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「対馬市立南小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 20:13時点における版

対馬市立南小学校
地図北緯34度21分28.98秒 東経129度15分36.288秒 / 北緯34.3580500度 東経129.26008000度 / 34.3580500; 129.26008000座標: 北緯34度21分28.98秒 東経129度15分36.288秒 / 北緯34.3580500度 東経129.26008000度 / 34.3580500; 129.26008000
過去の名称 豊玉村立南小学校
豊玉町立南小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 対馬市
併合学校 豊玉村立唐洲小学校
豊玉村立加藤小学校
設立年月日 1971年(昭和46年)4月1日
閉校年月日 2022年(令和4年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002605 ウィキデータを編集
所在地 817-1245
長崎県対馬市豊玉町唐洲423番地
(旧・対馬市立加志々中学校 校舎)
(2012年(平成24年)4月1日から)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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旧校舎(北緯34度21分22.9秒 東経129度15分48.5秒 / 北緯34.356361度 東経129.263472度 / 34.356361; 129.263472 (旧・対馬市立南小学校)

対馬市立南小学校(つしましりつ みなみしょうがっこう, Tsushima City Minami Elementary School)は、長崎県対馬市豊玉町 [1]唐洲(からす)にあった公立小学校

2022年令和4年)3月末をもって閉校し、対馬市立豊玉小学校に統合された[2]

概要

歴史
1971年昭和46年)に当時の豊玉村にあった小学校2校を統合して開校した。2011年平成23年)に創立40周年を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって閉校し、50年の歴史に幕を下ろした。
校章
中央に校名の「南小」の文字(縦書き)を置く。
校歌
作詞は安田矯助、作曲は竹島勉による。歌詞は3番まであり、各番とも校名の「わが南」で終わる。
校区
住所表記で対馬市豊玉町[1]の後に「貝口(かいぐち)、東加藤(ひがしかとう)、水崎(みずさき)、加志々(かしし)、唐洲(からす)、廻(まわり)」が続く地区[3][4]
中学校区は対馬市立豊玉中学校

沿革

旧・唐洲小学校(からす)
  • 1874年明治7年)
    • 6月1日 - 「第五大学区第四中学区[5](大船越学区)唐洲小学校」、「第五大学区第四中学区貝口小学校」の開校が文部省によって正式に認可される。
    • 8月 - 「第五大学区第四中学区廻小学校」が開校。
  • 1875年(明治8年)3月4日 - 以上3学校が第五大学区第四中学区仁位小学校の分校となる。「唐洲分校」、「貝口分校」、「廻分校」
  • 1882年(明治15年)- 「仁位学区公立中等仁位小学校下等唐洲分校」、「下等貝口分校」、「下等廻分校」に改称。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令により、中等科・初等科を廃止の上、簡易科を設置し、「卯麦学区学区簡易唐洲小学校」、「簡易貝口小学校」、「簡易廻小学校」に改称。
  • 1891年(明治24年)9月1日 - 尋常科(修業年限4ヶ年)を設置の上、「卯麦学区尋常唐洲小学校」、「尋常貝口小学校」、「尋常廻小学校」に改称。教育勅語を下賜[6]
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 校名を「唐洲尋常小学校」、「貝口尋常小学校」、「廻尋常小学校」に改称(「尋常」の位置を変更)。
  • 1895年(明治28年)- 補習科を併置。
  • 1901年(明治34年)4月 - 貝口尋常小学校が廻尋常小学校に統合され、廻尋常小学校貝口分教場となる。
  • 1902年(明治35年)11月 - 廻尋常小学校に農業補習学校を併置。
  • 1903年(明治36年)3月 - 補習科を廃止。
  • 1907年(明治40年)7月 - 貝口分教場が廻尋常小学校から分離し、「貝口尋常小学校」(再)として独立。
  • 1908年(明治41年)4月 - 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年まで延長。これに伴い、尋常科5年を設置。下県郡奴加岳村が発足し、その所管となる。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
  • 1915年大正4年)4月 - 貝口尋常小学校に農業補習学校を併置。
  • 1916年(大正5年)
    • 4月 - 廻尋常小学校と貝口尋常小学校を唐洲尋常小学校に統合し、廻分教場・貝口分教場とする。
    • 6月 - 唐洲農業補習学校を併置。(後に青年訓練認定となる)
  • 1917年(大正6年)
    • 3月 - 廻分教場を廃止。
    • 4月 - 高等科を併置し、「唐洲尋常高等小学校」に改称。
    • 11月 - 新校舎へ移転。
  • 1935年(昭和10年)10月 - 校舎を増築。
  • 1939年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の青年訓練認定唐洲農業補習学校が唐洲青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「奴加岳村立唐洲国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
    • 旧・唐洲国民学校の初等科が改組され、「奴加岳村立唐洲小学校」となる。
    • 旧・唐洲国民学校の高等科および旧・唐洲青年学校が改組され、奴加岳村立唐洲中学校となり小学校に併設。小学校と旧青年学校を仮校舎として使用。
  • 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳[7]村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立唐洲小学校」に改称。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 豊玉村立唐洲中学校が移転の上、豊玉村立加志々中学校として独立したため、併設を解消し単独校となる。
  • 1963年(昭和38年)3月28日 - へき地集会所(講堂)が完成。
  • 1965年(昭和40年)4月10日 - 給食室が完成。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 1教室を増築。
  • 1971年(昭和46年)3月31日 - 統合のため閉校。
旧・加藤小学校(かとう)
  • 1918年(大正7年)5月 - 「嵯峨尋常小学校[8]加藤分教場」として開校。
  • 1921年(大正10年)5月 - 「嵯峨尋常高等小学校加藤分教場」に改称。
  • 1925年(大正14年)3月 - 校舎を改築。同運動場を拡張。
  • 1935年(昭和10年)5月 - 運動場を拡張。
  • 1938年(昭和13年)7月 - 加藤分教場の校舎を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「仁位村立嵯峨国民学校加藤分教場」に改称。尋常科を初等科に改称。
  • 1944年(昭和19年)3月 - 嵯峨国民学校から分離の上、「仁位村立加藤国民学校」として独立。
  • 1947年(昭和22年)4月1日
    • 学制改革(六・三制の実施)により、旧・加藤国民学校の初等科が改組され、「仁位村立加藤小学校」となる。
    • 仁位村立唐洲小学校より小学5・6年生の依託を受ける。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月20日 - 仁位村と奴加岳[7]村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立加藤小学校」に改称。
    • 7月 - へき地集会所(講堂)が完成。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月 - 運動場を拡張。
    • 4月 - 給食室が完成し、ミルク給食を開始。
  • 1971年(昭和46年)3月31日 - 統合のため閉校。
南小学校
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 豊玉村立小学校2校(唐洲・加藤)を統合し、「豊玉村立南小学校」が開校。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月10日 - 新校舎が完成。
    • 5月 - 豊玉村立学校給食南部調理場が設置される。
    • 12月 - へき地集会所(講堂)が完成。
  • 1975年(昭和50年)
    • 2月 - 校歌・校章を制定。
    • 4月1日 - 豊玉村の町制施行により、「豊玉町立南小学校」に改称。
  • 1978年(昭和53年)5月1日 - 自家用水道が完成。
  • 1981年(昭和56年)3月24日 - 校庭にツツジ31本を植樹。
  • 1982年(昭和57年)2月25日 - 運動場に40本を植樹。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立南小学校」(現校名)となる。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 対馬市立加志々中学校の閉校により、中学校区が対馬市立豊玉中学校となる。
  • 2012年(平成24年)4月1日 - 唐洲331番地から423番地(旧・対馬市立加志々中学校の校舎)へ移転[9]
  • 2022年(令和4年)

アクセス

最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

参考文献

脚注

  1. ^ a b 対馬市発足前は「とよたまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「とよたままち」と読まれるようになった。
  2. ^ a b 広報つしま2021年10月号p.2「最後の運動会を満喫」 (PDF) - 対馬市ウェブサイト
  3. ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
  4. ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照。
  5. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二学区、旧島原藩が第三学区、旧平戸藩が第四学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐対馬は第四中学区に属した。
  6. ^ 読みは「かし」。意味は「目上の者から受け取ること」。
  7. ^ a b 読みは「ぬかだけ」。
  8. ^ 嵯峨尋常小学校は、「嵯峨尋常高等小学校」、「仁位村立嵯峨国民学校」、「仁位村立嵯峨小学校」、「豊玉村立嵯峨小学校」と改称を重ねた後、1974年(昭和49年)4月に豊玉村立仁位小学校・豊玉村立鈴江小学校の2校と統合され、「豊玉村立豊玉小学校」となった。
  9. ^ 定例教育委員会(2012年(平成24年)3月)(PDF) - 長崎市ウェブサイト
  10. ^ 対馬唐洲の大ソテツ - 長崎県ウェブサイト

関連項目