コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「神聖ローマ皇帝一覧」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
654行目: 654行目:
|-
|-
|[[File:Ludwig Streitenfeld 001.jpg|100px|center]]
|[[File:Ludwig Streitenfeld 001.jpg|100px|center]]
|[[フランツ2世]]
|[[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ2世]]
| align="center"|1792年 - 1806年退位<br>(1768年 - 1835年)
| align="center"|1792年 - 1806年退位<br>(1768年 - 1835年)
| align="center"|1792年
| align="center"|1792年
866行目: 866行目:
|
|
|-
|-
| [[フランツ2世]]
| [[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ2世]]
|1792年 - 1806年
|1792年 - 1806年
|
|

2022年5月28日 (土) 13:13時点における版

神聖ローマ皇帝一覧(しんせいローマこうていいちらん)では、中世から近代にヨーロッパに存在した神聖ローマ帝国の統治者を、時代順に列挙している。

カールの戴冠式(800年)

ローマ皇帝

  1. 在位年: 帝国の統治者としての在位年。高等学校の教科書や、コンパクトな人名事典などで、皇帝の在位年として掲載しているものである。
  2. 名前: 後ろに家門名が付記されている場合もある。
  3. 王位: ドイツ王に即位した年。在位中に後継者を王に選出・即位させることもあり、その場合は形式的には王が併存することになる。
  4. 帝位: 神聖ローマ皇帝として戴冠した年。オットー1世は、在位中に後継者のオットー2世に戴冠をさせて「共同皇帝」としたので在位期間が重複する。

皇帝は常に王を兼ねているため、同名の何番目かについては帝位と王位で一致しない場合がある。どちらで数えるかは慣習による

・コンラート、ハインリヒ、ルドルフ:ドイツ王(ローマ王, 東フランク王)として数える。例えばカノッサの屈辱で有名なハインリヒ4世は皇帝としては3人目のハインリヒである。
ロタール3世:イタリア王として数える。ロタール1世の間にはロターリオ2世(イタリア王)が挟まる。皇帝として2世と呼ぶこともある。
ルートヴィヒ4世:皇帝として数える。すなわちルートヴィヒ1世敬虔王(帝)ロドヴィコ2世イタリア王ルイ3世プロヴァンス王に続く4人目である。
フリードリヒ3世:皇帝として数える。つまり同族ハブスブルク家の対立ローマ王フリードリヒ美王を数えない

ローマ帝国期

カロリング朝

肖像画 名前 生涯 戴冠日 退位ないし死去 先代との関係 貨幣
カール1世
(大帝)
742年4月2日
-
814年1月28日
800年12月25日 814年1月28日 初代フランク・ローマ皇帝
ルートヴィヒ1世
(敬虔王)
778年
-
840年6月20日
816年10月5日 840年6月20日 カール1世の息子
ロタール1世 795年
-
855年9月29日
823年4月5日 855年9月29日 ルートヴィヒ1世の長男
ルートヴィヒ2世 825年
-
875年8月12日
1次 850年の復活祭
2次 872年5月18日
875年8月12日 ロータル1世の息子
カール2世
(禿頭王)
823年6月13日
-
877年10月6日
875年12月29日 877年10月6日 ルートヴィヒ1世の四男
カール3世
(肥満王)
839年6月13日
-
888年1月13日
881年2月12日 888年1月13日 ルートヴィヒ1世の孫

グイード朝

肖像画 名前 生没年 戴冠日 退位ないし死去 先代との関係 貨幣
グイド 855年
-
894年12月12日
891年5月 894年12月12日 ロータル1世の曾孫
ランベルトゥス 880年
-
898年10月15日
892年4月30日 898年10月15日 グイドの息子 -

カロリング朝

肖像画 名前 生没年 戴冠日 退位ないし死去 先代との関係 貨幣
アルヌルフ 850年
-
899年12月8日
896年2月22日 899年12月8日 カール2世の甥
かつ
ルートヴィヒ1世の曾孫
-

ボゾ朝

肖像画 名前 生没年 戴冠日 退位ないし死去 先代との関係 貨幣
ルートヴィヒ3世
(盲目王)
880年
-
928年6月28日
901年2月22日 905年7月21日 ルートヴィヒ2世の孫 -

ウンロシング朝

肖像画 名前 生没年 戴冠日 退位ないし死去 先代との関係 貨幣
ベレンガーリオ1世 845年
-
924年4月7日
915年12月 924年4月7日 ルートヴィヒ1世の曾孫 -

オットー朝(ザクセン朝/リウドルフィング朝)

オットー朝は皇帝としてはオットー1世を始まりとする。東フランク王としてはオットー1世の父であるザクセン公ハインリヒ1世が宿敵のコンラート1世王の指名と諸侯の選出で即位して開いた王朝。以後のハインリヒ、コンラートの名を持つ皇帝は彼らを1世として数えられる。ザクセン公出身の王朝としてザクセン朝、ザクセン公としての開祖リウドルフにちなんでリウドルフィング朝ともいう。

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
オットー1世 936年 - 973年
(912年 - 973年)
936年 962年 ハインリヒ1世の子
オットー2世 973年 - 983年
(955年 - 983年)
961年 967年 オットー1世の子 -
オットー3世 983年 - 1002年
(980年 - 1002年)
983年 996年

オットー2世の子

ハインリヒ2世 1002年 - 1024年
(973年/978年 - 1024年)
1002年 1014年 オット-3世の又従兄弟、ハインリヒ1世の曾孫 -

ザーリアー朝

ザーリアー朝(ザリエル朝)は、フランケンのザーリアー家出身のコンラートが、ザクセン朝の断絶後に国王に選出されたことにより開いた王朝。前述のコンラディン朝と同様にフランケン朝とも呼ばれる。

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
コンラート2世 1024年 - 1039年
(990年頃 - 1039年)
1024年 1027年 コンラート1世の女系来孫。
ハインリヒ3世 1039年 - 1056年
(1017年 - 1056年)
1028年 1046年 コンラート2世の長子
ハインリヒ4世 1056年 - 1106年
(1050年 - 1106年)
1053年 1084年 ハインリヒ3世の長子
母のアグネスが摂政(1056年 - 1068年)
 
ハインリヒ5世 1106年 - 1125年
(1086年 - 1125年)
1098年 1111年 ハインリヒ4世の末子

ザクセン朝(ズップリンブルク朝)

このザクセン朝は、オットー朝とは無関係で、国王に選出されたロタール・フォン・ズップリンブルクがザクセン大公であったことに由来する。彼の家名は記録上、ズップリンブルク家、ズップリンゲンブルク家、ズップリンゲン家の3種がある。

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
ロタール3世 1125年 - 1137年
(1075年 - 1137年)
1125年 1133年 ロタール2世と呼ばれることもある。
対立王:コンラート3世(王位:1127年 - 1135年)

ホーエンシュタウフェン朝

ホーエンシュタウフェン朝(シュタウフェン朝)は、シュヴァーベン大公を世襲してきたシュタウフェン家の王朝である。

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
コンラート3世 1138年 - 1152年
(1093年 - 1152年)
1138年 -
フリードリヒ1世
(バルバロッサ)
1152年 - 1190年
(1122年 - 1190年)
1152年 1155年 コンラート3世の弟の子。
ハインリヒ6世 1190年 - 1197年
(1165年 - 1197年)
1169年 1191年 フリードリヒ1世の子

ヴェルフェン朝

ヴェルフェン朝は、シュタウフェン家と対抗したヴェルフ家の王朝である。

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
オットー4世 1198年 - 1215年
(1175年/1176年 - 1218年)
1198年 1209年 ロタール3世の曾孫
フィリップの女婿

ホーエンシュタウフェン朝

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
フリードリヒ2世 1196年 - 1198年
1215年 - 1250年
(1194年 - 1250年)
1196年
1215年(復位)
1220年 ハインリヒ6世の子
コンラート4世 1250年 - 1254年
(1228年 - 1254年)
1237年 - フリードリヒ2世の子

大空位時代

大空位時代(1254年 - 1273年)は、その名とは違い空位ではなかった。

肖像画 名前
(家門)
在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 紋章
ヴィルヘルム
ホラント家
1234年 - 1256年
(1227年/1228年 - 1256年)
1247年/1248年 -
リヒャルト
コーンヴァリス(プランターゲネット)家
1257年 - 1272年
(1209年 - 1272年)
1257年 - イングランドジョン(欠地王)の子
コーンウォール伯
アルフォンス
ブルグント(イフレーア)家
1257年 - 1275年
(1221年 - 1284年)
1257年 - カスティーリャ -

跳躍選挙

この時期は国王選挙の度に異なる家門の国王が選出されていた。

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 印章
ルドルフ1世
ハプスブルク家
1273年 - 1291年
(1218年 - 1291年)
1273年 ハプスブルク伯
アドルフ
ナッサウ家
1292年 - 1298年
(1250年頃 - 1298年)
1292年 -
アルブレヒト1世
(ハプスブルク家)
1298年 - 1308年
(1255年頃 - 1308年)
1298年 ルドルフ1世の子 -
ハインリヒ7世
ルクセンブルク家
1308年 - 1313年
(1275年頃 - 1313年)
1308年 1312年 枢機卿による戴冠
ルートヴィヒ4世
ヴィッテルスバッハ家
1314年 - 1347年
(1282年 - 1347年)
1314年 1328年
カール4世
(ルクセンブルク家)
1346年 - 1378年
(1316年 - 1378年)
1346年 1355年 ハインリヒ7世の孫
ヴェンツェル
(ルクセンブルク家)
1376年 - 1400年廃位
(1361年 - 1419年)
1376年 カール4世の子 -
ループレヒト
(ヴィッテルスバッハ家)
1400年 - 1410年
(1352年 - 1410年)
1400年 -
ジギスムント
(ルクセンブルク家)
1410年 - 1437年
(1368年 - 1437年)
1410年 1433年 カール4世の子

ハプスブルク朝

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 紋章
アルブレヒト2世 1438年 - 1439年
(1397年 - 1439年)
1438年
フリードリヒ3世 1440年 - 1493年
(1415年 - 1493年)
1440年 1452年 ローマで戴冠した最後の皇帝
マクシミリアン1世 1493年 - 1519年
(1459年 - 1519年)
1486年 1508年 フリードリヒ3世の子
ローマへ行かずに皇帝になった最初の例
カール5世 1519年 - 1556年退位
(1500年 - 1558年)
1519年 1530年 マクシミリアン1世の孫
教皇による戴冠を受けた最後の皇帝
フェルディナント1世 1556年 - 1564年
(1503年 - 1564年)
1531年 1558年 マクシミリアン1世の孫
マクシミリアン2世 1564年 - 1576年
(1527年 - 1576年)
1562年 1564年 フェルディナント1世の子
ルドルフ2世 1576年 - 1612年
(1552年 - 1612年)
1575年 1576年 マクシミリアン2世の子
マティアス 1612年 - 1619年
(1557年 - 1619年)
1612年 1612年 マクシミリアン2世の子
フェルディナント2世 1619年 - 1637年
(1578年 - 1637年)
1619年 1619年 フェルディナント1世の孫
フェルディナント3世 1637年 - 1657年
(1608年 - 1657年)
1636年 1637年 フェルディナント2世の子
レオポルト1世 1658年 - 1705年
(1640年 - 1705年)
1640年 1658年 フェルディナント3世の子
ヨーゼフ1世 1705年 - 1711年
(1678年 - 1711年)
1690年 1705年 レオポルト1世の子
カール6世 1711年 - 1740年
(1685年 - 1740年)
1685年 1711年 レオポルト1世の子

ヴィッテルスバッハ朝(バイエルン朝)

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 紋章
カール7世 1742年 - 1745年
(1697年 - 1745年)
1742年 1742年 フェルディナント2世の玄孫
ヨーゼフ1世の女婿

ハプスブルク=ロートリンゲン朝

肖像画 名前 在位
(生没年)
国王選出 皇帝戴冠 備考 紋章
フランツ1世 1745年 - 1765年
(1708年 - 1765年)
1745年 1745年 フェルディナント3世の曾孫
カール6世の女婿
ヨーゼフ2世 1765年 - 1790年
(1741年 - 1790年)
1765年 1765年 フランツ1世の子
レオポルト2世 1790年 - 1792年
(1747年 - 1792年)
1790年 1790年 フランツ1世の子
フランツ2世 1792年 - 1806年退位
(1768年 - 1835年)
1792年 1792年 レオポルト2世の子
オーストリア皇帝フランツ1世(在位:1804年 - 1835年)

戴冠した皇帝

以下は、戴冠をした「皇帝」の一覧である。ただし、マクシミリアン1世以降、ローマ教皇による戴冠を行わないまま、「皇帝」の称号(正確には"Erwählter Römischer Kaiser"「選ばれしローマ皇帝」)を使用するようになった。この場合は、下記の一覧で"ERK"と付記した。

皇帝 在位 戴冠式 司祭者 場所
オットー3世 996年 - 1002年 996年5月21日 グレゴリウス5世
ハインリヒ2世 1014年 - 1024年 1014年2月14日 ベネディクトゥス8世
コンラート2世 1027年 - 1039年 1027年3月26日 ヨハネス19世
ハインリヒ3世 1046年 - 1056年 1046年12月25日 クレメンス2世
ハインリヒ4世 1084年 - 1105年 1084年3月31日 クレメンス3世 (対立教皇)
ハインリヒ5世 1111年 - 1125年 1111年4月13日 パスカリス2世
1117年3月23日 グレゴリウス8世 (対立教皇)
ロタール3世 1133年 - 1137年 1133年6月4日 インノケンティウス2世 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
フリードリヒ1世 1155年 - 1190年 1155年6月18日 ハドリアヌス4世
ハインリヒ6世 1191年 - 1197年 1191年4月14日 ケレスティヌス3世
オットー4世 1209年 - 1215年 1209年10月4日 インノケンティウス3世
フリードリヒ2世 1220年 - 1250年 1220年11月22日 ホノリウス3世
ハインリヒ7世 1312年 - 1313年 1312年6月29日 枢機卿
ルートヴィヒ4世 1328年 - 1347年 1328年1月17日 シアッラ・コロンナ (en
カール4世 1355年 - 1378年 1355年4月5日 枢機卿
ジギスムント 1433年 - 1437年 1433年5月31日 エウゲニウス4世
フリードリヒ3世 1452年 - 1493年 1452年3月19日 ニコラウス5世
マクシミリアン1世 1508年 - 1519年 ERK
カール5世 1519年 - 1556年 ERK
1530年2月 クレメンス7世 ボローニャ
フェルディナント1世 1556年 - 1564年 ERK
マクシミリアン2世 1564年 - 1576年 ERK
ルドルフ2世 1576年 - 1612年 ERK
マティアス 1612年 - 1619年 ERK
フェルディナント2世 1619年 - 1637年 ERK
フェルディナント3世 1637年 - 1657年 ERK
レオポルト1世 1658年 - 1705年 ERK
ヨーゼフ1世 1705年 - 1711年 ERK
カール6世 1711年 - 1740年 ERK
カール7世 1742年 - 1745年 ERK
フランツ1世 1745年 - 1765年 ERK
ヨーゼフ2世 1765年 - 1790年 ERK
レオポルト2世 1790年 - 1792年 ERK
フランツ2世 1792年 - 1806年 ERK

参考文献

  • ハンス・K・シュルツェ著、五十嵐修ほか訳『西欧中世史事典II―皇帝と帝国―』(ミネルヴァ書房、2005年、ISBN 978-4-623-03930-2
  • 菊池良生著『神聖ローマ帝国』(講談社、2003年、ISBN 978-4-06-149673-6
  • 木村靖二編『ドイツ史』(山川出版社、2001年、ISBN 978-4-634-41430-3) - 特に巻末の一覧

関連項目