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2022年10月8日 (土) 02:13時点における版
小野市立中番小学校 Nakaban elementary school | |
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北緯34度53分02秒 東経134度58分21秒 / 北緯34.88391度 東経134.97246度座標: 北緯34度53分02秒 東経134度58分21秒 / 北緯34.88391度 東経134.97246度 | |
過去の名称 |
中番尋常高等小学校 加東郡下東条村立中番国民学校 加東郡下東条村立中番小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 小野市 |
併合学校 |
河東小学校 西条小学校 小野小学校 |
校訓 | 輝け 未来へ 中番小 |
設立年月日 | 1893年4月 |
創立記念日 | 10月14日 |
共学・別学 | 男女共学 |
小中一貫教育 | 連携型 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B128210004594 |
所在地 | 〒675-1362 |
外部リンク | 小野市立中番小学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
小野市立中番小学校(おのしりつ なかばんしょうがっこう)は、兵庫県小野市にある公立小学校である。通称は「中番小」(なかばんしょう)。
概要
1872年(明治5年)の学制発布までは各村落に寺子屋式の学校があり、父兄の信用に任せて有識者が教授をしていた。学制発布に際して、続々と寺子屋は変じて小学校となる。中番・住吉・菅田・福住・船木・久保木はそれぞれ独立した学校を設けたが、1873年(明治6年)3月に至って、誉田小学校・日進小学校・久保小学校を設け、上等下等の両科を教授した。教育の対面は大きく変わったが創始のことゆえ、その施設・設備及び教授内容は不完全であった。[1]
戦後、1947年(昭和22年)4月に加東郡下東条村立中番小学校と名称され、1954年(昭和29年)12月1日の小野市発足にともない現在の小野市立中番小学校が誕生した。校訓は「輝け 未来へ 中番小」で、百周年お祝いキャッチフレーズとして全校生徒とその保護者の公募により選定された。
沿革
- 1873年(明治6年)3月 - 中番・住吉・菅田・船木は誉傳小学校を、福住は日進小学校を、万勝寺はまた一校を設置[2]
- 1877年(明治10年)8月 - 中番・住吉・菅田は河東小学校に、船木・福住は西条小学校に、万勝寺は小野小学校に通学
- 1893年(明治26年)
- 4月 - 下東条村議会の議決を経て、中番村字森ノ本206番地の仮校舎で開校式を行い、中番小学校として創立・開校 (校区は船木・菅田・中番・福住・住吉・万勝寺)
- 10月 - 中番村字森ノ本206番地にて新校舎が落成し、創立記念式典を挙行
- 1894年(明治27年)
- 3月 - 第1回卒業証書授与式を挙行(卒業生25名)
- 10月 - 創立1周年記念式典を挙行
- 1904年(明治37年)1月 - 全面改築の校舎竣工、落成式を挙行
- 1912年(大正元年)4月 - 中番尋常高等小学校と校名を変更
- 1927年(昭和2年)6月 - 特別教室2教室を増築
- 1933年(昭和8年)10月 - 学級増のため、2教室を増築
- 1941年(昭和16年)4月 - 加東郡下東条村立中番国民学校と校名を変更(初等科・高等科を併設)
- 1947年(昭和22年)4月 - 加東郡下東条村立中番小学校と校名を変更
- 1954年(昭和29年)12月 - 小野市立中番小学校と校名を変更
- 1955年(昭和30年)10月 - 学区変更(船木が小野市立下東条小学校の校区となる)
- 1956年(昭和31年)
- 4月 - 久保木が本校の校区となる(この年度は小野小学校に委託)
- 10月 - 小野市中番町18番地に学校用地確保、校舎移転改築に着手
- 1957年(昭和32年)
- 5月26日 - 校舎落成
- 6月10日 - 校舎供用開始 (工事費1,790万円)
- 1962年(昭和37年)4月 - 講堂完成式(工事費825万円)
- 1968年(昭和43年)5月13日 - 校歌制定(作詞:梶尾栄一校長、作曲:大熊誠元本校職員)[3]
- 1969年(昭和44年)7月 - プール完成(8,705.8m2、工事費613万円)
- 1974年(昭和49年)- 学区変更(万勝寺は下東条小学校へ)
- 1978年(昭和53年)4月 - 学区変更(高山が本校の校区となる)
- 1993年(平成5年)
- 3月 - 第100回卒業証書授与式を挙行(卒業生49名、通計4,818名)
- 11月 - 創立100周年記念式典を挙行、記念誌『百周年 輝け未来へ中番小学校』を発行
- 1996年(平成8年)3月 - 校舎改築に着手
- 1997年(平成9年)
- 2月 - 校舎完成
- 4月 - 体育館改築に着手
- 1998年(平成10年)
- 1月 - 体育館完成、運動場・周辺整備完了
- 3月 - 校舎完成記念式典を挙行
- 2003年(平成15年)6月 - 芝生広場完成
- 2016年(平成28年)4月1日 - 小野市内の全校区で小中一貫校の開始[4]
歴代校長
- 初代:内田敏夫(1893.4~1895.3)
- 2代:藤原禎蔵(1995.4~1898.4)
- 3代:松尾芳松(1898.5~1898.6)
- 4代:河合謹吾(1998.6~1901.3)
- 5代:久下丹治(1901.4~1901.8)
- 6代:山脇鼎三(1901.8~1902.3)
- 7代:谷川栄治郎(1902.4~1908.3)
- 8代:垣田為治郎(1908.4~1921.3)
- 9代:合田常蔵(1921.3~1924.3)
- 10代:藤井栄治郎(1924.3~1931.3)
- 11代:堀内杢治(1931.3~1933.3)
- 12代:三浦松太郎(1933.3~1936.3)
- 13代:飯田太吉(1936.3~1940.3)
- 14代:田中周市(1940.3~1943.4)
- 15代:岸本利一(1943.3~1946.4)
- 16代:丸山定応(1946.4~1947.3)
- 17代:小林信男(1947.4~1950.3)
- 18代:宮崎俊郎(1950.4~1952.3)
- 19代:高橋守一(1952.4~1955.3)
- 20代:藤原新吾(1955.4~1958.3)
- 21代:岩井実(1958.4~1964.3)
- 22代:藤原義治(1964.4~1967.3)
- 23代:梶尾栄一(1967.4~1969.3)
- 24代:前田太良(1969.4~1971.3)
- 25代:藤原守(1971.4~1973.3)
- 26代:永田晃(1973.4~1976.3)
- 27代:黒田虎雄(1976.4~1980.3)
- 28代:是常馨(1980.4~1983.3)
- 29代:坂本純(1983.4~1986.3)
- 30代:松尾卓也(1986.4~1990.3)
- 31代:宮永治美(1990.4~1993.3)
- 32代:三和田修造(1993.4~)[5]
校歌
- 作詞:梶尾栄一
- 作曲:大熊誠
- 制定:1968年(昭和43年)5月13日[3]
学校行事
2018年時点[6]
- 4月 - 着任式、1学期始業式、入学式、離任式
- 5月 - なかよし遠足、運動会
- 6月 - プールびらき
- 7月 - プール納め、1学期終業式
- 8月 - PTA奉仕作業
- 9月 - 2学期始業式、自然学校
- 10月 - 修学旅行
- 11月 - 避難訓練(火災)、個人懇談
- 12月 - 2学期終業式
- 1月 - 3学期始業式、避難訓練(地震)
- 2月 - オープンスクール、おの検定
- 3月 - 卒業証書授与式、修了式
生徒数
- 合計 - 男子、女子、合計132名
(2018年5月1日現在)[7]
校区
進学先中学校
周辺施設
- 小野市立会館コミュニティーセンター下東条
- 小野市水道部 船木浄水場
- 小野警察署菅田駐在所
- 小野住吉簡易郵便局
- 下東条西保育所
- 住吉神社
- 菅田神社
- 夫婦池古墳