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「黒い島のひみつ」の版間の差分

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englishtitle=黒い島のひみつ
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* 1938年(モノクロ版)
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* 1943年(カラー版)
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'''黒い島のひみつ'''([[フランス語]]:L'Île Noire)は、[[ベルギー]]のイラストレーター[[エルジェ]]によって描かれたコミック、[[タンタンの冒険]]シリーズの7目の作品で、公として[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]が登場する。白黒版として[[20世紀子ども新聞]]で1930年代終わり発表さた。こ作品は1943年と1966年も異なるバージョが発表されている。
'''黒い島のひみつ'''くろいしまのひみつ、{{lang-fr|L'Île noire}})は、[[ベルギー]]の漫画家[[エルジェ]]による[[漫画]]([[バンド・デシネ]])、[[タンタンの冒険|タンタンの冒険シリーズ]]の7である。ベルギー保守紙『{{仮リンク|20世紀新聞|en|Le Vingtième Siècle}}』 (Le Vingtième Siècle)の子供向け付録誌『{{仮リンク|20世紀子ども新聞|en|Le Petit Vingtième}}』(Le Petit Vingtième)にて1937年4月から1938年6月ま毎週連載されていた。当初はモノクロであったが1943年に著者本によっカラー化された。ベルギー人の少年[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]が愛犬[[スノーウィ]]と共に、謎飛行機事件巻き込ま、そ真相の調査のため[[イギリス]]へ向かう。最終的犯人一味を追って、[[スコットラド]]に、人食の化け物が住まうという孤島「黒島」の謎を暴いて偽札製造団を壊滅させる。


当初、[[ナチスドイツ]]の拡張主義を風刺することをテーマに東欧を舞台とした作品を構想していたエルジェであったが、一旦後回しにしてイギリスを舞台にした物語に着手した(東欧での冒険は次作『[[オトカル王の杖]]』で描かれる)。推理小説のような巧みなプロットとイギリスという舞台はシリーズでも屈指の人気を誇ったが、一方で批評家の間では批判意見もまま見られた。また、これまでのタンタンは[[ジャーナリスト]]([[報道記者]])として事件を追っていたが、本作より探偵や冒険家として活動するようになる。
フランスでは、''Le Mystère de l'avion gris''(グレーの飛行機のミステリー)として雑誌Coeurs Vaillantsで1937年に初公開されている。


本作は1940年代に始まった[[リーニュクレール]]の技法を用いたシリーズ過去作のカラー化の最初の作品の1つであり、これは1943年に出版された。また、英語版の刊行にあたってイギリスの出版社より、イギリスの描写の修正を要求され、これを受けて1966年に再リメイク版が刊行された。また、1956年のアニメ『[[チンチンの冒険 (テレビアニメ)|エルジェのタンタンの冒険]]』及び、1991年にはカナダのアニメーション製作会社の[[ネルバナ]]とフランスのEllipseによるテレビアニメシリーズ『[[タンタンの冒険 (テレビアニメ)|タンタンの冒険]]』において映像化されている。
== あらすじ ==
[[ベルギー]]の田舎道を散歩中、タンタンと[[スノーウィ]]は一台の[[飛行機]]が不時着するところを目撃する。タンタンはその飛行機が[[ナンバープレート]]をつけてないことを不審に思いつつ、修理を手伝おうと機体に歩み寄ったところ、[[パイロット]]に狙撃されてしまう。その後、病室へ見舞いにやって来た{{読み仮名|国際警察|インターポール}}所属[[刑事]]のデュポンとデュボンから、その飛行機が[[イングランド]]の[[サセックス]]に墜落したという情報を聞き、回復後、自らその件について調査することを決意する。


日本語版は、1968年に[[主婦の友社]]から[[阪田寛夫]]訳で『ブラック島探険』というタイトルで出版されたものが初訳である。日本語版として広く流通している[[福音館書店]]版([[川口恵子 (翻訳家)|川口恵子]]訳)は、1983年にカラー版(1966年版)を底本にして出版された。刊行順序が異なる日本語版においては、本作がシリーズの第1作目であった。
タンタンは、[[オーステンデ]]から[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]に向かうフェリーに乗るため、[[ブリュッセル]]から海岸へ向かう列車に乗車するが、同乗していた2人組の策略で[[暴行]]と[[強盗]]の[[冤罪|濡れ衣]]を着せられ、居合わせたデュポンとデュボンに逮捕されてしまう。タンタンは、2人が眠っている隙を突いて逃亡し、辛くもイングランドに到着するが、列車で濡れ衣を着せた2人組に誘拐され、崖の上から突き落とされかけるも、スノーウィに助けられて事なきを得る。その後、飛行機の墜落現場に残された痕跡から、ミュラー教授という人物の屋敷へたどり着く。この男は、付き添いの運転手であるイワン、列車でタンタンに濡れ衣を着せた首領・ロンゾフと共に、[[ニセ札]]偽造団の一味であった。


== あらすじ ==
タンタンは何度も格闘の末にミュラーとイワンを確保しようとするも、すんでのところで取り逃がしてしまい、必死に追いかける過程で乗り合わせた小型飛行機が[[スコットランド]]の田舎にて墜落し、服がボロボロになってしまう。タンタンは、親切な農民から貸してもらった[[キルト (衣装)|キルト]]を身につけて、ミュラーたちの消息をつかむべくキルトッホという集落を訪れる。タンタンは、集落にある一軒のパブを訪れ、化け物が人間を食っていると言われる奇妙な黒島の話を耳にして、村民からボートを購入し、黒島へと向かう。
[[ベルギー]]の片田舎を散歩していたタンタンは、一台の軽飛行機が不時着する現場に出くわす。その飛行機に不審感を抱きつつ、パイロットを助けようと声を掛けると、突然、彼に拳銃で撃たれ意識を失う。病室で目を覚ましたタンタンは、訪ねてきた旧知のインターポールの刑事{{仮リンク|デュポンとデュボン|en|Thomson and Thompson}}から、タンタンを撃った飛行機は、その後飛び立ったが、イングランドの[[サセックス]]で墜落したと教えられる。回復して退院したタンタンは、この一件を調査することを決意する。


イギリス・[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]行きのフェリーに乗るため、港湾都市[[オーステンデ]]に向かう列車の中で、タンタンは同乗していた2人組の男たちによって暴行と強盗の濡れ衣を着せられてしまう。居合わせたデュポンとデュボンに逮捕されるが、隙を見て逃げ出し、何とかイギリスへとたどり着く。しかし、再び男たちに襲われ、殺されかける。愛犬スノーウィの活躍で助かり、やがてサセックスの墜落現場に到着すると現場を調べる。そこでパイロットのジャケットから破れたメモを見つけ、その情報から精神病院を経営するドイツ人のJ. W. ミュラー博士の邸宅にたどり着く。ミュラーの部下に、命を狙ってきた2人組の男たちもおり、タンタンは彼が今回の一件の犯人だと確信を強めるが、彼らに捕まってしまう。偶然から屋敷が火事になったことでミュラーらは逃げ出し、燃える室内に閉じ込められたタンタンであったが、到着した消防隊に救助される。
島に到着したタンタンは、途中で一匹の[[ゴリラ]]に襲われ、ボートも紛失して危機一髪に陥るが、島を探索した末に、島がロンゾフやミュラー率いるニセ札偽造団のアジトであったことや、噂にあった化け物の正体がそのゴリラであり、ゴリラの名前がランコーで、島に近付く者に恐怖心を抱かせて引き離すためにロンゾフたちが放し飼いしていたことを突き止める。


翌朝、焼け跡を調べるタンタンは、庭で謎の電気ケーブルと赤いビーコンを見つける。これが飛行機に対する合図だと気づいたタンタンは、夜中に装置を作動させる。やってきた飛行機は、合図を見て大きな布袋を落として去り、タンタンがその中身を調べると、それは精巧にできた偽札の束であった。ミュラーらの正体が偽札製造団だと気づいたタンタンは、彼らの行方を追い、何度も近接するが、すんでのところで取り逃がしてしまう。ミュラーらは北上し、最終的には軽飛行機で[[スコットランド]]へと逃れる。自分を捕まえに来たデュポンとデュボンを説得し、共にスコットランドへ向かうタンタンであったが、途中で2人とははぐれてしまった上に、乗った小型飛行機は嵐によってスコットランドの田舎に墜落してしまう。
タンタンは、必死の格闘の末に偽造団一味を倒し、偽造団一味は[[無線機]]でタンタンからの通報を受けて駆け付けた警官たちにより逮捕され、彼らが仕組んだこれまでの犯罪の全てが明るみに出た。一方、ランコーは、タンタンとの格闘の最中に[[腕]]を[[骨折]]しまい、凶暴な性格はすっかり鳴りを潜めていた。飼い主の逮捕で孤独となってしまったその身を案じたタンタンによりキルトッホへ連れ戻された後、ランコーは[[グラスゴー]]の[[動物園]]で新たな人生を歩むのであった。


親切な農民からボロボロになった衣服の代わりに[[キルト]]を貰ったタンタンは、キルトッホという村に着く。そのパブにて、上陸した人間を食ってしまう化け物が住むという、村の沖合にある孤島・黒島の話を聞く。村の漁師は島に行くことを拒否するため、仕方なくタンタンはボートを買い取り、現地へ向かう。島に到着したタンタンは、探索中に一匹のゴリラに襲われ、ボートも無くしてしまい帰る足を失う。やがて、島にある廃城がミュラーら率いる偽札製造団のアジトだと判明し、また上陸後に出くわしたゴリラは、彼らがランコーと名付け、島から人を遠ざけるために放し飼いにしている化け物の正体だとわかる。タンタンは無線で島外に助けを求めつつ、犯人一味を格闘の末に倒し、到着した警官隊によってミュラーらは逮捕される。一方、ランコーは、タンタンとの格闘の最中に腕を骨折してしまい、大人しくなっていた。不憫に思ったタンタンの計らいにより、ランコーは[[グラスゴー]]の動物園に引き取られた。
== 作品の変遷 ==


== 歴史 ==
黒い島のひみつは、フランス語版では、1937年、1943年、1966年の3つの異なるバージョンが出ている<ref>[http://tintinologist.org/articles/blackisland.html History of the Black Island (黒島の歴史)] - Tintinologist.org</ref>。
=== 執筆背景 ===
[[File:Kingkongposter.jpg|thumb|120px|1933年の映画『[[キング・コング (1933年の映画)|キング・コング]]』のポスター。本作に登場したゴリラのランコーは、この[[キングコング]]に影響を受けた。]]


作者の[[エルジェ]](本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『{{仮リンク|20世紀新聞|en|Le Vingtième Siècle}}』(Le Vingtième Siècle)で働いており{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1pp=31–32|2a1=Thompson|2y=1991|2pp=24–25}}、同紙の子供向け付録誌『{{仮リンク|20世紀子ども新聞|en|Le Petit Vingtième}}』(Le Petit Vingtième)の編集とイラストレーターを兼ねていた{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1pp=31–32|2a1=Thompson|2y=1991|2pp=24–25}}。1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]の活躍を描く『[[タンタンの冒険]]』の連載が始まった。初期の3作は社長で教会の[[アベ (カトリック教会の聖職)|アベ]]であった{{仮リンク|ノルベール・ヴァレーズ|en|Norbert Wallez}}によってテーマと舞台が決められていた{{sfnm|1a1=Assouline|1y=2009|1pp=22–23|2a1=Peeters|2y=2012|2pp=34–37}}{{sfnm|1a1=Assouline|1y=2009|1pp=26–29|2a1=Peeters|2y=2012|2pp=45–47}}{{sfn|Thompson|1991|p=46}}。その後、ヴァレーズは解任され、エルジェは一時は辞職も考えたが、昇給とイラストレーターへの専業という好条件で引き留められ、引き続き『20世紀子ども新聞』でタンタンを続けることとなった{{sfnm|1a1=Assouline|1y=2009|1pp=40–41|2a1=Peeters|2y=2012|2pp=67–68}}。
=== 1937年 - 1938年版 ===


第7作目となった本作は、当初[[ナチスドイツ]]の拡張主義を風刺する物語を構想していた{{sfn|Thompson|1991|p=76}}。
最初のバージョンは、1937年4月15日から1938年6月16日にかけて、[[20世紀子ども新聞]]にて白黒の漫画作品として連載されているが、後のバージョンでは、いくつかの場面や台詞が割愛あるいは修正されている。
しかし、白い景色や雪に埋もれた車の夢を見て、次は北方を舞台とすることを思いつき、ナチスの風刺作品は一旦脇において、とりあえず[[グリーンランド]]や[[クロンダイク (ユーコン準州)|クロンダイク]]を候補地とした{{sfn|Thompson|1991|p=76}}。
この結果として本作『黒い島のひみつ』が製作されることになったが、旅の最北地はスコットランド止まりとなり、雪に埋もれた車のアイデアはグリーティングカードに転用された{{sfn|Thompson|1991|p=77}}。
また、当初構想では、今度の敵をヨーロッパの象徴的な建物を破壊する[[アナキズム|無政府主義者]]の集団とするアイデアもあったが、見送られた{{sfn|Goddin|2008|p=7}}。
今作の大部分をイギリスで展開することを決めたエルジェが、同地をよく知るために、[[ロンドン]]や南部の海岸地をごく短期間訪れた。この旅行中に購入したステンレス製の{{仮リンク|ジロット|en|Gillott's}}社のGペン「Inqueduct G-2」は、その後、生涯にわたって使い続けることとなった{{sfn|Goddin|2008|pp=8, 11}}。
エルジェはイギリスを肯定的に描いたが、これは幼少期から{{仮リンク|親英|label=親英家|en|Anglophile}}だった影響もある。イギリスは1831年のベルギー独立を支援し、[[第一次世界大戦]]におけるドイツからのベルギー解放にも貢献した、歴史的な友好国であった{{sfn|Farr|2001|p=71}}。


本作は当初の構想から大きな変更を伴ったものの、悪役を、その後もしばしばシリーズに登場するドイツ人のミュラー博士とすることで、一定の反独感情は残している{{sfn|Thompson|1991|p=77}}{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=40}}。ミュラーは本来、次作『[[オトカル王の杖]]』で登場させる予定であった{{sfn|Thompson|1991|p=77}}。
* タンタンは[[ブリュッセル]]から[[ロンドン]]へ列車で向かい、[[オーステンデ]]は港として触れられていることから、フェリーに乗船したことが推測されている。タンタンがベルギー在住であることは、後のカラー版から明言されている。1966年版では、ブリュッセル経由で[[ケルン]]からロンドンへ向かっている。
偽札製造は当時話題となっていた題材であり{{sfn|Thompson|1991|p=77}}、偽札製造者であるミュラーのモデルは、ナチス政権を支持したスコットランドの贋作者{{仮リンク|ゲオルグ・ベル|de|Georg Bell}}である。エルジェは、1934年2月に急進派雑誌『La Crapouillot』でルーブル紙幣の偽造によってソ連経済に打撃を与えようとした彼のことを知った{{sfn|Farr|2001|p=71}}{{sfn|Farr|2007|p=113}}。
* 崖の上の事件では、タンタンは、ロンゾフと彼の仲間を追っており、銃を持つイワンに撃たれるのみである。タンタンは撃たれるのを防ぐために水に潜っている。
ただ、ミュラーの手下たちにはイワンなど、ロシア人を示唆する名前が与えられている{{sfn|Farr|2001|p=71}}。
* タンタンがパイロットの衣服が木に隠されていたのを発見する場面では、彼は革スーツで結婚に気づき、乗っていた1人が不時着時に負傷したと信じることになる。彼はこれは重要な手がかりであると考えるが、負傷した乗組員は、物語中では触れられていない。
悪党が迷信を流布することでアジトを秘匿するという手法は、よくある物語の型であり、『[[タンタン ソビエトへ]]』でも見られたものであった{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=41}}。
* イワンとミュラーは、2人の機関士を襲った後、その機関車を残していったように描かれている。イワンは驚くが、ミュラーは手がかりを残していったほうがいいということを保証する。
ゴリラのランコーは、当時、大きな話題のあった、映画『[[キング・コング (1933年の映画)|キングコング]]』(1933年)の巨大猿[[キングコング]]と、[[ネス湖]]の[[ネッシー]]がモデルになっている{{sfnm|1a1=Peeters|1y=1989|1p=56|2a1=Thompson|2y=1991|2p=77|3a1=Farr|3y=2001|3p=71|4a1=Peeters|4y=2012|4p=91}}。
また、[[ガストン・ルルー]]による1911年の著作、及びその1913年の映画に登場したゴリラのBalaooもモデルの可能性がある{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=41}}。
また、プロットとテーマは、アルフレッド・ヒッチコックの1935年の映画『[[三十九夜]]』からも影響を受けている。この映画は、[[ジョン・バカン]]の1915年の冒険小説『[[三十九階段]]』を映画化したものであった{{sfn|Peeters|2012|p=91}}。


=== 1943年版 ===
=== オリジナル(1937年-1938年) ===
本作は1937年4月15日から11月16日まで『20世紀子ども新聞』誌上で連載された。当初のタイトルは『Le Mystère De L'Avion Gris(灰色の飛行機の謎)』であった{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|pp=39–40}}。
また、1938年4月17日にはフランスのカトリック系紙『Cœurs Vaillants』にも連載された{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=39}}。
そして完結後の1938年に{{仮リンク|カステルマン|en|Casterman}}社より、『L'Île noire(黒い島)』と改題して、書籍版が出版された{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=39}}。
ただ、特に表紙に自分の名前が載っていなかったなど、この書籍版は全般的に誤りが含まれていたためにエルジェにとって不満の残るものであった{{sfn|Assouline|2009|p=59}}。


オリジナル版時点で、作中にテレビが登場したことは多くの読者を驚かせた。イギリスでは[[英国放送協会]](BBC)が試験放送を開始したばかりの時期であり、ベルギーにテレビが導入されるのは1955年のことであった{{sfn|Peeters|1989|p=56}}。
1943年にはカラー版が出版。これは本来の白黒版と似ているが、いくつかの場面は割愛又は変更されている。主な変更点に、上記のようなものがある<ref>[http://homepages.cwi.nl/~dik/english/TINTIN.html#island Scans from the 1943 colour album] {{de icon}} {{リンク切れ|date=2012年9月25日}}</ref>。最初のバージョンは120ページ分あったが、2番目のバージョンは、戦時の紙不足により、2分の1ほどの62ページとなった。


=== カラー化(1943年)と再リメイク版(1966年) ===
白黒版と同じく、冒頭のコマには散歩するタンタンとスノーウィの写真が記載された新聞記事が描かれており、島のことを含むロンドンからの記事も描かれている。
1940年代から1950年代にかけてエルジェの人気が高まると、エルジェはスタジオのチームと共に、今までのモノクロ版をカラーにリニューアルする作業に着手した。この作業ではエルジェが開発した[[リーニュクレール]]{{efn|[[リーニュクレール]](ligne claire)という名前は、エルジェ自身の命名ではなく、1977年に漫画家の[[:en:Joost Swarte|Joost Swarte]]によって名付けられた{{sfn|Pleban|2006}}。}}の技法が用いられた。本作はこの企画の最初の作品の1つであり、1943年にカステルマン社より当初の124ページから60ページのボリュームに変更されて刊行された{{sfn|Peeters|1989|p=56}}。
カラー化に際し、彩色以外にも大きな改変を伴った過去作とは異なり、本作では大きな描き直しはなかったが{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=39}}、テレビの描写が、未だモノクロしかなかった時代に、[[カラーテレビ]]として描き直されている{{sfn|Farr|2001|p=72}}。


1960年代の頭に、イギリスの出版社である{{仮リンク|メシュエン|en|Methuen Publishing}}は、イギリス市場向けにタンタンシリーズの輸入・翻訳を企画した。この時、イギリスを舞台にした本作について、イギリス人の読者は、その不正確で時代遅れな部分を気にすると考え、メシュエンは131の訂正箇所をリストアップし、エルジェに修正依頼を行った{{sfn|Farr|2001|p=72}}。
=== 1966年版 ===
他にも、(当時として)直近の作品にあたる『[[月世界探険]]』(1954年)や『[[ビーカー教授事件]]』(1956年)などと比べて20年以上前に出版された本作が古臭く感じられてしまうことも念頭にあった{{sfn|Peeters|1989|p=56}}。
当時のエルジェは、第22作目『[[シドニー行き714便]]』の制作に追われており、今のイギリスの社会や文化を調査する時間はなかった。そこで、アシスタントの{{仮リンク|ボブ・ド・ムーア|en|Bob De Moor}}を、1961年10月に現地に派遣し、彼は{{仮リンク|ベイトマンズ|en|Batemans}}や[[ドーバーの白い崖]](ホワイト・クリフ)を訪れ、また衣服や建築物について観察した。
さらにド・ムーアは、正確な描写のために実物の制服も手に入れようとし、イギリス警察より制服を貸与してもらうことに成功したが、一方で[[イギリス国鉄]]への鉄道員服の依頼は社員に怪しまれ、拒否された{{sfnm|1a1=Thompson|1y=1991|1pp=77–78|2a1=Farr|2y=2001|2pp=72, 75|3a1=Peeters|3y=2012|3p=91}}。


[[File:Hawker Siddeley HS-121 Trident 1C, BEA - British European Airways AN2197445.jpg|thumb|1965年版に登場した[[英国欧州航空]][[ホーカー・シドレー トライデント]]の実物写真。]]
『黒い島のひみつ』が英国で1966年に出版が決まった際、エルジェの英国の出版社・[[メシューエン]]は、同作における英国の描写が不十分だとして、エルジェに1960年代に内容を改め、もう一度編集するように依頼した。その結果生まれた改訂版は、現在最も一般的に読むことが可能なバージョンである。


この再リメイク版は1965年6月から12月まで当時のシリーズ掲載誌であった『{{仮リンク|タンタン・マガジン|en|Tintin (magazine)}}』誌に連載され、1966年にカステルマンから書籍版が出版された{{sfn|Peeters|2012|p=293}}。
当時、エルジェのアシスタントであった[[ボブ・ド・ムーア]]は、様々な角度から写真を撮影し、資料を集めるため、英国へ派遣された。ド・ムーアは、スコットランド警察の制服も入手し、終盤のコマでの報道写真でタンタンと写っている制服警官の制服のデザインが変更されており、制服警官たちの名字も、オリジナル版でのオフィサー・エドワーズ、ジョンソン、ライト及びオーレリーから、マクレガー、スチュアート、ロバートソン及びマクラウドと、よりスコットランド風なものに変更されている。
スタジオは、ド・ムーアの取材結果をもとに絵に多くの変更を行ったが{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=39}}、ほとんどはスタッフによって行われ、エルジェ本人が担当した部分はキャラクターだけであった{{sfn|Thompson|1991|p=78}}。
登場人物たちの衣服は再リメイク版当時のものに一新され、警官は銃を携帯していないように直された{{sfn|Farr|2001|p=78}}。列車は、蒸気機関車から、近代的なディーゼル車や電車に置き換えられ{{sfn|Farr|2001|p=77}}、本作に登場した様々な飛行機もスタジオの{{仮リンク|ロジャー・ルルー|en|Roger Leloup}}によってそれぞれ描き直された。{{仮リンク|パーシヴァル プレンティス|en|Percival Prentice}}、[[デ・ハビランド・カナダ DHC-1|チップマンク]]、[[セスナ 150]]、[[デ・ハビランド DH.82 タイガー・モス|タイガー・モス]]、[[英国欧州航空]][[ホーカー・シドレー トライデント]]などであり、これらは当時主流の機体であった{{sfnm|1a1=Thompson|1y=1991|1p=78|2a1=Farr|2y=2001|2p=75}}。
既に西欧ではテレビが普及していたがために、「It's a television set!(これはテレビだ!)」というセリフは「It's only a television set!(ただのテレビだ!)」に置き換えられた。ただ、当時のイギリスではまだカラーテレビが普及しておらず、モノクロテレビに戻った{{sfn|Farr|2001|p=72}}。
また、タンタンが発見した偽札は1ポンドから5ポンド紙幣になった{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=41}}。


他の修正点としては登場する地名などの固有名詞が変更され、パドルコム(Puddlecombe)はリトルゲートに、イーストベリーはイーストダウンに、終盤に登場するパブの店名は「イェ・ドルフィン(Ye Dolphin)」から「ザ・キルトック・アームズ(The Kiltoch Arms)」になった{{sfn|Farr|2001|p=78}}。
それ以外の変更点はそれほど正確でもなかったが、タンタンとスノーウィが乗り込んだ貨物列車に描かれている[[ウィスキー]]のブランドも、スコットランドの実際の商標である[[ジョニー・ウォーカー]]から、『[[タンタンとピカロたち]]』など他のエピソードでもたびたび登場する架空のウィスキー・[[ローモンド湖|ロッホ・ローモンド]]に変更されるなど、シリーズにふさわしいものに修正されている。また、列車も蒸気機関車から[[ベルギー国鉄22形電気機関車|22形電気機関車]]に変更されている。
タンタンのセリフが穏やかなものに修正されている箇所もあり、犯人一味の2人に拳銃を突きつけるシーンでは、オリジナルが「One more step and you're dead!(一歩でも動いてみろ、お前は死ぬぞ)」だったのに対し、「Get back! And put up your hands!(戻れ! 手を上げろ!)」に修正されている{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=41}}。
些細な点としては、作中に登場したウィスキーの広告は、オリジナル版では実在するブランドである[[ジョニー・ウォーカー]]であったが、リメイク版では架空の「ロッホ・ローモンド」に変わり{{sfn|Farr|2001|p=77}}、11ページにはサセックス郡議会の標識が追加された{{sfn|Farr|2001|p=77}}。
また、本来は1963年の『[[カスタフィオーレ夫人の宝石]]』で初登場した2人の記者クリストファーとマルコが、一部シーンの背景に描き加えられている{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=41|2a1=Farr|2y=2001|2p=78}}。


=== その後の出版歴 ===
物語の舞台も、1930年代から60年代に変更されており、自動車や飛行機のモデルも同時代であった1960年代のものに変わっている。消防士の手で引かれた消防用ホースは、[[デニス専門車両|デニス]]の消防車へと変わっている。偽造された1ポンド札も、5ポンド札や50〜100フランと入れ替わっている。
カステルマン社は、1980年に、エルジェ全集の一環としてオリジナルのモノクロ版を出版した{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=40}}。
その後、さらに1986年にオリジナル版の複製版を出版し{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=40}}、1996年には1943年に発行された旧カラー版の複製版も出版した{{sfn|Farr|2001|p=78}}。


日本語版は、1968年に[[阪田寛夫]]訳として[[主婦の友社]]から出版されたものが最初である。タイトルは『ブラック島探険』であり、シリーズ名は『ぼうけんタンタン』であった。シリーズ全24作を全訳した[[福音館書店]]版はカラー版(1966年版)を底本に、1998年に[[川口恵子 (翻訳家)|川口恵子]]訳で出版された。福音館版は順番が原作と異なっており、本作がシリーズの第1作目であった<ref>{{cite web |title=ファラオの葉巻 |url=https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=469 |website=福音館書店 |access-date=2023/5/1}}</ref>。
ミュラーとイワンによってハイジャックされる[[フランス国鉄141R形蒸気機関車|フランス国鉄141R形]]1244号蒸気機関車は、[[イギリス国鉄D16/2形ディーゼル機関車|D16形]]のディーゼル機関車に変えられる。また、タンタンが飛び降りる、貨物列車を引く[[グレート・ウェスタン鉄道6100形蒸気機関車|グレート・ウェスタン鉄道6100形]]6106号蒸気機関車は、[[イギリス国鉄42形ディーゼル機関車|42形]]ディーゼル機関車と変えられている。


== 書評と分析 ==
この作業の多くはド・ムーアによって行われたが、飛行機は[[ロジェ・ルルー]]が担当した<ref name=TintinTheCompleteCompanion>[[マイケル・ファー]]「タンタン:コンプレート・コンパニオン」(ジョン・マレー出版社、2001年)</ref>。また、ミュラーの屋敷の中などの場面では背景がより詳しく描かれ、タンタンの服装も茶色の[[スーツ]]から青いセーターになるなど、他の服装も含めて修正されている。
{{仮リンク|ハリー・トンプソン|en|Harry Thompson}}は、イギリス自体を「少し変わった所(little quaint)」というように描きながら、「これまで欠けたことのない、イギリス人への敬意」というエルジェ自身の考えが本作には表現されているとしている{{sfn|Thompson|1991|p=77}}。
また、芸術面でもコメディ面でも「前作を凌駕している」と評し{{sfn|Thompson|1991|p=79}}、「最も人気のあるタンタンの物語の1つである」と述べている{{sfn|Thompson|1991|p=80}}。
また、荒唐無稽なドタバタ劇は「1920年代のタンタンの最後の輝き」を見いだせるとしつつ{{sfn|Thompson|1991|p=79}}、1966年版を「素晴らしい作品であり、最も美しく描かれたタンタンの1作である」と評している{{sfn|Thompson|1991|p=78}}。
{{仮リンク|マイケル・ファー|en|Michael Farr}}は本作の「特筆すべきクオリティと、特別な人気の高さ」について言及している{{sfn|Farr|2001|p=72}}。
ファーは、オリジナル版において多くの飛行機と、またテレビが登場したことはエルジェの革新性とモダニズムへの関心の表れを示していると指摘した{{sfn|Farr|2001|p=72}}。
また、1943年版と1966年版の違いについても言及し、後者は1960年代のスタジオ・エルジェの芸術的才能を「強く代表するもの」と評しつつ、オリジナルにあった「自発性と詩的な美しさ」が「やたら詳細で、騒々しいほど正確な」イラストに取って代わられ、作品のクオリティが落ちてしまったとも述べている{{sfn|Farr|2001|p=78}}。


Jean-Marc と Randy Lofficierは、本作を「巧妙な(clever)リトル・スリラー」と評し、当時盛況であった探偵小説との共通点が多いとしている{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=42}}。ただ、1966年版については「より巧妙になった(slickness)」ものの、雰囲気が劣化したとし、5点満点中2点とした{{sfnm|1a1=Lofficier|1a2=Lofficier|1y=2002|1p=42}}。
1966年のバージョンでは、暴力的なシーンが修正されており、拳銃を使用する場面も以前の版と比べて削除・修正されている。また、旧版では、タンタンが木の上からミュラーの車に飛び乗る前に銃を持ちながら走っており、警察部隊も偽造団を逮捕する際に武装して描かれていた。
エルジェの伝記を書いた[[ブノワ・ペータース]]は、本作を「純粋な探偵小説」とし、偽造団や飛行機、テレビといった現代要素に、迷信や古城の謎を対比させ、「驚くほどよく構成されている」と評した{{sfn|Peeters|1989|p=55}}。
また、{{仮リンク|デュポンとデュボン|en|Thomson and Thompson}}が絶好調であるように、「ツイストとターンに満ちたアドベンチャー」と評した{{sfn|Peeters|2012|p=91}}。
一方で、1966年版は以前の版より「魅力に欠ける」とも評している{{sfn|Peeters|1989|p=59}}。
特に「近代化という名目で、本当の大虐殺が起こった」と述べ、「新しい黒い島は単なる失敗作ではなく、何度も描き直すことに執着するという、エルジェ・システムの限界の1つを示したのだ」と強く批判した{{sfn|Peeters|2012|pp=293–294}}。


== 翻案 ==
オリジナル版では、タンタンが通過するトラックに向かってジャンプする際にスノーウィーの耳を引っ張ったり、タンタンがミュラーの衝突した車を見に降りるときにスノーウィもうつ伏せで倒れるなど、スノーウィーが悲惨な目に遭うシーンが多かったが、1966年版では、[[BMC・ADO16]]に乗る場面に置き換えられている<ref>http://ftp.cwi.nl/dik/strips/KUIFJE/island.30a.jpg</ref>。
1957年にブリュッセルのアニメーションスタジオ、[[ベルヴィジョン・スタジオ]]による『エルジェのタンタンの冒険』においてアニメ化された(日本語版は『[[チンチンの冒険 (テレビアニメ)|チンチンの冒険]]』)。1話5分、全6話構成のモノクロ作品であり、原作からはかなり改変がなされていた{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=87}}。


1991年から1992年に掛けて放映されたカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによる『{{仮リンク|タンタンの冒険 (テレビアニメ)|label=タンタンの冒険|en|The Adventures of Tintin (TV series)}}』(Les Aventures de Tintin)において映像化された{{sfn|Lofficier|Lofficier|2002|p=90}}。
また、終盤で登場するマスメディアの記者たちの中に、1963年の『[[カスタフィオーレ夫人の宝石]]』にて初登場した「パリ・フラッシュ」誌のバッテリとリゾットの両記者がカメオ出演している。


1992年、イギリスのBBCのラジオ版であるRadio 5にて、ラジオドラマとして放送された。プロデューサーはジョン・ヨーク、タンタンの声をリチャード・ピアース、スノーウィをアンドリュー・サックスが担当した<ref>{{Cite web |url=http://www.tintinologist.org/guides/radio/ |title=The Adventures of Tintin: BBC Radio Adaptations |last=Martin |first=Roland |date=2005-08-28 |website=tintinologist.org |access-date=2017-10-07}}</ref>。
しかし、一部の批評家からは、これらの修正によって漫画元来の魅力が失われているという批判も見受けられた<ref name="TintinTheCompleteCompanion" />。


2010年3月19日、イギリスのテレビ局[[チャンネル4]]は、『ドム・ジョリーと黒い島』と題するドキュメンタリーを放映した。この番組では、タンタンに扮したコメディアンの{{仮リンク|ドム・ジョリー|en|Dom Joly}}が、オステンドからサセックス、最後にスコットランドと、本作におけるタンタンの旅路を追体験するというものであった。ティム・ダウリングは、ガーディアン紙におけるこの番組のレビューにおいて「この番組は楽しくもあり、魅力的でもあり、世界中のタンタンファンへのささやかな贈り物だ。タンタンの専門家(Tintinologist)でも知らない多くのことを、彼や彼女たちがここで学ばないなんて事態を私は恐れる」とコメントしている{{sfn|Dowling|2010}}。
=== カートゥーン・バージョン:1960年代 ===


== 脚注 ==
黒い島のひみつは、1960年代のテレビシリーズ・[[チンチンの冒険 (帯アニメ)|エルジェのタンタンの冒険旅行]]で用いられた作品の1つである。しかし、テレビでは内容が大きく変更された。最も大きな違いは、[[ハドック船長]]と[[ビーカー教授]]が登場することである。原本では、このどちらのキャラクターも未登場である。さらに、ドクター・ミュラーもまた本とは異なる。フェリーと列車は飛行機に変更されている。このエピソードのVHS版は、本のカバーを使用しているが、タンタンの乗った飛行機が墜落するということはなく、そのために彼はずっと普段の服装のままである。
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}


== 参考文献 ==
=== カートゥーン・バージョン:1991年 ===
{{refbegin|30em}}
* {{cite book |title=The Metamorphoses of Tintin, or Tintin for Adults |last=Apostolidès |first=Jean-Marie |others=Jocelyn Hoy (translator) |year=2010 |orig-year=2006 |publisher=Stanford University Press |location=Stanford |isbn=978-0-8047-6031-7 }}
* {{cite book |title=Hergé, the Man Who Created Tintin |last=Assouline |first=Pierre |others=Charles Ruas (translator) |year=2009 |orig-year=1996 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford and New York |isbn=978-0-19-539759-8 }}
* {{cite news |title=Dom Joly and the Black Island |last=Dowling |first=Tim |work=The Guardian |date=19 March 2010 |url=https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2010/mar/19/dom-joly-and-the-black-island-review |access-date=1 January 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20151018083435/http://www.theguardian.com/tv-and-radio/2010/mar/19/dom-joly-and-the-black-island-review |archive-date=18 October 2015 }}
* {{cite book |title=Tintin: The Complete Companion |last=Farr |first=Michael |author-link=Michael Farr |year=2001 |publisher=John Murray |location=London |isbn=978-0-7195-5522-0 }}
* {{cite book |title=The Art of Hergé, Inventor of Tintin: Volume I, 1907–1937 |last=Goddin |first=Philippe |author-link=Philippe Goddin |others=Michael Farr (translator) |year=2008 |publisher=Last Gasp |location=San Francisco |isbn=978-0-86719-706-8 }}
* {{cite book |title=The Black Island |last=Hergé |author-link=Hergé |year=1966 |orig-year=1938 |others=Leslie Lonsdale-Cooper and Michael Turner (translators) |publisher=Egmont |location=London |isbn=978-1-4052-0618-1 |url=https://books.google.com/books?id=iVhFOwAACAAJ }}
* {{cite book |title=The Pocket Essential Tintin |last1=Lofficier |first1=Jean-Marc |last2=Lofficier |first2=Randy |year=2002 |publisher=Pocket Essentials |location=Harpenden, Hertfordshire |isbn=978-1-904048-17-6 }}
* {{cite book |title=Tintin and the Secret of Literature |last=McCarthy |first=Tom |author-link=Tom McCarthy (novelist) |year=2006 |publisher=Granta |location=London |isbn=978-1-86207-831-4 }}
* {{cite book |title=Tintin and the World of Hergé |last=Peeters |first=Benoît |author-link=Benoît Peeters |year=1989 |publisher=Methuen Children's Books |location=London |isbn=978-0-416-14882-4 }}
* {{cite book |title=Hergé: Son of Tintin |last=Peeters |first=Benoît |author-link=Benoît Peeters |others=Tina A. Kover (translator) |year=2012 |orig-year=2002 |publisher=Johns Hopkins University Press |location=Baltimore, Maryland |isbn=978-1-4214-0454-7 }}
* {{cite book |title=Tintin: Hergé and his Creation |last=Thompson |first=Harry |author-link=Harry Thompson |year=1991 |publisher=Hodder and Stoughton |location=London |isbn=978-0-340-52393-3 }}
{{refend}}


== 外部リンク ==
カートゥーン・バージョンでは、さらにストーリーが短くなっている。また、変更点もいくつかある。
*[http://en.tintin.com/albums/show/id/31/page/0/0/the-black-island ''The Black Island''] at the Official Tintin Website
*[http://www.tintinologist.org/guides/books/07blackisland.html ''The Black Island''] at Tintinologist.org
* [http://www.imdb.com/title/tt0837210/ ''The Black Island''], TV-series part 1 at [[IMDb]]
* [http://www.imdb.com/title/tt0837211/ ''The Black Island''], TV-series part 2 at [[IMDb]]


* 原作のイワンは登場しないが、ロンゾフの無名の部下がイワンと命名されている。
* 原作でタンタンは、英国を電力列車で移動しているのに対し、このバージョンでは蒸気機関車を利用している。
* 日本語版のキャスト一覧では、ロンゾフの名前が、単に「あごひげの男」と表記されている。


{{タンタンの冒険}}
== ゆかりの地 ==


* [[ビショップス・ストートフォード駅]]は、タンタンがミュラーとイワンを追って通過する列車の上に飛び降りる駅である。また、[[キャッスルベイ]]と[[キシムル城]]は、キルトッホとベンモア城のモデルとなった。<ref>2010年3月19日に[[チャンネル4]]にて放送された「[[ドン・ジョリー]]と黒島」</ref><ref>1996年、ヴィシャス・マガジンのために書かれたガレン・エウィングによる「黒島の歴史」</ref>

== 当時の時代とのつながり ==

1937年に黒い島のひみつが20世紀子ども新聞で公開されたとき、[[アルフレッド・ヒッチコック]]の[[三十九夜]](警察から追われる身となった無罪の男がスコットランドで真犯人を捜す)や[[キングコング]](ランコー)のようなポピュラーな映画が反映されていた<ref name="TintinTheCompleteCompanion" />。

また、タンタンが地方の古いパブで話している場面も、当時の新聞を飾っていたネス湖の[[ネッシー]]がもととなっている。ロバート・ケネス・ウィルソンの有名な『[[ネッシー#「外科医の写真」とその真相|外科医の写真]]』は新聞で、この3年前に公開されていた。

タンタンが遭遇する偽造団も、様々なところから反映されている。

* ロンゾフの無名の部下たちは、典型的な[[コックニー]]なまりで喋っている。これは、[[聖トリニアンズ・スクール|聖トリニアン]]の[[フラッシュ・ハリー (聖トリニアンズ)|フラッシュ・ハリー]]や[[ダッズ・アーミー]]の[[プライベート・ジョー・ウォーカー|ウォーカー]]に似ている。
* ミュラーの運転手であるイワンの名前は、[[十月革命]]で亡命した[[白軍]]が連想される。
* ミュラーの名前は、ドイツ人である。この名前は、イギリスの経済を不安定にさせようとした[[ナチス・ドイツ]]の秘密諜報員がいくらか連想される。また、ナチスの[[エルンスト・レーム]]の仲間であった探検家[[ゲオルク・ベル]]にも連想され、ロシアの[[ルーブル]]の偽造に関係していた<ref name="TintinTheCompleteCompanion" />。

2010年3月19日、英国のテレビネットワーク、[[チャンネル4]]は、「ドン・ジョリーと黒島」というタイトルのドキュメンタリーを放送し、コメディアンの[[ドン・ジョリー]]が黒い島のひみつの物語を演じた。

== 出典 ==

{{Reflist}}

== 外部リンク ==
*[http://us.tintin.com/adventures/the-black-island/ 黒い島のひみつ] 公式サイト
*[http://www.tintinologist.org/guides/books/07blackisland.html 黒い島のひみつ] Tintinologist.org

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2023年5月6日 (土) 00:24時点における版

黒い島のひみつ
(L'Île noire)
発売日
  • 1938年(モノクロ版)
  • 1943年(カラー版)
  • 1966年(再リメイク版)
シリーズタンタンの冒険シリーズ
出版社カステルマン英語版
制作陣
製作者エルジェ
オリジナル
掲載20世紀子ども新聞英語版
掲載期間1937年4月15日 – 1938年6月16日
言語フランス語
翻訳版
出版社福音館書店
発売日1983年
ISBN978-4-8340-0925-5
翻訳者川口恵子
年表
前作かけた耳 (1937年)
次作オトカル王の杖 (1939年)

黒い島のひみつ』(くろいしまのひみつ、フランス語: L'Île noire)は、ベルギーの漫画家エルジェによる漫画バンド・デシネ)、タンタンの冒険シリーズの7作目である。ベルギーの保守紙『20世紀新聞英語版』 (Le Vingtième Siècle)の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞英語版』(Le Petit Vingtième)にて1937年4月から1938年6月まで毎週連載されていた。当初はモノクロであったが、1943年に著者本人によってカラー化された。ベルギー人の少年タンタンが愛犬スノーウィと共に、謎の飛行機事件に巻き込まれ、その真相の調査のため、イギリスへ向かう。最終的に犯人一味を追って、スコットランドにて、人食いの化け物が住まうという孤島「黒島」の謎を暴いて偽札製造団を壊滅させる。

当初、ナチスドイツの拡張主義を風刺することをテーマに東欧を舞台とした作品を構想していたエルジェであったが、一旦後回しにしてイギリスを舞台にした物語に着手した(東欧での冒険は次作『オトカル王の杖』で描かれる)。推理小説のような巧みなプロットとイギリスという舞台はシリーズでも屈指の人気を誇ったが、一方で批評家の間では批判意見もまま見られた。また、これまでのタンタンはジャーナリスト報道記者)として事件を追っていたが、本作より探偵や冒険家として活動するようになる。

本作は1940年代に始まったリーニュクレールの技法を用いたシリーズ過去作のカラー化の最初の作品の1つであり、これは1943年に出版された。また、英語版の刊行にあたってイギリスの出版社より、イギリスの描写の修正を要求され、これを受けて1966年に再リメイク版が刊行された。また、1956年のアニメ『エルジェのタンタンの冒険』及び、1991年にはカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによるテレビアニメシリーズ『タンタンの冒険』において映像化されている。

日本語版は、1968年に主婦の友社から阪田寛夫訳で『ブラック島探険』というタイトルで出版されたものが初訳である。日本語版として広く流通している福音館書店版(川口恵子訳)は、1983年にカラー版(1966年版)を底本にして出版された。刊行順序が異なる日本語版においては、本作がシリーズの第1作目であった。

あらすじ

ベルギーの片田舎を散歩していたタンタンは、一台の軽飛行機が不時着する現場に出くわす。その飛行機に不審感を抱きつつ、パイロットを助けようと声を掛けると、突然、彼に拳銃で撃たれ意識を失う。病室で目を覚ましたタンタンは、訪ねてきた旧知のインターポールの刑事デュポンとデュボン英語版から、タンタンを撃った飛行機は、その後飛び立ったが、イングランドのサセックスで墜落したと教えられる。回復して退院したタンタンは、この一件を調査することを決意する。

イギリス・ドーバー行きのフェリーに乗るため、港湾都市オーステンデに向かう列車の中で、タンタンは同乗していた2人組の男たちによって暴行と強盗の濡れ衣を着せられてしまう。居合わせたデュポンとデュボンに逮捕されるが、隙を見て逃げ出し、何とかイギリスへとたどり着く。しかし、再び男たちに襲われ、殺されかける。愛犬スノーウィの活躍で助かり、やがてサセックスの墜落現場に到着すると現場を調べる。そこでパイロットのジャケットから破れたメモを見つけ、その情報から精神病院を経営するドイツ人のJ. W. ミュラー博士の邸宅にたどり着く。ミュラーの部下に、命を狙ってきた2人組の男たちもおり、タンタンは彼が今回の一件の犯人だと確信を強めるが、彼らに捕まってしまう。偶然から屋敷が火事になったことでミュラーらは逃げ出し、燃える室内に閉じ込められたタンタンであったが、到着した消防隊に救助される。

翌朝、焼け跡を調べるタンタンは、庭で謎の電気ケーブルと赤いビーコンを見つける。これが飛行機に対する合図だと気づいたタンタンは、夜中に装置を作動させる。やってきた飛行機は、合図を見て大きな布袋を落として去り、タンタンがその中身を調べると、それは精巧にできた偽札の束であった。ミュラーらの正体が偽札製造団だと気づいたタンタンは、彼らの行方を追い、何度も近接するが、すんでのところで取り逃がしてしまう。ミュラーらは北上し、最終的には軽飛行機でスコットランドへと逃れる。自分を捕まえに来たデュポンとデュボンを説得し、共にスコットランドへ向かうタンタンであったが、途中で2人とははぐれてしまった上に、乗った小型飛行機は嵐によってスコットランドの田舎に墜落してしまう。

親切な農民からボロボロになった衣服の代わりにキルトを貰ったタンタンは、キルトッホという村に着く。そのパブにて、上陸した人間を食ってしまう化け物が住むという、村の沖合にある孤島・黒島の話を聞く。村の漁師は島に行くことを拒否するため、仕方なくタンタンはボートを買い取り、現地へ向かう。島に到着したタンタンは、探索中に一匹のゴリラに襲われ、ボートも無くしてしまい帰る足を失う。やがて、島にある廃城がミュラーら率いる偽札製造団のアジトだと判明し、また上陸後に出くわしたゴリラは、彼らがランコーと名付け、島から人を遠ざけるために放し飼いにしている化け物の正体だとわかる。タンタンは無線で島外に助けを求めつつ、犯人一味を格闘の末に倒し、到着した警官隊によってミュラーらは逮捕される。一方、ランコーは、タンタンとの格闘の最中に腕を骨折してしまい、大人しくなっていた。不憫に思ったタンタンの計らいにより、ランコーはグラスゴーの動物園に引き取られた。

歴史

執筆背景

1933年の映画『キング・コング』のポスター。本作に登場したゴリラのランコーは、このキングコングに影響を受けた。

作者のエルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『20世紀新聞英語版』(Le Vingtième Siècle)で働いており[1]、同紙の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞英語版』(Le Petit Vingtième)の編集とイラストレーターを兼ねていた[1]。1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・タンタンの活躍を描く『タンタンの冒険』の連載が始まった。初期の3作は社長で教会のアベであったノルベール・ヴァレーズ英語版によってテーマと舞台が決められていた[2][3][4]。その後、ヴァレーズは解任され、エルジェは一時は辞職も考えたが、昇給とイラストレーターへの専業という好条件で引き留められ、引き続き『20世紀子ども新聞』でタンタンを続けることとなった[5]

第7作目となった本作は、当初ナチスドイツの拡張主義を風刺する物語を構想していた[6]。 しかし、白い景色や雪に埋もれた車の夢を見て、次は北方を舞台とすることを思いつき、ナチスの風刺作品は一旦脇において、とりあえずグリーンランドクロンダイクを候補地とした[6]。 この結果として本作『黒い島のひみつ』が製作されることになったが、旅の最北地はスコットランド止まりとなり、雪に埋もれた車のアイデアはグリーティングカードに転用された[7]。 また、当初構想では、今度の敵をヨーロッパの象徴的な建物を破壊する無政府主義者の集団とするアイデアもあったが、見送られた[8]。 今作の大部分をイギリスで展開することを決めたエルジェが、同地をよく知るために、ロンドンや南部の海岸地をごく短期間訪れた。この旅行中に購入したステンレス製のジロット英語版社のGペン「Inqueduct G-2」は、その後、生涯にわたって使い続けることとなった[9]。 エルジェはイギリスを肯定的に描いたが、これは幼少期から親英家英語版だった影響もある。イギリスは1831年のベルギー独立を支援し、第一次世界大戦におけるドイツからのベルギー解放にも貢献した、歴史的な友好国であった[10]

本作は当初の構想から大きな変更を伴ったものの、悪役を、その後もしばしばシリーズに登場するドイツ人のミュラー博士とすることで、一定の反独感情は残している[7][11]。ミュラーは本来、次作『オトカル王の杖』で登場させる予定であった[7]。 偽札製造は当時話題となっていた題材であり[7]、偽札製造者であるミュラーのモデルは、ナチス政権を支持したスコットランドの贋作者ゲオルグ・ベルドイツ語版である。エルジェは、1934年2月に急進派雑誌『La Crapouillot』でルーブル紙幣の偽造によってソ連経済に打撃を与えようとした彼のことを知った[10][12]。 ただ、ミュラーの手下たちにはイワンなど、ロシア人を示唆する名前が与えられている[10]。 悪党が迷信を流布することでアジトを秘匿するという手法は、よくある物語の型であり、『タンタン ソビエトへ』でも見られたものであった[13]。 ゴリラのランコーは、当時、大きな話題のあった、映画『キングコング』(1933年)の巨大猿キングコングと、ネス湖ネッシーがモデルになっている[14]。 また、ガストン・ルルーによる1911年の著作、及びその1913年の映画に登場したゴリラのBalaooもモデルの可能性がある[13]。 また、プロットとテーマは、アルフレッド・ヒッチコックの1935年の映画『三十九夜』からも影響を受けている。この映画は、ジョン・バカンの1915年の冒険小説『三十九階段』を映画化したものであった[15]

オリジナル版(1937年-1938年)

本作は1937年4月15日から11月16日まで『20世紀子ども新聞』誌上で連載された。当初のタイトルは『Le Mystère De L'Avion Gris(灰色の飛行機の謎)』であった[16]。 また、1938年4月17日にはフランスのカトリック系紙『Cœurs Vaillants』にも連載された[17]。 そして完結後の1938年にカステルマン英語版社より、『L'Île noire(黒い島)』と改題して、書籍版が出版された[17]。 ただ、特に表紙に自分の名前が載っていなかったなど、この書籍版は全般的に誤りが含まれていたためにエルジェにとって不満の残るものであった[18]

オリジナル版時点で、作中にテレビが登場したことは多くの読者を驚かせた。イギリスでは英国放送協会(BBC)が試験放送を開始したばかりの時期であり、ベルギーにテレビが導入されるのは1955年のことであった[19]

カラー化(1943年)と再リメイク版(1966年)

1940年代から1950年代にかけてエルジェの人気が高まると、エルジェはスタジオのチームと共に、今までのモノクロ版をカラーにリニューアルする作業に着手した。この作業ではエルジェが開発したリーニュクレール[注釈 1]の技法が用いられた。本作はこの企画の最初の作品の1つであり、1943年にカステルマン社より当初の124ページから60ページのボリュームに変更されて刊行された[19]。 カラー化に際し、彩色以外にも大きな改変を伴った過去作とは異なり、本作では大きな描き直しはなかったが[17]、テレビの描写が、未だモノクロしかなかった時代に、カラーテレビとして描き直されている[21]

1960年代の頭に、イギリスの出版社であるメシュエン英語版は、イギリス市場向けにタンタンシリーズの輸入・翻訳を企画した。この時、イギリスを舞台にした本作について、イギリス人の読者は、その不正確で時代遅れな部分を気にすると考え、メシュエンは131の訂正箇所をリストアップし、エルジェに修正依頼を行った[21]。 他にも、(当時として)直近の作品にあたる『月世界探険』(1954年)や『ビーカー教授事件』(1956年)などと比べて20年以上前に出版された本作が古臭く感じられてしまうことも念頭にあった[19]。 当時のエルジェは、第22作目『シドニー行き714便』の制作に追われており、今のイギリスの社会や文化を調査する時間はなかった。そこで、アシスタントのボブ・ド・ムーア英語版を、1961年10月に現地に派遣し、彼はベイトマンズ英語版ドーバーの白い崖(ホワイト・クリフ)を訪れ、また衣服や建築物について観察した。 さらにド・ムーアは、正確な描写のために実物の制服も手に入れようとし、イギリス警察より制服を貸与してもらうことに成功したが、一方でイギリス国鉄への鉄道員服の依頼は社員に怪しまれ、拒否された[22]

1965年版に登場した英国欧州航空ホーカー・シドレー トライデントの実物写真。

この再リメイク版は1965年6月から12月まで当時のシリーズ掲載誌であった『タンタン・マガジン英語版』誌に連載され、1966年にカステルマンから書籍版が出版された[23]。 スタジオは、ド・ムーアの取材結果をもとに絵に多くの変更を行ったが[17]、ほとんどはスタッフによって行われ、エルジェ本人が担当した部分はキャラクターだけであった[24]。 登場人物たちの衣服は再リメイク版当時のものに一新され、警官は銃を携帯していないように直された[25]。列車は、蒸気機関車から、近代的なディーゼル車や電車に置き換えられ[26]、本作に登場した様々な飛行機もスタジオのロジャー・ルルー英語版によってそれぞれ描き直された。パーシヴァル プレンティス英語版チップマンクセスナ 150タイガー・モス英国欧州航空ホーカー・シドレー トライデントなどであり、これらは当時主流の機体であった[27]。 既に西欧ではテレビが普及していたがために、「It's a television set!(これはテレビだ!)」というセリフは「It's only a television set!(ただのテレビだ!)」に置き換えられた。ただ、当時のイギリスではまだカラーテレビが普及しておらず、モノクロテレビに戻った[21]。 また、タンタンが発見した偽札は1ポンドから5ポンド紙幣になった[13]

他の修正点としては登場する地名などの固有名詞が変更され、パドルコム(Puddlecombe)はリトルゲートに、イーストベリーはイーストダウンに、終盤に登場するパブの店名は「イェ・ドルフィン(Ye Dolphin)」から「ザ・キルトック・アームズ(The Kiltoch Arms)」になった[25]。 タンタンのセリフが穏やかなものに修正されている箇所もあり、犯人一味の2人に拳銃を突きつけるシーンでは、オリジナルが「One more step and you're dead!(一歩でも動いてみろ、お前は死ぬぞ)」だったのに対し、「Get back! And put up your hands!(戻れ! 手を上げろ!)」に修正されている[13]。 些細な点としては、作中に登場したウィスキーの広告は、オリジナル版では実在するブランドであるジョニー・ウォーカーであったが、リメイク版では架空の「ロッホ・ローモンド」に変わり[26]、11ページにはサセックス郡議会の標識が追加された[26]。 また、本来は1963年の『カスタフィオーレ夫人の宝石』で初登場した2人の記者クリストファーとマルコが、一部シーンの背景に描き加えられている[28]

その後の出版歴

カステルマン社は、1980年に、エルジェ全集の一環としてオリジナルのモノクロ版を出版した[11]。 その後、さらに1986年にオリジナル版の複製版を出版し[11]、1996年には1943年に発行された旧カラー版の複製版も出版した[25]

日本語版は、1968年に阪田寛夫訳として主婦の友社から出版されたものが最初である。タイトルは『ブラック島探険』であり、シリーズ名は『ぼうけんタンタン』であった。シリーズ全24作を全訳した福音館書店版はカラー版(1966年版)を底本に、1998年に川口恵子訳で出版された。福音館版は順番が原作と異なっており、本作がシリーズの第1作目であった[29]

書評と分析

ハリー・トンプソン英語版は、イギリス自体を「少し変わった所(little quaint)」というように描きながら、「これまで欠けたことのない、イギリス人への敬意」というエルジェ自身の考えが本作には表現されているとしている[7]。 また、芸術面でもコメディ面でも「前作を凌駕している」と評し[30]、「最も人気のあるタンタンの物語の1つである」と述べている[31]。 また、荒唐無稽なドタバタ劇は「1920年代のタンタンの最後の輝き」を見いだせるとしつつ[30]、1966年版を「素晴らしい作品であり、最も美しく描かれたタンタンの1作である」と評している[24]マイケル・ファー英語版は本作の「特筆すべきクオリティと、特別な人気の高さ」について言及している[21]。 ファーは、オリジナル版において多くの飛行機と、またテレビが登場したことはエルジェの革新性とモダニズムへの関心の表れを示していると指摘した[21]。 また、1943年版と1966年版の違いについても言及し、後者は1960年代のスタジオ・エルジェの芸術的才能を「強く代表するもの」と評しつつ、オリジナルにあった「自発性と詩的な美しさ」が「やたら詳細で、騒々しいほど正確な」イラストに取って代わられ、作品のクオリティが落ちてしまったとも述べている[25]

Jean-Marc と Randy Lofficierは、本作を「巧妙な(clever)リトル・スリラー」と評し、当時盛況であった探偵小説との共通点が多いとしている[32]。ただ、1966年版については「より巧妙になった(slickness)」ものの、雰囲気が劣化したとし、5点満点中2点とした[32]。 エルジェの伝記を書いたブノワ・ペータースは、本作を「純粋な探偵小説」とし、偽造団や飛行機、テレビといった現代要素に、迷信や古城の謎を対比させ、「驚くほどよく構成されている」と評した[33]。 また、デュポンとデュボン英語版が絶好調であるように、「ツイストとターンに満ちたアドベンチャー」と評した[15]。 一方で、1966年版は以前の版より「魅力に欠ける」とも評している[34]。 特に「近代化という名目で、本当の大虐殺が起こった」と述べ、「新しい黒い島は単なる失敗作ではなく、何度も描き直すことに執着するという、エルジェ・システムの限界の1つを示したのだ」と強く批判した[35]

翻案

1957年にブリュッセルのアニメーションスタジオ、ベルヴィジョン・スタジオによる『エルジェのタンタンの冒険』においてアニメ化された(日本語版は『チンチンの冒険』)。1話5分、全6話構成のモノクロ作品であり、原作からはかなり改変がなされていた[36]

1991年から1992年に掛けて放映されたカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによる『タンタンの冒険英語版』(Les Aventures de Tintin)において映像化された[37]

1992年、イギリスのBBCのラジオ版であるRadio 5にて、ラジオドラマとして放送された。プロデューサーはジョン・ヨーク、タンタンの声をリチャード・ピアース、スノーウィをアンドリュー・サックスが担当した[38]

2010年3月19日、イギリスのテレビ局チャンネル4は、『ドム・ジョリーと黒い島』と題するドキュメンタリーを放映した。この番組では、タンタンに扮したコメディアンのドム・ジョリー英語版が、オステンドからサセックス、最後にスコットランドと、本作におけるタンタンの旅路を追体験するというものであった。ティム・ダウリングは、ガーディアン紙におけるこの番組のレビューにおいて「この番組は楽しくもあり、魅力的でもあり、世界中のタンタンファンへのささやかな贈り物だ。タンタンの専門家(Tintinologist)でも知らない多くのことを、彼や彼女たちがここで学ばないなんて事態を私は恐れる」とコメントしている[39]

脚注

注釈

  1. ^ リーニュクレール(ligne claire)という名前は、エルジェ自身の命名ではなく、1977年に漫画家のJoost Swarteによって名付けられた[20]

出典

  1. ^ a b Peeters 1989, pp. 31–32; Thompson 1991, pp. 24–25.
  2. ^ Assouline 2009, pp. 22–23; Peeters 2012, pp. 34–37.
  3. ^ Assouline 2009, pp. 26–29; Peeters 2012, pp. 45–47.
  4. ^ Thompson 1991, p. 46.
  5. ^ Assouline 2009, pp. 40–41; Peeters 2012, pp. 67–68.
  6. ^ a b Thompson 1991, p. 76.
  7. ^ a b c d e Thompson 1991, p. 77.
  8. ^ Goddin 2008, p. 7.
  9. ^ Goddin 2008, pp. 8, 11.
  10. ^ a b c Farr 2001, p. 71.
  11. ^ a b c Lofficier & Lofficier 2002, p. 40.
  12. ^ Farr 2007, p. 113.
  13. ^ a b c d Lofficier & Lofficier 2002, p. 41.
  14. ^ Peeters 1989, p. 56; Thompson 1991, p. 77; Farr 2001, p. 71; Peeters 2012, p. 91.
  15. ^ a b Peeters 2012, p. 91.
  16. ^ Lofficier & Lofficier 2002, pp. 39–40.
  17. ^ a b c d Lofficier & Lofficier 2002, p. 39.
  18. ^ Assouline 2009, p. 59.
  19. ^ a b c Peeters 1989, p. 56.
  20. ^ Pleban 2006.
  21. ^ a b c d e Farr 2001, p. 72.
  22. ^ Thompson 1991, pp. 77–78; Farr 2001, pp. 72, 75; Peeters 2012, p. 91.
  23. ^ Peeters 2012, p. 293.
  24. ^ a b Thompson 1991, p. 78.
  25. ^ a b c d Farr 2001, p. 78.
  26. ^ a b c Farr 2001, p. 77.
  27. ^ Thompson 1991, p. 78; Farr 2001, p. 75.
  28. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 41; Farr 2001, p. 78.
  29. ^ ファラオの葉巻”. 福音館書店. 2023年5月1日閲覧。
  30. ^ a b Thompson 1991, p. 79.
  31. ^ Thompson 1991, p. 80.
  32. ^ a b Lofficier & Lofficier 2002, p. 42.
  33. ^ Peeters 1989, p. 55.
  34. ^ Peeters 1989, p. 59.
  35. ^ Peeters 2012, pp. 293–294.
  36. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 87.
  37. ^ Lofficier & Lofficier 2002, p. 90.
  38. ^ Martin, Roland (2005年8月28日). “The Adventures of Tintin: BBC Radio Adaptations”. tintinologist.org. 2017年10月7日閲覧。
  39. ^ Dowling 2010.

参考文献

外部リンク