなのではないか、という発言もあった[66]。「今自分がカプセル建築を作るとしたら」という問いに、山代は個人用ではなく、パブリックな空間に音楽や図書のカプセルを配置することに興味があると答えている[66]。
保存活動
建物玄関に置かれていたモデルルーム用のカプセルは、2011年から2012年にかけて開催された「メタボリズムの未来都市展」において六本木通り沿いに展示された[105]。開催終了後に森美術館は黒川が設計をした埼玉県立近代美術館へ寄贈した[105]。さいたま市の北浦和公園彫刻広場に美術品として配置され、内装が綺麗な形で残っており、外から観賞することが可能となっている[105][106]。美術館側は月に1回アスベスト濃度を検査しており、不安の声に対応している[107]。
保存・再生プロジェクトは、中銀グループから地権を買い取ったCTB合同会社と交渉し、解体の際に25個のカプセルを保存用に取り外し活用していくことに合意した[108][3]。2023年にはアメリカのサンフランシスコ近代美術館への収蔵や、松竹が新しく創設するイベントスペース「SHUTL」への展示が決定している[109][110]。
黒川事務所はLAETOLIと共同でカプセルタワーの設計情報に紐づいたNFTを販売した[3]。購入者はカプセルタワーの3次元データに基づき自由に建設が可能で、設計側が再建を公認する例は世界的に珍しかった[111]。
脚注
注釈
出典
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