「塩瀬村 (兵庫県)」の版間の差分
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2021年12月14日 (火) 08:37時点における版
しおせむら 塩瀬村 | |
---|---|
廃止日 | 1951年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 西宮市、山口村、塩瀬村 → 西宮市 |
現在の自治体 | 西宮市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 有馬郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,054人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 有馬郡山口村、道場村、川辺郡宝塚町、西谷村、武庫郡良元村 |
塩瀬村役場 | |
所在地 | 兵庫県有馬郡塩瀬村大字名塩 |
座標 | 北緯34度49分35秒 東経135度18分27秒 / 北緯34.82633度 東経135.30753度座標: 北緯34度49分35秒 東経135度18分27秒 / 北緯34.82633度 東経135.30753度 |
ウィキプロジェクト |
塩瀬村(鹽瀨村、しおせむら)は、かつて兵庫県有馬郡にあった村。1889年(明治22年)の町村制施行にともない編成され、昭和の大合併により消滅した。
現在の西宮市北部地域[1]の東側、おおむね武庫川右岸一帯にあたる。村名は町村制施行以前の名塩村・生瀬村から一字ずつが採られたもの(合成地名)である。
地理
有馬郡東南部に位置していた自治体。おおむね武庫川右岸であるが、東の生瀬地区では左岸にも町域が広がり、宝塚駅付近(川辺郡小浜村、宝塚町を経て現在の宝塚市)に近接する。北東に川辺郡西谷村(現在は宝塚市の一部)、北西に道場村(現在は神戸市北区の一部)、西に山口村(現在は西宮市の一部)、南に良元村(現在は宝塚市の一部)と接する。
歴史
前近代
町村制施行以前には、生瀬(なまぜ)と名塩(なじお)の2つの村があった[2]。
生瀬
武庫川沿いに位置する生瀬は、摂津平野と有馬方面を結ぶ有馬街道(大坂街道)に位置し、13世紀にはすでに宿駅として栄えた記録がある[2]。嘉禎4年(1238年)創建とされる浄橋寺(浄土宗西山派)には、武庫川を渡る生瀬橋の創建にまつわる伝説が伝わる[2]。江戸時代には参勤交代の宿駅として、また物資の中継地として栄えた[2]。
名塩
名塩川が武庫川に合流する木之元(このもと、古くは「木ノ本」と書いた[2]。江戸時代には名塩村の枝郷となっており、現在は名塩木之元という町名である)には木ノ元地蔵尊木元寺があり、聖徳太子ゆかりの地蔵伝説がある。室町時代に赤松則村によって伽藍が建設された[2]。文安2年(1445年)赤松満政は木元の山中で一族と共に最期を遂げた[2]。
武庫川の支流名塩川を遡った盆地に名塩の古い街がある[2]。文明7年(1475年)、当地を訪れた蓮如が設けた草堂が教行寺の始まりとされる[2]。教行寺は蓮如の子蓮芸の子孫が代々住持を務め、「名塩御坊」と呼ばれる高い寺格を保ち[2]、名塩は寺内町[3]として発展した。
名塩は和紙生産の郷として知られ[2]、名塩雁皮紙(名塩鳥の子紙)を特産品としている。名塩の紙漉の発祥にはさまざまな伝説があるが[2]、和紙生産が盛んになり名塩が発展するのは17世紀以降である[2]。江戸時代後期には名塩から蘭学者億川百記が出ており、百記の娘の八重は、百記の弟弟子である緒方洪庵に嫁いだ[2]。この縁で洪庵門下の伊藤慎蔵によって1862年から1869年にかけて名塩蘭学塾が設けられ、洋学が教授されていた[2]。
また、18世紀の中頃には武田尾温泉が知られるようになった[2]。
近代
1889年(明治22年)、町村制の施行により、名塩村・生瀬村が合併して塩瀬村が発足する。ともに長い歴史を有する名塩・生瀬の間にはしばしば利害の衝突も発生したという[2]。1898年(明治31年)、阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)が宝塚駅から延伸開業した際、終着駅として有馬口駅(現在の生瀬駅)が開業。阪鶴鉄道は翌1899年(明治32年)に三田駅まで延伸し、武田尾駅(駅所在地は現在の宝塚市玉瀬)が設置されて武田尾温泉の利用者が増えた[2]。
1951年(昭和26年)、昭和の大合併に伴い塩瀬村は解村し西宮市に編入された[2]。
後史
西宮市では旧塩瀬村の地域を「塩瀬地域」と称し[1]、塩瀬地域は名塩地区と生瀬地区からなるとする[1]。1980年代には大規模な宅地開発が進められた。
西宮市役所は塩瀬支所を名塩に置いており、塩瀬支所生瀬分室を生瀬に設けている。
行政区画・自治体沿革
産業
- 名塩雁皮紙(名塩紙)
- 明治期に炭酸水の販売を始めたウィルキンソン(ウヰルキンソン・タンサン鉱泉株式会社)は、生瀬の天然炭酸鉱泉を採水地としていた[4]。創業者ジョン・クリフォード・ウィルキンソンは1889年(明治22年)頃、狩猟で出かけた宝塚付近の山中(武庫川右岸にある宝塚温泉場の源泉の傍らであったという[5])で炭酸鉱泉を発見[4]、1890年(明治23年)からは温泉場近くの紅葉谷に工場を設け[5]、瓶詰生産と販売を始めた[4]。1904年(明治37年)、生産量を増やすため、従来の工場の上流約1.5 kmの生瀬(現在の西宮市生瀬武庫川町[5])に工場を移転(「宝塚工場」と称した)[6][5][注釈 1]。
教育
- 塩瀬村立生瀬小学校 - 1873年(明治6年)、生瀬村揚明小学校として開校。
- 塩瀬村立名塩小学校 - 1873年(明治6年)、名塩村塩渓小学校として開校。
- 塩瀬村立塩瀬中学校 - 1947年(昭和22年)設置
名所・旧跡・祭事
交通
鉄道路線
村が存在していた当時、生瀬駅以北(道場駅まで)の福知山線は武庫川峡谷内を走っていた。新線(現在の路線)に付けえられたのは1986年である。旧村域にある西宮名塩駅は、新線付け替え時に開業した駅である。
生瀬駅から武庫川右岸(塩瀬村側)を北上した福知山線は、第二武庫川橋梁で対岸(宝塚町側)に渡り、武田尾駅に至る[注釈 2]。武田尾駅の西で第三武庫川橋梁(廃線により撤去)により再度右岸(塩瀬村)へ渡っていた。
惣川駅(惣川貨物駅)は宝塚駅の西方にあった貨物駅で、ウィルキンソンの炭酸水積み出しのための側線に設けられた。大正期には旅客を取扱った時期もあるという。のちに大阪砕石工業所の砕石積み出しに用いられた。宝塚駅構内に編入され廃止されている(宝塚駅参照)。
道路
村域内には、大阪方面から有馬温泉に至る古くからの街道、有馬街道(大坂街道[2]、湯山街道[10]、生瀬街道[11]とも)が走る[2]。生瀬は武庫川右岸(西岸)に位置する宿場町であり[2](生瀬橋が左岸とを結ぶ)、北西へ名塩・三田を経て丹波方面に至る街道(大坂街道[12]、丹波街道[12]、名塩街道とも)との追分でもあった[2]。
明治時代まで、生瀬から西に船坂方面へ至る有馬街道(生瀬街道)は太多田川の河原をさかのぼる道筋になっており、「四十八ヶ瀬」あるいは「四十八飛び」と呼ばれる難所であった[2]。有馬街道(生瀬街道)は1887年(明治20年)から翌1888年(明治21年)にかけて改修され、県道に移管された[11](現在は兵庫県道51号宝塚唐櫃線)。1898年(明治31年)の阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)開通・生瀬駅開業後は、有馬温泉への経路として盛んな交通があったが[11]、1915年(大正4年)に三田-有馬間に有馬鉄道(有馬線)が開通すると利用者は少なくなった[11]。
生瀬と名塩の間の交通も、生瀬西方の「猿首岩」と呼ばれる岩山に交通が阻害されていたが、江戸時代に平坦な街道(現在の国道176号)が開削された[2]。
現在は旧村域に中国自動車道の西宮名塩サービスエリアが所在するが、当時は未開通。
著名な人物
- 松岡修造 - 実業家。1859年、生瀬村生まれ。松岡家は生瀬の名望家。同名のテニスプレーヤーは玄孫。
- 上中啓三 - 化学者。1876年、名塩村生まれ。高峰譲吉の助手としてアドレナリンの発見に貢献。
- 八木米次 - 政治家、西宮市長。1913年、名塩生まれ。
- 弓場勇 - ブラジル・弓場農場主。1906年、名塩生まれ。弓場家は名塩の名望家。1926年に家族とともにブラジルに渡る。
- 馬場順三 - 政治家、西宮市長。1925年、名塩生まれ。
- 谷野武信 - 製紙工芸家。1935年、名塩生まれ。重要無形文化財「名塩雁皮紙」保持者(人間国宝)
脚注
注釈
出典
- ^ a b c “西宮北部暮らし” (pdf). 西宮市. 2019年11月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y “塩瀬”. 環境学習都市・にしのみやエココミュニティ情報掲示板. 西宮市. 2015年2月5日閲覧。
- ^ “寺内町”. 世界大百科事典内の寺内町の言及(コトバンク所収). 2019年11月23日閲覧。
- ^ a b c “STORY”. ウィルキンソン. アサヒ飲料. 2019年11月19日閲覧。
- ^ a b c d e f 鈴木裕 (2018年3月7日). “ウィルキンソン、ルーツは兵庫の炭酸泉 歴史は明治から”. 朝日新聞 2019年11月19日閲覧。
- ^ a b c “HISTORY”. ウィルキンソン. アサヒ飲料. 2019年11月19日閲覧。
- ^ 大北栄人 (2019年1月17日). “天然の炭酸でハイボールを作りたい”. デイリーポータルZ 2019年11月19日閲覧。
- ^ “JR福知山線廃線敷について”. 西宮市. 2019年11月19日閲覧。
- ^ “JR福知山線廃線敷 -ハイキングコースについて”. 西宮観光協会. 2019年11月19日閲覧。
- ^ “街道ー湯山街道”. 西宮山口. 2019年11月19日閲覧。
- ^ a b c d “2 船坂の交通”. 船坂新聞. 2019年11月19日閲覧。
- ^ a b “有馬から名塩を通り大坂へ抜ける道を大坂街道といったらしいが文献にあるのか”. レファレンス協同データベース. 2019年11月19日閲覧。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 28 兵庫県
関連項目
外部リンク
- 兵庫県有馬郡塩瀬村 (28B0250001) - 歴史的行政区域データセットβ版