「ギターは泣いている」の版間の差分
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* 1975年4月21日 - 5月7日 |
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「'''ギターは泣いている'''」({{Lang|en|''This Guitar (Can't Keep From Crying)''}})は、[[ジョージ・ハリスン]]の楽曲である。1975年2月に発売されたスタジオ・アルバム『[[ジョージ・ハリスン帝国]]』に収録された後、同作からの第2弾シングルとして[[リカット]]された。 |
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「'''ギターは泣いている'''」(''{{lang|en|This Guitar (Can't Keep From Crying)}}'')は、[[ジョージ・ハリスン]]の楽曲である。1975年2月に発売されたスタジオ・アルバム『[[ジョージ・ハリスン帝国]]』に収録された。ハリスンは、1974年に[[ラヴィ・シャンカル]]とともに行なった北米ツアー中およびツアー後に、批評家からの批判を受けて、[[ビートルズ]]時代に書いた「[[ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス]]」の続編として本作を制作。1975年12月にシングル・カットされたが、イギリスやアメリカのシングルチャートに入ることはなかった。なお、本作は[[アップル・レコード]]から発売された最後のハリスンのシングルとなっている。 |
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「ギターは泣いている」のレコーディングは、1975年4月から5月にかけてロサンゼルスにある{{仮リンク|ジム・ヘンソン・カンパニー・ロット|label=A&Mスタジオ|en|Jim Henson Company Lot}}で行なわれ、完成した本作にはハリスンと[[ジェシ・エド・デイヴィス]]によるギターソロが含まれている。1992年にハリスンは、[[デイヴ・スチュワート (ギタリスト)|デイヴ・スチュワート]]とともに再録音しており、2014年に発売されたボックス・セット『{{仮リンク|ジョージ・ハリスン:アップル・イヤーズ1968〜75|en|The Apple Years 1968–75}}』内の『ジョージ・ハリスン帝国』のリマスター盤に追加収録された。 |
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==概要== |
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曲名は、ハリスンが1968年に作曲した「[[ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス]]」をもじったもの<ref>{{AllMusic |first=Lindsay |last=Planer |title=This Guitar (Can't Keep From Crying) - George Harrison {{!}} Song Info |class=song |id=this-guitar-cant-keep-from-crying-mt0012452161 |accessdate=2022-02-01 }}</ref>。アメリカでは1975年12月、イギリスでは1976年2月、シングル・リリースされたが、チャート入りは果たせなかった。B面に収録された「マヤ・ラヴ」は、前作の『[[ダーク・ホース (ジョージ・ハリスンのアルバム)|ダーク・ホース]]』に収録されていた曲である。 |
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== 背景・インスピレーション == |
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==収録曲== |
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ジョージ・ハリスンは、1974年11月2日から12月20日にかけて[[ラヴィ・シャンカル]]とともに北米ツアーを敢行{{sfn|Madinger|Easter|2000|pp=445-446}}。このツアーは、観客に1970年代半ばの典型的なロックのコンサートとは「異なる体験」をしてもらうことを目的としていた{{sfn|Clayson|2003|p=339}}。北米ツアーでの演奏は、西洋の[[ロック (音楽)|ロック]]、[[ファンク]]、[[ジャズ]]と[[インドの伝統音楽]]が融合されており{{sfn|Leng|2006|pp=170, 174}}、これについて伝記作家のロバート・ロドリゲスは「いつか[[ワールドミュージック]]と呼ばれるだろう」と述べている{{sfn|Rodriguez|2010|p=60}}。しかし、ツアーはハリスンの喉の不調やステージ上での態度などの要因{{sfn|Woffinden|1981|pp=83-84}}{{sfn|Schaffner|2010|pp=177-178}}から、一部の批評から痛烈に批判された{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|p=44}}{{sfn|Rodriguez|2010|p=199}}。 |
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*ギターは泣いている - ''This Guitar (Can't Keep From Crying)'' |
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*[[マヤ・ラヴ]] - ''Maya Love'' |
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{{quote box|quote=とてもよかった…みんなとても楽しんでいるようだった。観客はステージ(上のハリスン)を見てわくわくしていて、これほどまでに熱狂的な反応はこれまでに見たことがなかった{{sfn|Leng|2006|p=170}}。|source= [[アンディ・ニューマーク]](ドラマー)|width=20%}} |
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== 参加ミュージシャン == |
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*ジョージ・ハリスン - [[ボーカル]]、[[ギター]]、[[シンセベース]] |
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ハリスンとバンドリーダーの[[トム・スコット (ミュージシャン)|トム・スコット]]、ツアー・ミュージシャンの{{仮リンク|ジム・ホーン|en|Jim Horn}}、[[ジム・ケルトナー]]、[[アンディ・ニューマーク]]は、ツアーに対する批判に異議を唱えており{{sfn|Lavezzoli|2006|p=205}}{{sfn|Olivia Harrison|2011|p=316}}、中でもホーンはハリスンとシャンカルのツアーについて「僕がやった中で最高のツアーの1つ」と宣言している{{sfn|Leng|2006|pp=168, 170}}。コンサートの観客も同様に、批判に対して異議を唱えており{{sfn|Clayson|2003|p=338}}{{sfn|Greene|2006|p=215}}、ジャーナリストの{{仮リンク|ニコラス・シャフナー|en|Nicholas Schaffner}}によるとビートルズのファン雑誌『{{lang|en|Strawberry Fields Forever}}』には「悪辣なレビューに抗議する手紙」が殺到したという{{sfn|Schaffner|1978|p=178}}。 |
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*[[ジェシ・エド・デイヴィス]] - [[リードギター]] |
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*[[デイヴィッド・フォスター]] - [[ピアノ]]、[[ストリングス]]・[[編曲|アレンジ]] |
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ハリスンの伝記作家であるサイモン・レンは、これらの現象について「ロック・ミュージックにおける奇妙なエピソードの1つ」とし、「大部分のレビューは肯定的なもので、ものによっては熱狂的なものだったが、ツアーについて送られた評価は[[ローリング・ストーン]]誌の記事に由来している」と述べている{{sfn|Leng|2006|p=174}}。この中でも重要視されたのは、ジャーナリストの{{仮リンク|ベン・フォン・トーレス|en|Ben Fong-Torres}}によるツアーの西海岸での公演についてまとめた「{{lang|en|Lumbering in the Material World}}」という特集記事だった{{sfn|Rodriguez|2010|p=46}}{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|p=150}}。フォン・トーレスは、批評家や観客がビートルズへの郷愁に迎合することをハリスンが拒否したこと{{sfn|Clayson|2003|pp=336, 338}}と、ツアーのリハーサル期間中に新しいアルバムの完成を急いだハリスンが咽頭炎を患い歌声が悪い状態であったことを非難した{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|pp=44, 126}}{{efn|1974年に行なわれた北米ツアーは、ハリスンのソロ・アーティストとして初となるツアーであると同時に、ビートルズがライブ活動を終えた1966年以降で初となるツアーともなった{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|pp=44, 126}}。1981年に[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]誌の評論家である{{仮リンク|ボブ・ウォフィンデン|en|Bob Woffinden}}は、イギリスでは1971年以降にビートルズの神秘性が失われたのに対して、ビートルズおよびその各メンバーは1970年代半ばのアメリカでも敬われていたと述べている{{sfn|Woffinden|1981|pp=52, 73}}。1974年7月にニューヨークで「{{仮リンク|ビートルフェスト|en|Beatlefest}}」で開催され、ビートルズへの郷愁にさらに拍車をかけることとなった{{sfn|Schaffner|1978|p=170}}。}}。この当時、スコットはツアー初日の[[パシフィック・コロシアム]]公演に過度に焦点を当てたフォン・トーレスの記事に意義を唱えていた<ref name="Gross 1975">{{cite journal |last= Gross |first= Michael |title= George Harrison: How Dark Horse Whipped Up a Winning Tour |journal= [[:en:Circus (magazine)|Circus Raves]] |date= March 1975 }}</ref>。これに続いて、東海岸での公演についてまとめた{{仮リンク|ラリー・スローマン|en|Larry Sloman}}による記事が掲載された{{sfn|Leng|2006|pp=160, 164-165}}。スローマンは、コンサートについて好意的な記事を提出していたが、雑誌の編集者は出版前に記事の修正を行なった{{sfn|Hagan|2017|p=303}}。ハリスンは、ローリング・ストーン誌が掲載したツアーに関する記事に対して不満を述べていた{{sfn|Clayson|2003|p=338}}{{efn|1975年4月、ハリスンはラジオ局[[:en:WNEW-FM|WNEW-FM]]のDJである{{仮リンク|デイヴ・ハーマン (DJ)|label=デイヴ・ハーマン|en|Dave Herman (DJ)}}に作家が出版社のかつての見解に反対し、北米ツアーに対する否定的なイメージを正す意向を表明した{{sfn|Kahn|2020|pp=209-210}}。その後、スローマンは事の成り行きを説明したときに、ハリスンが「あの(編集前の)記事を送ってくれたことを嬉しく思うよ、ラリー。僕は君のことを嫌なやつだと思っていたけど、それはローリング・ストーンのことだって気づけたよ」と語っていたと回想している{{sfn|Hagan|2017|p=303}}。}}。 |
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*[[ゲイリー・ライト]] - [[シンセサイザー]] |
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*[[ジム・ケルトナー]] - [[ドラムセット|ドラム]] |
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ハリスンは、ローリング・ストーン誌による北米ツアーの扱いを完全に許すことはなかった{{sfn|Rodriguez|2010|p=59}}{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|pp=108, 111}}。1974年のツアーに参加したミュージシャンおよび後にハリスンの妻となる{{仮リンク|オリヴィア・ハリスン|label=オリヴィア・アリアス|en|Olivia Harrison}}は、北米ツアーに関する否定的なレビューに対するハリスンの反抗的な態度について言及しているが<ref name="Gross 1975" />{{sfn|Greene|2006|pp=217-218}}、レンは「(ハリスンは)個人攻撃と見なして反抗していた」と述べている{{sfn|Leng|2006|p=175}}。ハリスンは、1975年2月にアリアスと過ごしていたハワイでの休暇中に「ギターは泣いている」を作曲した<ref>{{cite journal |last= Coleman |first= Ray |date= September 6, 1975 |title= Extra Texture: Back to the Sixties! |journal= [[:en:Melody Maker|Melody Maker]] |page= 30}}</ref>{{sfn|Badman|2001|p=144}}<ref>{{cite journal |last= Thompson |first= Dave |date= January 25, 2002 |title= The Music of George Harrison: An album-by album guide |journal= [[:en:Goldmine (magazine)|Goldmine]] |page= 17 }}</ref>。ハリスンは、1987年の{{仮リンク|ミュージシャン (雑誌)|label=ミュージシャン|en|Musician (magazine)}}誌のインタビューで、「マスコミと批評家たちが1974年から1975年までのツアーについて、僕を打ちのめそうとしたからできた曲で、実に深いなものになった」と語っている{{sfn|White|1987|p=65}}{{sfn|Clayson|2003|p=338}}。 |
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== 曲の構成 == |
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曲のタイトルは、1968年に[[ビートルズ]]のアルバム『[[ザ・ビートルズ (アルバム)|ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)]]』の収録曲として発売され、1974年の北米ツアーでも演奏された「[[ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス]]」にちなんでいる<ref name="AM">{{AllMusic |last= Planer |first= Lindsay |title= This Guitar (Can't Keep from Crying) by George Harrison - Track Info |class= song |id= this-guitar-cant-keep-from-crying-mt0012452161 |accessdate= 2022-10-09 }}</ref>{{sfn|Madinger|Easter|2000|pp=446-447}}。1974年の北米ツアーに関して批評家たちは、ハリスンが「{{lang|en|While my guitar gently '''smile'''}}」や「{{lang|en|... tries to '''smile'''}}」と歌詞を変更したことを当てていたが、1975年9月に[[英国放送協会のラジオ放送|BBCラジオ1]]の番組内でハリスンは{{仮リンク|ポール・ガンバッキーニ|en|Paul Gambaccini}}に「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がツアー中に観客から一貫して好評を博した楽曲であったと語っている{{sfn|Badman|2001|p=164}}。本作についてハリスンは「『ギター・ジェントリー・ウィープス<!-- 原文での表記(Guitar Gently Weeps)に準拠 -->』の息子」と説明している{{sfn|Badman|2001|p=164}}。 |
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ビートルズの楽曲と同じく、「ギターは泣いている」には明確な[[サビ|コーラス]]のセクションがなく、曲のタイトルで締める短調([[ト短調|Gマイナー]])の短いのヴァースを軸として構成されている{{sfn|Rodriguez|2010|p=280}}。『{{lang|en|The Words and Music of George Harrison}}』の著者であるイアン・イングリスは、同書内で本作と「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の2曲のメロディーに「明らかな類似点」があることに言及していて、「『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』の歌詞と同じように、『ギターは泣いている』が[[ウディ・ガスリー]]、[[ピート・シーガー]]、[[ボ・ディドリー]]によって確立された「感情や振る舞いを歌にする」という伝統に従っている」と書いている{{sfn|Inglis|2010|p=51}}。 |
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「ギターは泣いている」の歌詞は、批判を受けていながらもそれに耐えるというハリスンの意思が示されている{{sfn|Kahn|2020|p=191}}。ハリスンは、自伝『I・ME・MINE』で本作の{{行内引用|{{lang|en|Learn to get up when I fall / And even climb across a stone wall / This gutiar can't keep from crying}}(転んでもちゃんと起きあがれるし / 石の壁さえ登れるようになった / だけどこのギターは今も泣いている)}}というフレーズを引用して、「よりよい人間になるためには、逆境と戦う必要がある」と述べている{{sfn|George Harrison|2002|p=312}}。レンは、本作の歌詞について、当時のロック・ミュージックで一般的だったアーティストと批評家との対話の典型と見なしている{{sfn|Leng|2006|pp=177, 181, 186}}。 |
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神学者の{{仮リンク|デール・アリソン|en|Dale Allison}}は、「ギターは泣いている」の歌詞にハリスンが負った「深い傷」が反映されていると述べている{{sfn|Allison Jr.|2006|p=157}}。イングリスは、本作のブリッジの歌詞について「(ハリスンが)ギター」という主題を象徴していると同時に、「(ハリスンに)降りかかってくる不当な暴言」を文書化していると述べている{{sfn|Inglis|2010|p=51}}。 |
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== レコーディング == |
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ハリスンは、ロサンゼルスで自身が設立したレーベル「{{仮リンク|ダーク・ホース・レコード|en|Dark Horse Records}}」に関するビジネスに取り組んでいた1975年4月にアルバム『ジョージ・ハリスン帝国』のレコーディングを開始した{{sfn|Rodriguez|2010|pp=247-248}}{{sfn|Madinger|Easter|2000|p=451}}。レンは、ハリスンがスタジオに戻ったときの「見苦しいと言えるほどの」あせりについて言及し、ダーク・ホース・レコード設立後のハリスンの「苦渋やうろたえ」がレコーディングの大半で見受けられたとしている{{sfn|Leng|2006|pp=178-179}}。セッション初期に、ハリスンは[[:en:WNEW-FM|WNEW-FM]]のデイヴ・ハーマンとのラジオインタビューで{{sfn|Badman|2001|p=158}}、自身がローリング・ストーン誌から受けた批判に関連づけるかたちで、音楽業界内で1960年代の理想主義が捨てられたことを嘆いた{{sfn|Kahn|2020|pp=192, 208}}。 |
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ハリスンは、4月21日から5月7日にかけてハリウッドにある{{仮リンク|ジム・ヘンソン・カンパニー・ロット|label=A&Mスタジオ|en|Jim Henson Company Lot}}で「ギターは泣いている」のベーシック・トラックを録音{{sfn|Spizer|2005|p=274}}。ハリスンは[[12弦ギター|12弦]][[アコースティック・ギター]]、[[デイヴィッド・フォスター]]は[[ピアノ]]、[[ジム・ケルトナー]]は[[フロアタム]]を演奏{{sfn|Spizer|2005|p=274}}。ビートルズのハンブルク時代からの友人で、ハリスンの楽曲でベースを演奏していた[[クラウス・フォアマン]]は、ハリスンの「アルバム制作時の心構え」などを理由に一部を除くアルバムのセッションに不参加となった{{sfn|Leng|2006|p=179}}{{sfn|Rodriguez|2010|p=85}}。ハリスンは[[アープ (電子楽器メーカー)|アープ]]社の[[シンセサイザー]]を使用してベースのパートを[[オーバー・ダビング]]<ref name="AM" />。[[ゲイリー・ライト]]は、このシンセサイザーでストリングスのパートを加えた{{sfn|Castleman|Podrazik|1976|p=376}}{{efn|2014年に再発売された『ジョージ・ハリスン帝国』のブックレットに掲載されているマスター・リールの曲目では、「ギターは泣いている」のベースのパートに[[モーグ・シンセサイザー]]も使用していることが記載されている<ref>{{cite AV media notes |title= Extra Texture (Read All About It) |title-link= ジョージ・ハリスン帝国 |others= [[ジョージ・ハリスン|George Harrison]] |date= 2014 |chapter= 24-track tape from Extra Texture sessions [master reel information] |page= 5 |type= CD booklet |publisher= [[アップル・レコード|Apple Records]] }}</ref>。ただし、アルバムのクレジットに記載されているのは「{{lang|en|ARP bass}}」のみとなっている{{sfn|Castleman|Podrazik|1976|p=376}}。}}。作家のアンドリュー・グラント・ジャクソンは、本作の冒頭のシンセサイザーのフレーズについて「1970年代のホラー映画や『[[狼よさらば]]』の続編で使われていてもおかしくない」と述べている{{sfn|Jackson|2012|pp=146-147}}。 |
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ハリスンは、本作において曲の終わりのソロも含むスライドギターのパートを演奏{{sfn|Huntley|2006|p=124}}<ref>{{cite journal |last= Harris |first= John |title= Beware of Darkness |journal= [[モジョ (雑誌)|Mojo]] |date= November 2011 |page= 82 }}</ref>。レンは、本作におけるハリスンのギターの演奏について「{{仮リンク|ピート・ドレイク|en|Pete Drake}}の奏法」と「[[ラーガ]]の[[微分音]]」から影響を受けたと見ている{{sfn|Leng|2006|p=182}}。曲の途中に含まれている[[ワウペダル]]を使用したギターソロは、[[ジェシ・エド・デイヴィス]]によるもの{{sfn|Rodriguez|2010|p=280}}。デイヴィスは、フォスターがアレンジを手がけた[[ストリングス]]のパートが録音される前日に当たる6月5日にこのギターソロをオーバー・ダビングした{{sfn|Madinger|Easter|2000|p=452}}。 |
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== リリース == |
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1975年9月に[[アップル・レコード]]からアルバム『ジョージ・ハリスン帝国』が発売され{{sfn|Castleman|Podrazik|1976|p=369}}、「ギターは泣いている」は「{{仮リンク|答えは最後に|en|The Answer's at the End}}」と「{{仮リンク|ウー・ベイビー、わかるかい|en|Ooh Baby (You Know That I Love You)}}」の間の3曲目に収録された{{sfn|Spizer|2005|pp=273-274}}。{{仮リンク|ブルース・スピザー|en|Bruce Spizer}}{{読み仮名|曰|いわ}}く「盛り上がりどころ満載のヒットの可能性を秘めた曲がほとんどない」アルバムに続くシングル曲として「ギターは泣いている」が選ばれた{{sfn|Spizer|2005|p=277}}。アップル・レコードは、12月8日にアメリカで「ギターは泣いている」をシングルとして発売した{{sfn|Badman|2001|p=172}}。シングル・バージョンは、曲の終わりのソロの早い段階でフェード・アウトするように編集されていて{{sfn|Madinger|Easter|2000|p=452}}、収録時間が3分49秒に短縮された{{sfn|Castleman|Podrazik|1976|p=373}}。B面曲は、アルバム『[[ダーク・ホース (ジョージ・ハリスンのアルバム)|ダーク・ホース]]』からのリカットである「{{仮リンク|マヤ・ラヴ|en|Māya Love}}」で、スパイザーはこの選曲について「『ジョージ・ハリスン帝国』におけるラジオに適した楽曲が少ないことを強調するもの」と述べている{{sfn|Spizer|2005|p=277}}。イギリスにおけるシングルの発売は、1976年2月6日に延期となった{{sfn|Badman|2001|p=172}}。 |
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シングル『ギターは泣いている』は、アップル・レコードから発売されたハリスンの最後のシングルとなった{{sfn|Spizer|2005|p=277}}。シングル・レコードのレーベル面は、『[[二人はアイ・ラヴ・ユー]]』や『ジョージ・ハリスン帝国』で採用された橙色と青色の配色と、リンゴの芯のイラストが使用されたデザインではなく、アップルのリンゴマークが描かれたデザインとなっている{{sfn|Spizer|2005|pp=217, 277}}。アメリカやイギリスで発売されたシングル盤は、無地のスリーヴが採用された{{sfn|Spizer|2005|p=277}}。日本で発売されたシングル盤はピクチャースリーヴで、『ジョージ・ハリスン帝国』のジャケットの配色を背景色とし、1974年のツアーでのハリスンの写真を配置したデザインとなっている<ref>{{cite journal |last= Doggett |first= Peter |authorlink= :en:Peter Doggett |title= The Apple Years |journal= [[:en:Record Collector|Record Collector]] |date= April 2001 |page= 40 }}</ref>。この写真は、{{仮リンク|ヘンリー・グロスマン|en|Henry Grossman}}によって撮影されたもの{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|p=102}}。ハリスンはシングル盤のプロモーションを行なわなかったが{{sfn|Rodriguez|2010|p=281}}、1975年に放送された[[エリック・アイドル]]のクリスマス特番『{{仮リンク|ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン|en|Rutland Weekend Television}}』にゲスト出演し、意図的に書かれた「{{lang|en|The Pirate Song}}」を歌い{{sfn|Madinger|Easter|2000|p=453}}{{sfn|Badman|2001|p=172}}、1976年に活動を再開することを宣言した{{sfn|Huntley|2006|p=129}}。 |
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シングル『ギターは泣いている』は、アメリカの主要な3つのシングルチャートやイギリスの[[全英シングルチャート]]にチャートインすることはなかった{{sfn|Spizer|2005|p=277}}。本作はハリスンにとって[[Billboard Hot 100]]にチャートインしなかった初のシングルであり<ref>{{cite web |last= DeRiso |first= Nick |title= Why George Harrison Made a 'While My Guitar Gently Weeps' Sequel |url= https://ultimateclassicrock.com/george-harrison-this-guitar/ |website= Ultimate Classic Rock |publisher= Townsquare Media |date= 2015-12-28 |accessdate= 2022-10-30 }}</ref>{{efn|本作以前に発売されたシングルは、いずれも36位を上回る最高位を記録している{{sfn|Rodriguez|2010|p=274}}。}}、元ビートルズによる作品としても初の例となった{{sfn|Spizer|2005|p=277}}。ロドリゲスは、本作発売時点でアップル・レコードが資金不足に陥っていたことと、シングルのプロモーションが行なわれなかったことを原因として挙げている{{sfn|Rodriguez|2010|pp=280-281}}。イギリスでシングルが発売される直前の1976年1月にハリスンは[[A&Mレコード]]傘下のダーク・ホース・レコードと契約し{{sfn|Badman|2001|pp=175-176}}、アップル・レコードとの関わりを終了させた{{sfn|Woffinden|1981|p=93}}。スピザーは、「悲しい結末となり、アップル・レコードの第1弾作品『[[ヘイ・ジュード]]』の成功とはほど遠いものとなった」と述べている{{sfn|Spizer|2005|p=277}}{{efn|アップル・レコードは、1990年代半ばに再興し{{sfn|Rodriguez|2010|pp=280-281}}、ビートルズの『[[ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC]]』や『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』プロジェクトで成功を収めた{{sfn|Jackson|2012|p=147}}。}}。 |
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== 批評 == |
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1978年の著書『{{lang|en|The Beatles Forever}}』で『ジョージ・ハリスン帝国』について論じた{{仮リンク|ニコラス・シャフナー|en|Nicholas Schaffner}}は、ハリスンの「世俗的な批評家たち」が「ギターは泣いている」をはじめとした「批評家たちが常日頃いかに「的外れ」であるかを綴った論文」に対して「赤旗を見た雄牛のように」反応したと述べ、「確かに批評家たちは公正を欠き、悪質でもあった。しかしジョージが彼らを超越し、それらをくつがえせるほどのいい作品を生み出すことを期待するしかなかった。それはまさに彼が翌年に出した『[[33 1/3]]』のことだった」と付け加えている{{sfn|Schaffner|1978|p=182}}。ロドリゲスは、「批評家たちは元々ビートルズの作品を神聖なものと見なす傾向にあったことから、『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』の続編を制作したハリスンを否定した」と述べている{{sfn|Rodriguez|2010|p=176}}。 |
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音楽評論家の{{仮リンク|デイヴ・マーシュ|en|Dave Marsh}}は、アルバムのA面の大半を「冗長な言い逃れ」と見なし、「『ギターは泣いている』という期待外れに対する埋め合わせがない」と述べた<ref>{{cite journal |last= Marsh |first= Dave |authorlink= :en:Dave Marsh |title= George Harrison Extra Texture |url= https://web.archive.org/web/20111110065331/https://www.rollingstone.com/music/albumreviews/extra-texture-19751120 |journal= [[ローリング・ストーン|Rolling Stone]] |date= November 20, 1975 |page= 75 }}</ref>。[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]誌の{{仮リンク|ロイ・カー (ジャーナリスト)|label=ロイ・カー|en|Roy Carr}}と{{仮リンク|トニー・タイラー|en|Tony Tyler}}は、ビートルズの楽曲と比較し、ハリスンの「印象的な涙を誘うギターは、この曲では本当に悲しみに打ちひしがれているようには聞こえない」と述べた{{sfn|Carr|Tyler|1978|p=118}}。一方で、{{仮リンク|レコード・ワールド|en|Record World}}誌の批評家は、ハリスンが「バラードに編集されたこの曲で成功した」とし、ライトがアープ社のシンセサイザーで弾いたストリングスのパートを「見事な伴奏」と強調した<ref>{{cite journal |title= Single Picks |journal= [[:en:Record World|Record World]] |date= December 20, 1975 |page= 14 }}</ref>。{{仮リンク|メロディ・メイカー|en|Melody Maker}}誌にレビューを寄稿した{{仮リンク|レイ・コールマン|en|Ray Coleman}}は、「ギターは泣いている」を「熱く、的確で、感動的」な叙情的なメッセージが乗せられた「素晴らしい楽曲」と称賛した<ref>{{cite journal |last= Coleman |first= Ray |authorlink= :en:Ray Coleman |title= Extra Texture: Back to the Sixties! |journal= [[:en:Melody Maker|Melody Maker]] |date= December 6, 1975 |page= 30 }}</ref>。 |
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[[オールミュージック]]のリチャード・ジネルは、「ギターは泣いている」を「『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』の魅力的な続編」と見なした<ref>{{AllMusic |last= Ginell |first= Richard S. |title= George Harrison - Extra Texture Album Reviews, Songs & More |class= album |id= extra-texture-mw0000273138 |accessdate= 2022-11-04 }}</ref>。ジャーナリストの{{仮リンク|グラハム・リード (ジャーナリスト)|label=グラハム・リード|en|Graham Reid (journalist)}}は、2014年に本作について「当時考えられていたよりもはるかに優れた楽曲」と評した<ref>{{cite web |last= Reid |first= Graham |authorlink= :en:Graham Reid (journalist) |title= GEORGE HARRISON REVISITED, PART ONE (2014): The dark horse bolting out of the gate |url= https://www.elsewhere.co.nz/absoluteelsewhere/6583/george-harrison-revisited-part-one-2014-the-dark-horse-bolting-out-of-the-gate/ |publisher= Elsewhere |date= 2014-10-24 |accessdate= 2022-11-04 }}</ref>。本作をアルバム『ジョージ・ハリスン帝国』で「最悪な楽曲」とし、ハリスンの伝記作家であるサイモン・レンは、「情熱的で力強いハリスンのボーカルが聴ける痛ましい楽曲」とし、[[ニール・ヤング]]の「[[渚にて (ニール・ヤングのアルバム)|アムビュランス・ブルース]]」との類似点を指摘している{{sfn|Leng|2006|p=182}}。エリオット・ハントリーは、ハリスンが「ホワイト・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の続編を書くという判断について「見当違い」とする一方で、「原曲からの優れたリードギターさばき自体が良い曲」と述べている{{sfn|Huntley|2006|p=124}}。デール・アリソンは、「ギターは泣いている」を「情熱的な歌詞」を乗せた「美しい楽曲」とし、「彼らをよく知る者たちの心に寄り添ってくる」楽曲として「{{仮リンク|イズント・イット・ア・ピティー|en|Isn't It a Pity}}」、「{{仮リンク|ザ・ライト・ザット・ハッド・ライテッド・ザ・ワールド|en|The Light That Has Lighted the World}}」、「[[ブロー・アウェイ]]」、「サット・シンギング」などの楽曲と関連づけている{{sfn|Allison Jr.|2006|pp=132, 157}}。 |
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== その他のバージョン == |
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ハリスンは、1974年のツアーを最後に、1991年12月に[[エリック・クラプトン]]らと日本ツアーを行なうまでの17年間ツアーを行なうことはなかった{{sfn|The Editors of Rolling Stone|2002|pp=48, 191}}{{sfn|Lavezzoli|2006|p=196}}{{sfn|Leng|2006|pp=269-271}}。バークシャーにあるブレイ・スタジオでのリハーサル中であった同年11月{{sfn|Badman|2001|p=469}}、ハリスンは本作をセットリストに加えることを検討していたが、最終的に演奏することはなかった{{sfn|Madinger|Easter|2000|p=482}}。 |
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2010年に元[[ユーリズミック]]の[[デイヴ・スチュワート (ギタリスト)|デイヴ・スチュワート]]は自身の公式サイト上で、ロンドンでハリスンと「ギターは泣いている」の再録音を行なったことを回想した<ref>{{cite web |last= Stewart |first= Dave |authorlink= デイヴ・スチュワート (ギタリスト) |title= Playing Live in Nashville on 9th Dec. I’m thinking of playing this song I recorded with George Harrison |url= http://davestewart.com/playing-live-in-nashville-on-9th-dec-im-thinking-of-playing-this-song-i-recorded-with-george-harrison/ |website= Dave Stewart Official Site |date= 2010-10-31 |accessdate= 2022-11-04 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20110105052720/http://davestewart.com/playing-live-in-nashville-on-9th-dec-im-thinking-of-playing-this-song-i-recorded-with-george-harrison/ |archivedate= 2011-01-05 |deadlinkdate= 2022年11月 }}</ref>。このレコーディングは1992年に行なわれ{{sfn|Jackson|2012|p=146}}、それから約10年後に[[リンゴ・スター]]が[[ドラムセット|ドラム]]、[[ダーニ・ハリスン]]が[[アコースティック・ギター]]、{{仮リンク|カラ・ディオガーディ|en|Kara DioGuardi}}が[[コーラス (ポピュラー音楽)|バッキング・ボーカル]]を[[オーバー・ダビング]]した<ref name="RS 20140902">{{cite web |last= Grow |first= Kory |title= George Harrison’s First Six Studio Albums to Get Lavish Reissues |url= https://www.rollingstone.com/music/music-news/george-harrisons-first-six-studio-albums-to-get-lavish-reissues-56902/ |work= [[ローリング・ストーン|Rolling Stone]] |date= 2014-09-02 |accessdate= 2022-11-04 }}</ref>。再録音された本作は、2014年に発売されたボックス・セット『{{仮リンク|ジョージ・ハリスン:アップル・イヤーズ1968〜75|en|The Apple Years 1968–75}}』内の『ジョージ・ハリスン帝国』のリマスター盤に追加収録された<ref name="RS 20140902" />。 |
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== クレジット == |
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※出典<ref>{{cite AV media notes |title= Extra Texture (Read All About It) |title-link= ジョージ・ハリスン帝国 |others= [[ジョージ・ハリスン|George Harrison]] |type= LP sleeve |year= 1975 |publisher= [[アップル・レコード|Apple Records]] |id= PAS 10009 }}</ref> |
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* [[ジョージ・ハリスン]] - [[ボーカル]]、[[12弦ギター|12弦]][[アコースティック・ギター]]{{sfn|Spizer|2005|p=274}}、[[アープ (電子楽器メーカー)|アープ]]社の[[シンセベース]]、[[モーグ・シンセサイザー|ミニモーグ]]で弾いたベースのパート<ref>{{cite book |last= MacFarlane |first= Thomas |year= 2019 |title= The Music of George Harrison |location= Oxfordshire |publisher= [[テイラーアンドフランシス|Taylor & Francis]] |page= 109 |isbn= 978-0-429-94148-1 }}</ref>、[[スライドギター]]<ref>{{cite book |last1= Everett |first1= Walter |author1-link= :en:Walter Everett (musicologist) |last2= Riley |first2= Tim |author2-link= :en:Tim Riley (music critic) |year= 2019 |title= What Goes On: The Beatles, Their Music, and Their Time |location= Oxford |publisher= [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]] |page= 192 |isbn= 978-0-190-21318-3 }}</ref> |
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* [[ジェシ・エド・デイヴィス]] - ギター |
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* [[デイヴィッド・フォスター]] - [[ピアノ]]、[[ストリングス]]編曲 |
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* [[ゲイリー・ライト]] - アープ社のシンセサイザーで弾いたストリングスのパート |
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* [[ジム・ケルトナー]] - [[ドラムセット|ドラム]] |
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== 脚注 == |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{cite book |last= Allison Jr. |first= Dale C. |authorlink= :en:Dale Allison |year= 2006 |title= The Love There That's Sleeping: The Art and Spirituality of George Harrison |location= New York, NY |publisher= Continuum |isbn= 978-0-8264-1917-0 |ref= harv }} |
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* {{cite book |last= Badman |first= Keith |year= 2001 |title= The Beatles Diary Volume 2: After the Break-Up 1970-2001 |location= London |publisher= [[:en:Omnibus Press|Omnibus Press]] |isbn= 0-7119-8307-0 |ref= harv }} |
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* {{cite book |last= Spizer |first= Bruce |authorlink= :en:Bruce Spizer |year= 2005 |title= The Beatles Solo on Apple Records |location= New Orleans, LA |publisher= 498 Productions |isbn= 0-9662-6495-9 |ref=harv }} |
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* {{cite book |last= Woffinden |first= Bob |authorlink= :en:Bob Woffinden |year= 1981 |title= The Beatles Apart |location= London Proteus |isbn= 0-906071-89-5 |ref=harv }} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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2022年11月4日 (金) 13:47時点における版
「ギターは泣いている」 | ||||||||||
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ジョージ・ハリスン の シングル | ||||||||||
初出アルバム『ジョージ・ハリスン帝国』 | ||||||||||
B面 | マヤ・ラヴ | |||||||||
リリース | ||||||||||
規格 | 7インチシングル | |||||||||
録音 |
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ジャンル | ロック | |||||||||
時間 | ||||||||||
レーベル | アップル・レコード | |||||||||
作詞・作曲 | ジョージ・ハリスン | |||||||||
プロデュース | ジョージ・ハリスン | |||||||||
ジョージ・ハリスン シングル 年表 | ||||||||||
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「ギターは泣いている」(This Guitar (Can't Keep From Crying))は、ジョージ・ハリスンの楽曲である。1975年2月に発売されたスタジオ・アルバム『ジョージ・ハリスン帝国』に収録された。ハリスンは、1974年にラヴィ・シャンカルとともに行なった北米ツアー中およびツアー後に、批評家からの批判を受けて、ビートルズ時代に書いた「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の続編として本作を制作。1975年12月にシングル・カットされたが、イギリスやアメリカのシングルチャートに入ることはなかった。なお、本作はアップル・レコードから発売された最後のハリスンのシングルとなっている。
「ギターは泣いている」のレコーディングは、1975年4月から5月にかけてロサンゼルスにあるA&Mスタジオで行なわれ、完成した本作にはハリスンとジェシ・エド・デイヴィスによるギターソロが含まれている。1992年にハリスンは、デイヴ・スチュワートとともに再録音しており、2014年に発売されたボックス・セット『ジョージ・ハリスン:アップル・イヤーズ1968〜75』内の『ジョージ・ハリスン帝国』のリマスター盤に追加収録された。
背景・インスピレーション
ジョージ・ハリスンは、1974年11月2日から12月20日にかけてラヴィ・シャンカルとともに北米ツアーを敢行[1]。このツアーは、観客に1970年代半ばの典型的なロックのコンサートとは「異なる体験」をしてもらうことを目的としていた[2]。北米ツアーでの演奏は、西洋のロック、ファンク、ジャズとインドの伝統音楽が融合されており[3]、これについて伝記作家のロバート・ロドリゲスは「いつかワールドミュージックと呼ばれるだろう」と述べている[4]。しかし、ツアーはハリスンの喉の不調やステージ上での態度などの要因[5][6]から、一部の批評から痛烈に批判された[7][8]。
ハリスンとバンドリーダーのトム・スコット、ツアー・ミュージシャンのジム・ホーン、ジム・ケルトナー、アンディ・ニューマークは、ツアーに対する批判に異議を唱えており[10][11]、中でもホーンはハリスンとシャンカルのツアーについて「僕がやった中で最高のツアーの1つ」と宣言している[12]。コンサートの観客も同様に、批判に対して異議を唱えており[13][14]、ジャーナリストのニコラス・シャフナーによるとビートルズのファン雑誌『Strawberry Fields Forever』には「悪辣なレビューに抗議する手紙」が殺到したという[15]。
ハリスンの伝記作家であるサイモン・レンは、これらの現象について「ロック・ミュージックにおける奇妙なエピソードの1つ」とし、「大部分のレビューは肯定的なもので、ものによっては熱狂的なものだったが、ツアーについて送られた評価はローリング・ストーン誌の記事に由来している」と述べている[16]。この中でも重要視されたのは、ジャーナリストのベン・フォン・トーレスによるツアーの西海岸での公演についてまとめた「Lumbering in the Material World」という特集記事だった[17][18]。フォン・トーレスは、批評家や観客がビートルズへの郷愁に迎合することをハリスンが拒否したこと[19]と、ツアーのリハーサル期間中に新しいアルバムの完成を急いだハリスンが咽頭炎を患い歌声が悪い状態であったことを非難した[20][注釈 1]。この当時、スコットはツアー初日のパシフィック・コロシアム公演に過度に焦点を当てたフォン・トーレスの記事に意義を唱えていた[23]。これに続いて、東海岸での公演についてまとめたラリー・スローマンによる記事が掲載された[24]。スローマンは、コンサートについて好意的な記事を提出していたが、雑誌の編集者は出版前に記事の修正を行なった[25]。ハリスンは、ローリング・ストーン誌が掲載したツアーに関する記事に対して不満を述べていた[13][注釈 2]。
ハリスンは、ローリング・ストーン誌による北米ツアーの扱いを完全に許すことはなかった[27][28]。1974年のツアーに参加したミュージシャンおよび後にハリスンの妻となるオリヴィア・アリアスは、北米ツアーに関する否定的なレビューに対するハリスンの反抗的な態度について言及しているが[23][29]、レンは「(ハリスンは)個人攻撃と見なして反抗していた」と述べている[30]。ハリスンは、1975年2月にアリアスと過ごしていたハワイでの休暇中に「ギターは泣いている」を作曲した[31][32][33]。ハリスンは、1987年のミュージシャン誌のインタビューで、「マスコミと批評家たちが1974年から1975年までのツアーについて、僕を打ちのめそうとしたからできた曲で、実に深いなものになった」と語っている[34][13]。
曲の構成
曲のタイトルは、1968年にビートルズのアルバム『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』の収録曲として発売され、1974年の北米ツアーでも演奏された「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」にちなんでいる[35][36]。1974年の北米ツアーに関して批評家たちは、ハリスンが「While my guitar gently smile」や「... tries to smile」と歌詞を変更したことを当てていたが、1975年9月にBBCラジオ1の番組内でハリスンはポール・ガンバッキーニに「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がツアー中に観客から一貫して好評を博した楽曲であったと語っている[37]。本作についてハリスンは「『ギター・ジェントリー・ウィープス』の息子」と説明している[37]。
ビートルズの楽曲と同じく、「ギターは泣いている」には明確なコーラスのセクションがなく、曲のタイトルで締める短調(Gマイナー)の短いのヴァースを軸として構成されている[38]。『The Words and Music of George Harrison』の著者であるイアン・イングリスは、同書内で本作と「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の2曲のメロディーに「明らかな類似点」があることに言及していて、「『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』の歌詞と同じように、『ギターは泣いている』がウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ボ・ディドリーによって確立された「感情や振る舞いを歌にする」という伝統に従っている」と書いている[39]。
「ギターは泣いている」の歌詞は、批判を受けていながらもそれに耐えるというハリスンの意思が示されている[40]。ハリスンは、自伝『I・ME・MINE』で本作のLearn to get up when I fall / And even climb across a stone wall / This gutiar can't keep from crying(転んでもちゃんと起きあがれるし / 石の壁さえ登れるようになった / だけどこのギターは今も泣いている)
というフレーズを引用して、「よりよい人間になるためには、逆境と戦う必要がある」と述べている[41]。レンは、本作の歌詞について、当時のロック・ミュージックで一般的だったアーティストと批評家との対話の典型と見なしている[42]。
神学者のデール・アリソンは、「ギターは泣いている」の歌詞にハリスンが負った「深い傷」が反映されていると述べている[43]。イングリスは、本作のブリッジの歌詞について「(ハリスンが)ギター」という主題を象徴していると同時に、「(ハリスンに)降りかかってくる不当な暴言」を文書化していると述べている[39]。
レコーディング
ハリスンは、ロサンゼルスで自身が設立したレーベル「ダーク・ホース・レコード」に関するビジネスに取り組んでいた1975年4月にアルバム『ジョージ・ハリスン帝国』のレコーディングを開始した[44][45]。レンは、ハリスンがスタジオに戻ったときの「見苦しいと言えるほどの」あせりについて言及し、ダーク・ホース・レコード設立後のハリスンの「苦渋やうろたえ」がレコーディングの大半で見受けられたとしている[46]。セッション初期に、ハリスンはWNEW-FMのデイヴ・ハーマンとのラジオインタビューで[47]、自身がローリング・ストーン誌から受けた批判に関連づけるかたちで、音楽業界内で1960年代の理想主義が捨てられたことを嘆いた[48]。
ハリスンは、4月21日から5月7日にかけてハリウッドにあるA&Mスタジオで「ギターは泣いている」のベーシック・トラックを録音[49]。ハリスンは12弦アコースティック・ギター、デイヴィッド・フォスターはピアノ、ジム・ケルトナーはフロアタムを演奏[49]。ビートルズのハンブルク時代からの友人で、ハリスンの楽曲でベースを演奏していたクラウス・フォアマンは、ハリスンの「アルバム制作時の心構え」などを理由に一部を除くアルバムのセッションに不参加となった[50][51]。ハリスンはアープ社のシンセサイザーを使用してベースのパートをオーバー・ダビング[35]。ゲイリー・ライトは、このシンセサイザーでストリングスのパートを加えた[52][注釈 3]。作家のアンドリュー・グラント・ジャクソンは、本作の冒頭のシンセサイザーのフレーズについて「1970年代のホラー映画や『狼よさらば』の続編で使われていてもおかしくない」と述べている[54]。
ハリスンは、本作において曲の終わりのソロも含むスライドギターのパートを演奏[55][56]。レンは、本作におけるハリスンのギターの演奏について「ピート・ドレイクの奏法」と「ラーガの微分音」から影響を受けたと見ている[57]。曲の途中に含まれているワウペダルを使用したギターソロは、ジェシ・エド・デイヴィスによるもの[38]。デイヴィスは、フォスターがアレンジを手がけたストリングスのパートが録音される前日に当たる6月5日にこのギターソロをオーバー・ダビングした[58]。
リリース
1975年9月にアップル・レコードからアルバム『ジョージ・ハリスン帝国』が発売され[59]、「ギターは泣いている」は「答えは最後に」と「ウー・ベイビー、わかるかい」の間の3曲目に収録された[60]。ブルース・スピザー
シングル『ギターは泣いている』は、アップル・レコードから発売されたハリスンの最後のシングルとなった[61]。シングル・レコードのレーベル面は、『二人はアイ・ラヴ・ユー』や『ジョージ・ハリスン帝国』で採用された橙色と青色の配色と、リンゴの芯のイラストが使用されたデザインではなく、アップルのリンゴマークが描かれたデザインとなっている[64]。アメリカやイギリスで発売されたシングル盤は、無地のスリーヴが採用された[61]。日本で発売されたシングル盤はピクチャースリーヴで、『ジョージ・ハリスン帝国』のジャケットの配色を背景色とし、1974年のツアーでのハリスンの写真を配置したデザインとなっている[65]。この写真は、ヘンリー・グロスマンによって撮影されたもの[66]。ハリスンはシングル盤のプロモーションを行なわなかったが[67]、1975年に放送されたエリック・アイドルのクリスマス特番『ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン』にゲスト出演し、意図的に書かれた「The Pirate Song」を歌い[68][62]、1976年に活動を再開することを宣言した[69]。
シングル『ギターは泣いている』は、アメリカの主要な3つのシングルチャートやイギリスの全英シングルチャートにチャートインすることはなかった[61]。本作はハリスンにとってBillboard Hot 100にチャートインしなかった初のシングルであり[70][注釈 4]、元ビートルズによる作品としても初の例となった[61]。ロドリゲスは、本作発売時点でアップル・レコードが資金不足に陥っていたことと、シングルのプロモーションが行なわれなかったことを原因として挙げている[72]。イギリスでシングルが発売される直前の1976年1月にハリスンはA&Mレコード傘下のダーク・ホース・レコードと契約し[73]、アップル・レコードとの関わりを終了させた[74]。スピザーは、「悲しい結末となり、アップル・レコードの第1弾作品『ヘイ・ジュード』の成功とはほど遠いものとなった」と述べている[61][注釈 5]。
批評
1978年の著書『The Beatles Forever』で『ジョージ・ハリスン帝国』について論じたニコラス・シャフナーは、ハリスンの「世俗的な批評家たち」が「ギターは泣いている」をはじめとした「批評家たちが常日頃いかに「的外れ」であるかを綴った論文」に対して「赤旗を見た雄牛のように」反応したと述べ、「確かに批評家たちは公正を欠き、悪質でもあった。しかしジョージが彼らを超越し、それらをくつがえせるほどのいい作品を生み出すことを期待するしかなかった。それはまさに彼が翌年に出した『33 1/3』のことだった」と付け加えている[76]。ロドリゲスは、「批評家たちは元々ビートルズの作品を神聖なものと見なす傾向にあったことから、『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』の続編を制作したハリスンを否定した」と述べている[77]。
音楽評論家のデイヴ・マーシュは、アルバムのA面の大半を「冗長な言い逃れ」と見なし、「『ギターは泣いている』という期待外れに対する埋め合わせがない」と述べた[78]。NME誌のロイ・カーとトニー・タイラーは、ビートルズの楽曲と比較し、ハリスンの「印象的な涙を誘うギターは、この曲では本当に悲しみに打ちひしがれているようには聞こえない」と述べた[79]。一方で、レコード・ワールド誌の批評家は、ハリスンが「バラードに編集されたこの曲で成功した」とし、ライトがアープ社のシンセサイザーで弾いたストリングスのパートを「見事な伴奏」と強調した[80]。メロディ・メイカー誌にレビューを寄稿したレイ・コールマンは、「ギターは泣いている」を「熱く、的確で、感動的」な叙情的なメッセージが乗せられた「素晴らしい楽曲」と称賛した[81]。
オールミュージックのリチャード・ジネルは、「ギターは泣いている」を「『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』の魅力的な続編」と見なした[82]。ジャーナリストのグラハム・リードは、2014年に本作について「当時考えられていたよりもはるかに優れた楽曲」と評した[83]。本作をアルバム『ジョージ・ハリスン帝国』で「最悪な楽曲」とし、ハリスンの伝記作家であるサイモン・レンは、「情熱的で力強いハリスンのボーカルが聴ける痛ましい楽曲」とし、ニール・ヤングの「アムビュランス・ブルース」との類似点を指摘している[57]。エリオット・ハントリーは、ハリスンが「ホワイト・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の続編を書くという判断について「見当違い」とする一方で、「原曲からの優れたリードギターさばき自体が良い曲」と述べている[55]。デール・アリソンは、「ギターは泣いている」を「情熱的な歌詞」を乗せた「美しい楽曲」とし、「彼らをよく知る者たちの心に寄り添ってくる」楽曲として「イズント・イット・ア・ピティー」、「ザ・ライト・ザット・ハッド・ライテッド・ザ・ワールド」、「ブロー・アウェイ」、「サット・シンギング」などの楽曲と関連づけている[84]。
その他のバージョン
ハリスンは、1974年のツアーを最後に、1991年12月にエリック・クラプトンらと日本ツアーを行なうまでの17年間ツアーを行なうことはなかった[85][86][87]。バークシャーにあるブレイ・スタジオでのリハーサル中であった同年11月[88]、ハリスンは本作をセットリストに加えることを検討していたが、最終的に演奏することはなかった[89]。
2010年に元ユーリズミックのデイヴ・スチュワートは自身の公式サイト上で、ロンドンでハリスンと「ギターは泣いている」の再録音を行なったことを回想した[90]。このレコーディングは1992年に行なわれ[91]、それから約10年後にリンゴ・スターがドラム、ダーニ・ハリスンがアコースティック・ギター、カラ・ディオガーディがバッキング・ボーカルをオーバー・ダビングした[92]。再録音された本作は、2014年に発売されたボックス・セット『ジョージ・ハリスン:アップル・イヤーズ1968〜75』内の『ジョージ・ハリスン帝国』のリマスター盤に追加収録された[92]。
クレジット
※出典[93]
- ジョージ・ハリスン - ボーカル、12弦アコースティック・ギター[49]、アープ社のシンセベース、ミニモーグで弾いたベースのパート[94]、スライドギター[95]
- ジェシ・エド・デイヴィス - ギター
- デイヴィッド・フォスター - ピアノ、ストリングス編曲
- ゲイリー・ライト - アープ社のシンセサイザーで弾いたストリングスのパート
- ジム・ケルトナー - ドラム
脚注
注釈
- ^ 1974年に行なわれた北米ツアーは、ハリスンのソロ・アーティストとして初となるツアーであると同時に、ビートルズがライブ活動を終えた1966年以降で初となるツアーともなった[20]。1981年にNME誌の評論家であるボブ・ウォフィンデンは、イギリスでは1971年以降にビートルズの神秘性が失われたのに対して、ビートルズおよびその各メンバーは1970年代半ばのアメリカでも敬われていたと述べている[21]。1974年7月にニューヨークで「ビートルフェスト」で開催され、ビートルズへの郷愁にさらに拍車をかけることとなった[22]。
- ^ 1975年4月、ハリスンはラジオ局WNEW-FMのDJであるデイヴ・ハーマンに作家が出版社のかつての見解に反対し、北米ツアーに対する否定的なイメージを正す意向を表明した[26]。その後、スローマンは事の成り行きを説明したときに、ハリスンが「あの(編集前の)記事を送ってくれたことを嬉しく思うよ、ラリー。僕は君のことを嫌なやつだと思っていたけど、それはローリング・ストーンのことだって気づけたよ」と語っていたと回想している[25]。
- ^ 2014年に再発売された『ジョージ・ハリスン帝国』のブックレットに掲載されているマスター・リールの曲目では、「ギターは泣いている」のベースのパートにモーグ・シンセサイザーも使用していることが記載されている[53]。ただし、アルバムのクレジットに記載されているのは「ARP bass」のみとなっている[52]。
- ^ 本作以前に発売されたシングルは、いずれも36位を上回る最高位を記録している[71]。
- ^ アップル・レコードは、1990年代半ばに再興し[72]、ビートルズの『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』や『ザ・ビートルズ・アンソロジー』プロジェクトで成功を収めた[75]。
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