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「タンタン アメリカへ」の版間の差分

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『'''タンタン アメリカへ'''』({{lang-fr|Tintin en Amérique}})は、[[ベルギー]]の漫画家[[エルジェ]]による[[漫画]]([[バンド・デシネ]])、[[タンタンの冒険|タンタンの冒険シリーズ]]の3作目である。ベルギーの保守紙『{{仮リンク|20世紀新聞|en|Le Vingtième Siècle}}』 (Le Vingtième Siècle)の子供向け付録誌『{{仮リンク|20世紀子ども新聞|en|Le Petit Vingtième}}』(Le Petit Vingtième)にて1931年9月から1932年10月まで毎週連載されていた。当初はモノクロであったが、1946年に著者本人によってカラー化された。ベルギー人の少年記者[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]を主人公とし、愛犬[[スノーウィ]]と共に[[アメリカ合衆国]]に派遣され、同地の[[アル・カポネ]]といった実在の犯罪者の陰謀に巻き込まれたり、アメリカの極端な[[資本主義]]や[[アメリカ先住民]]([[インディアン]])の扱いを批判する物語が展開される。
'''タンタン アメリカへ'''([[フランス語]]:Tintin en Amérique )は、[[ベルギー]]の[[イラストレーター]]・[[エルジェ]]によって描かれたコミック、[[タンタンの冒険]]シリーズの第3番目の作品である。


最初にタンタンの企画が持ち上がった時から、アメリカ先住民に憧れを抱いていたエルジェは、アメリカを舞台とすることを切望していた。これまで作品は、新聞社の経営者である{{仮リンク|ノルベール・ヴァレーズ|en|Norbert Wallez}}の指示の下でテーマと舞台が決められていたが、本作で初めてエルジェ自身が舞台を設定できた。アメリカ政府に対してアメリカ先住民の扱いの改善を促すという目的もあったが、カトリック的な保守主義者であるヴァレーズの意向である、過度な資本主義や物質主義を批判するといったテーマも含まれていた。また、前作『[[タンタンのコンゴ探険]]』で見られたように、先住民を騙されやすい素朴な人種として描く、人種差別的な描写もまま見られた。
==概要==

1931年から1932年の間に[[20世紀子ども新聞]]に連載された。1932年に白黒版が刊行され、1946年にはそれをカラー化したバージョンが刊行された。
本作は前作『タンタンのコンゴ探険』に続いて商業的な成功を収め、完結後にすぐにÉditions du Petit Vingtième社から書籍として出版された。1945年には[[リーニュクレール]]の技法を用いたカラー版が出版され、その際にいくつか改変が加えられている。1991年にはカナダのアニメーション製作会社の[[ネルバナ]]とフランスのEllipseによるテレビアニメシリーズの中で、本作が映像化されている。
1930年代の[[アメリカ合衆国]]を舞台としており、この作品においてエルジェはそこで実在の人物を登場させたり、白人の[[インディアン]]への扱いを批判している。<ref>http://www.tintin.co.jp/</ref>

日本語版は、2004年にカラー版を底本にして[[福音館書店]]より出版された([[川口恵子 (翻訳家)|川口恵子]]訳)。


==あらすじ==
==あらすじ==
『20世紀子ども新聞』の報道記者であるベルギー人少年[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]は、[[アメリカ合衆国]]を取材するため、愛犬の[[スノーウィ]]と共に現地へ派遣される。発展した都市である[[シカゴ]]に到着したタンタンであったが、タクシー運転手に誘拐されかかるなどのトラブルに見舞われる。やがてタンタンは、前回コンゴにおいて、アメリカン・マフィアの大物[[アル・カポネ]]の陰謀を潰したことで、彼に恨まれ、懸賞金を掛けられていたことを知る。こうしてタンタンは、再度カポネとの対決を迫られ、敵対ギャングのボビー・スマイルズとの戦い、その中で郊外で迫害を受けるアメリカ先住民たちとも出会う。
1930年代のアメリカ。シカゴにやって来たタンタンとスノーウィはタクシーでホテルに向かう。しかしそのタクシー運転手はタンタンを誘拐しようとし窓にシャッターをかけてタンタンたちを閉じ込める。偶然タイヤがパンクし運転手がタイヤを交換しているその隙にタンタンは鋸でドアを切って脱出する。偶然警察のオートバイが通りかかりタンタンは警察官らにタクシーを追いかけて捕まえるように依頼する。オートバイはタクシーに追いつき、運転手は逮捕される。タンタンが理由を聞くとその運転手はタンタンをさらえば500ドルもらえるからとのことだった。そのときブーメランが運転手の顔を直撃、投げつけた男が警察のオートバイを盗んで逃走する。タンタンと警察は車で追いかけるが、途中で妨害にあってタンタンも重傷を負ってしまう。


== 歴史 ==
数日後、やっと退院できたタンタンは急に誘拐されてしまう。誘拐したのはアル・カポネの命令によってタンタンを消そうとしたギャングたちだった。
=== 執筆背景 ===
スノーウィの機転によって目を覚ましたタンタンはカポネとその一味をやっつけて警察に捕まえてくれと依頼するが、信じてもらえず。その後、スノーウィが派手にやられて戻ってきた。
[[File:Blackfoot teepees.jpg|thumb|right|[[ブラックフット族]]の[[ティピー]]の写真(1933年)]]


作者の[[エルジェ]](本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『{{仮リンク|20世紀新聞|en|Le Vingtième Siècle}}』(Le Vingtième Siècle)で働いており、同紙の子供向け付録誌『{{仮リンク|20世紀子ども新聞|en|Le Petit Vingtième}}』(Le Petit Vingtième)の編集とイラストレーターを兼ねていた{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1pp=31–32|2a1=Thompson|2y=1991|2pp=24–25}}。
ホテルにチェックインしたタンタンは、怪しげな男が自分を狙っていることに気付き、窓を経由して隣の部屋に移り、逆にその男を捕まえる。フロントに警察を手配して、警察に警察署についてきてもらうように頼まれる。しかし、連れてこられた場所は警察署ではなく、カポネのライバル、ボビー・スマイルズのシンジケートだった。仲間になるよう要求するスマイルズに反抗するタンタンだったが、手下に毒ガスをかけられ、海に落とされる。だが、手下は毒ガスと間違えて催眠ガスを浴びせていたため、タンタンは助かり、自分を探しに来たスマイルズの手下2名を逮捕する。
同紙は教会の[[アベ (カトリック教会の聖職)|アベ]]で、親ファシストでもあった{{仮リンク|ノルベール・ヴァレーズ|en|Norbert Wallez}}が経営と編集長を務めており、「教義と情報のためのカトリック新聞」を標榜し、彼の親ファシスト的な論調はそのまま紙面にも反映されていた{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1pp=20–32|2a1=Thompson|2y=1991|2pp=24–25|3a1=Assouline|3y=2009|3p=38}} 。
{{仮リンク|ハリー・トンプソン|en|Harry Thompson}}によれば、当時のベルギーにおいて、こうした政治思想は一般的なものであり、エルジェの周囲には「愛国心、カトリック、厳しい道徳、規律、純真」を主とする保守思想が浸透していた{{sfn|Thompson|1991|p=24}}。


1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]の活躍を描く『[[タンタンの冒険]]』の連載が始まった。シリーズはヴァレーズによってテーマと舞台が決められていた。第1作『[[タンタン ソビエトへ]]』は舞台を[[ソビエト連邦]]とし、[[反共主義|反共産主義]]がテーマであった{{sfnm|1a1=Assouline|1y=2009|1pp=22–23|2a1=Peeters|2y=2012|2pp=34–37}}。第2作『[[タンタンのコンゴ探険]]』は舞台を[[ベルギー領コンゴ]]として[[植民地主義]]の振興が目的であった{{sfnm|1a1=Assouline|1y=2009|1pp=26–29|2a1=Peeters|2y=2012|2pp=45–47}}。
タンタンは警察と手を組み、スマイルズのギャング集団を逮捕する作戦をたてる。部下は逮捕に成功したが、スマイルズを取り逃してしまう。翌日スマイルズがインディアンの地にいるという情報を聞いたタンタンはレッドスキンシティへと向かう。


3作目となる本作は[[アメリカ合衆国]]が舞台と決まった。そもそも第1作目の段階で、[[アメリカ先住民]]に憧れを持つエルジェは、アメリカを舞台とした作品を描きたいと構想していたが、今まではヴァレーズに却下されていたという経緯があった{{sfnm|1a1=Thompson|1y=1991|1p=40,46|2a1=Farr|2y=2001|2p=29|3a1=Peeters|3y=2012|3p=55}}。
レッドスキンに着いたタンタンはカウボーイの衣装に着替えてインディアンの居住地へ行くが、スマイルズの策略によってインディアンによって捕まり、生贄に捧げられそうになる。しかし、運よく回避したタンタンは地中のトンネルに潜って逃げるが、そこから石油が出てきて多くの実業家がその場所を買い取り、インディアンたちは立ち退きを強いられ、一日で都会に変貌したのだった。
ヴァレーズを含めた、当時のベルギーの保守主義者にとってアメリカはソ連と同じくらいに非常に批判的な国であった{{sfn|Assouline|2009|p=32}} 。
程度の差はあれ、エルジェ自身もアメリカの[[資本主義]]、[[消費主義]]、[[機械化]]は、伝統的なベルギー社会への脅威と認識していた{{sfnm|1a1=Farr|1y=2001|1p=35|2a1=Peeters|2y=2012|2p=56}}。
よってヴァレーズは、アメリカの資本主義を糾弾する物語とすることをエルジェに要求したが、一方で、エルジェが望んだアメリカ先住民の描写にはほとんど興味を示さなかった{{sfn|Thompson|1991|p=46}}。
この結果、タンタンとアメリカ先住民の出会いは物語全体のわずか6分の1程度のものであった{{sfn|Farr|2001|p=29}}。
エルジェは、[[西部劇]]を通して広く浸透していた「残酷な野蛮人」というステレオタイプな印象を払拭することを望み{{sfn|Assouline|2009|p=32}}、その先住民に対する描写は広く同情的なものであったが、一方で前作『タンタンのコンゴ探険』で描いたコンゴ人のように、騙されやすい素朴な人種としても描いていた{{sfn|Farr|2001|p=29}}。


=== アメリカ描写の取材 ===
==登場人物==
[[File:Al Capone-around 1935.jpg|thumb|175px|right|実在のシカゴ・ギャングのボスである[[アル・カポネ]]が本作では敵役として登場した。]]
;[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]
: ルポ記者。本作ではギャングとの対決を繰り広げ、何度か絶体絶命のピンチに合うも、色々と運よく回避され、打ち勝っていく。
;[[スノーウィ]]
: タンタンの相棒の犬。
;[[アル・カポネ]]
: 実在したギャングのボス。[[タンタンのコンゴ探険]]では直接の登場はなかったが、ダイヤモンドの密輸をタンタンに妨害された。本作では、シカゴに来たタンタンを抹殺しようとする。原作では序盤のみの登場だったが、アニメではストーリー全体の黒幕となっており、最終的に逮捕されている。
;ボビー・スマイルズ
: アル・カポネと対立するライバルのギャング。タンタンを仲間にしようとするが反対され、毒ガスで葬ろうとする。しかし、手下が間違って催眠ガスをかけたため、計画は失敗に終わる。その後、タンタンから逃れるため、様々な手でタンタンを殺そうとするが、ことごとく失敗に終わり、最終的には逮捕された。
;誘拐組織のボス
:誘拐を専門とするギャング。剣が仕込まれている杖を持っている。原作では名前は設定されていなかったが、アニメでは「バグジー」という名前で登場している。
;大酋長
: インディアンの大酋長。スマイルズの策略でタンタンを生贄に捧げようとする。
;マイク・マッカダム
: ホテルの探偵。行方不明になったスノーウィを探すタンタンに協力するが、適当な犬を何匹も持ってきただけで、結局はなんの役にも立たず、タンタンを呆れさせた。
;トム・ホーク
:誘拐組織のボスの手下。タンタンを精肉工場に連れていき、そこでタンタンをひき肉にしようとするが、作業員がストライキで操業を怠けていたため、失敗。その後、誘拐組織のボスとともに警察に逮捕された。


前2作の舞台となった[[ソビエト連邦]]や[[コンゴ]]についてエルジェはよく知らずに描いたが、本作のアメリカについてはかなり事前調査を行おうとしたように思われる{{Sfn|Peeters|2012|p=55}}。
また、晩餐会のシーンで1コマだけラスタポプロスが登場している。
アメリカ先住民について詳しく知るため、エルジェは1928年の書籍『{{lang|fr|Mœurs et histoire des Indiens Peaux-Rouges}}』を読み{{sfnm|1a1=Farr|1y=2001|1p=30|2a1=Lofficier|2a2=Lofficier|2y=2002|2p=28|3a1=Assouline|3y=2009|3p=31}}、またブリュッセル民族学博物館を訪問した{{sfn|Farr|2001|p=30}}。
その結果、エルジェが描いたアメリカ先住民の描写は「基本的に正確」なものであった{{sfn|Farr|2001|p=30}}。
[[ウォーボンネット]]が描かれていたことで、時にエルジェがステレオタイプのインディアンを描いたと指摘されることがあるが、実際に彼がモデルにした[[ブラックフット族]]は、ウォーボンネットを着用する文化があった{{sfn|Tett|2011|p=13}}。


シカゴや、同地のギャングについては[[ジョルジュ・デュアメル]]が1930年に出版した『未来生活情景』を参考にした。1929年の[[ウォール街大暴落]]を背景に書かれたこの著作は、消費主義や近代主義に対する強い批判が含まれ、ヨーロッパの保守主義者の観点から機械化や均一化が進むアメリカを批判するというものであった。これはヴァレーズとエルジェが抱いていたアメリカへの批判的視点を補強するものであった。食肉工場の場面など、デュアメルの描写から多く引用されている{{sfnm|1a1=Thompson|1y=1991|1pp=49–50|2a1=Farr|2y=2001|2pp=33–35|3a1=Assouline|3y=2009|3p=31|4a1=Peeters|4y=2012|4p=55}}。
==映像化作品==
 1991年から1992年にかけてネルバナによってアニメ化された。通常のタンタンシリーズは1つのエピソードで二部構成となるのが基本だが、この作品は1話完結となっている(これは[[ふしぎな流れ星]]や[[レッド・ラッカムの宝]]も同様)。原作とは異なる部分が多く、例として以下の例がある。
:・スマイルズは原作ではカポネのライバルだったが、アニメではカポネの手下となっている。
:・インディアンの登場がカットされ、タンタンがスマイルズを追い詰めるまでの過程が簡素なものになっている。
:・原作では逮捕されたかどうか不明だったカポネがアニメ終盤で逮捕されている。
:・ラストシーンは原作ではタンタンが船でヨーロッパへ帰るシーンだったが、アニメでは電話で新しい事件を聞いたタンタンがスノーウィと共に事件現場へと出かけていくといったシーンになっている。


エルジェは過激派雑誌『Le Crapouillot』の1930年10月の特別版にも影響を受けている。この号はアメリカ特集として様々な写真が掲載されており、これがエルジェのアメリカ描写に参照されている{{sfnm|1a1=Farr|1y=2001|1pp=30, 35|2a1=Apostolidès|2y=2010|2pp=21–22}}。
==脚注==
そして高層ビル群の写真を、シカゴ描写の基本に置き、また石油が発見されたことでアメリカ先住民が土地から追い出されたという説明を採用した{{sfn|Farr|2001|p=36}}。

=== オリジナル版(1931年-1932年) ===
本作は1931年9月3日から1932年10月20日まで『20世紀子ども新聞』誌上で連載された。当初のタイトルは『Les Aventures de Tintin, reporter, à Chicago』(記者タンタンの冒険 シカゴへ)であった。地名がアメリカではなくシカゴであったのは、当時、世界的に有名であった国際都市シカゴを通して、アメリカの資本主義や犯罪への批判に焦点を当てたかったというヴァレーズの意向が反映されたものであった{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1p=36|2a1=Thompson|2y=1991|2p=46|3a1=Assouline|3y=2009|3p=31}}。
その後、物語の舞台がシカゴの西に移ると、エルジェはタイトルを『Les Aventures de Tintin, reporter, en Amérique』(記者タンタンの冒険 アメリカへ)に改題した{{sfn|Goddin|2008|p=96}}。
本作におけるスノーウィの活躍は減り、タンタンとスノーウィが会話で意思疎通するのは本作が最後となった{{sfn|Thompson|1991|p=50}}。

完結後は前2作と同様に、役者が演じるタンタンがブリュッセルに帰還したという宣伝イベントを開き、これも人気を博した{{sfn|Thompson|1991|p=49}}。
1932年には過去2作と同様に{{lang|fr|Éditions du Petit Vingtième}}(20世紀子供出版)が1冊の書籍にまとめて、刊行した{{sfnm|1a1=Farr|1y=2001|1p=29|2a1=Lofficier|2a2=Lofficier|2y=2002|2p=27}}。これはエルジェのもう1つの代表作『[[クックとプッケ]]』の第1巻と同時発売であった{{sfn|Goddin|2008|p=109}}。
1934年に、次作『[[ファラオの葉巻]]』より書籍版の出版を担うようになった{{仮リンク|カステルマン|en|Casterman}}社より、第2版が出版された{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=27}}。
また、1936年にはカステルマンがカラーページを加えたバージョンの出版を打診し、エルジェはこれに応じたが、表紙をカーチェイスシーンにする依頼は拒否した{{sfn|Goddin|2008|p=96}}。

=== カラー化(1945年) ===
1940年代から1950年代にかけてエルジェの人気が高まると、エルジェはスタジオのチームと共に、今までのモノクロ版をカラーにリニューアルする作業に着手した。この作業ではエルジェが開発した[[リーニュクレール]]{{efn|[[リーニュクレール]](ligne claire)という名前は、エルジェ自身の命名ではなく、1977年に漫画家の[[:en:Joost Swarte|Joost Swarte]]によって名付けられた{{sfn|Pleban|2006}}。}}の技法が用いられた{{sfn|Farr|2001|p=25}}。本作は1945年にカラー化の作業が始まり{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=27}}、1946年にカステルマンより出版された{{sfn|Farr|2001|p=29}}。

他の作品のカラー化でも見られたように、本作でもカラー化に合わせて様々な変更がなされた。例えば政府によるアメリカ先住民に対する悪辣な扱いに関する解説のいくつかはトーンダウンしている{{sfn|Farr|2001|p=29}}。先住民の部族名も変更され{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=28}}、アル・カポネの描写も、リメイク版当時には彼が弱体化していたことで傷だらけの顔にしている{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=28}}。
スノーウィを食べようとした中国人のチンピラは削除され{{sfnm|1a1=Farr|1y=2001|1pp=36, 38|2a1=Lofficier|2a2=Lofficier|2y=2002|2p=28}}、ベルギーへの言及も除去されるなど、より国際的な作品に変えられた{{sfn|Farr|2001|p=36}}。

=== その後の出版歴 ===
カステルマン社は、1973年に、エルジェ全集の第1部として『[[タンタン ソビエトへ]]』や『[[タンタンのコンゴ探険]]』とともに、オリジナルのモノクロ版を出版した{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=27}}。その後、さらに1983年にオリジナル版の複製版を出版している{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=27}}。

日本語版は、カラー版を底本に、2004年に[[川口恵子 (翻訳家)|川口恵子]]訳として[[福音館書店]]から出版された。福音館版は順番が原作と異なっており、本作はシリーズ20作目という扱いであった<ref>{{cite web |title=タンタン アメリカへ |url=https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=935 |website=福音館書店 |access-date=2023/5/1}}</ref>。

アメリカにおいて本作の翻訳版を出版するにあたって、先住民が住処から追いやられるシーンについて懸念を伝えたが、エルジェはシーンの削除については拒絶した{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1p=36|2a1=Farr|2y=2001|2p=29}}。
1973年にアメリカで出版された版では、子どもたちの人種統合を促進を避けたいという理由で、エルジェは黒人を削除し、白人やヒスパニック系に置き換えた{{sfnm|1a1=Thompson|1y=1991|1p=48|2a1=Farr|2y=2001|2p=38}}。

== 翻案 ==
1991年から1992年に掛けて放映されたカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによる『{{仮リンク|タンタンの冒険 (テレビアニメ)|label=タンタンの冒険|en|The Adventures of Tintin (TV series)}}』(Les Aventures de Tintin)において映像化された{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=90}}。本作は最終エピソードとして制作されたが、最も改変され、ほぼ新しい物語と言っても差し支えないものになっていた。アメリカ先住民とのエピソードはなくなり、ギャングとの戦いが主になっている。また、最後についても単純にヨーロッパに帰還して終わりではなく、新たな事件(冒険)を予期させる電話で終わる。

== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
{{refbegin|30em}}
* {{cite book |title=The Metamorphoses of Tintin, or Tintin for Adults |last=Apostolidès |first=Jean-Marie |others=Jocelyn Hoy (translator) |year=2010 |orig-year=2006 |publisher=Stanford University Press |location=Stanford |isbn=978-0-8047-6031-7}}
* {{cite book |title=Hergé, the Man Who Created Tintin |last=Assouline |first=Pierre |others=Charles Ruas (translator) |year=2009 |orig-year=1996 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford and New York |isbn=978-0-19-539759-8}}
* {{cite book |title=Tintin: The Complete Companion |last=Farr |first=Michael |author-link=Michael Farr |year=2001 |publisher=John Murray |location=London |isbn=978-0-7195-5522-0 }}
* {{cite book |title=The Art of Hergé, Inventor of Tintin: Volume I, 1907–1937 |last=Goddin |first=Philippe |author-link=Philippe Goddin |others=Michael Farr (translator) |year=2008 |publisher=Last Gasp |location=San Francisco |isbn=978-0-86719-706-8}}
* {{cite book |title=Tintin in America |last=Hergé |author-link=Hergé |year=1973 |orig-year=1945 |others=Leslie Lonsdale-Cooper and Michael Turner (translators) |publisher=Egmont |location=London |isbn=978-1-4052-0614-3 }}
* {{cite book |title=The Pocket Essential Tintin |last1=Lofficier |first1=Jean-Marc |last2=Lofficier |first2=Randy |year=2002 |publisher=Pocket Essentials |location=Harpenden, Hertfordshire |isbn=978-1-904048-17-6 }}
* {{cite news|url=http://www.magmabooks.com/content/newsfeatures/feature.asp?c=NAF&sc=96&fid=16 |title=Jochen Gerner Interview |date=25 October 2005 |publisher=Magma Books |author=Magma Books |archive-url=https://www.webcitation.org/6HiHc4ioj?url=http://www.magmabooks.com/content/newsfeatures/feature.asp?c=NAF&sc=96&fid=16 |archive-date=28 June 2013 |url-status=dead }}
* {{cite book |title=Tintin and the Secret of Literature |last=McCarthy |first=Tom |author-link=Tom McCarthy (novelist) |year=2006 |publisher=Granta |location=London |isbn=978-1-86207-831-4 }}
* {{cite book |title=Tintin and the World of Hergé |last=Peeters |first=Benoît |author-link=Benoît Peeters |year=1989 |publisher=Methuen Children's Books |location=London |isbn=978-0-416-14882-4 }}
* {{cite book |title=Hergé: Son of Tintin |last=Peeters |first=Benoît |author-link=Benoît Peeters |others=Tina A. Kover (translator) |year=2012 |orig-year=2002 |publisher=Johns Hopkins University Press |location=Baltimore |isbn=978-1-4214-0454-7}}
* {{cite book |title=Tintin in America - The Real-life Inspiration Behind Tintin's Adventures|last=Tett|first=Stuart|date=24 October 2011|publisher=Little, Brown and Company|location=New York City|isbn=978-0-316-13380-7|url=https://books.google.com/books?id=1f88YgEACAAJ}}
* {{cite book |title=Tintin: Hergé and his Creation |last=Thompson |first=Harry |author-link=Harry Thompson |year=1991 |publisher=Hodder and Stoughton |location=London |isbn=978-0-340-52393-3 }}
{{refend}}

== 外部リンク ==
* [http://en.tintin.com/albums/show/id/27/page/0/0/tintin-in-america ''Tintin in America''] at the Official Tintin Website
* [http://www.tintinologist.org/guides/books/03america.html ''Tintin in America''] at Tintinologist.org


{{タンタンの冒険}}
{{タンタンの冒険}}
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[[Category:タンタンの冒険]]
[[Category:タンタンの冒険]]
[[Category:アメリカ合衆国を舞台とした漫画作品]]
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[[Category:マフィアを題材とした漫画作品]]

2023年5月6日 (土) 14:54時点における版

タンタン アメリカへ
(Tintin en Amérique)
発売日
  • 1932年(モノクロ版)
  • 1945年(カラー版)
シリーズタンタンの冒険シリーズ
出版社Éditions du Petit Vingtième
制作陣
製作者エルジェ
オリジナル
掲載20世紀子ども新聞英語版
掲載期間1931年9月3日 – 1932年10月20日
言語フランス語
翻訳版
出版社福音館書店
発売日2004年
ISBN978-4-8340-2001-4
翻訳者川口恵子
年表
前作タンタンのコンゴ探険 (1931年)
次作ファラオの葉巻 (1933年)

タンタン アメリカへ』(フランス語: Tintin en Amérique)は、ベルギーの漫画家エルジェによる漫画バンド・デシネ)、タンタンの冒険シリーズの3作目である。ベルギーの保守紙『20世紀新聞英語版』 (Le Vingtième Siècle)の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞英語版』(Le Petit Vingtième)にて1931年9月から1932年10月まで毎週連載されていた。当初はモノクロであったが、1946年に著者本人によってカラー化された。ベルギー人の少年記者タンタンを主人公とし、愛犬スノーウィと共にアメリカ合衆国に派遣され、同地のアル・カポネといった実在の犯罪者の陰謀に巻き込まれたり、アメリカの極端な資本主義アメリカ先住民インディアン)の扱いを批判する物語が展開される。

最初にタンタンの企画が持ち上がった時から、アメリカ先住民に憧れを抱いていたエルジェは、アメリカを舞台とすることを切望していた。これまで作品は、新聞社の経営者であるノルベール・ヴァレーズ英語版の指示の下でテーマと舞台が決められていたが、本作で初めてエルジェ自身が舞台を設定できた。アメリカ政府に対してアメリカ先住民の扱いの改善を促すという目的もあったが、カトリック的な保守主義者であるヴァレーズの意向である、過度な資本主義や物質主義を批判するといったテーマも含まれていた。また、前作『タンタンのコンゴ探険』で見られたように、先住民を騙されやすい素朴な人種として描く、人種差別的な描写もまま見られた。

本作は前作『タンタンのコンゴ探険』に続いて商業的な成功を収め、完結後にすぐにÉditions du Petit Vingtième社から書籍として出版された。1945年にはリーニュクレールの技法を用いたカラー版が出版され、その際にいくつか改変が加えられている。1991年にはカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによるテレビアニメシリーズの中で、本作が映像化されている。

日本語版は、2004年にカラー版を底本にして福音館書店より出版された(川口恵子訳)。

あらすじ

『20世紀子ども新聞』の報道記者であるベルギー人少年タンタンは、アメリカ合衆国を取材するため、愛犬のスノーウィと共に現地へ派遣される。発展した都市であるシカゴに到着したタンタンであったが、タクシー運転手に誘拐されかかるなどのトラブルに見舞われる。やがてタンタンは、前回コンゴにおいて、アメリカン・マフィアの大物アル・カポネの陰謀を潰したことで、彼に恨まれ、懸賞金を掛けられていたことを知る。こうしてタンタンは、再度カポネとの対決を迫られ、敵対ギャングのボビー・スマイルズとの戦い、その中で郊外で迫害を受けるアメリカ先住民たちとも出会う。

歴史

執筆背景

ブラックフット族ティピーの写真(1933年)

作者のエルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『20世紀新聞英語版』(Le Vingtième Siècle)で働いており、同紙の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞英語版』(Le Petit Vingtième)の編集とイラストレーターを兼ねていた[1]。 同紙は教会のアベで、親ファシストでもあったノルベール・ヴァレーズ英語版が経営と編集長を務めており、「教義と情報のためのカトリック新聞」を標榜し、彼の親ファシスト的な論調はそのまま紙面にも反映されていた[2]ハリー・トンプソン英語版によれば、当時のベルギーにおいて、こうした政治思想は一般的なものであり、エルジェの周囲には「愛国心、カトリック、厳しい道徳、規律、純真」を主とする保守思想が浸透していた[3]

1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・タンタンの活躍を描く『タンタンの冒険』の連載が始まった。シリーズはヴァレーズによってテーマと舞台が決められていた。第1作『タンタン ソビエトへ』は舞台をソビエト連邦とし、反共産主義がテーマであった[4]。第2作『タンタンのコンゴ探険』は舞台をベルギー領コンゴとして植民地主義の振興が目的であった[5]

3作目となる本作はアメリカ合衆国が舞台と決まった。そもそも第1作目の段階で、アメリカ先住民に憧れを持つエルジェは、アメリカを舞台とした作品を描きたいと構想していたが、今まではヴァレーズに却下されていたという経緯があった[6]。 ヴァレーズを含めた、当時のベルギーの保守主義者にとってアメリカはソ連と同じくらいに非常に批判的な国であった[7] 。 程度の差はあれ、エルジェ自身もアメリカの資本主義消費主義機械化は、伝統的なベルギー社会への脅威と認識していた[8]。 よってヴァレーズは、アメリカの資本主義を糾弾する物語とすることをエルジェに要求したが、一方で、エルジェが望んだアメリカ先住民の描写にはほとんど興味を示さなかった[9]。 この結果、タンタンとアメリカ先住民の出会いは物語全体のわずか6分の1程度のものであった[10]。 エルジェは、西部劇を通して広く浸透していた「残酷な野蛮人」というステレオタイプな印象を払拭することを望み[7]、その先住民に対する描写は広く同情的なものであったが、一方で前作『タンタンのコンゴ探険』で描いたコンゴ人のように、騙されやすい素朴な人種としても描いていた[10]

アメリカ描写の取材

実在のシカゴ・ギャングのボスであるアル・カポネが本作では敵役として登場した。

前2作の舞台となったソビエト連邦コンゴについてエルジェはよく知らずに描いたが、本作のアメリカについてはかなり事前調査を行おうとしたように思われる[11]。 アメリカ先住民について詳しく知るため、エルジェは1928年の書籍『Mœurs et histoire des Indiens Peaux-Rouges』を読み[12]、またブリュッセル民族学博物館を訪問した[13]。 その結果、エルジェが描いたアメリカ先住民の描写は「基本的に正確」なものであった[13]ウォーボンネットが描かれていたことで、時にエルジェがステレオタイプのインディアンを描いたと指摘されることがあるが、実際に彼がモデルにしたブラックフット族は、ウォーボンネットを着用する文化があった[14]

シカゴや、同地のギャングについてはジョルジュ・デュアメルが1930年に出版した『未来生活情景』を参考にした。1929年のウォール街大暴落を背景に書かれたこの著作は、消費主義や近代主義に対する強い批判が含まれ、ヨーロッパの保守主義者の観点から機械化や均一化が進むアメリカを批判するというものであった。これはヴァレーズとエルジェが抱いていたアメリカへの批判的視点を補強するものであった。食肉工場の場面など、デュアメルの描写から多く引用されている[15]

エルジェは過激派雑誌『Le Crapouillot』の1930年10月の特別版にも影響を受けている。この号はアメリカ特集として様々な写真が掲載されており、これがエルジェのアメリカ描写に参照されている[16]。 そして高層ビル群の写真を、シカゴ描写の基本に置き、また石油が発見されたことでアメリカ先住民が土地から追い出されたという説明を採用した[17]

オリジナル版(1931年-1932年)

本作は1931年9月3日から1932年10月20日まで『20世紀子ども新聞』誌上で連載された。当初のタイトルは『Les Aventures de Tintin, reporter, à Chicago』(記者タンタンの冒険 シカゴへ)であった。地名がアメリカではなくシカゴであったのは、当時、世界的に有名であった国際都市シカゴを通して、アメリカの資本主義や犯罪への批判に焦点を当てたかったというヴァレーズの意向が反映されたものであった[18]。 その後、物語の舞台がシカゴの西に移ると、エルジェはタイトルを『Les Aventures de Tintin, reporter, en Amérique』(記者タンタンの冒険 アメリカへ)に改題した[19]。 本作におけるスノーウィの活躍は減り、タンタンとスノーウィが会話で意思疎通するのは本作が最後となった[20]

完結後は前2作と同様に、役者が演じるタンタンがブリュッセルに帰還したという宣伝イベントを開き、これも人気を博した[21]。 1932年には過去2作と同様にÉditions du Petit Vingtième(20世紀子供出版)が1冊の書籍にまとめて、刊行した[22]。これはエルジェのもう1つの代表作『クックとプッケ』の第1巻と同時発売であった[23]。 1934年に、次作『ファラオの葉巻』より書籍版の出版を担うようになったカステルマン英語版社より、第2版が出版された[24]。 また、1936年にはカステルマンがカラーページを加えたバージョンの出版を打診し、エルジェはこれに応じたが、表紙をカーチェイスシーンにする依頼は拒否した[19]

カラー化(1945年)

1940年代から1950年代にかけてエルジェの人気が高まると、エルジェはスタジオのチームと共に、今までのモノクロ版をカラーにリニューアルする作業に着手した。この作業ではエルジェが開発したリーニュクレール[注釈 1]の技法が用いられた[26]。本作は1945年にカラー化の作業が始まり[24]、1946年にカステルマンより出版された[10]

他の作品のカラー化でも見られたように、本作でもカラー化に合わせて様々な変更がなされた。例えば政府によるアメリカ先住民に対する悪辣な扱いに関する解説のいくつかはトーンダウンしている[10]。先住民の部族名も変更され[27]、アル・カポネの描写も、リメイク版当時には彼が弱体化していたことで傷だらけの顔にしている[27]。 スノーウィを食べようとした中国人のチンピラは削除され[28]、ベルギーへの言及も除去されるなど、より国際的な作品に変えられた[17]

その後の出版歴

カステルマン社は、1973年に、エルジェ全集の第1部として『タンタン ソビエトへ』や『タンタンのコンゴ探険』とともに、オリジナルのモノクロ版を出版した[24]。その後、さらに1983年にオリジナル版の複製版を出版している[24]

日本語版は、カラー版を底本に、2004年に川口恵子訳として福音館書店から出版された。福音館版は順番が原作と異なっており、本作はシリーズ20作目という扱いであった[29]

アメリカにおいて本作の翻訳版を出版するにあたって、先住民が住処から追いやられるシーンについて懸念を伝えたが、エルジェはシーンの削除については拒絶した[30]。 1973年にアメリカで出版された版では、子どもたちの人種統合を促進を避けたいという理由で、エルジェは黒人を削除し、白人やヒスパニック系に置き換えた[31]

翻案

1991年から1992年に掛けて放映されたカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによる『タンタンの冒険英語版』(Les Aventures de Tintin)において映像化された[32]。本作は最終エピソードとして制作されたが、最も改変され、ほぼ新しい物語と言っても差し支えないものになっていた。アメリカ先住民とのエピソードはなくなり、ギャングとの戦いが主になっている。また、最後についても単純にヨーロッパに帰還して終わりではなく、新たな事件(冒険)を予期させる電話で終わる。

脚注

注釈

  1. ^ リーニュクレール(ligne claire)という名前は、エルジェ自身の命名ではなく、1977年に漫画家のJoost Swarteによって名付けられた[25]

出典

  1. ^ Peeters 1989, pp. 31–32; Thompson 1991, pp. 24–25.
  2. ^ Peeters 1989, pp. 20–32; Thompson 1991, pp. 24–25; Assouline 2009, p. 38.
  3. ^ Thompson 1991, p. 24.
  4. ^ Assouline 2009, pp. 22–23; Peeters 2012, pp. 34–37.
  5. ^ Assouline 2009, pp. 26–29; Peeters 2012, pp. 45–47.
  6. ^ Thompson 1991, p. 40,46; Farr 2001, p. 29; Peeters 2012, p. 55.
  7. ^ a b Assouline 2009, p. 32.
  8. ^ Farr 2001, p. 35; Peeters 2012, p. 56.
  9. ^ Thompson 1991, p. 46.
  10. ^ a b c d Farr 2001, p. 29.
  11. ^ Peeters 2012, p. 55.
  12. ^ Farr 2001, p. 30; Lofficier & Lofficier 2002, p. 28; Assouline 2009, p. 31.
  13. ^ a b Farr 2001, p. 30.
  14. ^ Tett 2011, p. 13.
  15. ^ Thompson 1991, pp. 49–50; Farr 2001, pp. 33–35; Assouline 2009, p. 31; Peeters 2012, p. 55.
  16. ^ Farr 2001, pp. 30, 35; Apostolidès 2010, pp. 21–22.
  17. ^ a b Farr 2001, p. 36.
  18. ^ Peeters 1989, p. 36; Thompson 1991, p. 46; Assouline 2009, p. 31.
  19. ^ a b Goddin 2008, p. 96.
  20. ^ Thompson 1991, p. 50.
  21. ^ Thompson 1991, p. 49.
  22. ^ Farr 2001, p. 29; Lofficier & Lofficier 2002, p. 27.
  23. ^ Goddin 2008, p. 109.
  24. ^ a b c d Lofficier & Lofficier 2002, p. 27.
  25. ^ Pleban 2006.
  26. ^ Farr 2001, p. 25.
  27. ^ a b Lofficier & Lofficier 2002, p. 28.
  28. ^ Farr 2001, pp. 36, 38; Lofficier & Lofficier 2002, p. 28.
  29. ^ タンタン アメリカへ”. 福音館書店. 2023年5月1日閲覧。
  30. ^ Peeters 1989, p. 36; Farr 2001, p. 29.
  31. ^ Thompson 1991, p. 48; Farr 2001, p. 38.
  32. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 90.

参考文献

外部リンク