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ヴィンセント・エニェアマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィンセント・エニェアマ
リールでのエニェアマ (2014年)
名前
ラテン文字 Vincent Enyeama
基本情報
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
生年月日 (1982-08-29) 1982年8月29日(42歳)
出身地 カドゥナ
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 ナイジェリアの旗 イボム・スターズ 56 (1)
2001-2004 ナイジェリアの旗 エニンバ・インターナショナル 100 (10)
2005 ナイジェリアの旗 イゥアニャヌゥ・ナシオナーレ 36 (0)
2005-2007 イスラエルの旗 ブネイ・イェフダ 56 (0)
2007-2011 イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 113 (9)
2011-2018 フランスの旗 リール 164 (0)
2012-2013 イスラエルの旗 マッカビ・テルアビブ (loan) 27 (0)
代表歴
2002-2015 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 101 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年7月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴィンセント・エニェアマVincent Enyeama, 1982年8月29日 - )は、ナイジェリアカドゥナ出身の元サッカー選手。ポジションはGK

経歴

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プロデビュー以来長らくナイジェリアのチームでのプレーを続けていたが2005年ブネイ・イェフダ・テルアビブFCに移籍、欧州の舞台へとプレーの場を移した。

その後、ハポエル・テルアビブFCへと移籍し正GKの座を確立する。その活躍からアーセナルFCが獲得を打診しているとの報道もなされた。

2011年7月1日フランスリールに移籍した。しかしながら、出場機会が得られず、翌シーズンにマッカビ・テルアビブFCへと移籍した。マッカビ・テルアビブでは正GKとして27試合に出場し、10シーズンぶりのリーグ制覇に貢献した。2013-14シーズンは保有権を持つリールに復帰。前シーズン後半戦にレギュラーを託されたステーヴ・エラナミカエル・ランドローSCバスティアへ)が抜けた穴を埋められず、ランドローの後釜としてすぐさま正GKの座を確立した。

リール復帰後は高パフォーマンスを発揮し、2013年12月3日に行われたオリンピック・マルセイユ戦でパリ・サンジェルマンFCサルヴァトーレ・シリグが保持していたリーグ・アン連続無失点記録を更新した[1]

代表歴

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ナイジェリア代表としては、2002 FIFAワールドカップが代表初招集。この大会中の対イングランド代表戦にて代表デビューを飾り(2002年6月12日)、世界有数の強豪相手に無失点と実力を発揮した。なお、チームはグループステージ敗退となってしまったが、これ以降は正ゴールキーパーとして代表に定着している。2010 FIFAワールドカップ初戦のアルゼンチン戦と第2戦のギリシャ戦では失点し敗れはしたものの、リオネル・メッシのミドルシュートを好セーブで防ぐなどともに1失点に抑え、大会選定のマンオブザマッチに選ばれた。2014 FIFAワールドカップでも正守護神として大会に臨んだ。再戦となったアルゼンチン戦では、前回大会のリベンジとはならなかったもののリオネル・メッシのフリーキックやアンヘル・ディ・マリアのシュートをセーブするなどの活躍を見せた。ベスト16のフランス戦でもポール・ポグバのボレーシュートを防ぐなど躍動したものの、結果的にチームは敗れた。また、アルゼンチン戦でメッシにフリーキックを叩き込まれた後のハーフタイムに審判団と談笑する中で、メッシのキックに驚いたことを語ったり、試合中にシュートを外したメッシを笑顔で小突いたりと、その陽気な人柄が日本でも話題となった。

タイトル

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クラブ

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エニンバ
ハポエル・テルアビブFC
マッカビ・テルアビブFC
  • イスラエル・プレミアリーグ:2012-13

脚注

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外部リンク

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