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「ビギニングス (アンブローズ・スレイドのアルバム)」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 11:07時点における版

スレイド (バンド) > ビギニングス (アンブローズ・スレイドのアルバム)
『ビギニングス』
アンブローズ・スレイドスタジオ・アルバム
リリース
ジャンル ロック
時間
レーベル フォンタナ・レコード
プロデュース
  • アンブローズ・スレイド
  • ロジャー・ウェイク
専門評論家によるレビュー
アンブローズ・スレイド アルバム 年表
  • ビギニングス
  • (1969年)
『ビギニングス』収録のシングル
  1. 「ジェネシス」
    リリース: 1969年5月14日
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ビギニングス』(Beginnings)は、イギリスロックバンドアンブローズ・スレイドの1作目のスタジオ・アルバムで、スレイドの事実上のデビュー・アルバム。1969年5月9日にフォンタナ・レコードより発売されたが、全英アルバムチャートにランクインすることはなかった。 アメリカでは、『Ballzy』というタイトルで発売された。1975年後半にコントア・レコードから「Beginnings of Slade」というタイトルに改題されて再発売されたが、権利上の問題によりすぐに回収された。

本作は、自作の楽曲とステッペンウルフなど他のアーティストの楽曲のカバーバージョンが収録されている。 アルバムのアートワークには、ウォルソールプークヒル英語版で撮影された写真が使用された[2]

背景・リリース

スレイドは、1966年にイン・ビトゥイーンズ(英語: The N' Betweens)という名前で結成された。 バンドは、シングルのレコーディングや、イギリスでのライブで評判を集めることに集中していた。1969年2月にフィリップス・レコードのA&Rの責任者であるジャック・ババーストック (Jack Baverstock) は、1968年にプロデューサーのマーティン・アーヴィングとのセッションで録音された2曲のデモ音源を聞いた後、バンドとの契約に興味を示した[3]。バンドは契約に同意し、バンド名をババーストックが提案したアンブローズ・スレイド(英語: Ambrose Slade)に改名した。アンブローズ・スレイドという名前は、ハンドバッグをAmbrose、靴をSladeと名付けていたババーストックの秘書に触発されて名付けられた[2][4]。ババーストックは、間もなくしてエージェントとしてジョン・ガネルを雇用した。

バンドは、1週間にわたってエンジニアのロジャー・ウェイクと共に、フィリップス・スタジオで『ビギニングス』のレコーディングを行った。 ババーストックは「マッド・ドッグ・コール」のデモ音源を気に入ったため、バンドに対して自作曲をより多く書くことを主張した。それから数日のうちに、自作曲の「ローチ・ダディ」、「ピティ・ザ・マザー」、「ジェネシス」の3曲を書いた。しかし、制作された自作曲の数はアルバムには足りず、残り8曲はバンドが定期的にライブで演奏していた8曲のカバーが収録された。

アルバムのレコーディング中に、アンブローズ・スレイドは、スタジオを訪れたチャス・チャンドラーを紹介された。スタジオで演奏を聴いたチャンドラーは、翌日の夜にラスプーチンのクラブで開催されたバンドのライブを見て、バンドのマネージャーになることを決心し、バンドと契約を結んだ[2][4]

1969年5月に、シングル盤『ジェネシス』と共に『ビギニングス』が発売され、ロンドンのユーストン駅でプロモーション・ビデオの撮影も行ったが、いずれもチャートインすることはなかった。バンドとチャンドラーは、チャートインすることを目標に、次の戦略を練ることにした。チャンドラーは本作の仕上がりに満足しておらず、自作曲を増やしてバンドのイメージを変えることがバンドの成功に繋がると考えた。 バンドは、チャンドラーがポリドール・レコードと契約するまで、フォンタナ・レコードから2作のシングルを発売し、その後1971年にブレイクした[2][4]

収録曲

アナログA面
#タイトル作詞・作曲時間
1.「ジェネシス」(Genesis)
2.「エブリバディズ・ネクスト・ワン」(Everybody's Next One)
3.「ノッキング・ネイルズ・イントゥ・マイ・ハウス」(Knocking Nails Into My House)ジェフ・リン
4.「ローチ・ダディ」(Roach Daddy)
  • デイヴ・ヒル
  • ノディ・ホルダー
  • ジム・リー
  • ドン・パウエル
5.「エイント・ガット・ノー・ハート」(Ain't Got No Heart)フランク・ザッパ
6.「ピティ・ザ・マザー」(Pity the Mother)
  • ノディ・ホルダー
  • ジム・リー
アナログB面
#タイトル作詞・作曲時間
7.「マッド・ドッグ・コール」(Mad Dog Cole)
  • デイヴ・ヒル
  • ノディ・ホルダー
  • ジム・リー
  • ドン・パウエル
8.「フライ・ミー・ハイ」(Fly Me High)ジャスティン・ヘイワード英語版
9.「イフ・ジス・ワールド・ワー・マイン・ディド」(If This World Were Mine)マーヴィン・ゲイ
10.マーサ・マイ・ディア(Martha My Dear)レノン=マッカートニー
11.ボーン・トゥ・ビー・ワイルド(Born To Be Wild)マーズ・ボンファイヤー英語版
12.「ジャーニー・トゥ・ザ・センター・オブ・ザ・マインド」(Journey To The Center Of The Mind)
合計時間:
2006年再発盤ボーナス・トラック(日本)[5]
#タイトル作詞作曲・編曲時間
13.「ワイルド・ウィンズ・アー・ブローイング」(Wild Winds Are Blowing)
  • ボブ・セイカー
  • ジャック・ウィンスリー
  • ボブ・セイカー
  • ジャック・ウィンスリー
14.「カモン・カモン」(C'Mon C'Mon)ノディ・ホルダーノディ・ホルダー
合計時間:

再発盤『Beginnings of Slade』収録曲

#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」(Born To Be Wild)  
2.「ジェネシス」(Genesis)  
3.「マーサ・マイ・ディア」(Martha My Dear)  
4.「エイント・ガット・ノー・ハート」(Ain't Got No Heart)  
5.「ローチ・ダディ」(Roach Daddy)  
6.「エブリバディズ・ネクスト・ワン」(Everybody's Next One)  
7.「フライ・ミー・ハイ」(Fly Me High)  
8.「イフ・ジス・ワールド・ワー・マイン・ディド」(If This World Were Mine)  
9.「ピティ・ザ・マザー」(Pity The Mother)  
10.「ノッキング・ネイルズ・イントゥ・マイ・ハウス」(Knocking Nails Into My House)  
11.「マッド・ドッグ・コール」(Mad Dog Cole)  
12.「ジャーニー・トゥ・ザ・センター・オブ・ザ・マインド」(Journey To The Center Of The Mind)  
合計時間:

曲の解説

「ジェネシス」は、メンバー全員で書いた自作のインストゥルメンタル 。後に歌詞が加えられたものが1970年に発売されたアルバム『プレイ・イット・ラウド』に「ノウ・フー・ユー・アー」というタイトルで収録された。

「エブリバディズ・ネクスト・ワン」は、1968年に発売されたステッペンウルフの楽曲のカバー。

「ノッキング・ネイルズ・イントゥ・マイ・ハウス」は、1968年に発売されたアイドル・レースの楽曲のカバー。

「ローチ・ダディ」もメンバー全員で書いた楽曲で、アルバム発売直後に発売されたシングル盤『ジェネシス』のB面にも収録された。

「エイント・ガット・ノー・ハート」は、1966年に発売されたマザーズ・オブ・インヴェンションの楽曲のカバー。

「ピティ・ザ・マザー」は、初めてホルダーとリーの2人で書かれた楽曲で、以後スレイドの多くの楽曲はこの2人によって書かれている。 この楽曲では、リーが演奏するエレクトリック・ヴァイオリンがフィーチャーされている。1980年にリーは「レコーディングの前日にノディの実家のキッチンで書いた。ルイーズ(リーの妻)が僕とノディが曲を書くのを手伝ってくれた。」と振り返っている。

「マッド・ドッグ・コール」は、「ジェネシス」と同様に自作のインストゥルメンタルで、制作時には「My Cat's Got Fleas」というタイトルが付けられていた。

「フライ・ミー・ハイ」は、1967年に発売されたムーディー・ブルースの楽曲のカバー。

「イフ・ジス・ワールド・ワー・マイン・ディド」は、1967年に発売されたマーヴィン・ゲイタミー・テレルのデュエット曲のカバー。

マーサ・マイ・ディア」は、1968年に発売されたビートルズの楽曲のカバーで、リーはヴァイオリンを演奏。1969年にシングル盤『ワイルド・ウィンズ・アー・ブローイング』のプロモーションで出演したBBCの子供向け番組『Monster Music Mash』でこの曲を演奏した[6]

ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」は、ステッペンウルフの楽曲のカバーで、 1972年に発売されたライブ・アルバム『Slade Alive』にライブ音源が収録された。

「ジャーニー・トゥ・ザ・センター・オブ・ザ・マインド」は、1968年に発売されたアンボイ・デュークスの楽曲のカバー。

演奏・スタッフ

アンブローズ・スレイド
スタッフ

脚注

出典

  1. ^ Thompson, Dave. Beginnings - Ambrose Slade | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020年8月31日閲覧。
  2. ^ a b c d Beginnings/Play It Loud (Salvo remaster) (booklet) (Media notes). Salvo Records. 2006. {{cite AV media notes2}}: |format=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明); 不明な引数|artist=は無視されます。(もしかして:|others=) (説明)
  3. ^ From Roots To Boots: The Slade Story”. Sladestory.blogspot.co.uk. 2020年8月31日閲覧。
  4. ^ a b c Charlesworth, Chris (1984). Slade, Feel the Noize!: an illustrated biography. London: Omnibus Press. ISBN 0-7119-0538-X 
  5. ^ “スレイド、リマスター紙ジャケを全16タイトル発売に”. CDJournal ニュース (シーディージャーナル). https://www.cdjournal.com/main/news/-/13619 2020年8月31日閲覧。 
  6. ^ Powell, Don; Falkenberg, Lise Lyng (2013/10/11). Look Wot I Dun: Don Powell of Slade. Omnibus Press. p. 98. https://books.google.co.jp/books?id=3jj_AgAAQBAJ&pg=PT98&lpg=PT98&dq=Monster+Music+Mash+Martha+My+Dear&source=bl&ots=Dh9n3ILvbF&sig=ACfU3U24LMIoqUSAnESOc8X8JQyIr4Ei5g&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwi8r4SOmcXrAhWHw4sBHaeXDXAQ6AEwD3oECAIQAQ#v=onepage&q=Monster%20Music%20Mash%20Martha%20My%20Dear&f=false