「ノート:自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」の版間の差分
Some Ganel (会話 | 投稿記録) →渡辺裕之の死去について: 返信 |
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::{{報告}}節名を変更した上で(渡辺裕之の死去→渡辺裕之の死去について)、本議論を記事の方に告知しておきました。--[[利用者:Some Ganel|Some Ganel]]([[利用者‐会話:Some Ganel|会話]]) 2022年12月20日 (火) 07:19 (UTC) |
::{{報告}}節名を変更した上で(渡辺裕之の死去→渡辺裕之の死去について)、本議論を記事の方に告知しておきました。--[[利用者:Some Ganel|Some Ganel]]([[利用者‐会話:Some Ganel|会話]]) 2022年12月20日 (火) 07:19 (UTC) |
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:::「その自殺の事実自体も広く知られている」あたりの記述について今まで議論が行われていなかったようですが、これは人物自体の特筆性や一過性のニュースのようなことを指している可能性があります。後者は事件を起こしたが直後に犯人が自殺し、定常的なニュースの域を超えるものではないような事例です。誤解を招く文章であり、ほとんど消させていただきました。渡辺裕之についても一覧に載せる方向であると考えます。--[[利用者:図書助|図書助]]([[利用者‐会話:図書助|会話]]) 2023年5月4日 (木) 04:31 (UTC) |
:::「その自殺の事実自体も広く知られている」あたりの記述について今まで議論が行われていなかったようですが、これは人物自体の特筆性や一過性のニュースのようなことを指している可能性があります。後者は事件を起こしたが直後に犯人が自殺し、定常的なニュースの域を超えるものではないような事例です。誤解を招く文章であり、ほとんど消させていただきました。渡辺裕之についても一覧に載せる方向であると考えます。--[[利用者:図書助|図書助]]([[利用者‐会話:図書助|会話]]) 2023年5月4日 (木) 04:31 (UTC) |
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::::図書助さんが投稿した[[特別:差分/95053405]]の版および[[渡辺裕之]]における[[特別:差分/95053589]]の版ですが、他利用者との合意が形成されないまま行われたものであるため(前者に関しては図書助さん自身が過去に記述したものを取り消したかもと思い履歴も確認しましたが、特別:差分/95053405以外に図書助さんの投稿は見当たりませんでした)、申し訳ありませんが差し戻させていただきました。「その自殺の~」の記述に関しては図書助さんのご意見も分からなくはないのですが、この記述は渡辺氏に限らずページ全体に適用されるものなので、合意なしに除去すべきではありません。再度除去するのであれば、こちらのノートページで新たに節を設け、議論ないし合意をした上で行うべきであると考えます。--[[利用者:Some Ganel|Some Ganel]]([[利用者‐会話:Some Ganel|会話]]) 2023年5月4日 (木) 08:45 (UTC) |
2023年5月4日 (木) 08:45時点における版
本項テーブルの職業欄におけるソートキーに関してはノート:自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧/ソートキーを御参照ください。 |
このページは一度削除が検討されました。削除についての議論はWikipedia:削除依頼/自殺した日本の有名人の一覧をご覧ください。
このページは一度版指定削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」をご覧ください。
過去ログ
改名の提案
現在、日本の有名人が自殺した有名人一覧、その他が著名な自殺者一覧 (日本以外)となっているが疑問を感じます。また、InterLangも両方とも同じになっています。英語版からの日本版へのリンクは「自殺した有名人一覧」を指していますが、日本人しかおらず変です。
日本中心にならないように(まだ草案ですが)もありますが、日本を中心に考えるのはNPOVからも問題だと思います。執筆者に日本人が多いわけですので、日本人が多くなるのは仕方がないですが、「殺した有名人一覧」に日本人の一覧になるのではなく、自殺した有名人一覧 (日本人)のように、日本人を別記事にした方がよいと思います。
手順としては多少複雑になるかもしれません。
- 著名な自殺者一覧 (日本以外)を自殺した有名人一覧に統合。
- 著名な自殺者一覧 (日本以外)を削除依頼。
- 自殺した有名人一覧から日本人の一覧を自殺した有名人 (日本人)に分割。
- それぞれの記事を整理。InterLangは自殺した有名人にのみ。
こういった手順になるのかなと思います。--Koichi 2006年4月26日 (水) 04:13 (UTC)
- (賛成)全面的に賛成します。--ECLIPSE!? 2006年6月12日 (月) 00:20 (UTC)
- (賛成)提案に同意 男の教室 2006年7月22日 (土) 17:35 (UTC)
そんなに複雑なプロセスを経なくても
これでいいと思うんですけど。--Klb 2006年11月2日 (木) 10:08 (UTC)
対象範囲とリスト方法
今は年代別にリストされていますが、1800年代以前はありません。 もし「近代の自殺者一覧」にしたいのであれば、その旨定義してタイトルも考えるべきだと思います。そうでないなら、全年代書くか、英語版のように50音順にするのがいいと思います。
で、昔の人も書くとした場合、問題になるのが、戦に敗れて自決したような人の扱いですが、織田信長や武田勝頼なんかも自殺者になるんでしょうか?英語版でクレオパトラは自殺か?というトピックもありましたが。 Fuji 3 2006年8月11日 (金) 03:25 (UTC)
大企業等の役職にあった人物
が一部列挙されていますが、大企業の役職にあったと言う事以外にnon-notableである場合には、リストアップも不要では。とりあえず赤リンクを消しました。--61.117.102.152 2006年9月12日 (火) 02:42 (UTC)
- non-notableの人物記事新造を防ぐと言う方向でも赤リンクを外します。自殺した事自体がnon-notableと見られる場合、リストからもコメントアウトします。--61.117.102.152 2006年9月12日 (火) 02:56 (UTC)
- その人物自体がnotableかどうか。
- その人物が関わった事自体がnotableかどうか。
- その人物が自尽した事自体がnotableかどうか。
は要検討かと。--61.117.102.152 2006年9月12日 (火) 04:18 (UTC)
あと、自殺未遂、自殺疑惑について
このリストに載せるべきかどうかも要検討では。--61.117.102.152 2006年9月12日 (火) 04:30 (UTC)
宅間守について
宅間守も死刑制度を逆手にとって犯行を犯した拡大自殺に当てはまるため載せてもよいのではないのでしょうか?--以上の署名のないコメントは、211.131.162.213(会話)さんが 2008年2月24日 (日) 15:22 (UTC) に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。
- (反対)拡大自殺という概念はまだ学問上固まっているとは言い難いので、現時点では載せるべきではないでしょう。--Ziman-JAPAN 2008年3月17日 (月) 08:04 (UTC)利用者名変更に伴い署名修正--Ziman-JAPAN 2009年5月24日 (日) 20:57 (UTC)
見出し内の内部リンクについて
- 編集ガイドライン上、見出し内にリンクを貼ることは避けること、とありますので、見出し内の内部リンクを除去させていただきました。--おてもやん 2009年3月27日 (金) 12:20 (UTC)
この項目が必要かどうか。
自殺者をはたして一覧にする必要性があるのかという検討もすべきかと思いますが。 Wikipedia:削除依頼/自殺した日本の有名人の一覧 も提出されておりますのでご意見を下さい。--Qoop 2009年3月27日 (金) 12:42 (UTC) 下線部変更。--Qoop 2009年3月27日 (金) 13:29 (UTC)
- 請求する主体は生存していないのだから、プライバシー侵害を事由とすることは不適当です。(死人はしゃべれないから。)ケースB-2に関しては日本の法律に則れば該当しません(日本人の社会通念として死者にもプライバシーが存在するような気がし、それを守りたい、という気持ちは理解できます。残された人間の気持ちの問題ですね)。ある時代を区切ってそれ以前のみの自殺者を取り扱うなど運用でやりくりすることが適当だと思いますね。—以上の署名の無いコメントは、シャルル(会話・履歴)さんが[2009年3月31日 (火) 08:38 (UTC)]に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。
自殺疑惑・自殺未遂セクションの必要性について
存命中の人物に関してはWP:DEL#ケース B-2:プライバシー問題に関してに該当すると思いますが、皆さんのご意見を伺いたく思います。--118.243.238.100 2009年5月22日 (金) 08:28 (UTC)
- 一ヶ月以上どなたからも御意見ついておりませんが… まず自殺未遂のセクションについて、
- 自殺と自殺未遂にいくら強い関連性があるとは言え、「自殺した人の一覧」に「自殺していない人」が掲載されているのは少しおかしい。
- 上記のような定義上の問題もさることながら、プライバシーの問題はやはり大きい。
- 以上2点により除去が妥当と考えます。
- 次、自殺疑惑のセクションについて。現在の版では「自殺ではないかもしれない人」と「自殺かもしれない人」がごっちゃになっていて、これははっきり区別して整理するのが望ましい。きちんと整理・加筆された形になれば、セクション自体を除去する理由はなくなるのではないかと思います。
- (告知/御意見求ム)さて、自殺疑惑セクションの整理の話とも関連しますが、実はしばらく前からこの記事の改稿を準備しています。改稿と言っても要はテーブル化ですが、この記事に限らず一行にいくつも項目があると、単純な箇条書き配列では残念ながら少し読みづらい記事になってしまいます。これについてはテーブルの導入によって可読性が格段に向上します。また、可読性の点だけでなく内容的にもある程度の加筆を施し、最終的にこのような姿を想定しています。統合や移動などとは違って、テーブル化にはその際の手続き的な決まりごとがあるわけではありませんが、実施の前と後でがらりと変わりますので、予め御意見を伺っておきたく思います。
- 以上3点、(1)自殺未遂のセクションの除去 (2)自殺疑惑のセクションの整理 (3)加筆を伴うテーブルの導入 この3点について異論などある方は御意見いただきたく思います。--Nazki rhetorica 2009年6月28日 (日) 14:38 (UTC)
- 提起後1ヶ月が経過しました。作業を開始します。なお、差分がグチャグチャになってしまうのを避けるため、数版の連投になってしまいますが御容赦下さい。--Nazki rhetorica 2009年8月2日 (日) 00:57 (UTC)
- 作業が完了しました。作業前→作業後となりました。--Nazki rhetorica 2009年8月2日 (日) 02:42 (UTC)
Revert2009-12
利用者:ぶりぶりさんに聞きます。近代以前の一覧において戦場で自刃した人物を除去しておいでだが、どういった基準で除去してるんですか。「敗戦により追い詰められて自刃」も自殺の範疇に入ると私は思うんですが、そうはお考えではないのでしょうか。まさか「自害と自殺は違う」なんて考えておいでではないでしょうね。自ら命を絶ったという点において現代の自殺も近代以前の自害も同じではないですか?
もう一点、要約欄でも述べましたが[1]、戦場での自刃ではない人物まで一緒くたに除去されています。沢村惣之丞、川路聖謨、山城屋和助、月照、高山彦九郎、足利家時、これらの人物は戦場での自刃ではない。あまり調べもせず機械的に除去していたんだとしたら、それはちょっと作業が杜撰だと述べさせて頂く他ありません。その一方で、藤原保輔、長屋王、田中新兵衛といった人物は残している。それぞれ「捕縛された際に腹部自刃」「邸を包囲され服毒」「暗殺犯として捕縛され自刃」です。これらは「敗戦により追い詰められて自刃」とどう違うのか。合理的な説明は困難だと思います。
最後に一点、「敗戦により追い詰められて自刃」を収載しないなら、なぜ近代以前に限るのか。太平洋戦争終結の際に自殺した軍関係者は「敗戦により追い詰められて自刃」ではないのか。沖縄戦で自決した大田実や牛島満、玉音放送の当日に切腹した阿南惟幾、GHQからの逮捕命令が下って自決した近衛文麿や本庄繁、これらの人物はいずれも「敗戦により追い詰められて自刃」で括れると考えますが、近代以前と近代以後で決定的な違いがあるとは思えません。いくばくかの違いがあるとしても、どこで線引きするのかは非常に困難です。
以上です。本一覧を良くすることにやぶさかではありませんが、恣意的なテキストの除去は歓迎できません。無理筋の反論もどうかご自重ください。私は屁理屈の泥仕合が大嫌いです。--Nazki rhetorica 2009年12月10日 (木) 13:20 (UTC)--取り消し線(どうもいけませんね...すみません取り消します。もう少しじっくり考えてみます)--Nazki rhetorica 2009年12月11日 (金) 04:05 (UTC)
復帰試案
まず、そもそも除去されたテキストを復帰させる必要があるかどうか、あるいは除去された現状のままでよいかどうか、というところから考えましたが、
(1) 最低限Category:自殺した人物には対応している必要がある(対応していないと記事が安定しない=加筆されたり除去されたりが繰り返される)
(2) 近代以前と近代以後でパラダイムシフトを挟んでいるとは言え、自殺と自害は現象面では同じ。
(3) 自殺・自害の理由には様々あるが、その中でことさら「近代以前の戦における敗北」だけを特別扱いし除外するのは妥当ではないのではないか。
(4) 自殺と自害は現象面では同じだが、語の背景・語の使用において差異があり、特に近代以前の人物については自殺という語がなじまないケースがある。例えば信長は自殺したとは言わないし、信長は自害したのであって自殺したのではないという主張は間違っているわけではない。今回の除去も要するに「自殺と(戦場での)自害をごっちゃにするな」という日本語感覚からの要請によって行われたものと推察するが、だとすると、ごっちゃにしない記述の仕方をすれば問題は解決されうる。
以上のような理由で、除去されたテキストは条件付きで復帰させて構わないと考えました。で、復帰させるにあたり、当方のsandboxにて幾つか案を練りました。
- 案3 / 表自体を分けて別節で復帰させる
- 案4 / 表は分けないがソートと背景色で明示的に分ける(案1と案2はボツにしました)
この2案のどちらかをもとに復帰させる方向で考えていますが、どちらの案も「自殺と自害(自殺と戦場での自害)をごっちゃに並べるな」という要請には応えているものと思います。また、いずれの案でも冒頭文に筆を加え、「自殺した」という文言を避ける言い方に変えました。ただ、2案ともそれぞれにメリット/デメリットがあり、どちらの案が良いか各位の御意見を賜りたく。試案作成者としてはどちらかというと案4寄りですが、案3のほうが良いという御意見が多数であれば案3に。なお、場合によってはテキスト復帰後に改名提案を行うことも視野に入れていますが、現段階では改名審議は先送りします。また、これ以外の妙案をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひ御教示ください。--Nazki rhetorica 2009年12月15日 (火) 16:10 (UTC)
- スタイル案の作成、お疲れ様です。私としては案4の方が良いと思います。「戦乱で自害」した人物だけ別節に分割すると、調べるのにやや手間がかかってしまうことになるように思いますし、またページが多少煩雑になります。一方、同じ表の中で色のみ変えているのであれば、年代順になっているので探しやすいかと。--松茸 2009年12月16日 (水) 15:51 (UTC)
- 松茸さんレスポンス感謝します。この1週間のあいだ利用者:ぶりぶりさんからの応答を待っておりましたが、さきほど私から会話ページに連絡を差し上げてきました。もう1週間待って、なお応答がない場合は案4をもとに記述を復帰させるつもりでおりますが―― どうなんでしょう、構わないですかね。復帰作業を終えたら本記事の改名提案と、Category:自殺した人物のノートページにも案を投げるつもりなんですが、年末年始を挟んで復帰作業がずれ込む(延びる)かも知れません。--Nazki rhetorica 2009年12月23日 (水) 04:00 (UTC)
過去に自殺した武将のカテゴリが削除されたりなどの経緯もあったのでそのまま特に気にせずに放置していたのですが、草案を作ったというご連絡をいただいたので覗かせていただきました。
まず敗戦などによって自害した人物というのはこの項目では含むべきではないと思います。なぜかというと、まず着目していただきたいのが日本においての生死の考え方です。ヨーロッパにおいてはキリスト教の影響が強いので神様に貰った命だから自分で自分を殺すのは神に対する冒涜だといった感じで歴史的にも、著名な人物が自ら命を下すことが少ないので外国語版はまとまりがありますが、日本の場合、敵に殺されるくらいなら最後は自分の意思で自分の命を終わらすといった考えや、女性ならこのまま捕まったらどんな恥かしめを受けるかわからないから自害するといった考え方が過去にあったと思います。
それを考慮して、もう一つ視野に入れていただきたいのが家の滅亡がかかった戦いなどの場合です。例えば、ここの項目で上がっている武田勝頼を例に出します。武田勝頼は長篠の戦い以後、勢力が弱まり武田征伐が始まりついには天目山の戦いで敗れ自害をしましたというのが教科書などに書かれている事柄なので「自殺した人物、武田勝頼 自刃」と簡単に書き入れられたのでしょうが、実際には武田勝頼一人が自害したわけではありません。ここではまさに日本における生死の考え方が反映されており、この戦いで自刃した人物は武田勝頼に限らずその妻、子供といった家族と武田家に最後まで従った家臣団とその家臣団の家族も全て自害しています。
私が把握している限りで、これにより自刃しウィキペディアに項目も存在する人物を挙げますと、 武田信豊、仁科盛信、葛山信貞、武田信勝、北条夫人、長坂光堅、長坂昌国、土屋昌次、土屋昌恒、秋山親久、跡部勝資、海野信親などといった感じで相当な数の人物がいます。
室町時代から江戸時代にかけてはこの戦い以外にも途方もない数の戦いが起こり、特に籠城戦などでは大名、家臣以外にもその妻や子供といった一族諸共皆自刃してますし、幕末にも自刃した人物も大勢いて、例えば白虎隊の隊員19名なども入ってきますし、これを全て書き込んでいくというのは現実的に考えてスマートではないですし、それこそ秀逸な記事の形であるとも思えません。
近現代においては、日本の戦争の形態も変わってきますし、現代においても、そもそもウィキペディアに記載できる自ら命を絶った人物というのは、芸能人や政治家がうつ傾向で死んでしまったという場合が多いので、かなり数が限定されこういった形の一覧にまとめるのが可能であって、近現代以前の敗戦などの課程によって自刃した人物というのは加えるべきではないと思います。--ぶりぶり 2009年12月23日 (水) 07:12 (UTC)
- ぶりぶりさんが「把握している限りで」と挙げた人物の中に、「討ち死に」「処刑」「自刃か処刑か不明確」の人物が混ざっているのですが…。一覧から項目を削除していた時もそうですが、「事実関係の確認」はしっかり行うようお願いします。
- また、現在次々とCategory:自殺した人物を取っ払っているようですが、合意も無いまま強行するのはおやめ下さい。戦乱自害を別にしても、「殉死」「諌死」「何らかの取調べの最中・直前、追討の直前の自殺」まで取っ払うのは強引すぎます。それに、近世以前は一覧に記載するのは記事の存在する人物に限っておけば、そう増大はしません(白虎隊にしたって自害により死んだ人物の記事は一つも作成されていませんし)。--松茸 2009年12月26日 (土) 04:30 (UTC)
- 甲陽軍鑑やその他の書籍など現在、現存する文献では上記の人物は最後は全員自刃しています。ウィキペディア内の記述ではなく「事実確認」をしっかりとしてください。増大するものなのでわざわざ例に挙げているのです。また、別カテゴリの話題はそのカテゴリ内のノートにて議論してください。--ぶりぶり 2009年12月26日 (土) 07:22 (UTC)
- Categoryの話題は確かに場違いでしたね。すいません。
- 図書館等にしばらく行けないので詳しくは調べられませんが、少なくとも土屋昌恒は『寛永諸家系図伝』(2巻77ページ)、『寛政重修諸家譜』(2巻184ページ)、『相馬藩世紀』(1巻9ページ)によると「討死」「打死」となっています。増大の件については、「個別記事の存在する人物に限る」とすればきちんとした記事ができない限り大丈夫ではないでしょうか(もしくは、一つの欄に「白虎隊隊士19人」として書いたり、「武田勝頼」の備考欄に「誰々と共に自害」として一まとめにしてしまうとか)。
- それとは別に、明らかに戦乱における自害ではない人物まで一覧から削り、差し戻された件についてはどうお思いでしょうか?--松茸 2009年12月26日 (土) 08:17 (UTC)
- 松茸さんのご質問にも関連して私からもお聞きします。ぶりぶりさんが「今と昔の死生観の違い」を基準に除去か記載維持かを決めておられるのであろうことは推察できるのですが、そのボーダーラインはいったいどこで引くのでしょうか。死生観はあるときガラッと変わったのではなく、だんだんと変化してきたものだと思うのですが、載せるか載せないかのボーダーラインはどこで引くのか。かつ、ボーダーラインは誰が考えてもある一定の地点で落ち着くものでしょうか? --Nazki rhetorica 2009年12月26日 (土) 11:28 (UTC)
武田信勝を介錯したのは土屋昌恒ですが確かに自分が少し勘違いをしているかもしれません。それでまずご質問の件についてまとめて答えますと、以前書かれていた一覧の賜死は含まないという定義というものがあいまいな形で乗せられていたので、とりあえず完全に何の外部的な要因もなく自らの意思で自害した人物を大雑把に振り分けたつもりです。もしかしたら適当ではないのが含まれていたかもしれません。
それで、ここにおける自殺の定義をお聞きしたいです。処刑の形である賜死は含まないということですが、また例を出しますと徳川忠長のような誰からも命じられたわけではないが、間接的に切腹を勧められ名義上は自害となっているリストラのような物も含むのでしょうか。また、時代背景として政治的な失態などを犯したとき家長さえ切腹する形で責任をとれば、家自体は守られるという風習があったと思いますが、その状況下で切腹をした場合も含まれるのでしょうか。後、以前のに清水宗治が含まれていましたが、これはもう落城寸前のときに豊臣秀吉が清水宗治が切腹すれば兵の命を助け和平を結ぶという講和条約によるものでこういうものも含むべきではないと思います。
それで度々ですが敗戦による人物は日本の場合はその時代背景や考え方によるものが大きいので含むべきではないと思います。明智秀満のように相手武将側が安土城に総攻撃をかけず、名誉を重んじてある程度の猶予が与えられているなんて事もありますし、他にも鳥居元忠のように簡単な書籍だと討死としていても、しっかりしらべると最後は自刃して果てているというのも自分はよく見かけるのでこういう自害=自殺と安易に定義するのには疑問があります。 例えば、自傷行為というものに刺青や先住民族の身体改造のようなものを含むでしょうか。自分を傷つけているからというふうに捉えれば確かに含まれるかもしれませんが、常識的には芸能人がタトューを入れました、何々民族は身体改造をしています、つまり全員自傷行為をしたということですというのはまずないですし、ただのファッションとして考えられ自傷行為とはまた違うものというのと同じだと思います。
近代以前でもこれは乗せるべきというのは、明らかに書物からも精神的な疾患のようなものが窺えるというのでしょう。死生観の違いという線引きは以前の通り明治中期からではないでしょうか。この頃から自らの手で命を下すのに否定的な西欧の考えが入ってきますし、また立憲政治となり明確な法律が作られ、捕虜などの人権など国際法という概念も出てくるので。--ぶりぶり 2009年12月28日 (月) 09:32 (UTC)
- 基本的にこの一覧の目的は「自ら命を絶った人物を一ヶ所にあつめること」です。つまりここにおける自殺の定義は、「自ら命を絶った」という一点のみということになりますでしょうか。もう少し付け加えますと、本記事はこれまで「何らかの要因により自ら命を絶った人物」を一覧する記事だったということであり、この「なんらかの要因」に敗戦という理由も含んでいた、ということになります。これを裏返して一歩踏み込みますと、この「なんらかの要因」を分類することはこれまでしてこなかったわけです。
- ところが敗戦という理由を除外するとなると、それは理由による分類に踏み込むということになりますよね。もちろんそこに踏み込んでも意味がないなどとは申しません。たしかに理由による分類はある程度までは可能で、この一覧を見る人の助けにもなるであろうと思います。しかし理由に踏み込んでどういう事態になるかというと、理由による分類は非常に分類しにくいといいますか、誰から誰までをAグループにするか、あるいはBグループにするか、Cグループにするか、といった明確なボーダーラインが引けない。敗戦による自害を除外するというのは、こういった引きにくいボーダーラインを引いた上で除外するということです。仮に除外のボーダーラインが引けたとしても、ぶりぶりさんのおっしゃる通りボーダーライン上に位置する人物というのが必ずいて、おそらくその人物をどっちに分類するかで異論が出てしまう。つまり載せる載せないの点で記事が安定しない。
- で、やり方としては2つあるように思います。まず1つ目として、どのような自害まで一覧に含めるかということを議論して、合意のもとに収載の可否を決めること。このやり方をとる場合、合意は比較的簡単ですが実務はきつい。ボーダーライン上のケースを1件1件精査する必要があります。そしてボーダーライン上の人物はたくさんいるでしょうから、作業はおそらく並み以上の労力・判断力を要します。また、今後すべての編集者が今回の合意通りに加筆してくれるとは限らない。ノートページなんて見てないウィキペディアンはたくさんいます。告知タグを張ってノートページへ誘導するという手もありますが、恒久的にタグが必要な記事にはしたくない。(見栄えがいいとは言えないし、私個人のマイルールでしかないかもしれませんが、タグは本来あくまで一時的なものなのではという考えを持っています)
- 2つ目のやり方は、記事名を改名することです。自殺者一覧に前近代の人物を含めることに違和感を持つ人は少なからずいるだろうと思いますし、ぶりぶりさん御指摘の「自害=自殺と安易に定義するのには疑問があります」という点についてもその通りだと思います。実際、自殺と自害は言葉遣いの点で使い分けがなされているケースが圧倒的に多い。自決という語もしかりです。そこで一覧としてできるだけ違和感のない形で、かつ不足のない形を模索しますと、「自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」に改名するのが最も簡単で、もっとも妥当なやり方なのではないかと思います(ついでというわけではありませんが有名人という言葉も避けて著名人物に言い換えます)。「自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」という記事名であれば、自殺・自害に関わらず、またそれぞれの時代の事情に関わらず、「自ら命を絶った人物」を広く収載することができます。収載人物が膨大になる懸念はぶりぶりさんの仰る通りですが、松茸さんに提示して頂いた案で対応は可能ですし、私個人としては膨大になってもそれほど大きな問題ではないと思っています(すでに膨大ですし。白虎隊士についてはどうするか迷いますが)。以上、この改名案、ぶりぶりさんの御懸念にも応える形だと私としては思うのですが、いかが思われますでしょうか。--Nazki rhetorica 2009年12月29日 (火) 01:48 (UTC)
- 追)年末年始を挟んで返答が遅れるかもしれません。御容赦ください。--Nazki rhetorica 2009年12月29日 (火) 02:05 (UTC)
- 改名するという案には賛成です。それでとにかく記載していくというのであれば、必ずしも全員同じ日や同じ戦場で自害したというわけではないので、コメント欄に書くと余計にごちゃごちゃするような気もするので、見出しを室町時代、安土桃山時代、江戸時代といった感じである程度時代別に分けて書いていくという形の方がまとまりが良いと思います。ついでに近現代も表が長すぎて見づらいので明治、大正、昭和、平成のように分けたほうがよいかもしれません。ちなみに明治時代は戊辰戦争以後の1869年からとしたほうがうまくまとまると思います。それで加えるときの条件としてただ何年誰々が自害ではなく、要約欄にも必ず何々の戦いで敗れ自害といったような事を書き込む事とする方が良いかもしれません。--ぶりぶり 2009年12月30日 (水) 23:02 (UTC)
- 改名の件了解しました。他の方の御意見も待ったのち、1週間から2週間後をめどにWikipedia:改名提案に持ち込みます。追加の際の補足欄の件も賛成です。
- 表を分割するかどうかですが、まず近現代については、元号の変わり目で分けるのも一案ですが、元号の変更はパラダイム転換とは必ずしも重ならないので、分けるとしたら1945年の終戦でしょうか。しかし終戦の前後で分けるとしても、誰以降で分けるべきかと考えると少し迷います。高木正得(1948年7月)や清水澄(1947年9月)は戦前戦中の人物で、終戦による影響が色濃いのですが、この2人の前後に太宰治(1948年6月)と原口統三(1946年10月)がいて、彼らは終戦とは直接関係の無いところで命を終えている。無理やり線引きをして高木正得と清水澄を終戦以前の表に含め、太宰と原口を終戦以後の表に含めるというやり方もできますが、それだと時期が前後してしまう。1945年8月15日で分けるというやり方もありますが、これはもう明白にナンセンスな結果になる。またこれとは別に、手段や没年齢でソート可能な点を考慮すると、表を分けた場合、ソートした時の表が見にくくなる。このような諸々を合わせて考えると、実はあまり細かくは分けないほうが良いのではないかとも思います。
- 明治時代を戊辰戦争の前後で分ける案については他の方の御意見を待ちたいと思います。近代以前と以後に表を分けたのは私なんですが[2]、その時は確か西南戦争の冒頭文にある「日本最後の内戦」という言葉を考慮に入れたと記憶しています。--Nazki rhetorica 2010年1月4日 (月) 04:44 (UTC)
- 2週間経過しました。改名に向けて作業開始します。--Nazki rhetorica 2010年1月17日 (日) 03:32 (UTC)
- 作業完了しました[1][2][3]。以降は次節#改名提案2010-01にて。--Nazki rhetorica 2010年1月17日 (日) 05:58 (UTC)
- 2週間経過しました。改名に向けて作業開始します。--Nazki rhetorica 2010年1月17日 (日) 03:32 (UTC)
改名提案2010-01
前節および前々節の議論を経て、改名前の準備が終了しましたので改名提案に出しました(差分)。今まで本一覧は「自殺した日本の有名人の一覧」という記事名のもと、自殺という語が流通する以前の人物まで一様に一覧に収載していました。これに対し「自害=自殺と安易に定義するのには疑問がある」という指摘があり、上2節を通した意見交換を経て、記事名の改名という対処を採ることで合意を見ました。以上を踏まえ、新しい記事名「自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」への改名を提案します。
改名に関してこれまでの経緯・議論を踏まえ、見落とされている論点にお気付きの方、および記事名に関して別案をお持ちの方は、ぜひ御意見を伺いたく存じます。--Nazki rhetorica 2010年1月17日 (日) 05:58 (UTC)
- 賛成 前節の議論の通り自殺と限定してしまうとそれぞれの定義の区別が困難であるため「自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」の改名に賛成です。--ぶりぶり 2010年1月17日 (日) 18:10 (UTC)
- 賛成 多少回りくどくはありますが、確かに自殺と一緒くたに出来ない状況があるので、改名に賛成いたします。--松茸 2010年1月18日 (月) 15:41 (UTC)
- 質問「「自害=自殺と安易に定義するのには疑問がある」という指摘」は個人的な連想ないしイメージではないでしょうか? あと、自決の方は微妙ですが、多少のニュアンスの違いはあれど自殺と自害は同義語であり、同義のものを多少のニュアンスの違いによって分ける必要はあるのでしょうか? ちなみにgoo辞書だと自害は「自分自らを傷つけて死ぬこと。自殺。自尽」となっていますし。--Tantalos 2010年1月20日 (水) 07:46 (UTC)
- Tantalosさん御質問ありがとうございます。自殺・自決・自害のニュアンスの違いはおっしゃる通り個人々々によって違うものだと思います。ただ今回の改名提案は、「ニュアンスが違うから改名せねばならぬ」ということではなく、「ニュアンスの違いをオミット/ネグレクトしたままでは記事が安定しない可能性が多分に残される、ゆえに改名しておいたほうがよい」ということなんです(少なくとも私はそのように考えています)。つまりニュアンスの違いを積極的な第一義の理由とした改名なのではなくて、「ニュアンスの違いは今までオミットしてきたが、そうもいかなくなったので何らかの対処をせねばならなくなった」ということなのです。(=今までは歴史上の自害もこの表に含めるよ/含んでるのねという暗黙の了解のもとでやってきたが、そうもいかなくなった)
- 効果的な対処をせず記事名を「自殺した日本の有名人の一覧」のままにしておいた場合、「現代の自殺と歴史上の自害は異なるから、自害した人物は除去されなければならない」と考える人が今後も出てくるかもしれません(過去にこのような処置もありました)。しかしあらかじめ「自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧」という記事名になっていれば、自殺と自害の微妙な違いを殊更に根拠にして動議を発する人はおそらく現れないでしょう。有名人という語を避けて著名人物に言い換えるのも同じ理由です。つまり記事の内容に最も即した記事名に改名しておくことで、今後それらの件に関して「手の掛かる事態」が生じる可能性が低くなる(=編集合戦が起きず、記事が安定する)。松茸さんの仰るように多少回りくどい感じは出てしまいますが、今度はその点をオミットせざるをえない、という感じでしょうか。(私個人としては「自殺した日本の有名人の一覧」も格助詞「の」が重畳するあたり結構回りくどくて、回りくどさについては改名前後で同程度かなとも思っていますが)
- 今後もし仮に「自殺と自害は微妙に異なるから云々」という分割提案が出されたとしたら、私はTantalosさんの仰る通り「同義のものを多少のニュアンスの違いによって分ける必要はない」と表明するでしょう。ただ、「多少ニュアンスは違うが同義のもの / 同義だが多少ニュアンスの違うもの」を同居させる記事の場合は、ちょっとした工夫と言いますか、予防線というほどのものではないにせよ何らかの対策を講じておいて損はないのではないか、と考えています。(長文失礼しました)--Nazki rhetorica 2010年1月20日 (水) 16:41 (UTC)
- 理由は分かりました。論争の芽を摘むというのならば、この措置は有効ですし、尤もです。よって賛成に回ります。--Tantalos 2010年1月24日 (日) 07:47 (UTC)
改名を実施しました。移動後のリダイレクト処理も完了しました(→特別:リンク元/自殺した日本の有名人の一覧)--Nazki rhetorica 2010年1月31日 (日) 11:24 (UTC)
(言付け)以前上のほうで「カテゴリのほうにも案を投げるつもりなんですが」と書きましたが、作業と議論を通していくつか考えるところがあり、また記事をめぐって状況の変化もあり、しばらくこの状態のまま様子を見ることにいたします(日本の一覧と日本以外の一覧で記事名が揃わない状況が生じますが、それでも。あるいはそれがゆえに)。慎重すぎるかもしれませんが、以上ご報告まで。--Nazki rhetorica 2010年2月2日 (火) 14:01 (UTC)
小瀬浩之の扱いについて
現段階では死亡当初自殺の線も含めて捜査するということと、事件性が無いということが公表されただけで、マスコミの記事はともかく、警察やオリックス球団、遺族から公式に自殺したとは発表されていません。また『その自殺に強い疑義のある者』の節に入れようとした方もいましたが、この節を言葉通り読めば『「自殺」と公に認定されたが、そのことについて強い疑義のある人間』であるはずで、自殺かどうか怪しいだけの人間は含めるべきではないでしょう。マスコミが自殺とはやし立てたことが特筆すべき事項で記載するなら、まず小瀬浩之の項目で記述するべきであり、この項目にむやみやたら記載するべきではないと思いますが、いかがなものでしょうか?--あな@34 2010年2月13日 (土) 05:38 (UTC)
ソートキーのページ移動のお知らせと、凡例に関する意見
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧/ソートキーですが、記事として置いておくには不適切でしたので、移動とリダイレクトの削除依頼を提出し、それに合わせたリンクの修正も行ないました。
さて、記事中(自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧#自殺した著名人一覧の凡例)にそのページのリンクを見つけましたが、読者に必要な情報ではないため除去しました(自己参照)。 また、凡例で「青色は数え」ですが、その色はリンクの色と紛らわしいため、修正すべき、というか、そもそも色で何かを区別すべきではありません(例えば、モノクロで表示する機器で閲覧した場合のことを考慮してください)。何か別の案、例えば単純に後ろに「(数え)」と入れるなどで代替すべきです。--青子守歌(会話/履歴) 2010年7月27日 (火) 23:30 (UTC)
- このようにしてみました(差分)。これでよろしければサブページのほうに反映させますがいかがでしょうか。--Nazki rhetorica 2010年7月28日 (水) 12:09 (UTC)
- 一週間経過しましたので、サブページにも更新を反映しました(差分)--Nazki rhetorica 2010年8月4日 (水) 13:13 (UTC)
この人は著名人なんですか?ここの人物に羅列されるのは違和感を覚えます。--Marukom 2011年1月24日 (月) 05:45 (UTC)
- その2名は確かに所謂ところの「有名人」「著名人」ではありませんが、てるくはのる事件・ドクターキリコ事件ともに広く報道された、わりとよく知られている事件です。その犯人を「収載に値しない一般人」と断定するのは難しいでしょうし、そもそもこの一覧は自殺という最期を遂げた色々な人物・色々なケース・色々な事案を集めるのが目的の一覧ですから、「事件を起した末に自殺に至った」という案件についてもこのまま載せておいたほうがよいでしょう(色々なケースを集めるにあたって事件犯人だけを除外することに合理的理由がないということです)。
- この一覧に限った話ではないですが、どんな一覧であれ「不足している状態」よりも、「多少過剰かもしれないが不足はしていない状態」のほうが状態として優れています。というのは不足している状態だと、通りすがりの人が不十分な加筆をしてゆく・書き散らかしてゆくことがよくあるからです。不十分な加筆があるたびに消したり直したりするより、不十分な加筆が発生しないように、あらかじめ記述を完成させておくほうがやり方としてベターなのではないかと思います。--Nazki rhetorica 2011年1月24日 (月) 11:45 (UTC)
赤字で記事がない人物を載せるべきか
赤字になっていて、記事が作成されていない人物が自殺した著名人で記載されているが、省略で削除するか、記載者が自殺した赤字の記事がない人物を新規記事の作成をするべきである。記事がないのに記載すべきか。記事がない自殺した人物は有名人でも重要人物でもないのでは。2012年6月28日 210.149.120.71 —以上のコメントは、210.149.120.71(会話/投稿記録/Whois)さんが[2012年6月28日 (木) 07:46 (JST)]に投稿したものです。
- 「Wikipedia:特筆性 (人物)#人物一覧」に照らして精査すれば、除去が妥当な人物が若干数含まれているのが現状だと思います。「記事が立項される見込みが限りなく0に近い(と誰しもが判断できる)人物で、出典付きの追加情報もほぼ期待できない人物」は、検証不能という点を考慮して一覧から除去する、という手はあるかも知れません(不足に陥らない範囲で)。
- ただ、「赤リンクだから一律除去」という方法は、なんといいますか、ふるいに掛けるにしても網の目が粗すぎるんではないかと思います。Wikipediaが誕生する遥か以前の時代の人物に赤リンクが多いのは仕方のないことですし、手薄な分野は今も記事の絶対数が少ない。ただ単に「書く人がいなくてまだ書かれてないだけ」の記事も一定数あるのが現状ですから、そもそも「記事がないなら有名人でも重要人物でもない」という考え方が果たして妥当なのかどうか、とも思います。Wikipediaはそんなに偉くないのです。
- あと、訃報 2012年をはじめとする訃報記事との兼ね合いもあり、報道・新聞で訃報が出ている人物ならば赤リンクであっても掲載可とするしかないのではないかと思います。--Nazki rhetorica [履歴|会話] 2012年6月28日 (木) 15:21 (UTC)
藤村操の項目について
多重登録されていますので重複部分の削除お願いします。
沢田泰司の扱いについて
2011年7月17日に自殺したと記載されているミュージシャンの沢田泰司氏についてですが2016年末、彼の公式ホームページにて「在サイパン領事事務所と話し合いを持つ機会を得、TAIJIの死因が不可解、且つ、当時のサイパン諸機関の対応に疑問と問題があったと認識して頂くことができました」との報告がされました。また、スポーツ新聞やネットニュースではありますが「首を吊ることによってできるうっ血の痕は確認できない」「口元に粘着テープが貼られていたような痕がある」などの報道もされています。これらの点より"自殺した著名人物"として扱うことは不適切だと思いますが、検死が行われておらず、正確な死因が不明な点なども考え"強い疑義のある者"の方へ移動するのが適当かと。--Memory19872001(会話) 2017年8月29日 (火) 20:49 (UTC)
Wikipedia:削除依頼
こちらでは初めて会話することになります。ページの使い方が分からないのでおかしなところがありましたらご指摘ください。 まずはっきし主張したいのはこのページではでは2回くらい編集されておりますがと編集したことはありません。2014年から私はこの垢でやっておりますが一度もありません。 私の垢を第三者がやっていた可能性がありただいま対応に追われております。そこで2015年3月8日 (日) 07:22から2019年1月24日 (木) 22:07のまで全ての履歴編集の削除のほうをお願い申し上げます。 編集した記憶もないのにこのように記録として残るのはかなりつらいです。詳しくは未解決事件のノート欄を見てください。 こちらでも重複しますが今まで気づかずに結果的に削除希望を大きく広げてしまったことをお詫び申し上げます。 --カラオケドラゴン 2019年3月13日 (水) 13:48 (UTC)
渡辺裕之の死去について
俳優・渡辺裕之さん死去 66歳【事務所報告全文】妻・原日出子は「呆然自失」/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)に 「弊社所属俳優、渡辺裕之(享年66歳)が自宅で縊死致しました。」と書いてあるので、政治と選挙好きさんが書いているように「渡辺裕之は自殺(縊死)した」と記載するのが自然かつ適切と思うのですが如何でしょうか?--240B:252:2C2:5F00:54A0:2EB3:1558:6DDA 2022年12月18日 (日) 14:43 (UTC)
- Wikipediaの縊死の記事にも同様の事が書いてありますが、「縊死」は、確かに多くの場合「自殺」によって引き起こされるものですが、「他殺」「事故死」が原因で引き起こされる場合もあります。「縊死なので、自殺の可能性が高い」という捉え方は問題ないとしても、「縊死=確実に自殺である」という捉え方をするのは安易ではないのかと考えます。この点は利用者:Mugixさんによって特別:差分/89368824にて以前にも指摘されています。また、Google検索のニュース検索で「渡辺裕之 自殺」と検索したところ、①読売新聞オンライン、②中日スポーツ、③デイリースポーツ、毎日新聞(④、⑤)、⑥日刊ゲンダイDIGITAL、⑦東京新聞、⑧デイリー新潮、⑨AERA dot.、⑩J-CASTの記事が表示されました。このうち①②③⑤⑦は先述の事務所が公表した文書の引用によって「縊死」したと扱っており、死因についての言及が一切無い⑩を除く他の記事についても、死因についての疑問、及び医学博士や精神科医による解説、また「いのちの電話」「東京自殺防止センター」等の相談窓口の紹介はあっても、いずれも「自殺した」という表現が用いられていません。検索結果でこれだけその表現が用いられていない記事が表示されている以上、本記事の#自殺した著名人一覧節冒頭にある「その自殺の事実自体も広く知られている」には当てはまらないものであり、自殺した著名人一覧に渡辺氏を追加するのは適当でないと考えます。
- なお要約欄に理由を示さず差し戻ししたのは、差し戻した理由がひと月ほど前のこちらの版と同様で、同じ記事で必要以上に同じ理由を再度記載する必要はないと考えたからです。ただ240B:252:2C2:5F00:54A0:2EB3:1558:6DDAさんのように示さないと理解できない方もいるという点までは考慮していなかったので、最小限であっても理由を記載する必要があったと反省しています。--Some Ganel(会話) 2022年12月19日 (月) 12:49 (UTC) リンク化されていない部分があったため修正--Some Ganel(会話) 2023年2月5日 (日) 00:41 (UTC)
- 報告節名を変更した上で(渡辺裕之の死去→渡辺裕之の死去について)、本議論を記事の方に告知しておきました。--Some Ganel(会話) 2022年12月20日 (火) 07:19 (UTC)
- 「その自殺の事実自体も広く知られている」あたりの記述について今まで議論が行われていなかったようですが、これは人物自体の特筆性や一過性のニュースのようなことを指している可能性があります。後者は事件を起こしたが直後に犯人が自殺し、定常的なニュースの域を超えるものではないような事例です。誤解を招く文章であり、ほとんど消させていただきました。渡辺裕之についても一覧に載せる方向であると考えます。--図書助(会話) 2023年5月4日 (木) 04:31 (UTC)
- 図書助さんが投稿した特別:差分/95053405の版および渡辺裕之における特別:差分/95053589の版ですが、他利用者との合意が形成されないまま行われたものであるため(前者に関しては図書助さん自身が過去に記述したものを取り消したかもと思い履歴も確認しましたが、特別:差分/95053405以外に図書助さんの投稿は見当たりませんでした)、申し訳ありませんが差し戻させていただきました。「その自殺の~」の記述に関しては図書助さんのご意見も分からなくはないのですが、この記述は渡辺氏に限らずページ全体に適用されるものなので、合意なしに除去すべきではありません。再度除去するのであれば、こちらのノートページで新たに節を設け、議論ないし合意をした上で行うべきであると考えます。--Some Ganel(会話) 2023年5月4日 (木) 08:45 (UTC)
- 「その自殺の事実自体も広く知られている」あたりの記述について今まで議論が行われていなかったようですが、これは人物自体の特筆性や一過性のニュースのようなことを指している可能性があります。後者は事件を起こしたが直後に犯人が自殺し、定常的なニュースの域を超えるものではないような事例です。誤解を招く文章であり、ほとんど消させていただきました。渡辺裕之についても一覧に載せる方向であると考えます。--図書助(会話) 2023年5月4日 (木) 04:31 (UTC)
- 報告節名を変更した上で(渡辺裕之の死去→渡辺裕之の死去について)、本議論を記事の方に告知しておきました。--Some Ganel(会話) 2022年12月20日 (火) 07:19 (UTC)