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'''塩村 克己'''(しおむら かつみ、[[1969年]][[1月5日]] - )は、[[日本中央競馬会]](JRA)・[[栗東トレーニングセンター]]に所属した[[騎手]]。引退後は同会[[田中章博]][[厩舎]]所属を経て現在は[[音無秀孝]]厩舎で[[調教助手]]を務める。[[大阪府]]出身。騎手時代のおもな騎乗馬に1994年の[[天皇賞(秋)]]を制した[[ネーハイシーザー]]がいる。JRA通算は3454戦289勝、うち[[競馬の競走格付け|GI競走]]1勝を含む重賞7勝。ほか[[地方競馬]]主催の[[ダートグレード競走|統一重賞]]で1勝を挙げている。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
2022年3月11日 (金) 22:50時点における版
塩村克己 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市北区 |
生年月日 | 1969年1月5日(55歳) |
身長 | 160cm(騎手引退時) |
体重 | 48kg(騎手引退時) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
小林稔・栗東(1987年-1993年) フリー・栗東(1993年-2001年) 田中章博・栗東(2001年-2002年) |
初免許年 | 1987年 |
騎手引退日 | 2002年2月28日 |
重賞勝利 | 8勝(うち地方交流1勝) |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 3454戦289勝[注 1] |
塩村 克己(しおむら かつみ、1969年1月5日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属した騎手。引退後は同会田中章博厩舎所属を経て現在は音無秀孝厩舎で調教助手を務める。大阪府出身。騎手時代のおもな騎乗馬に1994年の天皇賞(秋)を制したネーハイシーザーがいる。JRA通算は3454戦289勝、うちGI競走1勝を含む重賞7勝。ほか地方競馬主催の統一重賞で1勝を挙げている。
来歴
1969年、大阪市北区にサラリーマン家庭の長男として生まれる。従兄が馬術の名門杉谷乗馬クラブに勤務していた関係もあり、小学校6年生の時から同クラブで乗馬を始めた[1]。2年次のころ、小柄であったことにより周囲から騎手になることを勧められ、中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第3期生として入学した[1]。同期には蛯名正義、芹沢純一、武豊らがいる[注 2]。
1987年に騎手免許を取得、栗東トレーニングセンター・小林稔厩舎所属騎手としてデビュー。3月7日に初騎乗、同22日に初勝利を挙げた。当年、同期の内で新人最多勝利記録を更新した武豊(69勝)に次ぐ33勝を挙げ、若手のホープに数えられた。翌1988年にも初年度を上回る35勝を挙げていたが、12月11日の愛知杯の競走中に騎乗馬が転倒し落馬。左腕を複雑骨折する重傷を負った[2]。約10カ月の療養後に翌年復帰すると、年末の阪神牝馬特別を9番人気のルイジアナピット[注 3]で制し、重賞初勝利を挙げた。
翌1990年以降は20勝前後の成績が続き、1993年に小林厩舎を離れてフリーに転身。これをきっかけとして騎乗依頼が減少したが、この様子を見た布施正厩舎からネーハイシーザーの騎乗を依頼される[3]。以後同馬とのコンビでは、同年の中日スポーツ賞4歳ステークスのレコード勝ちを始めとして、翌1994年には大阪杯、京阪杯(コースレコード)、毎日王冠(日本レコード)と次々に重賞に勝利。10月30日には天皇賞(秋)に臨んで3番人気に支持され、セキテイリュウオーに1馬身半差を付けて優勝、人馬ともにGI競走初制覇を果たした。当年、塩村は自己最高の41勝を挙げた。
翌年以降は徐々に成績を落とし始め、1999年からはひと桁の勝利数が続いた。2001年、栗東・田中章博厩舎所属となったのち、翌2002年2月28日付けで騎手を引退した。その後は引き続き同厩舎にて調教助手として所属していたが、田中の死去による厩舎解散で2016年からは音無秀孝厩舎に移籍した。
通算成績
年 | 区分 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | 平地 | 33 | 30 | 26 | 181 | 270 | .122 | .233 |
1988年 | 平地 | 35 | 47 | 22 | 249 | 353 | .099 | .232 |
1989年 | 平地 | 9 | 5 | 4 | 56 | 74 | .122 | .189 |
1990年 | 平地 | 21 | 20 | 22 | 211 | 274 | .077 | .150 |
1991年 | 平地 | 17 | 21 | 22 | 148 | 208 | .082 | .183 |
1992年 | 平地 | 23 | 13 | 12 | 129 | 177 | .130 | .203 |
1993年 | 平地 | 22 | 18 | 14 | 253 | 307 | .072 | .130 |
1994年 | 平地 | 41 | 42 | 47 | 324 | 454 | .094 | .191 |
1995年 | 平地 | 24 | 30 | 29 | 326 | 409 | .059 | .132 |
1996年 | 平地 | 29 | 21 | 33 | 250 | 333 | .087 | .150 |
1997年 | 平地 | 12 | 14 | 8 | 191 | 225 | .053 | .116 |
1998年 | 平地 | 15 | 12 | 13 | 149 | 189 | .079 | .143 |
1999年 | 平地 | 1 | 5 | 3 | 69 | 78 | .013 | .077 |
2000年 | 平地 | 6 | 9 | 5 | 79 | 99 | .061 | .152 |
2001年 | 平地 | 1 | 1 | 1 | 21 | 24 | .042 | .083 |
2002年 | 平地 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 |
計 | 平地 | 289 | 288 | 261 | 2616 | 3454 | .084 | .153 |
主な騎乗馬
※括弧内は塩村騎乗時の優勝重賞競走。太字はGI競走。
- ルイジアナピット(1989年阪神牝馬特別)
- ネーハイシーザー(1993年中日スポーツ賞4歳ステークス、1994年大阪杯、京阪杯、毎日王冠、天皇賞・秋)
- ビッグショウリ(1995年マイラーズカップ)
- チアズサイレンス(1996年名古屋優駿)
人物
歌手・吉川晃司のファン。1993年にフリーとなったきっかけが、吉川の17枚目のシングル曲「KISSに撃たれて眠りたい」の歌詞に触発されたからだというエピソードがある[4]。コンサートにもしばしば赴き、それが縁となって吉川本人とも知り合った[5]。
脚注・出典
参考文献
- 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982