「クロトンのファウロス」の版間の差分
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== 参考文献 == |
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*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
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*[[プルタルコス]]著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年 |
*[[プルタルコス]]著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年 |
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*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(下)、[[岩波書店]]、1972年 |
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(下)、[[岩波書店]]、1972年 |
2021年11月15日 (月) 10:59時点における版
ファウロス(古代ギリシア語: Φάϋλλος / Phayllos、紀元前5世紀後半)はイタリアのギリシア人殖民都市クロトンの競技者である。
それ以前の経歴については不明であるが、紀元前480年、ペルシア戦争時にファウロスは自費で軍船一隻を用意してクロトン人を乗り込ませ、イタリアおよびシケリア島のギリシア人で唯一ギリシア本土への援軍に来てペルシア軍と戦った[1][2]。これに敬意を表してマケドニア王アレクサンドロス3世はクロトン人にペルシア人から得た戦利品の一部を送った[3]。また、ファウロスはオリュンピア祭では優勝しなかったものの、ピュティア祭で五種競技で二度、スタディオン走で三度優勝した[4][5]。