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{{別人|x1=ラグビー選手の|中田翔太}}
{{Infobox baseball player
{{Infobox baseball player
| 選手名 = 中田 翔
| 選手名 = 中田 翔
| 所属球団 = 読売ジャイア
| 所属球団 = 中日ドラゴ
| 背番号 = 10
| 役職 =
| 背番号 = 6
| 画像 = Giants_Sho_Nakata_20220311.jpg
| 画像 = Chunichi Dragons Sho Nakata 20240420.jpg
| 画像サイズ = 280
| 画像サイズ =
| 画像説明 = 2022年3月11日、[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]にて
| 画像説明 = 2024年4月20日 [[阪神甲子園球場]]
| 国籍 = {{JPN}}
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| 出身地 = [[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]
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| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2007}}
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| ドラフト順位 = 高校生ドラフト1巡目
| ドラフト順位 = 高校生ドラフト1巡目
| 初出場 = 2009年5月23日
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| 最終出場 =
| 最終出場 =
| 年俸 = 15000万(2022年)<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/team/koukai-giants.html |title=巨人 - 契約更改 - プロ野球 |publisher=日刊スポーツ |date= |accessdate=2021-12-07}}</ref>
| 年俸 = 3億円(2025年)<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/team/koukai-dragons.html |title=中日 - 契約更改 - プロ野球 |website=日刊スポーツ |date= |accessdate=2024-11-09}}</ref>※2024年から2年契約
| 経歴 =
| 経歴 =
* [[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高等学校]]
* [[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高等学校]]
* [[北海道日本ハムファイターズ]] (2008 - 2021)
* [[北海道日本ハムファイターズ]] (2008 - 2021)
* [[読売ジャイアンツ]] (2021 - )
* [[読売ジャイアンツ]] (2021 - 2023)
* [[中日ドラゴンズ]] (2024 - )
| 代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本代表]]
| 代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本]]
| WBC = [[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|2013年]]、[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017年]]
| WBC = [[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|2013年]]、[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017年]]
| プレミア12 = [[2015 WBSCプレミア12|2015年]]
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{{MedalTableTop}}
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'''中田 翔'''(なかた しょう、[[1989年]][[4月22日]] - )は、[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]出身の[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])。右投右打。[[読売ジャイア]]所属。
'''中田 翔'''(なかた しょう、[[1989年]][[4月22日]] - )は、[[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]出身の[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])。右投右打。[[中日ドラゴ]]所属。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
[[広島市立竹屋小学校]]3年から広島鯉城リトルで[[捕手]]として野球を始める<ref name="sponichiprofile">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2007/draft/profile/highschool/nakata.html |title=中田 翔 |publisher=スポニチ Sponichi Annex |date= |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071014011741/http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2007/draft/profile/highschool/nakata.html |archivedate=2007-10-14}}</ref><ref name="nikkansports_profile">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/team/fighters/nakata/top-nakata.html |title=中田翔特集 |publisher=日刊スポーツ |date= |accessdate=2021-08-21}}</ref>。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51[[本塁打]]。[[広島市立国泰寺中学校]]3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、米国遠征で4本塁打を打ちMVPに輝き、世界大会準優勝の原動力となる{{R|nikkansports_profile}}。[[投手]]としても141km/hを計測した。中3時にイベントで訪れた[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]・[[山本樹]]投手と勝負して3打数2安打<ref name="flash200743">{{Cite journal |和書 |date=2007–4–3 |title=THE・対決!『優等生』斎藤佑樹vs.『悪童』中田翔 |journal=FLASH |issue= |publisher=光文社 |pages=73–75}}</ref>、シニアの県大会で[[御建公園野球場]]で打った場外本塁打は、隣接する御建神社の屋根を破壊し、神社から弁償を請求された推定170m弾だったといわれる{{R|flash200743}}。広島で過ごした少年時代は、当時の[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]でプロ野球選手になる夢を抱いた[[広島東洋カープ]]ファンだった{{R|flash200743}}<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140603-1311442.html |title=ハム中田、元祖カープ男子だ!大爆発宣言 |publisher=日刊スポーツ |date=2014-06-03 |accessdate=2021-08-16}}</ref>。子供の頃の実家の近所に[[緒方孝市]]宅があり、家に押しかけてサインをもらったこともある<ref>{{Cite web |url=https://archive.fo/20161030090029/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161030-OHT1T50063.html |title=【日本ハム】中田手記…人生初の日本一、憧れの緒方監督率いるカープ倒してつかんだ栄冠 |publisher=スポーツ報知 |date=2016-10-30 |accessdate=2021-08-24}}</ref>。
[[広島市立竹屋小学校]]3年から広島鯉城リトルで[[捕手]]として野球を始める<ref name="sponichiprofile">{{Cite web ja |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2007/draft/profile/highschool/nakata.html |title=中田 翔 |website=スポニチ Sponichi Annex |date= |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071014011741/http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2007/draft/profile/highschool/nakata.html |archivedate=2007-10-14}}</ref><ref name="nikkansports_profile">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/team/fighters/nakata/top-nakata.html |title=中田翔特集 |website=日刊スポーツ |date= |accessdate=2021-08-21}}</ref>。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51[[本塁打]]。[[広島市立国泰寺中学校]]3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、米国遠征で4本塁打を打ちMVPに輝き、世界大会準優勝の原動力となる{{R|nikkansports_profile}}。[[投手]]としても141km/hを計測した。中3時にイベントで訪れた[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]・[[山本樹]]投手と勝負して3打数2安打<ref name="flash200743">{{Cite journal |和書 |date=2007?4?3 |title=THE・対決!『優等生』斎藤佑樹vs.『悪童』中田翔 |journal=FLASH |issue= |publisher=光文社 |pages=73?75}}</ref>、シニアの県大会で[[御建公園野球場]]で打った場外本塁打は、隣接する御建神社の屋根を破壊し、神社から弁償を請求された推定170m弾だったといわれる{{R|flash200743}}。広島で過ごした少年時代は、当時の[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]でプロ野球選手になる夢を抱いた[[広島東洋カープ]]ファンだった{{R|flash200743}}<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140603-1311442.html |title=ハム中田、元祖カープ男子だ!大爆発宣言 |website=日刊スポーツ |date=2014-06-03 |accessdate=2021-08-16}}</ref>。子供の頃の実家の近所に[[緒方孝市]]宅があり、家に押しかけてサインをもらったこともある<ref>{{Cite web ja |url=https://archive.fo/20161030090029/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161030-OHT1T50063.html |title=【日本ハム】中田手記…人生初の日本一、憧れの緒方監督率いるカープ倒してつかんだ栄冠 |website=スポーツ報知 |date=2016-10-30 |accessdate=2021-08-24}}</ref>。


[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]では1年夏には5番・[[一塁手]]でレギュラーとなり、[[第87回全国高等学校野球選手権大会|2005年の夏の甲子園]]ベスト4に貢献、この時の3年生に[[平田良介]]、[[辻内崇伸]]がおり、入学時からこの二人をライバルとして競争心を燃やしていた<ref>{{Cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/840344 |title=入学から同級生は下に見ていました。- 中田翔の名言 |publisher=Number Web |date=2019-08-17 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。また投手としても最速147km/hを計測{{R|nikkansports_profile}}。
[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]の[[西谷浩一]]監督は、中田を[[スカウト (勧誘)|スカウト]]するため、広島に40、50回通った<ref>{{Cite web ja |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/827777?page=2 |author=中村計 |title=中田翔のときは、広島に40、50回通った。 |website=Number Web |publisher=文藝春秋 |date=2017-04-07 |accessdate=2022-10-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180218120303/https://number.bunshun.jp/articles/-/827777?page=2 |archivedate=2018-02-18}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://smart-flash.jp/sports/38269/1 |title=大阪桐蔭・西谷監督の本業は「指導よりスカウト」 |website=smart-flash |publisher=光文社 |date=2018-04-12 |accessdate=2022-10-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221003103846/https://smart-flash.jp/sports/38269/1 |archivedate=2022-10-03}}</ref>。大阪桐蔭高校では1年夏には5番・[[一塁手]]でレギュラーとなり、[[第87回全国高等学校野球選手権大会|2005年の夏の甲子園]]ベスト4に貢献、この時の3年生に[[平田良介]]、[[辻内崇伸]]がおり、入学時からこの二人をライバルとして競争心を燃やしていた<ref>{{Cite web ja |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/840344 |title=入学から同級生は下に見ていました。- 中田翔の名言 |website=Number Web |date=2019-08-17 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。また投手としても最速147km/hを計測{{R|nikkansports_profile}}。
秋からエースで4番を任され、[[岡田雅利]]とバッテリーを組んだ。2年春には151km/hまで球速が伸びた。肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、4番・[[右翼手]]として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の[[市川高等学校 (兵庫県)|市川高校]]戦([[和歌山県営紀三井寺野球場]])で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ{{R|sponichiprofile|nikkansports_profile}}。この頃から「'''平成の怪物'''」{{Efn2|なお、この異名は当初は[[松坂大輔]]に使われることが多かった。}}と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日、[[全国高等学校野球選手権大阪大会|全国高校野球大阪大会]]直前の練習試合・[[大阪市立生野工業高等学校|生野工業高校]]戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録{{R|nikkansports_profile}}。大阪大会の決勝ではエースの[[植松優友]]を擁する[[金光大阪中学校・高等学校|金光大阪高校]]と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、[[日本の高校野球|甲子園]]でも歴代7位となる4本塁打を打った。
秋からエースで4番を任され、[[岡田雅利]]と[[バッテリー (野球)|バッテリー]]を組んだ。2年春には151km/hまで球速が伸びた。肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、4番・[[右翼手]]として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の[[市川高等学校 (兵庫県)|市川高校]]戦([[和歌山県営紀三井寺野球場]])で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ{{R|sponichiprofile|nikkansports_profile}}。この頃から「'''平成の怪物'''」{{Efn2|なお、この異名は当初は[[松坂大輔]]に使われることが多かった。}}と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日、[[全国高等学校野球選手権大阪大会|全国高校野球大阪大会]]直前の練習試合・[[大阪市立生野工業高等学校|生野工業高校]]戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録{{R|nikkansports_profile}}。大阪大会の決勝ではエースの[[植松優友]]を擁する[[金光大阪中学校・高等学校|金光大阪高校]]と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、[[日本の高校野球|甲子園]]でも歴代7位となる4本塁打を打った。


{{By|2007年}}10月3日の[[2007年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]](高校生対象)においては、[[由規|佐藤由規]]、[[唐川侑己]]と並んで「'''高校ビッグ3'''」と呼ばれ、[[北海道日本ハムファイターズ]]、[[阪神タイガース]]、[[オリックス・バファローズ]]、[[福岡ソフトバンクホークス]]の4球団から1位指名を受けて、抽選交渉権を獲得した日本ハムに入団。11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。[[野球の背番号|背番号]]は同年オフに現役引退した[[田中幸雄 (内野手)|田中幸雄]]が着用していた'''6'''」となった
{{By|2007年}}10月3日の[[2007年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]](高校生対象)においては、[[由規|佐藤由規]]、[[唐川侑己]]と並んで「'''高校ビッグ3'''」と呼ばれ、[[北海道日本ハムファイターズ]]、[[阪神タイガース]]、[[オリックス・バファローズ]]、[[福岡ソフトバンクホークス]]の4球団から1位指名を受けた。抽選の末、日本ハムが交渉権を獲得し11月6日契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で契約し、高卒新人としては[[ダルビッシュ有]]に並ぶ球団最高額となった<ref>「契約金1億円 ダル並み最高」『[[北海道新聞]]』(縮刷版) 2007年(平成19年)11月7日付朝刊、17面(スポーツ面)。</ref>。[[野球の背番号|背番号]]は同年オフに現役引退した[[田中幸雄 (内野手)|田中幸雄]]が着用していた'''6'''<ref>「闘志 胸に秘め 8新人入団発表会見『北海道新聞』(縮刷版) 2007年(平成19年)12月11日付朝刊、20面(スポーツ面)。</ref>


=== 日本ハム時代 ===
=== 日本ハム時代 ===
'''{{By|2008年}}'''は守備位置としては高校時代の投手と外野手ではなく、[[三塁手]]を志願し球団の育成方針とも一致したことから、二軍で三塁守備での練習を始める。しかし、同年6月に左手首を骨折(全治1か月)したときは、トレーナー陣から「これでケガをしても誰も面倒を見てくれないぞ」と注意を受けていた状態で1か月近くも骨折を放置されていた<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2008npb/fighters/KFullNormal20080715073.html |title=結果的に中田もハムも骨折1カ月“放置” |publisher=スポーツニッポン |date=2008-07-15 |accessdate=2021-08-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150924164645/https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2008npb/fighters/KFullNormal20080715073.html |archivedate=2015-09-24}}</ref>。同年は1度も一軍に昇格することはなかった。オフに、300万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081119-431156.html |title=ハム中田300万円ダウンも小遣い闘争宣言 |publisher=日刊スポーツ |date=2008-11-19 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。
'''{{By|2008年}}'''は守備位置としては高校時代の投手と外野手ではなく、[[三塁手]]を志願し球団の育成方針とも一致したことから、二軍で三塁守備での練習を始める。しかし、同年6月に左手首を骨折(全治1か月)したときは、トレーナー陣から「これでケガをしても誰も面倒を見てくれないぞ」と注意を受けていた状態で1か月近くも骨折を放置されていた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2008npb/fighters/KFullNormal20080715073.html |title=結果的に中田もハムも骨折1カ月“放置” |website=スポーツニッポン |date=2008-07-15 |accessdate=2021-08-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150924164645/https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2008npb/fighters/KFullNormal20080715073.html |archivedate=2015-09-24}}</ref>。同年は1度も一軍に昇格することはなかった。オフに、300万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081119-431156.html |title=ハム中田300万円ダウンも小遣い闘争宣言 |website=日刊スポーツ |date=2008-11-19 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。


'''{{By|2009年}}'''は春季キャンプ後の3月、三塁手としては起用できないと判断され、一塁手に専念。5月23日の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で「7番・[[指名打者]]」としてプロ公式戦初出場、プロ初安打を記録。25日の[[中日ドラゴンズ]]戦では途中出場ながら初めて守備機会のある一塁手の守備にも就いた。7月23日の[[フレッシュオールスターゲーム]]([[札幌ドーム]])では[[イースタン・リーグ]]選抜の4番打者を務め、2安打2打点でMVPを獲得。同リーグ史上最多のシーズン本塁打30と史上最多タイの打点95を記録し二冠王を獲得<ref>{{Cite web |author=久保田龍雄 |date=2021-05-01 |url=https://dot.asahi.com/dot/2021050100007.html?page=2 |title=1軍ではダメでも2軍で“無双” ファームで「えげつない成績」を残した助っ人たち 2/3ページ |website=AERA dot. |publisher=朝日新聞出版 |accessdate=2021-05-06}}</ref>、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて特別賞を受賞した。9月26日には一塁手としての先発出場も果たし、9月27日に[[犠飛]]でプロ初打点を挙げた。また、[[2009年の日本シリーズ|日本シリーズ]]にも第3戦で代打で初出場した。12月5日、現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/2010/news/p-bb-tp1-20091205-572638.html |title=ハム中田交渉中に「走塁ミス」説教された |publisher=日刊スポーツ |date=2009-12-05 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ[[コンバート (野球)|転向]]した(登録は内野手のまま)<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/baseball/2009/08/28/0002280319.shtml |title=中田外野手転向プラン浮上 |publisher=デイリースポーツ |date=2009-08-28 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090830034435/http://www.daily.co.jp/baseball/2009/08/28/0002280319.shtml |archivedate=2009-08-30}}</ref>。
'''{{By|2009年}}'''は春季キャンプ後の3月、三塁手としては起用できないと判断され、一塁手に専念。5月23日の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で「7番・[[指名打者]]」としてプロ公式戦初出場、プロ初安打を記録。25日の[[中日ドラゴンズ]]戦では途中出場ながら初めて守備機会のある一塁手の守備にも就いた。7月23日の[[フレッシュオールスターゲーム]]([[札幌ドーム]])では[[イースタン・リーグ]]選抜の4番打者を務め、2安打2打点でMVPを獲得。[[大森剛]]と[[コーリー・ポール]]が持っていた同リーグのシーズン本塁打27本を超える30本塁打と史上最多タイの打点95を記録し二冠王を獲得<ref>{{Cite web ja |author=久保田龍雄 |date=2021-05-01 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/73402?page=2 |title=1軍ではダメでも2軍で“無双” ファームで「えげつない成績」を残した助っ人たち 2/3ページ |website=AERA dot. |publisher=朝日新聞出版 |accessdate=2021-05-06}}</ref>、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて特別賞を受賞した。9月26日には一塁手としての先発出場も果たし、9月27日に[[犠飛]]でプロ初打点を挙げた。また、[[2009年の日本シリーズ|日本シリーズ]]にも第3戦で代打で初出場した。12月5日、現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/2010/news/p-bb-tp1-20091205-572638.html |title=ハム中田交渉中に「走塁ミス」説教された |website=日刊スポーツ |date=2009-12-05 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ[[コンバート (野球)|転向]]した(登録は内野手のまま)<ref>{{Cite web ja |url=http://www.daily.co.jp/baseball/2009/08/28/0002280319.shtml |title=中田外野手転向プラン浮上 |website=デイリースポーツ |date=2009-08-28 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090830034435/http://www.daily.co.jp/baseball/2009/08/28/0002280319.shtml |archivedate=2009-08-30}}</ref>。


'''{{By|2010年}}'''は長距離打者である[[ターメル・スレッジ]]の退団と、レギュラー左翼手だった[[森本稀哲]]が故障で離脱したこともあり、開幕戦で7番・[[左翼手]]として自身初の開幕戦先発出場を果たし、[[杉内俊哉]]から自身初の2点[[適時打]]を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左膝半月板を損傷。5月10日に手術を受けた<ref>{{Cite web |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/1315.html |title=中田選手の手術について |publisher=北海道日本ハムファイターズ |date=2010-05-06 |accessdate=2021-08-16}}</ref>。7月19日に一軍昇格。7番・指名打者として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦にも先発出場し、[[大嶺祐太]]からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った<ref>{{Cite web |url=https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201008080006-spnavi |title=中田翔の覚醒とパ・リーグ和製大砲の新時代=プロ野球ニュース通信簿 |publisher=スポーツナビ |date=2010-08-09 |accessdate=2020-07-21}}</ref>。8月6日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦では[[栂野雅史]]と[[青山浩二]]から2打席連続本塁打を記録した。夏場には[[金子千尋]]、[[涌井秀章]]、[[和田毅]]、[[田中将大]]らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、9本塁打、22打点に終わった。オフに、600万円増となる推定年俸1800万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/2011/news/f-bb-tp1-20101125-706538.html |title=【日本ハム】9発の中田が初600万円増 |publisher=日刊スポーツ |date=2010-11-25 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。
'''{{By|2010年}}'''は長距離打者である[[ターメル・スレッジ]]の退団と、レギュラー左翼手だった[[森本稀哲]]が故障で離脱したこともあり、開幕戦で7番・[[左翼手]]として自身初の開幕戦先発出場を果たし、[[杉内俊哉]]から自身初の2点[[適時打]]を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左膝半月板を損傷。5月10日に手術を受けた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/1315.html |title=中田選手の手術について |website=北海道日本ハムファイターズ |date=2010-05-06 |accessdate=2021-08-16}}</ref>。7月19日に一軍昇格。7番・指名打者として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦にも先発出場し、[[大嶺祐太]]からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った<ref>{{Cite web ja |url=https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201008080006-spnavi |title=中田翔の覚醒とパ・リーグ和製大砲の新時代=プロ野球ニュース通信簿 |website=スポーツナビ |date=2010-08-09 |accessdate=2020-07-21}}</ref>。8月6日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦では[[栂野雅史]]と[[青山浩二]]から2打席連続本塁打を記録した。夏場には[[金子千尋]]、[[涌井秀章]]、[[和田毅]]、[[田中将大]]らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、9本塁打、22打点に終わった。オフに、600万円増となる推定年俸1800万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/2011/news/f-bb-tp1-20101125-706538.html |title=【日本ハム】9発の中田が初600万円増 |website=日刊スポーツ |date=2010-11-25 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。


'''{{By|2011年}}'''は開幕から19打席無安打とスタートに苦しんだがその後は成績を伸ばし、[[小谷野栄一]]の離脱中は4番に抜擢されるなどチームの主軸となり、初の[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の[[規定打席]]到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打、91打点を記録した。しかし規定打席到達者ではリーグ最多と1個差の133三振、打率.2371はリーグワースト2位、出塁率はリーグワーストの.283に低迷し、[[OPS (野球)|OPS]]も.700を切った。オフに、2700万円増となる推定年俸4500万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20111129-869984.html |title=中田「1億ですね…フフ」本当は半分… |publisher=日刊スポーツ |date=2011-11-29 |accessdate=2021-08-22}}</ref>
'''{{By|2011年}}'''は開幕から19打席無安打とスタートに苦しんだがその後は成績を伸ばし、[[小谷野栄一]]の離脱中は4番に抜擢されるなどチームの主軸となり、初の[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の[[規定打席]]到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打、91打点を記録した。しかし規定打席到達者ではリーグ最多と1個差の133三振、打率.2371はリーグワースト2位、出塁率はリーグワーストの.283に低迷し、[[OPS (野球)|OPS]]も.700を切った。オフに、2700万円増となる推定年俸4500万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20111129-869984.html |title=中田「1億ですね…フフ」本当は半分… |website=日刊スポーツ |date=2011-11-29 |accessdate=2021-08-22}}</ref>


'''{{By|2012年}}'''、キャンプから足を大きく開き、やや腰を落としてほとんど踏み出さずに振る「ノーステップ打法」を採用した。
'''{{By|2012年}}'''、キャンプから足を大きく開き、やや腰を落としてほとんど踏み出さずに振る「ノーステップ打法」を採用した。


この年から日本ハムの監督に就任した[[栗山英樹]]は、中田を中心とするチーム作りの意向を示しており、「4番・左翼手」として開幕スタメン。しかし、開幕から24打席無安打(25打席目で本塁打)となり、交流戦の頃から足を上げてタイミングを取る打法に切り替え、以後もフォームが定まらなかった。前半戦は打率1割台と不調だったが、栗山が不調でも我慢して使い続けたこともあり、最終的にレギュラーシーズンの全試合に4番打者として起用され続けた。球団では[[張本勲]](1963年)、[[柏原純一]](1983年)に続いて3人目の全試合4番出場となった。優勝チームでの全試合4番出場はパ・リーグでは[[野村克也]](南海ホークス・1966年)以来、3人目。8月から徐々に調子を上げていき、9月には6本塁打を放つなど<ref>{{Cite web |title=中田 CSへ希望のアーチ「ここぞで振れている」 - スポニチ Sponichi Annex 野球 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/05/kiji/K20121005004266250.html |website=スポニチ Sponichi Annex |accessdate=2022-03-31 |language=ja}}</ref>後半戦は打率.293、14本塁打、OPS.882を記録。シーズン通算では打率はリーグワースト3位の.239、得点圏打率は.198に終わったが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点(チーム首位)を記録。先制打、同点打、勝ち越し打、逆転の殊勲安打30本、17勝利打点はリーグ最多と、両極端な結果となった。内容的には前年に比べて三振を減らし、より四球を記録し、BB/Kを向上させるとともにリーグ最多得点を獲得した。また守備面では外野手としてリーグトップの19補殺(球団タイ記録)を記録し、そのうち9が併殺であり、中日の[[原田督三]]、[[松竹ロビンス|松竹]]の[[岩本義行]]の外野手シーズン併殺数のプロ野球記録を62年ぶりに更新した<ref>週刊ベースボール2012年10月22日号。</ref>。パ・リーグでは23年ぶりの2年連続リーグ最多補殺を記録。シーズン最後の連戦で、連敗すれば2位西武に並ばれる9月28日の西武戦では2ラン、3ランを放ってチームの全得点を記録し、リーグ優勝に貢献した。
この年から日本ハムの監督に就任した[[栗山英樹]]は、中田を中心とするチーム作りの意向を示しており、「4番・左翼手」として開幕スタメン。しかし、開幕から24打席無安打(25打席目で本塁打)となり、交流戦の頃から足を上げてタイミングを取る打法に切り替え、以後もフォームが定まらなかった。前半戦は打率1割台と不調だったが、栗山が不調でも我慢して使い続けたこともあり、最終的にレギュラーシーズンの全試合に4番打者として起用され続けた。球団では[[張本勲]](1963年)、[[柏原純一]](1983年)に続いて3人目の全試合4番出場となった。優勝チームでの全試合4番出場はパ・リーグでは[[野村克也]](南海ホークス・1966年)以来、3人目。8月から徐々に調子を上げていき、9月には6本塁打を放つなど<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/05/kiji/K20121005004266250.html |title=中田 CSへ希望のアーチ「ここぞで振れている」 |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2012-10-05 |accessdate=2022-03-31}}</ref>後半戦は打率.293、14本塁打、OPS.882を記録。シーズン通算では打率はリーグワースト3位の.239、得点圏打率は.198に終わったが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点(チーム首位)を記録。先制打、同点打、勝ち越し打、逆転の殊勲安打30本、17勝利打点はリーグ最多と、両極端な結果となった。内容的には前年に比べて三振を減らし、より四球を記録し、BB/Kを向上させるとともにリーグ最多得点を獲得した。また守備面では外野手としてリーグトップの19補殺(球団タイ記録)を記録し、そのうち9が併殺であり、中日の[[原田督三]]、[[松竹ロビンス|松竹]]の[[岩本義行]]の外野手シーズン併殺数のプロ野球記録を62年ぶりに更新した<ref>週刊ベースボール2012年10月22日号。</ref>。パ・リーグでは23年ぶりの2年連続リーグ最多補殺を記録。シーズン最後の連戦で、連敗すれば2位西武に並ばれる9月28日の西武戦では2ラン、3ランを放ってチームの全得点を記録し、リーグ優勝に貢献した。


ポストシーズンでは[[2012年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]、[[2012年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも全試合4番として出場する。10月28日、東京ドームでの日本シリーズ第2戦の1回表に[[澤村拓一]]から死球を受け左手を負傷し、4回裏の守備から途中交代したが第3戦以降も左翼手で出場し、第4戦では9回表の二死満塁のピンチの場面で左中間に抜ける打球を好捕して味方の失点を防ぎ、第6戦では6回表に自身のポストシーズン初となる3点本塁打を放つが、日本シリーズでは結局この1打席の3打点に終わった。シリーズ終了後には第2戦の死球により左手第5中手骨を骨折していたことが判明した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121105-1042777.html |title=【日本ハム】中田、死球で骨折していた |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2012-11-05 |accessdate=2018-06-02}}</ref>。12月3日、4000万円増となる推定年俸8500万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121204-1055183.html |title=ハム中田3冠王宣言&「家買おうかな~」 |publisher=日刊スポーツ |date=2012-12-04 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。
ポストシーズンでは[[2012年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]、[[2012年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも全試合4番として出場する。10月28日、東京ドームでの日本シリーズ第2戦の1回表に[[澤村拓一]]から死球を受け左手を負傷し、4回裏の守備から途中交代したが第3戦以降も左翼手で出場し、第4戦では9回表の二死満塁のピンチの場面で左中間に抜ける打球を好捕して味方の失点を防ぎ、第6戦では6回表に自身のポストシーズン初となる3点本塁打を放つが、日本シリーズでは結局この1打席の3打点に終わった。シリーズ終了後には第2戦の死球により左手第5中手骨を骨折していたことが判明した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121105-1042777.html |title=【日本ハム】中田、死球で骨折していた |website=日刊スポーツ |date=2012-11-05 |accessdate=2018-06-02}}</ref>。12月3日、4000万円増となる推定年俸8500万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121204-1055183.html |title=ハム中田3冠王宣言&「家買おうかな~」 |website=日刊スポーツ |date=2012-12-04 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。


'''{{By|2013年}}'''は、4番として開幕から活躍を見せ本塁打ではリーグトップを走っていたが、8月21日の楽天戦の初回に[[美馬学]]から左手甲に死球を受け、左手第5中手骨亀裂骨折と判明し戦線を離脱。その後のシーズンをほぼ棒に振りタイトルこそ逃したものの、自己最多の28本塁打(リーグ2位)を放ち、前年リーグワースト3位だった打率もリーグ8位の.305と初の3割を記録した。[[長打率]]、OPSはリーグ2位を記録した。シーズン後には[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を初受賞した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131121-1221337.html |title=中田翔が初選出/ベストナイン |website=日刊スポーツ |date=2012-11-21 |accessdate=2021-08-16}}</ref>。オフの11月には、[[台湾]]で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2013/baseballchallenge/20131028.html |title=2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date= |accessdate=2015-03-30}}</ref>。オフに、6500万円増となる推定年俸1億5000万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131204-1226694.html |title=中田1・5億円 ハム最速7年目大台突破 |website=日刊スポーツ |date=2013-12-04 |accessdate=2021-08-22}}</ref>
シーズンオフの12月4日に、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC日本代表]]候補選手34人が発表され<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/japan/news/20121204.html |title=2013WBC日本代表候補選手発表 |publisher=日本野球機構 |date=2012-12-04 |accessdate=2015-04-03}}</ref>候補入りした<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/wbc/2013/roster_c.html |title=2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 |publisher=日本野球機構 |date=2012-12-04 |accessdate=2015-04-03}}</ref>。監督の[[山本浩二]]から4番候補として期待される。合宿から[[立浪和義]]打撃コーチの指導のもと、懸念されていた打撃フォームの改造に取り組んだ。序盤戦は活躍するも後半戦は大振りが目立ち、個人成績は21打数6安打(.268)とあまり実を結ばなかった。打順は下位で起用されることが多かった。


'''{{By|2014年}}'''は2年ぶりに全144試合に出場し<ref name="npb_result">{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/players/61065116.html |title=北海道日本ハムファイターズ 中田翔 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>、死球の影響でスタメンを外れた<ref>{{Cite web ja |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |title=【日本ハム】中田、今季初スタメン外れる 栗山監督「本人は怒っていた」 |website=スポーツ報知 |date=2014-07-15 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140717150722/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |archivedate=2014-07-17}}</ref>7月の2試合を除く142試合で4番打者として先発した<ref name="npb.2014.calender">{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2014/calendar/ |title=2014年度 公式戦 カレンダー |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>。新戦力として一塁手の[[ホアン・ミランダ]]が加入し、内野手登録として<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/teams/rst_f.html |title=北海道日本ハムファイターズ 2014年度 選手一覧 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>、キャンプからオープン戦序盤まで[[三塁手]]に再挑戦するも、シーズンでは例年と同じく左翼手を守る機会が多かった{{R|npb.2014.calender}}。ただ、シーズン後半は一塁手を守る機会が増え、試合途中で左翼手から一塁手へ回る場面が多くなった。打率は前年より下落して.269だったが{{R|npb_result}}、チームトップとなる27本塁打(リーグ4位)を放ち<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2014/stats/lb_hr_p.html |title=2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2021-08-21}}</ref>、2年連続で25本塁打以上{{R|npb_result}}を記録した。また打点では、3月・4月で17打点を挙げると、5月から9月にかけて毎月15打点以上を記録し、順調に数字を伸ばした{{R|npb.2014.calender}}。9月27日のオリックス戦でサヨナラとなるソロ本塁打を放ち、自身初の100打点に到達<ref>{{Cite web ja |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |title=ハム中田サヨナラ弾で初大台超え100打点 |website=日刊スポーツ |date=2014-09-28 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140717150722/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |archivedate=2014-07-17}}</ref>。最終的に2014年のパ・リーグで打点を三桁に乗せた唯一の選手となり、打撃三部門で初の個人タイトルとなる[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]を、2位に10打点差をつけて獲得した<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2014/stats/lb_rbi_p.html |title=2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) |website=NPB.jp 日本野球機構 |date=2014-10-18 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。この年はチームとしては3位だったが<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2014/stats/ |title=2014年度 公式戦成績 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>、オリックスとの[[2014年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]のファーストステージ第3戦(京セラドーム大阪)では、1対1で迎えた延長10回表に[[平野佳寿]]から決勝のソロ本塁打を放ち<ref>{{Cite web ja |url=http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20141015/Cycle_style_15042.html |title=【プロ野球】日本ハム中田のホームランで勝利!3位からCS勝ち上がり「下剋上してくれ!」 |website=excite. ニュース |date=2014-10-15 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141017040645/http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20141015/Cycle_style_15042.html |archivedate=2014-10-17}}</ref>、続くファイナルステージで、第1戦、第2戦で本塁打を放ち、2008年の[[タイロン・ウッズ|T.ウッズ]]([[中日ドラゴンズ|中日]])以来2人目、パ・リーグのCSでは初の3試合連続本塁打を記録<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141017-1382992.html |title=中田3戦連発どや顔 ハム逆襲の4番だ |website=日刊スポーツ |date=2014-10-17 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。続く第3戦でも6回表に3点本塁打を記録し、[[日本プロ野球|NPB]]のポストシーズンでの新記録となる4試合連続本塁打を達成した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/18/kiji/K20141018009122080.html |title=中田 プロ野球新4戦連発!中西太、バースの3戦連発を更新 |website=スポーツニッポン |date=2014-10-18 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。翌18日の第4戦で3打数2三振1四球の無安打に終わり、記録は4でストップ<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/18/kiji/K20141018009127170.html |title=日本ハム 中田、5戦連発ならず「ここってとこで…」 |website=スポーツニッポン |date=2014-10-18 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。シーズンオフの10月9日に、[[日米野球2014]]の[[野球日本代表|日本代表]]に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2014/nichibei/20141009.html |title=2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! |website=侍ジャパン公式サイト |date=2014-10-09 |accessdate=2015-03-26}}</ref>。オフに、5000万円増となる推定年俸2億円で契約を更改した<ref name="nikkansports20141204">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141204-1404328.html |title=ハム中田リーダー自覚「中田賞」設立 |website=日刊スポーツ |date=2014-12-04 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。
'''{{By|2013年}}'''2月20日に、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC日本代表]]選手28人が発表され<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/japan/news/20130220.html |title=2013WBC日本代表28選手の発表 |publisher=日本野球機構 |date=2013-02-20 |accessdate=2015-04-02}}</ref>代表入りした<ref>{{Cite web |url=http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2013 |title=2013 Tournament Roster |publisher=WBC公式サイト |date= |accessdate=2015-04-02 |language=英語 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140313031932/http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2013 |archivedate=2014-03-13}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/wbc/2013/roster_pix.html |title=2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー |publisher=日本野球機構 |date=2013-02-20 |accessdate=2015-04-02}}</ref>。シーズンでは、4番として開幕から活躍を見せ本塁打ではリーグトップを走っていたが、8月21日の楽天戦の初回に[[美馬学]]から左手甲に死球を受け、左手第5中手骨亀裂骨折と判明し戦線を離脱。その後のシーズンをほぼ棒に振りタイトルこそ逃したものの、自己最多の28本塁打(リーグ2位)を放ち、前年リーグワースト3位だった打率もリーグ8位の.305と初の3割を記録した。[[長打率]]、OPSはリーグ2位を記録した。シーズン後には[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を初受賞した<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131121-1221337.html |title=中田翔が初選出/ベストナイン |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2012-11-21 |accessdate=2021-08-16}}</ref>。オフの11月には、[[台湾]]で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2013/baseballchallenge/20131028.html |title=2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date= |accessdate=2015-03-30}}</ref>。オフに、6500万円増となる推定年俸1億5000万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131204-1226694.html |title=中田1・5億円 ハム最速7年目大台突破 |publisher=日刊スポーツ |date=2013-12-04 |accessdate=2021-08-22}}</ref>


[[ファイル:Sho Nakata (2015).jpg|thumb|right|150px|日本ハム時代<br />(2015年5月31日 [[札幌ドーム]])]]
'''{{By|2014年}}'''は2年ぶりに全144試合に出場し<ref name="npb_result">{{Cite web |url=https://npb.jp/bis/players/61065116.html |title=北海道日本ハムファイターズ 中田翔 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>、死球の影響でスタメンを外れた<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |title=【日本ハム】中田、今季初スタメン外れる 栗山監督「本人は怒っていた」 |publisher=スポーツ報知 |date=2014-07-15 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140717150722/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |archivedate=2014-07-17}}</ref>7月の2試合を除く142試合で4番打者として先発した<ref name="npb.2014.calender">{{Cite web |url=https://npb.jp/bis/2014/calendar/ |title=2014年度 公式戦 カレンダー |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>。新戦力として一塁手の[[ホアン・ミランダ]]が加入し、内野手登録として<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/bis/teams/rst_f.html |title=北海道日本ハムファイターズ 2014年度 選手一覧 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>、キャンプからオープン戦序盤まで[[三塁手]]に再挑戦するも、シーズンでは例年と同じく左翼手を守る機会が多かった{{R|npb.2014.calender}}。ただ、シーズン後半は一塁手を守る機会が増え、試合途中で左翼手から一塁手へ回る場面が多くなった。打率は前年より下落して.269だったが{{R|npb_result}}、チームトップとなる27本塁打(リーグ4位)を放ち<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/bis/2014/stats/lb_hr_p.html |title=2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-08-21}}</ref>、2年連続で25本塁打以上{{R|npb_result}}を記録した。また打点では、3月・4月で17打点を挙げると、5月から9月にかけて毎月15打点以上を記録し、順調に数字を伸ばした{{R|npb.2014.calender}}。9月27日のオリックス戦でサヨナラとなるソロ本塁打を放ち、自身初の100打点に到達<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |title=ハム中田サヨナラ弾で初大台超え100打点 |publisher=日刊スポーツ |date=2014-09-28 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140717150722/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140715-OHT1T50166.html |archivedate=2014-07-17}}</ref>。最終的に2014年のパ・リーグで打点を三桁に乗せた唯一の選手となり、打撃三部門で初の個人タイトルとなる[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]を、2位に10打点差をつけて獲得した<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/bis/2014/stats/lb_rbi_p.html |title=2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) |publisher=日本野球機構 |date=2014-10-18 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。この年はチームとしては3位だったが<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/bis/2014/stats/ |title=2014年度 公式戦成績 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2014-10-18}}</ref>、オリックスとの[[2014年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]のファーストステージ第3戦(京セラドーム大阪)では、1対1で迎えた延長10回表に[[平野佳寿]]から決勝のソロ本塁打を放ち<ref>{{Cite web |url=http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20141015/Cycle_style_15042.html |title=【プロ野球】日本ハム中田のホームランで勝利!3位からCS勝ち上がり「下剋上してくれ!」 |publisher=excite. ニュース |date=2014-10-15 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141017040645/http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20141015/Cycle_style_15042.html |archivedate=2014-10-17}}</ref>、続くファイナルステージで、第1戦、第2戦で本塁打を放ち、2008年の[[タイロン・ウッズ|T.ウッズ]]([[中日ドラゴンズ|中日]])以来2人目、パ・リーグのCSでは初の3試合連続本塁打を記録<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141017-1382992.html |title=中田3戦連発どや顔 ハム逆襲の4番だ |publisher=日刊スポーツ |date=2014-10-17 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。続く第3戦でも6回表に3点本塁打を記録し、[[日本プロ野球|NPB]]のポストシーズンでの新記録となる4試合連続本塁打を達成した<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/18/kiji/K20141018009122080.html |title=中田 プロ野球新4戦連発!中西太、バースの3戦連発を更新 |publisher=スポーツニッポン |date=2014-10-18 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。翌18日の第4戦で3打数2三振1四球の無安打に終わり、記録は4でストップ<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/18/kiji/K20141018009127170.html |title=日本ハム 中田、5戦連発ならず「ここってとこで…」 |publisher=スポーツニッポン |date=2014-10-18 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。シーズンオフの10月9日に、[[日米野球2014]]の[[野球日本代表|日本代表]]に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2014/nichibei/20141009.html |title=2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! |publisher=侍ジャパン公式サイト |date=2014-10-09 |accessdate=2015-03-26}}</ref>。オフに、5000万円増となる推定年俸2億円で契約を更改した<ref name="nikkansports20141204">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141204-1404328.html |title=ハム中田リーダー自覚「中田賞」設立 |publisher=日刊スポーツ |date=2014-12-04 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。
'''{{By|2015年}}'''は開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150216_1.html |title=欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集 |website=侍ジャパン公式サイト |date=2015-02-16 |accessdate=2015-03-22}}</ref>。3月10日の第1戦、3月11日の第2戦に4番で先発出場し、1安打を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/score/20150310_1/table.html |title=ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第1戦 2015年3月10日(火) 東京ドーム 打席結果・投打成績 |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-03-10 |accessdate=2016-03-10}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/score/20150311_1/table.html |title=ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績 |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-03-11 |accessdate=2016-03-10}}</ref>。シーズンでは年間を通して[[一塁手]]として出場した。交流戦終了の6月中旬までに20本塁打を記録する例年以上のペースで本塁打を量産していった。しかし慢性的な膝の不調に悩まされ、後半戦は大きく失速。不振に苦しむも、最終戦で[[涌井秀章]]から本塁打を放ち、キャリア初の30本塁打を達成した。また、2年連続100打点を記録した(同チーム内での2年連続100打点は、東映時代に[[大杉勝男]](1971?1973年)が記録して以来2人目である)。守備は年間を通して安定し、初の[[ゴールデングラブ賞]]を獲得した。オフに、4500万円増となる推定年俸2億4500万円+出来高払いで契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20151205-OZV75RUR3VLIXCJLRO4BVVTJIU/ |title=日本ハム・中田、2億円から4500万円UP「馬でも買おうかな」 |website=サンケイスポーツ |date=2015-12-05 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。


'''{{By|2016年}}'''は開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20160215_2.html |title=3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2016-02-15 |accessdate=2016-02-17}}</ref>。レギュラーシーズンが始まると不調に苦しむようになる。6月27日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦では途中で代打を出され、その後の2試合では打撃不振のためスタメンから外れた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1669599.html |title=日本ハム中田に代打矢野!栗山監督の勝負手が的中 |website=日刊スポーツ |date=2016-06-27 |accessdate=2018-03-14}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1669937.html |title=日本ハム中田が今季初の先発落ち、代役4番は陽岱鋼 |website=日刊スポーツ |date=2016-06-28 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。その後も打率は.250前後を推移し続けたが、8月30日の楽天戦で、3試合連続本塁打になる20号本塁打を放つなどシーズン後半に復調<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2016/08/30/post44005/ |title=日ハム中田、5年連続20本塁打 3試合連続ホームランに「完ぺき!」 |website=Full-Count |date=2016-08-30 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。最終的にはシーズンを通して(スタメン落ちした2試合を除いて)4番打者に座り続けて、「打率.250、25本塁打、110打点」を記録。打率、本塁打こそ前年を下回ったが、打点は自己ベストの成績になり、(前述の大杉に並ぶ)3年連続の100打点を達成して打点王を獲得した<ref>{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=002-20161121-01 |title=データで紐解く!タイトルホルダー裏の裏 2016年パ・リーグ打点王 日本ハム・中田翔 1死走者アリで高打率 |website=週刊ベースボールONLINE |date=2016-11-12 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。また一塁手として最多の守備機会に関わり、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得、ベストナインにも選出された。このシーズンに本塁打数がそれほど伸びなかった背景には[[ブランドン・レアード]]に本塁打の量産を任せて自分はチーム打撃に徹するという考えがあり、シーズン前半には野球専門媒体がそのように報じていた<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2016/05/31/post33637/ |title=日ハム中田、本塁打へのこだわり捨てた? 「とにかく打点」、その理由は… |website=Full-Count |date=2016-05-31 |accessdate=2018-10-05}}</ref>。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161018_1.html |title=11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定 |website=野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト |date=2016-10-18 |accessdate=2016-10-18}}</ref>。4年ぶりの出場となった[[広島東洋カープ]]との[[2016年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、4年前と同様に全試合4番打者で出場する。第3戦では8回裏に逆転となる2点適時二塁打を含む3打点を挙げると、第4戦では6回裏に同点に追いつくソロ本塁打を放つ。そして日本一に王手をかけた第6戦では、同点の8回表に二死満塁から押し出し四球を選び、これが日本一を決める決勝点となった。自身初の日本一を経験するとともに、優秀選手賞に選ばれた。12月1日、3500万円アップの推定年俸2億8000万円+出来高払いで契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2016/12/01/post52285/ |title=日ハム中田、現在チーム最高年俸も…後日更改の大谷に“白旗”「翔平は看板」 |website=Full-Count |date=2016-12-01 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。
[[ファイル:Sho Nakata (2015).jpg|thumb|right|日本ハム時代<br />(2015年5月31日[[札幌ドーム]])]]
'''{{By|2015年}}'''は開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150216_1.html |title=欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集 |publisher=侍ジャパン公式サイト |date=2015-02-16 |accessdate=2015-03-22}}</ref>。3月10日の第1戦、3月11日の第2戦に4番で先発出場し、1安打を記録した<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/score/20150310_1/table.html |title=ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第1戦 2015年3月10日(火) 東京ドーム 打席結果・投打成績 |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-03-10 |accessdate=2016-03-10}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/score/20150311_1/table.html |title=ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績 |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-03-11 |accessdate=2016-03-10}}</ref>。シーズンでは年間を通して[[一塁手]]として出場した。交流戦終了の6月中旬までに20本塁打を記録する例年以上のペースで本塁打を量産していった。しかし慢性的な膝の不調に悩まされ、後半戦は大きく失速。不振に苦しむも、最終戦で[[涌井秀章]]から本塁打を放ち、キャリア初の30本塁打を達成した。また、2年連続100打点を記録した(同チーム内での2年連続100打点は、東映時代に[[大杉勝男]](1971〜1973年)が記録して以来2人目である)。守備は年間を通して安定し、初の[[ゴールデングラブ賞]]を獲得した。7月16日に[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表され<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150716_1.html |title=トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-07-16 |accessdate=2015-08-04}}</ref>、9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表され<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html |title=「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-09-10 |accessdate=2015-09-20}}</ref>、10月9日に最終ロースター28名に選出されたことが発表され<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20151009_1.html |title=「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-10-09 |accessdate=2015-10-09}}</ref>代表入りしている。同大会では、第4戦まで合計11打点を記録。第4戦[[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ]]戦では、6回表に決勝3ランを左中間スタンドに記録し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した上、最終的には打率.429 3本塁打 15打点で大会ベストナインに選出されている。オフに、4500万円増となる推定年俸2億4500万円+出来高払いで契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20151205-OZV75RUR3VLIXCJLRO4BVVTJIU/ |title=日本ハム・中田、2億円から4500万円UP「馬でも買おうかな」 |publisher=サンケイスポーツ |date=2015-12-05 |accessdate=2021-08-22}}</ref>。


'''{{By|2017年}}'''3月31日の開幕戦は、6年連続での「開幕4番」を務めた。5月20日の札幌ドームでの[[オリックス・バファローズ]]戦で[[吉田一将]]から天井直撃の二塁打を放つ<ref>{{Cite web ja |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170520-OHT1T50127.html |title=【日本ハム】中田、札幌ドーム天井直撃二塁打! |website=スポーツ報知 |date=2017-05-20 |accessdate=2018-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180314180211/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170520-OHT1T50127.html |archivedate=2018-03-14}}</ref>。しかし、この年は開幕から深刻な打撃不振に陥り、7月6日の西武戦を最後に、打率が.230を割り込む状況がシーズン終了まで続いた。2012年以来、4番での出場を主としてきたが、6月10日の巨人戦以降は、3番での起用が多くなった(中田が3番で起用される際は、ブランドン・レアードが4番で起用された)<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO17559600S7A610C1000000/ |title=日本ハムの主砲・中田翔、3番からの再出発 |website=日本経済新聞 |date=2017-06-13 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。7月8日のソフトバンク戦では、プロ初めての1番での起用になった<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2017/07/09/post75457/ |title=本人に説明しなかった中田1番起用の理由 ハム栗山監督「バット振らないと」 |website=Full-Count |date=2017-07-09 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。8月13日のソフトバンク戦からは、指定席であった4番に返り咲き、以後はほぼ4番として起用され続けた<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2017/08/13/post79605/ |title=ハム中田が4試合ぶり「4番・一塁手」で先発復帰、大谷は休養日で先発外れる |website=Full-Count |date=2017-08-13 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。最終的には、「打率.216、16本塁打、67打点」。打率(リーグワースト1位)、得点圏打率(.195。リーグワースト2位)、OPS(.676。リーグワースト4位)、RC27(3.69。リーグワースト1位)など、打撃面でのほとんどの項目で、レギュラー定着後最悪の成績になり、シーズン20本塁打も5年連続で途切れた。この年は8月17日に、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|国内FA権]]を取得(2016年12月の契約更改のときから、国内FA権取得後の動向が注目されていた)<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1873548.html |title=日本ハム中田が国内FA取得「今は考える余裕ない」 |website=日刊スポーツ |date=2017-08-17 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。しかし、実質的に自己最悪のシーズンに終わった影響もあり、11月14日、「ふがいない成績でチームを去ることはできない」として、国内FA権を行使せずに残留することを表明、推定年俸2億円(8000万円のダウン)+出来高払いで契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171114-OHT1T50106.html |title=【日本ハム】中田、FA権行使せず残留「ふがいない成績でチームを去ることは出来ない」 |website=スポーツ報知 |date=2017-11-14 |accessdate=2018-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180314180237/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171114-OHT1T50106.html |archivedate=2018-03-14}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2017/11/14/post92866/ |title=ハム中田、FA行使せず8000万円減で残留 一問一答「不甲斐ない結果で…」 |website=Full-Count |date=2017-11-14 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。2018年4月のインタビューで、2017年シーズンの不振について「WBCに向けて(打撃における)タイミングと打つポイントを変えたが、結果として裏目になってしまった。(自身にとってFAイヤーである大切な年とわかっていたのでなおさら)このままで終わったらやばいという気持ちと焦り(が膨らみ続けた結果、シーズンを通してスランプから脱却できないまま終わってしまった)」と振り返っている<ref name="nakatafa2017a">{{Cite web ja |url=https://news.livedoor.com/article/detail/14552166/ |title=中田翔、FA移籍に揺れた本音を明かす 「自分なんかが残っていいのか」「裏切りたくない」 |website=ライブドアニュース |date=2018-04-09 |accessdate=2018-04-12}}</ref>。シーズンを通して自身の去就を熟考し続けたとのことだが、「(ファンの)みんなが掲げてくれた横断幕{{Efn2|「お前が必要 中田 翔」}}にしても、本当にありがたいなと思ったし、そういう人たちがいる限り裏切りたくない(と思うようになった)」として、最終的に残留を決断したという{{R|nakatafa2017a}}。
'''{{By|2016年}}'''は開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20160215_2.html |title=3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2016-02-15 |accessdate=2016-02-17}}</ref>。レギュラーシーズンが始まると不調に苦しむようになる。6月27日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦では途中で代打を出され、その後の2試合では打撃不振のためスタメンから外れた<ref>{{Cite web |publisher=日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1669599.html |title=日本ハム中田に代打矢野!栗山監督の勝負手が的中 |date=2016-06-27 |accessdate=2018-03-14}}</ref><ref>{{Cite web |publisher=日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1669937.html |title=日本ハム中田が今季初の先発落ち、代役4番は陽岱鋼 |date=2016-06-28 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。その後も打率は.250前後を推移し続けたが、8月30日の楽天戦で、3試合連続本塁打になる20号本塁打を放つなどシーズン後半に復調<ref>{{Cite web |publisher=Full-Count |url=https://full-count.jp/2016/08/30/post44005/ |title=日ハム中田、5年連続20本塁打 3試合連続ホームランに「完ぺき!」 |date=2016-08-30 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。最終的にはシーズンを通して(スタメン落ちした2試合を除いて)4番打者に座り続けて、「打率.250、25本塁打、110打点」を記録。打率、本塁打こそ前年を下回ったが、打点は自己ベストの成績になり、(前述の大杉に並ぶ)3年連続の100打点を達成して打点王を獲得した<ref>{{Cite web |publisher=週刊ベースボールONLINE |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=002-20161121-01 |title=データで紐解く!タイトルホルダー裏の裏 2016年パ・リーグ打点王 日本ハム・中田翔 1死走者アリで高打率 |date=2016-11-12 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。また一塁手として最多の守備機会に関わり、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得、ベストナインにも選出された。このシーズンに本塁打数がそれほど伸びなかった背景には[[ブランドン・レアード]]に本塁打の量産を任せて自分はチーム打撃に徹するという考えがあり、シーズン前半には野球専門媒体がそのように報じていた<ref>{{Cite web |url=https://full-count.jp/2016/05/31/post33637/ |title=日ハム中田、本塁打へのこだわり捨てた? 「とにかく打点」、その理由は… |publisher=Full-Count |date=2016-05-31 |accessdate=2018-10-05}}</ref>。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161018_1.html |title=11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定 |publisher=野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト |date=2016-10-18 |accessdate=2016-10-18}}</ref>。4年ぶりの出場となった広島東洋カープとの[[2016年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、4年前と同様に全試合4番打者で出場する。第3戦では8回裏に逆転となる2点適時二塁打を含む3打点を挙げると、第4戦では6回裏に同点に追いつくソロ本塁打を放つ。そして日本一に王手をかけた第6戦では、同点の8回表に二死満塁から押し出し四球を選び、これが日本一を決める決勝点となった。自身初の日本一を経験するとともに、優秀選手賞に選ばれた。12月1日、3500万円アップの推定年俸2億8000万円+出来高払いで契約を更改した<ref>{{Cite web |publisher=Full-Count |url=https://full-count.jp/2016/12/01/post52285/ |title=日ハム中田、現在チーム最高年俸も…後日更改の大谷に“白旗”「翔平は看板」 |date=2016-12-01 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。


'''{{By|2018年}}'''は新たなチームキャプテンに任命され「初心に帰ってがむしゃらに戦いたい」ことをテーマに掲げてキャンプインした<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/o/386037/ |title=日ハム中田、自主トレを公開 再起へ「がむしゃら」 |website=西日本スポーツ |date=2018-01-12 |accessdate=2021-01-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121123401/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/o/386037/ |archivedate=2021-01-21}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50493_S8A110C1000000/ |title=日本ハム中田「再起へがむしゃらに」 阪神・西岡らと自主トレ |website=日本経済新聞 |date=2018-01-12 |accessdate=2018-01-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180112090859/https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50493_S8A110C1000000/ |archivedate=2018-01-12}}</ref>。3月30日の開幕戦では、7年連続での「開幕4番」を務めた。4月15日のオリックス戦([[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]])では、2014年10月以来、4年ぶりとなる左翼手での出場を果たした(この試合では左翼手として[[補殺]]を1つ成功させている)<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804150000664.html |title=日本ハム中田4年ぶり外野で補殺「チョー緊張した」 |website=日刊スポーツ |date=2018-04-15 |accessdate=2018-04-17}}</ref>{{Efn2|この試合では「4番・一塁手」として先発出場したが、7回裏の守備から左翼手として出場。}}。5月9日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、6回表に[[小林慶祐]]から左前打を放ち、プロ野球通算1000安打を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201805090000667.html |title=日本ハム中田1000安打「支えてくれた方に感謝」 |website=日刊スポーツ |date=2018-05-09 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。8月24日の楽天戦(札幌ドーム)で[[近藤弘樹]]から本塁打を放ち、通算200本塁打を達成した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808250000287.html |title=日本ハム中田、平成生まれ初200号も「まだまだ」 |website=日刊スポーツ |date=2018-08-25 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。平成生まれでの達成は史上初であり、球団史上5人目の快挙となった。シーズンを通して活躍し、2年ぶり6度目となる20本塁打を達成し、自身4度目となる100打点は球団最多記録となった<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2018/09/18/post206553/ |title=日本ハム中田が球団史上最多4度の100打点 NPB最多は王貞治の14回 |website=Full-Count |date=2018-09-18 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。また、シーズン犠飛記録では歴代2位となる13本を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201901170000062.html |title=日本ハム中田翔 犠飛13本ここ数年なかったでしょう |website=日刊スポーツ |date=2019-01-17 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。オフに、FA権を行使せず3年契約で残留することを表明し、8000万円増となる推定年俸2億8000万円で契約を更改した(出来高を含めた3年総額で推定10億円)<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/11/13/kiji/20181113s00001173213000c.html |title=日本ハム中田、8000万円UPの2億8000万円、3年総額10億円 FA行使せず残留 |website=Sponichi Annex |date=2018-11-13 |accessdate=2021-01-24}}</ref>
'''{{By|2017年}}'''は[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回WBC日本代表]]に選出。4番は[[筒香嘉智]]に譲ったが、欠場した二次ラウンドのイスラエル戦を除き筒香の後ろの5番打者に座った。1次ラウンドオーストラリア戦では勝ち越しソロ本塁打を放ち、二次ラウンドオランダ戦では[[リック・バンデンハーク]]から一時勝ち越しの3点本塁打を放つと同点に追いつかれた後の延長11回に勝ち越しの2点適時打を放った。大会全体では打率こそ.238にとどまったが、1次ラウンドの中国戦を合わせ3本の本塁打を記録し8打点を記録した。


'''{{By|2019年}}'''、3月29日のオリックスとの開幕戦(札幌ドーム)で8年連続となる「開幕4番」を務め、延長10回裏に[[岩本輝]]から史上3人目となるサヨナラ[[満塁本塁打]]を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201903290001171.html |title=中田翔サヨナラ満弾「なめてんのか」連続敬遠で気合 |website=日刊スポーツ |date=2019-03-29 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。自身の前の打者であった[[西川遥輝]]と[[近藤健介]]が立て続けに[[故意四球#申告による故意四球|申告敬遠]]された後の本塁打だった。ヒーローインタビューで「あるとは思っていたけど、目の前で見たら、ナメてるのかなと思って、すごく気合が入りました」とコメントした。6月は2日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で4回二死満塁の打席で[[K-鈴木]]からシーズン2本目の満塁本塁打<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2019/06/02/post395014/ |title=日本ハム中田、勝ち越し12号満塁ホームラン! 一直線で左翼席へ飛び込む |website=Full-Count |date=2019-06-02 |accessdate=2024-11-24}}</ref>、4日のヤクルト戦(札幌ドーム)では2年ぶりとなる1試合2本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2019/06/05/post397831/ |title=日ハム中田、5点差逆転7連勝に「何点差あっても『逆転しよう』と…」 |website=Full-Count |date=2019-06-05 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。7月末時点の成績では打率.262、23本塁打、68打点を記録していたが<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2019/10/01/post555995/ |title=「あのケガが大きかった」―日ハム中田が振り返った「本当に悔しい1年」 |website=Full-Count |date=2019-10-01 |accessdate=2020-03-18}}</ref>、8月13日に右手母指球部挫傷で全治2週間と診断され、登録抹消された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/14/kiji/20190814s00001173049000c.html |website=スポーツニッポン |date=2019-08-14 |accessdate=2020-03-18 |title=日本ハム中田 右手母指球部挫傷で2年ぶり抹消「早く戻したい」}}</ref>。復帰以降も調子は上がらず、打率.242、24本塁打、80打点の成績でシーズンを終えた。オフの契約更改では1000万円増となる推定年俸2億9000万円+出来高払いでサインし<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201912030000930.html |title=中田翔、来季へ「そろそろゆっくり6番あたりを」 |website=日刊スポーツ |date=2019-12-03 |accessdate=2021-08-21}}</ref>、また2年間務めたチームキャプテンの任が今年で終わり、「キャプテンをさせてもらって、今までとは違うチームの見方ができましたし、みんなの前で発言する機会も増えたので本当にいい勉強になりました」とコメントした<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2019/12/03/post623796/ |title=日ハム中田、1000万円増の2.9億円で更改 4番争奪戦を大歓迎「切磋琢磨して…」 |website=Full-Count |date=2019-12-03 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。
3月31日の開幕戦は、6年連続での「開幕4番」を務めた。5月20日の札幌ドームでの[[オリックス・バファローズ]]戦で[[吉田一将]]から天井直撃の二塁打を放つ<ref>{{Cite web |publisher=スポーツ報知 |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170520-OHT1T50127.html |title=【日本ハム】中田、札幌ドーム天井直撃二塁打! |date=2017-05-20 |accessdate=2018-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180314180211/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170520-OHT1T50127.html |archivedate=2018-03-14}}</ref>。しかし、この年は開幕から深刻な打撃不振に陥り、7月6日の西武戦を最後に、打率が.230を割り込む状況がシーズン終了まで続いた。2012年以来、4番での出場を主としてきたが、6月10日の巨人戦以降は、3番での起用が多くなった(中田が3番で起用される際は、ブランドン・レアードが4番で起用された)<ref>{{Cite web |publisher=日本経済新聞 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO17559600S7A610C1000000/ |title=日本ハムの主砲・中田翔、3番からの再出発 |date=2017-06-13 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。7月8日のソフトバンク戦では、プロ初めての1番での起用になった<ref>{{Cite web |publisher=Full-Count |url=https://full-count.jp/2017/07/09/post75457/ |title=本人に説明しなかった中田1番起用の理由 ハム栗山監督「バット振らないと」 |date=2017-07-09 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。8月13日のソフトバンク戦からは、指定席であった4番に返り咲き、以後はほぼ4番として起用され続けた<ref>{{Cite web |publisher=Full-Count |url=https://full-count.jp/2017/08/13/post79605/ |title=ハム中田が4試合ぶり「4番・一塁手」で先発復帰、大谷は休養日で先発外れる |date=2017-08-13 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。最終的には、「打率.216、16本塁打、67打点」。打率(リーグワースト1位)、得点圏打率(.195。リーグワースト2位)、OPS(.676。リーグワースト4位)、RC27(3.69。リーグワースト1位)など、打撃面でのほとんどの項目で、レギュラー定着後最悪の成績になり、シーズン20本塁打も5年連続で途切れた。この年は8月17日に、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|国内FA権]]を取得(2016年12月の契約更改のときから、国内FA権取得後の動向が注目されていた)<ref>{{Cite web |publisher=日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1873548.html |title=日本ハム中田が国内FA取得「今は考える余裕ない」 |date=2017-08-17 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。しかし、実質的に自己最悪のシーズンに終わった影響もあり、11月14日、「ふがいない成績でチームを去ることはできない」として、国内FA権を行使せずに残留することを表明、推定年俸2億円(8000万円のダウン)+出来高払いで契約を更改した<ref>{{Cite web |publisher=スポーツ報知 |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171114-OHT1T50106.html |title=【日本ハム】中田、FA権行使せず残留「ふがいない成績でチームを去ることは出来ない」 |date=2017-11-14 |accessdate=2018-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180314180237/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171114-OHT1T50106.html |archivedate=2018-03-14}}</ref><ref>{{Cite web |publisher=Full-Count |url=https://full-count.jp/2017/11/14/post92866/ |title=ハム中田、FA行使せず8000万円減で残留 一問一答「不甲斐ない結果で…」 |date=2017-11-14 |accessdate=2018-03-14}}</ref>。2018年4月のインタビューで、2017年シーズンの不振について「WBCに向けて(打撃における)タイミングと打つポイントを変えたが、結果として裏目になってしまった。(自身にとってFAイヤーである大切な年とわかっていたのでなおさら)このままで終わったらやばいという気持ちと焦り(が膨らみ続けた結果、シーズンを通してスランプから脱却できないまま終わってしまった)」と振り返っている<ref name="nakatafa2017a">{{Cite web |publisher=ライブドアニュース |url=https://news.livedoor.com/article/detail/14552166/ |title=中田翔、FA移籍に揺れた本音を明かす 「自分なんかが残っていいのか」「裏切りたくない」 |date=2018-04-09 |accessdate=2018-04-12}}</ref>。シーズンを通して自身の去就を熟考し続けたとのことだが、「(ファンの)みんなが掲げてくれた横断幕{{Efn2|「お前が必要 中田 翔」}}にしても、本当にありがたいなと思ったし、そういう人たちがいる限り裏切りたくない(と思うようになった)」として、最終的に残留を決断したという{{R|nakatafa2017a}}。


'''{{By|2020年}}'''は開幕前から「馬鹿みたいにバットを振らなくても打球が勝手に飛んで行く」と話し、キャンプについては『レベチ』(レベルが違う)との感想を述べた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2020/02/26/0013146236.shtml |title=日本ハム中田 今年は「レベチ」キャリアハイ約束「打球が勝手に飛んでいく」 |website=デイリースポーツ |date=2020-02-26 |accessdate=2021-04-17}}</ref>。9月10日のロッテ戦([[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]])にて史上64人目となる通算250本塁打に到達した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20200911-2EPQFEK4SNP5RPFQDQCVKGE5GU/ |title=日本ハム・中田、通算250号!2冠ガッチリ4番が止まらん |website=サンケイスポーツ |date=2020-09-11 |accessdate=2021-04-17}}</ref>。シーズン成績は1試合欠場しただけの119試合に出場し{{Efn2|[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染拡大]]の影響で開幕が当初より3か月遅れて[[セ・パ交流戦]]も中止となり、試合数もこれまでの143試合から120試合で行われた。}}、前年同様低調な打率だったが自身最多となる31本塁打を記録。本塁打王は32本塁打の[[浅村栄斗]]に譲る形となったものの、108打点を記録し、4年ぶりに打点王を獲得した。オフに、5000万円増となる推定年俸3億4000万円で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012170000411.html |title=日本ハム中田翔5000万円増「レベチ」を流行語に |website=日刊スポーツ |date=2020-12-17 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。
'''{{By|2018年}}'''は新たなチームキャプテンに任命され「初心に帰ってがむしゃらに戦いたい」ことをテーマに掲げてキャンプインした<ref>{{Cite web |url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/o/386037/ |title=日ハム中田、自主トレを公開 再起へ「がむしゃら」 |publisher=西日本スポーツ |date=2018-01-12 |accessdate=2021-01-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121123401/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/o/386037/ |archivedate=2021-01-21}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50493_S8A110C1000000/ |title=日本ハム中田「再起へがむしゃらに」 阪神・西岡らと自主トレ |publisher=日本経済新聞 |date=2018-01-12 |accessdate=2018-01-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180112090859/https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50493_S8A110C1000000/ |archivedate=2018-01-12}}</ref>。3月30日の開幕戦では、7年連続での「開幕4番」を務めた。4月15日のオリックス戦([[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]])では、2014年10月以来、4年ぶりとなる左翼手での出場を果たした(この試合では左翼手として[[補殺]]を1つ成功させている)<ref>{{Cite web |publisher=日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804150000664.html |title=日本ハム中田4年ぶり外野で補殺「チョー緊張した」 |date=2018-04-15 |accessdate=2018-04-17}}</ref>{{Efn2|この試合では「4番・一塁手」として先発出場したが、7回裏の守備から左翼手として出場。}}。5月9日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、6回表に[[小林慶祐]]から左前打を放ち、プロ野球通算1000安打を記録した<ref>{{Cite web |title=日本ハム中田1000安打「支えてくれた方に感謝」 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201805090000667.html |website=日刊スポーツ |date=2018-05-09 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。8月24日の楽天戦(札幌ドーム)で[[近藤弘樹]]から本塁打を放ち、通算200本塁打を達成した<ref>{{Cite web |title=日本ハム中田、平成生まれ初200号も「まだまだ」 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808250000287.html |website=日刊スポーツ |date=2018-08-25 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。平成生まれでの達成は史上初であり、球団史上5人目の快挙となった。シーズンを通して活躍し、2年ぶり6度目となる20本塁打を達成し、自身4度目となる100打点は球団最多記録となった<ref>{{Cite web |title=日本ハム中田が球団史上最多4度の100打点 NPB最多は王貞治の14回 |url=https://full-count.jp/2018/09/18/post206553/ |website=Full-Count |date=2018-09-18 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。また、シーズン犠飛記録では歴代2位となる13本を記録した<ref>{{Cite web |title=日本ハム中田翔 犠飛13本ここ数年なかったでしょう |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201901170000062.html |website=日刊スポーツ |date=2019-01-17 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。オフに、FA権を行使せず3年契約で残留することを表明し、8000万円増となる推定年俸2億8000万円で契約を更改した(出来高を含めた3年総額で推定10億円)<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/11/13/kiji/20181113s00001173213000c.html |title=日本ハム中田、8000万円UPの2億8000万円、3年総額10億円 FA行使せず残留 |publisher=Sponichi Annex |date=2018-11-13 |accessdate=2021-01-24}}</ref>


'''{{By|2021年}}'''は前年とは一転して調子の上がらないまま春季キャンプを終え、取材陣に対し、「今年は…ちょっと、あんまよくないですね。ゴミです」と不安を吐露した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/03/01/0014116632.shtml |title=日本ハム・中田翔がレベチ一転…嘆き節「ゴミです」キャンプ缶詰生活も一因 |website=デイリースポーツ |date=2021-03-01 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。開幕後も調子は上向かず、4月7日の対ソフトバンク戦では3度の好機で凡退、5回裏の打席で三振した後には悔しさからベンチ内でバットをへし折った。更に苛立ちから試合外で転倒し、右目の上を負傷。その影響から、6回の守備から交代となった。監督の栗山は取材に対し、中田のバット折りについて「ベンチでやるな、後ろでやれと言っている」「見ている人で不愉快な人もいる」と、負傷について「試合中に野球以外のところでつまずいたりするのはなしでしょ。いなくなるのは責任を果たしてないだろ」と厳しい口調でコメントした<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/04/08/kiji/20210408s00001173357000c.html |title=日本ハム・中田の7日の途中交代劇を栗山監督が説明 バットへし折り、右目負傷 「不愉快な人もいる」 |website=Sponichi Annex |date=2021-04-08 |accessdate=2021-04-08}}</ref>。翌日の試合は欠場したが、9日のオリックス戦(京セラドーム大阪)の試合で、先発出場に復帰。打撃では内野ゴロでも相手の野手選択を誘った全力疾走を行ったり、守備では捕球こそできなかったもののファウルゾーンへの小フライに対して躊躇なく飛び込むなど、気合のあふれるプレーを見せた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202104090001110.html |title=「定位置」復帰の日本ハム中田、全力疾走で逆転劇を呼ぶ |website=日刊スポーツ |date=2021-04-09 |accessdate=2021-04-09}}</ref>。開幕17戦で本塁打0だったが、4月17日の対楽天戦(東京ドーム)の1回に8年ぶりの[[日本野球機構|NPB]]での登板だった[[田中将大]]から先制2ランとなるシーズン第1号を打ち、さらに6回に[[牧田和久]]から2号ソロ本塁打を打ち田中のNPBでの連勝記録を「28」で止めた<ref>{{Cite web ja |title=日本ハム・中田 お目覚め2発!マー君撃ちV1号 「吹っ切れた」六回特大2号ソロ |website=デイリースポーツ |date=2021-04-18 |accessdate=2021-04-18 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/04/18/0014250985.shtml}}</ref>。しかし、その後は本調子とまではならずに打撃不振が続き、自ら二軍での再調整を希望して5月17日に出場選手登録を抹消された。抹消後しばらくは試合には出場せずに室内練習場での再調整を続け、6月1日の二軍公式戦で実戦復帰<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202106010000834.html |title=「もう1回やらないかん」日本ハム中田翔2軍で再スタート「迷惑かけた」 |website=日刊スポーツ |date=2021-06-01 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。4日に一軍に復帰した。しかし、一軍復帰直後の8日の対[[阪神タイガース]]戦の第2打席で三塁ゴロを放って一塁を駆け抜けた際に右腰付近に違和感が生じ、途中交代。駆け抜けた後は立ち上がれず担架で運ばれて退場し<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20210608-47HK5IZ64JL4JEUV6WGF7QPLQQ/ |title=日本ハム・中田、走塁で腰を痛め担架で退場 |website=サンスポ |date=2021-06-08 |accessdate=2021-08-11}}</ref>、[[急性腰痛症|急性腰痛]]で復帰まで3週間かかる見通しとの診断だったため、翌9日に出場選手登録を抹消された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK30475_Z00C21A6000000/ |title=日本ハム・中田翔、急性腰痛で登録抹消 復帰に3週間 |website=日本経済新聞 |date=2021-06-08 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。39試合の出場で打率.193、4本塁打、13打点、OPS.577という成績で前半戦を終えた。手術は選択せず<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202107220000871.html |title=日本ハム中田翔、医師から手術提案され悩む「半々だよね」腰痛治療で |website=日刊スポーツ |date=2021-07-23 |accessdate=2021-09-05}}</ref>腰への負担を軽減させるために体重を約10kg減量させ、7月27日[[2021プロ野球エキシビションマッチ|エキシビションマッチ]]の対広島戦で一軍復帰を果たした<ref>{{Cite web ja |title=中田翔 復活へ向け再出発 主砲の今後の野球人生に栗山監督「ここからが大事」 |website=Sponichi Annex |date=2021-07-29 |author=東尾洋樹 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/07/29/kiji/20210728s00001173686000c.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>。しかし8月4日に[[#チームメイトへの暴行事件|後述の暴行事件]]を起こしたことにより、同月11日に球団から出場停止処分を科され{{R|nikkansports20210811}}、解除日未定の出場停止選手として公示された{{R|npb20210811}}。
'''{{By|2019年}}'''3月29日のオリックスとの開幕戦(札幌ドーム)で8年連続となる「開幕4番」を務め、延長10回裏に[[岩本輝]]から史上3人目となるサヨナラ満塁本塁打を記録した<ref>{{Cite web |title=中田翔サヨナラ満弾「なめてんのか」連続敬遠で気合 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201903290001171.html |website=日刊スポーツ |date=2019-03-29 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。自身の前の打者であった[[西川遥輝]]と[[近藤健介]]が立て続けに[[故意四球#申告による故意四球|申告敬遠]]された後の本塁打だった。ヒーローインタビューで「あるとは思っていたけど、目の前で見たら、ナメてるのかなと思って、すごく気合が入りました」とコメントした。6月4日のヤクルト戦(札幌ドーム)で2年ぶりとなる1試合2本塁打を放った<ref>{{Cite web |title=日ハム中田、5点差逆転7連勝に「何点差あっても『逆転しよう』と…」 |url=https://full-count.jp/2019/06/05/post397831/ |website=Full-Count |date=2019-06-05 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。7月末時点の成績では打率.262、23本塁打、68打点を記録していたが<ref>{{Cite web |title=「あのケガが大きかった」―日ハム中田が振り返った「本当に悔しい1年」 |url=https://full-count.jp/2019/10/01/post555995/ |website=Full-Count |date=2019-10-01 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>、8月13日に右手母指球部挫傷で全治2週間と診断され、登録抹消された<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/14/kiji/20190814s00001173049000c.html |website=スポーツニッポン |date=2019-08-14 |accessdate=2020-03-18 |title=日本ハム中田 右手母指球部挫傷で2年ぶり抹消「早く戻したい」 |publisher=}}</ref>。復帰以降も調子は上がらず、打率.242、24本塁打、80打点の成績でシーズンを終えた。オフの契約更改では1000万円増となる推定年俸2億9000万円+出来高払いでサインし<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201912030000930.html |title=中田翔、来季へ「そろそろゆっくり6番あたりを」 |publisher=日刊スポーツ |date=2019-12-03 |accessdate=2021-08-21}}</ref>、また2年間務めたチームキャプテンの任が今年で終わり、「キャプテンをさせてもらって、今までとは違うチームの見方ができましたし、みんなの前で発言する機会も増えたので本当にいい勉強になりました」とコメントした<ref>{{Cite web |title=日ハム中田、1000万円増の2.9億円で更改 4番争奪戦を大歓迎「切磋琢磨して…」 |url=https://full-count.jp/2019/12/03/post623796/ |website=Full-Count |accessdate=2020-03-18 |date=2019-12-03}}</ref>。

'''{{By|2020年}}'''は開幕前から「馬鹿みたいにバットを振らなくても打球が勝手に飛んで行く」と話し、キャンプについては『レベチ』(レベルが違う)との感想を述べた<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2020/02/26/0013146236.shtml |title=日本ハム中田 今年は「レベチ」キャリアハイ約束「打球が勝手に飛んでいく」 |publisher=デイリースポーツ |date=2020-02-26 |accessdate=2021-04-17}}</ref>。9月10日のロッテ戦([[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]])にて史上64人目となる通算250本塁打に到達した<ref>{{Cite news |url=https://www.sanspo.com/article/20200911-2EPQFEK4SNP5RPFQDQCVKGE5GU/ |title=日本ハム・中田、通算250号!2冠ガッチリ4番が止まらん |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-09-11 |accessdate=2021-04-17}}</ref>。シーズン成績は1試合欠場しただけの119試合に出場し{{Efn2|[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染拡大]]の影響で開幕が当初より3か月遅れて[[セ・パ交流戦]]も中止となり、試合数もこれまでの143試合から120試合で行われた。}}、前年同様低調な打率だったが自身最多となる31本塁打を記録。本塁打王は32本塁打の[[浅村栄斗]]に譲る形となったものの、108打点を記録し、4年ぶりに打点王を獲得した。オフに、5000万円増となる推定年俸3億4000万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012170000411.html |title=日本ハム中田翔5000万円増「レベチ」を流行語に |publisher=日刊スポーツ |date=2020-12-17 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。

'''{{By|2021年}}'''は前年とは一転して調子の上がらないまま春季キャンプを終え、取材陣に対し、「今年は…ちょっと、あんまよくないですね。ゴミです」と不安を吐露した<ref>{{Cite news |title=日本ハム・中田翔がレベチ一転…嘆き節「ゴミです」キャンプ缶詰生活も一因 |newspaper=デイリースポーツ |date=2021-03-01 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/03/01/0014116632.shtml |accessdate=2021-08-11}}</ref>。開幕後も調子は上向かず、4月7日の対ソフトバンク戦では3度の好機で凡退、5回裏の打席で三振した後には悔しさからベンチ内でバットをへし折った。更に苛立ちから試合外で転倒し、右目の上を負傷。その影響から、6回の守備から交代となった。監督の栗山は取材に対し、中田のバット折りについて「ベンチでやるな、後ろでやれと言っている」「見ている人で不愉快な人もいる」と、負傷について「試合中に野球以外のところでつまずいたりするのはなしでしょ。いなくなるのは責任を果たしてないだろ」と厳しい口調でコメントした<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/04/08/kiji/20210408s00001173357000c.html |title=日本ハム・中田の7日の途中交代劇を栗山監督が説明 バットへし折り、右目負傷 「不愉快な人もいる」 |publisher=Sponichi Annex |date=2021-04-08 |accessdate=2021-04-08}}</ref>。翌日の試合は欠場したが、9日のオリックス戦(京セラドーム大阪)の試合で、先発出場に復帰。打撃では内野ゴロでも相手の野手選択を誘った全力疾走を行ったり、守備では捕球こそできなかったもののファウルゾーンへの小フライに対して躊躇なく飛び込むなど、気合のあふれるプレーを見せた<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202104090001110.html |title=「定位置」復帰の日本ハム中田、全力疾走で逆転劇を呼ぶ |publisher=日刊スポーツ |date=2021-04-09 |accessdate=2021-04-09}}</ref>。開幕17戦で本塁打0だったが、4月17日の対楽天戦(東京ドーム)の1回に8年ぶりの[[日本野球機構|NPB]]での登板だった[[田中将大]]から先制2ランとなるシーズン第1号を打ち、さらに6回に[[牧田和久]]から2号ソロ本塁打を打ち田中のNPBでの連勝記録を「28」で止めた<ref>{{Cite news |title=日本ハム・中田 お目覚め2発!マー君撃ちV1号 「吹っ切れた」六回特大2号ソロ |newspaper=デイリースポーツ |date=2021-04-18 |accessdate=2021-04-18 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/04/18/0014250985.shtml}}</ref>。しかし、その後は本調子とまではならずに打撃不振が続き、自ら二軍での再調整を希望して5月17日に出場選手登録を抹消された。抹消後しばらくは試合には出場せずに室内練習場での再調整を続け、6月1日の二軍公式戦で実戦復帰<ref>{{Cite news |title=「もう1回やらないかん」日本ハム中田翔2軍で再スタート「迷惑かけた」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-06-01 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202106010000834.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>。4日に一軍に復帰した。しかし、一軍復帰直後の8日の対[[阪神タイガース|阪神]]戦の第2打席で三塁ゴロを放って一塁を駆け抜けた際に右腰付近に違和感が生じ、途中交代。駆け抜けた後は立ち上がれず担架で運ばれて退場し<ref>{{Cite news |title=日本ハム・中田、走塁で腰を痛め担架で退場 |newspaper=サンスポ |date=2021-06-08 |url=https://www.sanspo.com/article/20210608-47HK5IZ64JL4JEUV6WGF7QPLQQ/ |accessdate=2021-08-11}}</ref>、[[急性腰痛症|急性腰痛]]で復帰まで3週間かかる見通しとの診断だったため、翌9日に出場選手登録を抹消された<ref>{{Cite news |title=日本ハム・中田翔、急性腰痛で登録抹消 復帰に3週間 |newspaper=日本経済新聞 |date=2021-06-08 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK30475_Z00C21A6000000/ |accessdate=2021-08-11}}</ref>。39試合の出場で打率.193、4本塁打、13打点、OPS.577という成績で前半戦を終えた。手術は選択せず<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202107220000871.html |title=日本ハム中田翔、医師から手術提案され悩む「半々だよね」腰痛治療で |publisher=日刊スポーツ |date=2021-07-23 |accessdate=2021-09-05}}</ref>腰への負担を軽減させるために体重を約10kg減量させ、7月27日[[2021プロ野球エキシビションマッチ|エキシビションマッチ]]の対[[広島東洋カープ|広島]]戦で一軍復帰を果たした<ref>{{Cite news |title=中田翔 復活へ向け再出発 主砲の今後の野球人生に栗山監督「ここからが大事」 |newspaper=Sponichi Annex |date=2021-07-29 |author=東尾洋樹 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/07/29/kiji/20210728s00001173686000c.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>。しかし8月4日に[[#チームメイトへの暴行事件|後述の暴行事件]]を起こしたことにより、同月11日に球団から出場停止処分を科され{{R|nikkan210811}}、解除日未定の出場停止選手として公示された{{R|npb20210811}}。


=== 巨人時代 ===
=== 巨人時代 ===
[[file:Giants_Sho_Nakata_20220311.jpg|150px|読売ジャイアンツ時代<br />(2022年3月11日、[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]にて)|thumb]]
2021年8月20日に[[日本プロフェッショナル野球協約|野球協約]]第105条に基づく[[無償トレード]]で[[読売ジャイアンツ]]へ移籍し{{Efn2|本来のトレード期限は7月31日までだが、2021年は[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]開催に伴うシーズン中断が生じることから、[[日本野球機構]](NPB)と加盟12球団との合意により、同年はトレード期限が8月31日まで延長となっていた<ref>{{Cite web |title=NPBがトレード期限など8月31日まで延長 五輪開催に伴う特例措置 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202106230000422.html |website=日刊スポーツ |accessdate=2021-08-20 |date=2021-06-23}}</ref>。}}<ref>{{Cite web |url=https://www.giants.jp/G/gnews/news_3916157.html |title=北海道日本ハムファイターズとのトレード合意について |publisher=読売巨人軍公式サイト |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/00003452.html |title=読売ジャイアンツとのトレード合意について |website=北海道日本ハムファイターズ |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20}}</ref>、日本ハム球団から科されていた出場停止処分も同日をもって解除されることが発表された<ref name="hochi20210820">{{Cite web |title=【巨人】日本ハム・中田翔をトレードで獲得 両球団発表 交換要員なし 暴行問題に揺れる主砲へ救いの手 |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51034.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20 |language=ja}}</ref>。背番号は同年に入団した[[ジャスティン・スモーク]]が着用し、途中退団により空き番号となっていた「'''10'''」となった。同日午前に球団事務所で会見を行ったのち、午後には一軍のチーム練習に合流し<ref>{{Cite news |title=巨人電撃移籍の中田がチーム練習に合流 背番号10のユニホームで快音連発 |newspaper=サンスポ |date=2021-08-20 |url=https://www.sanspo.com/article/20210820-2X4JQOZMNBNH7EPCRC3MMHEGDU/ |accessdate=2021-08-21}}</ref>、翌21日には出場選手登録された<ref>{{Cite news |title=巨人、中田翔1軍登録 阪神ファン不安がる「困る」「キツすぎる」ネットざわつく |newspaper=デイリースポーツ online |date=2021-08-21 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610471.shtml |accessdate=2021-08-21}}</ref>。同日の対[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]]戦で[[大城卓三]]の代打として移籍後初出場<ref>{{Cite news |title=電撃移籍の中田翔が巨人デビュー 6回勝ち越し機に大城の代打で登場 ストレートの四球で満塁に |newspaper=Sponichi Annex |date=2021-08-21 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/21/kiji/20210821s00001173294000c.html |accessdate=2021-08-21}}</ref>。翌日には5番・一塁手で先発出場し、[[今永昇太]]から移籍後初安打となる2点本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=巨人・中田翔の移籍後初安打は特大2ラン ドローに持ち込む価値ある一撃 |newspaper=BASEBALL KING |date=2021-08-22 |url=https://baseballking.jp/ns/292274 |accessdate=2021-08-23}}</ref>。しかし、その本塁打以降は長打がほとんど無く打点も挙げられず、打率は1割台と低迷<ref>{{Cite news |title=日本ハムであの日、何があったのか 中田翔騒動の長期化招いた古巣が問われる説明責任 |newspaper=東スポWeb |date=2021-09-08 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/3609343/ |accessdate=2021-09-08}}</ref>し、9月11日に登録を抹消された<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/328337 |title=【巨人】中田翔の登録抹消…移籍後は16試合で打率.150 代わって新外国人ハイネマンを登録 |publisher=中日スポーツ |date=2021-09-11 |accessdate=2021-09-11}}</ref>。[[読売ジャイアンツ (ファーム)|二軍]]では[[長嶋茂雄]]終身名誉監督からの直接指導や[[阿部慎之助]]二軍監督とのマンツーマン指導などを受けた。二軍戦6試合に出場し、打率.500(22打数11安打)、4本塁打、13打点と圧倒的な成績を残し、9月21日に最短で一軍に復帰したが<ref>{{Cite news |title=【巨人】中田翔1軍復帰 21日広島戦いきなりスタメンも 長嶋茂雄さん、阿部慎之助2軍監督に結果で恩返し |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-09-21 |url=https://hochi.news/articles/20210920-OHT1T51197.html?page=1 |accessdate=2021-09-21}}</ref>、再昇格後も24打数2安打と一軍では打撃が振るわず、10月1日に移籍後2度目の登録抹消となった<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110010000657.html |title=巨人中田翔が登録抹消 再昇格も24打数2安打 ドラ5秋広優人も降格 |publisher=日刊スポーツ |date=2021-10-01 |accessdate=2021-10-01}}</ref>。同12日に再び一軍へ昇格し、同日の[[阪神タイガース]]戦では代打安打を記録したものの<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/346460 |title=V逸の日…再昇格の巨人・中田翔が代打安打 |publisher=中日スポーツ |date=2021-10-12 |accessdate=2021-12-11}}</ref>移籍後は34試合の出場で打率.154、3本塁打、7打点という成績に終わった<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/10/30/0014802596.shtml |title=巨人・中田「これ以上、チームの足を引っ張りたくない」 CS突破へ決意表明 |publisher=デイリースポーツ |date=2021-10-30 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。リーグ3位で迎えた[[2021年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CS]]でも計2試合の代打出場にとどまり、チームのファイナルステージ敗退が決定した11月12日の試合では最後の打者として空振り三振に倒れた<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20211112-OHT1T51245.html?page=1 |title=【巨人】原巨人、コールドドローで終戦 今季を象徴するように最後まで勝負所での一本が出ず |publisher=スポーツ報知 |date=2021-11-13 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。契約更改では減額制限を超える56%減(1億9000万円減)の推定年俸1億5000万円でサインをした<ref>{{Cite web |url=https://full-count.jp/2021/12/07/post1163884/ |title=巨人中田翔、3.4億円→1.5億円の大減俸更改 減額制限超えに「来年はいい意味で荒々しく」 |publisher=Full-Count |date=2021-12-07 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。
2021年8月20日に[[日本プロフェッショナル野球協約|野球協約]]第105条に基づく[[無償トレード]]で[[読売ジャイアンツ]]へ移籍し{{Efn2|本来のトレード期限は7月31日までだが、2021年は[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]開催に伴うシーズン中断が生じることから、[[日本野球機構]](NPB)と加盟12球団との合意により、同年はトレード期限が8月31日まで延長となっていた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202106230000422.html |title=NPBがトレード期限など8月31日まで延長 五輪開催に伴う特例措置 |website=日刊スポーツ |date=2021-06-23 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。}}<ref>{{Cite web ja |url=https://www.giants.jp/news/1918/ |title=北海道日本ハムファイターズとのトレード合意について |website=読売巨人軍公式サイト |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/00003452.html |title=読売ジャイアンツとのトレード合意について |website=北海道日本ハムファイターズ |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20}}</ref>、日本ハム球団から科されていた出場停止処分も同日をもって解除されることが発表された<ref name="hochi20210820">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51034.html?page=1 |title=【巨人】日本ハム・中田翔をトレードで獲得 両球団発表 交換要員なし 暴行問題に揺れる主砲へ救いの手 |website=スポーツ報知 |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。背番号は同年に入団した[[ジャスティン・スモーク]]が着用し、途中退団により空き番号となっていた'''10'''となった。同日午前に球団事務所で会見を行ったのち、午後には一軍のチーム練習に合流し<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20210820-2X4JQOZMNBNH7EPCRC3MMHEGDU/ |title=巨人電撃移籍の中田がチーム練習に合流 背番号10のユニホームで快音連発 |website=サンスポ |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-21}}</ref>、翌21日には出場選手登録された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610471.shtml |title=巨人、中田翔1軍登録 阪神ファン不安がる「困る」「キツすぎる」ネットざわつく |website=デイリースポーツ online |date=2021-08-21 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。同日の対[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]]戦で[[大城卓三]]の代打として移籍後初出場<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/21/kiji/20210821s00001173294000c.html |title=電撃移籍の中田翔が巨人デビュー 6回勝ち越し機に大城の代打で登場 ストレートの四球で満塁に |website=Sponichi Annex |date=2021-08-21 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。翌日には「5番・一塁手」で先発出場し、[[今永昇太]]から移籍後初安打となる2点本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://baseballking.jp/ns/292274 |title=巨人・中田翔の移籍後初安打は特大2ラン ドローに持ち込む価値ある一撃 |website=BASEBALL KING |date=2021-08-22 |accessdate=2021-08-23}}</ref>。しかし、その本塁打以降は長打がほとんど無く打点も挙げられず、打率は1割台と低迷<ref>{{Cite web ja |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/84965 |title=日本ハムであの日、何があったのか 中田翔騒動の長期化招いた古巣が問われる説明責任 |website=東スポWeb |date=2021-09-08 |accessdate=2021-09-08}}</ref>し、9月11日に登録を抹消された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/328337 |title=【巨人】中田翔の登録抹消…移籍後は16試合で打率.150 代わって新外国人ハイネマンを登録 |website=中日スポーツ |date=2021-09-11 |accessdate=2021-09-11}}</ref>。[[読売ジャイアンツ (ファーム)|二軍]]では[[長嶋茂雄]]終身名誉監督からの直接指導や[[阿部慎之助]]二軍監督とのマンツーマン指導などを受けた。二軍戦6試合に出場し、打率.500(22打数11安打)、4本塁打、13打点と圧倒的な成績を残し、9月21日に最短で一軍に復帰したが<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20210920-OHT1T51197.html?page=1 |title=【巨人】中田翔1軍復帰 21日広島戦いきなりスタメンも 長嶋茂雄さん、阿部慎之助2軍監督に結果で恩返し |website=スポーツ報知 |date=2021-09-21 |accessdate=2021-09-21}}</ref>、再昇格後も24打数2安打と一軍では打撃が振るわず、10月1日に移籍後2度目の登録抹消となった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110010000657.html |title=巨人中田翔が登録抹消 再昇格も24打数2安打 ドラ5秋広優人も降格 |website=日刊スポーツ |date=2021-10-01 |accessdate=2021-10-01}}</ref>。同12日に再び一軍へ昇格し、同日の阪神戦では代打安打を記録したものの<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/346460 |title=V逸の日…再昇格の巨人・中田翔が代打安打 |website=中日スポーツ |date=2021-10-12 |accessdate=2021-12-11}}</ref>移籍後は34試合の出場で打率.154、3本塁打、7打点という成績に終わった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/10/30/0014802596.shtml |title=巨人・中田「これ以上、チームの足を引っ張りたくない」 CS突破へ決意表明 |website=デイリースポーツ |date=2021-10-30 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。リーグ3位で迎えた[[2021年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CS]]でも計2試合の代打出場にとどまり、チームのファイナルステージ敗退が決定した11月12日の試合では最後の打者として空振り三振に倒れた<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20211112-OHT1T51245.html?page=1 |title=【巨人】原巨人、コールドドローで終戦 今季を象徴するように最後まで勝負所での一本が出ず |website=スポーツ報知 |date=2021-11-13 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。契約更改では減額制限を超える56%減(1億9000万円減)の推定年俸1億5000万円でサインをした<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2021/12/07/post1163884/ |title=巨人中田翔、3.4億円→1.5億円の大減俸更改 減額制限超えに「来年はいい意味で荒々しく」 |website=Full-Count |date=2021-12-07 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。


'''{{By|2022年}}'''、4月3日の対阪神戦(東京ドーム)では1回一死満塁の打席で[[ジョー・ガンケル]]から満塁本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/04/03/kiji/20220403s00001173281000c.html |title=巨人・中田翔「興奮しています」 衝撃弾に東京ドーム騒然!21打席ぶり安打が初回満塁弾 しかも特大! |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2022-04-03 |accessdate=2023-10-06}}</ref>。5月13日の対中日戦(東京ドーム)でプロ入り初の犠打を決め<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/05/13/0015298486.shtml |title=巨人快勝!中田プロ初犠打後に特大弾で雄たけび 戸郷が両リーグトップ5勝目 |website=デイリースポーツ online |date=2022-05-13 |accessdate=2022-05-13}}</ref>、通算1521試合で6245打席目での初犠打は、[[張本勲]]の1858試合で7669打席目に次ぐ歴代最遅2位となった。翌14日の同一カードでは2点を追う7回一死満塁の打席で[[祖父江大輔]]からシーズン2本目の満塁本塁打となる逆転満塁本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/05/14/kiji/20220514s00001173227000c.html |title=巨人 中田翔が7回に逆転満塁弾!「凄く気持ち良かったです」5点差ハネ返して今月初の3連勝 |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2022-05-14 |accessdate=2023-10-06}}</ref>。同月28日の古巣・日本ハムとのセパ交流戦(札幌ドーム)で本塁打を放ち、全球団から本塁打を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/05/29/0015341247.shtml |title=巨人・中田 古巣に“翔タイム”で恩返し 適時打&12球団制覇弾 お約束“杉谷いじり”も |website=デイリースポーツ online |date=2022-05-29 |accessdate=2022-06-29}}</ref>。7月13日の対阪神戦で二回で適時失策を犯し、即時交代。先発出場しながら一打席で交代となったのは移籍後では初だった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/07/13/0015466732.shtml |title=巨人 二回に適時失策の中田を即時交代 原監督が厳しい判断下す |website=デイリースポーツ online |date=2022-07-13 |accessdate=2022-07-13}}</ref>。8月10日の中日戦([[ナゴヤドーム|バンテリンドームナゴヤ]])では9回表に[[ライデル・マルティネス]]から決勝本塁打を放ち[[戸郷翔征]]の10勝目を呼び込むと<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20220810-OHT1T51248.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、9回に値千金の決勝弾!戸郷翔征、初の10勝をグィッと後押し 大勢27セーブ |website=スポーツ報知 |date=2022-08-10 |accessdate=2022-08-11}}</ref>、翌11日の同カードでは、不調の[[岡本和真]]に変わり[[読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧|球団第91代の4番打者]]に起用され<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20220811-OHT1T51095.html?page=1 |title=【巨人】打線組み替えで中田翔が第91代4番…岡本和真は6番で1050日ぶりの4番以外での先発 |website=スポーツ報知 |date=2022-08-11 |accessdate=2022-08-11}}</ref>、第1打席で先制適時打を放ちチームの勝利に貢献<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202208110000685.html |title=【巨人】5月以来2カード連続勝ち越し「91代4番」中田翔先制打 山崎伊織6回1失点で4勝目 |website=日刊スポーツ |date=2022-08-11 |accessdate=2022-08-11}}</ref>。12日~14日の広島3連戦(東京ドーム)では、初戦で4番での初本塁打を含む3安打2打点の活躍を見せると<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20220812-OHT1T51188.html?page=1 |title=【巨人】91代4番・中田翔が移籍後初の4番弾を含む3安打2打点 8月の月間打率は4割3分3厘 |website=スポーツ報知 |date=2022-08-12 |accessdate=2022-08-12}}</ref>、2戦目には適時打、3戦目には先制2点本塁打を放ち、2004年の[[小久保裕紀]]以来となる4番デビューから4戦連続打点を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20220814-OHT1T51123.html?page=1 |title=【巨人】中田翔が先制15号2ラン 4番デビューから4試合連続打点は04年小久保裕紀以来 |website=スポーツ報知 |date=2022-08-14 |accessdate=2022-08-14}}</ref>。8月23日の中日戦では、史上47人目で平成生まれでは初の通算1000打点を達成<ref name="hochi20220823">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20220823-OHT1T51183.html?page=1 |title=【巨人】4番・中田翔が平成生まれ初、史上47人目の1000打点到達 5回に2本目の適時打 |website=スポーツ報知 |date=2022-08-23 |publisher=報知新聞社 |accessdate=2022-08-23}}</ref>。最終的に規定打席には大きく及ばなかったが、109試合出場で打率.269、本塁打24本、68打点と、2シーズンぶりの20本塁打達成やチーム内打点数2位と前年度の成績を大きく上回り、勝利に大きく貢献した。11月14日、巨人移籍後初・セ・リーグ初となるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞した<ref>{{Cite web ja |url=https://mgg.mitsuipr.com/ |title=第51回三井ゴールデン・グラブ賞 |website=三井広報委員会 |date=2022-11-14 |accessdate=2022-11-14}}</ref>。両リーグ受賞は史上9人目で、かつ一塁手部門では史上初のセパ両受賞者となった<ref name="hochi20221114">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20221114-OHT1T51075.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、史上初の一塁手部門で両リーグゴールデン・グラブ賞 |website=スポーツ報知 |date=2022-11-14 |accessdate=2022-11-14}}</ref>。契約更改では倍増の推定年俸3億円で、3年契約を結んだ<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/12/02/0015858340.shtml |title=巨人・中田 3年契約、倍増の3億円で更改「もっともっと気を引き締めて」 |website=デイリースポーツ online |date=2022-12-02 |accessdate=2022-12-02}}</ref>。一方で期間途中でも契約を破棄することなどができる、オプトアウトの条項を加えての契約でもあった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2023/10/14/0016916991.shtml |title=巨人・中田翔が海外FA権について言及「試合に出たいって気持ちも強い」 |website=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-10-14 |accessdate=2023-10-14}}</ref>。
2022年5月13日、対中日戦でプロ入り初の犠打を決め<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/05/13/0015298486.shtml|title=巨人快勝!中田プロ初犠打後に特大弾で雄たけび 戸郷が両リーグトップ5勝目|publisher=デイリースポーツ online|date=2022-05-13|accessdate=2022-05-13}}</ref>、通算1521試合で6245打席目での初犠打は、[[張本勲]]の1858試合で7669打席目に次ぐ歴代最遅2位となった。5月28日の古巣・日本ハムとのセパ交流戦(札幌ドーム)で本塁打を放ち、全球団から本塁打を記録した<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/05/29/0015341247.shtml|title=巨人・中田 古巣に“翔タイム”で恩返し 適時打&12球団制覇弾 お約束“杉谷いじり”も|publisher=デイリースポーツ online|date=2022-05-29|accessdate=2022-06-29}}</ref>。7月13日、対阪神戦で二回で適時失策を犯し、即時交代。先発出場しながら一打席で交代となったのは移籍後では初だった<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/07/13/0015466732.shtml|title=巨人 二回に適時失策の中田を即時交代 原監督が厳しい判断下す|publisher=デイリースポーツ online|date=2022-07-13|accessdate=2022-07-13}}</ref>。
8月10日の[[中日ドラゴンズ]]戦([[ナゴヤドーム|バンテリンドームナゴヤ]])では9回表に[[ライデル・マルティネス]]から決勝本塁打を放ち[[戸郷翔征]]の10勝目を呼び込むと<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220810-OHT1T51248.html|title= 【巨人】中田翔、9回に値千金の決勝弾!戸郷翔征、初の10勝をグィッと後押し 大勢27セーブ |publisher=スポーツ報知 |date=2022-08-10|accessdate=2022-08-11}}</ref>、翌11日の同カードでは、不調の[[岡本和真]]に変わり[[読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧|球団第91代の4番打者]]に起用され<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220811-OHT1T51095.html|title= 【巨人】打線組み替えで中田翔が第91代4番…岡本和真は6番で1050日ぶりの4番以外での先発|publisher=スポーツ報知 |date=2022-08-11|accessdate=2022-08-11}}</ref>、第1打席で先制タイムリーを放ちチームの勝利に貢献<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202208110000685_m.html|title= 【巨人】5月以来2カード連続勝ち越し「91代4番」中田翔先制打 山崎伊織6回1失点で4勝目 |publisher=日刊スポーツ|date=2022-08-11|accessdate=2022-08-11}}</ref>。12日~14日の広島3連戦(東京ドーム)では、初戦で4番での初本塁打を含む3安打2打点の活躍を見せると<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220812-OHT1T51188.html|title= 【巨人】91代4番・中田翔が移籍後初の4番弾を含む3安打2打点 8月の月間打率は4割3分3厘|publisher=スポーツ報知 |date=2022-08-12|accessdate=2022-08-12}}</ref>、2戦目にはタイムリー、3戦目には先制2点本塁打を放ち、2004年の[[小久保裕紀]]以来となる4番デビューから4戦連続打点をマークした<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220814-OHT1T51123.html|title= 【巨人】中田翔が先制15号2ラン 4番デビューから4試合連続打点は04年小久保裕紀以来|publisher=スポーツ報知 |date=2022-08-14|accessdate=2022-08-14}}</ref>。8月23日の中日戦では、史上47人目で平成生まれでは初の通算1000打点を達成<ref name="hochi20220823">{{Cite news2 |title= 【巨人】4番・中田翔が平成生まれ初、史上47人目の1000打点到達 5回に2本目の適時打|url=https://hochi.news/articles/20220823-OHT1T51183.html|newspaper=スポーツ報知 |date=2022-08-23|agency=報知新聞社|accessdate=2022-08-23}}</ref>。


'''{{By|2023年}}'''は3月31日の中日との開幕戦で「5番・一塁手」で先発出場。4回無死無走者の打席で[[小笠原慎之介]]から開幕戦本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2023/04/01/post1359130/ |title=投手は膝つき唖然…中田翔の“滞空時間”6秒の衝撃弾が「めっちゃ詰まってるのに」 |website=Full-Count |date=2023-04-01 |accessdate=2024-11-24}}</ref>。同年は開幕から先発出場を続け、4月29日の対広島戦(東京ドーム)では1点を追う9回二死一塁の打席で[[栗林良吏]]から逆転サヨナラ2点本塁打を放つなど<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20230429-OHT1T51338.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、逆転サヨナラ2ラン!10日ぶり6号で広島に劇的連勝 |website=スポーツ報知 |publisher=報知新聞社 |date=2023-04-29 |accessdate=2023-10-06}}</ref>、好調を維持した。しかし、5月4日の対ヤクルト戦で、2回に左翼への二塁打で出塁した際に右足を痛め、そのまま交代。試合後に都内の医療機関で「右ハムストリングスの肉離れ」と診断され、翌日5日に登録抹消となり、故障班に合流すると発表された<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20230504-OHT1T51342.html?page=1 |title=【巨人】中田翔「右ハムストリングスの肉離れ」で抹消 走塁時に痛め負傷交代 代わって梶谷隆幸が1軍昇格 |website=スポーツ報知 |date=2023-05-05 |accessdate=2024-05-18}}</ref>。その後、5月25日に一軍に復帰したが、故障離脱してる間に新人の[[門脇誠]]が三塁手として出場を続け{{Efn2|9月7日以降は[[坂本勇人]]の守備負担軽減のため、門脇が遊撃手に回り坂本が三塁手となり、門脇と坂本の守備位置を交換する形となった。}}、三塁手として出場していた岡本が一塁手として出場するパターンが定着したため、先発出場する機会が減少<ref name="nikkansports20231115">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202311150000782.html |title=【巨人】中田翔が年俸3億円の契約を2年残し合意解除「グラウンドでの全力プレー1年でも長く」 |website=日刊スポーツ |date=2023-11-15 |accessdate=2023-11-15}}</ref>。それでも代打としての出場機会は増加し{{Efn2|最終的に、代打としては自己最多となる21試合に出場した{{R|nikkansports20231115}}。}}、8月6日の対広島戦では[[河野佳]]から史上45人目となる通算300本塁打を記録した{{R|hochi20230806}}。しかし、9月1日に特例2023で登録抹消となり<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20230901-OHT1T51127.html?page=1 |title=【巨人】中田翔が特例2023で登録抹消…特例抹消の岡本和真が再登録 |website=スポーツ報知 |date=2023-09-01 |accessdate=2024-05-18}}</ref>、同15日に再度一軍登録されたが、5日後の20日に腰痛で3度目の登録抹消となった<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20230920-OHT1T51111.html?page=1 |title=【巨人】中田翔が腰痛のため登録抹消 |website=スポーツ報知 |date=2023-09-20 |accessdate=2024-05-18}}</ref>。この抹消以降は一軍に昇格できずそのままシーズンを終えた。故障離脱と門脇の台頭で、最終的な出場数は前年より少ない92試合となり、打率.255、15本塁打、37打点で、規定打席到達は逃した。シーズン終了後、新たに監督に就任した[[阿部慎之助]]が、翌年は一塁・岡本、三塁・坂本、遊撃・門脇という構想を掲げたため、翌年も先発出場機会を確保できない状況となった<ref name="hochi20231115">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20231115-OHT1T51088.html?page=1 |title=【巨人】中田翔の退団決定 球団はトレード移籍模索もオプトアウトによる契約破棄で自由契約の強い希望を尊重 |website=スポーツ報知 |date=2023-11-15 |accessdate=2023-11-15}}</ref>。そのため、先発出場機会を求めて海外FA権を行使することを熟考していると報道されたが<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20231113-OHT1T51225.html?page=1 |title=【巨人】中田翔 FA行使は期限の14日まで熟考へ 残留も視野に考え抜く |website=スポーツ報知 |date=2023-11-15 |accessdate=2023-11-15}}</ref>、期限の11月14日までに申請書類を提出せず、FA権の行使は見送った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/11/15/kiji/20231115s00001173052000c.html |title=巨人・中田翔 海外FA権行使せず |website=スポーツニッポン |date=2023-11-15 |accessdate=2023-11-15}}</ref>。しかし、期限翌日の15日に、前年オフに結んでいた3年契約に盛り込まれていたオプトアウト権{{Efn2|長期契約の途中でも、契約内容を見直したり、破棄したりすることができる権利<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202311140001447.html |title=【巨人】中田翔異例の退団 残り2年契約破棄、自ら自由契約 出場機会求めオプトアウトの権利行使 |website=日刊スポーツ |date=2023-11-15 |accessdate=2023-11-15}}</ref>。}}を行使して契約を破棄し、自由契約選手となることを選択した{{R|nikkansports20231115}}<ref>{{Cite web ja |url=https://www.giants.jp/news/21958/ |title=中田翔選手との契約について |website=読売巨人軍公式サイト |date=2023-11-15 |access-date=2023-11-15}}</ref>{{Efn2|FA権を行使しての移籍では移籍先の球団から前所属の球団へ人的補償や金銭補償が発生するが、契約破棄して自由契約となった状態からの移籍であればそれらが発生しない{{R|nikkansports20231115}}。}}。
== 不祥事 ==
=== スーパーでの迷惑行為 ===
2018年1月29日にチームメイトの[[西川遥輝]]、[[井口和朋]]、[[松本剛 (野球)|松本剛]]とともにアメリカ国内のスーパーマーケット・[[ターゲット・コーポレーション|ターゲット]]で買い出しに出掛けている様子を中田が開設したばかりの[[Instagram]]に投稿したところ、その中に中田と西川が[[ショッピングカート]]に乗ってはしゃぐ迷惑行為を行っている写真があり、その写真に対して非難の声が集中し[[炎上 (ネット用語)|炎上]]する騒ぎとなった<ref>{{Cite news |newspaper=Yahoo!ニュース個人 |date=2018-01-30 |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20180130-00081028/ |title=北海道日本ハムファイターズは、中田翔を再教育できるのか? |author=阿佐智 |accessdate=2018-01-30}}</ref><ref>{{Cite news |newspaper=J-CASTニュース |date=2018-01-30 |url=https://www.j-cast.com/2018/01/30319888.html?p=all |title=中田翔、インスタ早くも「炎上」 スーパーでカートに乗る悪ふざけ...批判受け削除 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。


=== 中日時代 ===
=== チームメイトへの暴行事件 ===
2023年12月6日に[[中日ドラゴンズ]]と正式に契約し、入団会見を行った。推定年俸は3億円前後の2年契約である<ref>{{Cite web ja |url=https://dragons.jp/news/2023/23120601.php |title=中田翔選手入団会見 |website=中日ドラゴンズ |date=2023-12-06 |accessdate=2023-12-07}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/12/06/kiji/20231206s00001173220000c.html |title=中日の中田翔 入団会見「個人としては打点。チームとしては頂点」背番号6 |website=Sponichi Annex |date=2023-12-06 |accessdate=2023-12-06}}</ref>。背番号は'''6'''<ref name="NIKKEI20231206">{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC063D70W3A201C2000000/ |title=中田翔「一から頑張る」 中日入団会見、背番号6に |website=日本経済新聞 |date=2023-12-06 |accessdate=2023-12-06}}</ref>。
2021年8月4日、エキシビションマッチ・対[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]]戦([[千代台公園野球場]])の開始前に同僚選手1名(以下、被害選手)に対してベンチ裏で暴力行為を行っていたことが判明し、試合中に球場からの退場と自宅謹慎を命じられた{{R|nikkan210811}}。同日の試合では中田は4番で先発出場して、1回に先制の適時二塁打を放っていたものの、直後の2回の守備から交代させられていた<ref>{{Cite news |title=日本ハム中田翔と西川遥輝が途中交代「いろいろある困っちゃうな」栗山監督 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-08-04 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202108040000798.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>。


'''{{By|2024年}}'''は3月29日のヤクルトとの開幕戦([[明治神宮野球場]])で5回二死無走者の打席で[[サイ・スニード]]から史上2人目となる3球団で開幕戦本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20240329-OHT1T51358.html?page=1 |title=中日・中田翔が2人目の偉業 56年ぶり3球団開幕戦アーチ「監督を男にしたい」 |website=スポーツ報知 |date=2024-03-30 |accessdate=2024-11-24}}</ref>。休養を挟みながらも開幕から4番に座る<ref>{{Cite web ja |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/861466 |title=中田翔のリアルな評判…龍空ら中日選手が続々証言「ベンチでボソッと言うんですよ」ド派手な金髪、グッズ売上1位「衝撃の人気度」 |website=Number Web |date=2024-04-28 |author=長尾隆広 |accessdate=2024-05-22}}</ref>。しかし、5月15日の対阪神戦で左足首付近に[[自打球]]を当て、その足を庇って走塁した影響で右のハムストリングを負傷し、翌16日に登録抹消となった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/899821 |title=中日・中田翔、自打球の影響は「軽い肉離れみたいな感じ」 26日ヤクルト戦から最短での1軍復帰を目指す |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2024-05-17 |accessdate=2024-05-22}}</ref>。同月28日に出場選手登録される<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202405280000917.html |title=【中日】中田翔が出場選手登録され「6番一塁」スタメン復帰、赤銅色に近い金髪でグラウンド登場 |website=日刊スポーツ |date=2024-05-28 |accessdate=2024-11-24}}</ref>と、6月は2日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で延長12回二死二塁の打席で[[阿部翔太]]から<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/907691 |title=【中日】中田翔「すごい投球してくれた」投手陣に報いる土壇場延長12回2死の決着打…痛み乗り越え移籍後初のヒーローインタビュー |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2024-06-03 |accessdate=2024-11-24}}</ref>、14日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では延長10回二死二塁の打席で[[坂本光士郎]]からそれぞれ延長戦で決勝適時二塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/913498 |title=【中日】中田翔、プロ17年間で初の経験「自分の打撃が分からなくなった」…チームと自分を救った決勝打「ファンの声援に支えられた」 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2024-06-15 |accessdate=2024-11-24}}</ref>が、同月は月間打率1割、2打点に苦しみ、26日に腰痛で出場選手登録を抹消<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/918744 |title=中日・中田翔、出場選手登録を抹消へ、6月は打率1割2打点、代わって石川昂弥が昇格する見込み「ファンの声援に支えられた」 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2024-06-26 |accessdate=2024-11-24}}</ref><ref name="chunichi20240719">{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/929886 |title=中日・中田翔、龍空、後藤駿太を出場選手登録 16日ヤクルト戦で決勝点の適時失策を犯したロドリゲスを抹消 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2024-07-19 |accessdate=2024-11-24}}</ref>。7月19日に再び出場選手登録される{{R|chunichi20240719}}と、同月21日の対巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で6回二死無走者の打席で[[菅野智之]]から移籍後初の本拠地で初本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/07/21/kiji/20240721s00001173245000c.html |title=中日・中田翔 菅野から今季4号ソロ!移籍後初の本拠バンテリンドーム弾 昇格3日目に79日ぶり一発 |website=スポーツニッポン |date=2024-07-21 |accessdate=2024-11-24}}</ref>。8月7日・8日の対DeNA戦では先発から外され、代打で出場するもともに空振り三振に倒れ、同月9日に出場選手登録を抹消された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/08/09/kiji/20240809s00001173274000c.html |title=中日 中田翔を抹消 ここ2試合ともに代打で空振り三振 ブライトが昇格 巨人は若林を抹消 |website=スポーツニッポン |date=2024-08-09 |accessdate=2024-11-24}}</ref>。最終的に62試合に出場、打率.217、4本塁打、21打点という成績に終わった<ref name="nikkansports20241109">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202411090000508.html |title=【中日】中田翔が契約最終年を現状維持3億円でサイン「来季はラストチャンス」不退転の決意表明 |website=日刊スポーツ |date=2024-11-09 |accessdate=2024-11-24}}</ref>。オフの11月9日に2年契約2年目で現状維持となる推定年俸3億円で契約を更改した{{R|nikkansports20241109}}。
球団による詳細な調査の結果、被害選手よりこのことを大事にしたくない旨の申告があり、中田本人が深く反省しているという諸事情を踏まえてもなお中田の行為が統一選手契約書第17条(模範行為)に違反し、[[日本プロフェッショナル野球協約|野球協約]]第60条(1)の規定に該当するものと球団は認定。11日、球団は中田に対して当面、一軍、二軍全ての試合の[[出場停止#野球|出場停止]]処分を科すことを発表し<ref name="nikkan210811">{{Cite news |title=中田翔が暴力行為 日本ハム「厳正な対応」模範行為違反で出場停止処分 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-08-11 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202108110000367.html |accessdate=2021-08-11}}</ref><ref>{{Cite press release |title=中田選手の違反行為と処分について |publisher=北海道日本ハムファイターズ |date=2021-08-11 |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/00003428.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>、同日付で出場停止選手公示がなされた<ref name="npb20210811">{{Cite web |url=https://npb.jp/announcement/2021/pn_suspended.html |title=出場停止選手 {{!}} 2021年度公示 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-08-11}}</ref>。


== 代表経歴 ==
同日、球団社長兼オーナー代行の川村浩二が記者会見を行い、被害選手に落ち度はなく、中田が突発的に腹を立てて手を出したものであること、被害選手が受けた暴力はプレーに支障がない程度であること、中田と被害選手は本来は懇意な2人だったことが説明された<ref>{{Cite news |title=日本ハム・中田は「突発的に腹を立てて手を出した」 川村球団社長が会見「被害の選手に落ち度はない」 |newspaper=Sponichi Annex |date=2021-08-11 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/11/kiji/20210811s00001173384000c.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>。また、球団施設で個人での自主練習は認める方針だが、チーム練習には参加させず、ユニフォーム着用も禁ずる考えも示された<ref>{{Cite news |title=出場停止の中田翔 4日の試合前、突発的に腹を立て同僚選手に手を出す |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-08-12 |author=田中彩友美 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202108110000751.html |accessdate=2021-08-12}}</ref>。会見に中田は同席しなかった。
2012年シーズンオフの12月4日に、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC日本代表]]候補選手34人が発表され<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/japan/news/20121204.html |title=2013WBC日本代表候補選手発表 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date=2012-12-04 |accessdate=2015-04-03}}</ref>候補入りした<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/wbc/2013/roster_c.html |title=2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date=2012-12-04 |accessdate=2015-04-03}}</ref>。監督の[[山本浩二]]から4番候補として期待される。


2013年2月20日に、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC日本代表]]選手28人が発表され<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/japan/news/20130220.html |title=2013WBC日本代表28選手の発表 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date=2013-02-20 |accessdate=2015-04-02}}</ref>代表入りした<ref>{{Cite web ja |url=http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2013 |title=2013 Tournament Roster |website=WBC公式サイト |date= |accessdate=2015-04-02 |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140313031932/http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2013 |archivedate=2014-03-13}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/wbc/2013/roster_pix.html |title=2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー |website=NPB.jp 日本野球機構 |date=2013-02-20 |accessdate=2015-04-02}}</ref>。合宿から[[立浪和義]]打撃コーチの指導のもと、すり足への打撃フォームの改造に取り組んだ。WBCでは序盤戦は活躍するも、長打が出ないことを理由に打撃フォームを元に戻すことを直訴し<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/wbc/2013/03/12/0005807212.shtml |title=中田好調も長打が…旧打法テストを直訴 |website=デイリースポーツ |date=2013-03-12 |accessdate=2024-05-18}}</ref>、後半戦は大振りが目立ち、WBCの最終個人成績は21打数6安打(.286)と打率は残したが本塁打など長打は打てなかった<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/wbc/2013/stats_jpn.html |title=日本代表個人成績 {{!}} 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2024-05-18}}</ref>。打順は下位で起用されることが多かった。
同16日、[[栗山英樹]]監督がこの件について初めて言及。同年中の一軍復帰を否定したうえで、「このチームでは難しい」と退団の可能性も示した<ref>{{Cite news |title=暴力行為の中田 日本ハム放出も!栗山監督 復帰は「このチームでは難しい」他球団での再出発を示唆 |newspaper=Sponichi Annex |date=2021-08-17 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/17/kiji/20210817s00001173090000c.html |accessdate=2021-08-17}}</ref>。


2015年7月16日に[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表され<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150716_1.html |title=トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-07-16 |accessdate=2015-08-04}}</ref>、9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表され<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html |title=「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-09-10 |accessdate=2015-09-20}}</ref>、10月9日に最終ロースター28名に選出されたことが発表され<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20151009_1.html |title=「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-10-09 |accessdate=2015-10-09}}</ref>代表入りしている。同大会では、第4戦まで合計11打点を記録。第4戦[[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ]]戦では、6回表に決勝3点本塁打を左中間スタンドに記録し、日本代表の決勝トーナメント進出に貢献した上、最終的には打率.429、3本塁打、15打点で大会ベストナインに選出されている。
同20日、[[読売ジャイアンツ|巨人]]に[[無償トレード]]で移籍することが発表され、巨人球団事務所で開かれた記者会見には、金髪から黒髪にしたうえで髭も剃って姿を現し<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20210820-NP4QQOIC6JLCDICXZMIR35MPHU/ |title=巨人にトレード移籍の中田翔が会見 黒髪、ひげなしで「本当にすいませんでした」 |publisher=サンケイスポーツ |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-22}}</ref>、冒頭で「今回、本当に皆さんに迷惑をかけてしまったこと、本当に反省しています。本人にももちろんそうですし、ファンの皆さんに対しても裏切ってしまったということに対して、すごく後悔だったり、本当に反省しています。すみませんでした」と謝罪の言葉を述べた{{R|hochi20210820}}。移籍にあたっては、16日夜に日本ハム・[[栗山英樹]]監督から巨人・[[原辰徳]]監督へ直接電話で相談があり、原監督が巨人球団首脳とかけ合って獲得が決定した<ref>{{Cite web |title=【巨人】原辰徳監督が中田獲得について思いを激白「過去、現在、未来を共有する覚悟でもう一度チャンスを与えるべき」 |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51081.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20 |language=ja}}</ref>。


2017年に[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回WBC日本代表]]に選出。4番は[[筒香嘉智]]に譲ったが、欠場した二次ラウンドのイスラエル戦を除き筒香の後ろの5番打者に座った。1次ラウンドオーストラリア戦では決勝ソロ本塁打を放ち、二次ラウンドオランダ戦では[[リック・バンデンハーク]]から一時決勝打となる3点本塁打を放つと同点に追いつかれた後の延長11回に決勝2点適時打を放った。大会全体では打率こそ.238にとどまったが、1次ラウンドの中国戦を合わせ3本の本塁打を記録し8打点を記録した。
無償トレードとなったこと、日本ハムから科された出場停止処分が9日間で解除され巨人ですぐ一軍戦に出場したこと、日本ハム主導での謝罪会見が開かれなかったことなどに対し、賛否を呼ぶ出来事となった<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/21/kiji/20210821s00001173126000c.html |title=中田 巨人への無償トレードに賛否真っ二つ 賛成31・8% 反対31・3% ツイッター緊急アンケート |publisher=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-08-21 |accessdate=2021-08-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.iza.ne.jp/article/20210823-HU6VK3NFSNLADI3KSXLQUKFGVA/ |title=巨人移籍後初アーチも…中田翔の即出場に渦巻く賛否 わずか9日の「無期限試合出場停止処分」 入団会見に球団旗なかったワケ |publisher=イザ! |date=2021-08-23 |accessdate=2021-08-25}}</ref>。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==
=== 打撃 ===
=== 打撃 ===
[[File:Sho Nakata 2009 Japan Series.jpg|right|thumb|中田のスイング([[2009年の日本シリーズ]]にて)]]
[[File:Sho Nakata 2009 Japan Series.jpg|right|thumb|150px|中田のスイング([[2009年の日本シリーズ]]にて)]]
高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とし<ref name="ay">{{Cite book |和書 |author= |year=2007 |title=アマチュア野球 vol.13 |publisher=日刊スポーツ出版社 |pages=4-5 |id=ISBN 978-4-8172-5365-1}}</ref>、体勢を崩されても打球をスタンドに運ぶことが出来る<ref>{{Cite book |和書 |author= |year=2011 |title=野球小僧 世界野球選手名鑑2011 |publisher=白夜書房 |pages=57 |id=ISBN 978-4-86191-710-3}}</ref>。初球から積極的に振っていくスタイルで<ref name="sy12">{{Cite book |和書 |author= |year=2012 |title=野球小僧 世界野球選手名鑑2012 |publisher=白夜書房 |pages=35 |id=ISBN 978-4-86191-872-8}}</ref>、四球率は通算6.7%と平均的だが、反面、2011年にはボールゾーンのスイング率が30%を越えるなど選球眼に難があった{{R|sy12}}。こうした選球眼の悪さが課題にあったものの、後述の「ガニ股打法」などの変遷を経て、徐々に四球数・三振数・バットコントロールを改善していった。
高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とし<ref>{{Cite book ja |year=2007 |title=アマチュア野球 vol.13 |publisher=日刊スポーツ出版社 |pages=4-5 |id=ISBN 978-4-8172-5365-1}}</ref>、体勢を崩されても打球をスタンドに運ぶことが出来る<ref>{{Cite book ja |year=2011 |title=野球小僧 世界野球選手名鑑2011 |publisher=白夜書房 |pages=57 |id=ISBN 978-4-86191-710-3}}</ref>。初球から積極的に振っていくスタイルで<ref name="選手名鑑2012">{{Cite book ja |year=2012 |title=野球小僧 世界野球選手名鑑2012 |publisher=白夜書房 |pages=35 |id=ISBN 978-4-86191-872-8}}</ref>、四球率は通算6.7%と平均的だが、反面、2011年にはボールゾーンのスイング率が30%を越えるなど選球眼に難があった{{R|選手名鑑2012}}。こうした選球眼の悪さが課題にあったものの、後述の「ガニ股打法」などの変遷を経て、徐々に四球数・三振数・バットコントロールを改善していった。


2014年頃からは緩急をつけるようになり、2ストライク時や得点圏で確実に1点が求められる場面によっては、足をわずかに上げミート重視のコンパクトな打撃に切り替えることが多くなった。本人も打点へのこだわりを述べている<ref>{{Cite web |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20141006-06 |title=中田翔 本人もこだわる「打点」で初めての打撃タイトルへ |publisher=週刊ベースボールONLINE |date=2014-09-30 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。その影響からか、[[IsoP]](長打力を測る指標)は、2013年にリーグ1位の「0.246」を記録して以後の4シーズン(2014年 - 2017年)は、「0.186→0.215→0.181→0.150」と、長距離打者としては比較的抑えられた数値になっている{{R|nakatameikan2018a}}。
2014年頃からは緩急をつけるようになり、2ストライク時や得点圏で確実に1点が求められる場面によっては、足をわずかに上げミート重視のコンパクトな打撃に切り替えることが多くなった。本人も打点へのこだわりを述べている<ref>{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20141006-06 |title=中田翔 本人もこだわる「打点」で初めての打撃タイトルへ |website=週刊ベースボールONLINE |date=2014-09-30 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。その影響からか、[[IsoP]](長打力を測る指標)は、2013年にリーグ1位の「0.246」を記録して以後の4シーズン(2014年 - 2017年)は、「0.186→0.215→0.181→0.150」と、長距離打者としては比較的抑えられた数値になっている{{R|nakatameikan2018a}}。


2015年 - 2017年の3シーズンにおいて、[[三振]]率は「19.6%→20.2%→19.0%」と、リーグ平均値を前後する数値で推移しているが、[[空振り]]率は「12.4%→13.2%→12.2%」と、リーグ平均値よりも望ましくない数値で推移している(リーグ平均値は「9.4%→9.0%→9.8%」){{R|nakatameikan2016a|nakatameikan2017a|nakatameikan2018a}}。また、初球スイング率では「31.9%→37.7%(リーグ2位)→33.7%」と、リーグ平均値を上回る高い数値で推移しており、積極的に振る傾向の強い打者であるといえる{{R|nakatameikan2016a|nakatameikan2017a|nakatameikan2018a}}。
2015年 - 2017年の3シーズンにおいて、[[三振]]率は「19.6%→20.2%→19.0%」と、リーグ平均値を前後する数値で推移しているが、[[空振り]]率は「12.4%→13.2%→12.2%」と、リーグ平均値よりも望ましくない数値で推移している(リーグ平均値は「9.4%→9.0%→9.8%」){{R|nakatameikan2016a|nakatameikan2017a|nakatameikan2018a}}。また、初球スイング率では「31.9%→37.7%(リーグ2位)→33.7%」と、リーグ平均値を上回る高い数値で推移しており、積極的に振る傾向の強い打者であるといえる{{R|nakatameikan2016a|nakatameikan2017a|nakatameikan2018a}}。


打球方向の「引っ張り打球割合」{{Efn2|中田翔の場合、右打者であるため、左翼への打球方向が「引っ張り打球」になる。この「引っ張り打球」の割合が40%を上回るシーズンが複数続くと「引っ張り傾向の強い打者(プルヒッター)」とみなされることの目安になる。}}が、2015年 - 2017年の3シーズンにおいて、「51%→54%→49%」と高い数値で推移しており(特に2016年シーズンの「引っ張り打球割合」はリーグ1位であった)、日本人打者の中でも、[[打者|プルヒッター]]の傾向の強い打者であることが示されている<ref>『ベースボール・タイムズ』vol.29(2016年冬号)、83頁。</ref><ref name="nakatameikan2016a">『2016プロ野球オール写真選手名鑑』34頁、223頁 - 225頁。</ref><ref name="nakatameikan2017a">『2017プロ野球オール写真選手名鑑』16頁、226頁 - 228頁。</ref><ref name="nakatameikan2018a">『2018プロ野球オール写真選手名鑑』84頁、226頁 - 228頁。</ref>。また、2015年 - 2017年の3シーズンにおける「フライボール率」は、「55.6%(リーグ3位)→59.4%(リーグ1位)→58.2%(リーグ1位)」と高い数値で推移しており、打球における[[飛球|フライボール]]の多い打者([[打者|フライボールヒッター]])であるといえる{{R|nakatameikan2016a|nakatameikan2017a|nakatameikan2018a}}。
打球方向の「引っ張り打球割合」{{Efn2|中田翔の場合、右打者であるため、左翼への打球方向が「引っ張り打球」になる。この「引っ張り打球」の割合が40%を上回るシーズンが複数続くと「引っ張り傾向の強い打者(プルヒッター)」とみなされることの目安になる。}}が、2015年 - 2017年の3シーズンにおいて、「51%→54%→49%」と高い数値で推移しており(特に2016年シーズンの「引っ張り打球割合」はリーグ1位であった)、日本人打者の中でも、[[打者|プルヒッター]]の傾向の強い打者であることが示されている<ref>『[[ベースボール・タイムズ]]』vol.29(2016年冬号)、83頁。</ref><ref name="nakatameikan2016a">『2016プロ野球オール写真選手名鑑』34頁、223頁 - 225頁。</ref><ref name="nakatameikan2017a">『2017プロ野球オール写真選手名鑑』16頁、226頁 - 228頁。</ref><ref name="nakatameikan2018a">『2018プロ野球オール写真選手名鑑』84頁、226頁 - 228頁。</ref>。また、2015年 - 2017年の3シーズンにおける「フライボール率」は、「55.6%(リーグ3位)→59.4%(リーグ1位)→58.2%(リーグ1位)」と高い数値で推移しており、打球における[[飛球|フライボール]]の多い打者([[打者|フライボールヒッター]])であるといえる{{R|nakatameikan2016a|nakatameikan2017a|nakatameikan2018a}}。


[[File:Sho Nakata on April 3, 2012.jpg|right|thumb|中田の打撃フォーム(2012年)]]
[[File:Sho Nakata on April 3, 2012.jpg|right|thumb|150px|中田の打撃フォーム(2012年)]]
打撃フォームの変遷が激しく、2011年には選球眼の改善を試みるため、脇を閉めて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組んでいた<ref name="df54">『週刊プロ野球データファイル』2012年54号、ベースボール・マガジン社、雑誌27202-5/9、5-6頁。</ref>。しかし、下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった[[福良淳一]]やチームメイトだった[[稲葉篤紀]]からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ{{R|df54}}。この年のオフには[[ケビン山崎]]の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが{{R|df54}}、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥ったため、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスな打撃フォームとなった<ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/29/kiji/K20120529003348250.html |title=中田“お目覚め”16戦ぶり4号&今季2度目の猛打賞! |publisher=スポニチ |date=2012-05-29 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120530065753/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/29/kiji/K20120529003348250.html |archivedate=2012-05-30}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120602-961086.html |title=ハム中田左足上げる新フォームで加速だ |publisher=日刊スポーツ |date=2012-06-02 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。
打撃フォームの変遷が激しく、2011年には選球眼の改善を試みるため、脇を閉めて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組んでいた<ref name="df54">『週刊プロ野球データファイル』2012年54号、ベースボール・マガジン社、雑誌27202-5/9、5-6頁。</ref>。しかし、下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった[[福良淳一]]やチームメイトだった[[稲葉篤紀]]からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ{{R|df54}}。この年のオフには[[ケビン山崎]]の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが{{R|df54}}、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥ったため、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスな打撃フォームとなった<ref>{{Cite web ja |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/29/kiji/K20120529003348250.html |title=中田“お目覚め”16戦ぶり4号&今季2度目の猛打賞! |website=スポニチ |date=2012-05-29 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120530065753/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/29/kiji/K20120529003348250.html |archivedate=2012-05-30}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120602-961086.html |title=ハム中田左足上げる新フォームで加速だ |website=日刊スポーツ |date=2012-06-02 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。


日本ハム時代は[[栗山英樹]]の監督就任後の2012年から、ほぼ一貫して4番打者として起用され続けていたが、栗山曰く、中田を4番として起用し続ける理由として、「自分の中の感覚だけど、いつも調子が悪くても、球の強い投手がきても、絶対に打てる可能性をいつも感じさせる選手。特別なタイプの投手を打てない、というのはダメ。どんな投手が来ても、いつも期待できる選手でないと4番を張れないし、何とかしてくれる可能性をいつも感じている打者だから。調子が悪くてもバットを振るし。その可能性が高くないとチームを背負えないので」という趣旨のことを述べている<ref>{{Cite web |publisher=Full-Count |url=https://full-count.jp/2016/10/26/post49343/ |title=日ハム栗山監督が中田を4番で使い続けるワケ |date=2016-10-26 |accessdate=2016-12-13}}</ref>。
日本ハム時代は[[栗山英樹]]の監督就任後の2012年から、ほぼ一貫して4番打者として起用され続けていたが、栗山曰く、中田を4番として起用し続ける理由として、「自分の中の感覚だけど、いつも調子が悪くても、球の強い投手がきても、絶対に打てる可能性をいつも感じさせる選手。特別なタイプの投手を打てない、というのはダメ。どんな投手が来ても、いつも期待できる選手でないと4番を張れないし、何とかしてくれる可能性をいつも感じている打者だから。調子が悪くてもバットを振るし。その可能性が高くないとチームを背負えないので」という趣旨のことを述べている<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2016/10/26/post49343/ |title=日ハム栗山監督が中田を4番で使い続けるワケ |website=Full-Count |date=2016-10-26 |accessdate=2016-12-13}}</ref>。


[[犠牲フライ#シーズン記録|犠飛]]の多い選手であり、特に2018年シーズンは歴代単独2位となる13本を記録した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201901170000062.html |title=日本ハム中田翔 犠飛13本ここ数年なかったでしょう |publisher=日刊スポーツ |date=2019-01-17 |accessdate=2019-09-30}}</ref>。
[[犠牲フライ#シーズン記録|犠飛]]の多い選手であり、特に2018年シーズンは歴代単独2位となる13本を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201901170000062.html |title=日本ハム中田翔 犠飛13本ここ数年なかったでしょう |website=日刊スポーツ |date=2019-01-17 |accessdate=2019-09-30}}</ref>。


2020年時点でシーズン100打点を5度記録している<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20201020-OHT1T50233.html?page=1 |title=【日本ハム】中田翔が29号2ランで101打点 2年ぶり5度目の100打点超え |publisher=スポーツ報知 |date=2020-10-20 |accessdate=2020-11-19}}</ref>。本人も[[打点]]に強い拘りを持っており、2019年のオフには「打点でもっと貢献したかった。俺はホームランを30本、40本打ちたいという欲よりも毎年100打点打ちたいという欲の方が強い。打点の方が直接の貢献度が大きいと個人的に思うから。ホームランは調子が良ければ、ポンポンと出るもの。打点というのは場面、場面でみんながつくってくれるチャンスなので。バントして犠牲になってくれている奴もおれば、スチールして(ヒット)1本で(ホームに)還れる状況をつくってくれる奴もいる中での打点なんでね。同じ1点でも重みが違うかなと思う」とコメントした<ref>{{Cite web |title=「あのケガが大きかった」―日ハム中田が振り返った「本当に悔しい1年」 |url=https://full-count.jp/2019/10/01/post555995/ |website=Full-Count |date=2019-10-01 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>。
打点の記録が優れている一人とも認められている<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/opinion-d/2023/04/03/0016207782.shtml |title=【野球】巨人・中田翔は今季、落合博満氏以来の史上2人目の両リーグ打点王を獲得できるか |website=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-04-03 |accessdate=2023-06-21}}</ref>。2020年時点でシーズン100打点を5度記録している<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20201020-OHT1T50233.html?page=1 |title=【日本ハム】中田翔が29号2ランで101打点 2年ぶり5度目の100打点超え |website=スポーツ報知 |date=2020-10-20 |accessdate=2020-11-19}}</ref>。本人も[[打点]]に強い拘りを持っており、2019年のオフには「打点でもっと貢献したかった。俺は本塁打を30本、40本打ちたいという欲よりも毎年100打点打ちたいという欲の方が強い。打点の方が直接の貢献度が大きいと個人的に思うから。本塁打は調子が良ければ、ポンポンと出るもの。打点というのは場面、場面でみんながつくってくれるチャンスなので。バントして犠牲になってくれている奴もおれば、スチールして(ヒット)1本で(ホームに)還れる状況をつくってくれる奴もいる中での打点なんでね。同じ1点でも重みが違うかなと思う」とコメントした<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2019/10/01/post555995/ |title=「あのケガが大きかった」―日ハム中田が振り返った「本当に悔しい1年」 |website=Full-Count |date=2019-10-01 |accessdate=2020-03-18}}</ref>。


=== 走塁 ===
=== 走塁 ===
足は特別速いわけでもなく、一塁到達は4.3秒台<ref>右打ちの革命者『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、178-181頁。</ref>である。高校生時で50メートル走のタイムは6秒2<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20150428-VP7V4VUZ6JIJHN735XFDENZWLE/ |title=「動けるデブは最強」発言から7年…スリムになった中田の今 |publisher=サンケイスポーツ |date=2015-04-28 |accessdate=2021-04-14}}</ref>。[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回WBC]]ではキューバ戦で[[盗塁]]を記録している。
足は特別速いわけでもなく、一塁到達は4.3秒台<ref>右打ちの革命者『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、178-181頁。</ref>である。高校生時で50メートル走のタイムは6秒2<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20150428-VP7V4VUZ6JIJHN735XFDENZWLE/ |title=「動けるデブは最強」発言から7年…スリムになった中田の今 |website=サンケイスポーツ |date=2015-04-28 |accessdate=2021-04-14}}</ref>。[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回WBC]]ではキューバ戦で[[盗塁]]を記録している。


=== 守備 ===
=== 守備 ===
入団当初は[[三塁手]]と[[一塁手]]で起用されていたが、出場機会の増加や強肩を活かすため、2010年からは[[左翼手]]として起用されるようになった。怪我の影響もあり、2015年からは一塁手に再[[コンバート (野球)|転向]]している。また、2014年には三塁手へ再転向が提案されるも、守備の悩みから打撃に悪影響を受け開幕は左翼手となり、結局同年の三塁手としての出場は無かった<ref>{{Cite web |url=https://baseballking.jp/ns/19774 |title=1年前の1月8日を答え合わせ! 中田翔に課せられた“サード転向”プラン |publisher=BASEBALL KING |date=2015-01-08 |accessdate=2017-01-28}}</ref>。2019年にも三塁手転向プランがあったが<ref name="nikkan190212">{{Cite news |title=日本ハム中田「三塁」プラン ビッグバン打線復活か |newspaper=日刊スポーツ |date=2019-02-12 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902110000529.html |accessdate=2021-08-23}}</ref>、結局三塁手としての一軍出場はないままである。
入団当初は[[三塁手]]と[[一塁手]]で起用されていたが、出場機会の増加や強肩を活かすため、2010年からは[[左翼手]]として起用されるようになった。怪我の影響もあり、2015年からは一塁手に再[[コンバート (野球)|転向]]している。また、2014年には三塁手へ再転向が提案されるも、守備の悩みから打撃に悪影響を受け開幕は左翼手となり、結局同年の三塁手としての出場は無かった<ref>{{Cite web ja |url=https://baseballking.jp/ns/19774 |title=1年前の1月8日を答え合わせ! 中田翔に課せられた“サード転向”プラン |website=BASEBALL KING |date=2015-01-08 |accessdate=2017-01-28}}</ref>。2019年にも三塁手転向プランがあったが<ref name="nikkansports20190212">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902110000529.html |title=日本ハム中田「三塁」プラン ビッグバン打線復活か |website=日刊スポーツ |date=2019-02-12 |accessdate=2021-08-23}}</ref>、結局三塁手としての一軍出場はないままである。


[[外野手]]としては、チームメイトだった[[小谷野栄一]]から「150km/hくらい出ている」と評され<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120531-960041.html |title=ハム中田ビーム一閃 同点阻止の好返球 |publisher=日刊スポーツ |date=2012-05-31 |accessdate=2021-08-20}}</ref>、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし<ref name="number816">{{Cite journal |和書 |title=僕は日本の4番になる |journal=Sports Graphic Number |issue=816 |publisher=文藝春秋 |pages=50-53 |id=雑誌26854-11/22}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120617-968843.html |title=ハム中田サヨナラ呼ぶ究極レーザービーム |publisher=日刊スポーツ |date=2012-06-17 |accessdate=2021-08-20}}</ref>、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の[[補殺]]を記録、[[糸井嘉男]]、[[陽岱鋼]]と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121023-1036461.html |title=日本ハムG倒だ 中田が“守役” |publisher=日刊スポーツ |date=2012-10-23 |accessdate=2021-08-20}}</ref>{{R|number816}}。2012年には左翼手で両リーグトップの[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]]23.7を記録した<ref>{{Cite book |和書 |author=岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 |year=2013 |title=プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2 |publisher=水曜社 |pages=69 |id=ISBN 978-4-88065-319-8}}</ref>。
[[外野手]]としては、チームメイトだった[[小谷野栄一]]から「150km/hくらい出ている」と評され<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120531-960041.html |title=ハム中田ビーム一閃 同点阻止の好返球 |website=日刊スポーツ |date=2012-05-31 |accessdate=2021-08-20}}</ref>、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし<ref name="number816">{{Cite journal |和書 |title=僕は日本の4番になる |journal=Sports Graphic Number |issue=816 |publisher=文藝春秋 |pages=50-53 |id=雑誌26854-11/22}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120617-968843.html |title=ハム中田サヨナラ呼ぶ究極レーザービーム |website=日刊スポーツ |date=2012-06-17 |accessdate=2021-08-20}}</ref>、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の[[補殺]]を記録、[[糸井嘉男]]、[[陽岱鋼]]と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121023-1036461.html |title=日本ハムG倒だ 中田が“守役” |website=日刊スポーツ |date=2012-10-23 |accessdate=2021-08-20}}</ref>{{R|number816}}。2012年には左翼手で両リーグトップの[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]]23.7を記録した<ref>{{Cite book ja |author=岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 |year=2013 |title=プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2 |publisher=水曜社 |pages=69 |id=ISBN 978-4-88065-319-8}}</ref>。


一塁手としても、[[ゴールデングラブ賞]]を4回受賞しているように評価が高い<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2016/11/08/0009648735.shtml |title=ゴールデングラブに広島・菊池、日本ハム・中田ら |publisher=デイリースポーツ online |date=2016-11-08 |accessdate=2017-01-28}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012180000533.html |title=日本ハム中田「カバーしたい気持ち強い」Gグラブ賞 |publisher=日刊スポーツ |date=2020-12-18 |accessdate=2021-08-25}}</ref>。非常に柔らかいハンドリングや、スローイングの正確さと強肩に定評がある<ref>{{Cite news |title=日本ハム中田「三塁」プラン ビッグバン打線復活か |newspaper=日刊スポーツ |date=2019-02-12 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902110000529.html |accessdate=2021-08-23}}</ref>。
一塁手としても、[[ゴールデングラブ賞]]を5回受賞しているように評価が高い<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2016/11/08/0009648735.shtml |title=ゴールデングラブに広島・菊池、日本ハム・中田ら |website=デイリースポーツ online |date=2016-11-08 |accessdate=2017-01-28}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012180000533.html |title=日本ハム中田「カバーしたい気持ち強い」Gグラブ賞 |website=日刊スポーツ |date=2020-12-18 |accessdate=2021-08-25}}</ref>。非常に柔らかいハンドリングや、スローイングの正確さと強肩に定評がある<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902110000529.html |title=日本ハム中田「三塁」プラン ビッグバン打線復活か |website=日刊スポーツ |date=2019-02-12 |accessdate=2021-08-23}}</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==
{{注意|この節の記載内容は、過去のものを含んでおり、'''現在と異なる内容である可能性'''があります。ご注意ください。}}
* ヘルメットと帽子のつばには『'''克己心'''』という言葉が書いてある<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/19/kiji/K20120619003497680.html |title=今度こそつかんだ!?中田、完全復調へ師匠も手応えの2発 |publisher=スポニチ |date=2012-06-19 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。
* 非常に気が強いことで知られており、ヤンチャといわれるエピソードが多い<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2016/01/08/0008706869.shtml |title=日本ハム中田がヤンチャ伝説激白 |website=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2016-01-08 |accessdate=2023-05-04}}</ref>。アマチュア時代からヤンチャで知られ、大阪桐蔭時代は「気に食わない先輩を乾燥機に叩き込んだ」と、自分でも認めている。2008年春季キャンプでは、連日の取材攻勢にストレスがたまっていたのか、宿舎の窓から持参したエアガンで報道陣を狙撃し、これには当時面倒を見ていた球団スタッフも「手に負えない」と嘆き節だった。また、一軍定着前の二軍時代は遅刻・寝坊・仮病の常習犯であり、プロ1年目に左手首を骨折した時も球団は当初、「またいつものウソか」と信じなかったくらいである。日ハム時代の中田の素行不良については、栗山が中田に甘かったことに原因を求める球団OBの声もあり、ダルビッシュや稲葉などの厳しい先輩がいなくなったことでバランスが取れなくなったという<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/293218 |title=日本ハム中田翔「暴力事件」一部始終とその深層 後輩投手の顔面にこうして拳を振り上げた |website=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2021-08-12 |accessdate=2024-05-18}}</ref>。2011年8月26日の[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦において、自身が無安打で敗戦した際、3学年上の[[鵜久森淳志]]と小競り合いの喧嘩をするトラブルを起こした<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110827-826068.html |title=中田が鵜久森と小競り合い 敗戦で怒号 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2011-08-27 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。その日出場のなかった鵜久森が悔しそうにバットを片付けていた様子に腹を立てた中田が「早くどいてもらっていいですか」と言うと、「殺すぞ」「殺してみい、こらぁ」といった怒鳴り合いに発展した。その場でコーチに止められ、後に和解している<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2016/01/08/0008706869.shtml |title=日本ハム中田がヤンチャ伝説激白 |website=デイリースポーツ |publisher=神戸新聞社 |date=2016-01-08 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。
* 日本ハム時代はチーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、[[カラオケ]]での十八番は[[松山千春]]の「[[君のために作った歌|大空と大地の中で]]」だという<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/08/30/kiji/K20110830001515900.html |title=チーム屈指の歌唱力 中田翔 十八番のサビを熱唱 |publisher=スポニチ |date=2011-08-30 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。
* 2012年1月に高校時代の同級生と結婚<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/general/flash/20130906292.shtml |title=昨オフ結婚 中田翔、就活の夫人に“プロポーズ”「働かんでええ」 |website=デイリースポーツ online |date=2012-01-13 |accessdate=2021-08-22}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120112-OHT1T00092.htm |title=中田、指輪キラリ!高校の同級生と結婚!!…日本ハム |website=スポーツ報知 |date=2012-01-12 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120112032317/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120112-OHT1T00092.htm |archivedate=2012-01-12}}</ref><ref name="hochi20210803">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20210802-OHT1T51095.html?page=1 |title=【日本ハム】中田翔、第4子となる次男誕生を報告「天使が産まれてきてくれました!!」 |website=スポーツ報知 |date=2021-08-03 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。その翌年2013年1月に第1子長女が誕生し、2016年4月に第2子次女、2019年8月に第3子長男{{R|hochi20210803}}、2021年7月に第4子次男が誕生している<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/08/03/0014559801.shtml |title=日本ハム 中田翔に第4子となる次男が誕生「活躍している姿を見せたい」 |website=デイリースポーツ |date=2021-08-03 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。第3子は8月9日の「[[8月9日#記念日・年中行事|野球の日]]」生まれであり、「なにか縁があるのかなと思う。ましてや初めての男の子だし」と語っている<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911200000735.html |title=日本ハム中田翔「野球の日に男の子」第3子誕生報告 |website=日刊スポーツ |date=2019-11-20 |accessdate=2021-08-12}}</ref>。
* 好物は[[焼肉]]。広島でしか食べられない「コウネ」が好き<ref>{{Cite web |url=https://www.news-postseven.com/archives/20110625_24022.html?DETAIL |title=日本ハム中田翔「爆発」の秘密 好物の焼き肉「コウネ」って何? |publisher=NEWSポストセブン |date=2011-06-25 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。
* 子供のころから動物好きで、現在は犬と爬虫類<!-- 、子供のためにカブトムシ -->を飼育している。また巨人[[ジャイアンツ球場|二軍球場]]ではカマキリ{{Efn2|カマキリは触れないので他の人に捕まえてもらう。}}などの昆虫を餌として捕らえる所も選手に度々目撃されており、企画記事や球団映像の企画になっている<ref>{{Cite web ja |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/248642 |title=【巨人】中田翔の意外な素顔! 家でのイグアナ飼育を語る「2メートルくらい。かわいいよ」 |website=東京スポーツ |date=2022-12-20 |accessdate=2022-12-20}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://news.ntv.co.jp/category/sports/577f7df1c896483ab861960e03471b9d |title=【きょうの1シーン】カマキリと巨人第91代四番の中田翔 |website=日テレNEWS |date=2022-10-21 |accessdate=2023-04-22}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/259122 |title=【巨人】飼い主・中田翔に似てきた? イグアナの「イグちゃん」が〝筋肉質〟化 |website=東京スポーツ |date=2023-04-04 |accessdate=2023-04-04}}</ref>{{R|kakaku-230422}}。
* 喫煙者である<ref>{{Cite news |url=https://www.news-postseven.com/archives/20210603_1665089.html?DETAIL |title=不振の日ハム・中田翔 「タバコ」と「コーチ」で球団との軋轢 |newspaper=NEWSポストセブン |publisher=小学館 |date=2021-06-03 |accessdate=2021-08-13}}</ref>。
* 好物は[[焼肉]]。広島でしか食べられない[[ブリスケット|コウネ]](ブリスケ)が好み<ref>{{Cite web ja |url=https://www.news-postseven.com/archives/20110625_24022.html?DETAIL |title=日本ハム中田翔「爆発」の秘密 好物の焼き肉「コウネ」って何? |website=NEWSポストセブン |date=2011-06-25 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。脂肪分の少ない部位を好む{{R|hochi20230422}}。
* 高校の先輩である[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]と親交が深く、例年自主トレをともにしている{{R|df54}}<ref>{{Cite web |url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/02/15/article120/ |title=【プロ野球】中田翔が西岡剛から授かった3つの教え |publisher=web Sportiva |date=2011-02-15 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140502114128/http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/02/15/article120/ |archivedate=2014-05-02}}</ref>。
* 喫煙者である<ref>{{Cite web ja |url=https://www.news-postseven.com/archives/20210603_1665089.html?DETAIL |title=不振の日ハム・中田翔 「タバコ」と「コーチ」で球団との軋轢 |website=NEWSポストセブン |publisher=小学館 |date=2021-06-03 |accessdate=2021-08-13}}</ref><small>(現在は不明)</small>。
* 2011年まで同僚だった[[ダルビッシュ有]]と[[渡部龍一]]を慕っている{{R|df54}}。ダルビッシュからは「日本記録{{Efn2|2012年当時は55本が最高であり、2013年に[[ウラディミール・バレンティン]]の60本で記録は塗り替えられた。}}の56本塁打を打つまで認めない」<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121017-1033551.html |title=ダル“参戦”中田へ「しっかりやれよ」 |publisher=日刊スポーツ |date=2012-10-17 |accessdate=2021-08-20}}</ref>などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121031-1040196.html |title=解説ダルは中田にダメ出し |publisher=日刊スポーツ |date=2012-10-31 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ{{R|df54}}。
* 日本ハム時代はチーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、[[カラオケ]]での十八番は[[松山千春]]の「[[<!-- 君のために作った歌|-->大空と大地の中で]]」で、球団の<!-- 東日本大震災 -->チャリティーCDでもサビを担当した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/08/30/kiji/K20110830001515900.html |title=チーム屈指の歌唱力 中田翔 十八番のサビを熱唱 |website=スポニチ |date=2011-08-30 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。巨人移籍後もカラオケに同行した選手からは「歌が上手」と言われており、′23年4月22日に放送された[[ズームイン!!サタデー|ズムサタ]]で取材を受けた[[高梨雄平]]からは「甘い歌声やビブラートもできる。コブクロを歌っていた」と答えた<ref name="hochi20230422">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20230422-OHT1T51024.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、意外な素顔が明らかに「さびしがりや」「歌ウマ、甘い声」と同僚証言…きょう22日、34歳誕生日 |website=スポーツ報知 |date=2023-04-22 |accessdate=2023-04-22}}</ref><ref name="kakaku-230422">{{Cite web ja |url=https://kakaku.com/tv/channel=4/programID=131/episodeID=1635718/ |title=「ズームイン!!サタデー」 2023年4月22日(土)放送内容 |website=価格.com テレビ紹介情報 |date=2023-04-22 |accessdate=2023-04-22}}</ref>。
* 日本ハム時代は、後輩にはとても気さくに振る舞い、後輩選手のモチベーション向上のために自身が考案した「'''中田賞'''」を設けていた。毎年、中田自ら後輩選手のシーズン目標(本塁打数や安打数、勝利数など)を設定し、その目標をクリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしていた。これは、かつて[[稲葉篤紀]]や西岡に成績に応じて食事をご馳走してもらった経験があるからだという{{R|nikkansports20141204}}。特に[[杉谷拳士]]のことを「かわいい後輩」としており、その親交ぶりが時折メディアで取り上げられるほどである<ref>{{Cite web |publisher=日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1571784.html |title=中田男気フェラーリ 後輩杉谷レギュラー奪取で約束 |date=2015-11-27 |accessdate=2017-02-08}}</ref><ref>{{Cite news |title=日本ハム・中田翔&杉谷拳士の2ショット…ファン「ほんと最高のコンビ」 |newspaper=CYCLE |date=2016-11-25 |last=浜田 |first=哲男 |url=https://cyclestyle.net/article/2016/11/25/43427.html |accessdate=2021-08-08}}</ref>。
* 2018年1月27日より写真共有[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]・[[Instagram]]で自身のアカウントを開設し、プロフィールには自らを「'''北の[[剛田武|ジャイアン]]'''」と記した<ref>{{Cite web ja |website=Full-Count |date=2018-01-28 |url=https://full-count.jp/2018/01/28/post104277/ |title=日本ハム中田がインスタグラム開始 記念の初投稿は高校時代の面白写真 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。高校生時代の写真などを投稿し、開始2日でフォロワーが14万人に達するほどの好評を博す<ref>{{Cite web ja |website=ハフポスト日本版 |date=2018-01-29 |url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/sho-nakata_jp_5c5d5c82e4b0974f75b1d8c8 |title=日ハム中田選手、インスタ初投稿でさっそく話題に 爆笑写真で「つかみ」バッチリ |author=関根和弘 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。
* スライディングパンツに擦れたり挟まったりして集中を乱されたくないという理由で、[[バリカン]]で[[パイパン|股間の剃毛]]を行っている<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090206-457821.html |title=「中田のこだわり!バリカンで下の毛も」 |publisher=日刊スポーツ |date=2009-02-06 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。
* 2011年8月26[[埼玉西武ライオンズ|西武]]おいて、自身が無安打で敗戦した3学年上[[鵜久森淳志]]小競り合の喧嘩をするトラブルを起こした<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110827-826068.html |title=中田が鵜久森小競り合い 敗戦怒号 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2011-08-27 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。その出場なかった鵜久森が悔しそうバッを片付けていた様子に腹を立てた中田が「早くいてらっいいですか」言うと、「殺すぞ」「殺してみい、こらぁ」といった怒鳴り合いに発展した。その場でコーチに止められ、和解している<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2016/01/08/0008706869.shtml |title=日本ハム中田がチャ伝説激白 |newspaper=デイリースポーツ |publisher=神戸新聞社 |date=2016-01-08 |accessdate=2021-08-21}}</ref>。
* 日本ハム時代、2018年シーズンから[[大野奨太]]のFA移籍よって、チームキャプテンに就任したチームメイトからは以前から呼び名である「'''大将'''」呼ばれていた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712300000047.html |title=日本ハム中田「大将」呼ん…再生計画まず逆提案 |website=日刊スポーツ |date=2017-12-30 |accessdate=2018-04-24}}</ref>。移籍後も元ハムチームメイトだった一部の選手から大将と呼ばれ、後球団イベン[[岡本和真]]の愛称と合わせ「大将若大将など称され、チーム内も定着している<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20221123-4RJOLCG62NNFDIHFHDCYEMDEKI/ |title=巨人・中田翔の〝秘密〟を秋広優人暴露「おならがくさい。かいできた中でナバーワン」 |website=サンスポ |date=2022-11-23 |accessdate=2022-11-23}}</ref>。
* 座右の銘は『'''克己心'''』<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/19/kiji/K20120619003497680.html |title=今度こそつかんだ!?中田、完全復調へ師匠も手応えの2発 |website=スポニチ |date=2012-06-19 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。
* 2018年1月27日より写真共有[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]・[[Instagram]]で自身のアカウントを開設し、プロフィールには自らを「'''北の[[剛田武|ジャイアン]]'''」と記した<ref>{{Cite news |newspaper=Full-Count |date=2018-01-28 |url=https://full-count.jp/2018/01/28/post104277/ |title=日本ハム中田がインスタグラム開始 記念の初投稿は高校時代の面白写真 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。高校生時代の写真などを投稿し、開始2日でフォロワーが14万人に達するほどの好評を博す<ref>{{Cite news |newspaper=ハフポスト日本版 |date=2018-01-29 |url=https://www.huffingtonpost.jp/2018/01/28/sho-nakata_a_23346073/ |title=日ハム中田選手、インスタ初投稿でさっそく話題に 爆笑写真で「つかみ」バッチリ |author=関根和弘 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。
* 試合の登場曲には、2013年から親交が深い[[ビーグルクルー]]のYASSのオリジナル書下ろし楽曲『My HERO』を使用し、YASSの活動にとって後に様々な影響を及ぼすうちの1人となり、過去には『My BROTHER』(同人)やその他の楽曲も使用していた<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20220322-OHT1T51175.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、登場曲歌うボーカルユニット「ビーグルクルー」泰がエール「新しいドラマ見せてくれる」 |website=スポーツ報知 |date=2022-03-23 |accessdate=2023-04-27}}</ref>。2022年オフにはYASS主催の野球教室で指導などを行った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.dreamnews.jp/press/0000271798/ |title=福岡出身アーティスト「ビーグルクルー」が 「子どもたちの夢応援プロジェクト」野球教室編として読売個人軍 中田翔を地元雑餉隈(博多区)に招き野球教室を開催! |website=Dream News |date=2022-12-07 |accessdate=2023-04-27}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20221218-OHT1T51137.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、雪の舞う中、ビーグルクルー主催野球教室に参加「子どもたちが喜んでくれるのは本当にありがたいこと」 |website=スポーツ報知 |date=2022-12-18 |accessdate=2022-12-18}}</ref>。
* 日本ハム時代、2018年シーズンから[[大野奨太]]のFA移籍によって、チームキャプテンに就任したが、チームメイトからは以前からの呼び名である「'''大将'''」と呼ばれていた<ref>{{Cite news |title=日本ハム中田「大将」と呼んで…再生計画まず逆提案 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712300000047.html |date=2017-12-30 |accessdate=2018-04-24 |work=日刊スポーツ}}</ref>。
* 2011年まで同僚だった[[ダルビッシュ有]]と[[渡部龍一]]を慕っている{{R|df54}}。ダルビッシュからは「(当時の)日本記録{{Efn2|2012年当時は55本が最高であり、2013年に[[ウラディミール・バレンティン]]の60本で記録は塗り替えられた。}}の56本塁打を打つまで認めない」<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121017-1033551.html |title=ダル“参戦”中田へ「しっかりやれよ」 |website=日刊スポーツ |date=2012-10-17 |accessdate=2021-08-20}}</ref>などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121031-1040196.html |title=解説ダルは中田にダメ出し |website=日刊スポーツ |date=2012-10-31 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ{{R|df54}}。
* 2012年1月に恋愛禁止であるはずの高校時代の同級生と結婚<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/general/flash/20130906292.shtml |title=昨オフ結婚 中田翔、就活の夫人に“プロポーズ”「働かんでええ」 |publisher=デイリースポーツ online |date=2012-01-13 |accessdate=2021-08-22}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120112-OHT1T00092.htm |title=中田、指輪キラリ!高校の同級生と結婚!!…日本ハム |publisher=スポーツ報知 |date=2012-01-12 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120112032317/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120112-OHT1T00092.htm |archivedate=2012-01-12}}</ref><ref name="hochi210803">{{Cite news |title=【日本ハム】中田翔、第4子となる次男誕生を報告「天使が産まれてきてくれました!!」 |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-08-03 |url=https://hochi.news/articles/20210802-OHT1T51095.html?page=1 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。その翌年2013年1月に第1子長女が誕生し、2016年4月に第2子次女、2019年8月に第3子長男{{R|hochi210803}}、2021年7月に第4子次男が誕生している<ref>{{Cite news |title=日本ハム 中田翔に第4子となる次男が誕生「活躍している姿を見せたい」 |newspaper=デイリースポーツ |date=2021-08-03 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2021/08/03/0014559801.shtml |accessdate=2021-08-11}}</ref>。第3子は8月9日の「[[8月9日#記念日・年中行事|野球の日]]」生まれであり、「なにか縁があるのかなと思う。ましてや初めての男の子だし」と語っている<ref>{{Cite news |title=日本ハム中田翔「野球の日に男の子」第3子誕生報告 |newspaper=日刊スポーツ |date=2019-11-20 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911200000735.html |accessdate=2021-08-12}}</ref>。
* 高校の先輩である[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]と親交が深く、過去には自主トレをともにしていた{{R|df54}}<ref>{{Cite web ja |url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/02/15/article120/ |title=【プロ野球】中田翔が西岡剛から授かった3つの教え |website=web Sportiva |date=2011-02-15 |accessdate=2021-08-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140502114128/http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/02/15/article120/ |archivedate=2014-05-02}}</ref>。当時の参加選手は[[西川遥輝]]、[[城所龍磨]]で自主トレの様子などはYouTube<ref>[https://www.youtube.com/@onikyoukanminchi_tv 鬼教官&ミンチ TV(YouTube)]</ref>やインスタグラムなどに投稿されている。移籍後は[[秋広優人]]、[[姫野優也]]、[[黒瀬健太]](引退前まで)と[[石垣島]]で行う<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20211224-ABXPGOSBC5LE3AC4KQA5PDTL3U/ |title=【球界ここだけの話(2544)】巨人・中田翔の自主トレに秋広優人が参加志願 初対面はあの〝イジリ〟 |website=サンスポ |date=2021-12-24 |accessdate=2023-04-27}}</ref>。
* アマチュア時代からヤンチャで知られ、大阪桐蔭時代は「気に食わない先輩を乾燥機に叩き込んだ」と、自分でも認めている。2008年春季キャンプでは、連日の取材攻勢にストレスがたまっていたのか、宿舎の窓から持参したエアガンで報道陣を狙撃し、これには当時面倒を見ていた球団スタッフも「手に負えない」と嘆き節だった。また、一軍定着前の二軍時代は遅刻・寝坊・仮病の常習犯であり、プロ1年目に左手首を骨折した時も球団は当初、「またいつものウソか」と信じなかったくらいである。日ハム時代の中田の素行不良については、栗山が中田に甘かったことに原因を求める球団OBの声もあり、ダルビッシュや稲葉などの厳しい先輩がいなくなったことでバランスが取れなくなったという<ref>[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/293218 日本ハム中田翔「暴力事件」一部始終とその深層 後輩投手の顔面にこうして拳を振り上げた] 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/08/12 11:10 (2022年5月11日閲覧)</ref>。
* 日本ハム時代は、後輩選手のモチベーション向上のために自身が考案した「'''中田賞'''」を設けていた。毎年、中田自ら後輩選手のシーズン目標(本塁打数や安打数、勝利数など)を設定し、その目標をクリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしていた。これは、かつて[[稲葉篤紀]]や西岡に成績に応じて食事をご馳走してもらった経験があるからだという{{R|nikkansports20141204}}。特に[[杉谷拳士]]のことを「かわいい後輩」としており、その親交ぶりが時折メディアで取り上げられたほどである<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1571784.html |title=中田男気フェラーリ 後輩杉谷レギュラー奪取で約束 |website=日刊スポーツ |date=2015-11-27 |accessdate=2017-02-08}}</ref><ref>{{Cite web ja |title=日本ハム・中田翔&杉谷拳士の2ショット…ファン「ほんと最高のコンビ」 |website=CYCLE |date=2016-11-25 |last=浜田 |first=哲男 |url=https://cyclestyle.net/article/2016/11/25/43427.html |accessdate=2021-08-08}}</ref>。移籍後も同僚や後輩にも慕われ、中田について取材でも「(一般のイメージと違って)可愛らしい一面しかない<!-- <small>([[小林誠司|小林]])</small> -->」「食事に誘ってくれる」「(試合前)意外に緊張するタイプ<!-- <small>([[吉川尚輝|吉川]])</small> -->、寂しがり屋<!-- <small>([[オコエ瑠偉|オコエ]])</small> -->」などと言われている{{R|kakaku-230422}}。中日移籍となった2024年からは元同僚で前年限りで現役を引退した姫野優也を個人マネージャーとして起用している<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202312080001565.html |title=【日本ハム】姫野優也が引退「中田翔さんの個人マネジャーをします」中日移籍の大先輩と再出発 |website=日刊スポーツ |date=2023-12-09 |accessdate=2024-05-18}}</ref>。

== 不祥事 ==
=== チームメイトへの暴行事件 ===
2021年8月4日、エキシビションマッチ・対[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]]戦([[千代台公園野球場]])の開始前に同僚選手1名(以下、被害選手)に対してベンチ裏で暴力行為を行っていたことが判明し、試合中に球場からの退場と自宅謹慎を命じられた{{R|nikkansports20210811}}。同日の試合では中田は4番で先発出場して、1回に先制の適時二塁打を放っていたものの、直後の2回の守備から交代させられていた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202108040000798.html |title=日本ハム中田翔と西川遥輝が途中交代「いろいろある困っちゃうな」栗山監督 |website=日刊スポーツ |date=2021-08-04 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。

球団による詳細な調査の結果、被害選手よりこのことを大事にしたくない旨の申告があり、中田本人が深く反省しているという諸事情を踏まえてもなお中田の行為が統一選手契約書第17条(模範行為)に違反し、[[日本プロフェッショナル野球協約|野球協約]]第60条(1)の規定に該当するものと球団は認定。11日、球団は中田に対して当面、一軍、二軍全ての試合の[[出場停止#野球|出場停止]]処分を科すことを発表し<ref name="nikkansports20210811">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202108110000367.html |title=中田翔が暴力行為 日本ハム「厳正な対応」模範行為違反で出場停止処分 |website=日刊スポーツ |date=2021-08-11 |accessdate=2021-08-11}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=中田選手の違反行為と処分について |publisher=北海道日本ハムファイターズ |date=2021-08-11 |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/00003428.html |accessdate=2021-08-11}}</ref>、同日付で出場停止選手公示がなされた<ref name="npb20210811">{{Cite web ja |url=https://npb.jp/announcement/2021/pn_suspended.html |title=出場停止選手 {{!}} 2021年度公示 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |accessdate=2021-08-11}}</ref>。

同日、球団社長兼オーナー代行の川村浩二が記者会見を行い、被害選手に落ち度はなく、中田が突発的に腹を立てて手を出したものであること、被害選手が受けた暴力はプレーに支障がない程度であること、中田と被害選手は本来は懇意な2人だったことが説明された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/11/kiji/20210811s00001173384000c.html |title=日本ハム・中田は「突発的に腹を立てて手を出した」 川村球団社長が会見「被害の選手に落ち度はない」 |website=Sponichi Annex |date=2021-08-11 |accessdate=2021-08-11}}</ref>。また、球団施設で個人での自主練習は認める方針だが、チーム練習には参加させず、ユニフォーム着用も禁ずる考えも示された<ref>{{Cite web ja |title=出場停止の中田翔 4日の試合前、突発的に腹を立て同僚選手に手を出す |website=日刊スポーツ |date=2021-08-12 |author=田中彩友美 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202108110000751.html |accessdate=2021-08-12}}</ref>。会見に中田は同席しなかった。

同16日、[[栗山英樹]]監督がこの件について初めて言及。同年中の一軍復帰を否定したうえで、「このチームでは難しい」と退団の可能性も示した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/17/kiji/20210817s00001173090000c.html |title=暴力行為の中田 日本ハム放出も!栗山監督 復帰は「このチームでは難しい」他球団での再出発を示唆 |website=Sponichi Annex |date=2021-08-17 |accessdate=2021-08-17}}</ref>。

同20日、[[読売ジャイアンツ|巨人]]に[[無償トレード]]で移籍することが発表され、巨人球団事務所で開かれた記者会見には、金髪から黒髪にしたうえで髭も剃って姿を現し<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20210820-NP4QQOIC6JLCDICXZMIR35MPHU/ |title=巨人にトレード移籍の中田翔が会見 黒髪、ひげなしで「本当にすいませんでした」 |website=サンケイスポーツ |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-22}}</ref>、冒頭で「今回、本当に皆さんに迷惑をかけてしまったこと、本当に反省しています。本人にももちろんそうですし、ファンの皆さんに対しても裏切ってしまったということに対して、すごく後悔だったり、本当に反省しています。すみませんでした」と謝罪の言葉を述べた{{R|hochi20210820}}。移籍にあたっては、16日夜に日本ハム・[[栗山英樹]]監督から巨人・[[原辰徳]]監督へ直接電話で相談があり、原監督が巨人球団首脳とかけ合って獲得が決定した<ref>{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51081.html?page=1 |title=【巨人】原辰徳監督が中田獲得について思いを激白「過去、現在、未来を共有する覚悟でもう一度チャンスを与えるべき」 |website=スポーツ報知 |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-20}}</ref>。

無償トレードとなったこと、日本ハムから科された出場停止処分が9日間で解除され巨人ですぐ一軍戦に出場したこと、日本ハム主導での謝罪会見が開かれなかったことなどに対し、賛否を呼ぶ出来事となった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/21/kiji/20210821s00001173126000c.html |title=中田 巨人への無償トレードに賛否真っ二つ 賛成31・8% 反対31・3% ツイッター緊急アンケート |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-08-21 |accessdate=2021-08-25}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.iza.ne.jp/article/20210823-HU6VK3NFSNLADI3KSXLQUKFGVA/ |title=巨人移籍後初アーチも…中田翔の即出場に渦巻く賛否 わずか9日の「無期限試合出場停止処分」 入団会見に球団旗なかったワケ |website=イザ! |date=2021-08-23 |accessdate=2021-08-25}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
172行目: 180行目:
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{By2|2013}}
|style="text-align:center;"|{{By2|2013}}
|108||459||407||67||124||14||1||28||224||73||1||2||0||1||45||'''4'''||6||77||11||.306||.381||.550||.932
|108||459||407||67||124||14||1||28||224||73||1||2||0||1||45||'''4'''||6||77||11||.305
||.381||.550||.932
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{By2|2014}}
|style="text-align:center;"|{{By2|2014}}
198行目: 207行目:
|39||150||135||13||26||3||0||4||41||13||0||0||0||0||14||0||1||31||4||.193||.273||.304||.577
|39||150||135||13||26||3||0||4||41||13||0||0||0||0||14||0||1||31||4||.193||.273||.304||.577
|-
|-
|rowspan="2" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]]
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]]
|34||106||91||6||14||4||0||3||27||7||0||0||0||0||14||0||1||29||3||.154||.274||.297||.571
|34||106||91||6||14||4||0||3||27||7||0||0||0||0||14||0||1||29||3||.154||.274||.297||.571
|- style="background-color: #f2f2f2;"
|- style="background-color: #f2f2f2;"
204行目: 213行目:
|73||256||226||19||40||7||0||7||68||20||0||0||0||0||28||0||2||60||7||.177||.273||.301||.574
|73||256||226||19||40||7||0||7||68||20||0||0||0||0||28||0||2||60||7||.177||.273||.301||.574
|-
|-
!colspan="2" style="white-space:nowrap;"|通算:13年
|style="text-align:center;"|{{By2|2022}}
|1495||6159||5494||658||1365||249||6||264||2418||957||14||9||0||65||553||23||46||1158||156||.248||.314||.440||.754
|109||375||338||39||91||8||0||24||171||68||0||0||2||4||27||2||4||72||9||.269||.327||.506||.833
|-
|style="text-align:center;"|{{By2|2023}}
|92||288||263||27||67||8||1||15||122||37||0||0||0||4||19||3||2||63||10||.255||.306||.464||.769
|-
|style="text-align:center;"|{{By2|2024}}
|rowspan="1" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[中日ドラゴンズ|中日]]
|62||225||212||15||46||10||0||4||68||21||0||0||0||3||9||2||1||34||9||.217||.249||.321||.570
|-
!colspan="2" style="white-space:nowrap;"|通算:16年
|1758||7047||6307||739||1569||275||7||307||2779||1083||14||9||2||76||608||30||54||1327||184||.249||.317||.441||.757
|}
|}
* 2021年度シーズン終了時
* 2024年度シーズン終了時
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高


241行目: 260行目:
|rowspan="2" style="text-align:center;"|2021||rowspan="2" style="text-align:center;"|32||-||-||-||-||-||-||-||-
|rowspan="2" style="text-align:center;"|2021||rowspan="2" style="text-align:center;"|32||-||-||-||-||-||-||-||-
|-
|-
|rowspan="1"|[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]||-||-||-||-||-||-||-||-
|rowspan="3"|[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]||-||-||-||-||-||-||-||-
|-
|2022||33||-||-||-||-||4位||9位||-||-
|-
|2023||34||-||-||-||-||-||-||-||-
|}
|}
* -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)
* -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)
267行目: 290行目:
|8||36||28||8||'''12'''||2||0||3||'''23'''||'''15'''||1||0||0||1||7||0||0||7||0||.429||.528||.821
|8||36||28||8||'''12'''||2||0||3||'''23'''||'''15'''||1||0||0||1||7||0||0||7||0||.429||.528||.821
|}
|}

* '''太字'''は大会最高
* '''太字'''は大会最高


316行目: 338行目:
|35||261||16||1||22||.996||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|35||261||16||1||22||.996||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|-
|rowspan="2" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|巨人
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|巨人
|33||213||16||0||17||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|33||213||16||0||17||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|- style="background-color: #f2f2f2;"
|- style="background-color: #f2f2f2;"
!style="text-align:center;"|'21計
!style="text-align:center;"|'21計
|68||474||32||1||39||.998||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|68||474||32||1||39||.998||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|'''2022'''
|100||765||76||2||63||'''.998'''||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|2023
|74||508||35||6||58||.989||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|2024
|rowspan="1" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|中日
|52||460||36||1||37||.998||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|-
!colspan="2"|通算
!colspan="2"|通算
|875||7222||558||39||575||.995||494||756||46||12||14||.985
|1101||8955||705||48||733||.995||494||756||46||12||14||.985
|}
|}
* 2021年度シーズン終了時
* 2024年度シーズン終了時
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高、{{Color|red|'''赤太字'''}}はNPBにおける歴代最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高、{{Color|red|'''赤太字'''}}はNPBにおける歴代最高
* '''太字年'''は[[ゴールデングラブ賞]]受賞
* '''太字年'''は[[ゴールデングラブ賞]]受賞
335行目: 367行目:
; NPB
; NPB
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:5回(外野手部門:2013年、2014年 一塁手部門:2015年、2016年、2020年) ※2013年は[[鈴木大地 (野球)|鈴木大地]]、[[浅村栄斗]]と共に平成生まれ初の受賞
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:5回(外野手部門:2013年、2014年 一塁手部門:2015年、2016年、2020年) ※2013年は[[鈴木大地 (野球)|鈴木大地]]、[[浅村栄斗]]と共に平成生まれ初の受賞
* [[ゴールデングラブ賞]]:4回(一塁手部門:2015年、2016年、2018年、2020年) ※2020年は[[中村晃 (野球)|中村晃]]との同時受賞
* [[ゴールデングラブ賞]]:5回(一塁手部門:2015年、2016年、2018年、2020年、2022年) ※2020年は[[中村晃 (野球)|中村晃]]との同時受賞、2022年はセ・巨人で初受賞(両リーグ受賞は史上9人目、かつ一塁手部門では史上初のセパ両受賞{{R|hochi20221114}})
* [[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞]]年間大賞:1回(2012年)
* [[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞]]年間大賞:1回(2012年)
* 月間サヨナラ賞:1回(2019年3・4月)
* 月間サヨナラ賞:1回(2019年3・4月)
* [[「ジョージア魂」賞]]:3回(2011年度第2回、2012年度第6回、2013年度第3回)
* [[「ジョージア魂」賞]]:3回(2011年度第2回、2012年度第6回、2013年度第3回)
* [[札幌ドーム#札幌ドームMVP賞|札幌ドームMVP]]:1回(野球部門:2020年)
* [[札幌ドーム#札幌ドームMVP賞|札幌ドームMVP]]:1回(野球部門:2020年)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]敢闘選手賞:1回([[2012年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2012年]]第3戦)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]敢闘選手賞:1回({{NPBオールスター|2012年}}第3戦)
* [[フレッシュオールスターゲーム]]MVP:1回(2009年)
* [[フレッシュオールスターゲーム]]MVP:1回(2009年)
* [[クライマックスシリーズ]]MVP:1回([[2016年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|2016年]])
* [[クライマックスシリーズ]]MVP:1回([[2016年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|2016年]])
351行目: 383行目:
* 初出場・初先発出場:2009年5月23日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]2回戦([[札幌ドーム]])、7番・[[指名打者]]で先発出場
* 初出場・初先発出場:2009年5月23日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]2回戦([[札幌ドーム]])、7番・[[指名打者]]で先発出場
* 初打席・初安打:同上、2回裏に[[リッキー・バレット]]から左前安打
* 初打席・初安打:同上、2回裏に[[リッキー・バレット]]から左前安打
* 初得点・同上、2回裏に三走として田中賢介の左犠飛で生還
* 初打点:2009年9月27日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]23回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、7回表に[[大隣憲司]]から中犠飛
* 初打点:2009年9月27日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]23回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、7回表に[[大隣憲司]]から中犠飛
* 初本塁打:2010年7月20日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]14回戦(札幌ドーム)、5回裏に[[大嶺祐太]]から左越ソロ
* 初本塁打:2010年7月20日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]14回戦(札幌ドーム)、5回裏に[[大嶺祐太]]から左越ソロ
358行目: 391行目:
* 150本塁打:2016年7月12日、対オリックス・バファローズ11回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、5回表に[[西勇輝]]から右越2ラン ※史上163人目
* 150本塁打:2016年7月12日、対オリックス・バファローズ11回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、5回表に[[西勇輝]]から右越2ラン ※史上163人目
* 1000試合出場:2017年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス20回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4番・[[一塁手]]で先発出場 ※史上486人目
* 1000試合出場:2017年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス20回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4番・[[一塁手]]で先発出場 ※史上486人目
* 1000安打:2018年5月9日、対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)、6回表に[[小林慶祐]]から左前打 ※史上291人目<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/09/kiji/20180509s00001173265000c.html |title=ハム中田が通算1000本安打 猛打賞で節目到達 史上291人目 |publisher=スポニチ |date=2018-05-09 |accessdate=2021-08-12}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=016-20180528-05 |title=日本ハム 中田翔が1000安打達成 |publisher=週刊ベースボールONLINE |date=2018-05-17 |accessdate=2018-05-27}}</ref>
* 1000安打:2018年5月9日、対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)、6回表に[[小林慶祐]]から左前打 ※史上291人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/09/kiji/20180509s00001173265000c.html |title=ハム中田が通算1000本安打 猛打賞で節目到達 史上291人目 |website=スポニチ |date=2018-05-09 |accessdate=2021-08-12}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=016-20180528-05 |title=日本ハム 中田翔が1000安打達成 |website=週刊ベースボールONLINE |date=2018-05-17 |accessdate=2018-05-27}}</ref>
* 200本塁打:2018年8月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(札幌ドーム)、8回裏に[[近藤弘樹]]から左中間越ソロ ※史上103人目、平成生まれの選手では初<ref>{{Cite web |title=日本ハム中田、平成生まれ初200号も「まだまだ」 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808250000287.html |website=日刊スポーツ |date=2018-08-25 |accessdate=2020-03-18 |publisher=}}</ref>
* 200本塁打:2018年8月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(札幌ドーム)、8回裏に[[近藤弘樹]]から左中間越ソロ ※史上103人目、平成生まれの選手では初<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808250000287.html |title=日本ハム中田、平成生まれ初200号も「まだまだ」 |website=日刊スポーツ |date=2018-08-25 |accessdate=2020-03-18}}</ref>
* 1000三振:2020年6月28日、対東北楽天ゴールデンイーグルス6回戦([[宮城球場|楽天生命パーク宮城]])9回表に[[J.T.シャギワ]]から ※史上68人目
* 1000三振:2020年6月28日、対東北楽天ゴールデンイーグルス6回戦([[宮城球場|楽天生命パーク宮城]])9回表に[[J.T.シャギワ]]から ※史上68人目
* 250本塁打:2020年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦([[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]])、1回表に[[岩下大輝]]から右越2ラン ※史上64人目
* 250本塁打:2020年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦([[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]])、1回表に[[岩下大輝]]から右越2ラン ※史上64人目
* 1500試合出場:2022年3月30日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦([[明治神宮野球場]])、5番・一塁手で先発出場 ※史上199人目<ref>{{Cite web |title=【巨人】プロ15年目中田翔が通算1500試合出場、史上199人目 初出場は09年ヤクルト戦 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202203300000987.html |website=日刊スポーツ |date=2022-03-30 |accessdate=2022-04-02}}</ref>
* 1500試合出場:2022年3月30日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦([[明治神宮野球場]])、5番・一塁手で先発出場 ※史上199人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202203300000987.html |title=【巨人】プロ15年目中田翔が通算1500試合出場、史上199人目 初出場は09年ヤクルト戦 |website=日刊スポーツ |date=2022-03-30 |accessdate=2022-04-02}}</ref>
* 1000打点:2022年8月23日、対[[中日ドラゴンズ]]18回戦([[東京ドーム]])、5回裏に[[勝野昌慶]]から左前適時安打 ※史上47人目、平成生まれの選手としては初{{R|hochi20220823}}
* 1000打点:2022年8月23日、対[[中日ドラゴンズ]]18回戦([[東京ドーム]])、5回裏に[[勝野昌慶]]から左前適時安打 ※史上47人目、平成生まれの選手としては初{{R|hochi20220823}}
* 1500安打:2023年6月14日、対[[埼玉西武ライオンズ]]2回戦(東京ドーム)、7回裏に[[ヘスス・ティノコ]]から二塁内野安打 ※史上134人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202306140001364.html |title=【巨人】中田翔が通算1500安打、史上134人目 二塁強襲のヒット |website=日刊スポーツ |date=2023-06-14 |accessdate=2023-06-14}}</ref>
* 300本塁打:2023年8月6日、対[[広島東洋カープ]]18回戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]])、8回表に[[河野佳]]から左越3ラン ※史上45人目、平成生まれの選手としては初<ref name="hochi20230806">{{Cite web ja |url=https://hochi.news/articles/20230806-OHT1T51270.html?page=1 |title=【巨人】中田翔、平成生まれ初の通算300号 生まれ育った広島で節目のアーチ |website=スポーツ報知 |date=2023-08-06 |accessdate=2023-08-06}}</ref>


; その他の記録
; その他の記録
* 外野手シーズン19補殺:2012年 ※日本ハム球団タイ記録<ref name="spaia20220228">{{Cite web |title=外野手の見せ場、補殺数ランキング 強肩イチローが上位に食い込まないわけ |url=https://spaia.jp/column/baseball/npb/16112 |website=spaia |date=2022-01-28 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 外野手シーズン19補殺:2012年 ※日本ハム球団タイ記録<ref name="spaia20220228">{{Cite web ja |url=https://spaia.jp/column/baseball/npb/16112 |title=外野手の見せ場、補殺数ランキング 強肩イチローが上位に食い込まないわけ |website=spaia |date=2022-01-28 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 外野手シーズン9併殺:2012年 ※NPB記録{{R|spaia20220228}}
* 外野手シーズン9併殺:2012年 ※NPB記録{{R|spaia20220228}}
* シーズン13犠飛:2018年 ※歴代2位、平成時代最多<ref>{{Cite news |title=日本ハム中田翔 犠飛13本ここ数年なかったでしょう |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/201901170000062_m.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2019-01-17 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* シーズン13犠飛:2018年 ※歴代2位、平成時代最多<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201901170000062.html |title=日本ハム中田翔 犠飛13本ここ数年なかったでしょう |website=日刊スポーツ |date=2019-01-17 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 打率.239で打点王:2020年 ※2リーグ制以降最低打率<ref name="nikkan20201218">{{Cite news |title=打点王中田翔 最低打率でも恩返し打/データで見る |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202012180000058_m.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2020-12-18 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 打率.239で打点王:2020年 ※2リーグ制以降最低打率<ref name="nikkansports20201218">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012180000058.html |title=打点王中田翔 最低打率でも恩返し打/データで見る |website=日刊スポーツ |date=2020-12-18 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 打率.239で100打点越え:同上 ※史上最低打率{{R|nikkan20201218}}
* 打率.239で100打点越え:同上 ※史上最低打率{{R|nikkansports20201218}}
* 打点数が安打数を上回り打点王:同上 ※史上初<ref>{{Cite web |title=2020好珍記録アラカルト |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20210104-31 |website=週刊ベースボール |date=2020-12-31 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 打点数が安打数を上回り打点王:同上 ※史上初<ref>{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20210104-31 |title=2020好珍記録アラカルト |website=週刊ベースボール |date=2020-12-31 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 同一シーズンに2球団で本塁打:2021年 ※史上8人目<ref>{{Cite news |title=【記録の泉】巨人・中田の同一シーズン2球団で本塁打は史上8人目 トレードで〝投げ飛ばされた〟深見安博は史上唯一2球団にまたがり本塁打王に |url=https://www.sanspo.com/article/20210914-T6Q7F4RH5VLL3NPCQI4BT5XXGE/ |newspaper=サンケイスポーツ |date=2021-09-14 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* 同一シーズンに2球団で本塁打:2021年 ※史上8人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20210914-T6Q7F4RH5VLL3NPCQI4BT5XXGE/ |title=【記録の泉】巨人・中田の同一シーズン2球団で本塁打は史上8人目 トレードで〝投げ飛ばされた〟深見安博は史上唯一2球団にまたがり本塁打王に |website=サンケイスポーツ |date=2021-09-14 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
** 同一シーズンに2球団で決勝本塁打:2021年 ※史上2人目、日本人史上初<ref>{{Cite news |title=巨人中田翔、同一シーズン2球団Vアーチは日本人選手初! モヤ以来2人目 |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202109230000713_m.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-09-23 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
** 同一シーズンに2球団で決勝本塁打:2021年 ※史上2人目、日本人史上初<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202109230000713.html |title=巨人中田翔、同一シーズン2球団Vアーチは日本人選手初! モヤ以来2人目 |website=日刊スポーツ |date=2021-09-23 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* プロ初犠打が通算6245打席目 ※[[張本勲]](7669打席目)に次いで史上2番目の多さ、6000打席以上要したのは史上2人目<ref>{{Cite news |title=【データ】巨人中田翔プロ通算6245打席目で初の犠打 6000打席以上は73年張本勲以来2人目 |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202205130001276_m.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2022-05-13 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* プロ初犠打が通算6245打席目 ※[[張本勲]](7669打席目)に次いで史上2番目の多さ、6000打席以上要したのは史上2人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202205130001276.html |title=【データ】巨人中田翔プロ通算6245打席目で初の犠打 6000打席以上は73年張本勲以来2人目 |website=日刊スポーツ |date=2022-05-13 |accessdate=2022-05-14}}</ref>
* [[全球団から本塁打]]:2022年5月28日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]2回戦(札幌ドーム)、9回表に[[望月大希]]から左越2ラン ※史上42人目、初対戦試合で達成したのは史上4人目、日本人史上初<ref>{{Cite news |title=【巨人】中田翔が古巣から12球団制覇弾「これから先もずっと感謝」移籍後初札幌ドームで恩返し |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202205280001467_m.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2022-05-29 |accessdate=2022-05-30}}</ref>
* [[全球団から本塁打]]:2022年5月28日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]2回戦(札幌ドーム)、9回表に[[望月大希]]から左越2ラン ※史上42人目、初対戦試合で達成したのは史上4人目、日本人史上初<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202205280001467.html |title=【巨人】中田翔が古巣から12球団制覇弾「これから先もずっと感謝」移籍後初札幌ドームで恩返し |website=日刊スポーツ |date=2022-05-29 |accessdate=2022-05-30}}</ref>
* 通算200人から本塁打:2023年7月11日、対[[広島東洋カープ]]13回戦(東京ドーム)、[[床田寛樹]]から左越えソロ ※史上11人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/07/12/kiji/20230712s00001173064000c.html |title=巨人・中田 平成生まれ初の史上11人目“200人斬り” 通算300本塁打に王手も「通過点です」 |website=スポーツニッポン |date=2023-07-12 |accessdate=2023-07-12}}</ref>
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:8回(2011年 - 2018年) ※2022年も選出されたが、新型コロナウイルス感染のため出場辞退<ref>{{Cite news |title=【球宴】巨人岡本和真、坂本勇人ら6人が出場辞退 戸郷翔征と小林誠司は出場予定 |url=https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202207220001050_m.html |newspaper=日刊スポーツ |date=2022-07-22 |accessdate=2022-07-25}}</ref>
* 3球団で開幕戦本塁打 ※史上2人目<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202403290001625.html |title=中日中田翔、史上2人目の3球団で開幕戦本塁打 2球団4番では落合以来30年ぶり |website=日刊スポーツ |date=2024-03-29 |accessdate=2024-03-30}}</ref>
* 2球団で開幕戦4番本塁打 ※史上8人目
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:9回({{NPBオールスター|2011年|2012年|2013年|2014年|2015年|2016年|2017年|2018年|2023年}}) ※{{NPBオールスター|2022年}}も選出されたが、新型コロナウイルス感染のため出場辞退<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202207220001050.html |title=【球宴】巨人岡本和真、坂本勇人ら6人が出場辞退 戸郷翔征と小林誠司は出場予定 |website=日刊スポーツ |date=2022-07-22 |accessdate=2022-07-25}}</ref>


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''6'''(2008年 - 2021年8月19日)
* '''6'''(2008年 - 2021年8月19日、2024年 -
* '''10'''(2021年8月20日 - )
* '''10'''(2021年8月20日 - 2023年
* '''13'''([[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|2013年WBC]]、[[2015 WBSCプレミア12|2015年WBSCプレミア12]]、[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017年WBC]])
* '''13'''([[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|2013年WBC]]、[[2015 WBSCプレミア12|2015年WBSCプレミア12]]、[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017年WBC]])


390行目: 428行目:
* 『My HERO』[[ビーグルクルー]](2014年 - 2018年・2021年8月21日 - )
* 『My HERO』[[ビーグルクルー]](2014年 - 2018年・2021年8月21日 - )
* 『My BROTHER』ビーグルクルー(2018年 - )
* 『My BROTHER』ビーグルクルー(2018年 - )
* 『[[ライオン (ベリーグッドマンの曲)|ライオン]]』[[ベリーグッドマン]](2018年)
* 『[[PERFECT HUMAN]]』[[RADIO FISH]](2016年4月16日 - 2020年)
* 『[[PERFECT HUMAN]]』[[RADIO FISH]](2016年4月16日 - 2020年)
* 『Local Star』[[MC TYSON]](2021年 - 同年6月8日)
* 『Local Star』[[MC TYSON]](2021年 - 同年6月8日)
* 『Do it again』MC TYSON(2024年 - )


=== 代表歴 ===
=== 代表歴 ===
400行目: 440行目:
== 関連情報 ==
== 関連情報 ==
=== TVCM ===
=== TVCM ===
* [[日清食品]]「北の焼きそば」(2012)
* [[日清食品]]「北の焼きそば」(2012
* [[ライフネット生命]](2013年)
* [[ライフネット生命]](2013年)
* [[スポーツブル]]「あの人もブルってる・中田選手」篇(2017年10月)
* [[スポーツブル]]「あの人もブルってる・中田選手」篇(2017年10月)
* [[ティーバイティーガレージ]](2016年2021年)
* [[ティーバイティーガレージ]](2016年 - 2021年)


=== 著書 ===
=== 著書 ===
422行目: 462行目:
* [[北海道日本ハムファイターズの選手一覧]]
* [[北海道日本ハムファイターズの選手一覧]]
* [[読売ジャイアンツの選手一覧]]
* [[読売ジャイアンツの選手一覧]]
* [[中日ドラゴンズの選手一覧]]
* [[読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧]]
* [[読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧]]


427行目: 468行目:
{{NPB|61065116}}
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* [https://www.giants.jp/G/player/prof_27449.html 中田 翔 選手プロフィール] - 読売ジャイアツオフィシャルサイト
* [https://dragons.jp/teamdata/players/player.php?num=6 選手名鑑] - 中日ドラゴズ公式サイト
* [https://web.archive.org/web/20230408142205/https://www.giants.jp/players/detail/2008058/ 中田 翔 選手プロフィール] - 読売ジャイアンツオフィシャルサイト - Internet Archive
* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19890009/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE
* {{Instagram|shonakata_official|Sho Nakata6}}(2018年1月27日 - )
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* {{Ameba ブログ|nakata-sho|中田翔 オフィシャルブログ 「野球道」}}(2010年7月7日 - 2012年2月6日)
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* {{Twitter|Nakata_King|中田 翔}}(2011年3月17日 - 2011年4月2日)
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2024年12月22日 (日) 16:43時点における最新版

中田 翔
中日ドラゴンズ #6
2024年4月20日 阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区
生年月日 (1989-04-22) 1989年4月22日(35歳)
身長
体重
184 cm
107 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手左翼手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2009年5月23日
年俸 3億円(2025年)[1]※2024年から2年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年2017年
プレミア12 2015年
獲得メダル
日本の旗 日本
WBSCプレミア12
2015

中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、広島県広島市中区出身のプロ野球選手内野手外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。

経歴

[編集]

プロ入り前

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広島市立竹屋小学校3年から広島鯉城リトルで捕手として野球を始める[2][3]。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打広島市立国泰寺中学校3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、米国遠征で4本塁打を打ちMVPに輝き、世界大会準優勝の原動力となる[3]投手としても141km/hを計測した。中3時にイベントで訪れたヤクルトスワローズ山本樹投手と勝負して3打数2安打[4]、シニアの県大会で御建公園野球場で打った場外本塁打は、隣接する御建神社の屋根を破壊し、神社から弁償を請求された推定170m弾だったといわれる[4]。広島で過ごした少年時代は、当時の広島市民球場でプロ野球選手になる夢を抱いた広島東洋カープファンだった[4][5]。子供の頃の実家の近所に緒方孝市宅があり、家に押しかけてサインをもらったこともある[6]

大阪桐蔭高校西谷浩一監督は、中田をスカウトするため、広島に40、50回通った[7][8]。大阪桐蔭高校では1年夏には5番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、この時の3年生に平田良介辻内崇伸がおり、入学時からこの二人をライバルとして競争心を燃やしていた[9]。また投手としても最速147km/hを計測[3]。 秋からエースで4番を任され、岡田雅利バッテリーを組んだ。2年春には151km/hまで球速が伸びた。肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、4番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の市川高校戦(和歌山県営紀三井寺野球場)で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ[2][3]。この頃から「平成の怪物[注 1]と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日、全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録[3]。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。

2007年10月3日のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ阪神タイガースオリックス・バファローズ福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受けた。抽選の末、日本ハムが交渉権を獲得し、11月6日に契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で契約し、高卒新人としてはダルビッシュ有に並ぶ球団最高額となった[10]背番号は、同年オフに現役引退した田中幸雄が着用していた6[11]

日本ハム時代

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2008年は守備位置としては高校時代の投手と外野手ではなく、三塁手を志願し球団の育成方針とも一致したことから、二軍で三塁守備での練習を始める。しかし、同年6月に左手首を骨折(全治1か月)したときは、トレーナー陣から「これでケガをしても誰も面倒を見てくれないぞ」と注意を受けていた状態で1か月近くも骨折を放置されていた[12]。同年は1度も一軍に昇格することはなかった。オフに、300万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した[13]

2009年は春季キャンプ後の3月、三塁手としては起用できないと判断され、一塁手に専念。5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で「7番・指名打者」としてプロ公式戦初出場、プロ初安打を記録。25日の中日ドラゴンズ戦では途中出場ながら初めて守備機会のある一塁手の守備にも就いた。7月23日のフレッシュオールスターゲーム札幌ドーム)ではイースタン・リーグ選抜の4番打者を務め、2安打2打点でMVPを獲得。大森剛コーリー・ポールが持っていた同リーグのシーズン本塁打27本を超える30本塁打と史上最多タイの打点95を記録し二冠王を獲得[14]、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて特別賞を受賞した。9月26日には一塁手としての先発出場も果たし、9月27日に犠飛でプロ初打点を挙げた。また、日本シリーズにも第3戦で代打で初出場した。12月5日、現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改した[15]。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ転向した(登録は内野手のまま)[16]

2010年は長距離打者であるターメル・スレッジの退団と、レギュラー左翼手だった森本稀哲が故障で離脱したこともあり、開幕戦で7番・左翼手として自身初の開幕戦先発出場を果たし、杉内俊哉から自身初の2点適時打を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左膝半月板を損傷。5月10日に手術を受けた[17]。7月19日に一軍昇格。「7番・指名打者」として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の千葉ロッテマリーンズ戦にも先発出場し、大嶺祐太からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った[18]。8月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では栂野雅史青山浩二から2打席連続本塁打を記録した。夏場には金子千尋涌井秀章和田毅田中将大らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、9本塁打、22打点に終わった。オフに、600万円増となる推定年俸1800万円で契約を更改した[19]

2011年は開幕から19打席無安打とスタートに苦しんだがその後は成績を伸ばし、小谷野栄一の離脱中は4番に抜擢されるなどチームの主軸となり、初のオールスターゲーム出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の規定打席到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打、91打点を記録した。しかし規定打席到達者ではリーグ最多と1個差の133三振、打率.2371はリーグワースト2位、出塁率はリーグワーストの.283に低迷し、OPSも.700を切った。オフに、2700万円増となる推定年俸4500万円で契約を更改した[20]

2012年、キャンプから足を大きく開き、やや腰を落としてほとんど踏み出さずに振る「ノーステップ打法」を採用した。

この年から日本ハムの監督に就任した栗山英樹は、中田を中心とするチーム作りの意向を示しており、「4番・左翼手」として開幕スタメン。しかし、開幕から24打席無安打(25打席目で本塁打)となり、交流戦の頃から足を上げてタイミングを取る打法に切り替え、以後もフォームが定まらなかった。前半戦は打率1割台と不調だったが、栗山が不調でも我慢して使い続けたこともあり、最終的にレギュラーシーズンの全試合に4番打者として起用され続けた。球団では張本勲(1963年)、柏原純一(1983年)に続いて3人目の全試合4番出場となった。優勝チームでの全試合4番出場はパ・リーグでは野村克也(南海ホークス・1966年)以来、3人目。8月から徐々に調子を上げていき、9月には6本塁打を放つなど[21]後半戦は打率.293、14本塁打、OPS.882を記録。シーズン通算では打率はリーグワースト3位の.239、得点圏打率は.198に終わったが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点(チーム首位)を記録。先制打、同点打、勝ち越し打、逆転の殊勲安打30本、17勝利打点はリーグ最多と、両極端な結果となった。内容的には前年に比べて三振を減らし、より四球を記録し、BB/Kを向上させるとともにリーグ最多得点を獲得した。また守備面では外野手としてリーグトップの19補殺(球団タイ記録)を記録し、そのうち9が併殺であり、中日の原田督三松竹岩本義行の外野手シーズン併殺数のプロ野球記録を62年ぶりに更新した[22]。パ・リーグでは23年ぶりの2年連続リーグ最多補殺を記録。シーズン最後の連戦で、連敗すれば2位西武に並ばれる9月28日の西武戦では2ラン、3ランを放ってチームの全得点を記録し、リーグ優勝に貢献した。

ポストシーズンではクライマックスシリーズ日本シリーズでも全試合4番として出場する。10月28日、東京ドームでの日本シリーズ第2戦の1回表に澤村拓一から死球を受け左手を負傷し、4回裏の守備から途中交代したが第3戦以降も左翼手で出場し、第4戦では9回表の二死満塁のピンチの場面で左中間に抜ける打球を好捕して味方の失点を防ぎ、第6戦では6回表に自身のポストシーズン初となる3点本塁打を放つが、日本シリーズでは結局この1打席の3打点に終わった。シリーズ終了後には第2戦の死球により左手第5中手骨を骨折していたことが判明した[23]。12月3日、4000万円増となる推定年俸8500万円で契約を更改した[24]

2013年は、4番として開幕から活躍を見せ本塁打ではリーグトップを走っていたが、8月21日の楽天戦の初回に美馬学から左手甲に死球を受け、左手第5中手骨亀裂骨折と判明し戦線を離脱。その後のシーズンをほぼ棒に振りタイトルこそ逃したものの、自己最多の28本塁打(リーグ2位)を放ち、前年リーグワースト3位だった打率もリーグ8位の.305と初の3割を記録した。長打率、OPSはリーグ2位を記録した。シーズン後にはベストナインを初受賞した[25]。オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[26]。オフに、6500万円増となる推定年俸1億5000万円で契約を更改した[27]

2014年は2年ぶりに全144試合に出場し[28]、死球の影響でスタメンを外れた[29]7月の2試合を除く142試合で4番打者として先発した[30]。新戦力として一塁手のホアン・ミランダが加入し、内野手登録として[31]、キャンプからオープン戦序盤まで三塁手に再挑戦するも、シーズンでは例年と同じく左翼手を守る機会が多かった[30]。ただ、シーズン後半は一塁手を守る機会が増え、試合途中で左翼手から一塁手へ回る場面が多くなった。打率は前年より下落して.269だったが[28]、チームトップとなる27本塁打(リーグ4位)を放ち[32]、2年連続で25本塁打以上[28]を記録した。また打点では、3月・4月で17打点を挙げると、5月から9月にかけて毎月15打点以上を記録し、順調に数字を伸ばした[30]。9月27日のオリックス戦でサヨナラとなるソロ本塁打を放ち、自身初の100打点に到達[33]。最終的に2014年のパ・リーグで打点を三桁に乗せた唯一の選手となり、打撃三部門で初の個人タイトルとなる打点王を、2位に10打点差をつけて獲得した[34]。この年はチームとしては3位だったが[35]、オリックスとのクライマックスシリーズのファーストステージ第3戦(京セラドーム大阪)では、1対1で迎えた延長10回表に平野佳寿から決勝のソロ本塁打を放ち[36]、続くファイナルステージで、第1戦、第2戦で本塁打を放ち、2008年のT.ウッズ中日)以来2人目、パ・リーグのCSでは初の3試合連続本塁打を記録[37]。続く第3戦でも6回表に3点本塁打を記録し、NPBのポストシーズンでの新記録となる4試合連続本塁打を達成した[38]。翌18日の第4戦で3打数2三振1四球の無安打に終わり、記録は4でストップ[39]。シーズンオフの10月9日に、日米野球2014日本代表に選出されたことが発表された[40]。オフに、5000万円増となる推定年俸2億円で契約を更改した[41]

日本ハム時代
(2015年5月31日 札幌ドーム

2015年は開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された[42]。3月10日の第1戦、3月11日の第2戦に4番で先発出場し、1安打を記録した[43][44]。シーズンでは年間を通して一塁手として出場した。交流戦終了の6月中旬までに20本塁打を記録する例年以上のペースで本塁打を量産していった。しかし慢性的な膝の不調に悩まされ、後半戦は大きく失速。不振に苦しむも、最終戦で涌井秀章から本塁打を放ち、キャリア初の30本塁打を達成した。また、2年連続100打点を記録した(同チーム内での2年連続100打点は、東映時代に大杉勝男(1971?1973年)が記録して以来2人目である)。守備は年間を通して安定し、初のゴールデングラブ賞を獲得した。オフに、4500万円増となる推定年俸2億4500万円+出来高払いで契約を更改した[45]

2016年は開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された[46]。レギュラーシーズンが始まると不調に苦しむようになる。6月27日の埼玉西武ライオンズ戦では途中で代打を出され、その後の2試合では打撃不振のためスタメンから外れた[47][48]。その後も打率は.250前後を推移し続けたが、8月30日の楽天戦で、3試合連続本塁打になる20号本塁打を放つなどシーズン後半に復調[49]。最終的にはシーズンを通して(スタメン落ちした2試合を除いて)4番打者に座り続けて、「打率.250、25本塁打、110打点」を記録。打率、本塁打こそ前年を下回ったが、打点は自己ベストの成績になり、(前述の大杉に並ぶ)3年連続の100打点を達成して打点王を獲得した[50]。また一塁手として最多の守備機会に関わり、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得、ベストナインにも選出された。このシーズンに本塁打数がそれほど伸びなかった背景にはブランドン・レアードに本塁打の量産を任せて自分はチーム打撃に徹するという考えがあり、シーズン前半には野球専門媒体がそのように報じていた[51]。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された[52]。4年ぶりの出場となった広島東洋カープとの日本シリーズでは、4年前と同様に全試合4番打者で出場する。第3戦では8回裏に逆転となる2点適時二塁打を含む3打点を挙げると、第4戦では6回裏に同点に追いつくソロ本塁打を放つ。そして日本一に王手をかけた第6戦では、同点の8回表に二死満塁から押し出し四球を選び、これが日本一を決める決勝点となった。自身初の日本一を経験するとともに、優秀選手賞に選ばれた。12月1日、3500万円アップの推定年俸2億8000万円+出来高払いで契約を更改した[53]

2017年3月31日の開幕戦は、6年連続での「開幕4番」を務めた。5月20日の札幌ドームでのオリックス・バファローズ戦で吉田一将から天井直撃の二塁打を放つ[54]。しかし、この年は開幕から深刻な打撃不振に陥り、7月6日の西武戦を最後に、打率が.230を割り込む状況がシーズン終了まで続いた。2012年以来、4番での出場を主としてきたが、6月10日の巨人戦以降は、3番での起用が多くなった(中田が3番で起用される際は、ブランドン・レアードが4番で起用された)[55]。7月8日のソフトバンク戦では、プロ初めての1番での起用になった[56]。8月13日のソフトバンク戦からは、指定席であった4番に返り咲き、以後はほぼ4番として起用され続けた[57]。最終的には、「打率.216、16本塁打、67打点」。打率(リーグワースト1位)、得点圏打率(.195。リーグワースト2位)、OPS(.676。リーグワースト4位)、RC27(3.69。リーグワースト1位)など、打撃面でのほとんどの項目で、レギュラー定着後最悪の成績になり、シーズン20本塁打も5年連続で途切れた。この年は8月17日に、国内FA権を取得(2016年12月の契約更改のときから、国内FA権取得後の動向が注目されていた)[58]。しかし、実質的に自己最悪のシーズンに終わった影響もあり、11月14日、「ふがいない成績でチームを去ることはできない」として、国内FA権を行使せずに残留することを表明、推定年俸2億円(8000万円のダウン)+出来高払いで契約を更改した[59][60]。2018年4月のインタビューで、2017年シーズンの不振について「WBCに向けて(打撃における)タイミングと打つポイントを変えたが、結果として裏目になってしまった。(自身にとってFAイヤーである大切な年とわかっていたのでなおさら)このままで終わったらやばいという気持ちと焦り(が膨らみ続けた結果、シーズンを通してスランプから脱却できないまま終わってしまった)」と振り返っている[61]。シーズンを通して自身の去就を熟考し続けたとのことだが、「(ファンの)みんなが掲げてくれた横断幕[注 2]にしても、本当にありがたいなと思ったし、そういう人たちがいる限り裏切りたくない(と思うようになった)」として、最終的に残留を決断したという[61]

2018年は新たなチームキャプテンに任命され「初心に帰ってがむしゃらに戦いたい」ことをテーマに掲げてキャンプインした[62][63]。3月30日の開幕戦では、7年連続での「開幕4番」を務めた。4月15日のオリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、2014年10月以来、4年ぶりとなる左翼手での出場を果たした(この試合では左翼手として補殺を1つ成功させている)[64][注 3]。5月9日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、6回表に小林慶祐から左前打を放ち、プロ野球通算1000安打を記録した[65]。8月24日の楽天戦(札幌ドーム)で近藤弘樹から本塁打を放ち、通算200本塁打を達成した[66]。平成生まれでの達成は史上初であり、球団史上5人目の快挙となった。シーズンを通して活躍し、2年ぶり6度目となる20本塁打を達成し、自身4度目となる100打点は球団最多記録となった[67]。また、シーズン犠飛記録では歴代2位となる13本を記録した[68]。オフに、FA権を行使せず3年契約で残留することを表明し、8000万円増となる推定年俸2億8000万円で契約を更改した(出来高を含めた3年総額で推定10億円)[69]

2019年、3月29日のオリックスとの開幕戦(札幌ドーム)で8年連続となる「開幕4番」を務め、延長10回裏に岩本輝から史上3人目となるサヨナラ満塁本塁打を記録した[70]。自身の前の打者であった西川遥輝近藤健介が立て続けに申告敬遠された後の本塁打だった。ヒーローインタビューで「あるとは思っていたけど、目の前で見たら、ナメてるのかなと思って、すごく気合が入りました」とコメントした。6月は2日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で4回二死満塁の打席でK-鈴木からシーズン2本目の満塁本塁打[71]、4日のヤクルト戦(札幌ドーム)では2年ぶりとなる1試合2本塁打を放った[72]。7月末時点の成績では打率.262、23本塁打、68打点を記録していたが[73]、8月13日に右手母指球部挫傷で全治2週間と診断され、登録抹消された[74]。復帰以降も調子は上がらず、打率.242、24本塁打、80打点の成績でシーズンを終えた。オフの契約更改では1000万円増となる推定年俸2億9000万円+出来高払いでサインし[75]、また2年間務めたチームキャプテンの任が今年で終わり、「キャプテンをさせてもらって、今までとは違うチームの見方ができましたし、みんなの前で発言する機会も増えたので本当にいい勉強になりました」とコメントした[76]

2020年は開幕前から「馬鹿みたいにバットを振らなくても打球が勝手に飛んで行く」と話し、キャンプについては『レベチ』(レベルが違う)との感想を述べた[77]。9月10日のロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)にて史上64人目となる通算250本塁打に到達した[78]。シーズン成績は1試合欠場しただけの119試合に出場し[注 4]、前年同様低調な打率だったが自身最多となる31本塁打を記録。本塁打王は32本塁打の浅村栄斗に譲る形となったものの、108打点を記録し、4年ぶりに打点王を獲得した。オフに、5000万円増となる推定年俸3億4000万円で契約を更改した[79]

2021年は前年とは一転して調子の上がらないまま春季キャンプを終え、取材陣に対し、「今年は…ちょっと、あんまよくないですね。ゴミです」と不安を吐露した[80]。開幕後も調子は上向かず、4月7日の対ソフトバンク戦では3度の好機で凡退、5回裏の打席で三振した後には悔しさからベンチ内でバットをへし折った。更に苛立ちから試合外で転倒し、右目の上を負傷。その影響から、6回の守備から交代となった。監督の栗山は取材に対し、中田のバット折りについて「ベンチでやるな、後ろでやれと言っている」「見ている人で不愉快な人もいる」と、負傷について「試合中に野球以外のところでつまずいたりするのはなしでしょ。いなくなるのは責任を果たしてないだろ」と厳しい口調でコメントした[81]。翌日の試合は欠場したが、9日のオリックス戦(京セラドーム大阪)の試合で、先発出場に復帰。打撃では内野ゴロでも相手の野手選択を誘った全力疾走を行ったり、守備では捕球こそできなかったもののファウルゾーンへの小フライに対して躊躇なく飛び込むなど、気合のあふれるプレーを見せた[82]。開幕17戦で本塁打0だったが、4月17日の対楽天戦(東京ドーム)の1回に8年ぶりのNPBでの登板だった田中将大から先制2ランとなるシーズン第1号を打ち、さらに6回に牧田和久から2号ソロ本塁打を打ち田中のNPBでの連勝記録を「28」で止めた[83]。しかし、その後は本調子とまではならずに打撃不振が続き、自ら二軍での再調整を希望して5月17日に出場選手登録を抹消された。抹消後しばらくは試合には出場せずに室内練習場での再調整を続け、6月1日の二軍公式戦で実戦復帰[84]。4日に一軍に復帰した。しかし、一軍復帰直後の8日の対阪神タイガース戦の第2打席で三塁ゴロを放って一塁を駆け抜けた際に右腰付近に違和感が生じ、途中交代。駆け抜けた後は立ち上がれず担架で運ばれて退場し[85]急性腰痛で復帰まで3週間かかる見通しとの診断だったため、翌9日に出場選手登録を抹消された[86]。39試合の出場で打率.193、4本塁打、13打点、OPS.577という成績で前半戦を終えた。手術は選択せず[87]腰への負担を軽減させるために体重を約10kg減量させ、7月27日エキシビションマッチの対広島戦で一軍復帰を果たした[88]。しかし8月4日に後述の暴行事件を起こしたことにより、同月11日に球団から出場停止処分を科され[89]、解除日未定の出場停止選手として公示された[90]

巨人時代

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読売ジャイアンツ時代
(2022年3月11日、京セラドーム大阪にて)

2021年8月20日に野球協約第105条に基づく無償トレード読売ジャイアンツへ移籍し[注 5][92][93]、日本ハム球団から科されていた出場停止処分も同日をもって解除されることが発表された[94]。背番号は同年に入団したジャスティン・スモークが着用し、途中退団により空き番号となっていた10となった。同日午前に球団事務所で会見を行ったのち、午後には一軍のチーム練習に合流し[95]、翌21日には出場選手登録された[96]。同日の対DeNA戦で大城卓三の代打として移籍後初出場[97]。翌日には「5番・一塁手」で先発出場し、今永昇太から移籍後初安打となる2点本塁打を放った[98]。しかし、その本塁打以降は長打がほとんど無く打点も挙げられず、打率は1割台と低迷[99]し、9月11日に登録を抹消された[100]二軍では長嶋茂雄終身名誉監督からの直接指導や阿部慎之助二軍監督とのマンツーマン指導などを受けた。二軍戦6試合に出場し、打率.500(22打数11安打)、4本塁打、13打点と圧倒的な成績を残し、9月21日に最短で一軍に復帰したが[101]、再昇格後も24打数2安打と一軍では打撃が振るわず、10月1日に移籍後2度目の登録抹消となった[102]。同12日に再び一軍へ昇格し、同日の阪神戦では代打安打を記録したものの[103]移籍後は34試合の出場で打率.154、3本塁打、7打点という成績に終わった[104]。リーグ3位で迎えたCSでも計2試合の代打出場にとどまり、チームのファイナルステージ敗退が決定した11月12日の試合では最後の打者として空振り三振に倒れた[105]。契約更改では減額制限を超える56%減(1億9000万円減)の推定年俸1億5000万円でサインをした[106]

2022年、4月3日の対阪神戦(東京ドーム)では1回一死満塁の打席でジョー・ガンケルから満塁本塁打を放った[107]。5月13日の対中日戦(東京ドーム)でプロ入り初の犠打を決め[108]、通算1521試合で6245打席目での初犠打は、張本勲の1858試合で7669打席目に次ぐ歴代最遅2位となった。翌14日の同一カードでは2点を追う7回一死満塁の打席で祖父江大輔からシーズン2本目の満塁本塁打となる逆転満塁本塁打を放った[109]。同月28日の古巣・日本ハムとのセパ交流戦(札幌ドーム)で本塁打を放ち、全球団から本塁打を記録した[110]。7月13日の対阪神戦で二回で適時失策を犯し、即時交代。先発出場しながら一打席で交代となったのは移籍後では初だった[111]。8月10日の中日戦(バンテリンドームナゴヤ)では9回表にライデル・マルティネスから決勝本塁打を放ち戸郷翔征の10勝目を呼び込むと[112]、翌11日の同カードでは、不調の岡本和真に変わり球団第91代の4番打者に起用され[113]、第1打席で先制適時打を放ちチームの勝利に貢献[114]。12日~14日の広島3連戦(東京ドーム)では、初戦で4番での初本塁打を含む3安打2打点の活躍を見せると[115]、2戦目には適時打、3戦目には先制2点本塁打を放ち、2004年の小久保裕紀以来となる4番デビューから4戦連続打点を記録した[116]。8月23日の中日戦では、史上47人目で平成生まれでは初の通算1000打点を達成[117]。最終的に規定打席には大きく及ばなかったが、109試合出場で打率.269、本塁打24本、68打点と、2シーズンぶりの20本塁打達成やチーム内打点数2位と前年度の成績を大きく上回り、勝利に大きく貢献した。11月14日、巨人移籍後初・セ・リーグ初となるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞した[118]。両リーグ受賞は史上9人目で、かつ一塁手部門では史上初のセパ両受賞者となった[119]。契約更改では倍増の推定年俸3億円で、3年契約を結んだ[120]。一方で期間途中でも契約を破棄することなどができる、オプトアウトの条項を加えての契約でもあった[121]

2023年は3月31日の中日との開幕戦で「5番・一塁手」で先発出場。4回無死無走者の打席で小笠原慎之介から開幕戦本塁打を放った[122]。同年は開幕から先発出場を続け、4月29日の対広島戦(東京ドーム)では1点を追う9回二死一塁の打席で栗林良吏から逆転サヨナラ2点本塁打を放つなど[123]、好調を維持した。しかし、5月4日の対ヤクルト戦で、2回に左翼への二塁打で出塁した際に右足を痛め、そのまま交代。試合後に都内の医療機関で「右ハムストリングスの肉離れ」と診断され、翌日5日に登録抹消となり、故障班に合流すると発表された[124]。その後、5月25日に一軍に復帰したが、故障離脱してる間に新人の門脇誠が三塁手として出場を続け[注 6]、三塁手として出場していた岡本が一塁手として出場するパターンが定着したため、先発出場する機会が減少[125]。それでも代打としての出場機会は増加し[注 7]、8月6日の対広島戦では河野佳から史上45人目となる通算300本塁打を記録した[126]。しかし、9月1日に特例2023で登録抹消となり[127]、同15日に再度一軍登録されたが、5日後の20日に腰痛で3度目の登録抹消となった[128]。この抹消以降は一軍に昇格できずそのままシーズンを終えた。故障離脱と門脇の台頭で、最終的な出場数は前年より少ない92試合となり、打率.255、15本塁打、37打点で、規定打席到達は逃した。シーズン終了後、新たに監督に就任した阿部慎之助が、翌年は一塁・岡本、三塁・坂本、遊撃・門脇という構想を掲げたため、翌年も先発出場機会を確保できない状況となった[129]。そのため、先発出場機会を求めて海外FA権を行使することを熟考していると報道されたが[130]、期限の11月14日までに申請書類を提出せず、FA権の行使は見送った[131]。しかし、期限翌日の15日に、前年オフに結んでいた3年契約に盛り込まれていたオプトアウト権[注 8]を行使して契約を破棄し、自由契約選手となることを選択した[125][133][注 9]

中日時代

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2023年12月6日に中日ドラゴンズと正式に契約し、入団会見を行った。推定年俸は3億円前後の2年契約である[134][135]。背番号は6[136]

2024年は3月29日のヤクルトとの開幕戦(明治神宮野球場)で5回二死無走者の打席でサイ・スニードから史上2人目となる3球団で開幕戦本塁打を放った[137]。休養を挟みながらも開幕から4番に座る[138]。しかし、5月15日の対阪神戦で左足首付近に自打球を当て、その足を庇って走塁した影響で右のハムストリングを負傷し、翌16日に登録抹消となった[139]。同月28日に出場選手登録される[140]と、6月は2日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で延長12回二死二塁の打席で阿部翔太から[141]、14日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では延長10回二死二塁の打席で坂本光士郎からそれぞれ延長戦で決勝適時二塁打を放った[142]が、同月は月間打率1割、2打点に苦しみ、26日に腰痛で出場選手登録を抹消[143][144]。7月19日に再び出場選手登録される[144]と、同月21日の対巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で6回二死無走者の打席で菅野智之から移籍後初の本拠地で初本塁打を放った[145]。8月7日・8日の対DeNA戦では先発から外され、代打で出場するもともに空振り三振に倒れ、同月9日に出場選手登録を抹消された[146]。最終的に62試合に出場、打率.217、4本塁打、21打点という成績に終わった[147]。オフの11月9日に2年契約2年目で現状維持となる推定年俸3億円で契約を更改した[147]

代表経歴

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2012年シーズンオフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[148]候補入りした[149]。監督の山本浩二から4番候補として期待される。

2013年2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され[150]代表入りした[151][152]。合宿から立浪和義打撃コーチの指導のもと、すり足への打撃フォームの改造に取り組んだ。WBCでは序盤戦は活躍するも、長打が出ないことを理由に打撃フォームを元に戻すことを直訴し[153]、後半戦は大振りが目立ち、WBCの最終個人成績は21打数6安打(.286)と打率は残したが本塁打など長打は打てなかった[154]。打順は下位で起用されることが多かった。

2015年7月16日に第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表され[155]、9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表され[156]、10月9日に最終ロースター28名に選出されたことが発表され[157]代表入りしている。同大会では、第4戦まで合計11打点を記録。第4戦アメリカ戦では、6回表に決勝3点本塁打を左中間スタンドに記録し、日本代表の決勝トーナメント進出に貢献した上、最終的には打率.429、3本塁打、15打点で大会ベストナインに選出されている。

2017年に第4回WBC日本代表に選出。4番は筒香嘉智に譲ったが、欠場した二次ラウンドのイスラエル戦を除き筒香の後ろの5番打者に座った。1次ラウンドオーストラリア戦では決勝ソロ本塁打を放ち、二次ラウンドオランダ戦ではリック・バンデンハークから一時決勝打となる3点本塁打を放つと同点に追いつかれた後の延長11回に決勝2点適時打を放った。大会全体では打率こそ.238にとどまったが、1次ラウンドの中国戦を合わせ3本の本塁打を記録し8打点を記録した。

選手としての特徴

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打撃

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中田のスイング(2009年の日本シリーズにて)

高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とし[158]、体勢を崩されても打球をスタンドに運ぶことが出来る[159]。初球から積極的に振っていくスタイルで[160]、四球率は通算6.7%と平均的だが、反面、2011年にはボールゾーンのスイング率が30%を越えるなど選球眼に難があった[160]。こうした選球眼の悪さが課題にあったものの、後述の「ガニ股打法」などの変遷を経て、徐々に四球数・三振数・バットコントロールを改善していった。

2014年頃からは緩急をつけるようになり、2ストライク時や得点圏で確実に1点が求められる場面によっては、足をわずかに上げミート重視のコンパクトな打撃に切り替えることが多くなった。本人も打点へのこだわりを述べている[161]。その影響からか、IsoP(長打力を測る指標)は、2013年にリーグ1位の「0.246」を記録して以後の4シーズン(2014年 - 2017年)は、「0.186→0.215→0.181→0.150」と、長距離打者としては比較的抑えられた数値になっている[162]

2015年 - 2017年の3シーズンにおいて、三振率は「19.6%→20.2%→19.0%」と、リーグ平均値を前後する数値で推移しているが、空振り率は「12.4%→13.2%→12.2%」と、リーグ平均値よりも望ましくない数値で推移している(リーグ平均値は「9.4%→9.0%→9.8%」)[163][164][162]。また、初球スイング率では「31.9%→37.7%(リーグ2位)→33.7%」と、リーグ平均値を上回る高い数値で推移しており、積極的に振る傾向の強い打者であるといえる[163][164][162]

打球方向の「引っ張り打球割合」[注 10]が、2015年 - 2017年の3シーズンにおいて、「51%→54%→49%」と高い数値で推移しており(特に2016年シーズンの「引っ張り打球割合」はリーグ1位であった)、日本人打者の中でも、プルヒッターの傾向の強い打者であることが示されている[165][163][164][162]。また、2015年 - 2017年の3シーズンにおける「フライボール率」は、「55.6%(リーグ3位)→59.4%(リーグ1位)→58.2%(リーグ1位)」と高い数値で推移しており、打球におけるフライボールの多い打者(フライボールヒッター)であるといえる[163][164][162]

中田の打撃フォーム(2012年)

打撃フォームの変遷が激しく、2011年には選球眼の改善を試みるため、脇を閉めて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組んでいた[166]。しかし、下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった福良淳一やチームメイトだった稲葉篤紀からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ[166]。この年のオフにはケビン山崎の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが[166]、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥ったため、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスな打撃フォームとなった[167][168]

日本ハム時代は栗山英樹の監督就任後の2012年から、ほぼ一貫して4番打者として起用され続けていたが、栗山曰く、中田を4番として起用し続ける理由として、「自分の中の感覚だけど、いつも調子が悪くても、球の強い投手がきても、絶対に打てる可能性をいつも感じさせる選手。特別なタイプの投手を打てない、というのはダメ。どんな投手が来ても、いつも期待できる選手でないと4番を張れないし、何とかしてくれる可能性をいつも感じている打者だから。調子が悪くてもバットを振るし。その可能性が高くないとチームを背負えないので」という趣旨のことを述べている[169]

犠飛の多い選手であり、特に2018年シーズンは歴代単独2位となる13本を記録した[170]

打点の記録が優れている一人とも認められている[171]。2020年時点でシーズン100打点を5度記録している[172]。本人も打点に強い拘りを持っており、2019年のオフには「打点でもっと貢献したかった。俺は本塁打を30本、40本打ちたいという欲よりも毎年100打点打ちたいという欲の方が強い。打点の方が直接の貢献度が大きいと個人的に思うから。本塁打は調子が良ければ、ポンポンと出るもの。打点というのは場面、場面でみんながつくってくれるチャンスなので。バントして犠牲になってくれている奴もおれば、スチールして(ヒット)1本で(ホームに)還れる状況をつくってくれる奴もいる中での打点なんでね。同じ1点でも重みが違うかなと思う」とコメントした[173]

走塁

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足は特別速いわけでもなく、一塁到達は4.3秒台[174]である。高校生時で50メートル走のタイムは6秒2[175]第4回WBCではキューバ戦で盗塁を記録している。

守備

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入団当初は三塁手一塁手で起用されていたが、出場機会の増加や強肩を活かすため、2010年からは左翼手として起用されるようになった。怪我の影響もあり、2015年からは一塁手に再転向している。また、2014年には三塁手へ再転向が提案されるも、守備の悩みから打撃に悪影響を受け開幕は左翼手となり、結局同年の三塁手としての出場は無かった[176]。2019年にも三塁手転向プランがあったが[177]、結局三塁手としての一軍出場はないままである。

外野手としては、チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され[178]、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし[179][180]、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった[181][179]。2012年には左翼手で両リーグトップのUZR23.7を記録した[182]

一塁手としても、ゴールデングラブ賞を5回受賞しているように評価が高い[183][184]。非常に柔らかいハンドリングや、スローイングの正確さと強肩に定評がある[185]

人物

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  • 非常に気が強いことで知られており、ヤンチャといわれるエピソードが多い[186]。アマチュア時代からヤンチャで知られ、大阪桐蔭時代は「気に食わない先輩を乾燥機に叩き込んだ」と、自分でも認めている。2008年春季キャンプでは、連日の取材攻勢にストレスがたまっていたのか、宿舎の窓から持参したエアガンで報道陣を狙撃し、これには当時面倒を見ていた球団スタッフも「手に負えない」と嘆き節だった。また、一軍定着前の二軍時代は遅刻・寝坊・仮病の常習犯であり、プロ1年目に左手首を骨折した時も球団は当初、「またいつものウソか」と信じなかったくらいである。日ハム時代の中田の素行不良については、栗山が中田に甘かったことに原因を求める球団OBの声もあり、ダルビッシュや稲葉などの厳しい先輩がいなくなったことでバランスが取れなくなったという[187]。2011年8月26日の西武戦において、自身が無安打で敗戦した際、3学年上の鵜久森淳志と小競り合いの喧嘩をするトラブルを起こした[188]。その日出場のなかった鵜久森が悔しそうにバットを片付けていた様子に腹を立てた中田が「早くどいてもらっていいですか」と言うと、「殺すぞ」「殺してみい、こらぁ」といった怒鳴り合いに発展した。その場でコーチに止められ、後に和解している[189]
  • 2012年1月に高校時代の同級生と結婚[190][191][192]。その翌年2013年1月に第1子長女が誕生し、2016年4月に第2子次女、2019年8月に第3子長男[192]、2021年7月に第4子次男が誕生している[193]。第3子は8月9日の「野球の日」生まれであり、「なにか縁があるのかなと思う。ましてや初めての男の子だし」と語っている[194]
  • 子供のころから動物好きで、現在は犬と爬虫類を飼育している。また巨人二軍球場ではカマキリ[注 11]などの昆虫を餌として捕らえる所も選手に度々目撃されており、企画記事や球団映像の企画になっている[195][196][197][198]
  • 好物は焼肉。広島でしか食べられないコウネ(ブリスケ)が好み[199]。脂肪分の少ない部位を好む[200]
  • 喫煙者である[201](現在は不明)
  • 日本ハム時代はチーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、カラオケでの十八番は松山千春の「大空と大地の中で」で、球団のチャリティーCDでもサビを担当した[202]。巨人移籍後もカラオケに同行した選手からは「歌が上手」と言われており、′23年4月22日に放送されたズムサタで取材を受けた高梨雄平からは「甘い歌声やビブラートもできる。コブクロを歌っていた」と答えた[200][198]
  • 2018年1月27日より写真共有SNSInstagramで自身のアカウントを開設し、プロフィールには自らを「北のジャイアン」と記した[203]。高校生時代の写真などを投稿し、開始2日でフォロワーが14万人に達するほどの好評を博す[204]
  • 日本ハム時代、2018年シーズンから大野奨太のFA移籍によって、チームキャプテンに就任したが、チームメイトからは以前からの呼び名である「大将」と呼ばれていた[205]。移籍後も元日ハムのチームメイトだった一部の選手から大将と呼ばれ、後に球団イベントなどでも岡本和真の愛称と合わせて「大将と若大将」などと称され、チーム内にも定着している[206]
  • 座右の銘は『克己心[207]
  • 試合の登場曲には、2013年から親交が深いビーグルクルーのYASSのオリジナル書下ろし楽曲『My HERO』を使用し、YASSの活動にとって後に様々な影響を及ぼすうちの1人となり、過去には『My BROTHER』(同人)やその他の楽曲も使用していた[208]。2022年オフにはYASS主催の野球教室で指導などを行った[209][210]
  • 2011年まで同僚だったダルビッシュ有渡部龍一を慕っている[166]。ダルビッシュからは「(当時の)日本記録[注 12]の56本塁打を打つまで認めない」[211]などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている[212]。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ[166]
  • 高校の先輩である西岡剛と親交が深く、過去には自主トレをともにしていた[166][213]。当時の参加選手は西川遥輝城所龍磨で自主トレの様子などはYouTube[214]やインスタグラムなどに投稿されている。移籍後は秋広優人姫野優也黒瀬健太(引退前まで)と石垣島で行う[215]
  • 日本ハム時代は、後輩選手のモチベーション向上のために自身が考案した「中田賞」を設けていた。毎年、中田自ら後輩選手のシーズン目標(本塁打数や安打数、勝利数など)を設定し、その目標をクリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしていた。これは、かつて稲葉篤紀や西岡に成績に応じて食事をご馳走してもらった経験があるからだという[41]。特に杉谷拳士のことを「かわいい後輩」としており、その親交ぶりが時折メディアで取り上げられたほどである[216][217]。移籍後も同僚や後輩にも慕われ、中田について取材でも「(一般のイメージと違って)可愛らしい一面しかない」「食事に誘ってくれる」「(試合前)意外に緊張するタイプ、寂しがり屋」などと言われている[198]。中日移籍となった2024年からは元同僚で前年限りで現役を引退した姫野優也を個人マネージャーとして起用している[218]

不祥事

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チームメイトへの暴行事件

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2021年8月4日、エキシビションマッチ・対DeNA戦(千代台公園野球場)の開始前に同僚選手1名(以下、被害選手)に対してベンチ裏で暴力行為を行っていたことが判明し、試合中に球場からの退場と自宅謹慎を命じられた[89]。同日の試合では中田は4番で先発出場して、1回に先制の適時二塁打を放っていたものの、直後の2回の守備から交代させられていた[219]

球団による詳細な調査の結果、被害選手よりこのことを大事にしたくない旨の申告があり、中田本人が深く反省しているという諸事情を踏まえてもなお中田の行為が統一選手契約書第17条(模範行為)に違反し、野球協約第60条(1)の規定に該当するものと球団は認定。11日、球団は中田に対して当面、一軍、二軍全ての試合の出場停止処分を科すことを発表し[89][220]、同日付で出場停止選手公示がなされた[90]

同日、球団社長兼オーナー代行の川村浩二が記者会見を行い、被害選手に落ち度はなく、中田が突発的に腹を立てて手を出したものであること、被害選手が受けた暴力はプレーに支障がない程度であること、中田と被害選手は本来は懇意な2人だったことが説明された[221]。また、球団施設で個人での自主練習は認める方針だが、チーム練習には参加させず、ユニフォーム着用も禁ずる考えも示された[222]。会見に中田は同席しなかった。

同16日、栗山英樹監督がこの件について初めて言及。同年中の一軍復帰を否定したうえで、「このチームでは難しい」と退団の可能性も示した[223]

同20日、巨人無償トレードで移籍することが発表され、巨人球団事務所で開かれた記者会見には、金髪から黒髪にしたうえで髭も剃って姿を現し[224]、冒頭で「今回、本当に皆さんに迷惑をかけてしまったこと、本当に反省しています。本人にももちろんそうですし、ファンの皆さんに対しても裏切ってしまったということに対して、すごく後悔だったり、本当に反省しています。すみませんでした」と謝罪の言葉を述べた[94]。移籍にあたっては、16日夜に日本ハム・栗山英樹監督から巨人・原辰徳監督へ直接電話で相談があり、原監督が巨人球団首脳とかけ合って獲得が決定した[225]

無償トレードとなったこと、日本ハムから科された出場停止処分が9日間で解除され巨人ですぐ一軍戦に出場したこと、日本ハム主導での謝罪会見が開かれなかったことなどに対し、賛否を呼ぶ出来事となった[226][227]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2009 日本ハム 22 38 36 3 10 2 0 0 12 1 0 0 0 1 1 0 0 15 0 .278 .289 .333 .623
2010 65 230 210 20 49 5 1 9 83 22 0 0 0 2 15 0 3 61 8 .233 .291 .395 .687
2011 143 572 527 49 125 32 2 18 215 91 4 0 0 8 31 2 6 133 12 .237 .283 .408 .691
2012 144 606 547 79 131 25 1 24 230 77 5 4 0 4 50 1 5 101 8 .239 .307 .420 .727
2013 108 459 407 67 124 14 1 28 224 73 1 2 0 1 45 4 6 77 11 .305 .381 .550 .932
2014 144 602 531 64 143 18 0 27 242 100 0 0 0 7 58 3 6 89 12 .269 .344 .456 .800
2015 143 611 539 72 142 26 0 30 258 102 1 0 0 7 64 4 1 120 11 .263 .339 .479 .817
2016 141 624 569 61 142 26 1 25 245 110 2 1 0 5 47 1 3 126 14 .250 .308 .431 .738
2017 129 542 472 56 102 23 0 16 173 67 0 1 0 4 61 0 5 103 14 .216 .310 .367 .676
2018 140 599 540 61 143 32 0 25 250 106 0 1 0 13 43 1 3 81 24 .265 .316 .463 .778
2019 124 514 450 55 109 21 0 24 202 80 0 0 0 4 55 4 5 83 16 .242 .329 .449 .778
2020 119 506 440 52 105 18 0 31 216 108 1 0 0 9 55 3 2 109 19 .239 .320 .491 .811
2021 39 150 135 13 26 3 0 4 41 13 0 0 0 0 14 0 1 31 4 .193 .273 .304 .577
巨人 34 106 91 6 14 4 0 3 27 7 0 0 0 0 14 0 1 29 3 .154 .274 .297 .571
'21計 73 256 226 19 40 7 0 7 68 20 0 0 0 0 28 0 2 60 7 .177 .273 .301 .574
2022 109 375 338 39 91 8 0 24 171 68 0 0 2 4 27 2 4 72 9 .269 .327 .506 .833
2023 92 288 263 27 67 8 1 15 122 37 0 0 0 4 19 3 2 63 10 .255 .306 .464 .769
2024 中日 62 225 212 15 46 10 0 4 68 21 0 0 0 3 9 2 1 34 9 .217 .249 .321 .570
通算:16年 1758 7047 6307 739 1569 275 7 307 2779 1083 14 9 2 76 608 30 54 1327 184 .249 .317 .441 .757
  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績所属リーグ内順位

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2009 20 パ・リーグ - - - - - - - -
2010 21 - - - - - - - -
2011 22 - - 2位 - 3位 3位 - -
2012 23 - - - - 2位 3位 - -
2013 24 8位 - - - 2位 - - 10位
2014 25 - - - - 4位 1位 - -
2015 26 - - 9位 - 6位 2位 - -
2016 27 - - 8位 - 5位 1位 - -
2017 28 - - - - - - - -
2018 29 - - 4位 - 9位 3位 - -
2019 30 - - - - - 10位 - -
2020 31 - - - - 2位 1位 - -
2021 32 - - - - - - - -
セ・リーグ - - - - - - - -
2022 33 - - - - 4位 9位 - -
2023 34 - - - - - - - -
  • -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)

WBCでの打撃成績

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2013 日本 6 26 21 3 6 0 0 0 6 2 0 0 0 1 3 0 1 3 0 .286 .385 .286
2017 6 25 21 5 5 1 0 3 15 8 1 0 0 0 4 0 0 2 0 .238 .360 .714

WBSCプレミア12での打撃成績

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2015 日本 8 36 28 8 12 2 0 3 23 15 1 0 0 1 7 0 0 7 0 .429 .528 .821
  • 太字は大会最高

年度別守備成績

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一塁 外野
























2009 日本ハム 6 26 0 0 1 1.000 -
2010 29 231 17 1 22 .996 18 12 1 0 0 1.000
2011 25 80 9 0 4 1.000 139 208 11 5 1 .978
2012 13 86 5 0 4 1.000 138 245 19 3 9 .989
2013 8 45 3 1 8 .980 101 179 7 2 3 .989
2014 31 224 13 1 20 .996 95 108 7 2 1 .983
2015 139 1211 99 5 94 .996 -
2016 136 1214 95 8 115 .994 -
2017 126 1086 88 8 84 .993 -
2018 131 1183 80 3 82 .998 3 4 1 0 0 1.000
2019 100 865 71 5 66 .995 -
2020 63 497 46 6 36 .989 -
2021 35 261 16 1 22 .996 -
巨人 33 213 16 0 17 1.000 -
'21計 68 474 32 1 39 .998 -
2022 100 765 76 2 63 .998 -
2023 74 508 35 6 58 .989 -
2024 中日 52 460 36 1 37 .998 -
通算 1101 8955 705 48 733 .995 494 756 46 12 14 .985
  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高
  • 太字年ゴールデングラブ賞受賞

タイトル

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  • 打点王:3回(2014年、2016年、2020年)

表彰

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NPB
日本代表

記録

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初記録
節目の記録
その他の記録
  • 外野手シーズン19補殺:2012年 ※日本ハム球団タイ記録[233]
  • 外野手シーズン9併殺:2012年 ※NPB記録[233]
  • シーズン13犠飛:2018年 ※歴代2位、平成時代最多[234]
  • 打率.239で打点王:2020年 ※2リーグ制以降最低打率[235]
  • 打率.239で100打点越え:同上 ※史上最低打率[235]
  • 打点数が安打数を上回り打点王:同上 ※史上初[236]
  • 同一シーズンに2球団で本塁打:2021年 ※史上8人目[237]
    • 同一シーズンに2球団で決勝本塁打:2021年 ※史上2人目、日本人史上初[238]
  • プロ初犠打が通算6245打席目 ※張本勲(7669打席目)に次いで史上2番目の多さ、6000打席以上要したのは史上2人目[239]
  • 全球団から本塁打:2022年5月28日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、9回表に望月大希から左越2ラン ※史上42人目、初対戦試合で達成したのは史上4人目、日本人史上初[240]
  • 通算200人から本塁打:2023年7月11日、対広島東洋カープ13回戦(東京ドーム)、床田寛樹から左越えソロ ※史上11人目[241]
  • 3球団で開幕戦本塁打 ※史上2人目[242]
  • 2球団で開幕戦4番本塁打 ※史上8人目
  • オールスターゲーム出場:9回(2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年2018年2023年) ※2022年も選出されたが、新型コロナウイルス感染のため出場辞退[243]

背番号

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登場曲

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代表歴

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関連情報

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TVCM

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著書

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  • 『翔! 頂点目指して』(2012年1月、徳間書店

映画

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脚注

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注釈

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  1. ^ なお、この異名は当初は松坂大輔に使われることが多かった。
  2. ^ 「お前が必要 中田 翔」
  3. ^ この試合では「4番・一塁手」として先発出場したが、7回裏の守備から左翼手として出場。
  4. ^ 新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が当初より3か月遅れてセ・パ交流戦も中止となり、試合数もこれまでの143試合から120試合で行われた。
  5. ^ 本来のトレード期限は7月31日までだが、2021年は東京オリンピック開催に伴うシーズン中断が生じることから、日本野球機構(NPB)と加盟12球団との合意により、同年はトレード期限が8月31日まで延長となっていた[91]
  6. ^ 9月7日以降は坂本勇人の守備負担軽減のため、門脇が遊撃手に回り坂本が三塁手となり、門脇と坂本の守備位置を交換する形となった。
  7. ^ 最終的に、代打としては自己最多となる21試合に出場した[125]
  8. ^ 長期契約の途中でも、契約内容を見直したり、破棄したりすることができる権利[132]
  9. ^ FA権を行使しての移籍では移籍先の球団から前所属の球団へ人的補償や金銭補償が発生するが、契約破棄して自由契約となった状態からの移籍であればそれらが発生しない[125]
  10. ^ 中田翔の場合、右打者であるため、左翼への打球方向が「引っ張り打球」になる。この「引っ張り打球」の割合が40%を上回るシーズンが複数続くと「引っ張り傾向の強い打者(プルヒッター)」とみなされることの目安になる。
  11. ^ カマキリは触れないので他の人に捕まえてもらう。
  12. ^ 2012年当時は55本が最高であり、2013年にウラディミール・バレンティンの60本で記録は塗り替えられた。

出典

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  11. ^ 「闘志 胸に秘め 8新人入団発表会見」『北海道新聞』(縮刷版) 2007年(平成19年)12月11日付朝刊、20面(スポーツ面)。
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関連項目

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外部リンク

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