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*朗らかなキャラクターとは裏腹に悪ノリが好きで、リンカーンの収録の際、蛍原が「花粉症がつらい」と話していたのにもかかわらず「じゃあ、窓開けちゃいましょうか」と発言したことがある。 |
*朗らかなキャラクターとは裏腹に悪ノリが好きで、リンカーンの収録の際、蛍原が「花粉症がつらい」と話していたのにもかかわらず「じゃあ、窓開けちゃいましょうか」と発言したことがある。 |
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*[[2010年]][[5月5日]]放送の『[[フットンダ]]』に初登場したときは普段のキャラクターからは想像できない正統派かつ見事なモジりを連発して、すべてのお題で「フットンダ」を達成するという快挙を成し遂げた。 |
*[[2010年]][[5月5日]]放送の『[[フットンダ]]』に初登場したときは普段のキャラクターからは想像できない正統派かつ見事なモジりを連発して、すべてのお題で「フットンダ」を達成するという快挙を成し遂げた。 |
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*天然キャラ、おバカキャラを売りにしているが、文芸雑誌[[ダ・ヴィンチ]]を愛読したり、動物番組である[[ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜]]を好んで視聴する一面もある(『リンカーン』出演時より)。 |
*天然キャラ、おバカキャラを売りにしているが、文芸雑誌[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]を愛読したり、動物番組である[[ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜]]を好んで視聴する一面もある(『リンカーン』出演時より)。 |
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*動物好きで、何故か動物も懐いてくる。魚を調理した際に、魚が暴れたものの、子守唄を歌い、優しくなでるとビックリするほどおとなしくなり、天野から「[[催眠術]]をかけた」「なんなのこいつの力!」と驚かれた。 |
*動物好きで、何故か動物も懐いてくる。魚を調理した際に、魚が暴れたものの、子守唄を歌い、優しくなでるとビックリするほどおとなしくなり、天野から「[[催眠術]]をかけた」「なんなのこいつの力!」と驚かれた。 |
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*事務所の[[チーフ]][[マネージャー]]から「若手芸人はウドから金を貰うな。」と指示が出るくらい太っ腹である。 |
*事務所の[[チーフ]][[マネージャー]]から「若手芸人はウドから金を貰うな。」と指示が出るくらい太っ腹である。 |
2022年12月7日 (水) 21:39時点における版
ウド | |
---|---|
本名 | 鈴木 任紀(すずき ひでき) |
ニックネーム | ウドちゃん、独活野大木 |
生年月日 | 1970年1月19日(54歳) |
出身地 | 日本・山形県東田川郡藤島町(現:鶴岡市) |
血液型 | AB型 |
身長 | 178 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 共通語・庄内弁 |
最終学歴 | 山形県立庄内農業高等学校 |
出身 | TEAM童里夢 |
コンビ名 | キャイ〜ン |
相方 | 天野ひろゆき |
芸風 | 漫才・コント(ボケ) |
立ち位置 | 左 |
事務所 | 浅井企画 |
活動時期 | 1990年 - |
同期 |
千原兄弟 FUJIWARA バッファロー吾郎 なだぎ武 ほか |
現在の代表番組 | ウドちゃんの旅してゴメン |
配偶者 | 既婚 |
ウド 鈴木(ウド すずき、1970年(昭和45年)1月19日 - )は、日本のお笑いタレント。本名は鈴木 任紀(すずき ひでき)。お笑いコンビ・キャイ〜ンのボケ担当。相方は天野ひろゆき。愛称はウドちゃん。
山形県東田川郡藤島町(現:鶴岡市)出身[1]。浅井企画所属。山形県立庄内農業高等学校卒[2]。身長178 cm。体重80 kg。柔道初段。芸名の「ウド」は、名付け親である「夢麻呂」という芸人が「体だけ大きくて何も役に立たないウドの大木だな」と言った事から命名[3]。これにあやかって、後述のポケットビスケッツの結成前には、番組内で「独活野大木」の名義を使用していたこともある。
キャイ〜ンとしてはナインティナインやよゐこなどと同期であるが、ウド個人としては千原兄弟やFUJIWARAなどが同期になる。しかし、あまりにも天野に対する溺愛が凄まじいため、天野を含め天野と同期として扱われている。また、本来後輩である相方・天野はウドを呼び捨てしている[注 1]。
来歴
- 1988年、山形から出てきたウドは浅井企画に飛び込みで面接を受けに行く。門前払いを食ったのだが、何も当てがなく東京に知り合いもいないため、事務所にいた「夢麻呂」という芸人が面倒を見る事となる[4]。その後、夢麻呂座長の劇団「TEAM童里夢」(現:YANKEE STADIUM 20XX)で初舞台に上がる。
- その劇団には岡元あつこもいたため、同じ舞台に上がっていた事もある。
- 「ランドレース」というコンビで活動していたが解散し、1991年にお笑いプロデューサーの山中伊知郎の進言により、天野ひろゆきとともにお笑いコンビ「キャイ〜ン」を結成[5]。ボケを担当。ビートたけしとの共演などで人気が爆発する。関根勤が座長を務めるカンコンキンシアターではキャイ〜ン結成前から注目されていた。
- 1996年10月から2002年3月まで日本テレビ系列にて放送されたバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の番組内にて、ウッチャンナンチャンの内村光良とタレントの千秋とともに、音楽ユニット「ポケットビスケッツ」(このユニット名はウド本人が命名)としても活動。このユニットにて発表された『GREEN MAN』では、メインボーカルをつとめている。2000年に活動休止したが、その後何度か限定的に復活している。
- テレビ番組『香取慎吾の特上!天声慎吾』の企画からドラマ出演が決定。『FACE〜見知らぬ恋人〜』(日本テレビ系列)でドラマデビュー。
- 2002年、映画『ナースのお仕事 ザ・ムービー』に猿渡剛役で出演。
- 2002年11月1日未明に東京・新宿区歌舞伎町の繁華街にて、絡んできた若者と口論の末に殴り合いとなり、書類送検された。友人が相手に危害を加えられたため、やむを得ず実力行使に至ったとされる。
- 単独では2003年から『ウドちゃんの旅してゴメン』(メ〜テレ)に出演。2005年に番組本発売。発売イベントには相方天野が乱入。
- また、2004年より同年プロ野球に参入した東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉創立会員(会員No.10)となった。
- 2006年、ウッチャンナンチャンの内村光良初監督映画『ピーナッツ』に出演。
- 同年4月12日に2歳下のソムリエをしている女性と結婚(入籍)を発表。
- 2007年2月23日、山形県知事(斎藤弘)より山形の観光大使にあたる『おいしい山形大使』に任命される。山形県の特産品のPRのため。
- 2007年4月13日、東京・港区台場フジテレビ本社前の交差点でウドが運転する車で青信号で直進したところ、対面車線から信号無視で右折しようとした車に衝突され、その車を運転していた50代の女性が負傷した。ウドにはケガは無かった。事故発生直後の現場をフジテレビのカメラに中継され、女性の運転席に駆けつけて謝罪するウドの姿が捉えられた。当初、この女性はウド側が信号無視をしたと主張、意見が対立していたが、その後、「前方不注意」だったと主張を覆したために両名ともに書類送検され、5月23日に起訴猶予処分が下された。
エピソード
相方への溺愛[6]
お笑い界一相方を溺愛しており、そのためキャイ〜ンは「芸能界一仲の良いコンビ」と呼ばれる。
- 天野の屁の匂いですらすすんでかぐほど。また、匂いでその日の体調が分かるとの事。
- 天野がウドに「プライベートは別々になろう」と持ちかけたが、それを聞いたウドはものすごい勢いで天野の胸ぐらをつかみ「天野君は僕のこと嫌いなの!?」と泣きながら訴えた(著書『天野く〜ん!』より)。
- 明石家さんまの番組で「天野君に彼女ができて以来、僕に構ってくれなくなって寂しい」と発言した。
- 天野がタバコをくわえるとさっとライターを取り出して火をつけることがある。
- ヤクザとおぼしき人物に「キャイ〜ン、やれよ」と絡まれた時に「天野君と一緒じゃなきゃやりません!」と突っぱねたことがある(『天野く〜ん!』より)。
- ごくたまに、天野に突っ込みをすることがある。しかし叩くのではなく、頭頂部を軽く撫でる。
- 『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2007』では他のお笑い芸人と即席コンビを作るルールにもかかわらず、フィーリングカップル形式で希望の相方を選ぶ際に天野を選んでいた。司会を務めたダウンタウンの浜田雅功ら出演者から「普段の相方を選んだらアカン言うとるやろ!」と突っ込まれても「僕はやっぱり天野君が一番なんです」と言い切り、天野を苦笑いさせていた(なお最終的には、ロンドンブーツ1号2号の田村淳と即席コンビを組んだ)。
- 移動の新幹線でも、席は必ず天野の隣。その際、席を遮る肘掛けが邪魔だと語っている。
- 事務所の社長と大喧嘩して「やめてしまえ!」と言われた時、「今までありがとうございました。天野くんをよろしくお願いします。」と答えた。社長も、自分の人生より天野の心配をしたウドの相方愛に感心し、結局引き止められたという。
- 「もしキャイ〜ンが解散することになったら?」と聞かれ、「(天野と)刺し違えるかも知れない」と答えた。また、「天野に先立たれたらどうする」という問いにも、「刺し違えます!」と答えている(『後を追います』と言いたかったらしい)。いずれにせよ、天野抜きでは芸能生活も、人生すらも考えられない模様。
- 天野と歩いている際に、若い男性に「おい、ウド・天野」と声をかけられたことに対して「天野くんを呼び捨てにするな!」と激怒したことがある。
- 「もしもツアーズ」でどんな美人女優や大物女優が来ても、先に天野に席を譲る。その事で顰蹙を買うが「天野くんが大事だから」と譲らない。
- とあるロケ番組の収録で旅館に宿泊した時、天野と同じ部屋で寝ることになったウドが、もともと離れた状態で敷かれていた布団を天野がいないスキにピッタリ並べて敷き直したことがある。それを見た天野が「冗談やめろよ!」と怒ると、ウドは「冗談なんかじゃないよ!!」と本気で怒ったという。
- 天野がブログを始めた際に、開設して一番初めにブログに書き込みをしたのはウドである。
- 「無人島にひとつだけ持って行くとしたら?」という問いに「天野君」と答えたことがある。
- 天野の誕生日会にて、みんなでサザンオールスターズのDVDを観ていた際、「天野君が桑田佳祐なら僕は原坊だな」と呟いた。
- 天野の誕生日に、自宅の合鍵をプレゼントしたことがある。
- 実は料理の腕前はかなりのもので、リンカーンの企画「リストランテリンカーン」では唯一レギュラーで満場一致で「美味い」と認定されている。いつもなら絶対に残す浜田も含め、全員が完食していた。特にカツオのたたきと麻婆豆腐&スパイシービビンバ丼は絶賛され、カツオのたたきは松本人志と大竹一樹が嫌いな料理にもかかわらず、ウドが作ったマヨネーズのソースにより、克服させたほど。麻婆豆腐&スパイシービビンバ丼はメンバー全員が絶賛し、松本に至っては「人生の最期の食事でもいい」「天才やん」とまで称賛した。実は「天野くんが料理が上手いからそのキャラを僕なんかが潰しちゃいけない」と、その腕前を天野以外のメンバーに内緒にしていたとの事。ちなみに当企画においては料理担当芸人が周囲にアドバイスを受けるのは禁止で、スタッフも相槌すら打たないルールであるが、カラスミパスタを作る際に、ソースの作り方がわからなかったウドは、迷わず調理場を出て、別室のモニターで調理の進行を観察していた天野にアドバイスを受けにいった。しかし酔っ払っていたため、一部アドバイスを忘れてしまっていた。
女性の好み
- 「60代でも若過ぎる」と発言するほどの熟女好きである。テレビ番組の企画で熟女の年齢をピタリと当て、浜田雅功を感心させたことがある。またフジテレビの女子アナの中で一番好きなのは阿部知代である。しかし、年下の女性と結婚したため、事務所の先輩(コサキンら)やウドを知る業界の関係者からは驚かれた[7]。なお、ウド自身は女性のストライクゾーンについて『18歳から灰になるまで』と答えている。
- 「熟女大好き芸人」を取り上げた2008年8月7日深夜放送分の「アメトーーク!」では、普段の滑舌の悪さから一転、流暢に熱く熟女の素晴らしさを語り、他の出演芸人の追随を許さない程の熟女好きを見せ付けた。一番の熟女に加藤治子を挙げ、コーナー立案者の秋山竜次も「僕らとレベルが違う」と唖然としていた。
- 同年10月9日放送分の同番組での「持ち込み企画プレゼンSP」で、アダルトビデオの話題が持ち上がった際には、最近のお気に入りとして「農家のおばさんシリーズ」を挙げ、他の出演者を爆笑させていた。
- ウリナリ!!で共演していたよゐこの濱口優とはよくナンパに行っていたらしく、2000年には、共演者の千秋に渋谷スクランブル交差点で10連敗したとばらされていた。
- 一時期、当時NHKアナウンサーであった久保純子や当時モーニング娘。のメンバーであった市井紗耶香を好きだった時期がある(共にウリナリにて発覚)。特にモー娘。の市井にいたっては自宅にポスターが張ってあり、市井のポスターにキスをして出かける時期もあった。
- 結婚願望が強かった。全国各地に「嫁探しの旅」と称してナンパに繰り出すほか、毎年クリスマスの時期になると、未来の彼女のためにホテルの一室を予約し、自分を追い込んでいた。ちなみにその時の「嫁探しの旅」のVTRを『ザ!情報ツウ』(日本テレビ系)で披露したのが評判よく、ソロ番組『ウドちゃんの旅してゴメン』(メ〜テレ)が始まった。2006年4月に、美人ソムリエとの交際を女性自身によりスクープされ、交際を発表。4月12日めでたく結婚した。独身時代は宵越しの金は持たないといわんばかりに毎日仲間と飲むなど遊び歩いていたが、結婚してからは真っ直ぐ家に帰るようになった。ちなみに結婚を決めるきっかけは、深夜に自宅のトイレが詰まりラバーカップが無いために一緒に出かけていき、数店ハシゴした末にラバーカップを購入、自宅のトイレの詰まりを2人で直したこと、と語った。
- 『ロンドンハーツ』の「抱きたい女芸人」企画では、オアシズの大久保佳代子と、アンケートで回答。コメントは、「(大久保は)世が世なら、マリリン・モンローが嫉妬するセックスシンボルである」。その一方で同番組の「付き合いたい女芸人」企画では大久保の相方の光浦靖子とアンケートで回答しており「壊れそうな靖子さんを支えてあげたい」とコメントしている(ちなみに光浦にとってウドはファーストキスの相手である)。
その他
- 中学生時代は野球部、高校生時代は柔道部に所属(本当はブラスバンド部に入りたかったが、先輩に脅され、やむなく入部したとのこと)[2]。運動神経は意外に良く、水泳もすぐにマスターし、キツイ指導でも1人だけ文句も愚痴も言わず、むしろ周囲にアドバイスを自ら聞くほどだったという。
- 芸能界入り前は平田牧場の営業所で働いていた。しかし、芸能人になりたい夢を叶える為に1年半ほどで退職している。
- 天野とコンビを組む前はピン芸人で、その前は同郷の幼馴染みとランドレースというコンビを組んでいた[8]。
- 相方・天野以外ではずんの飯尾和樹と仲がよく、事務所に入所した時期もほぼ同時期であるため、飯尾からは同期扱いされているが、飯尾は事務所入所以前に劇団に所属していた事があり、本格的ではないが芸能活動していたため、ウドは飯尾を先輩扱いしている。さらにやすは「柔道がものすごく強い」と話しており、ウドも有段者だが「絶対敵いません!」と話した。
- ダウンタウンのファンで、ファンクラブにも入っていた。松本人志と初めて食事する際には、タキシードを着て行ったという。のちに『リンカーン』で共演している。ダウンタウンからは「ウドちゃん」と呼ばれている。さらに収録でフリップを出し間違えた事を電話で浜田に毎回謝るため浜田に「電話せんでええから」と言われた。
- 『ウリナリ!!』「ドーバー海峡横断部」の壮行会で、天野からウドにメッセージと贈り物を渡す時、二人は口づけを交わしている。
- 若い頃は借金癖があり、ありとあらゆるサラ金から借金をしていた。また、『笑っていいとも』のレギュラーの時は、番組終了後にテレクラのサンドイッチマンのアルバイトをしており、日給を貰うとアルバイトしたテレクラで日給を使っていた[9]。
- 内村光良を師匠、出川哲朗を隊長と呼び、どちらも相方の次に慕っている[10]。
- 芸人の町・中野も相方同様に溺愛し、同じカンコンキンシアターの共演者である剛州とずっと住んでいたが、結婚するとあっさり引っ越し、再び周りを驚かせた。
- イメージとは裏腹に、記憶力は大変優れている。2001年に漢字検定2級に合格している[11]。また、1時間で天野の携帯に登録されている電話番号100件を全て覚えた(似たような企画で、卒業アルバムに載っている天野の同級生全員の名前を暗記したことも)。昔は円周率を700ケタほど暗唱できたが、2012年6月29日のスーパーニュースでは、22ケタだけだった[12]。一度しか会っていない番組スタッフの名前と顔を数年後に再会しても憶えている。一方で相方の天野は「自分は数年経つと憶えていないので(冷たい人間と思われて)困ってしまう」と語っている。
- 同番組の企画でセイン・カミュを真似た「セイン・ウミュ」というキャラクターに扮してロケをしていたら、偶然にも近くで他番組のロケをしていたセイン本人に遭遇したことがある。
- 柔道初段の持ち主でもある。田村亮子(現:谷亮子)選手に似ていることを持ちネタにしていたこともあり、キャイ〜ンライブ・カンコンキンシアター等で披露している。
- かなり涙もろく、『リンカーン』の企画で山口智充が用意した数話の泣ける話で、ウドのみ号泣し、涙が止まらない状態になっていた。泣くと鼻水が大量に出る。
- 先輩・後輩関係なく腰が低い。渋谷すばるが自身のラジオで「ウドさんは(悪い事をしていないのに)ずっと謝ってますよね」と語ったところ、共に出演している浅井企画の放送作家が、打ち合わせで遅刻してしまったウドが待ち合わせの喫茶店に慌てて入ってくると、全く関係ない周囲の客に対して「すいません すいません」と謝罪しており「ウドちゃんは憎めない。一度会えばみんながウドちゃんを好きになる」と褒めちぎっていた[13]。
- 絵の才能もあり、漫画のキャラクターを書くのが得意。冠番組「旅ゴメ」ではエンディング時に訪れた地の思い出をクレヨンで描いた絵を披露している。
- 『BISTRO SMAP』に出演した際、以前木村拓哉から貰ったサーフボードを「ヒカルくん」という男性にあげてしまったことでツッコミを入れられていた。この「ヒカルくん」とは、キャイ〜ンのスタイリストの夫で、同コーナーにも遅れて登場した。
- 結婚前、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を飯尾と見に行き、ボロボロ泣く程感動したのだが、映画館を出た直後に飯尾に言った一言は「キャバクラ行きましょう」だった。理由は、東京タワーが見える港区芝〜六本木周辺にキャバクラがたくさんあったから。また昭和45年・山形生まれであるにもかかわらず、昭和30年代の東京を描いた同映画を見て「懐かしい〜」ともらしていたとのこと(飯尾・談)。
- 喫煙者である。
- かなりの酒豪。かつてはビールをガブガブ飲んでいたが、尿酸値が高くなり、痛風の一歩手前までいった事から焼酎にスイッチ。でもガブガブ飲むのは変わらない。どうしてそんなに酒が好きなのか問われた時、しみじみと「酒は裏切りませんからねぇ〜」と答えた[要出典]。「リストランテリンカーン」でも他のメンバーはコース料理や食材のテーマを決めていたが、ウドは「酒に合う料理」であり、作りながらキッチンで食材をつまみにお酒を飲みまくり、収録前にはベロベロであった。飲むと呂律が回らなくなるが普段より愉快になる程度であり、絶対に悪酔いはしない。
- かつて叔父からもらったアウディを愛車にしていたが、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』にてブルドーザーに踏み潰された[14]。その後の愛車キャディラックもピンクに塗装していたのに、『ウリナリ』で「グリーンマン」を発売した時に勝手にグリーンに塗装されてしまったことがある。
- 女芸人光浦靖子のファーストキスの相手はウドであるが、番組の企画の展開上だった。
- すっぱい物が嫌い。『内村さまぁ〜ず』で梅干しとレモンを頬張り、苦悶の表情をする[15]。「レモン」と聞いただけでもどす事もある。また、アップルパイなど、加熱した果物、及びそれを使用した食品も食べられない[16]。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の『食わず嫌い』のコーナーにキャイ〜ンで出演したときは、そのホットアップルパイを嫌いな食べ物として挙げている。理由は小学校の給食でアップルパイを食べたら今まで食べたものを吐いてしまったからである。
- 山形での高校生時代、すれ違った小学生に(何もしていないにもかかわらず)「あっ、バカだ!」といわれた事がある。また、海外で現地の子供がウドの顔を見るなり「Oh, My God!」と叫んだ事がある。事務所の先輩芸人である関根勤やルー大柴からは「(芸人として)ズルい顔」と賞賛されている(顔だけで笑いを取れるから)。なお、外見を馬鹿にされても一度も相手に怒ったり注意したことはない。
- ウリナリ芸能人社交ダンス部では「アミーゴウド」として大活躍。
- 『香取慎吾の特上!天声慎吾』での企画として、1999年4月-6月に放映された土曜ドラマ『蘇える金狼』(主演:香取慎吾)にウドと天野は後ろ姿だけの出演を果たした。エンドロールには二人の本名がクレジットされている。
- 料理は得意だが、カップ麺を作るのに失敗したことがある。
- 高校時代はヤンキー向け車雑誌『ヤングオート』を愛読、クラスで回し読みしていた。『ヤングオート』のインタビューでは"半ヤンキー"だった高校生活を振り返っている。学生時代にいじめられた経験はない。
- 携帯電話のメールは、全て平仮名で書かれているうえに、句読点もあまり打たれていないため、非常に読みづらい。
- 山形県出身だが、普段は流暢に標準語を話す。しかし驚いた際に「じぇ〜!!」と出たことがある。
- フジテレビ木曜時代劇『大奥〜第一章〜』第9話では、徳川家光の家臣の役として一瞬だけ出演したが、声だけか会話なしだった。
- 風船ガムを膨らますことが出来ない。
- 有吉弘行から付けられたあだ名は「バカの押し売り」。
- 2009年4月16日、内村と共に「ザ・テルヨシ&ウド」として『ザ・イロモネア』に出場した(結果はFinalステージ敗退)。ちなみに、番組内では「ウド鈴木」とは別人と言う設定だった。
- 志村けんのだいじょうぶだぁのクイズなんだろなコーナーのドッキリリアクションに出演したことがある。
- 朗らかなキャラクターとは裏腹に悪ノリが好きで、リンカーンの収録の際、蛍原が「花粉症がつらい」と話していたのにもかかわらず「じゃあ、窓開けちゃいましょうか」と発言したことがある。
- 2010年5月5日放送の『フットンダ』に初登場したときは普段のキャラクターからは想像できない正統派かつ見事なモジりを連発して、すべてのお題で「フットンダ」を達成するという快挙を成し遂げた。
- 天然キャラ、おバカキャラを売りにしているが、文芸雑誌ダ・ヴィンチを愛読したり、動物番組であるダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜を好んで視聴する一面もある(『リンカーン』出演時より)。
- 動物好きで、何故か動物も懐いてくる。魚を調理した際に、魚が暴れたものの、子守唄を歌い、優しくなでるとビックリするほどおとなしくなり、天野から「催眠術をかけた」「なんなのこいつの力!」と驚かれた。
- 事務所のチーフマネージャーから「若手芸人はウドから金を貰うな。」と指示が出るくらい太っ腹である。
- 事務所の後輩のANZEN漫才からは「恩人」と呼ばれ、尊敬されている。
- 天野からは「ウド」「ウドちゃん」「お前」と呼ばれている。
- 『YOUは何しに日本へ?』のインタビューを受け同番組に出演した。後ろ姿の金髪から外国人と誤解されたからである。
髪型
- 金髪のモヒカンという非常に特徴的な髪型をしているが、キャイ〜ンとしてデビューした当初までは手入れが簡便なのでパンチパーマであった[17]。ちなみにデビュー当初は黒でその後、赤→緑になって再び黒に戻した後、シルバーと来て今の金髪になった。この赤→緑という流れは、ポケットビスケッツの3rd、4thシングル(Red Angel、GREEN MAN)とシルバーに関しては5thになるはずだったシングル(My Diamond)にあわせてと思われる(ただし、赤くしだしたのはRed Angel発売の後)本当に5thシングルとなった曲(POWER)以降は今の金髪である。
- 前述のモヒカン頭になった理由は「目立つ様に」と、行き付けの床屋の主人が開発したもので、ウドは現在でもその床屋に通っている[18]。また、当時駆け出し芸人のウドから料金を取らなかったが、芸人として売れた今でも料金を取らず、その料金を茶筒に「ウド募金」として入れている[19]。このお金は、ウドがもしも食いっぱぐれた時にあげる事にしている。
- キャイ〜ンを組む前、コサキンに一人で出ていた時に少し髪を伸ばしていた頃があり、そのヘアスタイルをコサキンに訊かれて「ボサノバです」と答え、コサキンに感心されていた[要出典]。
- 本人は芸能界三大金髪芸能人と主張している(他の二人は瀬川瑛子と田村亮)。
出演
コンビの出演はキャイ〜ンを参照。
バラエティ
現在
- ウドちゃんの旅してゴメン(メ〜テレ)
- もしもツアーズ(フジテレビ)
- ちょっと福岡行ってきました!(TVQ九州放送)※不定期
- 大好き♡東北 定禅寺しゃべり亭(NHK仙台放送局)- メイン司会 ※東北ブロック限定番組
- キャイ〜ン ティアチャンネル(YouTube)
- ウドちゃん!げんちゃん!ニコ生ちゃん!!(ニコニコ生放送、隔週木曜または土曜)
- ダケジャナイ仙台(東北放送)※東北地方のJNN系列で毎年3月に放送
- ウド様おねが〜い!!ココロつながるポジティブCATV[20](イッツコム、YouTube) 2021年4月3日 -
過去
- ますこっとたわー(TBS)1991年7月 - 1992年3月
- ウルトラC(TBS) 2002年4月 - 9月
- 週刊プレイガール(テレビ朝日) 2007年10月 - 2008年3月
- すずき(tvk) 2007年10月 - 2008年3月
- 〜遠隔操作バラエティ〜ウドで訊く!(tvk) 2008年4月 - 9月
- ウドちゃんカナちゃん お悩み相談本舗(TOKYO MX) 2012年5月-10月
- 大!天才てれびくん(NHK Eテレ)- 報道部長
- シルシルミシルさんデー(テレビ朝日) - ピンキリ不動産
- モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!(NHK Eテレ)2010年1月17日 - 2015年3月28日
- 発見!タカトシランド(北海道文化放送、2022年4月1日、15日)- 「北24条エリアでイイとこ探し!」「未定」
ドラマ
- FACE〜見知らぬ恋人〜(2001年1月-3月、日本テレビ) - イノ 役
- 月曜ゴールデン 夜の終る時(2007年12月10日、TBS) - 千葉 役
- 裸の大将〜宮崎篇〜宮崎の鬼が笑うので〜(2008年5月24日、フジテレビ) - 鈴木(コソ泥) 役
- ハイパーヨーヨーバーニング(2011年、テレビ東京) - ミスター・ヨー 役
- サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP(2013年12月1日、フジテレビ) - 占い師 役
- 隕石家族(2020年4月11日 - 、フジテレビ) - 林 役
- 明治ドラマスペシャル ずんずん!(2021年4月16日、テレビ朝日) - 牛乳店の助っ人配達員 役
映画
- ドクタースランプ アラレのびっくりバーン(1999年3月6日公開、東映) - ナシババ 役
- ナースのお仕事 ザ・ムービー(2002年5月11日公開、東宝) - 猿渡剛 役
- ピーナッツ(2006年1月28日公開、コムスティック) - スポーツショップの客 役
- GOEMON(2009年5月1日公開、松竹 / ワーナー) - 民衆(台詞ありエキストラ) 役
- ルパンの奇巌城(2011年5月公開、カエルカフェ) - 佐々部教授 役
- 一遍上人(2012年5月公開、カエルカフェ) - 一遍 役(主演)
- それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!(2017年7月、東京テアトル) - いいかげんに城 役
アニメ
吹き替え
舞台
- 作者をせかす六人の主人公たち - バンデス 役
広告・CM
その他
- 13歳のハローワークDS(2008年) - R(アール) 役
- モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!(2010年)
脚注
注釈
- ^ ただし、年齢は同じである。
出典
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.38
- ^ a b 書籍「天野く〜ん」p.60 - 66
- ^ 書籍「天野く〜ん」(マイナビ新書) ISBN 978-4839940393 (p.78 - 79)
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.74 - 75
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.111 - 123
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.16 - 35
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.222 - 223
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.92
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.24 - 26
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.135
- ^ 漢字検定ナビ「その他に関するQ&A」
- ^ “スーパーニュース 2012年6月29日放送回”. gooテレビ (2012年6月29日). 2016年9月24日閲覧。
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.153 - 159
- ^ 踏み潰された車こそ本物の愛車であったが、当然番組上の演出によるものであり、後に弁償という形で同じ型の車が渡されている。
- ^ “内村「この企画、大キライ!」とついに本音漏らす”. livedoorNEWS (2007年4月27日). 2016年9月24日閲覧。
- ^ “番組紹介”. ウドちゃんの旅してゴメン. メ〜テレ. 2016年9月24日閲覧。
- ^ 書籍「天野く〜ん」p.71 - 72
- ^ "ウド鈴木"あげまんヘア"誕生秘話 床屋のおじさんに勝手に刈り上げられ…でも仕事が上向きに". 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 24 January 2022. 2022年1月24日閲覧。
- ^ “「人生が変わる1分間の深イイ話」 2010年2月8日(月)放送内容”. カカクコム (2010年2月8日). 2016年9月24日閲覧。
- ^ “キャイ〜ンウド鈴木&若手芸人で新番組スタート!”. 浅井企画 (2021年4月2日). 2021年4月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ウド鈴木 (@udoudodonguri) - X(旧Twitter)(2013年5月4日 - 5月15日)※旧アカウント
- ウド鈴木 (@udosuzukigold1) - X(旧Twitter)(2016年11月11日 - )