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2022年10月8日 (土) 03:25時点における版
新城市立千郷小学校 | |
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北緯34度53分47.3秒 東経137度28分58.4秒 / 北緯34.896472度 東経137.482889度座標: 北緯34度53分47.3秒 東経137度28分58.4秒 / 北緯34.896472度 東経137.482889度 | |
過去の名称 | 千郷村立千郷小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新城市 |
校訓 | 力いっぱい |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210007300 |
所在地 | 〒441-1341 |
愛知県新城市杉山字前野4-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新城市立千郷小学校(しんしろしりつ ちさとしょうがっこう)は、愛知県新城市にある公立小学校。
概要
- 校区は片山の一部、徳定、豊栄、石田の一部、杉山、野田、市場台、稲木、豊島、川田、城北2丁目、城北3丁目の一部であり、公立中学校に進む場合は新城市立千郷中学校に進学する[1]。
- 旧・南設楽郡千郷村の小学校であった。
沿革
- 1873年(明治6年)
- 1874年(明治7年)4月 - 野田学校から定池村、中村、根古屋村、川田村、稲木村が離脱し、南陽学校を開校する。
- 1876年(明治9年)
- 9月 - 山村学校から東杉山村、西杉山村が離脱し、杉山学校を開校する。
- 12月 - 南陽学校が豊嶋学校に改称する。
- 1878年(明治11年) -
- 野田村、大野田村、中市場村が合併し、野田村となる。
- 定池村、中村、根古屋村が合併し、豊島村となる。
- 山村、臼子村、今出平村が合併し、山村となる。
- 東杉山村と西杉山村が合併し、杉山村となる。
- 1879年(明治12年)8月 - 野田学校が校舎を新築し、移転する。
- 1881年(明治14年)3月 -
- 山村学校が豊栄学校に改称する。
- 杉山学校が杉定学校に改称する。
- 1886年(明治19年)12月 -
- 野田学校が野石学校に改称する。
- 稲木村が野石学校から分離し、稲木学校を開校する。
- 1887年(明治20年)4月 -
- 豊栄学校と杉定学校を統合し、尋常小学杉山学校となる。
- 野石学校、豊嶋学校、稲木学校を統合し、尋常小学野石学校となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 1890年(明治23年)4月 -
- 尋常小学野石学校が校舎を新築し、移転する。
- 尋常小学杉山学校が尋常小学西郷学校に改称する。
- 1892年(明治25年)4月 -
- 尋常小学野石学校に高等科を設置する。同時に千秋尋常高等小学校に改称する。
- 尋常小学西郷学校に高等科を設置する。同時に泰倫尋常高等小学校に改称する。
- 1897年(明治30年)1月 - 泰倫尋常高等小学校の高等科を廃止する。同時に西郷尋常小学校に改称する。
- 1907年(明治39年)-
- 1910年(明治43年)9月 - 豊嶋分教場を設置する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 千郷国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 千郷村立千郷小学校に改称する。
- 1953年(昭和28年) - 校舎を新築する。
- 1955年(昭和30年)4月15日 - 南設楽郡新城町、千郷村、東郷村と八名郡舟着村、八名村と合併し、南設楽郡新城町となる。同時に新城町立千郷小学校に改称する。
- 1958年(昭和33年)11月1日 - 新城町が市制施行し、新城市となる。同時に新城市立千郷小学校に改称する。
- 1964年(昭和39年)3月 - 豊島分校を廃止する。
- 1972年(昭和47年)1月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1979年(昭和54年)2月 - 校舎を増築する。
- 1990年(平成2年)8月 - 校舎を増築する。
- 2006年(平成18年)3月 - 体育館が完成する。
交通アクセス
周辺施設
参考文献
- 新城市誌編集委員会『新城市誌』新城市、1963年、pp. 556-557 645-649 685-694 現在編(附属冊子)pp. 232-241