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1950年代後半に[[ロックンロール]]の人気が高まるにつれて、[[ベビーブーム]]世代の若者たちは伝統的なポップスの多くを両親たち世代の古くさい音楽とみなして相手にしなくなった<ref name=":3">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1996/06/02/magazine/the-song-is-ended.html|title=The Song Is Ended|last=Green|first=Jesse|work=The New York Times Magazine|date=June 2, 1996}}</ref>。フランク・シナトラやディーン・マーティンらと同時代の歌手たちが歌った古色蒼然とみなされた伝統的ポップスの地位は低下し、1960年代から1970年代にかけて[[ラスベガス]]でのショウや、[[テレビ]]への出演がメインとなった。しかしながらテレビではなおも大変な人気を維持しており、また、ラスベガスのクラブの舞台や[[バックグラウンドミュージック|バックグラウンド・ミュージック]]でも人気があった。フランク・シナトラは、それでも60年代後半までにわたって多数の[[シングル]]や[[アルバム]]を発表し続けた。1950年代後半あたり、[[ナッシュビル]]の[[カントリー・ミュージック|カントリー音楽]]の世界においては、伝統的なポップなサウンドに大きく依存していたため、Music Row はロック・アンド・ロールの影響がカントリーのジャンルに及ぶのを抑えようとした<ref name=Dawidoff>{{cite book |last=Dawidoff |first= Nicholas|date= 1997|title=In the Country of Country |url= |location=Great Britain |publisher=Faber and Faber |pages= 48–50|isbn=0-571-19174-6}}</ref> イギリスの音楽の影響やナッシュビルのカントリー・スター2人(Patsy Cline と Jim Reeves)の飛行機事故死も影響した。70年代には[[ベット・ミドラー]]や[[ポインター・シスターズ]]が当時古き良き世代の大衆音楽とみなされた曲のカバーを発売し、話題になった。
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== 1980年代以降 ==
== 1980年代以降 ==

2021年11月23日 (火) 10:21時点における版

スタンダード
様式的起源 ジャズスイングポピュラー音楽ティン・パン・アレー
文化的起源 20世紀のアメリカ合衆国
使用楽器 ビッグバンドオーケストラ
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ポピュラー音楽においてトラディショナル・ポップとは、1950年代中ごろのロックンロールの登場以前から存在していた欧米のポピュラー音楽の一種[1]。当時の人気作品で、その後音楽愛好家や演奏家に長く親しまれている曲はスタンダード・ナンバーまたは単にスタンダードと言われる[2]

概要

スタンダード・ミュージックとは、1950年代中頃にロックンロールが登場する以前から存在した欧米のポピュラー音楽の一種である。その中で人気があり、末永く親しまれている曲は、ポップ・スタンダードまたはアメリカン・スタンダードとしても知られている。こういった、ソングライターや作曲家の作品は通常、「グレート・アメリカン・ソングブック」として知られる名作[3] の一部を構成すると見なされている。もっとも一般的にいえば、「スタンダード」という用語は、メインストリームの中で非常に広く知られるようになった流行歌に適用される用語である[2]

スタンダード・ミュージックは、一般的に1940年代半ばから1950年代半ばの間に存在したと見なされている。AllMusicは伝統的なポップを「ビッグバンド時代の後でロックンロール時代の前」と定義している[1]

なお、音楽界の最高峰の賞であるとされるグラミー賞においては、1959年の創設当初より最優秀男性および女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞という部門があったが、2011年に廃止された。そのため、以降は1992年に創設された「最優秀トラディショナル・ポップ・ボーカル・アルバム賞」が実質的にこれに相当する。この詳細についてはグラミー賞の項目が詳しい。トラディショナル・ポップ (Traditional Pop) という用語はその時生じたものである。もともとトラディショナル・ポップという一分野が古くから存在していたわけではない。

詳細

古典的ポップスには、第一次世界大戦前後から1950年台にブロードウェイティン・パン・アレーハリウッドなどで活躍したアーヴィング・バーリンフレデリック・ロービクター・ハーバートハリー・ウォーレンハロルド・アーレンジェローム・カーンジョージ・ガーシュウィンリチャード・ロジャーズロレンツ・ハートオスカー・ハマースタインジョニー・マーサドロシー・フィールドホーギー・カーマイケルコール・ポーター[4] その他多数の舞台劇作曲家の作品が含まれる。

歴史

戦後のエンターテイナー的な歌手には、フランク・シナトラディーン・マーチントニー・ベネットナット・キング・コールダイナ・ショアジョー・スタッフォードペリー・コモペギー・リードリス・デイローズマリー・クルーニーパティ・ペイジ[5] ら多くのスター歌手がいた。 当時ポピュラー音楽の王者であったビング・クロスビーは、すでに40年代半ばまでに世界で最も人気のある歌手としての地位を確立していた。そこに注目すべき2つの革新的なことが加わった。それは弦楽器セクションやオーケストラの手法による編曲、およびボーカルのパフォーマンスの強調であった[6]。華麗な弦楽器の演奏が追加されているのが、1940年代と1950年代を通じたポピュラー音楽の多くで聞くことができる。1950年代初頭、スイング・ミュージックが支配的となったことが伝統的なポップミュージックの時代へと移る契機になったため、スイングバンドで活躍していた多くの歌手は一層人気を博すことになった。

1950年代後半、チャック・ベリーエルヴィス・プレスリーが登場し、ロックンロールが人気を得るようになった。しかし、スウィング時代や伝統的ポピュラー音楽の時代の人気歌手、フランク・シナトラ、ビング・クロスビー[7] らは人気を保っていた。こうした歌手の一部は、伝統的なポピュラー音楽と同じように衰退したが、多くの歌手は1960年代のジャズ・ボーカルやスウィング、ビッグ・バンドの復興活動に関わるようになった。1960年代のスウィング・ミュージックは、イージー・リスニングと呼ばれることもあり、本質的にはスウィング時代に人気があった「甘い」音色を持つバンドの人気の復活であったが、歌手の存在により重きが置かれていた。スイング時代のときのように、グレート・アメリカン・ソングブックに由来する多くの歌を特徴とした。この種の音楽の多くは、ネルソン・リドル・オーケストラと、ローズマリー・クルーニーやディーン・マーティンのようなテレビで人気の歌手、そして「Your Hit Parade」の出演者だった。

ポップ・スタンダードで成功し有名になったのは、ジャズ・ボーカルやポップ・シンガーたちだった。ビング・クロスビー、エラ・フィッツジェラルドビリー・ホリディ、フランク・シナトラ[8]、ドリス・デイ、ディーン・マーティン、フランキー・レインナット・キング・コール(当初ジャズピアニストとして知られていた)[8]リナ・ホーントニー・ベネットヴィック・ダモンジョニー・マティス[9]ボビー・ダーリン[10]バーブラ・ストライサンドペギー・リーサミー・デイヴィス・ジュニアアンディ・ウィリアムズナンシー・ウィルソンジャック・ジョーンズスティーブ・ローレンスライザ・ミネリクレオ・レーン[11]

1960年代半ばに「酒とバラの日々」や「ムーンリバー」などの曲がヒットし、10代の若者と大人の両方に人気があった。また、1959年から1960年にかけてヒットしたジョニー・ホートンによる「The Battle Of New Orleans (in 1814)」と「North To Alaska」は、大人よりも10代の若者の方にはるかに人気があった。このようにして、伝統的スタイルの流行歌は大衆音楽市場から完全に消え去るということがなかった。これらの歌手の多くは、この時期、ジャズ・ボーカルや1960年代のスウィング・ミュージックに加えて、フランク・シナトラやナット・キング・コールがやったように「あまりスイングしない」すなわちジャズのリズムにほとんど依拠しない伝統的なポップ・ボーカルにも関わるようになった。

1960年代におけるベビーブーム世代と年配のアメリカ人の世代との間での考え方の相違は、最初の頃、ラジオ音楽において表面化した。ロックがラジオでは最新のヒット(トップ40)を独占していたのに対して、伝統的なポップスはミドル・オブ・ザ・ロード英語版(MOR)の基礎を形成した。21世紀のラジオの番組構成では、1950年代と1960年代のトップ40ヒットは、オールディーズ専門のラジオ局で放送される一方、伝統的なポップスのヒット曲は一部の例外を除けば大人向けの番組や専門のラジオ局で放送される[12]。しかし両方のラジオ番組とも人気が薄れつつある。それは人々が高齢化した結果、それぞれ大衆音楽の古典となったスタンダード曲やゴールドディスクに認定されるようなアダルト・コンテンポラリーの曲の方をより好むようになってきているからである。

1950年代後半にロックンロールの人気が高まるにつれて、ベビーブーム世代の若者たちは伝統的なポップスの多くを両親たち世代の古くさい音楽とみなして相手にしなくなった[13]。フランク・シナトラやディーン・マーティンらと同時代の歌手たちが歌った古色蒼然とみなされた伝統的ポップスの地位は低下し、1960年代から1970年代にかけてラスベガスでのショウや、テレビへの出演がメインとなった。しかしながらテレビではなおも大変な人気を維持しており、また、ラスベガスのクラブの舞台やバックグラウンド・ミュージックでも人気があった。フランク・シナトラは、それでも60年代後半までにわたって多数のシングルアルバムを発表し続けた。1950年代後半あたり、ナッシュビルカントリー音楽の世界においては、伝統的なポップなサウンドに大きく依存していたため、Music Row はロック・アンド・ロールの影響がカントリーのジャンルに及ぶのを抑えようとした[14] イギリスの音楽の影響やナッシュビルのカントリー・スター2人(Patsy Cline と Jim Reeves)の飛行機事故死も影響した。70年代にはベット・ミドラーポインター・シスターズが当時古き良き世代の大衆音楽とみなされた曲のカバーを発売し、話題になった。

1980年代以降

1983年にロック世代の人気女性歌手リンダ・ロンシュタット[15][16] が音楽性の方針を転換した[17]。ロンシュタットは今や伝説的な存在となった編曲者兼指揮者のネルソン・リドルと協同して、1940年代から1950年代のスタンダードを扱ったアルバム「What's New」を発表し成功した。ビルボード・ポップチャートで第3位に入り、グラミー賞を獲得したので、それが契機となったロンシュタットはリドルと協力してさらに2枚のアルバム(1984年発表:Lush Life と1986年発表: For Sentimental Reasons)に取り組んだ[18]。この一連の企画は商業的に成功し、3枚のアルバムすべてがヒットして、世界各地での演奏会も成功した。リドルはその間にさらにグラミー賞をいくつか受賞した。ロックの人気歌手リンダ・ロンシュタットが古き良きあるいは古くさいとみなされていたスタンダード曲を歌って成功したことが、当時のロック愛好家世代にスイング以前およびスイング時代の音楽スタイルに関心を向けさせた。それ以来、ロックやポップのスターたちが、伝統的なポピュラー音楽のレコード製作でたびたび成功を収めている。有名なアルバムとしてはウィリー・ネルソンの「スターダスト」、チャカ・カーンの「Echoes of an Era」、カーリー・サイモンの「Torch」などがある[19]

近年、ロックンロールと伝統的なポップスとの融合が見られるようになった。これは、ポップ・スターや音楽家の多くがロックンロールの器楽編成を使用する一方、一時代前に活躍した演奏家の精神を取り入れて編曲や作曲を行なっていることでわかる。その一例としては、歌手マイケル・ブーブレが伝統的なポップス調の編曲で歌った、ビートルズブルース進行のヒット曲「キャント・バイ・ミー・ラヴ」の解釈がある。

1990年代にアメリカ合衆国でラウンジ・カルチャーが登場したことで、ロックンロールの時代以前のポピュラー音楽のスタイルや、演奏法に対する復活と関心が高まった。ハリー・コニック・ジュニア、リンダ・ロンシュタット、マイケル・ブーブレダイアナ・クラールステイシー・ケントジョン・ピッツァレッリなどのクラシック・ポップイージーリスニングスイングのスタイルだけでなく、キャバレー歌手のアンドレア・マルコヴィッチボビー・ショートなどのコンテンポラリーミュージックのアーティストがこれに取り組んでいる。

主な音楽家

以下の区分名は日本の音楽業界の慣例にしたがった[20]

男性ボーカル

女性ボーカル

ボーカル・クループ

ラジオ番組

  • ザ・スタンダード(ラジオ日本) - 伊藤つとむがパーソナリティーの、保守的・商業主義的なプログラム。

書籍

  • 青木啓『ポピュラー音楽200年 フォスターからボブ・ディランまで』誠文堂新光社、1976
  • 『ポピュラー・スター事典 (英題 "Who's Who in Popular Music")』 岡部柚子編 (発行元:水星社、発行:音楽之友社、1976)

脚注

  1. ^ a b Traditional Pop | Music Highlights”. AllMusic. 2016年4月10日閲覧。
  2. ^ a b Company, Houghton Mifflin Harcourt Publishing. “The American Heritage Dictionary entry: standard”. ahdictionary.com. 2020年7月27日閲覧。 “Music - A composition that is continually used in repertoires: a pianist who knew dozens of Broadway standards.”
  3. ^ Company, Houghton Mifflin Harcourt Publishing. “The American Heritage Dictionary entry: canon”. ahdictionary.com. 2020年7月27日閲覧。 “"canon" - The works of a writer that have been accepted as authentic. an example:the entire Shakespeare canon.”
  4. ^ Shaftel, Matthew. "From Inspiration to Archive: Cole Porter's 'Night and Day'", Journal of Music Theory, Duke University Press, Volume 43, No. 2 (Autumn, 1999), pp. 315–47, accessdate=3 August 2020
  5. ^ Patti Page was a 'Singing Rage' in a phenomenal six-decade career”. 01 August 2020閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k Gilliland, John (1994). Pop Chronicles the 40s: The Lively Story of Pop Music in the 40s (audiobook). ISBN 978-1-55935-147-8. OCLC 31611854.
  7. ^ Bing Crosby – Hollywood Star Walk”. 03 August 2020閲覧。
  8. ^ a b c d Gilliland, John (1969). "Smack Dab in the Middle on Route 66: A skinny dip in the easy listening mainstream" (audio). Pop Chronicles. University of North Texas Libraries. {{cite web}}: 引数|ref=harvは不正です。 (説明) Show 22.
  9. ^ a b Gilliland 1969, show 23.
  10. ^ Gilliland 1969, show 13.
  11. ^ Michael Church, "Caribbean Cleo? The amazing Cleo Laine", Caribbean Beat, Issue 13, Spring 1995.
  12. ^ MeTV FM goes from low-power TV station to top-10 Chicago radio station”. 01 August 2020閲覧。
  13. ^ Green, Jesse (June 2, 1996). “The Song Is Ended”. The New York Times Magazine. https://www.nytimes.com/1996/06/02/magazine/the-song-is-ended.html 
  14. ^ Dawidoff, Nicholas (1997). In the Country of Country. Great Britain: Faber and Faber. pp. 48–50. ISBN 0-571-19174-6 
  15. ^ Rolling Stone”. Rock's Venus. August 8, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。May 4, 2007閲覧。
  16. ^ Work's out fine, best female voice in rock and roll”. The Daily News. May 4, 2007閲覧。
  17. ^ The Linda Ronstadt Interview”. Time. April 9, 2007閲覧。
  18. ^ Family Week”. Linda Ronstadt: The Gamble Pays off Big. October 22, 2006時点のオリジナルよりアーカイブ。April 9, 2007閲覧。
  19. ^ Torch - Carly Simon | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. October 27, 2019閲覧。
  20. ^ 『ポピュラー・スター事典 (英題 "Who's Who in Popular Music")』 岡部柚子編 (発行元:水星社、発行:音楽之友社、1976)
  21. ^ Gilliland 1969, shows 15-16.
  22. ^ Gilliland 1969, show 17.
  23. ^ a b Gilliland 1969, show 2.
  24. ^ Gilliland 1969, show 55.
  25. ^ Gilliland 1969, show 11.

関連項目

外部リンク