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2022年5月28日 (土) 13:13時点における版
神聖ローマ皇帝一覧(しんせいローマこうていいちらん)では、中世から近代にヨーロッパに存在した神聖ローマ帝国の統治者を、時代順に列挙している。
ローマ皇帝
- 在位年: 帝国の統治者としての在位年。高等学校の教科書や、コンパクトな人名事典などで、皇帝の在位年として掲載しているものである。
- 名前: 後ろに家門名が付記されている場合もある。
- 王位: ドイツ王に即位した年。在位中に後継者を王に選出・即位させることもあり、その場合は形式的には王が併存することになる。
- 帝位: 神聖ローマ皇帝として戴冠した年。オットー1世は、在位中に後継者のオットー2世に戴冠をさせて「共同皇帝」としたので在位期間が重複する。
皇帝は常に王を兼ねているため、同名の何番目かについては帝位と王位で一致しない場合がある。どちらで数えるかは慣習による
・コンラート、ハインリヒ、ルドルフ:ドイツ王(ローマ王, 東フランク王)として数える。例えばカノッサの屈辱で有名なハインリヒ4世は皇帝としては3人目のハインリヒである。
・ロタール3世:イタリア王として数える。ロタール1世の間にはロターリオ2世(イタリア王)が挟まる。皇帝として2世と呼ぶこともある。
・ルートヴィヒ4世:皇帝として数える。すなわちルートヴィヒ1世敬虔王(帝)、ロドヴィコ2世イタリア王、ルイ3世プロヴァンス王に続く4人目である。
・フリードリヒ3世:皇帝として数える。つまり同族ハブスブルク家の対立ローマ王フリードリヒ美王を数えない
ローマ帝国期
カロリング朝
肖像画 | 名前 | 生涯 | 戴冠日 | 退位ないし死去 | 先代との関係 | 貨幣 |
---|---|---|---|---|---|---|
カール1世 (大帝) |
742年4月2日 - 814年1月28日 |
800年12月25日 | 814年1月28日 | 初代フランク・ローマ皇帝 | ||
ルートヴィヒ1世 (敬虔王) |
778年 - 840年6月20日 |
816年10月5日 | 840年6月20日 | カール1世の息子 | ||
ロタール1世 | 795年 - 855年9月29日 |
823年4月5日 | 855年9月29日 | ルートヴィヒ1世の長男 | ||
ルートヴィヒ2世 | 825年 - 875年8月12日 |
1次 850年の復活祭 2次 872年5月18日 |
875年8月12日 | ロータル1世の息子 | ||
カール2世 (禿頭王) |
823年6月13日 - 877年10月6日 |
875年12月29日 | 877年10月6日 | ルートヴィヒ1世の四男 | ||
カール3世 (肥満王) |
839年6月13日 - 888年1月13日 |
881年2月12日 | 888年1月13日 | ルートヴィヒ1世の孫 |
グイード朝
肖像画 | 名前 | 生没年 | 戴冠日 | 退位ないし死去 | 先代との関係 | 貨幣 |
---|---|---|---|---|---|---|
グイド | 855年 - 894年12月12日 |
891年5月 | 894年12月12日 | ロータル1世の曾孫 | ||
ランベルトゥス | 880年 - 898年10月15日 |
892年4月30日 | 898年10月15日 | グイドの息子 | - |
カロリング朝
肖像画 | 名前 | 生没年 | 戴冠日 | 退位ないし死去 | 先代との関係 | 貨幣 |
---|---|---|---|---|---|---|
アルヌルフ | 850年 - 899年12月8日 |
896年2月22日 | 899年12月8日 | カール2世の甥 かつ ルートヴィヒ1世の曾孫 |
- |
ボゾ朝
肖像画 | 名前 | 生没年 | 戴冠日 | 退位ないし死去 | 先代との関係 | 貨幣 |
---|---|---|---|---|---|---|
ルートヴィヒ3世 (盲目王) |
880年 - 928年6月28日 |
901年2月22日 | 905年7月21日 | ルートヴィヒ2世の孫 | - |
ウンロシング朝
肖像画 | 名前 | 生没年 | 戴冠日 | 退位ないし死去 | 先代との関係 | 貨幣 |
---|---|---|---|---|---|---|
ベレンガーリオ1世 | 845年 - 924年4月7日 |
915年12月 | 924年4月7日 | ルートヴィヒ1世の曾孫 | - |
オットー朝(ザクセン朝/リウドルフィング朝)
オットー朝は皇帝としてはオットー1世を始まりとする。東フランク王としてはオットー1世の父であるザクセン公ハインリヒ1世が宿敵のコンラート1世王の指名と諸侯の選出で即位して開いた王朝。以後のハインリヒ、コンラートの名を持つ皇帝は彼らを1世として数えられる。ザクセン公出身の王朝としてザクセン朝、ザクセン公としての開祖リウドルフにちなんでリウドルフィング朝ともいう。
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
オットー1世 | 936年 - 973年 (912年 - 973年) |
936年 | 962年 | ハインリヒ1世の子 | ||
オットー2世 | 973年 - 983年 (955年 - 983年) |
961年 | 967年 | オットー1世の子 | - | |
オットー3世 | 983年 - 1002年 (980年 - 1002年) |
983年 | 996年 |
オットー2世の子 |
||
ハインリヒ2世 | 1002年 - 1024年 (973年/978年 - 1024年) |
1002年 | 1014年 | オット-3世の又従兄弟、ハインリヒ1世の曾孫 | - |
ザーリアー朝
ザーリアー朝(ザリエル朝)は、フランケンのザーリアー家出身のコンラートが、ザクセン朝の断絶後に国王に選出されたことにより開いた王朝。前述のコンラディン朝と同様にフランケン朝とも呼ばれる。
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
コンラート2世 | 1024年 - 1039年 (990年頃 - 1039年) |
1024年 | 1027年 | コンラート1世の女系来孫。 |
||
ハインリヒ3世 | 1039年 - 1056年 (1017年 - 1056年) |
1028年 | 1046年 | コンラート2世の長子 | ||
ハインリヒ4世 | 1056年 - 1106年 (1050年 - 1106年) |
1053年 | 1084年 | ハインリヒ3世の長子 母のアグネスが摂政(1056年 - 1068年) |
||
ハインリヒ5世 | 1106年 - 1125年 (1086年 - 1125年) |
1098年 | 1111年 | ハインリヒ4世の末子 |
ザクセン朝(ズップリンブルク朝)
このザクセン朝は、オットー朝とは無関係で、国王に選出されたロタール・フォン・ズップリンブルクがザクセン大公であったことに由来する。彼の家名は記録上、ズップリンブルク家、ズップリンゲンブルク家、ズップリンゲン家の3種がある。
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
ロタール3世 | 1125年 - 1137年 (1075年 - 1137年) |
1125年 | 1133年 | ロタール2世と呼ばれることもある。 対立王:コンラート3世(王位:1127年 - 1135年) |
ホーエンシュタウフェン朝
ホーエンシュタウフェン朝(シュタウフェン朝)は、シュヴァーベン大公を世襲してきたシュタウフェン家の王朝である。
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
コンラート3世 | 1138年 - 1152年 (1093年 - 1152年) |
1138年 | - | |||
フリードリヒ1世 (バルバロッサ) |
1152年 - 1190年 (1122年 - 1190年) |
1152年 | 1155年 | コンラート3世の弟の子。 | ||
ハインリヒ6世 | 1190年 - 1197年 (1165年 - 1197年) |
1169年 | 1191年 | フリードリヒ1世の子 |
ヴェルフェン朝
ヴェルフェン朝は、シュタウフェン家と対抗したヴェルフ家の王朝である。
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
オットー4世 | 1198年 - 1215年 (1175年/1176年 - 1218年) |
1198年 | 1209年 | ロタール3世の曾孫 フィリップの女婿 |
ホーエンシュタウフェン朝
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
フリードリヒ2世 | 1196年 - 1198年 1215年 - 1250年 (1194年 - 1250年) |
1196年 1215年(復位) |
1220年 | ハインリヒ6世の子 | ||
コンラート4世 | 1250年 - 1254年 (1228年 - 1254年) |
1237年 | - | フリードリヒ2世の子 |
大空位時代
大空位時代(1254年 - 1273年)は、その名とは違い空位ではなかった。
肖像画 | 名前 (家門) |
在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 紋章 |
---|---|---|---|---|---|---|
ヴィルヘルム (ホラント家) |
1234年 - 1256年 (1227年/1228年 - 1256年) |
1247年/1248年 | - | |||
リヒャルト (コーンヴァリス(プランターゲネット)家) |
1257年 - 1272年 (1209年 - 1272年) |
1257年 | - | イングランド王ジョン(欠地王)の子 コーンウォール伯 |
||
アルフォンス (ブルグント(イフレーア)家) |
1257年 - 1275年 (1221年 - 1284年) |
1257年 | - | カスティーリャ王 | - |
跳躍選挙
この時期は国王選挙の度に異なる家門の国王が選出されていた。
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 印章 |
---|---|---|---|---|---|---|
ルドルフ1世 (ハプスブルク家) |
1273年 - 1291年 (1218年 - 1291年) |
1273年 | ハプスブルク伯 | |||
アドルフ (ナッサウ家) |
1292年 - 1298年 (1250年頃 - 1298年) |
1292年 | - | |||
アルブレヒト1世 (ハプスブルク家) |
1298年 - 1308年 (1255年頃 - 1308年) |
1298年 | ルドルフ1世の子 | - | ||
ハインリヒ7世 (ルクセンブルク家) |
1308年 - 1313年 (1275年頃 - 1313年) |
1308年 | 1312年 | 枢機卿による戴冠 | ||
ルートヴィヒ4世 (ヴィッテルスバッハ家) |
1314年 - 1347年 (1282年 - 1347年) |
1314年 | 1328年 | |||
カール4世 (ルクセンブルク家) |
1346年 - 1378年 (1316年 - 1378年) |
1346年 | 1355年 | ハインリヒ7世の孫 | ||
ヴェンツェル (ルクセンブルク家) |
1376年 - 1400年廃位 (1361年 - 1419年) |
1376年 | カール4世の子 | - | ||
ループレヒト (ヴィッテルスバッハ家) |
1400年 - 1410年 (1352年 - 1410年) |
1400年 | - | |||
ジギスムント (ルクセンブルク家) |
1410年 - 1437年 (1368年 - 1437年) |
1410年 | 1433年 | カール4世の子 |
ハプスブルク朝
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 紋章 |
---|---|---|---|---|---|---|
アルブレヒト2世 | 1438年 - 1439年 (1397年 - 1439年) |
1438年 | ||||
フリードリヒ3世 | 1440年 - 1493年 (1415年 - 1493年) |
1440年 | 1452年 | ローマで戴冠した最後の皇帝 | ||
マクシミリアン1世 | 1493年 - 1519年 (1459年 - 1519年) |
1486年 | 1508年 | フリードリヒ3世の子 ローマへ行かずに皇帝になった最初の例 |
||
カール5世 | 1519年 - 1556年退位 (1500年 - 1558年) |
1519年 | 1530年 | マクシミリアン1世の孫 教皇による戴冠を受けた最後の皇帝 |
||
フェルディナント1世 | 1556年 - 1564年 (1503年 - 1564年) |
1531年 | 1558年 | マクシミリアン1世の孫 | ||
マクシミリアン2世 | 1564年 - 1576年 (1527年 - 1576年) |
1562年 | 1564年 | フェルディナント1世の子 | ||
ルドルフ2世 | 1576年 - 1612年 (1552年 - 1612年) |
1575年 | 1576年 | マクシミリアン2世の子 | ||
マティアス | 1612年 - 1619年 (1557年 - 1619年) |
1612年 | 1612年 | マクシミリアン2世の子 | ||
フェルディナント2世 | 1619年 - 1637年 (1578年 - 1637年) |
1619年 | 1619年 | フェルディナント1世の孫 | ||
フェルディナント3世 | 1637年 - 1657年 (1608年 - 1657年) |
1636年 | 1637年 | フェルディナント2世の子 | ||
レオポルト1世 | 1658年 - 1705年 (1640年 - 1705年) |
1640年 | 1658年 | フェルディナント3世の子 | ||
ヨーゼフ1世 | 1705年 - 1711年 (1678年 - 1711年) |
1690年 | 1705年 | レオポルト1世の子 | ||
カール6世 | 1711年 - 1740年 (1685年 - 1740年) |
1685年 | 1711年 | レオポルト1世の子 |
ヴィッテルスバッハ朝(バイエルン朝)
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 紋章 |
---|---|---|---|---|---|---|
カール7世 | 1742年 - 1745年 (1697年 - 1745年) |
1742年 | 1742年 | フェルディナント2世の玄孫 ヨーゼフ1世の女婿 |
ハプスブルク=ロートリンゲン朝
肖像画 | 名前 | 在位 (生没年) |
国王選出 | 皇帝戴冠 | 備考 | 紋章 |
---|---|---|---|---|---|---|
フランツ1世 | 1745年 - 1765年 (1708年 - 1765年) |
1745年 | 1745年 | フェルディナント3世の曾孫 カール6世の女婿 |
||
ヨーゼフ2世 | 1765年 - 1790年 (1741年 - 1790年) |
1765年 | 1765年 | フランツ1世の子 | ||
レオポルト2世 | 1790年 - 1792年 (1747年 - 1792年) |
1790年 | 1790年 | フランツ1世の子 | ||
フランツ2世 | 1792年 - 1806年退位 (1768年 - 1835年) |
1792年 | 1792年 | レオポルト2世の子 オーストリア皇帝フランツ1世(在位:1804年 - 1835年) |
戴冠した皇帝
以下は、戴冠をした「皇帝」の一覧である。ただし、マクシミリアン1世以降、ローマ教皇による戴冠を行わないまま、「皇帝」の称号(正確には"Erwählter Römischer Kaiser"「選ばれしローマ皇帝」)を使用するようになった。この場合は、下記の一覧で"ERK"と付記した。
皇帝 | 在位 | 戴冠式 | 司祭者 | 場所 |
---|---|---|---|---|
オットー3世 | 996年 - 1002年 | 996年5月21日 | グレゴリウス5世 | |
ハインリヒ2世 | 1014年 - 1024年 | 1014年2月14日 | ベネディクトゥス8世 | |
コンラート2世 | 1027年 - 1039年 | 1027年3月26日 | ヨハネス19世 | |
ハインリヒ3世 | 1046年 - 1056年 | 1046年12月25日 | クレメンス2世 | |
ハインリヒ4世 | 1084年 - 1105年 | 1084年3月31日 | クレメンス3世 (対立教皇) | |
ハインリヒ5世 | 1111年 - 1125年 | 1111年4月13日 | パスカリス2世 | |
1117年3月23日 | グレゴリウス8世 (対立教皇) | |||
ロタール3世 | 1133年 - 1137年 | 1133年6月4日 | インノケンティウス2世 | サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 |
フリードリヒ1世 | 1155年 - 1190年 | 1155年6月18日 | ハドリアヌス4世 | |
ハインリヒ6世 | 1191年 - 1197年 | 1191年4月14日 | ケレスティヌス3世 | |
オットー4世 | 1209年 - 1215年 | 1209年10月4日 | インノケンティウス3世 | |
フリードリヒ2世 | 1220年 - 1250年 | 1220年11月22日 | ホノリウス3世 | |
ハインリヒ7世 | 1312年 - 1313年 | 1312年6月29日 | 枢機卿 | |
ルートヴィヒ4世 | 1328年 - 1347年 | 1328年1月17日 | シアッラ・コロンナ (en) | |
カール4世 | 1355年 - 1378年 | 1355年4月5日 | 枢機卿 | |
ジギスムント | 1433年 - 1437年 | 1433年5月31日 | エウゲニウス4世 | |
フリードリヒ3世 | 1452年 - 1493年 | 1452年3月19日 | ニコラウス5世 | |
マクシミリアン1世 | 1508年 - 1519年 | ERK | ||
カール5世 | 1519年 - 1556年 | ERK | ||
1530年2月 | クレメンス7世 | ボローニャ | ||
フェルディナント1世 | 1556年 - 1564年 | ERK | ||
マクシミリアン2世 | 1564年 - 1576年 | ERK | ||
ルドルフ2世 | 1576年 - 1612年 | ERK | ||
マティアス | 1612年 - 1619年 | ERK | ||
フェルディナント2世 | 1619年 - 1637年 | ERK | ||
フェルディナント3世 | 1637年 - 1657年 | ERK | ||
レオポルト1世 | 1658年 - 1705年 | ERK | ||
ヨーゼフ1世 | 1705年 - 1711年 | ERK | ||
カール6世 | 1711年 - 1740年 | ERK | ||
カール7世 | 1742年 - 1745年 | ERK | ||
フランツ1世 | 1745年 - 1765年 | ERK | ||
ヨーゼフ2世 | 1765年 - 1790年 | ERK | ||
レオポルト2世 | 1790年 - 1792年 | ERK | ||
フランツ2世 | 1792年 - 1806年 | ERK |
参考文献
- ハンス・K・シュルツェ著、五十嵐修ほか訳『西欧中世史事典II―皇帝と帝国―』(ミネルヴァ書房、2005年、ISBN 978-4-623-03930-2)
- 菊池良生著『神聖ローマ帝国』(講談社、2003年、ISBN 978-4-06-149673-6)
- 木村靖二編『ドイツ史』(山川出版社、2001年、ISBN 978-4-634-41430-3) - 特に巻末の一覧