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ここでは『地井武男の音楽旅行』時代に行われていたコーナーを取り上げる。 |
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: 今週のテーマを元に選曲し、各曲のサビをBGMに出演者が思い出やエピソードを語り合うトークコーナー。 |
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2021年11月23日 (火) 08:45時点における版
音楽旅行(おんがくりょこう)
- 本項目では1について述べる。
全薬工業 ヘルシーサンデー 地井武男の音楽旅行 ↓ 全薬工業 ヘルシーサンデー 音楽旅行 ↓ 音楽旅行 | |
---|---|
ジャンル | 音楽番組 |
放送期間 | 1997年4月6日 - 2012年9月30日 |
放送時間 |
日曜日17:00 - 17:27(27分) (その他の地域は各30分) |
放送回数 | 700回以上 |
放送局 | 文化放送 |
ネットワーク | NRN |
パーソナリティ |
地井武男(1997.4 - 2012.2) 吉田涙子 |
提供 | 全薬工業(1997.4 - 2012.8) |
『地井武男の音楽旅行』(ちいたけおのおんがくりょこう)そして『音楽旅行』(おんがくりょこう)は、1997年4月6日から2012年9月30日まで、文化放送をキーステーションに放送されていた音楽ラジオ番組。毎週日曜日17:00 - 17:27に放送していた。
本項では主に『地井武男の音楽旅行』時代について述べる。
概要
地井武男(俳優)と吉田涙子(文化放送アナウンサー)の掛け合いによるトークとともにテンポよく展開していく、文字通り「音楽とトークの番組」。放送回数は700回以上に上る。開始当初から2012年8月までは地井がイメージキャラクターを勤めた全薬工業の一社提供だった。
歴史
地井武男の音楽旅行
- 1997年4月6日放送開始。
- 全薬工業の一社提供であった為、文化放送では『全薬工業ヘルシーサンデー 地井武男の音楽旅行』のタイトルだった。また、地方局時差ネットの場合、全薬工業の冠はつかず『地井武男の音楽旅行』となっていた。
- 1995年[1]〜1997年に土曜日ナイターオフ枠で生放送されていたワイド番組『ぶんか茶屋土曜開店18時』に出演していた地井武男が続投する形で、1997年4月6日、日曜日の夕方枠にて放送開始。以来、地井の気さくな人柄と、吉田との掛け合いによるディスクジョッキーノリの軽快なトークが人気を博す。この番組において吉田は「D.J.ルイコ・ヨシダ」を名乗っていた。
- 地井の歌った「まだまだ」「人生これから」や「OH!散歩日和」(生稲晃子とのデュエット)[注釈 2]といった曲も番組内でかけられていた。
- 2007年には放送回数が500回を数えた。
- 地井が2012年1月に心臓疾患により入院、療養のため2月26日放送分より降板。2月26日は吉田涙子が単独で、3月4日の放送以降も俳優らが月替わりでピンチヒッターの形で、吉田とともにパーソナリティを務めた[2](参照)。文化放送はその間も、地井の回復を待つ方針をとってきた[3][2]→「地井武男 § 最期」も参照
- なお、地井の名前を冠したタイトルは地井が亡くなる6日前の2012年6月24日放送分まで使用された。
地井の逝去と番組の終了
- 2012年6月29日、地井が心不全のため逝去(70歳没)したのに伴い、7月1日の放送より地井の冠が外れ『全薬工業ヘルシーサンデー 音楽旅行』のタイトルで継続。吉田も続投の形で、7月は東貴博(Take2)、8月からは宮川彬良(作曲家)がそれぞれパーソナリティを担当した。
- 2012年8月末で全薬工業はスポンサーを降板し「全薬工業ヘルシーサンデー」の冠が外れ、2012年9月2日の放送より『音楽旅行』のタイトルで継続された(地方局時差ネットは7月よりこのタイトルだったが、詳しい放送状況は不明)。
- 2012年9月30日をもって番組終了、15年半の歴史に幕を閉じた[4]。最終回では吉田が単独で進行を務め『地井武男の音楽旅行』時代の音源をまとめた総集編による構成となり、最後は地井が入院する前の同年1月1日放送分のトークを放送した。また、当日は放送当時の音源を使用して地井によるかつてのタイトルコールも復活。「全薬工業ヘルシーサンデー」の冠はつかず、全体的にCM無しで放送された。
主なコーナー
ここでは『地井武男の音楽旅行』時代に行われていたコーナーを取り上げる。
- オープニング~今日の1曲目
- 曲をBGMにしながら、今週のテーマを告知する。
- ヒットソングメドレー
- 今週のテーマを元に選曲し、各曲のサビをBGMに出演者が思い出やエピソードを語り合うトークコーナー。
- 地井武男ベストセレクション
- 地井武男の過去のエピソードから、自身が選曲した「今週の1曲」を掛け、思い出を語る。
- ほっと一息、心の元気タイム
- 全薬工業のインフォマーシャル。吉田涙子が生活のワンポイントを紹介する。
- エンディング
パーソナリティ
- 地井武男の降板後
- 布施博(2012年3月4日 - 3月18日)
- 村井國夫(2012年3月25日[3] - 4月29日)
- 東幹久(2012年5月)[5]
- 榎木孝明(2012年6月)
- 東貴博(Take2)(2012年7月)
- 宮川彬良(2012年8月5日 - 9月23日)
放送時間
- 毎週日曜日17:00〜17:27
ネット局
途中から放送開始、もしくは終了した局も含む
ほか。ナイターオフなどに放送していた局もあった。
備考
- メッセージの応募はハガキのみで電子メールによる対応はされなかった。
- 毎年2月に開催される日本大相撲トーナメントの中継の場合は、放送が休止となっていた。大相撲八百長問題のため開催中止となった2011年も『しろバラスペシャル 大相撲たっぷり語ります』を放送したため放送休止となった。
- 2011年3月13日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の報道特別番組の為放送休止となった。
- 2012年7月1日放送の冒頭にて、地井武男逝去の旨がアナウンスされ、全薬工業提供のまま番組中のCMは文化放送のイベント関連やACジャパンに差し替えとなった。
- 地井がレギュラー出演していたテレビ番組『ちい散歩』(テレビ朝日)にて、浜松町でのロケの場合、文化放送本社に立ち寄ることもあった[6]。また四谷でロケをした際、かつて同地にあった解体前の旧社屋を絵手紙にした事もある[7][注釈 4]。
脚注
注釈
出典
- ^ 文化放送会社案内-番組史-
- ^ a b “文化放送社長、地井武男の「回復待つ」”. 日刊スポーツ. (2012年2月21日)
- ^ a b “文化放送、地井武男の帰り待ちます!”. サンケイスポーツ. (2012年3月20日). オリジナルの2012年4月13日時点におけるアーカイブ。 2012年8月24日閲覧。
- ^ “地井さんラジオ「-音楽旅行」30日に最終回”. サンケイスポーツ. (2012年9月15日). オリジナルの2012年9月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「地井武男の音楽旅行」は東幹久に”. 日刊スポーツ. (2012年4月18日)
- ^ ブルーガイドムック『ちい散歩2』(地井武男監修、実業之日本社)106-111頁「浜松町から新橋界隈」の項にて、地図に文化放送の位置が記載されている。
- ^ ブルーガイドムック『ちい散歩2』(地井武男監修、実業之日本社)105頁、『ちい散歩 地井さんの絵手紙 第1集』(同、新日本出版社)20-21頁。
関連項目
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『地井武男の音楽旅行』関連カテゴリ