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「東彼杵町立彼杵小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 22:27時点における版

東彼杵町立彼杵小学校
東彼杵町立彼杵小学校
地図北緯33度2分15.1秒 東経129度54分54.6秒 / 北緯33.037528度 東経129.915167度 / 33.037528; 129.915167座標: 北緯33度2分15.1秒 東経129度54分54.6秒 / 北緯33.037528度 東経129.915167度 / 33.037528; 129.915167
過去の名称 彼杵小学校
蔵本小学校
公立中等彼杵小学校
尋常彼杵小学校
彼杵尋常小学校
彼杵尋常高等小学校
彼杵町国民学校
彼杵町立彼杵小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東彼杵町
併合学校 東彼杵町立音琴小学校
東彼杵町立大楠小学校
校訓 強く 正しく 朗らかに
設立年月日 1873年明治6年)6月12日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001526 ウィキデータを編集
所在地 859-3808
長崎県東彼杵郡東彼杵町蔵本郷1881番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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東彼杵町立彼杵小学校(ひがしそのぎちょうりつ そのぎしょうがっこう、Higashisonogi Town Sonogi Elementary School)は、長崎県東彼杵郡東彼杵町蔵本郷にある公立小学校

概要

歴史
1873年明治6年)創立。2013年平成25年)に創立140周年を迎えた。
校訓
「強く 正しく 朗らかに」
学校教育目標
「夢に向かって自ら学び共に輝く彼杵っ子」
校章
花弁の絵を背景にして、中央に校名の「彼杵」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は不詳、作曲は山口修造による。歌詞は3番まであり、2番に校名の「そのぎ」が登場する。
校区
「長崎県東彼杵郡東彼杵町」の「小音琴郷、浦、大音琴郷、口木田郷、蔵本郷、金谷、本町、東町、橋ノ詰、赤木、上杉、下三根、山田、樋口、川内、飯盛、法音寺郷、菅無田郷、坂本郷、中尾郷、太ノ原、太ノ浦郷(一部)、遠目郷(一部)」[1]。中学校区は東彼杵町立東彼杵中学校

沿革

  • 1873年明治6年)6月12日 - 彼杵村蔵本の御茶屋跡(現・彼杵神社)に第五大学区長崎県管下第三中学区彼杵郡の小学校として「彼杵小学校」が設置される。
    • 訓導(教諭)は佐藤俊八郎。
  • 1874年(明治7年)- 隣の庄屋跡(現在地)に移転。
  • 1877年(明治10年)- 大音琴郷浜田に音琴分校(ねごと)を設置。
  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡制の施行により、彼杵郡が東西に分割され、東彼杵郡に属することとなる。
  • 1880年(明治13年)12月 - 「蔵本小学校」に改称。大楠小学校を統合し、大楠分校とする。
  • 1881年(明治14年)5月 - 「公立中等彼杵小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)
    • 5月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常彼杵小学校」に改称。大楠分校が分離し「簡易大楠小学校」として独立。
    • 9月 - 大村(現・大村市立大村小学校前)に「長崎県第十一高等小学校」が設置される。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、彼杵村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)
    • 4月 - 「彼杵尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更となる)。
    • 9月 - 長崎県第十一高等小学校が廃止される。
    • 12月15日 - 高等科を併置の上、「彼杵尋常高等小学校」に改称。
  • 1893年(明治26年)- 高等科の併置により児童数が増加したため、校舎を増築。
  • 1896年(明治29年)4月 - 彼杵農業補習学校が併置される。
  • 1900年(明治33年)5月31日 - 彼杵農業補習学校が廃止される。
  • 1903年(明治36年)10月 - 音琴分校が分離し、「音琴尋常小学校」として独立。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
    • 旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
  • 1910年(明治43年)4月2日 - 瓦葺平屋建ての6教室を増築。
  • 1913年(大正2年)4月 - 大楠尋常小学校音琴尋常小学校の2校を統合し、それぞれ大楠分教場(おおぐす)・音琴分教場(ねごと)とする。
  • 1914年(大正3年)3月31日 - 彼杵農業補習学校が再設置される。
  • 1925年(大正14年)3月22日 - 彼杵農業補習学校に商業科が加えられたため、「彼杵実業補習学校」に改称。
  • 1926年(大正15年)7月 - 彼杵実業補習学校が青年訓練所として認定される。
  • 1927年昭和2年)5月27日 - 木造2階建ての校舎が完成。
  • 1934年(昭和9年)12月20日 - 勧学顕彰碑が建立される。
  • 1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、彼杵実業補習学校が「彼杵青年学校」に改称。
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 彼杵村が町制施行により彼杵町となる。これに伴い彼杵町立の小学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「彼杵町国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1944年(昭和19年)3月31日 - 併設の彼杵青年学校が「彼杵高等実業青年学校」として独立。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 彼杵国民学校の初等科が改組され、「彼杵町立彼杵小学校」となる(児童数1,024名)。分教場を分校に改称(大楠分校・音琴分校)。
    • 彼杵国民学校の高等科と彼杵青年学校の普通科が改組され、新制中学校彼杵町立彼杵中学校」が発足。小学校に併設される。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 大楠分校が独立し、「彼杵町立大楠小学校」として独立。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 音琴分校が独立し、「彼杵町立音琴小学校」として独立。
  • 1955年(昭和30年)2月 - 育友会により、彼杵町川内郷長葉山674番地に学校林を植林。
  • 1959年(昭和34年)5月1日 - 彼杵町と千綿村が合併し、東彼杵町が発足。これに伴い「東彼杵町立彼杵小学校」(現校名)に改称。
  • 1963年(昭和38年)4月22日 - 給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)2月 - 鉄筋コンクリート造2階(一部3階)建て校舎(8教室)、木造平屋建1棟などが完成。
  • 1973年(昭和48年)- 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1984年(昭和59年)
    • 2月 - 鉄筋コンクリート造3階立ての新校舎と体育館が完成。
    • 3月 - 運動場が完成。
    • 8月 - 東校舎を改修。
  • 1999年(平成11年)3月 - 校旗を新調。
  • 2002年(平成14年)1月 - 学校評議員制度を導入。
  • 2005年(平成17年)3月 - プールが完成。
  • 2009年(平成21年)9月 - 校舎の耐震化工事を完了。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月1日 - 午前中5時間制を導入。
    • 6月 - 校庭の全面芝生化を実施。
  • 2016年(平成28年)4月1日 - 東彼杵町立大楠小学校東彼杵町立音琴小学校の2校を統合。

著名な卒業生

アクセス

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

脚注

  1. ^ 大楠小学校と音琴小学校を統合する前は「蔵本、金谷、本町、東町、橋ノ詰、赤木、上杉、下三根、山田、樋口、川内、飯盛」地区であった

参考文献

  • 「東彼杵町誌 水と緑と道」巻(1999年(平成11年)11月1日、東彼杵町教育委員会)p.1064 -(明治から昭和初期)
  • 「東彼杵町誌 水と緑と道」巻(1999年(平成11年)11月1日、東彼杵町教育委員会)p.218 - (戦後から現在)

関連事項

外部リンク