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「大井川鉄道E10形電気機関車」の版間の差分

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== 運用 ==
== 運用 ==
運用開始当初は大井川本線で[[貨物列車]]の牽引に使用された。[[1976年]](昭和51年)の[[SL急行 (大井川鐵道)|SL急行]]運行開始後は、その[[補助機関車]](補機)としての運用が主となり、貨物運用は[[1983年]](昭和58年)に廃止された。[[2000年]](平成12年)からは[[大阪窯業セメントいぶき500形電気機関車|ED500形]]と共通運用でSL急行の補機を務めている。
運用開始当初は大井川本線で[[貨物列車]]の牽引に使用された。[[1976年]](昭和51年)の[[かわね路号]]運行開始後は、その[[補助機関車]](補機)としての運用が主となり、貨物運用は[[1983年]](昭和58年)に廃止された。[[2000年]](平成12年)からは[[大阪窯業セメントいぶき500形電気機関車|ED500形]]と共通運用でSL急行の補機を務めている。


その他の運用として、[[1984年]](昭和59年)から毎年夏に運転されているビール列車や、イベント時の[[臨時列車|臨時客車列車]]の牽引、[[新金谷車両区]]での入換作業にも使用されている。まれに[[特殊列車#工事列車|工事列車]]として、[[国鉄ホキ800形貨車|ホキ800形]]を牽引することもあった。
その他の運用として、[[1984年]](昭和59年)から毎年夏に運転されているビール列車や、イベント時の[[臨時列車|臨時客車列車]]の牽引、[[新金谷車両区]]での入換作業にも使用されている。まれに[[特殊列車#工事列車|工事列車]]として、[[国鉄ホキ800形貨車|ホキ800形]]を牽引することもあった。

2021年10月14日 (木) 22:55時点における版

大井川鉄道E10形電気機関車
E102 (2014年10月12日)
E102
(2014年10月12日)
基本情報
運用者 大井川鐵道
製造所 三菱重工業三原製作所:E101・102
日立製作所水戸工場:E103
製造年 1949年
製造数 3両
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流1500 V架空電車線方式
全長 12,800 mm
全幅 E101・102:2,708 mm
E103:2,700 mm
全高 E101:4,135 mm
E102:4,200 mm
E103:4,040 mm
機関車重量 45.0 t
台車 固定揺枕形鋼組立式
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 E101・102:MB-266-A
E103:HS-267A
主電動機出力 150 kW(電圧1,500 V) × 4基
歯車比 18:80=1:4.44
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ、発電ブレーキ
定格速度 31.3 km/h
定格出力 600 kW (1時間定格)
定格引張力 7,000 kg
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大井川鉄道E10形電気機関車(おおいがわてつどうE10がたでんききかんしゃ)は大井川鉄道(現・大井川鐵道)が1949年昭和24年)に導入した直流電気機関車である。

概要

大井川本線電化に際し、3両が製造された。E101三菱重工業三原製作所にて1949年10月27日付で竣工、E102が同所にて同年11月5日付で竣工、E103日立製作所水戸工場にて同10月15日付で竣工し、12月1日に運用を開始した[1]

車両

小型のデッキをもつ自重45t・軸配置B-Bの箱型電気機関車で、当時の私鉄としては大型のものである。外見は当時製造されていた国鉄EF58形(旧車体)・EF15形と類似していて、同型には神戸電気鉄道ED2001形小田急デキ1040形近畿日本鉄道デ31形などが挙げられる。

E101・102は同じ三菱重工業製でありながら、ひさしの有無や、車体全高の差異など見て分かる違いが多い。日立製作所製のE103は他機に比べて角ばった外見をしている。全機の共通点として、警笛に電気機関車としては珍しい電車用タイフォンを採用した点が挙げられる。なお、E103は後述の岳南鉄道転出後に、タイフォンからホイッスルに交換された。しかし、大井川鉄道再入線後に1エンド側のみタイフォンに復元されている。E101も後述の大規模整備の際にホイッスルに交換された。

運用

運用開始当初は大井川本線で貨物列車の牽引に使用された。1976年(昭和51年)のかわね路号運行開始後は、その補助機関車(補機)としての運用が主となり、貨物運用は1983年(昭和58年)に廃止された。2000年(平成12年)からはED500形と共通運用でSL急行の補機を務めている。

その他の運用として、1984年(昭和59年)から毎年夏に運転されているビール列車や、イベント時の臨時客車列車の牽引、新金谷車両区での入換作業にも使用されている。まれに工事列車として、ホキ800形を牽引することもあった。

検査期限切れにより2011年(平成23年)ごろから運用を離脱していたE101が、2013年(平成25年)春ごろから2014年(平成26年)2月まで、新金谷車両区で全般検査を含む大規模な整備を受け、本線復帰した。この際、モーターおよび台車を2011年に廃車解体となった神戸電鉄700形電気機関車のものと交換したほか、前述のタイフォンのホイッスル化や、側面に左右2か所ずつある機器冷却用のルーバーを埋めるなどの改造が施されている。

大井川鐵道は公式SNS等で、E31形電気機関車導入に伴う、既存の電気機関車の廃車はないとしている。しかし製造から70年以上が経過し、老朽化が進行しているため、今後の動向が注目される。

E103

E101・102と製造所が異なるE103は、大井川鉄道の貨物の減少により、1970年(昭和45年)7月6日付で廃車となった。同年9月7月という説もある)に岳南鉄道(現・岳南電車)へ転出され、同9月22日付でED10形 (ED103) として竣工した。牽引力も同社他機より強いことから、岳南線の主力機として使用された。しかし、岳南鉄道の貨物減少と大井川鉄道のSL急行増発による補機仕業増加で、両社の機関車需要が変化したことから1986年(昭和61年)2月21日付で再度廃車となった。同年3月4日[2]に大井川鉄道へ再入線し、同4月10日付で再度E103として竣工した。またこの際、タイフォンと同じように1エンド側のみパンタグラフがPS13に復元されている。

1999年平成11年)10月6日のED500形(元いぶき500形)2両[3]の入線によって運用を終了する予定だったが、中部国際空港埋立土砂輸送のため、同形が2両とも2000年(平成12年)5月に三岐鉄道へ転出したため、延期された[4]2002年(平成14年)12月21日三岐線での中部国際空港埋立土砂輸送が終了したため、翌2003年(平成15年)3月18日にED501が大井川鐵道(2000年に会社再編に伴い改名)へ返却されたのち、E103は休車となった。その後は千頭駅構内に長期間留置されていた。2015年(平成27年)ごろに新金谷駅構外側線へ移動し、2016年(平成28年)6月に廃車・解体された。

脚注

  1. ^ ただし、文献等では運用開始日が竣工日となっていることもある。
  2. ^ 一部のウェブサイトや文献では、1984年(または1981年)となっていることもあるが、誤りである。
  3. ^ E103と同じく、日立製作所水戸工場で製造された電気機関車。
  4. ^ ED501は貸与、ED502は譲渡の形式を取っている。

参考文献

関連項目

外部リンク