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2022年10月7日 (金) 07:32時点における版
札幌市立信濃中学校 | |
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北緯43度02分11秒 東経141度27分35秒 / 北緯43.0364度 東経141.4597度座標: 北緯43度02分11秒 東経141度27分35秒 / 北緯43.0364度 東経141.4597度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 札幌市 |
設立年月日 | 1947年5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C101210845015 |
中学校コード | 010039 |
所在地 | 〒004-0053 |
北海道札幌市厚別区厚別中央3条2丁目3-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
札幌市立信濃中学校(さっぽろしりつしなのちゅうがっこう)は、札幌市厚別区にある公立の中学校である。
沿革
- 1947年(昭和22年)5月1日 - 白石村立信濃中学校として開校、信濃小学校に併置、5学級生徒数248名。初代長澤栄校長着任。職員10名(当時はまだ札幌と合併しておらず白石村であった。)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)10月1日 - 校舎新築落成式挙行。信濃小学校東側へ併置、建築費の半額を同校校舎建築期成会が負担。
- 1950年(昭和25年)
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 東米里分校が独立、札幌市立東米里中学校となる(2011年3月に閉校、米里中学校に統合)。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1973年(昭和48年)12月7日 - 4階建て鉄筋校舎落成。
- 1975年(昭和50年)3月26日 - 札幌市立もみじ台中学校新設により生徒転籍(182名)。
- 1979年(昭和54年)3月24日 - 札幌市立北都中学校新設に伴い生徒転籍(19名)。
- 1982年(昭和57年)3月24日 - 札幌市立青葉中学校新設に伴い生徒転籍(272名)。
- 1984年(昭和59年)3月24日 - 札幌市立厚別中学校新設に伴い生徒転籍(272名)。
- 1985年(昭和60年)1月18日 - 新校舎完成、移転。
- 1988年(昭和63年)3月25日 - 札幌市立厚別南中学校新設に伴い生徒転籍(360名)。
- 1989年(平成元年)11月6日 - 厚別区誕生(白石区より分区)、本校住所表記変更。
- 1998年(平成10年)3月26日 - 札幌市立厚別北中学校新設に伴い生徒転籍(179名)。
教育目標
- 深く考える生徒 (知)
- 豊かな心で実践する生徒 (徳)
- 強くたくましい生徒 (体)
交通
- 札幌市営地下鉄東西線 ひばりが丘駅下車 徒歩8分
- ジェイ・アール北海道バス、北海道中央バス、夕張鉄道 旭町停留所下車 徒歩3分
- 函館本線厚別駅下車 徒歩15分
出身者
- 稲田勝 - スケルトン選手
- 佐藤兼伊知 - プロ野球選手・コーチ(千葉ロッテマリーンズ所属)
- 菅原浩志 - 映画監督、プロデューサー、脚本家
- 水口哲也 - ゲームプロデューサー
- 山本大貴 - プロ野球選手(千葉ロッテマリーンズ所属)
- 鷲田小弥太 - 哲学者、札幌大学名誉教授