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岳南鉄道5000系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東急5000系電車 (初代) > 岳南鉄道5000系電車

岳南鉄道5000系電車(がくなんてつどう5000けいでんしゃ)は、岳南鉄道で使用されていた電車東京急行電鉄(東急)初代5000系を譲り受けた車両である。

概要

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5000系 吉原駅 1981年頃
5000系 岳南富士岡駅 (2004年9月16日撮影)
5000系車内 2000年ごろ

岳南鉄道で使用されていた旧型車両を置き換えるため、1981年(昭和56年)に東急から5000系8両の譲渡を受け、モハ5000形(モハ5001 - 5004)+クハ5100形(クハ5101 - 5104)の2両編成4本として導入された。

譲渡に当たっては、長津田車両工場で改造工事が実施された。先頭車が不足したため、制御車は中間車(デハ5100形・サハ5350形)の先頭車化改造によりまかなわれたものの、新設された運転台および前面形状は制御電動車に準じたものとなっていた。

制御電動車の向きについて、東急時代は奇数番号車が渋谷向き、偶数番号車が桜木町向きだった。しかし、岳南での使用に当たっては、甲種輸送の岳南到着時にすべて岳南江尾向きになるよう揃えるため、編成によって甲種輸送の経路を変えた。すなわち、元奇数番号車のモハ5001・5004を含む編成は八王子新宿新鶴見経由、元偶数番号車のモハ5002・5003を含む編成は八王子・新座梶ヶ谷・新鶴見経由とされた。よって、床下機器の配置やジャンパ栓、エアホースなどは、元奇数番号車と元偶数番号車とで反転した形になった。 翻って制御付随車も、これを見越して先頭車化改造されたため、クハ5101・5104はすべての客用扉が連結面方向に開くが、クハ5102・5103は運転台の新設に当たって扉の勝手を反転させたため新設前面寄りの扉は連結面方向に開き、中央と連結面寄りの扉は前面方向に開くことが特徴である。

その他の改造内容は前面灯のシールドビーム1灯化、通過標識灯や急行札差しの撤去などである。

外装は岳南鉄道に移籍して以来、同社の在来車に準じたインターナショナルオレンジ地に細い白帯を窓下に巻いた塗装で、通称「赤ガエル」と呼ばれた。また、運用末期には引退を記念して、モハ5001・クハ5101が東急時代のライトグリーン(通称「青ガエル」)へ塗装変更された。

在来の旧型車を一斉に置き換え、岳南線の旅客用電車は本形式に統一された。これにより、特に電力消費量が著しく改善され、電力会社の契約電力量をワンランク下げることができたというエピソードがある。

長らく岳南鉄道の主力車両として使用されてきたが、老朽化の進行により元京王電鉄3000系を改造した7000形に置き換えられ、1996年(平成8年)に定期運用から離脱し、1997年12月22日には青ガエル塗装車が引退[1]、2006年(平成18年)には予備編成も除籍されて形式消滅した。その後も長らく解体されず、比奈駅 - 岳南富士岡駅間の貨物ヤードには5001・5003編成が、岳南富士岡駅構内には5002・5004編成の、4編成すべてが留置されていた。しかし、雨風にさらされて塗装剥離や腐食が進み、2008年(平成20年)の夏にすべて解体された。

車両番号の変遷

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岳南での車両番号 東急時代の車両番号
モハ5001 クハ5101 デハ5027 サハ5361
5002 5102 5028 5363
5003 5103 5040 デハ5114
5004 5104 5049 サハ5364

参考文献

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  • 交友社鉄道ファン』1985年3月号(通巻287号)宮田道一・荻原俊夫 30才を迎えた“青ガエル”東急5000系のあゆみ

脚注

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  1. ^ 『鉄道ファン』1998年3月、114頁。