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「ピーター・オデムウィンギー」の版間の差分

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2021年11月4日 (木) 22:47時点における版

ピーター・オデムウィンギー
ストーク時代(2015年)
名前
本名 ピーター・オサゼ・オデムウィンギー
Peter Osaze Odemwingie
ラテン文字 Peter ODEMWINGIE
キリル文字 Питер Осазе Одемвингие
基本情報
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1981-07-15) 1981年7月15日(43歳)
出身地 タシュケント
身長 181cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW (WG, CF)
利き足 右足
ユース
1994 ロシアの旗 KAMAZ
1995-1998 ロシアの旗 CSKAモスクワ
1999 ナイジェリアの旗 ASラシーヌ・ラゴス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 ナイジェリアの旗 ベンデル・インシュランス 53 (19)
2002-2004 ベルギーの旗 ラ・ルヴィエール 44 (9)
2004-2007 フランスの旗 リール 75 (23)
2007-2010 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 75 (21)
2010-2013 イングランドの旗 WBA 87 (30)
2013-2014 ウェールズの旗 カーディフ 15 (1)
2014-2016 イングランドの旗 ストーク 27 (5)
2016 イングランドの旗 ブリストル・シティ (loan) 7 (2)
2016-2017 イングランドの旗 ロザラム 7 (0)
2017 インドネシアの旗 マドゥラ・ユナイテッド 22 (15)
代表歴2
2002-2014 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 63 (10)
2008 ナイジェリアの旗 ナイジェリア オリンピック 6 (1)
獲得メダル
男子競技サッカー
オリンピック
2008 男子競技サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月1日現在。
2. 2014年6月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ピーター・オサゼ・オデムウィンギーPeter Osaze Odemwingie, 1981年7月15日 - )は、ナイジェリアの元サッカー選手。元ナイジェリア代表。現役時代のポジションはフォワード(ウイング、センターフォワード)。

経歴 

クラブ

1981年ナイジェリア人の父親とロシア人の母親の元、ウズベキスタン(旧ソビエト連邦)のタシュケントで生まれた。1994年に母親の母国であるロシアKAMAZナーベレジヌイェ・チェルヌイへ入団し、翌年から4年間は国内の強豪であるCSKAモスクワの下部組織でプレー。1999年に父親の母国であるナイジェリアへ引っ越すと同時にASラシーヌ・ラゴスの下部組織へ加入した。

2000年ナイジェリアベンデル・インシュランスFC英語版でプロデビュー。2002年ベルギーラ・ルヴィエール英語版に移籍し、ヨーロッパ復帰を果たした。2005年フランスリーグ・アンリールへ移籍。2006-07シーズンのチャンピオンズリーグのグループリーグではアウェーのACミラン戦で先制ゴールを決めるなど、リールをクラブ史上初のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント進出に導く原動力となった。

この活躍によって注目を浴び、2007年7月13日ロシアFCロコモティフ・モスクワへ1700万ユーロで移籍を果たした。

2010年8月20日イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCへ移籍[1]。翌日の8月21日に行われたサンダーランドAFC戦でプレミア初ゴールを決め、チームの初勝利に貢献した。2010-11シーズン、オデムウィンギーはリーグで15得点をあげ、クラブのプレミアリーグでのシーズン最多得点記録を更新。

2013年9月2日、昇格組のカーディフ・シティへ2年契約で移籍[2]。しかし、シーズン途中に就任したオーレ・グンナー・スールシャール新監督から信頼を得られず、2014年1月28日ケンワイン・ジョーンズとのトレードでストーク・シティに移籍[3]。しかしストークではマルコ・アルナウトヴィッチボージャン・クルキッチジェルダン・シャチリイブラヒム・アフェレイなどからポジションを奪うことはできず、2016年5月からシーズン終了までチャンピオンシップブリストル・シティFC期限付き移籍[4]。2015-16シーズンを以てクラブを退団した[5]

ハル・シティAFCのトライアルを受けるもフリーの状態で翌シーズンを迎えたが、10月24日にロザラム・ユナイテッドFCと3か月間の短期契約を結んだ[6]

2017年4月3日、インドネシアリーガ1マドゥラ・ユナイテッドFCに1年契約(1年延長オプション付き)で加入[7]。デビュー戦となった4月16日のバリ・ユナイテッドFC戦で74分にPKを決めて2-0での勝利に貢献した[8]。6月12日のセメン・パダンFC戦ではハットトリックを達成し、チームは6-0で勝利を収めた[9]

2019年4月3日、現役引退を発表。今後は指導者の道を目指す意向を表明している[10]

代表

ナイジェリアロシアのハーフのオデムウィンギーはナイジェリア代表ロシア代表のどちらかを選ぶ権利を有していたが、最終的にはナイジェリア代表を選択。2004年アフリカネーションズカップでナイジェリア代表デビューを果たす。

2008年北京オリンピックにはオーバーエイジ枠で出場。決勝でアルゼンチンに敗れたものの、準々決勝のコートジボワール戦でゴールするなどナイジェリア代表の準優勝に貢献した。2010年アフリカネイションズカップでは3位になり大会ベスト11に選出された。

2014 FIFAワールドカップではボスニア・ヘルツェゴビナ戦で決勝点を挙げ、ナイジェリアのワールドカップでの16年ぶりとなる勝利に貢献した[11]

代表歴

脚注

  1. ^ オデムウィンギー、WBAへ移籍 - ゲキサカ 2010年8月21日
  2. ^ カーディフ、WBAから元ナイジェリア代表FWオデムウィンギー獲得 - サッカーキング 2013年9月3日
  3. ^ ジョーンズとオデムウィンギーのトレードが完了 - Goal.com 2014年1月29日
  4. ^ Peter Odemwingie: Striker joins Bristol City on loan from Stoke for rest of the season”. BBC Sport (2016年3月11日). 2017年1月3日閲覧。
  5. ^ プレミアリーグが自由契約リストを公開…GKバルデスがマンU退団 - サッカーキング 2016年6月11日
  6. ^ Peter Odemwingie: Rotherham United sign former West Brom and Stoke City striker”. BBC Sport (2016年10月27日). 2017年1月5日閲覧。
  7. ^ Oluwashina Okeleji (2017年4月4日). “Peter Odemwingie: Ex-Nigeria striker signs for Indonesian test”. BBC Sport. 2019年10月13日閲覧。
  8. ^ Shina Oludare (2017年4月16日). “Peter Odemwingie scores on Madura United debut”. Goal.com. 2019年10月13日閲覧。
  9. ^ Yanu Arifin (2017年6月12日). “Odemwingie Hat-trick, Madura United Gasak Semen Padang 6-0” (インドネシア語). detikcom. 2019年10月13日閲覧。
  10. ^ Peter Odemwingie announces retirement from football”. Sky Sports (2019年4月3日). 2019年10月13日閲覧。
  11. ^ ナイジェリアがボスニア・ヘルツェゴビナの夢砕く - UEFA.com 2014年6月22日

関連項目

外部リンク