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2022年10月8日 (土) 01:49時点における版
名古屋市立港西小学校 | |
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北緯35度5分32.14秒 東経136度51分22.82秒 / 北緯35.0922611度 東経136.8563389度座標: 北緯35度5分32.14秒 東経136度51分22.82秒 / 北緯35.0922611度 東経136.8563389度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001440 |
所在地 | 〒455-0831 |
名古屋市港区十一屋三丁目55[WEB 1] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
名古屋市立港西小学校(なごやしりつ こうせいしょうがっこう)は、名古屋市港区十一屋三丁目にある公立小学校。
歴史
前身は西築地小学校の分教場である[1]。1936年(昭和11年)1月15日の大手小学校の独立に伴い、同校分教場となる[2]。港西尋常小学校として独立したのは、1940年(昭和15年)3月29日のことである[1]。
1951年(昭和26年)には稲永分校、1975年(昭和50年)には汐止分校を設置し、のちに分離している[1]。
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[3]。
1947年(昭和22年) | 341人 | |
1957年(昭和32年) | 1596人 | |
1967年(昭和42年) | 2224人 | |
1977年(昭和52年) | 806人 | |
1987年(昭和62年) | 726人 | |
1997年(平成9年) | 547人 | |
2007年(平成19年) | 410人 | |
2017年(平成29年) | 584人 |
通学区域
所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、港区のうち、十一屋一丁目・十一屋二丁目・十一屋三丁目・宝神町字ぬ・宝神町字り・宝神一丁目・宝神二丁目・宝神四丁目・宝神五丁目の全域および稲永五丁目・神宮寺二丁目・宝神町字葭野・宝神三丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 2]。
また、卒業後の進学先は名古屋市立宝神中学校となっている[WEB 3]。
交通アクセス
名古屋市営バス十一屋停留所が最寄りバス停である[WEB 1]。
脚注
WEB
- ^ a b 名古屋市教育委員会事務局総務部企画経理課企画統計係 (2018年9月18日). “港区の小・中学校一覧”. 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(港区)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月15日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
書籍
- ^ a b c 港区制施行五十周年記念事業実行委員会 1987, p. 393.
- ^ 港区制施行五十周年記念事業実行委員会 1987, p. 392.
- ^ 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 2018, p. 238.
参考文献
- 港区制施行五十周年記念事業実行委員会 編『名古屋市港区誌』港区制五十周年記念事業実行委員会・名古屋市港区役所、1987年10月1日。
- 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 編『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会・名古屋市立小中学校長会、2018年2月15日。