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クワントは経営者として成功する傍ら、自らもステアリングを握って10年ほどラリーレイドに参戦し、[[三菱・パジェロ]]で[[クロスカントリーラリー・ワールドカップ]]の市販車部門を制するなどの成功を収めていた。しかし当時の[[日本車]]と[[フランス車]]に支配されていた[[ダカール・ラリー]]を変えるために、ドイツのブランドを背負って戦うことを決意してX-raidを立ち上げ、2002年9月19日にトレーブールで事業を開始した<ref>[https://www.x-raid.de/en/x-raid-20-years-of-racing/ X-RAID – 20 YEARS OF RACING]</ref>。そうした経緯から、自動車部門では一貫して[[BMW]]系のブランドの看板を背負っているが、2021年以降は[[ヤマハ発動機]]との提携でSxS([[サイド・バイ・サイド・ビークル]])の部門への参戦も並行して行っている。 |
クワントは経営者として成功する傍ら、自らもステアリングを握って10年ほどラリーレイドに参戦し、[[三菱・パジェロ]]で[[クロスカントリーラリー・ワールドカップ]]の市販車部門を制するなどの成功を収めていた。しかし当時の[[日本車]]と[[フランス車]]に支配されていた[[ダカール・ラリー]]を変えるために、ドイツのブランドを背負って戦うことを決意してX-raidを立ち上げ、2002年9月19日にトレーブールで事業を開始した<ref>[https://www.x-raid.de/en/x-raid-20-years-of-racing/ X-RAID – 20 YEARS OF RACING]</ref>。そうした経緯から、自動車部門では一貫して[[BMW]]系のブランドの看板を背負っているが、2021年以降は[[ヤマハ発動機]]との提携でSxS([[サイド・バイ・サイド・ビークル]])の部門への参戦も並行して行っている。 |
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なおクワントはX-raidの運営と並行して[[三菱自動車工業]]のワークスチーム代表を務めて2003、2004年に総合優勝を収めている他、2021年に二人の息子とともに[[アウディ|アウディ・スポーツ]]の電動車両運用を行う「Qモータースポーツ」を立ち上げているが、いずれも独立した意志と目的で運営されたチームであり、X-raidとは関わりは無い<ref group="注釈">Qモータースポーツはラリーレイドにおける持続可能性を追究するためにX-raidとは別組織として設立したとホームページで明言されている。</ref><ref>[https://www.q-motorsport.com/about_us/ About Us |
なおクワントはX-raidの運営と並行して[[三菱自動車工業]]のワークスチーム代表を務めて2003、2004年に総合優勝を収めている他、2021年に二人の息子とともに[[アウディ|アウディ・スポーツ]]の電動車両運用を行う「Qモータースポーツ」を立ち上げているが、いずれも独立した意志と目的で運営されたチームであり、X-raidとは関わりは無い<ref group="注釈">Qモータースポーツはラリーレイドにおける持続可能性を追究するためにX-raidとは別組織として設立したとホームページで明言されている。</ref><ref>[https://www.q-motorsport.com/about_us/ About Us The team: Q Motorsport]</ref>。 |
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The team: Q Motorsport]</ref>。 |
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[[セミワークス]]として20年以上もの間ダカールに参戦を続けている稀少なプライベーターであり、現在レジェンドと呼ばれるような四輪ラリーレイド選手の多くがX-raidの歴史に名前を連ねている。 |
[[セミワークス]]として20年以上もの間ダカールに参戦を続けている稀少なプライベーターであり、現在レジェンドと呼ばれるような四輪ラリーレイド選手の多くがX-raidの歴史に名前を連ねている。 |
2023年5月11日 (木) 01:17時点における版
X-raid(エックスレイド)は、ドイツのトレーブールを拠点とするラリーレイドチーム。
概要
BMWの大株主であるヘルベルト・クヴァントの息子のスヴェン・クワントが設立した。
クワントは経営者として成功する傍ら、自らもステアリングを握って10年ほどラリーレイドに参戦し、三菱・パジェロでクロスカントリーラリー・ワールドカップの市販車部門を制するなどの成功を収めていた。しかし当時の日本車とフランス車に支配されていたダカール・ラリーを変えるために、ドイツのブランドを背負って戦うことを決意してX-raidを立ち上げ、2002年9月19日にトレーブールで事業を開始した[1]。そうした経緯から、自動車部門では一貫してBMW系のブランドの看板を背負っているが、2021年以降はヤマハ発動機との提携でSxS(サイド・バイ・サイド・ビークル)の部門への参戦も並行して行っている。
なおクワントはX-raidの運営と並行して三菱自動車工業のワークスチーム代表を務めて2003、2004年に総合優勝を収めている他、2021年に二人の息子とともにアウディ・スポーツの電動車両運用を行う「Qモータースポーツ」を立ち上げているが、いずれも独立した意志と目的で運営されたチームであり、X-raidとは関わりは無い[注釈 1][2]。
セミワークスとして20年以上もの間ダカールに参戦を続けている稀少なプライベーターであり、現在レジェンドと呼ばれるような四輪ラリーレイド選手の多くがX-raidの歴史に名前を連ねている。
経歴
BMW
2003年からパイプフレームのBMW・X5 CC(Cross Country)でダカール・ラリーに参戦。燃費とトルクに優れる3リッター直列6気筒のディーゼル可変ツインターボエンジン(M57TU D30)を搭載し、以降のX-raidの歴代四輪車もほぼ同じスタイルのエンジンを搭載することとなる。元スキーヤーのリュック・アルファンとWRCドライバーのグレゴワール・ド・メビウスがドライブし、2003、2004年にディーゼル車クラスで優勝を挙げた。また総合でもそれぞれ9位、4位と健闘した[3][4]。2005年には三菱自動車へ移籍したアルファンに代わりスキーのフリーライディング王者のゲラン・シシェリが加入し、以降2016年まで[注釈 2]X-raidに所属することになる。また2007〜2009年にはナッサー・アルアティヤやユタ・クラインシュミットも在籍した。
2004年にはカリファ・アル=ムタウェイがクロスカントリーラリー・ワールドカップのタイトルを制覇した。
2006年には全長と全高を小さくし、全幅とホイールベースを大きくして戦闘力を高めたX3 CCへスイッチ[5]。2008~2011年までのワールドカップを4連覇した。しかし肝心のダカールでは表彰台にもなかなか手が届かない年が続いた。
2009年を最後に三菱がワークス参戦から撤退したことで、三菱のエースステファン・ペテランセルと元二輪王者ナニ・ロマ、アルゼンチンの雄オーランド・テラノバを獲得した。
MINI
2011年にはX3 CCを流用しつつ、BMW傘下であるMINI・カントリーマンのデザインを用いた「ALL4 Racing」[注釈 3]へとブランドごとマシンを交代。フォルクスワーゲンが撤退した後ワークスが不在となった後の2012年にようやくダカールで初表彰台、そして初総合優勝を獲得。以降も表彰台を獲得し続ける新生勢力のインペリアル・トヨタのハイラックスで追い縋るジニエル・ド・ヴィリエを振り切り、2015年まで4連覇した。2014年はアル=アティヤがサテライトチームとしてX-raidに復帰し、ロマ、ペテランセル、アル=アティヤで表彰台を独占した。また2012年はトップ5中3台、2013〜2015年はトップ5中4台がX-raid勢という、質・量ともに圧倒的な力を見せ、ワールドカップも2015年まで(BMW時代から合わせて)8連覇するなど、まさに我が世の春を謳歌していた。
しかし2016年大会で、前年復帰したプジョー・スポールがX-raidの牙城を崩したことで風向きが変わる。当時の規定では四輪駆動よりも二輪駆動が有利であることを証明した「砂漠のライオン」軍団に対抗するべく、BMWモータースポーツは支援強化を表明[6]。2017年は四輪駆動でALL4 Racingの後継車であるMINI・JCW(ジョン・クーパー・ワークス)ラリー[注釈 4][7]を投入した。しかしペテランセルをX-raidから引き抜き、サインツにシリル・デプレ、セバスチャン・ローブまでも揃えたプジョーの力は強大で、X-raidは史上3人目の二輪・四輪王者となったナニ・ロマ[注釈 5]、テラノバ、元WRCドライバーのミッコ・ヒルボネンや元二輪ライダーのヤクブ・プルジゴンスキーらを揃えて抵抗したが、ロマ以外のドライバーの力量の差は明らかで、プジョーに表彰台独占を許した。
2018年には可変ブレード技術を採用した上でシングルターボ化されたディーゼル直列6気筒エンジンをリアミッドシップにマウントする、二輪駆動のMINI・JCW(ジョン・クーパー・ワークス)バギーを3台投入し、JCWラリーと合わせて8台体制を敷いた[8]が、米国のオフロードレース(CORR)王者のブライス・メンジーズとヤジード・アル=ラジがデイ2、ヒルボネンがデイ3で優勝争いから脱落し、バギーは全滅してしまった[9]。この年はプジョー勢も多数脱落したものの、X-raid勢はJCWラリーのプリジゴンスキーが5位で表彰台すら奪えずに終わった。
プジョーがフル参戦していなかったワールドカップでは、2018年にプリジゴンスキーがタイトルを獲得した。
2019年はプジョー撤退によりシートを失ったサインツ、ペテランセル、デプレを接収し、3人とも前年までのマシンと同じ二輪駆動のJCWバギーをドライブ。またPHスポールのプジョー勢だったハリド・アル=カシミも加わった。さらに規定変更でディーゼル車はリストリクター径が1mm拡大し、2016年以来の39mmとなり、人馬ともにX-raidが圧倒的に優勢に思われた[10]。しかしTOYOTA GAZOO Racing SAで孤軍奮闘するアルアティヤのハイラックスに敗れた(四輪駆動のロマが2位、プリジゴンスキーが4位を獲得)。ワールドカップではペテランセルの働きにより、タイトルを防衛することができた。デプレとロマはこの年を最後にX-raid陣営から離脱した。
2020年はJCWバギーを駆るサインツとペテランセルの2枚のレジェンドにより12ステージ中9ステージで勝利し、6分差で食い下がるトヨタのアル=アティヤを振り切り、サインツ1位・ペテランセル3位で5年ぶりにダカールを制覇した。四輪駆動のJCWラリーはテラノバの6位が最上位となった。
2021年大会もほぼ同じ体制。一人でサインツ・ペテランセルのステージ勝利数を上回るほどの迫真の走りを見せるアル=アティヤをまたしても押さえ込み、ペテランセルが1位、サインツが3位という形で連覇した。四輪駆動はウラジミール・ヴァシリエフが前年と同じく6位が最上位。
2022年に四輪駆動が優位となるためのグループT1+規定と、電動車両のためのT1アルティメット規定が施行されると、サインツとペテランセルが新規参入のアウディに引き抜かれ、テラノバもプロドライブへ移籍した。X-raidはオーバードライブ・トヨタからの出戻りのプルジゴンスキーと、ATV部門2位の実績を持つアルゼンチンのセバスチャン・ハルパーンが主力としてバギーに乗るが、二人とも四輪部門で優勝はおろか表彰台経験もないため、戦力の大幅ダウンは否めなかった。この年のダカールはプリジゴンスキーの6位が最高。なお女性で元ホンダライダーのライア・サンツも1年のみ加入し、型落ちのAll4 Racingをドライブして23位で完走した[11]
2023年にライバルに一年遅れて新規定グループT1+のジョン・クーパー・ワークス・ラリー・プラスを投入し、ハルパーンが9位を獲得。これに並行して二輪駆動バギーもアル=カシミらが従来通り運用している[12]。
ヤマハ
2021年より、サイド・バイ・サイド・ビークル(SxS)を市販しているヤマハ発動機とのジョイントにより、グループT3規定(プロトタイプSxS)用のヤマハ・YXZ1000Rを開発して参戦している。マシンはヤマハ・モーター・ヨーロッパが競技用に改造した市販のYXZ1000Rがベースとなっており、エンジンはターボ化されている[13]。
デビュー年はWorld RX(世界ラリークロス選手権)王者のマティアス・エクストロームと、以前よりヤマハに所属しYXZ1000Rを使っていた女性ドライバーのカメリア・リパロティが参戦し、リパロティが部門2位を獲得している。エクストロームはアウディに加わるため、この年限りで離脱した。
2022年はリパロティが6位で完走。また以前より市販改造のYXZ1000Rのステアリングを握っていたペテランセルがアンダルシア・ラリーで車両評価のために参戦し、X-raidへの部分的な復帰を果たしている[14]。
2023年はATV(クアッド)優勝経験者のイグナシオ・カサレが加わり、10位で完走した。
エピソード
- 2011年最後のBMWブランドでの参戦では、ペテランセル/ジャン=ポール・コトレ組がステージ10のリエゾンではギアボックストラブルによりストップ。残り500kmでアンデス山脈と国境を超えなければならないという絶望的な状態で、さらにBMWのサポート部隊は渋滞に見舞われながら、到着後40分でマシンを修復。ペテランセルたちはアンデス山脈を超えて、次のステージの開始のわずか5分前に到着した。これは「Speed Crossing of the Andes」としてX-raidのサイトで紹介されている[15]。
- 長城汽車が2011〜2014年に「チーム・グレートウォール(万里の長城)」としてダカール・ラリーに参戦し、2014年に中国メーカー初のステージ勝利・ラリーリーダーを記録しているが、この時運用していたハヴァルブランドのSUVはその類似性から、X-raidのX3 CCを改造したものではないかという指摘がある。また同時期にダカールに参戦していた南アフリカ人二輪王者のアルフィー・コックスが用いたボルボ・XC60もX3 CCがベースの可能性があるとされる[16]。
脚注
出典
- ^ X-RAID – 20 YEARS OF RACING
- ^ About Us The team: Q Motorsport
- ^ X3, X5, X-Raid: Conquering The Dakar Rally
- ^ BMW at Dakar 2006 - Facts and figures about X3 CC and X5 CC - Technology and Specifications
- ^ BMWの”X-raidミニALL4″へのサポート強化に込められた意図
- ^ X-raid、ダカールに新型ミニ・ラリーカーを投入。「最高のマシンとしか表現できない」
- ^ 4WDから2WDへ一新。2018年ダカール参戦のX-raid、バギータイプの新型ミニ発表
- ^ Ten things to watch for in the 2019 Dakar Rally
- ^ Here's Mini's Master Plan for Winning the 2019 Dakar
- ^ LAIA SANZ (ESP)
- ^ X-raid Team to race MINI Cooper Plus in T1+ at Dakar 2023
- ^ ダカールラリー:マティアス・エクストロームがレイドデビュー。X-raidと新クラスへ
- ^ Upgraded YXZ1000R Prototype Set for Final Development Test at Andalucía Rally
- ^ 20 YEARS OF RACING: SPEED CROSSING OF THE ANDES
- ^ BMW X3 ли е Great Wall Haval на Карлос Соуса в “Дакар”?