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「羽島市立福寿小学校」の版間の差分

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2022年10月8日 (土) 00:48時点における版

羽島市立福寿小学校
地図北緯35度19分23秒 東経136度41分11秒 / 北緯35.32301度 東経136.68648度 / 35.32301; 136.68648座標: 北緯35度19分23秒 東経136度41分11秒 / 北緯35.32301度 東経136.68648度 / 35.32301; 136.68648
国公私立の別 公立学校
設置者 羽島市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121220900069 ウィキデータを編集
所在地 501-6254
岐阜県羽島市福寿町本郷1096
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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羽島市立福寿小学校 (はしましりつ ふくじゅしょうがっこう)は、岐阜県羽島市にある公立小学校

通学区域

  • 通学区域は福寿町本郷、福寿町浅平、福寿町浅平1-5丁目、福寿町平方、福寿町平方1-13丁目、福寿町間島1-5丁目、福寿町千代田1丁目であり、福寿町のほぼ全域である。公立中学校の進学先は羽島市立竹鼻中学校である[1]

沿革

  • 1873年(明治6年) -
  • 1874年(明治7年) - 正名学校が現在の福寿小学校の場所に移転。
  • 1879年(明治12年) - 正名学校と平方学校が合併、春秋小学校となる。
  • 1886年(明治19年) - 本郷尋常小学校に改称する。
  • 1890年(明治23年) - 平方村に分教場(尋常1年)を設置(翌年廃止)。本郷尋常簡易科小学校に改称する。学区は竹ヶ鼻町間島村島村、本郷村、平方村、浅平村とし、その中に竹鼻尋常簡易科小学校[2]と本郷尋常簡易科小学校の2校を設置。
  • 1891年(明治24年) - 濃尾地震で校舎倒壊。仮校舎で授業再開。
  • 1893年(明治26年)
    • 5月 - 本郷村外三村立本郷尋常小学校に改称する。校区は本郷村、平方村、間島村、浅平村。
    • 12月 - 校舎(木造)が完成。
  • 1895年(明治28年) - 補習科を設置。
  • 1897年(明治30年)
    • 4月1日 - 本郷村、平方村、間島村、浅平村が合併し、福寿村が発足。
    • 12月 - 福寿尋常小学校に改称する。
  • 1906年(明治39年) - 農業補習学校を併設。
  • 1923年(大正12年) - 福寿尋常高等小学校に改称する。
  • 1935年(昭和10年) - 福寿村農業専門学校を併設。
  • 1941年(昭和16年) - 福寿国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) -
    • 福寿村立福寿小学校に改称する。
    • 羽島郡江吉良村、福寿村、堀津村の三ヶ村組合立中部中学校が開設され、中部中学校福寿分校が福寿小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 組合立中部中学校が廃止され、福寿村立福寿中学校が開校。福寿小学校は福寿中学校との併設校となる。
    • 6月 - 竹鼻町立竹鼻中学校、江吉良村立江吉良中学校、福寿村立福寿中学校が統合され、竹鼻町江吉良村福寿村組合立竹鼻中学校が開校。福寿小学校内に竹鼻中学校福寿分教場が設置される。
  • 1949年(昭和24年) - 組合立竹鼻中学校の校舎(木造)が完成し、竹鼻中学校福寿分教場が廃止される。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 正木村足近村小熊村竹ヶ鼻町上中島村下中島村、江吉良村、堀津村、福寿村、桑原村が合併し羽島市が発足。同時に羽島市立福寿小学校に改称する。
  • 1973年(昭和48年) - 屋内運動場が完成。
  • 1978年(昭和53年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 1981年(昭和56年) - 校舎増築
  • 2010年(平成22年) - 新プールが完成[3]
  • 新校舎完成

脚注

  1. ^ 羽島市立学校通学区域
  2. ^ 現・羽島市立竹鼻小学校
  3. ^ 旧プールは1967年完成、2010年解体。

関連項目

外部リンク