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| 芸名 = 足立 正生 |
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{{Infobox 人物 |
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| 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> |
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| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> |
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| 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> |
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| 生年 = 1939 |
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|死没地= <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> |
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| 活動内容 = |
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| 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意。 --> |
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|教育= |
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| 所属劇団 = |
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|職業= [[映画監督]]・[[脚本家]]・[[俳優]]・[[テロリスト]]([[連合赤軍]]) |
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| 公式サイト = |
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|活動期間= |
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| 主な作品 = <!-- 主演映画・主演テレビドラマなど。脇役の場合、大ヒットした作品で重要な役割であった、またはその出演功績を認められたもの。例えば、日本アカデミー賞優秀助演男優(女優)賞を受賞したような役の作品を入力 --> |
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| アカデミー賞 = |
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| 英国アカデミー賞 = |
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| ゴールデングローブ賞 = |
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| ゴールデンラズベリー賞 = |
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| ゴヤ賞 = |
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| グラミー賞 = |
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| ローレンス・オリヴィエ賞 = |
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| 全米映画俳優組合賞 = |
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| トニー賞 = |
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| 日本アカデミー賞 = |
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| その他の賞 = |
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|公式サイト= <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> |
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|補足= |
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'''足立 正生'''(あだち まさお、[[1939年]][[5月13日]] - )は、[[日本]]の[[映画監督]]・[[脚本家]]・[[俳優]]。 |
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'''足立 正生'''(あだち まさお、[[1939年]][[5月13日]] - )は、[[日本]]の[[映画監督]]・[[脚本家]]・[[俳優]]、[[テロリスト]]([[日本赤軍]])。 |
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[[福岡県]][[戸畑市]](現・[[北九州市]][[戸畑区]])出身。[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学芸術学部]]映画学科中退。[[若松プロダクション]]出身であり、[[若松孝二]]の盟友とされる<ref>[http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/adatisan.htm イベント報告] シネマスコーレ</ref>。 |
2022年9月9日 (金) 17:46時点における版
{{ActorActress
ふりがな = あだち まさお 足立 正生 | |
---|---|
生誕 |
1939年5月13日(85歳) 日本 福岡県戸畑市 (現・北九州市戸畑区) |
職業 | 映画監督・脚本家・俳優・テロリスト(連合赤軍) |
刑罰 | ルミエ刑務所で禁固3年の実刑 |
足立 正生(あだち まさお、1939年5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優、テロリスト(日本赤軍)。
福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション出身であり、若松孝二の盟友とされる[1]。
経歴
1939年5月13日[2]、福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)に生まれた[3]。戸畑市立高峰中学校(現・北九州市立高生中学校)と福岡県立八幡高等学校を卒業した。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学[4]。新映画研究会を立ち上げた[5]。同時期に、VAN映画科学研究所を設立した[6]。
1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し[7]、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた[8]。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチーらと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。1966年、『堕胎』で商業映画監督デビューを果たした[8][9]。
日本大学中退後には若松孝二が設立した独立プロの若松プロダクションに加わった[8]。1969年、若松プロダクション製作の『女学生ゲリラ』を監督した[10]。また、若松プロダクションではピンク映画の脚本を数多く手がけた[11][注 1]。
1971年のカンヌ国際映画祭からの帰国途中、若松孝二とともにパレスチナへ渡った[13][14]。パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり、ゲリラ隊を題材とする『赤軍 PFLP・世界戦争宣言』を撮影・製作した[8]。
1974年には重信房子が率いる日本赤軍に合流し、国際手配された[8][15]。日本赤軍ではスポークスマンの役割を担っていたという[15]。1997年にはレバノンで逮捕され、ルミエ刑務所で3年間の禁錮刑を受けた[15]。2000年3月に刑期が満了し日本へ強制送還された[16]。2007年、日本赤軍の岡本公三をモデルとする『幽閉者 テロリスト』(田口トモロヲ主演)を監督した[15][17]。
2011年にはフランスのフィリップ・グランドリュー監督が『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう 足立正生』(原題 : 英語: Masao Adachi. Portrait)を製作し、日本では東京都渋谷区のアップリンクで2012年12月に公開された[18]。この作品の公開を記念して、アップリンクでは足立の脚本・監督4作品を上映する「特集 足立正生」が開催された[15]。
2016年には『断食芸人』を監督し、第45回ロッテルダム国際映画祭のディープフォーカス部門に正式出品されたほか、同映画祭で足立の特集上映が行われた[8]。
2011年に設置された日本映画大学では非常勤講師を6年間務めた[19]。
フィルモグラフィー
映画
- 今日もまた過ぎた(1960年) - 監督・脚本・製作
- 椀(1961年) - 監督
- 鎖陰(1963年) - 監督・製作
- 胎児が密猟する時(1966年) - 脚本
- 堕胎(1966年) - 監督
- 避妊革命(1966年) - 監督
- 犯された白衣(1967年) - 脚本
- 銀河系(1967年) - 監督・脚本・製作
- 帰って来たヨッパライ(1968年) - 脚本
- 腹貸し女(1968年) - 脚本
- 性地帯 セックスゾーン (1968年) - 監督
- 毛の生えた拳銃(1968年) - 出演
- 絞死刑(1968年) - 出演
- 新宿泥棒日記(1969年) - 脚本
- ゆけゆけ二度目の処女(1969年) - 脚本
- 性遊戯(1969年) - 監督
- 女学生ゲリラ(1969年) - 監督
- 狂走情死考(1969年) - 脚本・出演
- 略称・連続射殺魔(1969年) - 監督・製作[注 2]
- 新宿マッド(1970年) - 脚本
- 性賊 セックスジャック(1970年) - 脚本
- 叛女・夢幻地獄(1970年) - 監督
- 性輪廻 死にたい女(1971年) - 脚本
- 秘花(1971年) - 脚本
- 性教育書 愛のテクニック(1970年) - 脚本
- 愛の行為 続・愛のテクニック(1971年) - 脚本
- 噴出祈願 十五代の売春婦(1971年) - 監督・脚本
- 赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言(1971年) - 監督・出演
- 天使の恍惚(1972年) - 脚本・出演
- (秘)女子高生 恍惚のアルバイト(1972年) - 脚本
- 高校生無頼控(1972年) - 脚本
- ピンクリボン(2004年) - 出演
- 幽閉者 テロリスト(2007年) - 監督・脚本
- 砂の影(2008年) - 出演
- 革命の子どもたち(2010年) - 出演
- 美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生 (2011年) - 出演
- 断食芸人(2016年) - 監督・脚本・企画・編集
- なりゆきな魂(2016年)- 出演
- 月夜釜合戦(2017年)- 出演
- 月蝕歌劇団「ねじ式・紅い花」(2017年)- ゲスト出演
著書
- 足立正生『映画への戦略』晶文社、1974年
- 足立正生、平沢剛『映画/革命』河出書房新社、2003年 ISBN 978-4309266121)
- 足立正生、山口猛『塀の中の千夜一夜 アラブ獄中記』愛育社、2005年 ISBN 978-4750002323)
脚注
注釈
出典
- ^ イベント報告 シネマスコーレ
- ^ “Masao Adachi”. AlloCiné. 2015年9月19日閲覧。
- ^ “Masao Adachi”. Midnight Eye (2007年8月21日). 2015年9月19日閲覧。
- ^ “【金子遊のドキュメンタリストの眼3】足立正生監督インタビュー”. neoneo (2003年1月6日). 2015年9月19日閲覧。
- ^ “トークセッション「日本映画の未来」”. 日本映画監督協会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ “足立正生 ゴダールを語る (1/3)”. MAGCUL.NET. 2015年9月19日閲覧。
- ^ “足立正生の宇宙”. シネマヴェーラ渋谷. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b c d e f “足立正生と断食芸人”. シネ・ヌーヴォ. 2021年6月20日閲覧。
- ^ “足立正生プロフィール”. 十三月. 2015年9月19日閲覧。
- ^ “足立正生特集開催 若松プロで2本撮りされたピンク映画「女学生ゲリラ」の裏話語る”. 映画.com (2012年12月6日). 2015年9月19日閲覧。
- ^ “仏前衛監督による、映画と革命を生きた足立正生のドキュメンタリー”. 映画.com (2012年11月30日). 2015年9月19日閲覧。
- ^ “映画を学ぶ/映画を教える・前編 座談会”. 日本映画監督協会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ 足立正生さんインタビュー・下 若松監督とパレスチナに行った理由とは 毎日新聞、2019年4月12日
- ^ “『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生』公開記念「特集/足立正生」”. UPLINK. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b c d e “新宿の酒場は日本赤軍よりヒドい!? 若松孝二監督の盟友・足立正生が振り返る60年代”. Cinema Today (2012年12月6日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ “審査員 足立正生”. 山形国際ドキュメンタリー映画祭. 2015年9月19日閲覧。
- ^ “『幽閉者(テロリスト)』初日舞台あいさつ”. fjmovie.com (2007年2月3日). 2015年9月19日閲覧。
- ^ 仏前衛監督による、映画と革命を生きた足立正生のドキュメンタリー 映画.com、2012年11月30日
- ^ “革命家”足立正生が語る若松孝二と共闘した時代「若者が感じる閉塞感は今も変わらない」(後編) 日刊サイゾー、2018年10月17日
外部リンク
- 足立正生 - allcinema
- 足立正生 - KINENOTE
- 足立正生 - 日本映画データベース
- Masao Adachi - IMDb