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2022年10月8日 (土) 03:25時点における版
新城市立東郷東小学校 | |
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北緯34度55分20.5秒 東経137度31分52.8秒 / 北緯34.922361度 東経137.531333度座標: 北緯34度55分20.5秒 東経137度31分52.8秒 / 北緯34.922361度 東経137.531333度 | |
過去の名称 | 東郷村立東郷東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新城市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210007328 |
所在地 | 〒441-1318 |
愛知県新城市八束穂404-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新城市立東郷東小学校(しんしろしりつ とうごうひがししょうがっこう)は、愛知県新城市にある公立小学校。
概要
- 校区は大宮、牛倉、須長、浅谷、出沢、横川(字北山を除く)、大海、有海、八束穂、竹広、川路、緑が丘であり、公立中学校に進む場合は新城市立東郷中学校に進学する[1]。
- 旧・南設楽郡東郷村の小学校であった。
沿革
- 1873年(明治6年)8月 - 浅木村に浅木学校が開校する。
- 1874年(明治7年) - 清井田村に清井田学校が開校する。
- 1875年(明治8年) -
- 清井田学校が欽成学校に改称する。
- 富永村に富永学校が開校する。
- 1877年(明治10年) - 欽成学校が八束穂学校に改称する。
- 1878年(明治11年) - 清井田村、新間村、柳田村、宮脇村、下々村が合併し、八束穂村となる。
- 1881年(明治14年) - 浅木学校が五報学校に改称する。
- 1883年(明治16年) - 富永学校が大倉学校に改称する。
- 1884年(明治17年) - 浅木村と谷下村が合併し、浅谷村となる。
- 1887年(明治20年) -
- 八束穂学校が尋常小学八束穂学校に改称する。
- 大倉学校が尋常小学大宮学校に改称する。
- 尋常小学大宮学校に五報学校が統合される。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 1892年(明治25年) -
- 尋常小学八束穂学校が八束穂尋常小学校に改称する。校区は信楽村のうち八束穂、大海、有海。
- 尋常小学八束穂学校から広路尋常小学校が分離する。校区は信楽村のうち川路、竹広。
- 尋常小学大宮学校が大宮尋常小学校に改称する。校区は石座村のうち富永、大宮、須長、牛倉、出沢。
- 尋常小学大宮学校から浅谷尋常小学校が分離する。校区は石座村のうち浅谷。
- 1902年(明治35年)7月 - 八束穂尋常小学校と広路尋常小学校を統合し、信楽尋常小学校となる。
- 1906年(明治39年)
- 1910年(明治43年) - 高等科を設置する。同時に東郷東尋常高等小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 東郷東国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 東郷村立東郷東小学校に改称する。
- 1953年(昭和28年) - 校舎を新築する。
- 1955年(昭和30年)4月15日 - 南設楽郡新城町、千郷村、東郷村と八名郡舟着村、八名村と合併し、南設楽郡新城町となる。同時に新城町立東郷東小学校に改称する。
- 1957年(昭和32年)4月 - 前年に新城町に編入された横川地区(旧・鳳来町横川のうち字北山を除く地域)が、鳳来町立長篠小学校から新城町立東郷東小学校に移る。
- 1958年(昭和33年)11月1日 - 新城町が市制施行し、新城市となる。同時に新城市立東郷東小学校に改称する。
- 1959年(昭和34年)1月 - 校舎(鉄筋コンクリート造)を新築する。
- 1973年(昭和48年)1月 - 体育館が完成する。
- 1989年(平成元年)2月 - 校舎を増築する。
交通アクセス
周辺施設
参考文献
- 新城市誌編集委員会『新城市誌』新城市、1963年、pp. 556-557 645-649 685-694 現在編(附属冊子)pp. 232-241